1984/04/27

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101 衆議院・文教委員会 

貸しレコードと著作権法について


○江田委員 参考人の皆さん、どうも本当にごくろうさまでございます。我々の審議のために長い時間拘束しまして申しわけありません。社会民主連合という小さな政党ですが、江田五月と申します。

 若干の点を質問してみたいと思いますが、実は私は国会に出てくる前に裁判官という法律関係の仕事をしておりまして、裁判官時代だったかあるいは国会に出てきてすぐだか、貸しレコードというのを聞きまして、何か法の抜け穴のようなところに、うまいというか、ずる賢いというか、けしからぬというか、おかしな商売が出てきたものだなあ、これでレコードというものがつぶれてしまわなければいいがなあというふうにも思いながら、しかし、法律的にはこれはどうもなかなか難しいぞ、規制するといっても規制の方法、今の法律では困難じゃないかな、そんなふうに思いながら、次第にいろいろなことを勉強していくにつれて、しかし、これはどうも法律が単に抜け穴があるというだけじゃなくて、やはりそういうものが出てくる基礎があった、社会的実態がやはりあるのだとだんだん思うようになりまして、そういう実態があるいは理由がある以上、これは法律の抜け穴を埋めて禁止するというだけでは済まない、何とか貸しレコードというような形も定着をさしていかなければならぬし、あるいはそれがレコード全体を脅かしていくなら賦課金とかいろいろなことを考えていかなければならぬと思っておったのですが、そういう中で、貸しレコードの方で自分たちも使用料を払う用意ありという態度を明らかにされて一つの組織ができていって、いい方向に向かっている、本当に新しい秩序をつくっていく方向に今向かっていると思っているのです。

 先ほど牛久保さんの方から、こういう貸しレコードというのができてくるについて、一つは機器の普及、それからニーズの方の変化、アウトドアで聞く要請が高くなってきたとか、いろいろニーズが変化してきている、もう一つは、やはり何といってもレコードが高い、あるいは試聴してみたいというような要求がある、それから、一枚のレコードの中に十曲も入っているけれども、実際はそれぞれの人がそんなにたくさんは要求してないのだというようなことがあってということをおっしゃったわけです。

 そこで、高宮さんに伺いたいのですが、そういう牛久保さんの方の、こういう根拠があって貸しレコードというのが出てきたのだ、単にする賢くやってきたというだけじゃないのだという御主張だと思うのですが、これについてどういう感想をお持ちですか。

○高宮参考人 江田先生の御質問にお答え申し上げます。
 私も、率直に申しまして、世の中随分変わってもまいりましたし、機器も普及いたしましたし、第一、レコード文化というのは非常に若者文化でございまして、アウトドア、いずれも御指摘になったようなことについては、それぞれ適切な指摘をしておられるというふうに思います。

 ただ、使用料を払う用意ありというその辺のところが、どの程度のことを考えていらっしゃるのか。私どもは、やはりこれは二百円とか二百五十円でそれだけのものを完全にコピーしてそれでもう十分だ、牛久保さんの方は今後また使用料を払うとおっしゃっておられますから、二百円とか二百五十円をここで取り上げることは必ずしも適当ではないと思いますけれども、やはりそういうところに――ただ安いからいいんだ、ニーズがあったんだ、だからそれに我々がこたえたことは正しかったんだということには、いささか私どもは納得しかねるものがございます。

 皆様方のお骨折りで、こういうふうな貸しレの方々ともテーブルに着いてお話をするという形ができましたので、これもおできになったばかりで、機関の当事者になっておられる方々にはこれから随分御苦労があると思いますし、本当にそういうふうな指導力、統制力と申しますか、まとまってお話に乗れるかどうかなんていうのもこれからの問題だろうと思いますけれども、そういうところを十分に新しい法秩序のもとでこちらも対応していくようなことによって、我々の考えておりますことをよくわかっていただいた上で貸しレコードというものを健康に育てていくことについて御協力をしたいし、またそれが我々の務めでもあろうと思っております。

 しかし、その間の距離というものは、実は率直に申し上げまして相当ございますので、江田先生のお話で、最初はずる賢く法の抜け穴のようなところでやっておるわいというようなお感じから、今日いろいろなニーズも考えてわかるようになったというようなお考えのプロセスは、私どもにも非常に参考にもなろうと思いますので、また今後何かと御教示もちょうだいしたいというふうに考えております。

○江田委員 そこで、レコードというものの将来なんです。これは別に揚げ足をとるようなつもりで申し上げるわけじゃないんですが、どうも先ほどの高宮さんのお話ですと、いろいろ費用がかかる、それをレコードを買ってもらうという形でコンペンセートしていかなければいけないんだ、こういうお話だったのですが、私は、これはやはり時代の変化というのはもっと進むだろうという気がするのですね。

 オーディオ機器、録音機器の発達ということにとどまらず、もっともっといろんなものがどんどん――エレクトロニクスといいますかニューメディアといいますか、現にレコード自体の製作でも、今は各パーツがばらばらにつくられて、それをどうやってミックスしていくか、歌手なんていうのが若い女の子でも、そんなに歌もうまくもないのに、やれピッチを上げてみたりエコーをかけてみたり、いろいろなことをやってつくってしまうわけですね。そして何回も何回も、どのくらいですか、百回くらいも歌を歌わせて、それをちょんちょん切ってつなげてつくっていくという、そういうことになってきますと、そういう一つの編集作業に聞く方も入りたい、参加していきたいという要求が起こるのも当然です。

 あるいはまた、やれINSだとかCATVだとかいうような時代になってきますと、レコードというのは愛蔵家の貯蔵の趣味にはたえても、実際に音楽を聞くときにはレコードじゃなくて、ボタン一つでどこかのデータベースからどっと、しかも最近のすばらしい録音の方法など、PCMと言うんですか、そういうものがずっと入ってくるというようなことになってきますと、貸しレコードも含めてですけれども、レコードという形というものがもうだんだん置いてきぼりになってくるんじゃないか。そうしますと、レコード店というのもあるいは貸しレコード店というのも、そういう営業形態を守ろうということから発想を転換しなければいけない時代が来る。

 そうじゃなくて、むしろそういう音楽著作物というのは、ずっとフローで流れていって最後にユーザーのところで固定されるという、そういうフローの中継点としての役割。ですから、使用禁止を若干の部分でというようなお話、さっきありましたけれども、むしろそうじゃなくて、音楽著作物がいろいろな形でユーザーのところへ流れていって――レコードもありましょう、テープもありましょう、放送ということもありましょう、あるいは有線もありましょう、いろんな形で流れていく、そのすべてのものをずっとにらみながら、全体的にそこから使用料を上げていって、そしてその音楽著作権者の方にこれを還元していく、そういう発想が必要な時代が来ているのじゃないかという気がするのですが、いかがでしょう、高宮さん。

○高宮参考人 今後のことでございますけれども、音楽産業というものは、江田先生の御観察になっておられるようなふうに非常に変わっていくのだと私も思います。

 今私は、貸しレコードからコンペンセートするものを、現状でそっくりそのまま、かかっているものを原価計算的に全部ちょうだいしたいというようなことを考えているわけじゃございませんで、今ずっとフロートして変わっていきます中で、今日の段階において貸しレコードもそれに相応したようなコンペンセーションを考えていただきたいということを私どもは考えております。

 確かに、音楽もいろんなふうに分化をしていくだろうと思います。ニューメディアあたりで使われることもそんなに遠くない時代に来ると思います。そういうものに対して、個々に著作権者あるいは著作隣接権者がどういうふうに権利を主張する領域があるかというようなことを我々今後勉強していきまして、移り変わっていく音楽業界というものに対応していかなければいけない。基本的には先生のお考えに私も非常に近いものを持っております。貸しレコードの使用料というようなものとそれとは、今日の段階ではまた別の角度からいろいろお話し合いもしてみたいと思っております。

○江田委員 使用料自体は、これはもうこれからのお話し合いですから、十分にひとつ時間をかけて、腹を割ってお互いに話し合いをしていただきたいと思うのですが、私は心配するのです。一部分でも利用禁止というのがあると、必ずそこにやみの行為が出てきたり、あるいは商業組合の中でもおかしなのが出てきて、禁止になっている部分が変なことで裏の方へ行って、例の裏本だとか裏ビデオだとかまでどんどん出てくるような世の中ですからね、そういうものが出てくる。あるいは商業組合にむしろ入らない方が得だというようなグループが出てくる。それによって、新しくでき上がろうとする秩序がまた壊れてしまう。

 ですから、私は、基本的には、一部分についてでも利用禁止じゃなくて、やはりこれは使用料による許諾だ。その使用料については、今度本法になりますと、裁定という制度があって、文化庁が全体をにらみながら一つの裁定をしていくわけで、この種のレコードはこのくらい、だけれどもこういうレコードは、レコード自体が活性化――さっきの言葉ですと、どういう言葉でしたか、作品が活力を持つに至るまではやはり使用料はこの程度まで上げておかなければならぬとか、そういう判断を文化庁の方にゆだねて、そして使用料で許諾、少なくとも集中的権利処理機構の中では使用料による許諾という方向でないと、新しくでき上がる秩序にまた妙なあだ花が次々咲いていくという心配をするのですが、御理解いただけるでしょうか。高宮さん、ひとつ……。

○高宮参考人 お考えとしては非常によくわかりますが、一方今度は、そういう作品をつくる、あるいはその作品に参加しますアーチストを育て上げていく、そういうところの人たちの気持ちというのは――従来そういう方々の努力は、レコードが売れる、そのレコード代の中にそういうものの費用が含まれているという考え方で成り立っておりましたものですから、先生のようなお考えに対しては、今日現在、非常に抵抗が強いわけでございます。殊に非常に寡作で、一年に一本、一ダブルと申しますが、一タイトル出すか出さないかというようなアーチストなどは、これにすべてをかけているというような感じがございます。それから、レコード会社もいろいろございまして、そういうアーチストを抱えていて、それ以外にアーチストがいないというところはそれ一つが命綱だ、そういうのが評判が出てくる前にどんどんつまみ取られていくようなことになっては我々の本当の死活問題になるので、このことについては一定期間はこれが大きくなっていくまで、先ほど申し上げましたように、貸しレコードを通じて相対的に安い値段で皆さんが利用されてももうこたえない、大丈夫だというようなところになるまでは温存するようなことをぜひ考えてほしいというような空気も大変強うございます。

 一方また、先生方のそういうお考えも十分に関係者には披露もいたしまして、後は具体的な折衝の問題になると思いますので、そういうことで進めさせていただきたいと思います。

○江田委員 その認識のギャップが業界の中にも随分おありで、本当に苦労されるところだろうと思うのでお察しいたしますが、利用禁止になるとこれはもう待ったなしといいますか、それでおしまいなんですね。使用料ということになると、その額によって、使用料が高ければ貸しレコードよりも買うという方向にカスタマーが移る、安ければ貸しレコードの方へ移るという調節がきくわけです。使用料がべらぼうに高ければ、これはもちろん買った方が安いやということまで行ってしまうこともあり得るわけです。使用料ということになると市場の調節がいろいろできてくるわけで、したがって、そういう知恵というのは随分貴重だと思うのです。

 もう時間が終わりましたので最後に。皆さんにいろいろ質問できなくて申しわけないのですけれども、暫定措置法のときに、衆議院でも小委員長報告で、参議院でも附帯決議で「著作者等の許諾権の行使に当たっては、公正な使用料によって許話することとし、関係者の間の円満な秩序の形成を図ること。」ということが付されておるのですが、これについて芥川さんと牛久保さんの方からは言及がありましたけれども、服部さんはこの際違うので、あとの小泉さんと高宮さんからはその言及がありませんでしたので、この国会の意思というものをどうお受けとめになっていらっしゃるか、簡単で結構ですのでお二人から伺って、質問を終わります。

○小泉参考人 暫定措置法のときの附帯決議でございますけれども、これは私たちの組織としましては、十分に尊重しようという意思で機関決定しております。

○高宮参考人 非常に難しい問題でございますけれども、とにかく国会で附帯決議がついているということについては、私どもは厳粛に受けとめなければいけないと思います。しかし、先ほども申し上げましたようにいろいろなことがございますので、実際の運用に当たりましては、また監督官庁であります文化庁さんあたりの御指導あるいは御相談などもちょうだいしながら進めてまいりたいと考えております。
 この程度でお許しをいただきたいと思います。

○江田委員 どうもありがとうございました。


○江田委員 長丁場でお疲れと思います。そして、もういろいろな質問がそれぞれ出まして、その質問に対して大臣と加戸次長の方から、いろいろな方面によく配慮の行き届いた、理解の行き渡ったお答えがございましたので、何をこれにさらに重ねてという感じもするのでありますが、もう少しだけ聞いておきたいことがありますので、お許しください。

 最初に、レコードレンタルというものを一体どう見るかということなのです。これも大臣の方からもお話がありましたが、私は、これは一つの新しい文化の形なのかなという気がするのですね。おとといですか、この委員会で木島委員が、「チョウチョウ」を「テフテフ」と書かないとどうもぴんとこないと言うので、私が笑いましたら怒られましたが、どうも私どもはやはり「テフテフ」じゃぴんとこない。これはある程度違いがあるわけですね。

 しかし、違っているからというので、古いなとか、おまえらなんか昔を知らぬなと言われたのではどうしようもないわけで、お互いにそれぞれの違いを認識しながら同時に理解をし合うということが必要ですが、どうも今の音楽文化の中に二つのものが混在している。あるいは二つ以上のものが混在しているのかもしれませんが、一般に伝統的な音楽文化ということになると、やはり送り手がプロフェッショナルで磨き抜かれて、すばらしい音楽をつくるためにそのことに生涯をかけてがんばっていく。受け手はそれを本当に良好な環境で静かに、私は受け手でございますと、それこそ赤ちゃんがきゃっと言ってもいけない、げたの音がコロッといってもいけない、そういう環境のもとで聞きたい。そういうものからだんだん変わって、受け手の方もある種の参加をしていきたい。

 今度送り手の方も、ある種の科学技術の発達などに伴って、単に送り手としてのプロフェッショナルという性格がだんだん薄れてきていますね。そして、そういう中で、例えばカラオケの中から歌手が出てくる。まあカラオケなんかは一つの新しい文化の芽のあらわれかもしらぬが、そういうものとしてレコードレンタルも、コピー文化という言い方だと何となく軽薄な文化というような語感が伴いますけれども、そういう新しい科学技術の中で新しい文化の形ができつつあるのかなという感じがするのですが、文部大臣のその辺の感触をちょっとお伺いしたいのです。

○森国務大臣 先ほど馬場さんの御質問の中でも申し上げたのですが、一枚のLPレコードを静かな環境で、それこそ自分の吸うお茶の音も遠慮しながらじっと聞いていく、こういうファンもいる。しかし、若干は音質が悪くても、ヘッドホンか何かで喧騒のソウルなどを聞いて体を一緒になって動かしていく。これはもうそれぞれ、音楽を愛する一つの所作だろうと思うのですね。どれがよくてどれがいけないということはない。質が若干悪くでもできるだけ安く手に入れて、自分の好きな曲をテープにとって、いつでも好きなときに、場合によっては歩きながらでも聞く、そういうことを若い人たちは好む。しかし、それは非難はできないと私は思うのです。いずれその子たちも、また年齢とともに、音質の全く狂ってない、いいレコードを静かに聞こうという気持ちにだんだんなっていく。そういう意味で、若い世代の皆さんがレンタルのレコードを利用してお互いにテープを回し、聞きながらやっている、それは私はある意味では生活の知恵だと思いますが、もう一つは、将来音楽を支えてくれるファンの拡大、ちょっと言葉は悪いのですが、その予備軍を形成していくことになるのではないか。僕はそういうつもりでこの問題に対応したのです。

 ですから、初めて私が自民党でこの仕事のまとめをさせられましたときに、さっき言った自分の子供にまず感想を聞いてみて、そこからスタートをした。党本部でその作業を始める委員会を開きましたときに、順番に団体の皆さんにおいでをいただいて、朝ですから朝食会をやりながらお話を聞くのですが、当時、レンタルの皆さんはおっかなびっくりでお見えになって、弁護士さんを連れて来られるんですね。それで、何か我々からしかられるのじゃないかという構えで、代表の大浦さんがちょっとあいさつだけしまして、党の国会議員がいろいろな質問をしますと、みんな弁護士さんがお答えになる。朝早いですから我々も御飯を食べながら、大した御飯じゃありません、ノリと卵とサンマか何かだったですが、食べながらやっていますと、そのレンタルの皆さんは、おいでをいただいたお客さんですが、御飯も食べられないんですね。何が食べたらいかぬのじゃないかというくらい、ある意味では非常に純情で、党に呼ばれることが何かおしかりをいただくのじゃないかという構えで来られました。僕は、大変純粋な皆さんだと思いました。

 ですから、私は、そうではなくて、あなた方がそういうお気持ちであるなら、さっきも申し上げたようにまさにアイデアで、考えて後からわかってみれば何でもない話だけれども、コロンブスの卵なんですね。しかし、そのことを本当に国民全体が認知してくれる御商売にするというお気持ちでぜひ一緒に、僕たちはあなた方を排除するということじゃないのだ――ある意味では、業界の皆さんを排除しろという意見も物すごい高まりでございました。白川さんなんかは、守ってあげるべきだという大変強い御発言でもございました。いろいろな意見がございました。そういう中で、まず入っていただいて、そして業界として認めてもらえるようにやろうじゃないですか、こういう姿勢で臨んだ。

 一方において、レコード製作者やあるいは著作権を持っておられる方々には、将来長い目で見たら大変音楽を愛好する人たちを形成していくことになるのではないか、こういうお話を申し上げたことを私は今思い出すわけであります。

 ちょっと長くなって恐縮でございましたが、レンタルレコードを利用していこうという若い人たちもやはり音楽文化を大変に愛してくれる人たちであるから、大事に大事にしていかなければならぬ、こういうふうに受けとめて私は今日まで来ておるわけでございます。

○江田委員 何も質問しなくてもいいと言いましたけれども、やはり質問することはあるわけですから、どうぞ、朝食会のおかずの件までは質問にありませんので……。

 年とともに嗜好が変わるということもあると思いますが、新しいものが生まれているということがあると思うのです。例えばビートルズが最初出てきたときに、僕はビートルズが出てくるときには、もうある年代を超えていましたので、何となくうるさいな、あんな音楽、という感じてした。しかし、ビートルズ世代というのは、年をとってもビートルズは懐かしくて仕方がない、涙が出るほど懐かしいと言うんですね。今の若い人たちは、それこそテープをいろいろ編集しながら、マイテープといって、自分が車に乗って走るときはこの音楽で二十分間、自分の音響空間をつくるのだということに物すごく喜びを覚えているという文化、これは今のエレクトロニクスがあって初めて成立する文化ですね。これはやはりユーザーがある種の参加をしているわけですね。これが恐らくこれからもっともっと進むだろうと僕は思うのです。

 例えば、どこまで進むかわからぬし、今のニューメディア時代と言うとちょっと浮かれ過ぎかなという感じもするけれども、しかし、ある種の未来予測を含んでいるのだろう。そういうこれから先の方向を考えますと、例えばサックスはサックスで、ピアノはピアノで、ギターはギターでいろいろなパーツがあって、それを今ではミックスして一つのレコードにつくって売っているわけです。その歌手も、若い女の子が下手くそな歌でね。しかし、エコーをかけたりピッチを上げたり、いろいろなことを機械で操作して一つのレコードをつくっている。これをユーザーの方が、自分たちがやってみたいというふうになるかもしれない。それを可能にするエレクトロニクスの技術が今進みつつあるのではないだろうか。そうなってくる、そういう音楽文化のある種のはしりのような、ある種の芽のようなものが、このレンタルの今の流行の中にあるんじゃないかなという気がするのですが、その辺になりますとどうですか。文部大臣お若いですから、おわかりになるでしょうか。

○森国務大臣 私は、どちらかというとビートルズとか、そういうことに余り心が弾んでこないのです。私の生まれたころ、昭和十二年から十六年というのは割と、この間御質問いただきました大久保直彦先生の御尊父さんあたりがおつくりになった歌が非常に流行いたしまして、母の胎内のときから覚えたのかどうか知りませんが、案外そのころの歌をよく今でも歌います。ですから、音楽に対してはかなり理解もあります。それから、音楽関係者とも非常に私は、芸術家というよりも芸能家ともおつき合いが多いのですが、今あなたがおっしゃったとおり、今いろんなパーツから来る音楽を集めていい音楽にしてレコードにして出す、今度はそれを聞くときに逆にまた分離して聞くというやり方、そういうことも恐らくこれからでき得るでありましょうし、かなりそういうことに関心を持っている人たちは、自分で非常におもしろおかしくつくられてやっておられる人も随分ありまして、よく私もそういう家庭へ行って、そういう音楽を聞かせてもらうこともございます。自分が歌った歌をちょっとカラオケでとってもらって、それをまた完全に分離してほかの伴奏とくっつけてやると、意外におれの歌はうまいんだななんて思うことがありましたけれども……。

 いずれにしても、そういうことに参加しながら、要は、先ほど申し上げたように音楽に対する非常に大きな関心が出てくるということは、ある意味での文化の振興にもなるというふうに思います。そういう意味で、この問題はまさにけんかすることじゃないので、お互いにルールを守って、そして音楽を大事にして、音楽をつくる人たちに感謝をして、そしてそのことでみんなが大きく繁栄をしていくということが、やはり一番のこうした問題に対する哲学としてなければならぬ、私はこういう考え方を持っておるわけです。

○江田委員 さらに言えば、恐らく今の科学技術の進歩の速度からすると、レコードというもの自体が、これはレコード協会も貸しレコードも一切含めて、レコードというのが何か古い時代の遺物になっていくんじゃないだろうか。百科事典なんというのも遺物になるかもしれないわけですね。これからINSだとかいうことになっていきますと、ボタン一つで百科事典のどこの項目というのがすぐ出てくる。各自の家にぽんと備えるような必要がなくなってくる。本なんというのは、初版本を愛蔵するというようなことで意味があるだけ。そこまでいくとちょっと行き過ぎでしょうけれども、レコードも、どうもジャケットを集めておくということに意味があるというような感じになって、実際の音楽はレコードで聞くよりもはるかにPCMで録音したものが、ボタン一つでINSのシステムの中で自分の家に入ってくる。アダプターか何か、スピーカーはそれぞれちゃんとした物が要るでしょうけれども、そういうようにして聞くようになってくると、一体今レコードということでやたら頭を悩ましているけれども、もっと何かその辺まで見越していくと、レコードを売る、買ってもらう、そしてお客さんに費用を負担してもらう、それをリサイクルして著作権者の方に音楽著作家の方に還流をして権利を反映させていく、そういうレコードというものを売ることによってユーザーに費用を負担をしてもらうというやり方自体がオールドファッションになってしまうんじゃないか、もっと何か違った方法をいろいろ工夫していかなければならぬ、そういう時代が来るのではないかという気がするのですが、いかがですか。

○森国務大臣 先ほどから加戸次長もいろいろ苦労した話などもしておりましたけれども、私もこの問題を暫定法をまとめますまでに各業界の皆さんにお話を申し上げたとき、やはり業界全体がもう少し前向きに考えてみなければならぬ問題が多いのではないだろうか、レコード製作者側の皆さんは、やはりそういうことも考えておられるようです。ちょうど加戸さんが、百年も続いた貸し本――百年と言ったかな、何かそういうことを言いましたが、やはりレコードを売ってくださる販売業者とレコードを製作する会社との間の長い信頼関係、そのことを考えますと、トラスチックな考え方はなかなか製作者側としてはできないだろう、こう思いますが、まさにアイデアで考えたレンタルですから、これはやはり販売業者も考えなければならぬことだ。端的に言えば、私は、販売業者の皆さんもレンタルをおやりになるということに踏み切らざるを得ないのじゃありませんかということも、当時やりとりの中でもあったし、ちょっと申し上げた。それからレコード業の皆さんも、さっき言ったように、うちの娘がたまたま言ったように、一曲だけ聞きたかったのに、ほかの十曲か何かついてくるために二千八百円も払わなければいけないのはおかしいわと言う。子供たちも、シューマン全体の、あるいはシューベルト全体のものを持っていたいというよりも、何の曲だけ欲しいというのもあるわけです。やはり、そういうところにレコード製作者側もこたえてあげていない、私はそんな感じがしました。

 江田さんも知っておられるように、最近もうレコードに針がないのだそうですね。針のないレコードというのでびっくりしましたけれども、そういうふうにどんどん改善していかれる業界ですから、あなたのおっしゃるような考え方で業界全体もこの問題を機にいろんな意味で反省をし、そのことをステップとして新しい段階へと対応していってほしいな、こういうふうに私も望んでいるところです。

○江田委員 レコード協会の皆さんが、一部禁止ということを考えているやに伺っておりまして、レコード協会の皆さんとすれば、どちらかといえばレコード販売店を何とか守っていきたい、レコード協会の皆さんからすれば当然であろうし、余り急激なダメージをこれで生活をしている皆さんにお与えをするのは政治のあり方ではないと思います。

 しかし一方では、例えばこれほどクォーツの時計が出回って、眼鏡をかけて小ちゃなねじ回しで時計を一生懸命分解掃除をする、その時計屋さんが幾らデモをしてみたところでこれはもう始まらないですね。恐らくレコードもそういう趨勢にある。ですから、もうこれからレコード店も単にレコードを売るということではなくて、音楽文明についてのその地域のセンターのような役割を果たしていくんだ、いろんな媒体を自分のところで集中的に管理し、コントロールし、センターをつくっていくんだという、そんなくらいな意気込みを持たなければならぬ。そして、音楽著作権者あるいは著作隣接権者の皆さんも、あらゆる媒体を通じて音楽というものを公衆に享受していただいて、その使用料ということでリサイクルを実際に図っていくんだという発想の転換が恐らく必要なんだろうと思うのです。そうなりますと、今の著作権法上の立て方からすると、許諾権という構成で仕方がないのかと思いますが、やはりこの許諾というのは、公正な使用料の徴収によって満足させられるべき権利なんだというふうに割り切るべきじゃないのか、こう思うのですが、いかがですか。

○加戸政府委員 この貸しレコード問題のそもそもの発端は、先生も御指摘なさいましたように、レコード小売店側からの問題提起がかねて強かったわけでございますし、また私どもが数字として聞いております限りでも、既に七百軒のレコード小売店が倒産をしたということ、これは貸しレコードが直接の原因であるかどうかはともかくとして、そういった実態を踏んまえた議論があったことも事実でございます。

 ただ、文化庁の立場といたしますれば、先ほど森大臣から繰り返しお話がございますように、文化を守るんだ、そういう意味で著作権者あるいは著作隣接権者の権利というのも大切にしたい。その観点に立って見ましたときに、レコード製作者の立場というのは、やはり音楽文化というのをこの世の中に送り出している昔源の提供者である。しかも、その中にありましては、例えばレコード協会側の主張にもうなずけるものがあるわけでございまして、でき合いの作詞、作曲を使って、でき合いのタレントに頼んで録音するというケースではなくて、ある企画を立て、そのために作詞をしてもらい、その作詞に曲をつけてもらい、かつそれに適合した歌を歌う歌手を選び、バンドを選び、かつ良好な条件の中でヒットすることをねらってい多額の投資をかけたタレントを使うとか、そういうような諸般の多額の投資の中でつくり上げていったものが貸しレコードで使われて、投下資本が回収できないということになることは、ある意味では、レコード製作者を保護しようとした著作隣接権の制度の趣旨からいたしますれば、レコード製作者側の立場に立てはつらい思いがするだろうと思うし、音盤製作への意欲も失わせるという面もあるのではないか、そういう感じはするわけでございます。

 その意味におきまして、そういった人たちに、許諾が前提である、だから使用料でと言った場合に、じゃあ使用料が幾らのものが担保できるのか、果たして取った使用料によってその投下資本が回収できるのかということもある程度は考えてあげる必要がある。それでも、それは見合いの問題でございますから、そういったのはケース・バイ・ケースで決まり得るだろうし、私ども率直に申し上げて、このような問題の解決というのは、これが絶対というのはあり得ないと思います。

 例えばのケースでございますが、それではレンタル側の御主張なさいますように、使用料を取ることによってオール許諾をしてみた。ところが、やっぱりこれでは全然採算が立たない、もたないという分野も出てくるでしょう。逆に、それでは、ある限定されたものについての限定した禁止をしたといった場合に、禁止はしてみたが、そのわずかの期間に消費者の方はぐっと我慢をした、禁止期間が切れれば、それでまた借り出して録音をする、その間におきましては投下資本の回収をするほど売れなかったなんということがあると、そういうのはやはり試行錯誤でやってみないと、どの姿がいいのかということは確定的に申し上げられないだろうと私は思います。その意味では、話し合いもあるし、あるいは試行錯誤をしばらくは繰り返してみるということはあり得るのかな。ただ基本は、あくまでも、音楽文化を生み出す権利者側もあるいはこれを伝えるレンタル側も、まさに共存共栄、何が一番音楽文化のためにいいのかということ、理想的な秩序を目指していく、そのためのある意味の試行錯誤はまだ途中プロセスとしてあり得るんじゃないか、そういう感じは私は気持ちとしてするわけでございます。

 もちろんこの問題は、レコード協会とレコードレンタル商業組合との間の十分な話し合いの中で一つのあるべき姿を見出していっていただきたいという気持ちはございますけれども、ただ文化庁の立場で申し上げますと、本来文化庁というのは、著作権あるいは著作隣接権といったサイド、つまり権利を保護する立場であるわけでございます。ただ、この貸しレコード問題に関しましては、先ほどからもいろいろな話が出ておりますけれども、我が文化庁著作権課の諸氏も、レコードレンタルに従事される若い人の意欲、純粋な気持ちというのに打たれまして、どちらかと申すと、著作権者あるいは著作隣接権者側よりも貸しレコードの皆さんの方に心情的には傾いてきている、そういうような状況もあるわけでございまして、ある意味では私ども、レコード協会あるいはレコード関係者の方からは、文化庁は一体どっちの味方だ、権利を守るべきではないかというおしかりも受けるような状況でございます。ただ、あるべき姿、本来の理想の姿を見出す途中のプロセスというのはいろいろあるんだな、そういう意味でのある程度の御理解も賜れば幸いだと思うわけでございます。

○江田委員 よくわかります。権利を守る守り方の問題があるんだろうと思いますがね。
 採算割れというようなお話があったのですけれども、しかし、考えてみると、このレコードについては禁止してもらわないと採算割れを起こしてしまうんだというようなことを果たして本当に判断できるのかどうかですね。あるいは、レコード会社側から言うと、第三者をしてそういう判断に導くような資料を出すことが本当にあり得るかどうか。そうなるとやっぱり、例えば一つの会社につき年に何点とかいうことになってしまうのじゃないだろうか。禁止ということになりますと、もう微調整なしですからね、それでもう万事休す、一切終わりですから。

 そうじゃなくて、許諾は許諾だ、あとは使用料の問題で、どれほどが実際に購入される枚数、どれほどがレンタルに回る枚数ということになるかを使用料の額で調整するということは十分可能なわけですね。使用料というのはその意味では変数で、結果をいろいろ変えることができる、いわば世の中を動かす材料になるわけですね。許諾禁止になりましたら今度はどうしようもないのです。したがって、基本は、使用料ということでいろいろ調整をとっていく。これ、許諾するかどうかになりますと裁定が働かない。使用料というところに入ると、文化庁の方の裁定が働くわけですから、それこそ五十円もあるし、一枚千円なんというのが、それがいいか悪いか知りませんよ。よければそうだっていいだろうし、そういうことがいろいろ可能なわけですから。よほどのことがあればそれは別ですけれども、つまり使用料ということにすると余りにも妥当を欠く。権利の乱用の気味があるというような場合ですと別ですが、やはり使用料による許諾ということでなければならぬと思うのですね。

 著作権法の中にも強制許諾という制度がありますね。これは、貸しレコード、レコードレンタルの場合には、本来、性質上なじまないものなんですか。どうですか。

○加戸政府委員 著作権法の中にも強制許諾制度として三つの制度を取り入れておりまして、一つが著作権者不明の場合、だれにライセンスをもらっていいのかわからないときには文化庁長官の裁定を受けて利用する。それから二つ目のケースが放送に関する裁定でございまして、正当な理由がなくて放送に対して許諾を拒否した場合に文化庁長官が裁定をする。それから三番目のケースとしましては、レコードの専属性というものを打破するためのものでございますが、一たんレコードを録音させて三年間たった場合、ある特定の会社と専属契約を結んで、ある会社から三年間出した場合には、三年経過後はよその会社でも出せるように、それを拒否した場合には文化庁長官が裁定をする。この三つの制度がございます。それぞれ歴史的な沿革あるいは公益上の理由その他合理的な理由のつくものでございますが、貸しレコードの場合に、同じような制度が導入できるかどうかという御質問だと思います。

 問題は、著作権につきましては、音楽著作権協会は、先ほどからも御議論ございますように、仲介業務団体として原則的に許諾をしますので、このことについてレンタルを禁止ということが起こり得ないから強制許諾ということはあり得ないわけでございます。となりますと、残りは著作隣接権の分野の問題で、ただ、著作隣接権での強制許諾という制度は現在ございませんし、また、政令で定める短い期間の権利でございますので、裁定の手続をそこまで手間暇かけるということよりも、むしろそういった乱用のケースが起こり得るとするならば、実は、御提案申し上げております法律案の中にも、許諾権の期間は一カ月以上十二カ月以内の範囲内において政令で定めるとしております趣旨も、もし乱用のケースがあり得るとするならば、許諾権の期間を政令によって短縮し得るのだよという抑止力の効果を含めているということでございます。

○江田委員 もう一つは、私はその一部禁止で心配をするのは、一部禁止になりますと、こういう生き馬の目を抜く世の中ですから、どこでまたこの法をくぐる者が出てこないとも限らないのですね。一部禁止にはなった、しかし、やみの貸しレコードがあれこれ出てきた。商業組合だっていろいろな人がおるわけで、それは商業組合の皆さんが自分の組合員を一生懸命統制するように努力をするでしょうが、その中でどういう秩序を乱す者が出てくるかもわからない。あるいはその外がどんどん膨れていくかもしれない。一部禁止ということがほんの一部ならまだいいのですが、それがかなり大きくなってくると、せっかくでき上がりつつある新しい制度、新しい秩序が、そういった妙な不心得者によって壊れてしまうおそれがやはりあるような気がするのですね。

 ですから、一部禁止というものが著作権、著作隣接権を保護するというように動かずに、逆に、せっかくできつつある新しい秩序が壊れて、貸しレコードの出現してきたような当初のああいう状態に戻ってしまうというおそれ。しかも、警察力で取り締まってと言ったって、これはなかなか簡単じゃないですからね。ですから、新しい秩序の中にみんなを包摂していくというために最大限の努力をしていただきたいと思うのですが、そういうおそれの点はいかがですか。

○加戸政府委員 確かに先生御指摘のような事態は、起こり得ないということは保証できないわけでございます。しかし、基本的には、ルールを守る、お互いの合意したルールを守るという信頼の上にそれぞれ成り立つものだという感じがするわけでございます。

 一面におきまして、今のレンタルを、仮に、限られた種類の数、短い期間での禁止ということが、これは多分レコード協会側の提案は出るだろうと思います。その場合の話し合いの前提になるわけでございますが、そういったケースにつきまして、先ほど申し上げたように、一つは試行錯誤のステップもあり得るのかな、あるいは使えるようになるまでユーザーの方が待つという事態もあり得るだろうし、やってみたけれども投資が回収できないから、それじゃもう初めからレンタルでいいやということもあり得るでしょうし、私ども一番恐れておりますのは、今レコード協会が必死になって、いろいろな突き上げの中で高宮会長を中心として、レンタル側へレンタル側へという形の移行を物すごく努力されています。御承知のように、この暫定措置法がスタートした時点では、一年間オール禁止からスタートした議論でございますから、ここまで持ってくるにはレコード協会自体としても、幹部にも並み並みならぬ努力があったと思いますし、高宮会長も自分の首を覚悟の上で今お取り組みだと私は理解しております。しかし、レコード製作者全員を抑え得るかというとそこの問題はあり得まずし、義務じゃございませんから、うちはそんなことだったら嫌だ、自分がこれだけ投資をしてつくったレコードなら未来永劫にレンタル禁止だ、そういうような主張をされる者が出てくる危険性なしともしない。

 そういったような諸般の情勢を考えたときに、私は繰り返して申し上げますが、これが最終的な、ファイナルな理想的な姿を見つけるには時間もかかるだろうし、そのステップとしていろいろな道もあるだろうし、それは両当事者の間でよく話し合いをしていただいて、十分煮詰めていただきたいなと考えている次第でございます。

○江田委員 確かに、これからいろいろな試行錯誤を繰り返していきながら、いい秩序をつくるためにいろいろな努力をしていかなければならぬと思うのです。

 そういう努力の中で、例えば先ほどの強制許諾ですが、文化庁が指定する団体相互の間では、この六十八条ですかあるいは六十九条、そういうようなものを工夫として取り込んでいくというようなこともあり得るんじゃないだろうか。文化庁が指定する団体の間には、許諾について話し合いがまとまらないときには、許諾について裁定をし、さらに進んで使用料について裁定をするというふうにしておけば、今度は逆に文化庁、ひょっとしたら通産省なのかもしれませんけれども、そういう団体に対する一つのコントロールの力にもなっていくわけです。そういうものは、これから先の動きの中でですが、頭の中に置いておかれる考えはありませんか。

○加戸政府委員 先生御承知のように、作詞、作曲家関係の著作権につきましては、音楽著作権は仲介業務法によりまして仲介業務団体が権利を行使する建前になっておるわけでございます。同じようなシステムを実演家、レコード製作者の権利についても措置することは立法論としては可能でございますけれども、御承知のように、行政改革で許認可はなるべく減らしていくように、行政の関与を減らすというのが今の方向でございまして、本来的には当事者間の話し合いによって円満な解決を図ることが理想でございまして、行政が余り関与すべきではない分野だという感じはいたします。

 ただ、従来、ありがたいことに、事著作権の問題に関しましては文化庁を信頼いただきまして、いろいろな御相談もちょうだいいたします。そして、文化庁が申し上げた考え方をなるべく尊重した方向でやっていただいているという従来の実績もあるわけでございまして、私どもは、法律による規制という形ではなくて、なるべくならば両当事者間の話し合いで文化庁のヒントなりサゼスチョンでうまくいくことを期待しておるわけでもございます。

○江田委員 政令ですが、これは政令ですから、「法何条の政令で定める期間は何月とする」というような規定の仕方ですね、恐らく。しかし、この期間というのは、先ほどもお答えの中にありましたとおり、文化庁としての切り札、カードですね。ですから、このカードをうまく使うためには、手を縛ってしまうわけに恐らくいかない。一遍ある期間を政令で定めて、事態の推移を見ながらまたこれを変えていくとか、あるいは政令で画一的に期間を定めるのでなくて、これはちょっとどうだかわかりませんけれども、ケース、ケースでこの場合のケースには幾ら、こちらでは幾ら、こういろんな政令の期間を決めるとか、政令については例えば三月と六月と九月と十二月、イ、ロ、ハ、ニとする。あとはレコード会社ごとに、あるいは団体ごとにイのケース、ロのケース、どれであるかは省令で指定するとか、そんなようなこととか、何か期間というカードを本当にフルにうまく使えるような方法はありませんか。

○加戸政府委員 私どもの御提案申し上げた気持ちといたしますれば、暫定措置法に基づきます政令の期間が一年でございますので、その接続性という観点から申し上げますれば、同様に著作権法一部改正案に基づきます政令も十二カ月と定めさせていただいて、円滑な利用関係の継続を図りたいというのが今の考え方でございます。

 ただ、先ほど申し上げましたように、一月以上十二カ月以内というのは、権利乱用があれば抑止力として一カ月というようなこともあり得るという意味の考え方でございまして、なぜ抑止力かと申し上げますと、実は仮に政令で定める期間を一カ月といたしますれば、ライセンスを得られないから一カ月は待つけれども、一カ月たったら全部のレコードは無断で使用できる、言うなれば、言葉は悪うございますけれども悪徳業者、金を払う意思のない人がそこから使って、報酬請求権というのは単なる債権だから、著作権じゃないから幾らやってもそれは抑えられない。ただ金よこせ、金よこせだけであるというような、そういう逆にみずからの首を絞める結果を招来することになるわけでございますから、そういうようなことは権利者側としてもなさらないであろう、そういう期待のもとに一月以上十二カ月以内とさせていただいているわけでございます。

 なお、この場合の定め方は、ある種類のものについてはとか、これは一カ月、これは三カ月、これは六カ月というような定め方ではなくて、画一的に十二カ月というような感じで一律に定めさせていただくつもりでございます。

○江田委員 画一的にであろうと思いますけれども、しかし画一的ですと、そこらの微調整がなかなか難しいですよね。

 例えば、同じレコード製作者の中に、比較的文化庁の御指導よろしきを得てきちんとした秩序の中に入ってくる皆さんもおられる。だけれども、どうもなかなか難しいなという人もいる。そういうときに抑止力は、大部分の秩序をちゃんとつくっていく皆さんが存在するために、一部の不心得者のところに働かないというようなことになる。もっとも、その場合にも短くしてしまえば、あとの皆さんはどっちみち使用料が報酬請求権にかわるだけで、金額の問題ですからいいと言えばいいわけですが、いずれにしても、そういう政令というものを文化庁のカードとして有効に使っていただきたい。

 それから、裁定で使用料、報酬請求権の額を定めていくわけですけれども、裁定の際の基準、どういう基準でこの金額についての裁定をされるか、これは何かもうお考えはありますか。あるいは、これからこういうような手続で基準を決めていこうとしているとか、そういうようなお考えでも結構ですが、ありますか。

○加戸政府委員 裁定と申しますのは、報酬あるいは使用料、それらに基づきまして額の相談をしたときに、権利者サイドは高値を言い、使用者サイドは安値を言って折り合いがつかないといったときに、文化庁長官に申請があるわけでございまして、機械的にはその上限と下限の間をとるという形になりますので、ある意味では双方の主張の食い違い、両者のいずれかのところで接点を見出すというのが裁定でございます。

 その場合の裁定の基準というのは、使用料は先ほど申し上げましたように、いろいろの分野でいろいろな考え方があるわけでございますから、この分野で妥当な金額というのは実は決められない。そういう意味でいろいろな各般の――もちろん、裁定いたします場合には著作権審議会に諮問いたしますので、著作権審議会の委員のいろいろな御判断を仰ぎながら、その答申を受けて文化庁長官が裁定するわけでございますので、ある意味では人間の英知によって、これこそ、えい、やっというようなニュアンスはあり得るわけでございます。

 ただ、現実の問題としまして、既に九十五条あるいは九十七条に基づきまして、現在、商業用レコードの放送に伴います二次使用料等についても裁定は行いますが、これも裁定があるという制度のおかげで、裁定前の段階で両当事者の話し合いがつかないときに文化庁の言い値でおよそ折り合っていただく。そういう意味では、裁定は多分伝家の宝刀で、裁定があるのだよということで文化庁が事実上物申すことで、中間点を通常はとっていただいているというのが実態でございます。

○江田委員 先ほどもいろいろ話が出ておりましたけれども、権利者間の権利の強弱の問題です。著作権者が仮に一とするならば、著作隣接権、実演家の場合とレコード製作者の場合、それはどういうことになりますか。どうも大もとは著作権者なんだから、著作権者より強いはずがなかろうという気もしてみたり、しかし当事者の主張はどうもそうでもないように伺ったりするのですが……。

○加戸政府委員 権利の強弱と使用料の価格との相関関係は必ずしもないと私どもが思いますのは、何となれば、通常の使用料の価格というのは、その文化にどの程度の創造性があり、値打ちがあり、利用度があるのかということで、個々の取引でございますと、それぞれ個別に許諾をとれば、あるいは作家は、私はこれでいいと言うけれども、これはビッグタレントだから私はその十倍ぐらいの金が要るということで、個々の契約でいく限りにおいては物すごい違いがそれぞれ、力によっても、作品のでき等によってもあり得ると思います。ただ、今のシステム自体が、著作権については仲介業務法に基づいて文化庁長官の認可した使用料規程でいきますから、同じ一律の料金が著作権なら著作権で決まってしまっております。

 では、著作権と隣接権の相関関係はとなりますと、実は今までにもいろいろな分野があり得るのですが、その間におきます著作権者側と著作隣接権者側の金額の比率というのは、それぞれみんなばらつきがございまして、その問題、あるいはその業種によって、利用されるときの著作権者と著作隣接権者におきますウエートの問題、あるいは別の分野ではまた別の力が、インパクトが働くというような諸般の状況の中で一律には言えない。そういう点ではおもしろいものですが、著作物の使用料というのは何となく決まっていって、定着するとそんなものかなというのが過去の歴史で積み重ねられてきておると理解しております。

○江田委員 どうも禅問答のような話で、何かよくわかったようなわからぬような、しかし今の段階ではしょうがないのかもしれません。

 ただ、先ほどもお答えの中に出てまいりましたが、放送の場合と有線放送の場合に一定の実例があるわけですね。これは恐らく一つの基準といいますか参考といいますか、こういうものになるのでしょうね。

○加戸政府委員 それも一つの考え方になり得るでございましょうし、あるいは外国の例におきましても、著作権者と著作隣接権者がどの程度のウエートの配分になっているかという問題もございましょう。ただ、今回の問題につきましては、私ども、問題の発端が、つまり音源の製作者の被害が一番大きいということからスタートした点から、レコード協会側はかなりの額を主張されるだろうなという感じはいたしておりますけれども、それはやはりケース・バイ・ケースでございまして、今回の貸しレコードに伴ってだれが経済的利益を相当失っているのか、あるいは経済的利益を受けるべきなのか、そういった点もファクターとなり得るでございましょうし、あるいは団体の力の問題もございましょう。あるいは交渉上手な場合もございましょうし、いろいろな要素が絡み合って、言うなれば一律にはいかない問題だと思います。

○江田委員 もう時間が参りましたが、いろいろな問題があると思うのです。大臣は、文化庁というのは商いには関係ないんだ、文化の薫り高いところを相手にしておるんだ、こうおっしゃった。著作権を保護するということでは、確かにレコードレンタルはどういうふうに規制をするかという、そういう対象になってくるかと思います。

 しかし、文化といいますと、冒頭にも言いましたとおり商いだけじゃないのですね。文化というのはいろいろな文化があるわけで、正直言って、僕らも若者文化がわかっているわけじゃないです。それはディスコなんかに行って体を動かしたらくたびれるだけで、よくこんなうるさいところにというような感じもするけれども、しかし、やはり今の若者文化を理解しようと思うと、ディスコの耳の鼓膜が破れそうな中に行って、体も動きもしないのに一生懸命ゴーゴーなんかやったりするのですがね。そういう違う文化が若者の中にあるかもしらぬぞという一種の――「テフテフ」を笑って怒られて僕も反省したのですが、若者のある種の文化というのが何かあるんじゃないかというような気持ちで、商いの世界というふうに突き放さずに、こういう新しい文化がもし育っているんだとすればこれを大切に大きく育てあげるという、そういう目を持っていただきたい、そういう気持ちで接していただきたいと最後に要望して、お答えをいただいて質問を終わります。

○森国務大臣 商いに関係ないということを申し上げたわけですが、それは、この暫定法を最初にお取りまとめをさせていただいた当時の気持ちから言いまして、レンタルレコードをけしからぬのだ、業界の秩序を乱しているんだ、だから追放すべきなんだ、あるいはレコード製作者やレコード業者の皆さんの今日まで得た収入というものを守ってあげなければならぬのだ、こういう考え方でこの法律をまとめたのでは、これは全く議論にはならないわけです。

 ですから私は、今度の法律は、たびたび先ほどから申し上げてまいりましたし、前に皆さんで御議論をいただいておつくりをいただいた暫定法もあわせて、これに関連する皆さんの秩序づくりをしたということと、そして、いろいろな考え方があるかもしれませんが、先ほど江田さんがおっしゃったように、科学技術の進歩と文化の進展によって文化に対する価値観も変わってくるわけですから、レコード製作者側もレコード業界も、すべて時代に対応していく考え方を今度のこの一つの縁をもって前向きに考えていっていただきたいなと、こう思うわけです。

 もう一つは、レンタルレコードの場合の、特に需要者といいますか、必要とする人たちは極めて若い層であるということから考えても、例えばソフトのプログラムの問題が出ておりますように、これからの日本の産業の進展に伴って著作権という問題がいかに大切なものかということを、若い人たちにも産業界の皆さんにも、このことを通じて十分理解してもらえる一助にもなったのではないか。そういう意味で、今度の問題は、国民の中に大きく著作権という問題を考えてくださる、そしてこういう業界を通じながら、音楽文化を創造する人たちの偉大さというものも知ってもらいたいし、そして、こうしたいろいろな形で音楽を受ける立場の皆さんが将来ともに音楽を大切にしていく、文化を大切にしていく、芸術に親しむ、そういう人たちの層がどんどんふえていって、その人たちがまた大きくなって、引き続き日本の文化や芸術というものを大事にする、そういうことになってくだされば大変ありがたい。

 こういう意味で文化庁は、御議論いただきました暫定法を一つの引き金として今度の法改正をお願いいたしたわけでございまして、これからまだまだ我々が予想もしないようなことがどんどん起きてくると思いますので、商いということで全く寄せつけないというのではなくて、先ほども申し上げたように、事務当局も十分そのことを踏まえつつ、今後ともいろいろな新しい事態に備えて縦横に、また柔軟に、濶達に、著作権を大事にして、日本の文化や音楽、芸術を大事に守っていく文化庁でありたい、こういうふうに私は思っている次第であります。
○江田委員 どうもありがとうございました。


1984/04/27

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