1997/10/29

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江田五月決意表明

1997/10/29

《決意》

 私は本日、来年七月の参議院選挙に岡山選挙区で、無所属県民党の立場で立候補することを決意しました。

《理由》

(知事選敗北から一年)
 昨年10月の県知事選に敗れてちょうど一年、今年4月26日に政治家としての再出発宣言をしてちょうど半年、自らの進路について考えてきました。

(原点に戻って再出発する)
 知事選の敗北は、私の政治活動の一つの区切りでした。しかし、政治の惨憺たる現状を見るにつけ、こんな結果を後世に残して幕引きをしては、歴史に対する自分の責任を果たしきったとはいえないとの思いを強くします。今、区切りであるからこそ、原点に戻って再出発したいと思います。

(混迷する国政の状況)
 政治家は、新しい選挙制度のもとで、生き残りの道を求めてさまよい、政党は、数合わせのため、理念なき野合に終始する観を呈しています。橋本内閣は、市民の常識を無視した内閣改造を行って以来、景気対策、行政改革、地方分権をはじめとする構造改革、沖縄問題など政策的にも行き詰まっているのに、野党は混迷の極みで、政権交代の声もありません。総会屋汚染の広がりも、子どもたちの頽廃も、ゆえなしとはしないのです。

(次期参院選の重要性)
 先日の宮城県知事選の結果を見ても、国民の既成政党への不信と新しい旗印への願望は頂点に達しています。もう待てません。来年七月の参議院選挙は、これまでの続きであってはならないのです。今の政治の最重要課題は、政権交代で諸課題を実現するために、一刻も早く、党派主義を乗り越えて、政界再々編成をすすめ、新しい理念と政策のもとに本格野党を構築することです。そしてそれは、衆議院が著しい機能麻痺に陥っている今、「良識の府」である参議院でこそできることともいえるのです。

(「おかやま県民党」体制の構築)
 昨年の知事選で「おかやま県民党」は、絶頂期の自民党と互角のたたかいをしました。そこに示された県民の皆さんの支持を定着させ拡大させていくことが、私の最大の使命だと確信します。それは、既成の政党や政治勢力に頼るのではなく、草の根庶民の連帯で、「市民派勢力」を結集することです。宮城県では、単発的ですが、これが実を結びました。

(全国に「県民党連合」を)
 しかし今、わが県の参院選をめぐる情勢は、逆の方向に行っています。この際私は、あえて自ら手を上げてこの状況にとび込み、この状況を憂い真に「県民が主役」の民主主義を作りたいと願っているすべての県民とともに、ふるさと岡山県において「県民党体制」を作ることに全力を尽くします。そのような地域に根を張った努力を全国に広げ、特殊性が普遍性となって、全国に「県民党連合」(新しい政治勢力の総結集)を作っていくことこそが、回り道であっても、国民に信頼される新党へのもっとも確かな道すじであると確信します。

(参議院議員として)
 私は1年前知事選のために、約13年間つとめた衆議院議員をやめました。今衆議院が混迷のときに、権謀術数と離合集散のなかに再び身を投ずるよりも、そこから一歩距離をおいて、参議院議員の特性を生かし、地球市民の時代に日本から世界に向けて発信すべき大方針について、理念を鮮明にし、基本的な政策の議論をまき起こし、新しい理想主義のもとに新しい政党を作ることが、私の進むべき道だとの結論に達しました。

(めざすべき理念)
 昨夜私は、今から7年前に社会民主連合の代表として仲間の皆さんと一緒に作った「めざすべき新党の政治理念(案)・・生活者の政権をめざす新党結成のよびかけ」を読み直してみました。時代の変化の激しさに驚くと同時に、やはりここに私の理念や政策の原点があったと改めて認識しています。

(運命を有権者に委ねる)
 多くの皆さんから、一日も早く国政に復帰せよとの声も寄せられています。ここに原点に戻って新しい出発をすることを誓い、わがふるさと岡山県の有権者の皆さんに私の政治生命を委ねます。ゼロからの出発で「地域参加型市民選挙」に徹します。そこに新しい信頼を寄せていただくことしか、私が政治の場にいきいきと復帰する道はないと決意しています。選挙の結果によっては私の政治生命が断たれることは、もとより覚悟のうえの背水の陣の決断です。県民の皆さんのご理解とご支持を心からお願いします。

以上


1997/10/29

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