2009年5月22日

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「政界華肖像」 (インタビュー 蛭田有一)

人物写真家 蛭田有一オフィシャルサイトより転載


お父様の江田三郎さんが亡くなる前までは裁判官を全うしたいと考えていたんですか。

元々政治家の家に生まれて政治に関心は大いにあったし、学生運動とかいろいろやりましたが、最初はあんまり肩に力が入った感じじゃなくて、取り敢えずという感じで裁判官になっていたんですね。その内、裁判の仕事が面白くなっていきましたが、他方、父は本当に悪戦苦闘していました。

国民の常識の通じる政治を作りたい。それには国民的な基盤に立った政党で政権交代をやらなきゃと、日本社会党の中でいろいろ苦労をしていましたが、どうしても社会党が自分の思うような政党にならない。そこで32年前の3月の終わりに父がいよいよ生涯を賭けた大博打に出たわけですね。社会党を離党してただ一人で新しい政権担当政党を作ろうとして踏み出したんですが、僅か2ヶ月足らずで亡くなってしまった。

亡くなったのが僕の誕生日であったわけです。自分の父親が命懸けで政治を何とかしなきゃといって新しい旗を掲げて、僕の誕生日に亡くなったということは、息子としては父親に背中をドーンとど突かれたような感じでした。もう一瞬の判断で裁判官を辞めて政治の道に入って、その後を引き継ごうということだったわけです。以来30余年ですね。

一瞬の判断というのは。

亡くなったときです。亡くなる4日ぐらい前に、つまり5月の19日ごろにガンだと聞かされて、6ヶ月ぐらいの寿命はあるだろうと。それが翌日は3ヶ月ぐらいになって、その翌日には1ヶ月ぐらいになって、次の日の朝はまだ2週間ぐらいだったかな、その日の夕方になってこれは大変だと、駆けつけたらポックリ死ぬと。いずれにせよ駆け込むようにして僕の誕生日に合わせて死んでいった。

後継のお誘いは断固として断っていたのですが、父が新しい旗を持って走り出してばったり倒れて、旗がそこに転がっているんですから、誰かがこの旗を持ってまた走り始めないといかんわけです。あれは親父のことで俺は知らんと言ったら、あいつは人の子なのかと、人間の気持ちが分からん者に裁判なんか出来るわけがないということになって、もうお手上げですね。後を継ぐしかない。

参議院の議長になるとそれまでの立場とは随分変わりますか。

はい、議長という立場になってその職務を全うするには、会派を離脱をして中立的で一歩超越した立場になるべしというのがありますので、今は民主党の会派を離れて国会の中では無所属になっています。

心は今でも民主党ですか。

それはそうですよ、ずっとやってきたんだから。「理解と共感」と言っています。旗振りはしません。

どういう参議院議長でありたいと考えていますか。

珍しいことに今まで、法律家であった議長というのは僕だけなんです。参議院で27代目ですが、法律家出身の者はこれまで一人もいない。それどころか貴族院時代まで遡ってもいないんですね。だから法律家の素養を持った議長ということで、法律的な意味で筋が通った議長でなきゃいかんだろうと。

例えば可否同数になると議長が裁定するというのがあるんですね。どう裁定したっていいんですが、やっぱり法律家が議長やるんですから、そこは法律的に見て批判に耐えうる理屈がなきゃいかんと思います。一票差なら可否同数にならないんだけど、偶数だったら可否同数になる可能性がある。そういう事態というのはしばしば起きるわけではありませんが、これまで何度かありました。その都度ちゃんと生真面目に理屈だてて、こうなったらこう判断しようと法律家として間違えのないよう予め考えて臨むんです。

もう一つは参議院とは何かということで、参議院はちょっと後ろに下がったほうがいいという説がある。そういう参議院もあるかと思います。だけど今は政権交代という政治の仕組みになるかどうかというギリギリのところに来ている。その中での参議院です。つまり与野党が逆転した参議院が一歩先行しており、私がその逆転した野党側から推薦を受けて議長になっているわけです。衆参合わせて参議院が政治の変革の中で一歩先行している状態ですから、今は参議院が頑張る時期だと。

参議院はいつできたかというと、戦後の産物なんですよ。戦前は貴族院ですから。戦後、貴族制度をなくし女性参政権を認め、いわば戦後の憲法と合わせて参議院をスタートさせているんですね。従って「戦後レジームからの脱却」とかで戦前に戻そうというのに対抗して、戦後民主主義をよりいっそう前に進める、そんな役割の議長でありたい。だから法律家的、中立的立場を守りながら、同時に積極的な役割も果たす、そんなことが今必要だと思っていますね。

参議院の与野党逆転によってやっと表舞台に立った感じがしますね。

これまでは衆議院のカーボンコピーとか言われてね。しかし今は衆議院と逆の結論を出すことがしょっちゅうですから。逆の結論を出しても憲法の規定で衆議院が優越するというのはしょうがない。しかし参議院が出した結論を何とかして最終結果に結び付けたいという努力は、いろいろ模索しているんです。今のところまだ成功していないですけどね。

議長という立場になるとそれまでの政治活動とは全く違った苦労があるんでしようね。

民主党だけでなく日本の野党は、参議院で議長を擁立したことがないんですよ。今回初めてなんです。だから野党には議長を擁立して参議院を動かしていくというノウハウが全く蓄積されていないんです。逆に与党は議長を擁さなかったことがないんです。だから与党には議長は自分たちの側に立っていないという前提で議会を動かすノウハウが何もないんです。それで今大変ギクシャクしていて、様々な場面で与党のほうから私のところに抗議がワッときます。しかし考えてみたら昨日までは野党のほうが同じような抗議をしていたなというので、まあ攻守ところを変えているだけの話だと冷やかす人もいるくらいで(笑)。

いずれにしても二つの勢力が議長を擁したり、擁していなかったり、その時々でどういうように議会を動かすかという知恵がもっと蓄積していかないと、両方いけないというのを感じますね。

次の衆議院選挙で民主党が勝って議長を出すときは江田さんの経験が活かせますね。

これは全く仮定のことだから、いろいろあるでしょうね。まあ仮に民主党を中心とした野党が政権をとったとして、政権のとり方によっては民主党で議長をとるんじゃなくて、どこか他の野党に議長を渡して、その代わり政権のほうでは協力しようというようなことをやるかもしれないし全く分かりません。ここから先は虚々実々、まさに海図の無いところを航海して行くんですから、ビックリするようなことがあるかもしれませんね。

今から10何年か前に細川内閣ができて、その時には土井たか子さんが衆議院の議長になったんですね。総理大臣を出している政党とは別の政党から議長を出したわけですよね。それは8つの会派全部を結束させるためのひとつの知恵だったんだろうと思いますけどね。

いずれにしても参議院では2年ぐらい先行して経験を積んでいますから、それは是非参考にしてもらわないといかんと思いますね。

日本は今、政治、経済、社会の衰退やモラルの退廃が深刻化していますがその大元の原因は。

今の日本で何が一番憂慮すべきことかというと、日本人の国民力というか人間力というか、弱体化しているんですね。戦前の場合は国民総動員体制が機能して、国民がこぞって戦争へ突っ走って、それは政治が導いた方向が間違って国民は大迷惑でしたが、国民としては公共精神を持ってみんな自己犠牲の魂で頑張ったわけですよね。

そうした国民こぞって公共のために頑張ろうというのが大失敗したため、戦後は「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」といいますかね。社会公共というよりも、「二人のために世界はあるの」が更に高じて「私のために世界はある」みたいに、人のことはどうでもよろしい、自分だけよければよいというように、公共精神を嫌う風潮があったかなという気がしますね。

それは逆に言えば、戦後の大反省の欠陥でしてね。戦争に負けて、みんな皇居のほうに向いて地にひざまずいて涙を流した。涙を流せばもうあとはすっきりして次に進み出してしまってね。戦争に負けたということを、一人ひとりが内在化してどういうふうにこの戦後の民主主義を作っていくのかということをあまり意識しなくて、ズルズルと来てしまった。

アメリカに与えられた民主主義とか借りもの民主主義とか言われるわけですが、民主主義を実際に動かしていく、そういう成熟した市民社会というのが日本になかなかできてこなかった。それを作っていこうという意識もそれほどなかった。だから学校教育でも知識は豊富に与えるけれども、その知識を使いこなす、或いはその知識を生み出していく発想の力を育てることは、非常に乏しかった。

昨日から裁判員制度が始まったわけですが、裁判みたいな面倒くさいものを国民に押し付けてくれるなと言いたげな批判が聞こえます。こうなると、国民はもう単なる受益者ですよね。裁判も要りません、政治もいりません、なんもいりません、私に餌だけくださいよという国民になってしまう。これはやっぱり主権者としてはダメなんですよね。

敗戦にいたる戦前の総括をきちんとしなかったことも要因であると。

だと思いますね。

総括をするということは責任を明確にするということですよね。

はい、僕は大学の時、ゼミの先生は丸山真男先生なんですが、丸山先生は戦前体制というのは無責任体制と言っていましてね。戦前の戦争から敗戦に至るプロセスの中で、誰に責任あるんだということが全然問われずに、みんなもたれ合いで最後は一緒に沈んじゃった訳ですよね。

それが今も続いていると。

そう思いますね。国民一人ひとりが選挙で自分の一票を行使した以上、今度はその結果について自分で責任を取りながら、次はもっと賢い有権者としてまた一票を行使するというようなことじゃなくて、悪くなれば誰かが悪い、良くなれば自分が良いという、これはやっぱりまずいですよね。

無責任集団の最たるものは官僚組織だとよく言われますが。

あまり官僚が責任感旺盛でもまずいだろうと思いますよ。僕らが大学出る頃は、それでもまだ使命感を持って官僚になっていたんですね。例えば僕は司法研修を終えて裁判官になるときに、弁護士になったほうがよっぽど実入りはいいんですよ。だけども、弁護士連中に出来ない裁判という仕事を自分たちはやるんだという使命感を持って、みんな給与に文句も言わずに裁判官をずっと続けていたんだけども、最近の官僚はそういう使命感が非常に乏しくなっているようですね。

しかし使命感ばっかりで官僚が全部責任を持って引っ張っていくんだとなったら、これもまずいんです。ですから官僚は官僚でもっと使命感をちゃんと持ってやって欲しいし、それに対して方向性を与えるのが政治だという意味で、政治も復権しなきゃいけないですね。

いい加減な官僚を作ったのはひとえに政治家がだらしないだけのことでは。

そうだけど、官僚もだらしなくはなっている。年をとると今の若い者はと言うのは世の常らしいけども、どうも今の状況はちょっとまずいと思いますね。

戦後の政治家で高く評価している政治家はいますか。

誰か一人を挙げるなら、僕の父を挙げておきたいと思います。

外国の政治家では。

オバマ大統領はこれからどうなるか分かりませんけども、なかなかのもんだと思いますよ。アメリカという奴隷制度を持っていた国で黒人が大統領になり、アメリカ国民を感動させる政治技術を駆使しているわけですからね。最近ではプラハの演説のように核廃絶の高らかな旗を打ち立てて、世界で初めて核兵器を使った国としてアメリカは道義的な責任があると言った。これは、アメリカ国民にとって多分大歓迎ではないと思いますよね。

だから、世界の世論がオバマ大統領の後押しをしなきゃいけないという気がしますね。国際連盟を作ったときに、アメリカだけが提唱者のウイルソンの意に反して国際連盟に入らなかった。同じように、世界が核廃絶に向かい始めたのに、アメリカだけが提唱者のオバマ大統領と行動を共にしなかったということになったら、核廃絶なんか出来ないですよね。

小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏はどういう政治家だと思いますか。

それぞれとりえが非常にある政治家なんで。

例えばどんなとりえですか。

やっぱり小沢一郎という人は度胸がありますからね。勝負どころを心得ていて、ここはこうだっていうのをパッと示す。党内にいろいろ意見があっても、こうだと言ったらそれにみんなを従わせる腕力、これはなかなか端倪(たんげい)すべからざるものがあるという感じですね。

鳩山由紀夫さんはそうじゃなくて、ふわふわとなんだか捉えどころがないようでいていつの間にやら皆を引っ張って行くという、これもある種の技術、長所ですよね。

いつの間にか引っ張って行くというのは。

例えば最近のことで言えば、やっぱり小沢さんを最終的に辞任に導いたのは鳩山さんじゃないかと思いますね。剛球じゃなくて、フワッとソフトな玉でいつのまにやら。

自分ではソフトクリームから芯棒の入ったアイスキャンデーになったと言っていますが。

まあキャンデー棒よりもソフトクリームのところが上手く功を奏した、よく知りませんけれど(笑)。

オバマさんみたいな政治家は日本には生まれないですか。

そんなことは無いと思います。僕自身が二世ですから人のことを言えないですが、僕の場合は世襲ではないと思うんですが。世襲の議員というのが自民党には非常に多いですね。これはやっぱり自民党というシステムが人を育てるシステムでなくなっているということだと思うんですね。

民主党は若い志を持ったものが公募で合格して、それぞれの選挙区に配置をされて、そこで本当に地べたに這いつくばるようにして、だんだん支持を広げてきていますね。次の選挙ではこういう連中が大量に当選してくると思います。ただ、下積みの努力が突然報われると、人間は急に偉くなったと勘違いするからあぶないんですが、多分そんな中からだんだん人は育つと思いますね。

民主党が政権とれば、自民党が今度は今までのような人材、リクルートシステムではダメだということになって、自民党もまた変わってきますよね。やっと政権交代構造が根付くことによって、政治家が育つ前提が整いつつあるのが、今のところかな。まあ長くかかりましたけどね。

次の選挙では是非民主党が政権をとって欲しいと思いますか。

勿論思っています。思っているけど、そのための行動が出来ないのが辛いところです。今までずっと政権交代を目指してやってきて、その気持ちは変わってない。しかし、その民主党に下駄を履かせるようなことは、私は出来ないんです。

こういう考え方の政治家とは絶対一緒にやれないというものはありますか。

自分の名誉栄達とか現世的利益のことばっかり一生懸命考えている人とは、やっぱり一緒にはやれないですよ。それがどっちの方向であれね。

それと理念的には、先ず国家ありきというのは僕の肌には合わないですね。国家というのはやっぱり国民のためにあるんで、国民のためにならなきゃ国家なんて別に変えたっていいわけだし。国王が本当の国王でなければ国王を取り替えてもいいんだというのが、世界の進歩の歴史ですよね。

政治家としてどんな日本を作っていきたいですか。

国民はみな、自分ひとりで生きているんじゃないんで、お互いに支えあい助け合って世の中を作っているのです。そのお手伝いをしているのが政治であり国家なんですよね。ですから国民がみな、自分でできることを精一杯しながら、お互いの支え合いで世の中を作っていく。そういう社会を上から見たら日本国になっているという、そんな国家像ですかね。

国家が国民を同じ色に塗りつぶして、日本国民かくあるべしなんて言うと息苦しいですよね。百人百色、一億二千万人一億二千万色という、それで全体として見たらほんのり桜色というぐらいが、一番いいんだと思いますけどね。

ありがとうございました。

いえいえ。


2009年5月22日

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