2007年9月21日

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  特別インタビュー 江田五月・参議院議長に聞く
 
 ■衆参ねじれ国会で、活発な論戦が続いている。新しい時代を思わせる政治状況の主役の一人、
 ■江田五月・参議院議長に「メディアを考える旅」を連載中の元木昌彦氏が問う――

 参議院議長に就かれた江田五月さんとは、長いおつき合いをさせていただいている。何度か中国へもご一緒させていただいたことがある。
 お父様の故・江田三郎さんは、旧社会党の顔として国民的な人気があった政治家だ。構造改革論を提唱するが、党内対立の末に離党し、社会市民連合を結成する。しかし、一九七七年五月、参議院選挙直前に急逝し、長男で裁判官だった五月さんが急遽出馬して、第二位で当選した。
 温和で話し方もソフトだが、東大時代には自治会の委員長を務めた。防衛庁のバッジシステムに反対して自民党総裁室に“乱入”し、逮捕されたこともある硬骨漢である。
 先の参議院選挙で民主党が大勝したことを受けて、参議院をとりまとめ、運営していく重責を担った。混迷が予想されるねじれ国会を、裁判官としても十分に実績を積んできた江田さんが、どう差配してくれるか、大変だろうとは思うが、楽しみでもある。

‖僕が参議院議長に選ばれる政治状況

1941年5月22日岡山市生まれ、66年3月東京大学法学部卒業。同年4月から77年5月まで判事補、その間、英国オックスフォード大学留学(2年間)、77年7月父・江田三郎の遺志を継ぎ参議院全国区で第2位当選、社会市民連合代表、83年総選挙で岡山1区で当選(連続4回第1位当選)、93年、細川内閣で科学技術庁長官、96年岡山県知事選で惜敗、98年参議院岡山選挙区当選、民主党NPO委員長、NC法務大臣、副代表。参議院国家基本政策委員長。2004年会派議員会長、07年8月参議院議長、著書は「出発のためのメモランダム」「国会議員」、07年10月「政治家の人間力 江田三郎への手紙」を編著

元木 お父さんの江田三郎さんが六十九歳で亡くなられた時、追悼集会の挨拶で、「父の死は道を外れた孤独の死、ハムレットの悲劇ではなく、政治的大勝利を生み出す死であります。父のこの命を賭けた大仕事を何が何でも実現させることが、社会市民連合のためというより、むしろ日本の政治のため、日本の国民のため、その政治的成熟のために必要であります」と語ってます。その政治的大勝利がもうすぐ来るかもしれません。

江田 今年は、私の父が亡くなってちょうど三十年で、生誕百年という節目の年でもあります。節目というのは、故人・江田三郎にとってというだけではなくて、日本の政治にとって節目の年になるんだろうと思います。因縁話はあんまり好きじゃないんだけど、参議院選挙の投票日が七月二十九日でしたが、これが父の誕生日なんです。

 父が亡くなる前年、国会議員の二十五年表彰を受けました。そのときに請われて、色紙に、「国会議員二十五年、政権も取れず恥ずかしや」と書いた。

 それから三十年たって、いろんな紆余曲折ありました。そのなかで僕もいろいろ努力をしましたし、時には波に飲み込まれそうになったけれども、やっと今、僕が参議院の議長になったというよりも、僕が参議院の議長に選ばれるような政治状況になった。このことは、私の父に、「ここまで来たよ」と報告できることだと自負しています。これからが大切ですけどね。

元木 安倍晋三さんの突然の辞任には、江田さんのメールマガジンを拝見しても大変驚いていらっしやいましたね。それまで、そういう気配も何もなかったんですか?

江田 少なくとも僕はまったく聞いていませんでした。だって、内閣総理大臣が衆参で所信表明演説をして、これからこういう方針で政治をやりますということを、国民の代表者の前でしゃべったわけですから。あとは与野党の国会議員が質問して、それを受けるっていうのは、政治のイロハのイどころか人間としてのイロハのイですよね。しかも、衆議院の代表質問が始まるわずか十分前ぐらいに辞めるなんて、あり得ないことですよ。これはどういうことなのか。どういう理由で、何を考えて辞めようとしたのか、いくら考えてもよく分かりませんでした。

 それが一時ごろですよね。それからテレビを横目で見ながら、お客さんと話をしていても上の空だったから、大変失礼してしまった(笑)。二時に辞任の記者会見を見ましたけど、これも全然理屈になってない。小沢さん(一郎・民主党代表)に会見を申し入れたけど断られたからというのは、辞める理由になっとらん。自分がいないほうがいろんなことがうまくいくって、それじゃ最初からやらなきゃいいので、少なくとも所信表明はやるべきじゃなかった。

 こんなことを議長が言っていいのかという声もありますが、私は、これは言うべきだと思います。議長というのは、会派との関係では中立公正が当たり前です。しかし、国会と内閣の関係で言えば、議長はやっぱり国会の立場に立たなきゃいけない。国会の立場っていうのは国民の立場なんです。国民を代表して与党と野党の両方の議員が質問するという矢先ですから、国会として内閣に対し、こんなタイミングで責任放棄するのはだめだ、無責任の極みだということは言わなきゃいけないと思いましたし、言いました。

元木 こういう時、議長から安倍さんに対して、あまりにも非常識だ、考え直すべきだと進言することはできるんですか?

江田 それはないでしょうね。総理大臣から相談を受けたわけではないですし、総理たるもの、一度口から出たものは汗の如しで、今さら引っ込めることはできないですよ。

 そもそも九月十日の衆議院での所信表明では、来年の洞爺湖サミットについて話している。でも、参議院ではこの話を読み飛ばした。たぶんうっかりミスでしょうけど、勘ぐれば、どこかで、おれは来年の洞爺湖サミットはやれないんだと思って、意図して読まなかったということはあり得ないでしょうか。

‖安倍辞任騒動の空転の税金の無駄遣い論議

元木 参院選挙の結果が出てから、二カ月近くの政治空白ができてしまいましたね。

江田 私が心配したのは、総理の病気を理由に閣議が何回も飛んでしまったことです。もし、総理不在で内閣総辞職までやってしまったら、クーデターを起こせるっていう話になってしまう。医者が適当に病名を付けて、病院に幽閉して、その間に。一つ間違えば大変な事態になりかねなかったんです。

元木 大山鳴動して、福田康夫さんが総理に選ばれたわけですが、結局、これまでの古い自民党に戻って、派閥談合内閣が誕生してしまいました。これについてはいかがですか?

江田 これはちょっと、議長という立場からすると、ものが言いにくいところで、ま、しっかりやってくださいと言うほかない。ただ、議会を預かる立場で言うと、総裁選びの期間は国会が自然休会みたいになっていた。よく野党が抵抗して国会が空転すると、税金の無駄遣いだという批判が必ず出てきます。それなのに、与党側の混乱で国会が空転していたのに、税金の無駄遣いだからけしからんという声が、当初はあまり聞こえなかった。これは、国会を預かる者としては遺憾な事態だったといえると思います。

 自民党が、国民的に人気があった麻生さんではなく福田さんのほうを選んだのは、六年前に小泉さんを選んだ轍(わだち)を踏まないようにしようと。その前からあった、深くえぐられた轍をちゃんと踏んでいこうということなのかもしれませんね。それがいいか悪いかは、国民がそれをどう見るかということですから、いずれそう遠くないうちに国民が審判することです。

 ただ、小泉型にせよ福田型にせよ、国会議員が何かこう流れに遅れちゃ困る、バスに乗り遅れまいとして動いている印象は拭えません。全体に国会議員というよりも、人間としてずいぶん軽く動くようになっちゃったなという感じはありますね(笑)。

‖海図のない議会運営で発した議長メッセージ

元木 江田さんは、参議院の運営について「江田五原則」というのを設けているそうですね。

江田 これは前から考えていたことですが、民主主義の手続きのルールとして五つある。民主主義というのは討論がないといけないので、一つは情報の共有。二つ目が公開の討論。アンダーグラウンドで足して二で割るというのはいけません。三つ目は相互の浸透。自分はこうだ、相手はこうだと、棒を飲んだようにテコでも動かないで、あとは罵り合いだけというのでは議論になりません。自分の意見と違った意見があっても、相手の立場に立って虚心坦懐に考えてみれば、ああなるほど、こういうことかと理解できることはあり得る。四つ目は多数決原理。五つ目は少数意見尊重です。

元木 衆参の議長は、開会や閉会のあいさつと議員の名前を読み上げる以外、よっぽどじゃないと議長発言はありません。江田さんは裁判官をやっていたこともあって、自分の考えを表明していくと言われていますから楽しみです。

江田 あんまり楽しまれても困るんだけどね(笑)。

元木 新聞記事に、こうありました。議長っていうのはコンダクターだと。そうだと思います。議論の場を提供しながら筋道を描いて党派間の闘争に秩序を与える。この辺までも分かります。その後に、「議長の思うところへどんなふうに合意を導くか」という表現があるんですが、これは誤解されやすいかもしれませんね。

江田 うーん、ちょっと言い過ぎたかもしれません。議長といえども政治家ですから、自分が思うことがないわけではありません。単なる議事を進行する機械ではない。しかも、これまで民主党で市民の政治や政権交代を目指してやってきたわけですから、民主党が考えていることについて理解もしますし、共感もします。それは自分の思うところですよね。だけど、その思うところに従って議事を差配するわけではない。そのことは脇に置いてやるけれど、自分の政治家としての思いはあるので、そのことが実現できたらうれしいわけです。

 ですから、自分の思うところにいつたどり着けるのか。押したり引いたりしながら、自分の思うことが実現するようにしていきたいという思い。これは、隠してもしょうがないという程度の意味ですが。

元木 これまでの議長に、そういうことをズバッと言った人はほとんどいなかったですね。

江田 まあ、新しい時代ですから、多少言わないと、せっかく参議院で与野党逆転して、まったく新しい、海図のない議会運営に入っていくのに、議長から何のメッセージも聞こえないっていうんじゃ、おもしろくないでしょ(笑)。ただ、当然のことですが、例えば、テロ特措法をどうするんだとは言ったことはありませんし、言うつもりもない。これはみんなで議論していただいて、その議論が行き詰まれば、行き詰まりを打開するために一定のことをしなければいけない場合はあるでしょう。そのとき、法案の中身について議長が何かをするわけではない。

‖衆参両院議長の役割は裁判官二人制の裁判所

元木 これまで、参議院無用論だとか参議院は衆議院のカーボンコピーなどといわれてきました。今回の民主党の躍進で、そういう批判は聞こえなくなりましたが、これから参議院はどのように変わっていかなければいけないとお考えですか。

江田 今まで参議院で与野党逆転したことが三回あります。一回目が八九年、土井たか子さんが参議院で首班指名された。それから二回目が九八年で、菅直人さんが参議院で首班指名された。そして今回ですが、過去二回と違うのは、今までは逆転はしても第一党は自民党でした。今回は第一党が民主党です。しかも民主党は、自民党と公明党を足してもさらに多い。残念ながら民主党だけで過半数にはなってないけど、野党全部を足せば過半数です。きれいに逆転してるわけで、参議院無用論なんてことにはなりようがない。

 そして、日本の二院制は対等的二院制で、予算とか条約とか例外はありますが、この憲法で決まっている道具立てを使いこなしていかなければならない。今のように与野党が衆参逆転している状態を、どういうふうに上手に生かせばいいのかが問われている。例えば、衆議院が何かの法案を強行採決で参議院に送ったとします。参議院が、衆議院の決め方は認めません、受け取りませんよと言ったらどうなるのか。

  父・江田三郎氏の生誕百年を記念する会と
  江田五月氏直筆の色紙

元木 議長の権限として、そういうことを言えるわけですか?

江田 いや、もし言ったらどうなるか。そういう時に衆参の調整システムはないんですよ。先例も何もない。

元木 衆参の両議長が話し合いをすることもあり得る。

江田 私は、衆参両院というのは、国会というものを動かしていく、ある意味で裁判官二人制の裁判所みたいなところがあるのかなという気がしますね。二人で話さないといけない場面があるかもしれません。だって今、まったく海図がないんですから。

元木 テロ特措法をめぐって、すぐにでもそういう場面がきそうですが。

江田 そういうことは起きないと思いますけどね。そういうことがあったら大変だから、そうならないように皆で知恵を出すと思いますよ。

元木 しかし、政治の世界は「一寸先は闇」。何が起きるか分からない。

江田 そうしたとき、国民の皆さんにご理解いただきたいと思うのは、ある瞬間だけで二院制がよかったか悪かったかを決めないでほしいということです。時間軸は重要で、今のテロ特措法の問題でも、どうなるか分かりません。三分の二条項(参議院で否決された法案も衆議院で再可決されれば成立する)もありますし、妥協もあるかもしれない。最後まで激突したままで、自衛隊のインド洋での活動の継続はできないということになるかもしれません。そうした時に日米関係がどうなるかという問題も出てくるでしょう。だから参議院はけしからんということになるのか、ある程度時間をおいて考えてみると、あの時を境に、世界がより平和な方向に行ったということになるのか、これは分かりません。だから、短期的視野で見ないでほしい。

‖政局報道ばかりでなく政治と国民生活の報道を

元木 憲法改正についてお聞きします。国民投票法という手続き法が成立しました。三年後には改正することができるようになりましたが、これについてはどうお考えですか?

江田 憲法の議論をすることは大賛成です。この問題で僕は、民主党の事務局長をずっと務めてきましたが、その間に党の憲法提言をまとめたりしてきています。ですから、憲法の議論を封印して神棚に上げる護憲は、いいとは思っていません。

 憲法の原則の基本的人権、国民主権、平和主義をより前に進めていくために議論するのは当たり前の話です。戦後、世界中が到達した戦争と平和に関する原則は、戦争の違法化です。それから、戦争への集団安全保障措置。そして、つなぎとしての自衛権です。憲法九条はそのことを書いてあるんだけど、十分に表現し切れていないんじゃないか。だから、もう一度、そこを議論すべきであって、九条の考え方を取っ払って、日本が再び戦争のできる国にしようということとは全然違います。

元木 最後に、今のメディア全般についても、ひと言お願いします。

江田 父の頃の新聞記者には、立派な記者がいっぱいいたと思います。政治家の片言隻語(へんげんせきご)を捉えて書くのではなく、堂々と構えて、時代の流れの中で政治家をどうつくっていくかを考えていた。今は、麻生がどうした、福田がどうしたという権謀術数ばっかり。もちろん政治の中に権謀術数はあります。それは三国志を見るようでおもしろいかもしれないけど、そのことが国民にとってどれほどの意味があるのか。こんなけしからんことやってるって揶揄(やゆ)して、国民に政治なんてばかばかしいと思わせてしまうことに意味があるのか。キツネとタヌキの化かし合いみたいなことはあるけれど、それを含めて政治というのは動いていくものなので、政局報道ばかりではなく、それが国民にとってどうなのかということを取材し、報道してほしいですね。解説でそういうことを書いてくれている記事に出会うと、ほっとします。

元木 今日はお忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございました。


月刊ビジネス情報誌「エルネオス」 2007年11号掲載
ビジネス情報誌 EL NEOS[ザ・ニュース]


2007年9月21日

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