2007年2月1日

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根強く残る偏見、差別や療養所の将来構想など、残された課題は多い。これから先、社会はこれらの問題とどう向き合っていけばいいのだろうか。締めくくりに関係者の意見に耳を傾けた。

政治にできることは

ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会の江田五月会長に聞く


 「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」が、超党派の議員によって設立されたのは、ハンセン病国賠訴訟の判決が言い渡される一カ月前の二〇〇一年四月。そして、判決は国会議員の立法上の不作為を指摘した。「控訴断念から国会決議、補償法制定と事態が目まぐるしく動く中で、私たちも過ちを犯した責任を感じながら、働かせてもらいました。(関係者が懸案について協議する)ハンセン病問題対策協議会や検証会議でも、元患者さんたちが泣き寝入りすることのないよう目を光らせてきたつもりです」。江田氏は語る。

 日本統治時代、韓国、台湾に開設されたハンセン病療養所の入所者が、補償法に基づく請求を棄却され、処分の取り消しを求めて日本を訴えた。同法の制定にかかわった一人として、「裁判が起きたこと自体、胸が痛んだ」と言う。「そもそも、あの補償法は、日本の隔離政策の被害者を、ひろくあまねく救済しようというのが立法趣旨でした。法律には確かに韓国、台湾の被害者のことは明記されていないが、それは立法までに調査する時間がなかっただけのこと。法の解釈で、救済は十分に可能だったはずです」。時間はかかったが、この問題は最終的に立法的解決(補償法改正)をみることができた。その顔には安堵の表情が浮かぶ。

 ハンセン病問題も判決後、かなりの部分で解決をみた。今後の政治の出番は――。「判決が確定し、ハンセン病問題対策協議会での話し合いも進んできた。その流れに沿っていけば、この問題も一応の解決にたどり着くと思い、一度は解散を考えました。しかし、現状はどうか。四年前、熊本県で元患者への宿泊拒否事件が起きたように、差別、偏見の問題など困難な道のりが続いています。手を弛めるわけにはいかない」と力を込める。

 偏見、差別の解消に、政治はどうかかわろうというのか。「直接的には難しいだろうが、やれることはある。宿泊拒否事件では、旅館業法違反で件がホテルを三日間の営業停止にしました。行政の判断は法に基づき行われる。立法が一定の方向を与えることは可能です」。さらに、「療養所の将来構想についても、最後の一人まで在園が保障されるよう、国会議員の監視の目は必要です」。

 判決後の六年を振り返り、江田氏は政治の役割について語る。「歴史を前に進めるためには、政治が汗をかかなければならない。ハンセン病問題でいうと、予防法廃止の時点で法を放置した行政の責任は明らかでした。国賠訴訟では世論が味方につき、国を控訴断念に追い込みました。物事を動かす方向について社会的コンセンサスがあった分、政治家も仕事がしやすかったが、たとえ困難なことでも全身でぶつかっていきたい」。姿勢は一貫している。

 議員懇談会が目指す最終解決とは何か。「ハンセン病への偏見、差別がなくなること。療養所の将来構想もみんなが満足のゆくものでなければならない。さらに言うなら、社会が過ちを繰り返さないよう、元患者たちの苦難が正しく歴史に刻まれることだと思います」

えだ・さつき 参議院議員当選三回(衆議院四回)。東京、千葉、横浜の各地裁で判事補を務めた後、衆議院議員だった父の遺志を継ぎ、政治の道へ。一九九三年、細川内閣で科学技術庁長官に就任。元民主党副代表。岡山県出身。六五歳。


ハンセン病とともに 心の壁を超える 熊本日日新聞社
岩波書店 2007年8月30日 第一刷発行 掲載


2007年2月1日

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