2004年9月8日 文化放送政治塾での挨拶

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(こんばんは、ですかね。あの、いつの放映放送かよく分からないんで…)

こんばんは皆さん、今日はどうぞよろしくお願いします。

今、もうプロフィールの紹介があったので、自己紹介が終わったようなものですが。そうですね、地元の岡山の高校までずーっと岡山育ちなんですね。それで東京へ出てきて大学。それから後は…、大学はですね、今、卒業というご紹介をいただいて、そうなんですけど、すっと卒業したわけじゃないんで、学生運動やなんかやってまして…。

国会議員の中で本格的に、今日もなんか実刑食らったという人が出たようですが、ああいうことで身柄を拘束された経験ある人は若干いるかもしれませんが、私のように学生時代にちょっと留置場へ入ってきたなんていう人はそういないかと思います。そんなことをやって6年かかりまして…。

そして、たまたま司法試験に通っていたので、修習生になったら、どうもやっぱり父が政治家だったんで、そのまま弁護士になったら、政治の世界にぶち込まれてしまうと、そんな心配をして裁判所へ逃げて行ったと言うと変ですけれども、10年ばかり裁判官やってました。

しかしやっぱりなかなか逃げられなくて。ちょうど私の誕生日に新しいスタートを切った父が亡くなる、なんてことになって。誕生日に父親に亡くなられるとショックですね。これはやっぱり跡を継がなきゃしょうがないやと、いうことで社会市民連合から、参議院の全国区というのが当時ありまして、全国区でざっと140万人のみなさんの投票をいただいて、参議院議員1期。それから衆議院に代わりまして4期。その間に、今のお話のように科学技術庁長官なんてこともありました。そしてもう一度参議院に戻って、今3期目をこのあいだ当選したところです。

先日の参議院選挙はですね、どんなデータを取ってみても私の方が勝つというデータはない。これはもういよいよ政治家生活も終わりかなと思っていたんですが。そういう時って案外クソ力が出るんですね。ぶっちぎりで勝たせていただきました。

今は、参議院の民主党が84という数になってましてね。これは過去をずっと振り返ってみると、昭和34年社会党が非常に強かった時に84で、それと同じ数です。社会党は、そこまでいって後はどんどん小さくなって分裂をして。しかし民主党はここまできて、議員会長に選ばれまして、後はもうこの勢いをどんどん上昇気流に乗せて…、私はこの2年以内に政権交代をやらなきゃいけないと思っております。以上です。


2004年9月8日 文化放送政治塾での挨拶

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