2000/02/18

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司法改革シンポでの冒頭発言

本日の司法改革シンポジウムでの冒頭発言をまとめて見ました。ご批判下さい。
  1. なぜ今、司法制度改革が必要か。私は、最も重要な理由は、戦後改革の最大の眼目である国民主権が司法の場で実現していないことだと思っています。市民にとって、司法サービスは敷居が高く、特定の人々によって占拠された高嶺の花で、厳しい言い方をすれば「ギルド」になっているということです。

  2. 例えば裁判官は、市民が市民の言葉で話すのにじっくり耳を傾ける余裕がありますか。おそらく時間的にも、又気持の上でも、今の裁判官にとてもそのゆとりはないでしょう。そのような当事者や証人が現れた時、裁判官は苛立ち、つい弁護人、代理人、時には書記官に「何とかしろ」と当たり散らしたりしていませんか。

  3. 京都地裁の民事部の裁判官が判決の中で、タクシー乗務員は雲助まがいだ、これは顕著な事実だという趣旨を述べたこと(注)は、この辺りの事情をよく示しています。つまり、大学から司法研修所を経て裁判官となり、あとは退官までの人生を裁判官として過ごすキャリアシステムが、市民の常識についてとんでもない勘違いをする裁判官を育ててしまったということです。

  4.  「質の高い司法サービスを受けるには、それ相応の覚悟をしろ」といわれます。私も知的サービスに対価が必要ということは賛成です。しかし現実には、おそらく司法にかかわった大勢の市民が、自分の負担に納得していないのではないでしょうか。司法の理屈は、ギルドのジャーゴンと聞こえるのではないでしょうか。

  5. ここには国民主権はありません。市民の司法でなく、官僚の司法です。内閣による裁判官の指名や任命も、国民審査と国会の弾劾裁判も、国民主権から見ると羊頭狗肉です。最後の砦なのだといっても、言い訳に過ぎません。弁護士も市民から見ると、官僚の側の人と見えているかもしれません。

  6. そこで私はこの際、市民の司法実現のため、長期的には、社会経験を積んだ弁護士等の中から裁判官を選ぶ「法曹一元」を実現すること、短期的には、司法判断をする側に市民を参加させる「陪・参審」を実現することを提案します。この2つを欠いては、司法制度改革は無意味になると思っています。

  7. 国会でも憲法の議論が始まり、21世紀の「この国のかたち」をみんなで構想するときが来ています。「官僚国家」「中央集権国家」を改めて、「官」から「民」へ、「集権」から「分権」へ、「close」から「open」へ、日本の社会を大転換する。司法改革はその一環でもあると思います。

  8. 私は今、司法制度改革審議会の審議の行方に、若干の危惧を抱いています。昨年末まとめられた「論点整理」は、なかなか気迫にあふれていましたが、今年になって実際に審議が始まってみると、法曹養成あたりに焦点が移っています。「法曹一元」や「陪・参審」がどこかへ忘れられるのではないかと不安になります。私たち民主党は、市民の司法を実現するために、論議に積極的にかかわっていきます。
(注) 京都地判平11.10.18.同地裁平成11年ワ第602号損害賠償請求事件。「しかし、一般論でいえばタクシー乗務員の中には雲助(蜘蛛助)まがいの者や賭事等で借財を抱えた者がまま見受けられること(顕著な事実と言ってよいかと思われる。)、…・に照らせば、被告会社が…監督を尽くしていたとまでは認め難く、その免責を認めることはできず、所論は理由がない。」

 「冒頭発言」と書きましたが、ディスカッションの進行の都合で、冒頭にまとめた発言をする運びになりませんでした。しかし、何回かの発言にわけて、同趣旨の発言をしました。もっとも京都地裁の判決は言及せず、かわりに千葉地裁時代の経験とかADR(Alternative Dispute Resolution)に触れた話をしました。(江田五月)

司法改革・東京ミーティング 開催レポート

2000/02/18

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