新しい政治をめざして 目次

あとがき

 私の離党が問題となって以来、さまざまな報道がなされ、こんども腰くだけに終るだろうと、私の「人間像」も画かれた。私はノーコメントですごした。

 正直言って、私には迷いがあった。これまでの生涯、私にとってすべてであったともいえる社会党と、さっさっと決別できることではない。かたく手をつないできた仲間のことも気になる。そんなさなか、本を出さないかとすすめられた。これまで、十年前と五年前に、まとまったものを出版してもらっているが、その後は、状況に応じ、求められて書いた部分的なものはあるが、総合的に自分の考えを述べたのはない。いい機会だと思って引受けた。といってみても、離党問題で日夜、追い廻され、ゆっくりした時間がなく、これまでに書いたものを生かして、一冊にまとめることにした。

 書いている間に、自分の考えが整理され、離党の決意がおのずから固まってきた。荒っぼい書きかたで、論理的緻密さを欠いていると思う。だが、私は学者ではなく、政治運動家であり、運動家の信条としては、理解していただけるのではないかと思う。私にとっては、ただ信条をのべることで終ってはならず、これを運動に生かし、現実のものにしなければならない。ここで提起している多くの課題の前進のためには、多くの諸君の理論的、行動的協力が不可欠のことであり、いわばこの本は、そうしたことのための叩き台にして欲しいのである。幸いにして、すでに多くの諸君から協力の手がさしのべられている。

 第1部は今回筆にしたもの。これを補うものとして、これまでに書いたものを第2部とした。それだけでよいのだが、出版社にたのんで、随筆のいくつかを、第3部として加えてもらった。そこには、私なりの「現代文明論」がのぞいていると思う。「文明論」といっては、いささかオーバーであり、「心情」というべきかも知れない。そう思って、表題のサブタイトルを、「私の信条と心情」としてもらった次第である。

 付録としてつけ加えた「新しい日本を考える会」のものは、ズバリ私の考えどおりではないが、私も関係者の一人として参加している。広く世間から目をとおしてもらっていないので、つけ加えた。

 誰だったか忘れたが、「人間歳をとると、妙に天下国家をロにするものだ」と語った。これは、生物としての本能なのかも知れない。私にしても、自分がどういう地位につこうというのではなく、レールを敷いておきたいのである。その上を、誰が走るのか、時代が生みだしてくれるだろう。

 とにもかくにも、出版社の格別の厚意により、一応まとまった本を世に出してもらえることは、幸せである。それも、好きな花や木などについて、自ら楽しみながら書いたものまで加えてもらえたことは、望外の喜びといわなければならない。

 お手つだい下さった方々に、お礼を申します。

 昭和52年3月27日    著者


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