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草地利用への提言

 終戦の翌春、家族四人で北支から佐世保の港へ引き揚げた私の眼をいたのは、山野の緑だった。ことに生い残った草の緑には、圧倒される思いだった。私の在外生活はわずか三年足らずであり、あらためて日本の風景におどろかねばならぬほどの期間でもないはずなのに、なんという緑に恵まれた国だろうと、強い印象をうけた。

 終戦当時私が住んでいた北支の石家荘では、春になると、中国人の女子供が、草の芽をほりとって、食料の足しにした。秋には根をとって燃料にした。そんなところで、秋から春にかけて、引揚者として集団生活を送ってから帰国したので、ことさら強い印象をうけたのだろう。国敗れて草木あり。この草を、役立つ草におきかえることが、日本再建の一つの鍵だと、感傷もてつだって、思いふけった。その後、北海道を旅行し、レッドクローバーやオーチャードが路傍に自然に生育しているのをみて、草に対する関心がいよいよ深まっていった。

 十年ほどまえ、私は参議院農林水産委員長になったが、一番力こぶをいれて取組んだのは草の問題だった。主穀農業のわが国では、草とりが一番やっかいな仕事であり、草は農家の敵として扱われた。悪草は敵であるが、悪草にかわって、良草をつくることに頭を向けるということになっていない。農事試験場にしても、牧草を取扱っているところは、ほんの僅かしかなく、それも規模がちいさい。全国の数多い大学にしても、草の講座をもっているところは一つもないという状態だった。私は農林水産委員会に、熱心に草と取組んでいる技術者や篤農家を、全国から十人ほど集まってもらい、みんなで大いに草の気えんをあげた。外国牧草をやっている人、日本の芝を改良している人、葛と取組んでいる人など、さまざまだった。農林省をせめあげて、草地改良課を新設させることにこぎつけた。

 もともと草に熱意のない農林省のことだから、機構だけはつくったものの、やることがいかにもみみっちい。牧草の種子を開墾地にふりまくタンカルに、僅かの補助をしたにすぎない。それでも、牧草ムードはでてきた。山の急傾斜に、鍬で段々をつくって牧草をまくという、過小農型の日本農業らしい、なみだぐましい創意工夫もあらわれてきた。果樹園で草をけずりとっていたのを、逆に草を大きくし、生長させたのをぬいて、そのまま畑にのこし、雑草で土地を肥やすという利用法も生まれてきた。しかし、今なお、わが国は草については後進国である。皮肉にも、雨後のたけのこのように生まれでたゴルフ場の草だけは、世界中で一番立派だということになってきた。

 現在、わが国は食糧四百万トン、飼料六百万トンを輸入している。今後の人口の増加、生活の向上によって、消費はふえてゆく。半面農耕地は、道路、住宅地、工場用地などにつぷされ、ある学者の推算では、傾斜地の耕作放棄も加わって、十年たつと全農耕地の二五-三〇パーセントがつぶれることになり、農産物全体では現在よりも十数億ドルの輪入増加になるだろうということである。こうなると、国際収支の面で大問題になるだけでなく、金の都合がついても、それだけの現物が果して買付できるかどうかが問題になる。新興諸国の建設が軌道にのると、人口増と生活向上によって、十年接には世界全体の食糧が不足になるという見方もあるほどだ。

 こうなると、いやおうなしに、国内での増産を考えなければならないが、農業は年月のかかる仕事であり、そのときになって、さわいでみても追いつかない。今すぐ取り組んでも、実のところおそすぎるぐらいなのだ。

 ところで、わが国の土地利用状況は、農地と果樹国が一六・四パーセント、牧草地が二・六パーセント、あわせて一九パーセントとなっている。西欧諸国は大体六〇パーセントで、比較にならない。半面森林面拡は六八・七パーセントで世界最高だが、三割は自然更新であり、全体として生産性はひくい。西欧と日本との農業への利用度のちがいは、傾斜地に牧草をつくるか否かできまっている。世界中で、一番草の育つ条件をもっているわが国が、その可能性を捨て去っているのが現状なのだ。山村には昔から採草地があるが、年々火入れの習慣があって、土地は次第にやせて草の生産力はおちている。農林省は酪農奨励をいっているが、輸入飼料で牛を飼って、外国と競争できるわけがない。何故、天の恵みの草をほっておくのか。今年の農林省の自給飼料対策費は六億円にすぎない。

 最近農業人口は減っているが、なかでも、山林のさびれ方はひどい。あき家が眼につくようになってきた。こうした山林振興策としても、食糧対策としても、山の牧草化による高度利用を大規模にやる必要がある。構造改善事業でブルドーザーを入れて、共同牧草地をひらいているところも、ちょいちょい見受けられるが、けた違いに大きなスケールで取組まなければ追いつかないのである。

 それにしても、全国一度に牧草地にするわけにはいかない。そこで、雑木林など、草の多いところを、肉牛の放牧地にし、次第に草を改良することから始めるべきであろう。薪炭の生産は先細りであり、こうした山村は、なんとか転換しなければならなくなっているのだ。

 最近牛肉の小売相場は大幅にはね上って、ニュージーランドあたりから緊急輸入をして値をおさえたが、牛肉は世界的に不足勝ちであり、将来の需給予想も悲観的である。幸いに日本の牛肉は良質であり、増産さえできれば、輸出も可能である。これまでの農林省の畜産政策は、牛というと、もっぱら乳牛対策に終始し、和牛となると役用としてだけ取上げ、純肉牛対策がない。老廃牛に女性ホルモンを与えて肉質を軟くするようなことを、僅かばかり試験していた程度である。農用トラクターが普及して役牛が要らなくなると、和牛は軽視され、最近の肉高では、生産可能の母牛まで屠殺されるという始末である。

 専門家の話だと、日本の牛は役用として使うことが、適度の運動になって、良い食用肉になっているということであるが、これから肉を中心に考える場合、現在までの役牛では不経済である。役牛という限り、使い便利のよいことが第一義になる。私の郷里岡山県の千屋牛のごときは、碁盤に四足をのせる芸のできるのが、品評会で入賞していた。肉が第一義ということになると、品種も飼い方も転換しなければならない。岩手県で、従来の短角牛に外国の肉専用牛をかけたのを飼うように奨励しているが、こうした事業は、国の手で大規模にやらなければならないことである。牛の種類、放牧のやり方、草の改良など、ことごとく未開拓であり、すくなくとも、全国十カ所ぐらい、スケールの大きいパイロットファームを、国有林でも使ってとりかかったらどうだと言いたい。

 今年の物価は一割近く値上りするだろう。二重構造の底辺の改革が行われないかぎり、来年も値上りだろう。草に恵まれたわが国で、ゴルフ場はあっても牧場はなく、変な馬肉が輸入されるということに、腹をたてることが必要なように思う。


(エコノミスト、昭和41年2月8日号) 目次次「旅を楽しむ」