新しい政治をめざして 目次次「社会党は“歌”を忘れよ」

10 私の決意

 私は、私の体験したことにもとづき社会党の実態について述べた。その中で、私の、これまでは十分に実を結ばなかった行動にもふれた。想えば構造改革論を葬られて以来、私は無駄に情熱を燃やしつづけたようであるが、反対されたことが、その後になって、反対した諸君の手で実行に移されたこともある。組織というものが、個人の思いどおりになるものではないので、これで満足すべきかも知れない。多くの同志が、党に失望して去ったが、私はなおふみとどまって、死ぬまで情熱を燃やしつづけるべきかも知れない。そういう迷いが私にないわけではない。私のすべてをかけてきた社会党である。離れることはつらい。しかし、私の目のまえで、社会党が私の愛してきた社会党でなくなりつつあるいま、私は、それを離れることによってしか私の志をつらぬく道のないことを痛感させられている。

 いま、なによりも私の心をとらえているのは、日本が直面している条件はまことにきびしいという現実である。この数年の政治・経済のあり方によっては、救い難い状態におちこむかも知れない。高成長は不可能だが、低成長なら可能だというようなことでなく、経済の質を国民優先という見地からどう変えてゆくか、資源有限のなかで、新しい生活のパターンを生みださなければならないという質的転換の前にたたされているのである。エネルギー問題一つをとってみても、きわめて解決困難な課題である。そうした転換を確実になしとげていくことができるのか、それとも深刻な混乱の時代におちこんでいくのか、政治のあり方によって決定されるだろう。社会党がいまの姿では、とうてい国民の期待にそえそうにない。昨年議員在任二十五年で永年勤続議員として表彰されたとき、感想を求められ、「国会議員二十五年、政権もとれず、恥かしや」と、色紙に書いた。もちろん、権力への個人的執心でそう書いたのではない。革新を志す政治家の道を選んだ自分の責任をかみしめてのことである。永年の私の支持者や同志にも、心からすまないことだと思っている。

 社会党を改革しなければならないが、党の中からの改革がどんなに困難なことか、私はすでに知りすぎている。協会派の硬直したイデオロギーにとりつかれた人々の狂気によって支配されたこのあいだの社会党大会は、私が自分のすべてをかけてきた「戦後」の「社会党」の完全な終末を告げるものとしか私には思えなかった。党のなかから党を変えることはもはや不可絶になりつつあるとさえ思われた。その後、私が党を離れるということが大きく報道された。私の口から出たことではなかったのだが、あるいは天の声なのかも知れない。多くの先輩同志からは、馬鹿なことはよせと勧告された。それにしたがうことが常識であり、党をとびだすことは無謀だろうが、残ってみたところで、結局何もできず、政治家として自然死することになるのだろう。また他方からは優柔不断と責められた。

 私は敢えて無謀をえらぷ。既成の社会党のなかでではなく、外に出て、自分の信条にしたがって、とらわれることなく活動してみたい。無謀といわれるだけでなく、さらに分裂主義者、裏切り者とののしられるであろうが、あえてこの道を進む。ここに述べたことを、どこまで実現できるか、最後の力をふりしぼって取組んでゆく。これまでの社会党に、なんのメリットもなかったというのではないが、それは野党としての抵抗のなかから生れたものである。これから先は、政権の座について、自ら新しい日本をつくる建設的行動が求められているのである。そのことには、社会党の現状ではとても対応できる可能性が生れてこない。もちろん、私が党を飛び出して、直ちにそのことが可能だというものではない。先ず無党派によびかけ、新しい結集をすることで、党の外から社会党の改革を迫ってゆく。社会党に対してだけでなく、他の政党に対しても働きかけ、日本の歴史に新しい時代を開く連合政権のための捨て石の役割を果したいのだ。

 「花枝動かんと欲して春風寒し」
私のすきな中国の王維の詩である。


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