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この離党声明の中に、江田三郎の政治路線が凝縮されているように思う。「あえて心を鬼にして私の道を進む」「新しいレールを敷く捨石になれば幸いなことです」。現実どのように発展してきたか…。乞うご検討。


離党にあたって

 私は本日、日本社会党離党の手続きをとるとともに、「社会市民連合」(仮称)を発足させ、来る、参議院選挙に、全国区から立候補することを決意しました。

 おもえば、構造改革路線の提唱以来、私は、社会党の革新のために、いく度か提言をし、努力してまいりました。残念なことに、実を結ぶことができず、幅の広い国民常識の党として、社会の漸進的改革をめざして出発した社会党は、むしろ逆の方向に進んでおります。今回の私の離党問題を契機に、党の内外から、党改革のうごきがたかまってきたことは、おそすぎたとはいえ、私にとっては一つの救いといえます。多くの同志が、離党はよせ、党にふみとどまって、手をつないで党改革にあたろうと、熱意をこめて私に説きましたが、あえて心を鬼にして、私の道を進みます。

 現代は、わが国だけでなく、世界のどこもが大きな転換に直面し、惰性でつづいた時代に区切りをつけねばならぬときであり、政治も、世界的に連合時代をむかえております。だが、わが国の革新の側は、こうしたことに正面からの対応ができず、国民の魅力をつなぎえておりません。参議院選挙にしても、保革逆転ではなく、自民一党支配から、新自由クラブを加えた保守二党支配となる公算がつよく、いま革新の側にとって最大の課題はふえつづけている支持政党なし層を、いかにしてこちらにひきつけるかであります。社会党は最大野党であり、この党をそうしたことのできる党に変える可能性がないとはいえませんが、時間のかかることです。それはそれとして追求しながら、別の角度から支持政党なし層を結集することが、緊急を要する課題であります。私が「新しい日本を考える会」に参加したのも、このことを考えたからなのです。私は社会党改革に取り組む同志の行動に共感しつつも、支持政党なし層の結集のために裸でとびだし、社会党の外から、党改革を迫っていく決意なのです。

 私はこれからの日本の進むべき道について、古い社会主義のイデオロギーをのりこえた、新しい社会主義の道を提言してまいりました。要約すれば、議会制民主義の堅持と徹底した分権と自治、ルールの確立されたなかでの市場機構の活用、計画的な資源配分と農業漁業の振興、公共的な保証体系の確立、公害と安全についてのきびしいルールの設定、文化的な創造の自由の保証などが、欠かせないことです。

 当然のことながら、政党もこれに適応した政策をもつとともに国民不在ともいわれる現在の組織や運営について、根幹にふれた改革を迫られているのであります。未組織労働者でも零細業者でも、誰もが自由に参加でき、意見を述べあい、話しあいのなかで政策を創り出す組織であり、中央本郎が大きな権限を持って命令や強制をするのでなく、個人や各種の集団がタテではなくヨコにつながる、いうならば、統制委員会ではなく調整委員会が持たれる連合の組織であるべきだと思います。これこそ私が社会党にあって果たしえなかった「開かれた党」の実現であります。

 私の今回の行動が、いきづまったわが国政治の変革の第一歩となるか、自らの墓碑を刻むことになるか、わからないことです。幸いにして、多くの激励、腕を組もうとの申し出もうけております。長い協力関係にあった労働組合の諸君も、この私の信条に理解を深めてもらいたいと思っております。これからの私の行動目標は、参議院選挙の勝利だけではなく、新しい政治集団づくりであり、その名称も政策も組織方針も、これから参加してくださるみなさんとともに創り出すことなのです。新しいレールを敷く捨て石になりうれば幸せなことです。

1977年3月26日 


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