1961/05/10

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38 参議院・農林水産委員会


○委員長(藤野繁雄君) 農業基本法案(閣法第四四号、衆議院送付)、農業基本法案(参第一三号)、農業基本法案(衆第二号、予備審査)、以上三案を一括議題といたします。
 この際、池田内閣総理大臣の出席を得ましたので、総理大臣に対する質疑を行ないます。質疑の要求の委員の発言は、委員長において順次指名いたします。江田三郎君。

○江田三郎君 農業基本法の内容の質問をいたす前に、まず衆議院の段階における基本法の扱い方につきまして、総理のお考えを承りたいのでありますが、私があらためて申すまでもなく、農業基本法は、農業憲法、将来の日本の農業の長い進路を決定する重要な法案でありまして、私たちもあるいは民社党もそれぞれ農業基本法の提出をいたしておるわけでありまして、私たちはもとより私たちの案が一番いい、こう考えます。しかし、おのおのそれぞれ長所もあれば、欠陥もあるわけであります。そういう点については、百年の大計をきめるものだけに、十分な審議をしなければならぬ。特に基本法は、非常に抽象的なものでありますが、これが内容を十分究明しますためには、基本法に基づく関連立法の審議も並行して行なっていかなければ、内容が的確にわかりかねるわけであります。そういう点から、私どもは自民党社会党の両党首会談をお願いいたしまして、そこでこの法案の重要性なり関連立法の数、こういう点からいって、しかもそれぞれ各党から出されておるという関係からいって、これはこの国会で十分審議をするのが無理なんじゃないか、できれば継続審議がいいのじゃないか、こういうことを申しましたが、この点は総理も継続審議ということはいけないというので、われわれもあえてそれにこだわるわけじゃなくて、慎重な審議ということをお願いしたわけであります。

 ところが、衆議院における事態は、慎重審議とはまるで逆な方向へ進んでしまいまして、総理が総選挙にあたって公約をされました話し合いの政治というせっかくのいい慣行というものがくずれてしまったわけであります。特にその後の衆議院本会議をどうするかということにつきまして、私は書記長、幹事長会談をお願いしまして、益谷さんにいろいろお尋ねをしましたが、特にその中で私たちが申し上げたことは、すでに参議院における農林委員会の理事会において、第一回の理事会が九日ということになっているのだ、そうすると、九日までに実質的に衆議院における結論をつければ参議院の審議に何ら支障がないことなんだから、それまでには、もし八日というなら八日、六日というなら六日、四日というなら四日、きちんと公党として責任を持つから、まだ審議残りの点がたくさんあるのだから、もう少し衆議院の段階において審議をしてもらうことがいいのではないか、こういうことまでお願いをしたわけであります。何もいつまでもやれとか、あるいはぎりぎりまで引っぱるということじゃなしに、要はわれわれとしましては、この法案は十分審議をしなければ、あとに禍根を残す、こう考えましたのでお願いしたわけでありますが、それにもかかわらず、一方的におやりになりました。きのうの段階に至って、両党の国会対策委員長会談で、衆議における農基法の審議は遺憾であった、こういう申し合せができました。その遺憾であったということを、ただ文書に書いたところで、それだけでは何にもならぬのでありまして、一体総理は、自民党総裁として、あのような強硬態度をとられたのはどういうわけか。そのまずお考えを承りたいわけです。

○国務大臣(池田勇人君) 別に私は強硬態度をとったとも考えません。衆議院におきまする本案の審議につきましては、私もたびたび出席いたしました。質疑応答に入ったのでございますが、私はこの大切な農業基本法は相当審議せられたと考えておったのであります。時間にいたしましても、一般法案とは、相当慎重に、また時間をかけてやっております。また、公聴会、地方の調査会も済みました。私は大体あのころに審議が終わるということが、あの経過を見ながら適当であろうと考えたのであります。ただ委員会の終局に至りまして、ああいう騒ぎが起こったことは、まことに遺憾でございます。また本会議におきまして、社会党の方々が出席なさらなかったということも、私は遺憾だと考えておるのであります。しかし、これも今日に至っては、また正常化の軌道に乗ってきたことは、まことに喜ばしいことだと考えております。なお、継続審議ということも初めから聞いておったのでありますが、これはもう根本的に考え方が違う。私は衆議院段階において継続審議を口にされることを非常に遺憾に思っておったのであります。従いまして、党首会談におきましても、そういう考え方で進んでもらっては困る。ぜひこれは上げたい。重要な法律案であるがゆえに、一日も早く上げたいということは、われわれの念願であり、また、農民多数も早急に今国会で上げるべきだという意見も多いのでございます。しこうして今、九日までは審議しないのだから、その間十分に衆議院でやったらどうかというお話でございまするが、これはもう何と申しまするか、話がほとんど決裂したころのあれでございます。われわれといたしましては、参議院の審議期間を衆議院でどうこういうわけにはいきません、やはり参議院も相当の日数を今かち与えるようにしなければならぬ。いつから審議を始めるかということは、参議院の問題でございます。われわれは一日も早く、また相当長時間審議をいたしましたので、十分な措置ではございませんが、結果から申しまして、しかしわれわれとしましてはこれが適当な方法であると考えた次第でございます。

○江田三郎君 これは、まあ、総理は十分の時間をかけたということを言われるのですが、この点は、前の総理の岸さんも同じようなことをよく言われました。何時間かけた、何日かけたということをもって審議を尽くしたか尽くさないかの基準にしておられるようでありますが、私も、総理が四日も衆議院段階において委員会に出られたというので、議事録を一応拝見いたしました。しかし、あの議事録を読んで見ますというと、問いに対してはほとんど答えておられぬのであります。まことに抽象的な、きれいな言葉は使っておりますけれども、具体的な質問に対して何ら答弁をされていない。たとえば所得倍増とこの基本法との関係につきましても、あるいは農地を取得するところのあるいは農地の移動に伴うところの資金関係あたりについても、てんで答弁になっていないわけなんであります。そういうような、答弁が当を得ていないというだけでなくて、まだ、あの衆議院における審議の状況を見ますというと、非常に重要な問題がたくさん残っておるわけです。たとえば一子相続の問題というようなことは、これはたびたび今日までも問題になりましたが、この点は現行憲法と抵触するのじゃないかというような有力な意見もあるわけであります。あるいは教育事業を拡充するという問題につきましても、教育のあり方というものが、なかなか検討を要するわけでありまして、たとえば農家が子弟を大学へ行かす、自分の金で、あるいはあと相続者が相続するその財産の中から子供を学校に行かして、それを二次産業、三次産業の従事者に仕上げていくというのは、一体これは農民にとっては、他産業のための負担をしておるのではないかというような問題もあるわけです。あるいは試験研究機関にいたしましても、今日までの過小農を中心とした農業技術から、そうでないいわゆる近代的な農業に持って行くための試験研究機関というものは、あり方が全然変わってしまわなければならぬわけです。そういうような点については、何ら触れていないのでありまして、それを私どもが申し上げた。すでに参議院において理事会が九日に開かれるということがきまっておるのだ、それまでの間、一週間早かろうと、三日早かろうと、十日早かろうと、何ら参議院の実質的な審議に影響はないのだから、それまでの間何日間でも審議を続け、そうして上げる日は、きちんと両党間の約束で責任を負うようにしたらどうかという私たちの考え方は、私は決して不当なものでないと考えるわけでありますが、どうも総理の方は、遺憾であったということは言われるけれども、何が遺憾か、一向にわけのわからぬ今答弁をされたわけであります。しかし、私はそういう問題について、ここで衆議院の審議がよかった悪かった、あるいはその責任をどうこうといって繰り返したところで、もう死んだ子供の年を数えるようなことになりますから、そのことをこれ以上申そうとは思いません。それよりも、法案の実質的な審議に進んだ方がいいと思いますが、ただ、私はこの際総理に申し上げておきたいことは、総理は衆議院の答弁の中で、農業の前進というものは、政府がやるのでも政治家がやるのでもなくて農民自身がやるのだと言っておられました。これは非常にりっぱな言葉であります。農民自身がやるのだということ、この言葉を総理がほんとうに腹の中に最後まで持ってやっていただきたいと思うのであります。一体、国会の審議というものは、私はただ採決だけが目的でないと思うのでありまして、もし採決だけが目的ならば、もう答えはとうに出ているわけであります。そうではなくて、国会の審議を通じてこの法案がどういう内容を持っているかということを、よく国民に、特に農業基本法であれば農民に徹底をさせる、どこに問題があり、どうしなければならぬかということを考えてもらう、そういう審議の過程というものを通じて、国民を教育と言っては、おこがましいのでありますが、国民に法案の内容を周知徹底せしめるというところに、議会政治の審議の本質があると思うのであります。ただわけのわからぬうちに結論を急ぐということは、決して当を得たものでない。それは少なくとも総理が言われるところの農民自身が農業の前進をやるのだという考え方とは、非常に違ってくるわけでありまして、農民の中には、総理が言われるように、賛成している者もいるでしょう。しかし同時に、これは六割の首切りになるのではないかという心配を持つ者もあるわけであります。一体、自分たちは農村に残る四割なのか、首を切られる六割なのかというようなことを真剣に心配している人があるわけでありまして、そういう諸君の心配をそのままにして強引にやるということは、農民自身に農業の前進をさすゆえんのものではないわけでありまして、今後の審議にあたりまして、この参議院では衆議院のようなことを繰り返さないで、ぜひ慎重な審議をやってもらうということを、自民党総裁としての池田さんにお願いしますと同時に、政府の首脳としての総理も、何でもいい、時間をかければいいんだ、質問をそらして本質に触れないで、何時間かけたという実績さえ作ればいいという考え方は、この際はっきりとやめていただきたいということを申し上げて、そこの点をちょっとお聞きしておきます。

○国務大臣(池田勇人君) 私が衆議院の審議に参加しましたということは、やはり内容の点につきましても私はいろいろと考えてみたのでございます。で、質問の点が農業基本法を制定し、今後いかなる農業施策を毎年々々実績を見ながらやっていくということを、今すぐここできめるというふうな考え方の御質問と、それから私は先ほど言われましたように、農民自身がやっていかれる、政府はそれがやりいいように農民の気持を汲んでやりいい道作りを政府がさしてもらうという考え方、他の法案、一般の法案とは違いまして、こういう方向でスタートを切りましょう、スタートを切ったあとにおきましての施策は、今後の実態を見ながらやっていこう、こういう建前なのでございます。この十年後にどうなるか、あるいはこの問題をどうするか、あの問題をどうするかということをいろいろお聞きになりますが、その点がわれわれの考え方と違うのであります。私は内容におきましても、もうこのくらいの審議でいいんじゃないか、もちろん十分審議を衆参両院において尽くさなければなりません。お話しの通り、農民自身に十分知っていただくことは当然でございます。しかし、知っていただくということのために、大事な法案が、あなた方先ほど来言われておったように、今国会は継続審議だということを頭に置かれて審議々々と言われても、これはわれわれとしてはとられないというので、時間的に考えましてやったのでございます。時間のある限り十分審議しなければならぬということは、江田さんのおっしゃる通りでございます。

○江田三郎君 だから、最終ゴールを何日に上げなければならぬというような考え方でやるのは、ほんとうに法案の審議としていいかどうか疑問があるわけでありまして、そうではなくて、疑問の点はどこまでも国民の前に、農民の前に解明していくのだ、これは野党の責任でもあるし、与党の責任でもあるし、国会全部の責任としてそういう姿勢が絶えずなければならぬわけでありまして、そういう点から、衆議院のあのあとで両党の申し合わせを発表しなければならぬような愚を繰り返さないように、総理としても慎重な努力をお願いしておきたいのでありますが、あまりその点に触れるというと、あとの肝心の質問の時間がなくなりますから、私はこの内容に触れて参ります。

 まず第一は、日本農業が大きな曲がりかどに来ておる、あるいは労働力の問題からも、あるいは消費構造の問題からも、あるいは所得の問題からも、いろいろな点において農業が非常に立ちおくれをしたということ、そこがこの基本法の出発点になっておると思うのでありますが、この農業の立ちおくれをもたらしたのは、どこに一体問題があったのかということであります。その点は政府の方の基本法の前文を見ますというと、私は必ずしも明確でないと思うのでありまして、私たちは、社会党の農業基本法の前文にありますけれども、農民が、あるいは日本の農業が今日非常な立ちおくれを来たしたのは、政治の責任であると考えているわけであります。その点は、ひとり終戦後の政治というのでなくて、由来農民というものが封建時代から、あるいは明治初年の資本主義の原始期の時代から、あるいはまた、その後の資本主義の発展期において、女工哀史のようなああいう農村が低賃金労働者の供給源にされて、しかも肺病になったら村に帰ってこなければならぬ、あるいはまた戦時中のこと、あるいはまた、戦後の食糧不足の中で強権供出をもって臨まれて、農民に蓄積の余裕を与えなかった。そういうような一貫した、封建時代から一貫したところの政治の方向というものが、今日農民を非常に立ちおくらしておるのだという認識をしておるわけであります。その点について、総理は一体どういう考え方を持っておられるのか。そういう現状を持ち来たしたものがだれの責任かということがはっきりしなければ、そこから出る答えもまた違ってくるわけであります。たとえばある一方からは資本主義的な合理主義の観点から安上がりの農政という議論が出るでしょう。ある一方からは、国の責任をもっと強くしなければならぬという考え方が出るでしょう。そういう点について、一体今日の農村の立ちおくれというものが、われわれは今日までの政治が少なくとも農民に親切でなかった、農民いじめだった、こう考えるのでありますが、その点についての御認識はどうですか。

○国務大臣(池田勇人君) 政治が農民いじめだったと言われまするが、政治にもいろいろなときがございます。いつごろの時代をおっしゃるのかわかりませんが、少なくとも私は日本の資本主義経済発展の途上におきましては、十分ではございません。十分ではない。やはり国を富ます意味において、重工業に政府が非常に力を入れた。これは早急に伸ばすという考え方と、もう一つは、富国強兵、こういう特別の軍国主義的な考え方で政治が行なわれたときには、えてして農民、中小企業の方の力は弱くなるのは、歴史の示す通りでございます。しかし戦後に至りまして、農地改革によりまして、私は一応農業、農民はここに何と申しますか、一つの画期的な時代が来たと、これによりまして一時的には農民の方も相当よくなっておりますから、戦後の何と申しますか、第二次、第三次産業が急激に伸びた場合におきましては、農業が農地改革がありましたものの、やはり社会的、経済的、自然的悪条件によりましてどうしても立ちおくれる、これは相当進んだ社会保障制度の国におきましても、えてしてありがちなんです。これをためる、直すためにはどうしたらいいかということが、今度の農業基本法を出したゆえんでありまして、欧州諸国から比べますると四、五年くらいおくれております。あるいは六、七年おくれているかもしれません。そのおくれを一日も早く取り返そうというので、新しい農村作りというのが、そうしてそれが新しい国作りに通ずるというのが、農業基本法を早く御審議を願いたいという私の気持であるのであります。

○江田三郎君 だから戦前の富国強兵の政治というものが農民をいじめたことがあったかもしれませんが、戦後の農地改革以後においては、そうではないと言われるわけでありますが、もしそうでなければ、こういうような事態にはなってこないわけなんであります。いじめるというのは、何も主観的な問題ではないのでありまして、客観的に農業というものが他産業とつり合っていけるような施策をとっていたかどうかということが問題なのであります。そういう点になりますと、残念ながらこういう結果が出たということをもってみても、その施策が当を得ていなかったということは言い得るわけであります。特に総理は、よく農民は民族の苗しろだというようなことを言われます。あるいはせんだって水戸に行かれまして、水戸黄門光圀の何かの歌を引っぱり出しておられましたが、そういうような認識というものが、一体どうなのかということなんであります。これは別の言葉で言えば、農本主義の認識だ、農本主義の考え方だ、農本主義というのは一体何なのか、農本主義というのは、結局は封建領主が百姓からしぼり上げるためのゼスチュアに私はすぎないと思うのであります。そういう点が、この政府の基本法の前文に、幾多の困苦に堪えつつ、その務めを果たしてきたが、このような農業及び農業従事者の使命は、今後においても変わることはないという、この前文を読んでみますと、私はやはり、ただいま申しましたような民族の苗しろであるとか、農は国のもとであるとかいうような美しい言葉を並べるけれども、結果においては、搾取を強化した封建領主の考え方の一貫したものが流れておると言わざるを得ないわけでありまして、もっと端的にお考えになれば、政治がほんとうによろしきを得ておれば、主観的な問題ではないのですから、このような結果にはならなかったと思うのであります。その点をはっきりしていかなければ、先ほど申しましたような安上がりの農政というような、非常な一方的な資本主義的合理主義の立場の農業政策に陥るおそれも十分あるわけであります。私は所得倍増計画なり、あるいはその他の政府の発表した計画をずっと数字を追って参りますというと、残念ながら結果においては安上がりの農政なり、あるいは資本主義的合理主義というものに貫かれておると思う。封建領主は、うまい言葉を並べて人民から直接搾取いたしましたが、そうではなしに、新しい資本主義の政治家は、うまい言葉を並べて、結局資本主義的合理主義の方向へ物事をずっと引きずり込むというようなことになるんではないかと思うのでありまして、その点の御見解を承っておきたい。

○国務大臣(池田勇人君) 民主主義の時代におきまして、しかもまた、農民の方々が人口の相当部分を占め、また産業としても、国としてりっぱな国作りを建設するために、農業の必要性がある場合におきまして、今お話しのような考え方で政治ができるものではないと思う。私は各階層の人がみんな協力をして、お互いにその途に安んじるような方法を講ずるのが、政治であると思うのであります。で、最近におきまする農業も農業自体として考えますと、他の国あるいは昔の農業の発達に決しておくれをとってはおりません。ただ問題は、日本の置かれた地位で第二次、第三次産業が急激な、人の驚くほどの進歩をいたしたために非常なそこに格差が出てきたのであります。従ってその格差を画期的な措置、方法を講じて少なくしよう、格差をだんだん縮めていって、農業自体を農民の生活をよくしようというのであります。これが早かったか、おそかったかということにつきましても問題はある。私は、ただ外国に比べて数年、七、八年おくれたかもわかりません。今これを一日もないがしろにすることではないという、こういう気持で言っているのを、私は、資本主義によって農民から搾取しようというような考え方だろうと言われることは、私は心外でございます。何も水戸斉昭公が農民から搾取しようとしてあれを作られたわけではない。名君でございまして、そうして農民の方々の生活を考えようという善なる気持で出ておるのでありまして、われわれもこういう気持で今後進んでいこうというので、決して農民をないがしろにしようという気持でやっておるのでは毛頭ないわけでございます。

○江田三郎君 総理は神信心をなさるのだから、人のやることを善意に解されるということは、非常にいいことだ、いいことだけれども、しかし封建領主の農本主義というものが、決して客観的に農民の地位を向上したものでないということは、これは私がくどくど言うことはないと思うのでありまして、それ以上触れませんが、ただ、日本農業の立ちおくれについて、欧米先進国に比べて四、五年もしくは七、八年おくれておるのではないかという、この認識が相当違ってくるのではないかと思うのであります。たとえば今アメリカ農業と日本農業と比べて、日本農業の労働生産性が幾らになっておるのか。おそらく十七分の一か、二十分の一程度になっておると思うのでありますが、これは五、六年とか、七、八年とかいうような違いじゃないのでありまして、この日本の過小農経営の持っておるところの欠陥というものは、とてもそういうような違いよりも、もっともっと本質的に違うわけなんでありまして、そこでまあ今度の基本法の政府の構想を見ましても、構造改善ということが大きな柱になってきておるわけでありまして、そういう点を、ただ今のような形を三年なり五年なり、七年なり八年と続けていけば追っつけるというようなその認識というものが、非常に私は甘いのじゃないかと思うのであります。そこにまだ農業というものをほんとうに真剣にお考えになっていないのじゃないかということが言えるのじゃないかと思うのでありますが、その点はどうですか。

○国務大臣(池田勇人君) 私の言葉が足りなかったのだと思いまするが、私は日本の農業が先進諸国に対しまして、三、四年なり、四、五年なりおくれておるというのじゃございません。そういうことを言ったのじゃないのでございます。われわれが農業基本法を出した、農業を新しい農業にしていこうというこの農業基本法の提案がドイツに比べて三、四年、こういうふうに言っておるのでありまして、もうアメリカから比べましたら、御承知の通り全体の所得が一人当たり八分の一でございます。イギリスに比べましても四分の一、十年間で倍にしようといったって、アメリカがそのまま足踏みしても四分の一かになる。五、六年、六、七年実態がおくれているというのじゃない。農業施策に対して根本的な今回の農業基本法のようなものをドイツは三、四年前に出しておりますが、三、四年おくれた、あるいは五、六年おくれた、こう言っておるのでございます。実態が七、八年おくれておるとか、三、四年おくれておるという意味じゃございません。

○江田三郎君 そういうことはどうでもいいですが、やはりごまかしのない答弁をお願いしたい。問題は、農業基本法を出すときがドイツより何年早かったか、おくれたかということではないわけでありまして、やはり今後の貿易自由化を考え、あるいは今日の所得の格差を考える場合に、どうやって農業を追いつかしていかなければならぬかということなんであります。そういう点になってくるというと、たとえばドイツ、日本と考えてみましたところで、完全雇用が行なわれて、労働力の移動が自由にできる国とそうでない国、あるいは経営面積からいいましたところで、過小農である国と、少なくとも十町以上作っておる、あるいは家族制度のあり方の問題、そういう点が非常に違うのでありますから、私はよほど掘り下げた検討の上に立った行き方をされぬというと、ただ農民に大きな期待だけを与えて、そうしてあとでとんでもないさか恨みを受けなければならぬことになるのではないかと思うのであります。そこで、一体今度の基本法の目的というものは、一つには生産性の格差の是正という問題がありますし、一つには、他産業従事者との所得の均衡ということがあるわけでありますが、この政府の案を見ますというと、まことに回りくどく書いてあるわけでありまして、第一条に、「農業従事者が所得を増大して他産業従事者と均衡する生活を営むことを期することができることを目途として」、なんでまあこう回りくどいことをお書きにならなければならぬのか、それほど自信がないのかという点なんでありますが、さらに一体、他産業従事者というのは具体的にだれをさすのか、この点をはっきりさせていただきたいと思います。他産業従事者といいましたところで、あるいは自営の中小商工業者というのもそうでありましょうし、あるいは農村に住むところの勤労者もそうでありましょうし、都市に住む勤労者もそうでありましょうし、いろいろな違いがあるわけでありまして、なぜこういう回りくどいことを言わなければならなかったかということと、同時に、ここに書いてある他産業従事者ということは具体的にどういう階層をさすのか、この点をはっきりしていただきたい。

○国務大臣(周東英雄君) 便宜、私からお答えいたしますが、他産業従事者というものは何をさすかということでありますが、これは全面的に一つにまとめてきめることは困難だと思います。江田さんも御承知のように、農業者というものは、一面自営の者が多い。これは一面においては他の自営しておる業者というものとも比べられますが、一面におきましては、勤労者というものの所得がどうなるかということになると、農業が一つの勤労者と見て、それと比べるという問題になる。一々別々に比べるということは比べにくいと思います。私はそういうふうな、ある場合においては他の自営の業者と比べる場合もございましょうし、また他産業に従事しておる勤労者というものの所得というものと比べる場合もございましょう。そういうふうにいろいろの場合がございますので、一律にこれをきめることはできないと思うのであります。

○江田三郎君 それでは答弁にならぬじゃありませんか。勤労者という場合と、労務者という場合、あるいは中小企業者という場合、農村に住む勤労者という場合、おのおの違うんだ。だから違うなら違うで、ここに書いてある他産業従事者というのは、具体的には何をさしているのかということがはっきりしなければ、いろいろな違いがあるのがありますというだけでは、答弁にならぬ。

○国務大臣(周東英雄君) それはそれぞれの場合に従いまして、社会的に言う妥当性な業者と比べるのであります。それらの問題はどの地域の何というものは、農政審議会等において私はきめていきたいと思っております。

○江田三郎君 もしそういうような認識に立たれるなら、米の相場をきめるのに、秋田県の米は幾ら、岡山県の米は幾ら、九州の米は幾ら、こういうふうに変えていきますか。

○国務大臣(周東英雄君) 米の価格をきめる場合においては、生産費からの計算とパリティ計算を織り込んで生産費所得補償方式をとってきめております。その場合におきまして、生産費における賃金のとり方は、勤労者の賃金が標準となっておる。これは大体全国的に別々にきめることも一つの方法でありましょうけれども、今日のような買い入れ統制をやっております場合においては、個別にいくように一応全国的な指標をとり、そこに一つの妥当性な価格を認めてやるのが現実的であります。

○江田三郎君 時間の制限がなかったら、農林大臣のお説をたびたび聞かしてもらうのもけっこうでありますが、どうも残念ながら時間の制限がありますから、答弁にならぬ答弁はやめておいていただきたい。これは私は非常に専門的なことを聞いておるのじゃないのでありますから、これは一つ総理の方からお答え願いたい。私も専門屋でありませんから、そんな専門的な質問はいたしません。私はごく常識的に質問いたしておるのであります。この他産業従事者というのは何をさすかということは、これは総理がお答えできる問題でありますから、これは総理の方からお答えいただきたい。

○国務大臣(池田勇人君) 専門的でない、一般的な考え方でお答えいたしますと、他産業従業者というのは、農業以外の産業の従事者。(笑声)そんなら、どれをとるか、こういう問題でございます。どれもとれないのであります。産業によりまして、規模別によりまして、地方別によりまして、いろいろ格差が今ある。それをそのどれをとるか。社会党におかれても、やはり他産業従事者と、こう言っておられるでしょう。それなら、社会党さんに聞きましょう。他産業とは何かと言ったら、江田さんは、都市労働者と均衡をとると言われるかもしれません。しかし、これは私はちょっとむずかしいのじゃないか。やはりそこは、同じ労働者におきましても、都市労働者におきましても、中小企業の労働者と千人以上の大企業の労働者とは、百対五十ぐらいになっておるのが実情でございます。そこなんです。そこで、これを格差を地方別、規模別あるいは業種別の格差をずっと縮めていこうというのが、われわれの目的なんでございますから、他産業と申しましたら、全般的に客観的に考えての比較を見るよりほかない。だから、常識的に言えば、お笑いになるかもしれませんが、農業以外の各種産業、そうして、その規模別、いろいろな差を見て平均的に客観的にきめる一つの所得水準と答えるよりほかありません。

auただくけれども、その中身はそのときどきで、たとえば農村における労務者と均衡をとらされるのかもわからない、あるいは、そうでないかもわからぬ。何のことか一つも安心はできないわけでありまして、少なくとも、この農業基本法における、ただいま申しました点は、第一章総則の国の農業に関する政策の目標なんであります。その目標からして的確な答えができなくてぼやけておるようなことで、一体、何の農業基本法かということを言わなければならぬのであります。重ねてお尋ねしたい。

○国務大臣(池田勇人君) 本会議で答えたことも、今ここで答えたことも、私の信念には変わりはないということは、江田さんもお認めいただけると思います。しからば、あなたのおっしゃるように、都市の生活と農村の生活と同じように、もう農業者の所得を同じように、こう言われますが、必ずしも、それは理想でございまして、その通りにはいきません。あるいは町村におきましても労働者がいるが、しかも、われわれの新しい国作りとして、理想は、都市も地方も同じようにしようというこの言明から申しましても、これは社会党さんの言われるのと違いがありませんが、われわれは全般的に将来を広く考えたときに、他の産業ということははっきりすると思うのであります。具体的にそれをきめましても、なかなかその通りいきません。いろいろ理想を掲げて、それに向かって都市と農村を同じようにする、これはわれわれの所得倍増の目標なんであります。わかり切ったことですが、問題は、どこに照準を合わせるかというと、他の産業、これで私は十分だと思います。しかして、その場合におきましても、たとえば都市を相手にする、都市のどの辺を比較対象にするか、これは具体的の問題で今後いろいろな施策をやっていく上に考えるべきことで、理想は他の産業ということで私はわかると思います。

○江田三郎君 そういう点がはっきりしないと、たとえば重要農産物の支持価格をきめる場合に、一体農家の自家労働賃金を幾らに見るかということが、まるで見当がつかなくなってくるわけなんです。そこで、単に他産業従事者といっても、いろいろの取り方があるわけであります。そういう点をはっきりさすことが必要だと考えているから、農林省案には農村における他産業従事者ということに規定したんでしょう。私は、まあ農林省ともあろうものが、なぜ一体農村における他産業従事者との均衡をとるような、そういう農民をいつまでも低い文化なり経済の水準につなぎとめようとしたのか、その真意を理解するに苦しむものでありますけれども、まあ農林省のことはどうでもよろしい、あと政府案が出ているわけでありますから。ただ、この政府案が出された以上は、そういうちゃんとした、きちんとした規定をとった他産業従事者というものを出された以上は、それが一体具体的に何をさすものであるかということがはっきりしなければ、第一章の第一条の最初のところからしてそういう点がぼけておるのでは、私はこういうふうな基本法では、農民としては何をつかんでいいのか、全く雲をつかむような、所得倍増のかけ声の中で物価の値上げが出たような、そういう不安をまた持たなきゃならぬということになると思うんです。

○国務大臣(周東英雄君) 念のために申し上げておきますが、江田さん先ほどから二度、農林省原案に農村における他産業従事者云々と書いてあったといいますが、そういう原案はございません。これは誤解のないようにはっきりさせておきたいと思います。それから私が先ほど申し上げた、他の産業に従事する者というようなものにつきましても、同じく他産業と申しましても、やはり産業の経営者であるか、またその従事者であるか、あるいは労働者、勤労者であるかということは、やはりはっきりそれぞれによって考えなければならぬ。これは一がいに一つの形に私はまとめがたいのじゃないかと思う。これは社会党案にも他産業従事者と書いてある。それはどういう形になりますか、これはまあいろいろお考えはあると思いますけれども、私はやはりそこに一律に、一体、一つにきめがたいと思うのであります。私はそれは、おのおのの場合、業種である場合、勤労者である場合、どっちにきめるか、あるいはその総合所得について総合的に生活を均衡させるというふうに見るのか、これはやはりむずかしい問題で、そういう点をそれぞれの場合において農政審議会等において妥当性があるところに一つをきめていこうと、こういうのであります。これは私ははっきりしておると思います。

○江田三郎君 いずれにしろ、はっきりはしていないのであります。なお、農林省の案の中で農村における他産業従事者というようなことがないと、こう言われますが、これは農林省案の中には、わが国の農業がこれと比較し得べき他産業の生産性の向上と云々ということがあって、これと比較し得べきということは、一体どういうことかといいますと、こういうことを突き詰めていきますというと、基本問題調査会の中にはそういう意見が十分にあったことは、農林大臣も知っておられると思うのでありますが、ともかくそれはそれとして、他産業従事者というものはいろいろあるんだ、そのどれともきめかねるんだ。どれともきめかねるんなら、それなら総平均でいくのか。何か具体的のものがなければ、今後何をするといったところで、一つの目標がもうはっきりぼけちまったのでは、仕方がないということなんであります。私は、これ以上この問題について質問を繰り返しましたところで、満足な答弁はできぬと思いますので、いずれまたあとで同僚の諸君から質問があると思いますから、その程度にしておきますが、この農林省の基本問題調査会事務局の出した「農業の基本問題と基本対策」の解説版などを見ますというと、大体この八十六ページにも書いてありますけれども、現状においては、つまり結論的に言えば、一町以上一町五反未満とか、あるいは一町五反以上二町未満の層では、大局的に見て、他の勤労大衆、勤労階層との均衡は下回るんだということが、ここに書かれてあるわけなんであります。従って、まずまあこの答えが妥当かどうかということは、まだ検討を要する点がありますけれども、一応この基本問題調査会の考え方でいくというと、少なくとも二町以上の経営でなければ、現状においても均衡はとれぬということが書かれてあります。そこで一体、こういうような基本問題調査会の答申をもとにされて今度の基本法ができたんだと思うのでありますが、一体この所得の均衡をとった将来農業の姿というもの、それをたとえば十年後の日本農業の姿というものを総理は一体どういう青写真を持っておられるのか。この点は、衆議院のこの論議を議事録で見ますというと、なかなかどうもぼんやりしてしまっているのでありますが、少なくとも私は一つのこういう基本構想というものを出した限りにおいては、それは大体五年後にはこう、十年後にはこう、大ざっぱな青写真というものはこういうものだということが与えられなければならぬと思うのでありまして、農民諸君がこの法文を読んで、なるほどけっこうな言葉だけ使ってあるといったところで、それで何も信用するものじゃないのでありまして、大体こういうような青写真なりというものは示されなければならぬと思うのでありますが、その青写真を一つ示していただきたい。

、こう私は言ったのであります。一一%の増の場合と、九%の増の場合と、七%の増の場合と、いろいろやってみましたが、三分の一になるというのは、一一%の増を続けた分の数字と九%の数字を言い間違いであったものですから、二時間後に訂正しておきました。そういう一応の格好は私個人としては作ってみたのでございます。しかし責任の地位におきまして、しかも今の現在の状況を見ますと、そういういろいろな試算はあるけれども、少なくとも三年間九%の増は見込めるのじゃないか、こういうので全体の分だけを今見てやったわけなんです。しかるところ、昭和三十五年を全体の総生産を一兆三千六百億として、九%の見積りを三年間でやりましたところ、三十五年の、私の当初の九%は実績においては一三、四%の増を来たしておるのであります。というふうな状況でございまして、十年後の青写真と申しましても、これは責任のある人は、これはなかなか申し上げかねる。で、私は責任のない立場のものを申し上げたのでございますが、なかなか困難、しかも、これはあなたが是認して下さったように、農村がよくなるかよくならないかということは、政府の努力もありますが、農民自体の熱意と行動力によってきまってくる。われわれはその熱意、行動力を伸ばすように道作りをしようというのでございますから、私はここで自由経済の立場におるわれわれといたしまして、青写真ということは、これは作ってみても、かえって今までの実績が示しておるごとく、その青写真は何にもならぬことになると思いますので、個人的の想像は申し上げておきますが、まあ三年間におきましてもそういうふうな状況でございます。ただ、私は成長過程においてのみ所得の格差の均衡が是正できる、こういう観念で言っておるのでございます。

○江田三郎君 まあ、今の話は半年前に私が同じことを尋ねたら、総理は違った答えをされただろうと思うのです。半年前にはなかなか所得倍増計画に自信を持っておられました。まあ、私も所得倍増計画の本をここに二、三冊持っておりますけれども、こういうものを国民は全部見せられ、聞かされたわけでありまして、所得倍増十年間のたとえば所得が倍になるというような幻想を持たしてもらったわけなんです。しかし、今その池田さんの経済成長計画というものが、あるいは国際収支の面から、あるいは物価の面から再検討を要する段階ではないかということが、だんだんと言われておる中ですから、半年前には自信を持って答えられたことも、今日では自信を持って答えられないということで、条件が変化していると思うのであります。それはともかくといたしまして、一体計画経済でないからして、十年先の青写真ということは示されないのだ、もしそういうことをおっしゃるのなら、たとえばこの第二章のうち、農業生産の中の第八条に「需要及び生産の長期見通し」ということがあるわけでありますが、この長期見通しということは、大体において何年先のことを言われるか。特に農業の場合には、特に耕種農業でもそうでありますけれども、牛を飼うとか何とかいうことになるというと、相当先を考え、計画を立てなければなりません。そういうことがうまくいかぬために、たとえば牛よりもっと簡単な豚でも、あれほど値が上がったり下がったりするわけでありまして、やはり農業における長期見通しという場合には、普通の鉱工業における条件とは違っておると思うのでありまして、法案の中にはっきり長期見通しということを書かれるほど、この基本法には長期的な問題がいろいろ出てくるわけでありますが、しかるにかかわらず、十年後の青写真が示せないというのは、これでは池田さん、答弁にはならぬじゃありませんか。

○国務大臣(池田勇人君) 十年以内の所得倍増の自信がなくなったとおっしゃるが、そうじゃございません。私は国民とともに自信を持って進んでおる。今申し上げた数字でも九%ぐらいずついったならば、十年じゃございません。七、八年でなってしまいます。しかも今実績は九%以上五割増しという一二、三%、決して十年以内の一〇%を私は自信をなくしたのではございません。半年前のそれよりもっと自信が強い。実績がそれを示しておる。そしてそれは農民の方々、また全国民がおやり下さるので、私はその先達になって道を作ろう、こう思っておりますので決して自信を喪失しておりません。ますます強めておる。ただどちらかといえば、そんなにしては行き過ぎるから、少しぐらい水を飲んだり、走り方をゆるめたりしたらどうかという気持はないことはございませんけれども、まだそこまでいっていない。私は自信満々、外人と会うたびに、非常な驚きと賞讃と激励を受けているような状態でありまして、ますます強気になっておるのであります。そして長期見通し、青写真というものは、これは今作った青写真で、そうしてその分が違った青写真になるよりも、もっといい青写真はあなた方の力で、今私が作ったよりももっといいのができるのですから、お見せしません。個人的には今申し上げた通り五割増しと言っていますが、五割増しというのは、米麦が五割増すと言っているのじゃございません。他の農産物が相当増してくる。長期というのはどうかといったら、二年も長期でございましょう。五年も長期でございましょう。あるいは十年も長期でございましょう。われわれ長期としては、二十年後、三十年後を考えて日本の国作りをしなければなりませんが、さしむき十年というものを目標において、そして今の施策は三年、こういうのでいっておるので、各農業の種類によりまして、いろいろな計画が出てくると思います。長期とは何年と区切ることはできないと思います。

○江田三郎君 私たち農村へ参りまして、農業基本法の話なんかをいろいろやってみますというと、農民諸君の質問というのは非常に具体的なんですね。法案にどういう言葉が並べてあるかということよりも、自分たちの農業経営はどういう形になるのだ、そのことを非常に心配をしておるわけです。農民というものは、私が申すまでもなく、非常にその点については現実主義的なんです。高等学校の生徒に倫理の話をするような問題じゃないのでありまして、そこで特にこの農業基本法の前文の中には、最後に書いてありますけれども、「ここに、農業の向うべき新たなみちを明らかにし、」こう書いてあるわけです。そうすると、一体、政府の施策というものはどういう方向にいくのか、農業を前進さすのは究極的には農民自身でありますけれども、しかし、それは今の世の中におきまして政府の施策とまるで反対の方向へ行こうといったって、できるものじゃないわけであります。政府の施策と方向をマッチさせながら、どうやって創意工夫を働かして自主性を生かしていくかということです。そういう農民諸君にほんとうに一生懸命になってもらおうというのならば、少なくともここに基本法の前文にありますように、日本の将来の農業の姿というものはどういうものだ、どっちへ進んだらいいのかということがはっきりしなければ、ただ生産性を上げていけ、所得が均衡をとるようにやっていくのだというだけでは、とても農家の諸君の心からなる賛同というものは得られないと思います。なぜ、そういうことについてはっきりしたことが言えないのか。今言って、またあとで違ったらいかぬ、あるいは違うかもしれません。どんなに計画経済にしたところで、日本だけが孤立した国でもないのでありますし、世界の情勢の中で、いろいろ世界に新しいことができるのでありますから、計画は違って参ります。しかし、少なくともその当時のわれわれの最大の力をもって、これがわれわれの描き得る将来だというものを出していかなければ、農民としては安心してやれるわけはない。将来どうなるかわからぬのに、これからこつこつ荒れたたんぼを耕して、こやしを入れて一人前のたんぼにする、こんなことができるわけはないのであります。

 そこで、そういうことはそういうことといたしまして、この所得倍増計画によるというと、昭和四十五年における家族経営の構成として、将来御承知のように二町五反経営を百万、そして一町を二百五十万、五反を二百万、もっともこれは成長率の違いによって多少の違いはありますけれども、こういうような一つの青写真を出しておるわけです。もちろん、青写真というものは、この経営面積だけでは出るわけではございません。同じような一町経営といっても、高級蔬菜をやっておる一町と米だけ作っておる一町ということは違うということはわかります。しかし、大体の輪郭というものは出せるわけなんであります。ここに一応こういう数字が出ておるのでありますが、この数字というものは、もうほごのように捨ててしまわれるのか、これはこれで生きておるかどうかということを端的にお答え願いたい。

○国務大臣(池田勇人君) 企画庁の所得倍増計画の分を、全然否認するわけではございません。委員会におきまして相当御審議の結果でございます。しかし、この通りにはいきません。一つの考え方と私は考えておるのであります。われわれはこの農業基本法というものの制定によりまして、いわゆる農業の規定の関係、近代化の問題等々で徐々に、地方によっても違いまするが、二・五ヘクタールにするか、あるいは一・五ヘクタールでもお話のように高級野菜でやればできる、こういうふうに随時その地方、また農民の気持によって進めていこうとしているのであります。一つのきまったあれとすれば二・五ヘクタールで百万戸作るのも一つの目標でございましょう。しかし、これは今後におけるわれわれの施策、そうして前年の実績を国会へ報告いたしまして、新しい施策としてこういうことをつけ加える、こういう点は少し足踏みしてこの方面に力を入れろというふうなことで、だんだん描いて、実態に沿って進めていこうといたしているのであります。私は全然ほごとは申しませんが、その通りにいくいかないは別問題と考えております。

○江田三郎君 どうも、総理は衆議院の議事録を読みましても、何かこう質問するというと、こういうケースもある、こういうケースもある、こういうケースもあると言って、問題を非常に個別に還元されて、そうして質問をそらしてしまうという非常な有能なる技術を発揮されておりまして、(笑声)参議院では一つこれはやめていただきたいのでありまして、もっと一つ大局的に御答弁を願いたい。もしこのほごではないけれども大したことはないのだ、そんなら一体基本問題調査会が示したところの基本政策の方向というものは、これは一体どうなるか。基本問題調査会のやつも大したことはないのだ、あるいは所得倍増計画のやつも大したことはない。そのようになることもあるけれども、ならぬこともある。あとはお前らよく考えていけ。これでは全く不親切なことになってしまいまして、そういうことなら、この基本法の前文にわざわざ「ここに、農業の向うべき新たなみちを明らかにし、農業に関する政策の目標を示すため、この法律を制定する。」というようなまっこう大上段から振りかざしたような、あまり大げさなことはされぬ方がいいと思うのです。なぜ一体、この所得倍増計画に出ている数字というものをあなたお認めになろうとしないのですか。

○国務大臣(池田勇人君) まあ問題は、その倍増計画というものは十年計画でいっているわけなんです。私はもうすでに御承知の通りに十年にとらわれていない。それから十年計画では七・二%ですが、七・二%にもとらわれていないのです。だが政府関係機関でやったものですから、一応そういうことは一つの考え方として私は参考に供します。ほごじゃございません。参考に供しますが、しかし、なかなかその通りにはいかない。そこで大上段に振りかざすとおっしゃいますが、社会党さんもそうなんです。やはりこのままの農業ではいかぬから、ここに新たな施策を講ずるような建前をこさえていこうというのが、農業基本法でございます。しこうして今後どうやっていくかということは、基本問題調査会の意見も聞きましょうし、いろいろ考えまして、あなた方とともどもに、農業基本法によりましてあらゆる法制的、財政的措置を毎年々々積み重ねていこうというのが、農業基本法であります。いろんな問題調査会の意見は聞きますが、その通りにはやらないのです。その通りにはやるとはきめないのです。参考にはいたします。あなた方と一緒に農業をよくしていこうというのが、この農業基本法です。あなた方には相談いたします。

○江田三郎君 ちょっとそれありがたや節ですな。(笑声)中身は一向ないけれども、まあありがたや、ありがたや、みな一生懸命信心せい、こういうことになるようでございますが、それでは農業基本法というものは、まだ時期が早かったんじゃありませんか。少なくともこういうものを出す以上は、農民に対して一つのイメージを与える、一つの青写真を与える。そういうようなことでなければ、農民にここに書いてあるような、今後の日本農業の向かうべき新しい道を示す、こういうことにはならぬわけでありますから、私どもは繰り返して申しますけれども、農民諸君というのは、非常に現実的にものを考えているのであります。一体何か新しいことを持っていっても、これでもうかるのか、もうからぬのかということを問題にするわけなんです。そういうときに、ありがたや節だけでは、これは仕方がないと思うのでありますけれども、これ以上問答を繰り返しましても答えが出ませんから、いずれあとからまた質疑が出るでしょうから。

 ただ、その中で先ほど私が指摘したように、基本問題調査会の答申でいきますというと、やはり二町程度では、現状ではまだ所得の均衡までいかないのだということがいわれているわけなんです。しかも、これは三十三年あたりを基礎にした数字でありますから、その後三十三年、四年、五年と二次、三次産業の伸びと農業の趨勢とを見れば、いよいよこの差というものは開いてきていると思う。そういう点から所得倍増計画におきましても二町五反、百万戸というものを目標にされたと思うのであります。その点についてこれは衆議院でもわが党の議員が質問しておりましたけれども、かりに二町五反、百万戸ということになると、少なくとも百五十万町歩の農地の移動があるのだ。そのときに一体資金手当というものをどうしたらいいのかという質問がありましたが、これは百五十万町歩でないかもしれません、百万町歩かもしれません。しかしながら、決して一万町歩や十万町歩で足るというわけではないのでありまして、総理がさっき言われた大ざっぱに五割という目標を示されましたが、それから言いましたところで、相当これは農地の移動があるわけでありますが、そのときに一体その資金をどうするかということ、農民諸君はもっと経営をふやしたいわけでありますが、しかし一体その金をどうするのかという問題を、いつも問題にするわけです。そういうことについて一体どう考えておられるか、その点をはっきりとさしていただきたい。

○国務大臣(池田勇人君) お話しの通りに相当農地は移動いたしましょう。従いまして農地法の改正をいたしましたり、また資金も相当要りましょう、相当要ると覚悟いたしております。その資金はわれわれ事欠かさないように、しかも、農地を移動してその農業が採算がつくように格別の措置をとる、こういうことをとり得るようにしようというので法制的、財政的措置を講ずるということを農業基本法第四条に入れている。これは画期的のことであります。しかも、実績を報告して将来を考える。こういうことは明治以来やったことはございません。それを今度やろうとしておる。だからそれでは幾ら金をここへ積むか、金利を幾らにするかという御質問がございます。しかしそれは幾ら移動があるかという問題になる。これは移動の状況を見て、毎年それに対しての法制的、財政的措置をとるということで、農業基本法で政府を縛りつけようとしておるのがこの精神でございます。私は農業をよくするために、第四条で規定しておりまするような画期的の措置をとろうということで、あなた方と一緒にここにきめたいというのが御審議願う趣旨でございます。

○江田三郎君 もしそういうようなことについて配慮されておるというならば、一体所得倍増計画の中の今後の長期の政府の投資あるいは融資、そういう点についてどういう見方をしておられますか。それともそれもここに書いてあることは、全然これは何でもないのだと言われるのでありますか。一体この所得倍増計画とか、あるいは基本問題調査会の答申とかいうものを、そんなにこれも一つの参考だと言って済まし得るのかどうか。私はそういうことはあまりにも無責任な政治と言わなければならぬわけです。だから総理は自信を喪失されて、もはやこれを勇気を持って言い切ることはできないじゃないかということを言ったわけでありますが、総理は非常に確信を持っておると、確信を持っておるなら、この所得倍増計画のどこをどう訂正するということを言えるわけです。少なくともこの二町五反の農家を百万戸作ってこれでいくと大ざっぱに言うと、百五十万町歩の農地の移動は、これは今もおっしゃったように、日本歴史始って以来のことであります。それだけのことに対して資金の問題について、これからその年々で考えるのだというそんな簡単なわけにはいかぬでしょう。さらにそういうときにその金利についてもその年々に考えればいいと言ったところで、一体日本の農業がどれだけの生産性を持っておるのか。耕地農業ではどうだ、畜産ではどうだということは、一応計算は立つわけであります。それから一体どれだけの金利の支払い能力があるかということも答えは出るわけであります。そういうことについても、何らの構想なしにその年々で皆さんの衆知を集めながらやっていくということは、あまりにも不親切なやり方であり、まだそういうような内容しかないのなら、政府の農業基本法は提出の時期に至っていないと言わざるを得ないと思います。

○国務大臣(池田勇人君) 倍増計画や基本問題調査会をないがしろにするというようなお話し、そうではございません。私は一つの専門家のことでございますから聞きます。民の声を聞くと同時に、専門家の意見も十分聞かなければなりません。しかし、彼らには政治性がない。合理性にとらわれ過ぎているのであります、経済の合理性。政治というものはそういうものじゃございません。従いまして、私は全部は読みませんが、報告を聞き、一応問題点を見ましたが、あの中でも、われわれがとらないものがたくさんある。お話がありました農業関係へ十六兆から一兆円を出す、こんなことは政治としてできるものではございません。それくらいのことで足るものではない。はなはだしきに至っては、米の直接統制をやめて間接統制、これも私は絶対やらない。いろいろな点が違っております。あるいは合理主義といいますか、理論的な考え方、しかも七・五%。またわれわれは農村あるいは低開発地域の開発をしようと言っているけれども、彼らは経済的の合理主義ですから、太平洋のベルト地帯でやるべきだ、こう言う。われわれの考え方とは違っております。われわれは、専門的に、また合理的にやったものを一応参考としますが、政治はそれではいかないです。国民全体の希望するように、お互いに描く新しい日本を作るためにやるのでございますから、今の資金の関係も一兆円、こんなことで足ろうとは、私は考えておりません。

○江田三郎君 そう言うだけのお考えがあるのなら、なぜそれをもっと体系的な青写真に作ることができないのですか。何か質問するというと、これはもっと大きなことを考えている、これも大きなことを考えている、この間も、私はNHKのテレビ討論で、新規開発のことを申しましたところが、あなたの方の総務会長の保利さんは、「北海道だけでも五百万町歩開墾するんだ」「どこに、五百万町歩あるのですか」「いや、それは言葉じりだ」、こういうことになった。そういうようなことになっては仕方がないのでありますから、やはりほんとうに農民の力を借りて、日本農業を前進さそうというのなら、繰り返して申しますけれども、農民の前に、将来の農業の姿はこういう農業になるのだ、それに対しては政府は具体的にこういうことをやっていくのだ、みなこれを聞きたいわけでしょう。農村に行ってあなたが農業基本法の説明をされれば、これは大会場でサクラを雇うてくる場合には別でありますけれども、ほんとうに農民とひざを突き合わしてやってごらんなさい。金は一体何ぼ貸してくれるのか、あるいは金利は幾らなのか、そういう質問を私どもは受けるわけです。そういうことについて、ああいうことが書いてあるけれども、もっとけたが違う、もっと大きいぞ、もっと大きいぞという「ありがたや節」では何にもならぬわけですから、一体それだけのことを考えているのなら、もう少し時期を待って、慎重にお考えになっているような青写真なり、あるいは慎重審議している間に総理が考えておられるところの青写真というものを示すことがなぜできないのか。

○国務大臣(池田勇人君) 物事はそう簡単にいくものじゃありません。そうして申しますと、すぐ結論的に、これじゃ「ありがたや」になると、こう言われますが、それだったら私はこう答えます。「自分は農地をふやしてやりたいが、何ぼ貸してくれますか」、こう聞いたら、「君は何ぼ今作っているか、今後の家庭の事情はどうか、そうしてどれだけの土地を買って、どういうふうなやり方をするか」、こう私は聞きます。それによらなければ農民の気持がまだわからない。農民の気持が、私は二町五反にしよう、あるいは今八反ですが、一町五反に一応とりあえずしよう、こういう気持になるためには、「農業基本法でわれわれはその体制をこしらえますぞ。そうして農地法の改正をいたしますよ。そうして協業の場合も考えて農協組合法をあれします。そうして自作農創設の貸付金も限度はありますよ」、いろいろな方法を今ここで御審議願って決定しようとしているわけであります。だから、農民がこれから新しい農業にいくんだというスタートを切るわけです。切って、そうして農民が、政府がこういうふうにこちらに向いて走ろうと誘ってくれるのだから、自分はどういう走り方をしようというのであり、農業基本法が通過してからお互いにその地方々々できめていかれるべき問題だと私は思う。あるいは、自分はもう跡取りも百姓はいやだから、あそこに行こうという場面が多々出てくるでしょう。跡がわりが出てくるでしょう。そういうときに、お前のところは、跡取りは今後は農業をしないのだから、どうしろという押しつけはできません。だから、そういう気持になって、新しい農村を作ろうというスタートが農業基本法なんです。農業基本法ですから、政府がそういう気持ならおれも一つ考えて将来こういうことでいこうか、こういう考え方になってもらうのが農業基本法の制定のねらいでございます。

○江田三郎君 どうも総理の話を聞いていますと、まるで高利貸しが金を貸すときの条件のようなことばかり言われる。やはり、国が一つの融資なり投資なりをする場合には、きちんと一つの構想を示してやらなければならぬわけです。たとえば近代化資金にいたしましたところで、国が二分の利子を補給するのだ、そうして七分五厘になるのだ、その金額はこれこれなんだ、そうしてもしこれをやるならこういう仕事をやってもらいたい、そこで審査をしていく、こういう一つのものが出て初めて農民が問題にし得るのでありまして、まずお前はどういうことを考えているのか、そこから利子も金額も相談しようというのでは、これは国の政策にならぬわけで、総理も個人的なお話ではそれでいいかもわかりませんが、これは総理大臣の池田さんのお答えにはならぬ。

 従って、私はこの問題についてもまだ政府の方から満足した答弁を得られないことを遺憾に思いますが、さらに一体、まあこういう資金がかりにできるとしましたところで、ここで経営拡大ということについて、少なくともこの基本問題調査会なり、所得倍増計画からいうと、あまり新規の土地造成ということは、うたってないわけです。もちろん工場ができるとか道路が拡大されるとかいうことによって、つぶれ地はあります。それを補充する程度ということは考えておられるようでありますけれども、さらにこの新規造成ということは書いてありませんが、そういう中で、一体ほんとうに資金の手当ができたとしたところで、経営拡大ができるのか、土地の移動ができるのかということが一つの問題になってくるわけであります。この点は、最近のこまかい統計数字をごらんにならなくても常識的にわかることでありまして、農家の農業従事者というものは減ってきた。しかしながら、農家戸数は減らない。年々兼業農家ばかりがふえていくということが出ておるわけでありまして、こういうような兼業農家ばかりふえるというような形では、経営規模を拡大するということのために、たとえ資金手当ができたとしても、なかなかうまくいかぬということになるのでありますが、今後そういうことについてどうお考えなのか。われわれが見るところによりますと、この間も私はある農村へ行って聞きましたところが、年寄りの人が申しました。うちの方では若い者がいなくなった。消防団になり手がないから、このわしになってくれというのだけれども、私はガソリン・ポンプをよう使わぬから、これから手押しポンプをくれたらなってやる。これは冗談かなんか、言っておりましたけれども、それほど若い労働力はいなくなるのに、農家戸数は減らない。そこに大きな問題があるわけであります。それを一体どういうようにお考えになっているのか。またそれに対してどういう手を打とうとされるのか、この点をお聞きしたい。

○国務大臣(周東英雄君) お尋ねの点ごもっともなんですが、農業の就労人口というものは減って参りますが、戸数は減らないという点は、今日のところお話しの通りで、戸数の減り方は少ない。しかしながら、御指摘のように、農村の青少年が出ていきます場合に、かなり世代の跡継ぎというのですか、そういうものがかなりおります。こういうものは、世代交代の時期がきますと、だんだんとこれがふえてくるじゃないかと思います。そういう意味合いにおきましては、私は戸数も将来相当減るんじゃなかろうかと思いまするし、また先ほど御指摘になりましたように、一体農地の造成に関して何も言っていないじゃないかというお尋ねでございますが、これはあくまでも私どもは、条文にも規定しておりますが、農地及び水の効率利用並びに開発について必要な措置をとると書いておるのでありまして、私どもはこの規定に基づいて、現実に各地方別にどういうふうなものを増産し、どういうものを新しく選択して拡大してやっていくかということの実態に即して、土地の増大の必要量というものを的確にきめて、それに対して対策を考えていきたい、こう思っております。いろいろと社会党さんの方におきましてもお考えがありまして、三百万町歩増ということがあります。これは一つの考え方かもしれませんが、私どもは、一律一体に各地方に農地をふやすことも困難でありましょうし、新しい増反、開発ということは、その地方別に必要なる個所に、しかも将来の生産に必要な土地の分量というものをだんだんきめまして、それに応じて資金を出していくような方途を講じたい。それに関しましてはただいま総理からも申しましたように、将来の土地の造成資金等に関しましては、あるいは移動の資金に関しましては、従来の資金の分量またはその金利条件等に関しましては再検討しなくちゃならない。それ相当これに対しては現在よりも安いあるいは条件のよいものの貸し出しを考えていかなければならないということは、先日も衆議院で答弁いたしました。しからば、それはどのくらいになるかということは、やはり土地の必要性、きまりました分量に応じて考えていくべきであって、それがまだ全体的にきまらない。抽象的に言えば言えますが、それでは私は実際の農業基本法にはならない、こういうふうに思っている次第であります。

○江田三郎君 総理の答弁も適切ではありませんけれども、農林大臣の答弁は必要なところへ適切な措置をとるというだけであって、そういう答弁なら実際してもらわなくてもいいのでありますから、これは一つ総理の方から今後も御答弁願いたい。

 われわれは、労働力は相当出ている。しかし農家戸数は減らない。兼業農家ばかりがふえていく、そういうことの中には、やはり日本の賃金構造のことが問題になってくると思います。よく言われることでありますけれども、年功序列賃金、新規卒からそこへ入ってそして年がたつに従って定期昇給があり、あるいは家族手当がついて上がっていく。そういう中で一体農村の三十になりあるいは四十になるという人が思い切って他産業に転出しても、そこで与えられる賃金というものは決して家族を養える賃金ではない。従ってあとはお母ちゃん農業として、年寄りや女の人が残って兼業農家になる。その兼業農家がふえるということは、これは何と申しましても、農業全体の前進の足を引っぱる要素になるということは申すまでもないのであります。しかもだんだんと農業従事者というものが老令化していく、あるいは婦人労働が大きくなっていく、こういうことになるというと、だんだんと農業というものが前進でなしに逆な方向へいくのじゃないかということを心配をせざるを得ないわけでありまして、これは少なくとも今まで出ている統計からそういうことが言えるわけでありますし、私たちが農村へ行って話を聞いてみても、そういう心配をいだかざるを得ないわけであります。従って農業従事者が他産業で働きたいという考え方を持ち、同時にその能力を持っている者はそちらへ行けるようないろんなことをやるのだということは書いてありますけれども、一番の問題は、やはり日本における一般的な賃金体系のことが問題になってくるわけであります。こういう点について一体どういうような措置をとられようとするのか。やはり農業が画期的な一つの新しい方向をとろうということは、農業だけでできるものではなしに、これは総理がたびたび言われるように、国民経済全体の中で考えていかなければならない。そういうときにこのことが一番大きなネックになるのですが、このことに対する対策はどうかということです。

○国務大臣(池田勇人君) その点は江田さんと全く同感でございます。そういうような事態が起きてきておるからほうっておけない。しかし、年功序列の賃金体系を今すぐこわすわけにはいきません。これはできない。従ってこれをこのままほうっておけば、兼業農家あるいはお母ちゃん農家あるいは変な自立のできない、曲がった農業になってしまう。これを今こそやるときだというのが、農業基本法を制定するゆえんなんであります。で、今とりあえずの問題といたしましては、工場の分散、新しい工場を地方に作るということも一つの点である。あるいは中年の人の職業指導、十分ではございませんけれども、すぐりっぱな者になるわけではございませんけれども、そういうようないろんな施策を画期的にやっていかなくちゃならないと私は思うのであります。ほうっておけない。それでいろんな費用を投じ、いろんな施策を講じてやらなければ、ほんとうに日本の経済全体の調和はとれない。それだけ社会問題が起こってくるというのを、先ほど来申し上げますように農業基本法でそういう問題をこれから解決していこう。しかし今すぐには、地方によっても違いますが、兼業農家の状態も違いますが、兼業農家にもなれない零細農家が一番の問題だ。こういうことにつきまして今の農地の移動とか、あるいはわれわれも協業ということを考えおります。そういうような新しい方面に早く移っていこうというのでございます。だから具体的な問題をこれを答え得ないのじゃない、中年の方の職業指導もやりましょう、また新しい工場がふえれば、能力を持っている者はそちらへ行けるようにしましょう、それから新工場におきまして、当初は賃金が安くても将来高年令の人と申しますか、三十五、四十の方の人につきましては、特別の一つ考えを持つように経営者も考えなければならない。いろいろな問題がある。その問題を解決できないから、農業基本法はもっと審議しろと言われても、これは審議をいつまでしても、実行に移すよりほかにいい知恵が出てこないと私は考えるのであります。

○江田三郎君 これは私が申すまでもなく資本家というものは、本能的に安い労働賃金で人を使うのが一番いいわけであります。資本家の方から好んで高い労働賃金で雇うということは、なかなか出てこないものであります。あるいは中に奇篤な人があるかもしれませんが、そういうものは例外である。今のような年功序列賃金体系というものが、労働力の自由な移動に大きな障害になっている。これに対してとにかくやっていくのだということだけでなしに、たとえば職業訓練をされましたところで、職業訓練でどれだけのことができるか、これは三池のあの失業者に対して労働大臣はしばしば職業訓練ということを言われましたが、そこで一体どれだけのことができたか。あれほど深刻な事態、全国を騒がせたあの大きな事態、しかもほんの少人数の問題、それさえも的確な措置ができなかった状態の中で、どれだけ職業訓練というものができるのか知りませんけれども、かりに職業訓練をしてみた、ところで、年功序列賃金の中では、なかなか入ってこないというのが実態であるわけでありまして、こういうことについては、もっとたとえば最低賃金制をどうするのだ、あるいは雇用その他の基本的な条件をどうするのだということが、当然問題になってこなければならないわけでありまして、これはいずれまた労働大臣でも御出席を願って聞かなければならないと思います。

 ともかくも、今のやり方で、あなたの方で二町五反の農家を百万戸作るといってもできないということであります。兼業農家ばかりしかふえてこないということです。その中で一体どうしていくのかということになれば、私は一つの方法としては、土地の新規造成ということを考えていかなければならないと思います。それは総理もお認めになったように、資本主義的な合理主義の立場からいえば、そんな投資はばかげているかもしれないが、それが政治であるならば、社会的緊張をほぐしていくということが考えられるならば、当然その問題というものは、もっと真剣に考えていかなければならない。二次、三次産業の方からどうしても来てくれ、こういうことにするからどうしても来てくれという誘いの手を強力に出さなければならないほど、農業の条件というものは片方は高めておかなければならないわけであります。そういう点について残念ながら私どもはこの農業基本法に書いてあることでは、非常に不十分だというのが、何を一体不十分だというならば、一つは総理が今言われました共同と協業の問題なんであります。総理も協業ということを今言われました。一体われわれは共同という言葉を今日使っているわけでありますが、協業という言葉は、私は寡聞にして今までこういう言葉をお目にかかったことはないわけです。ある学のある人に言わせますと、マルクスの資本論の中に協業という言葉が出ているということであります。そこまで私は知りませんが、一体なぜこの協業という新しい言葉をお使いになったのか、その協業という言葉を、今まで使った共同と違った言葉をお使いにならなければならないのか、どういう意味があるのか。これを一つ聞かせていただきたい。

○国務大臣(周東英雄君) 大体におきまして仕事を共同にするという意味からいえば同じだと思います。ただ言葉が変わりましたのは、ちょうど共同というのは大体仕事を、農作等を一緒にするという方面において共同という言葉を多く使われていて、今後における精神的な方面において共同、しこうして事業を協力していくということになると、協業という字が当てはまるということになりまして、使ったわけであります。大体において仕事を共同していくという実体的なものとしては、私は大体同じだと思います。

○江田三郎君 何か聞いておってもちっともわからないのであります。大体同じならなぜ今まで耳なれたお言葉をお使いにならないのですか。何か新しい言葉を使ってこけおどしをしなければ通用しないのですか。

○国務大臣(周東英雄君) こけおどしということではなくて、精神的な意味が協業には出ておるという私らの解釈に従って、その意味をはっきりと新しい政策をとる上において掲げたわけであります。

○江田三郎君 精神的な意味ということになると、毛利の三本の矢を待つまでもなく、私たちは共同という言葉を昔から使ってきておるわけで、協業という言葉はなじまない言葉でありますが、その言葉はどうでもよろしいが、一体今後協業という言葉の中に、基本問題調査会の答えを見ると、協業組織と協業経営というものと二つあるようでございますが、あなた方が今後協業という場合には、どちらへ一体重点を置こうとされるのか、またその協業というのは、どの程度の協業を考えておられるのか、そういうことをはっきりして下さい。

○国務大臣(周東英雄君) 仕事の共同に関しましては、従来からとられておりまする農機具あるいはその他設備の共同利用ということ、あるいは一部作業の形としても、耕作を共同にしている場合もございますが、これは根本において土地の所有権は農業者が持っておって、そして作業に対する共同が多いと思います。私どもはこういう点は従来から奨励し指導し、農業協同組合によって設備を持ち、農機具等を持って共同の利用をやっているというのがたくさんあると思います。これはあくまで奨励していきたいと思います。しかし、私どもが考えております中で、土地の所有権あるいは使用権等を生産法人に渡して、形式的には農業者が農業労働を提供するというような形のものは、これはあくまでも農業者自体の意思にまかせる、それを希望する場合においては、当然家族経営で相当発展したものについても、それをやった方がいいというような具体的な場合においては、これは認めていくつもりであります。

○江田三郎君 今の農林大臣の答えからいくというと、農林省の基本問題調査会で使っている言葉でいって、協業組織というものは、これは今後も助長助成していくのだ、しかし協業経営、土地を一緒にしたり、あるいは労働力を一緒にしたりするところの協業経営というものに対しては、非常に消極的な今態度をお示しになった。しかしそんなことで一体やれるのかやれないのか、たとえばこの基本問題調査会の答申の中の所得倍増計画の中をとって見ましても、たとえば水田においては二十町ないし四十町の経営、あるいは畑作においては四十町ないし六十町あるいは搾乳では三十頭から五十頭、鶏では六千羽から二万羽というようなことがずっと書かれておるわけでありまして、これから十年後の協業の内容は、技術的可能性を考慮して次のように想定した、こう書いてあるわけです。そして少なくともこの基本問題調査会なんかの考え方を見ていくというと、結局協業組織だけでなしに、協業経営というものに非常に力こぶを入れておるわけなんです。これは私は当然のことだと思うのでありまして、この今日世界の農業と日本の農業とがどれだけ生産性が違っておるのかということを考えた場合に、とても今のような形で、かりに二町五反というものを作ってみたところで、しかもそれは十年先だ、十年先に二町五反というものを百万戸作ったときに、もうそのときには、世界の農業と日本の農業とどれだけ格差があるかということになるわけでありまして、この格差を埋めるということになれば、単なる協業組織、一つのトラクターを中心としてということよりも、もっともっと進んだ段階へいかざるを得ないわけなんです。それをなぜあなたの方はこの協業組織は育成するけれども協業経営の方は消極的だということになるのか。どうもその点が少なくとも多くの学識経験者を擁してやったこの農林省の基本問題調査会の考え方と政府の考え方というものは非常に違ってきているということだけは、私は言えるんじゃないかと思います。

○国務大臣(周東英雄君) これは別に特に協業経営の方を消極的に、あるいは協業組織の方を積極的というようなウエートをつけているわけじゃございません。しかし、私どもは土地の所有権あるいは使用権を生産法人に渡して、そして形式的に農業労働者という格好になる形は、これはこちらからやれという形でなくて、農業者の地方的あるいは業態の別によって、そういうふうにやった方がよろしいという形に沿いつつこれを奨励していこう、それに対して必要なる助成をしていこう、こういうことであります。これは江田さんもいろいろ地方の実情をお聞きになるでしょうが、先日東京に集まりました四Hクラブの報告者の中にその通りに報告しております。これは必要な個所に必要なものをやる協業経営、そのことはいろいろの条件の相違のものを一つにあわせるのでありますから、農村の動きを待って自発的にいくべきであるということを言っているのは、私は全部とは申しませんが、やはり一面の真理を出していると思うのです。どちらが主、どちらが従という考えはございませんけれども、どちらもこれはあくまでも農業者のやりたいという意思によって、それに対して政府は奨励していこう、こういう立場をとっていこうという考え方であります。

○江田三郎君 それでは、今の協業組織の場合に、少なくとも今後の方向としては、二十馬力とか四十馬力というような大型トラクターを中心にしたような、そういうことを指導の基本方向としてとられますか。

○国務大臣(周東英雄君) そういう点につきましては、私ども慎重なる態度をとっておりまして、協業経営等についてどういう規模で、どういう形でやるべきかということは、モデル地区を設置して農業構造等に関して一つの調査をさせているのであります。私は江田さんの御指摘のように、一律に二十馬力以上というような中型、大型のトラクターでやれ、そういうものを中心で集めるということじゃなくて、そういう形は希望によって、私どもはそれを機械化という面において助成していく。これはやはりどの地域にどういう希望があってどうなるかという実態に即してやっていかなければならない、ただ抽象論ではいかないと思います。

○江田三郎君 農林大臣はどうでもいいのですけれども、総理にお考えを願いたいのは、今いろいろ機械を使っているのでございます。しかし、これは総理もよく知っておられるように、あの小型の自動耕耘機であれでやって一年間に何日稼動さしているのか、また何寸振り起こしているのか、中には荷車を引っぱって道を走っておりますけれども、歩く方が速いような速力で走っている。あれは私は悲劇だと思います。ただ、ああいうものでも買ってやらないと、息子が百姓をしないからしようがなしに買ってやる。そういうふうなもので今後世界の農業と太刀打ちしていかなければならないということになれば、どうしても近代化を促進していかなければならない、あるいは資本装備をもっと高めていかなければならない。少なくとも平地の米作りにおいては二十馬力やあるいは四十馬力の機械を使って深耕もやっていかなければならない、いろいろなことをやっていかなければならない。ただそういうことをやるということになると、たとえば土地改良一つやるにしても、いろいろやり方が違ってくるわけであります。将来ともこの小型の自動耕耘機を今あるようなものを使って家族経営でやらそうというのと、そうでなしに大型機械を使ってやるのだというのとでは、土地改良のやり方でもまるで違ってくるわけであります。ところが、今までの指導の方向というのはあくまでも家族経営だけを中心にして考えて、たとえば土地の交換分合を見ても、あくまでも零細な経営というものを中心に考えてやっているわけなんです。これは今後こういう協業の内容というものが、どういう協業の内容になるかによって何もかも違ってくると思います。そういうことについて、農林大臣のように、こういうところもあるし、ああいうところもあり、一がいに言えぬというのでは、一つも農民に対して将来農業の進むべき道を明らかにするということにはならないと思います。国としては、少なくとも政府としては、こういう農業が望ましいのだということをはっきりと出すべきだと思います。そういうことがあるからして、所得倍増計画の中でも考えられる姿というのは、米においては二十馬力ないし四十馬力のトラクターを使って、そうして二十町歩ないし四十町歩の協業というようなことを出してくるわけであります。われわれは共同ということを言います。言いますけれども、何も私たちはすぐにコルホーズやあるいは人民公社のまねごとをしようと言うのではない。しかし、目標としては将来だんだんと共同経営ということに持っていかざるを得ぬのじゃないか、それは好むと好まざるとにかかわらず世界の農業はどう動くか、これから十年たってわれわれがここまでいった、もうそのときには世界の農業はもっとこっちにいっているのではないか、ごく最近のアメリカの通信を見ましても、アメリカにおいてすらもっと共同しなければならぬということが問題になっているということが出ております。そういう世界農業の姿を見るときに、われわれがほんとうに農業の百年の大計ということを考えるなら、もっとこういう点について大胆な構想というものがなければならぬと思うのであります。そういう点、どうも今のお答えを聞くというと、まことに消極的な、まあ何か農民諸君がやりたいならそれもよかろうというようなそんなことで、この保守的な考え方の強い日本の農民諸君を世界の近代農業との間に、列伍の中に置くということは、私はとうてい不可能だと思う。あまりにも夢がないと言わざるを得ないのです。

○国務大臣(周東英雄君) 私は今の点についてお答えいたしたいのですが、全部農民まかせということを言っているわけではないのです。しかも、あなたの御指摘の点については、相当大きな農具について、それは共同組織によって、共同利用によって共同耕耘をしている、一部作業の共同をやっているところがある。私が先ほどから指摘しているのは、土地の所有権なり使用権を法人に移して、そうして全部を協業、共同経営をやらなければならぬかという問題です。それについては、むしろこういう場合にはそれがよかろう、あるいはモデルを作って指導することもよろしい、しかし強制はしない、あくまでも農業者がいいということについて、地方的に助成をして、奨励も助長もしていこう、こういうことです。今あなたのお話によると、小さいものをたくさん持っている、これは私もよく知っております。私もそういうところを歩いて話も聞いております。そういう場合には一人々々が小さい一個ずつの自動耕耘機を持たないで、まとめた中型あるいは大きなものを持って、そうして耕すことを共同にしたらどうか。そうしてあとは自分の道具を使い、自分の作業をするということで差しつかえないことがたくさんある。だからそういう姿というものを全部否定していく必要はない。あなたのお話のように、今日さらにさらにより生産量を高めるについては、私どものとっておる家族経営の農家ということを中心におきますけれども、その面においても当然やはりそういうふうな協業に進むのがよいという場合があれば、当然その方に向かって進めていくこともあります。しかしあなたの方の一応三百万町歩開墾していく、そうして既耕地の六百万町歩と合わせて、百万単位なり八十万単位の法人によって全部やっていく、これは強制ではございませんし、指導でございましょうけれども、そういう形でなくてもいいのではないか、こういうことを申しておるわけであります。

○江田三郎君 総理ちょっとお答えをいただきたいのですが、一体どのくらいのトラクターを使ったらいいかとお考えになっておりますか。それによって土地改良のやり方も全部違うのですから。だから農林大臣のように、ああもある、こうもあるでなしに、あなたは一体どのくらいのトラクターを使わそうという考えを持っておるか、それによって同じ協業といっても、協業の内容が違ってくるわけですから。

○国務大臣(池田勇人君) 政府がどれだけの馬力のトラクターを使わそうときめ得られましょうか、それが問題でございます。それでどれくらいのトラクターを使うならば、その耕地面積は一区画どの程度のものであったなら、という問題でございます。今の三馬力前後の耕耘機で、そうして一反の田をやっております。そうして曲がりかどに来ると、牛や馬を使うのとあまり効果が違わない。しかしやはり農民としては子供の関係、嫁取りの関係から耕耘機を置いておる。そこで耕耘機をどれだけにしようかという点には、農地をどれだけの区画にしようかということがつけ加わってくるわけです。その農地の区画の問題は、農民の土地に対する執着というものをわれわれは忘れるわけにはいきません。そこで、江田さんがどれだけの馬力の耕耘機が適当かというときには、私はどれだけ農地が集約できるかという問題、それじゃ、十町歩の一区画にするときには、今まで一反ずつ十町歩のところであったならば、百人が一人の人に渡してしまう、あるいは百人の人が共同経営でいくか、それから先の問題でございますから、耕耘機がどれだけの馬力であるいは一尺がいいか一尺五寸の掘り返しがいいかということは、私は専門家でございませんからお答えできません。問題は区画だと思います。

○江田三郎君 それは逆になるわけです。どういうような機械を使うかということによって、今後のたとえば土地改良をするにしたところで、単位面積をどうしなければならぬかということが出てくるわけです。何馬力の機械ということを国が指定できますかと、こう言われますけれども、それじゃ、一体パイロット・ファームというものはどうするのであります。モデル農場というものはどうするのであります。モデル農場とかパイロット・ファームというものは、農民にこれからあるべき日本の農業の姿を示しておる。そのときに国は一体何の経験もなしにやるでありましょうか。そうじゃなしに、十年後の姿、日本の農業のこれからの姿というものはこういうようなやり方をしてもらいたいのだということを示していくわけです。そうして、この実物を通じて農民諸君にそれがそろばんに合うかどうかということを見てもらうんです。そういうときに、何の経験もない、今のような話であっては仕方がございませんが、ただ私はこの問題についてばかり時間を取るわけにいきませんので、一つお尋ねしておきたいのは、この最初の農林省の案でいきますというと、協業の促准ということが言われております。ところが政府案でいきますと、協業の助長ということをいっておるわけであります。少なくとも私たちが言葉をそのまま受け取った感じからいきますというと、促進と助長とは、非常にウエートが違うわけなんであります。さすがに基本問題調査会は、いろいろな専門家が集まってそうして日本の農業の今後のあり方についていろいろ検討した結果、もっともっと、協業といってもよろしい、共同といってもよろしい、農林大臣が同じような言葉だというならどちらの言葉を使ってもよろしいけれども、それを高めていかなければならぬのだ。しかも、これはたとえば一つの脱穀機を通じてみんなが集まるとか何とかいうような小さなものでなしに、もっともっと大きい構想を持たなければならぬのだということが言われ、そういう方向に持っていく以外に日本の農業を国際農業の競争の中に置くわけにいかぬのだということが考えられて、強い促進という表現をされたと思う。なぜ一体促進という表現をわざわざ助長という言葉にお変えになったのか、その点をお聞きしたい。

○国務大臣(池田勇人君) 私はその経過はよく存じませんが、促進というか助長というかという問題は、やはり農民の気持、そのときどきの情勢その土地の事情等によってきめるべき問題だと思います。もし促進と助長に違いがありとすれば、促進しなければならぬ場合もありましょう、助長でいい場合もありましょう、すべてそれは時代によっても違いましょう。そこで、そういう促進なり助長なりをしようとするための農業基本法で、そうしてこのところはもっと促進でいくべきではないかということは、昭和三十八年度ぐらいにお考えになり、それからあるところは昭和四十年には、これは助長ぐらいでいいのじゃないかというふうになってくると思います。従ってこの農地の問題は、各年々々に法制的、財政的にとろう、こういうことが今度の農基法のあり方であります。

○江田三郎君 まあ、そういう表現ならとにかく昭和三十六年度農業基本法というだけのものであって、少なくともこれからの農業憲法といわれたり、あるいは農業に百年の大計を与えるんだというようなことにはなってこないわけでありまして、そういう答えでは、日本の農業の国際農業との競争なり、あるいは所得の均衡なり何なりについて非常に甘く考えておられるのか、もしくは農業を発展させないことが、都市に対する低賃金労働者の供給源としていいとお考えになっておるのかどちらかだということになると思うのであります。そこでこの経営の問題はそういうことになりましても、もう一つ問題になってくるのは、消費構造が違ってきた。従来の澱粉から優良な蛋白や脂肪に変わってくるのだということで、さらにまた国際農業との関係もありまして、日本農業の中にもっとふやさなければならぬものもあるし、減らさなければならぬものもある。そういう中で選択的拡大ということを言っておられますが、一体、選択的拡大ということでこの農業経営を変えることができるのかどうかということなんであります。今、総理御承知のように、この一日当たりの労働質金を計算してみますというと、米の場合は九百円をこえております。そうして牛乳の場合には二百円にしかなっておりません。しかし、今われわれとしては、もう米というものはだんだんと、消費の増大ということはないんだ、そろそろ限界に来たんだという考え方をしており、また、政府の方の今後のこの農産物の計画を見ても、米はそうふえるようになっていないわけであります。反対に畜産の方は九倍にするんだ、七倍でしたか、九倍でしたか、そういう数字をあげておられるわけであります。そういう中で、選択的拡大選択的拡大と言われるけれども、だれが一体九百円の米を捨てて二百円の畜産に移るものでありますか。選択的拡大ということは結局はできないじゃありませんか。少なくとも、この選択的拡大ということを現在の価格制度をそのままにしておきますならば、米ばかり作るということになるでしょう。発展させなければならない、成長させなければならないところのものは、成長しないということになるのでありますが、そういう点についてどういう見通しを持っておられるのでありますか。

○国務大臣(池田勇人君) 御質問の点がはっきりしませんので、答えが悪かったらやり変えまするが、この選択的拡大というのは、やはり需要の構造が変わって参ります、そういう需要増加の農産物に持っていく。しこうしてまた、所程増加の面も考えなければならない。たとえば今のお話しによりますというと、米は労賃が九百円、酪農その他が二百円。自分の方のところを申して恐縮でございますが、ミカンなんかは今年非常に高かったから千五百円くらいの労賃になるだろう、そういうところを考えまして、これじゃ大麦を作ったり裸麦を作ったりする農家はミカン畑にしろと、こうなってぐる。そうしてまた酪農も今の需要とそれから供給の場合の生産条件が違っておりますから、これを生産条件を非常によくすれば、二百円が三百円になり、五百円になるということも、これからの施策で考えられるのであります。従いまして、私はちょうど今度とりました大麦、裸麦に対しましての処置、これもお気には入らぬ点があるかもわかりませんが、長い目で見れば、この大麦、裸麦はやっぱり小麦とか、パン食に適当な小麦を栽培していくようにしていく、こういう指導が必要であると思うのであります。要は国民の農産物に対する需要の変化を見通しながら、それにマッチしてそうして生産性の上がる方法を講じていかすことにあると思います。

○江田三郎君 私の質問がはっきりしなかったと言われるんですけれども、米は、もう一ぺん繰り返しますけれども、これ以上あまりふやさなくてもいいでしょう。反対に、畜産物は大いにふやそうというのでしょう。七倍なり九倍にふやすというわけでしょう。そのときに、選択的拡大でやれと、こう言われましたところで、米は一日働けば九百円になるんだ、乳の方は一日働いて二百円にしかならぬのだ。もちろんその年間労働日数は違います。違いますけれども、こういうような大きな隔たりがある中で、将来畜産物をもっとたくさん作っていかなければならない、七倍にも九倍にもしていかなければならないということが実際にできるかどうかということ。農民は何も社会奉仕をしているんじゃないのでありまして、そろばんでやっているのでありまして、そろばんで考えて、一体、これはやれるはずがないじゃありませんか。それなら牛乳の値段というものを上げるのでありますか。しかし、今でも消費者物価の値上げ反対ということで、牛乳値段を上げるということは国民も反対しますし、消費者も反対しますし、また政府もそういうことは押えようとなさっておるわけであります。そうなってくるというと、これこれのものを、果樹なり畜産なりを振興しなければならないのだと言っても、たまたまあなたの言われるミカンは、これは統計を見ても千五百円じゃないかもしれませんが、相当高いことになっていることはわかる。しかし、ミカンよりももっと基本的な乳牛という問題を考えてみるときに、どうもこれではどうにもならぬのじゃないか。その点を一体どういうやり方で、この選択的拡大ということが将来の国民の需要構造とマッチするような農畜産物ができるような方向へ持っていけるのか、その構想を聞きたいというのです。

○国務大臣(池田勇人君) 生産の方のあれではありませんが、私はこう考えます。米はこれ以上、ある程度需要はできますよ。米は増産しなければなりません。しかし全部増産して、地域的に他に米よりもいい物がある所におきましては米をやめて他の高級野菜に移り得ましょう。こういう具体的問題はございますが、一応米はある程度はふやさなければなりませんが、全体として十年間に一割か一割五分と思っております。これはこのままにしておいてほかの物が悪いというときには、先ほど申し上げましたように、大麦、裸麦に対しての生産を減らして、そうして助長政策を講じて、パン向きの小麦を作る、こういうふうなやり方になり、そうして牛乳にも。これは消費と生産との関係はどんどんふえていくときには、これを多角的にそうして技術的に、そうしてまたこれを安くたくさん作るために飼料の問題等々いろいろな問題を変えていかなければならない。ここに行き詰まりがあるからだめじゃないかという結論じゃなくて、ここに行き詰まりがあったらどうやっていくかということを考えなければならぬ、前向きの考え方。今の大麦、裸麦あるいは今後の畜産に対するいろいろな措置、畜産措置につきましては農林大臣が専門でございますが、農林大臣の考え方は同じで、その方向で具体的にお答えになると思うのです。

○江田三郎君 だから、どうしたらいいかということを考えていかなければならぬというのだから、私はその考え方を聞かしてもらいたい。もうこれはきょうの問題なんですよ。とにかくこれからは牛乳の生産はふやしていかなければならぬのだ、畜産はふやしていかなければならぬのだ、こう言うのだけれども、しかしあまりにもこういう違い過ぎる労賃の中で、これが選択的拡大という中でやれといったところで、農家の、乳を生産した酪農家の生産者手取りというものを画期的にふやすということをやっていかなかったら、やろうとしないじゃありませんか。結局今の中でやったら、米もあるし麦もあるし、畜産もあるでしょう。まあミカンは別にしますけれども、あとは米が一番いいじゃありませんか。今まで米というものだけを植えつけてきたじゃありませんか。農民に、米を作ればいいということを植えつけてきた。農林省が何か計画を立てても米換算何ぼだ。われわれがこんなことを言ってもだめじゃないかということを言ったけれども、いつまでたっても米換算、米換算ということばかりで、米ということを持ってきたじゃありませんか。そうして、今日こういう条件が出てきたのであります。そんなら一体、片方の米の統制をはずして、しかもあるいは牛乳その他畜産物についての価格政策なりあるいはその他の政策で、どういうことをやるのか。何か、いいようにやります、いいようにやります、総理は最初からちゃんとそのときその場において最も適切なる方針をとるのだということだけを言われましたけれども、もういいかげんにありがたや節はやめて、もっと具体的に答えをしてもらわなければ、少なくとも農民諸君は安心できないと思います。

○国務大臣(池田勇人君) 私は答えておると思いますが、米はこのままで何も減少政策はとりません。やはり今後におきましての人口の増加等から考えまして、米は今の一日当たり九百円でよければこれでいきましょう。あるいは九百円でいかぬという場合もあるかもわかりません。しかし問題は、それじゃ牛乳や畜産物、畜産に対しての牧草、飼料、こういう問題になってくるわけです。これにつきましてはたとえば豚肉とか牛肉の貯蔵その他いろいろな方法をとっております。卵についてもそういう方法をとれという陳情もございますが、これは技術的にまだその時期でない。いろいろな方法をとるわけでございますが、それはどういう方法をとるかということは農林大臣からお答えさせます。

○国務大臣(周東英雄君) 私は今の江田さんのお尋ねでありますが、米については今、今日においていいことはお説の通りですが、その米をやめてかわりに畜産を作れということを今言うのならば、直ちに主観の違いの問題になるでありましょう。しかし、私どもの考えておりますのは、米というものに関して、今後、人口増の絶対数についてはいいが、その範囲においてはできるだけ作っていただくが、その作り方に対して、たとえば今日考えている田畑輪換ということ、すなわち同じ米の数量は土地改良その他によって反当収量の増による増産を現在のまま続けてやっていく、少数の面積の所で作るとして、一部は自給飼料というもので畜産をやり得るように田畑輪換をする、こういうことはさらにあくる年はその畜産飼料との関係で輪換された地域における収量の差があるということもございましょう。そういうことからして、米の収入の上にプラス・アルファーしてくるということは一つのねらいであります。従ってまた、お話しのように、米がいいからといっても、これはたくさんどんどん作っていく、これは需要以上になりますると、国民経済の上からはそれは損でありますから、もうかる、売れるものを作っていこうというのでありますから、この米というものは同じ数量をさきにいったような形で作って、その上にさらに需要の伸びる畜産、果実を作ることによって、さらに農家の所得の上にプラスされることを考えていく、従って土地に関しては牧野というものを新たに造成するということは、先ほども土地造成についてお答えした通りであります。ことに所得倍増に出ておりまする公共施設の中には牧野の問題は含めておりません。草地改良造成ということに対しては新しく考えております。そういうものについては新しくそこにプラスされた畜産経営が行なわれる、こういうことになります。

○江田三郎君 そういうようなことを、何を言っておられるのかよく、わからぬのですが、やはり今でも土地を開くといったら、お百姓は水田を作るということを第一に考えるわけです。何も将来、米を何ぼ作るか、麦を何ぼ作るか、あるいは乳を何ぼ生産するかということは、これは農民自身がやるわけですから、農民としては何が一番割に合うかということを考えてやる以外にはないわけです。そうするというと、現在のような一日当たりの労賃から考えるというと、選択的拡大という言葉は使っておられますけれども、そんなことでは将来、そういう食糧の需給構造というものは変なことになってしまうのではないかということでありまして、これは今の答えでは答えになっておりませんが、ただたとえば畜産については牧野の改善、あるいは草地の改善なり、あるいは新規の開墾などをやるのだ、こう言われましたが、それなら一体先ほど総理は十六兆円の中の農業の一兆なんということは意味がないのだ。意味がないのならどうもこういう数字をもとにしてわれわれ論議するのもちょっと困るわけでありまして、それならもっと意味のあるものを出していただきたいのでありまして、少なくともこれからの農業をどうするかという今年の問題でなしに、これから十年、二十年先の農業を考えるのに、やはり他の国民経済全体が十年、二十年、どういう構想を持っているかということと関連して考える以外にはないわけでありまして、これはまあ大して意味がない、参考にはするけれどもと、こう言われたら取りつく島がないわけでありますが、この「行政投資実績および計画期間中の投資額」という中に、いわゆる農林水産業一兆円でありますから、その中の農業というものは、まあ常識的に、達観的に申しますと、その七割か七割五分ぐらいになると思いますが、その中で注釈の中に、「農林水産業」と書いて「農業基盤、奄美、災関、愛知公団、機械公団、」云々、こう書いてあるわけでありますが、カッコをして「農業共同施設をのぞく」とこう書いてあるのですが、この「農業共同施設をのぞく」というのは、どういう内容なんですか。

○国務大臣(池田勇人君) 私はそこまで読んでおりませんから、事務当局からお答えいたさせます。

○国務大臣(周東英雄君) これは農業の公共施設のほかに、たしか四千億円余と思いますが、これは農業機械とか施設の関係として別にあるはずであります。

○江田三郎君 とにかくこの数字がただ参考だけだというなら仕方はありませんけれども、かりにそういうようなものがあるとしましたところで、どうもこういうような数字で総理もこれは政治じゃない、こんなことはあまりにも合理主義で、経済合理主義ばかり政治じゃないと言われましたが、従ってこれはうんとふえると思いますから、それならそれで今後農業等に対する投資、あるいは融資というものを十年間におよそどのくらいに見ておられるのかという資料を出していただきたいと思うのであります。そうしないというと、選択的拡大ということが、ただ底の方の裏づけがなければ価格の面だけで調整をしていかなければなりません。そうするというと、先ほど申しましたように米の統制は一体どうするのかということにすぐぶつかりますし、あるいは牛乳の価格はどうするのかという答えを出していかなければ、何としても選択的拡大では食糧の将来の需要構造の、需要供給の関係ということはうまくいかぬということははっきりするわけでありますから、そういうことについてもっと農民諸君が見て安心する数字を出していただくことをお願いしておきます。

 そこで価格の問題を問題にいたしましたが、この価格について一体政府のこの基本法の考え方というものは需給均衡価格ということになると思うのでありますが、そういう需給均衡価格ということだけでやっていけるのかどうかということなんです。われわれはすでに米については生産費・所得補償方式ということを考えておりますし、また価格だけにたよるということはこれはできない。できないけれども、しかしながら、他産業従事者との所得の均衡をとろうということになるならば、当面やはり価格における調整ということが非常なウエートを持ってくるわけであります。今後の生産基盤の改善であるとか、構造改善であるとかいうことは、そうすぐに実を結ばぬのでありますから、その中に年々と所得の格差は開いていきつつあるわけでありますから、そういう中においてはやはり当面価格面において調整するという役割が大きいことは否定できないと思う。そのとぎの価格に対する考え方は需給均衡価格という考え方であくまでおいきになろうとするのかどうかということ。

○国務大臣(周東英雄君) 私は原則としてはやはり農業者に対しての親切さから言いましても、よけいに物を作って売れなくなったり、上がったり下がったりということではいけないので、やはりそれは大体先ほども出ております長期の見通しに立っての生産を進めていくということが、私は必要だと思います。その意味におきましては需給均衡ということが原則であろう。しかしながら、御指摘のように米についてはすでに生産費・所得補償方式というような形で計算の体系もおよそできております。しかし重要農産物その他については、価格安定法に基づいて別の方式をとっております。それから蚕糸価対策についても別の方式をとっております。こういう点を見ますと、私どもは今後需給の見通しのもとに立って生産をして、損をさせないように価格を安定させるつもりであります。それは原則でありますが、しかし、御承知の通り農産物の生産状況なり、あるいは流通過程において弱い立場にありますこういうものについて、必要があればそれぞれの価格政策を立てることもある、こういうことは、はっきり申し上げておきます。

○江田三郎君 需給均衡価格ということになってくるというと、そこで貿易自由化の問題ということが大きくからんでくるわけでありまして、私はさっきも申しましたように、たとえば消費構造の変化という中で、畜産なり果樹なりというものを成長作物としてみるのだというのに、現在の需給均衡価格では牛乳は一日二百円にしかならず、米は九百円になるのだ。従って、これではとても望むような農業生産が十年後において、耕種農業は五割増しで、畜産は九倍になるというようなことにはなっていかないのだ。そこでそれを補う、もしその価格政策について需給均衡価格というものをとっていくのなら、それならば思い切ったこの構造改善のための国の投資ということがなければならぬということになるわけです。ところがその国の投資についても、先ほどの説明ぐらいではとても追っつくものではない。これは計算してみればわかりますけれども、とても追っつくものではないわけであります。そこであらためて時間もありませんからしでいいかげんにしておきますが、この国の投融資の計画を出していただきたいと思いますが、ただ長期の見通しという問題があるわけですね。長期の見通しというのは一体価格について触れるのか触れないのか、長期の見通しというのは、米は何ぼであろう、牛乳は何ぼ飲むであろう、豚肉が何ぼ要るであろうということなのか、そのときに値段をつけるのかつけないのか、その点どうですか。

○国務大臣(周東英雄君) 長期の見通しでありますから、やり方としては二通ある、これは過去の実績に基づいて、それを経験的な検証に基づいて引き伸ばした形における将来の需給の見通し、それに対して意欲的に政策的な考慮を加えた見通しというものが別個にあると思います。私どもは、これは実績に基づいた見通しだけでなくて多分にそこには将来における政策的な立場に立っての意欲的な見通しが立てられるものと思います。これには相当な幅を持った形でもって私はいきたい、こういうふうに思っております。その際において政策的見通しに立った数量というものは、そこに価格政策を織り込むかどうかということでありますが、これはどうかということでありますが、これは私は別個の立場において価格をどうするかということを考えるべきであって、一応将来に向かっての需要の伸びというものに対してどれだけ供給しなければならぬかということの見通しには、私は必ずしも価格を何ぼとすることによってということでなくて、数字的に私はすらっとしたものを出す、それを達成するためにどうするのかという問題は江田さんの御指摘のような問題が出てくる、かように考ええております。

○江田三郎君 だから長期の見通しについて、たとえば牛乳は幾らになるだろう、あるいは豚肉は何ぼ生産するであろうという場合には、もしそれだけに終わっておれば、豚肉は今後二倍になるのだ、牛乳は三倍になるのだということだけ示されるということになると、勢い成長性の高いもので一つやろうじゃないかということで農民諸君はそれと取っ組むということはこれは必至でしょう。じゃ、そのときに一体値段がどうなるかということは一向わからぬのだということでは、あまりにも長期の見通しを示したことに対する責任性がないといわなければなりません。当然長期の見通しを示すのなら、そのときの牛乳の価格はこれくらいであろう、豚肉の価格はこれくらいであろうという一つの予示価格というものが示されなければならず、予示価格を示した場合には、当然それに狂いがきた場合には、補償をどうするかということまで発展しなければならぬのでありまして、ただ将来これは何ぼふえるだろう、これは何ぼ減るだろうということは、これでは私は全く意味がなくてかえってそのために大へんな混乱をしてくるのではないかと思うのです。だから長期見通しを示すのならば予示価格ということが問題になり、予示価格を示すならそれに狂いがきたときの補償というものを農民に与えていかなければ農民に対して親切でないということになるわけであります。一体その見通しが狂った場合には、だれが責任を負うのか、だれも責任を負わない、補償もしない、こういうような長期の見通しというものはあり得ないと思う。

○国務大臣(周東英雄君) 私は必ずしも初めから価格をこのくらいにすると、こうするということを示すことが長期見通しということでなければならぬとは思いません。ということは、実際上の需給の関係の状態、その場合における価格はどうあるべきかということは、その価格に沿いつつ、需要供給の関係に照らしてそうして生産させなくちゃ、従来は、価格の方をおよそきめて、そうして生産の数量をきめましても、これがもしも需要に合わなければやはり損失を与えるものである。一応作ったものが売られて損をしないようにするためには、需要に応じた生産をさせることこそが私は必要だと思います。また御指摘の問題はそういう場合にあまりに価格が安過ぎたら作らぬだろうということでありますが、それは別に私は考えるべきことだと思います。

○江田三郎君 そこで最初に私は申し上げました、一体日本農業が今日行き詰まったのはどこに原因があるか、われわれは政治の責任ということを痛感をしているわけなんです。そうしてこの日本農業を建て直すためには、政治というものがもっと責任を負わなきゃならぬということを言ったわけなんです。長期の見通しといいましたところで、たとえば農林大臣は過去における、農林省のやったことを一つずつ検討していただきたい。桑を抜いたら繭が上がったり、そうして今度は養蚕振興だというからやれば今度は下がってみたり、皮肉な言葉を吐く者は、大体政府のやり方と反対のことをやっておれば間違いないでしょうというようなことを、皮肉な言葉ですけれども、そういう言葉さえ農民の間に伝わっておるわけです。政治に不信感を持っているわけなんです。そういう中で、これは当たるか当たらぬかわからぬけれども、長期の見通しを示すのだ。長期の需要の見通しを示すのだ。しかし、それが当たろうと当たるまいと、それで過剰生産が起きようと、あるいは品不足になって値が上がろうと、消費者も生産者もこれはお前たちの勝手だというのでは、これでは少なくとも農業基本法というようなことじゃないのじゃないかということなんです。少なくとも国が責任を持ったやり方じゃないのじゃないかということなんです。

 私はほかにもまだいろいろお尋ねをしたい問題があるわけでありまして、たとえば衆議院で審議をされなかったこの農地の一子相続の問題、これが憲法との関係はどうなるか、これはなかなか問題になろうと思います。いい悪いにかかわらず現行憲法との関係がどうなるかということが問題になってくるわけなんです。それから教育の問題にしましたところで、二次産業なり三次産業なりのそういうところへ出す人材を養う費用というものを、農民が負担をしていかなきゃならぬ。今日この新規卒業というものが他産業へ流れておる率はかつてのような率とは違っておるわけなんですし、そういう中でこの教育費というものを農民が負担をしていく、たとえば跡取りには農地を与える、そのかわり次男坊三男坊は跡取りが相続すべき農地の中、財産の中から教育費を払っていかなきゃならぬというようなことで、そういうやり方で農民の蓄積を減らしつつ他産業の従事者の教育をするということがいいのかどうか。従って、この教育の問題についてももっと、たまたま教育の拡充ということが出ておりますから、そうなればここにも問題にしなきゃならぬ点があるわけなんです。あるいは補助金の問題についてもそうです。補助金の問題だったところで、この零細農中心の補助金というものを、今後ほんとうに経営を近代化していくのだ、あるいは協業といおうと共同といおうと、ともかくももっと大規模の機械を使って近代化していく、あるいは資本の装備を加えていかなきゃだめなんだということになれば、補助金のあり方が全部違ってくるわけなんです。

 さらに流通市場の問題につきましても、農家が一生懸命牛乳をしぼって一升が四円五十銭しかならぬが、われわれはそれを十四円で買っていると、この流通機構でいいのか、いろいろな問題があるわけであります。多くの問題がありますけれども、私の与えられた時間がオーバーしまして、先ほどからたびたびこの時間切れの、時間がないという通知を受けましたから、また総理もきょうはほかの予定を持っておられるようでありますから、しつこい質問しませんが、ただ私が申し上げたいのは、私どもは何も社会党の農業基本法だけが絶対的なものとは考えておりません。われわれの考え方にもいい点もあればあるいは足らぬ点もあります。あなた方にも同じような問題があるわけです。少なくとも私は今質問した中では、私が疑問とすることについて、また多くの農民諸君が疑問とすることについて的確な答えを得ておりません。そういう点についてもっと私どもはフランクになって、もっといい農業基本法を作るために共同責任としてもっと一生懸命やっていかなきゃならぬのじゃないかということを考えておるわけでありまして、私どもが継続審議ということを衆議院段階で言ったのも、要はこの国会の時間ではそこまでの仕上げができないじゃないかということを心配して言っておるわけなのであります。どうか総理もそういう観点からこの基本法、ほんとうにわれわれがあやまちのない基本法を農民に示すためには、あくまでも慎重な審議を、どこまでも慎重な審議を尽くして、そうしてお互いに譲るべき点は譲って一つのりっぱなものに仕上げるという気持でやっていただきたいということを申し上げまして私の質問を終わります。(拍手)


1961/05/10

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