1977年5月1日 著作:>>新しい政治をめざして 戻るホーム著作リスト

江田三郎講演録 (埼玉県草加市文化会館)【音源MP3(7M)

どうも皆さん、ありがとうございます。

いつもはもっと元気がいいんでありまして。西浦君とこへも何回か応援に参りまして、皆さんとも、お顔を合わせておるわけでありますが、もっと元気がよかったと思います。ところがちょっと元気がないのです。

それというのは、3月の2日に、私が社会党を離党するんじゃないかということが新聞種になりましてから、朝から晩まで新聞社に追っかけられて、お目にとまったかもわかりませんが、私が新聞記者を相手にしてくたびれて、風呂へ入ってタオルを頭の上へすけてウトウトしている、そういう写真まで知らんまに撮られる。あんな写真を出したら、せっかくの選挙の候補者が、票が20万票ぐらい婦人票が減るぞと。その間に今度出しました本も書かなきゃならない、ほうぼうへ講演に行かなきゃならん。全くきりきり舞いをいたしました。

私非常に健康なんで、病気ということをしたことがないんでありますが、今回は不覚にも蕁麻疹にやられまして。そうすると腰がいたくなる、腕が抜けるような。30年分の病気がいっぺんに出てきたようなことで、ちょっと元気がないわけです。

みんなが心配してくれて、「少し休養せえ」と言ってはくれるのでありますが、さて明日の予定はどうなっているかと聞き、日程表を見るとやっぱし朝から晩まで日程は詰んでまして、休養なんてのはありゃしません。

今日も朝9時に世田谷で集会をやって、こちらへ帰りました。帰ればまた今晩用事があるわけであります。そんなことから少しこうくたびれましたが、もう峠は越しました。2、3日もすれば、今度こそ3日程休養をもらって休めば、元気になれる自信がございます。

私が、社会党をどうして飛び出したのか。私にとりましてはなかなかこれは決断のいることなのでありまして。学校を途中やめして、今の社会党の前身である全国大衆党というのに入りました。1年もすると小作争議で監獄へ10ヶ月放り込まれ、出てくると今度は戦争が始まる。お前は戦争に反対しているというので、また2年半監獄へ入れられる。

そういうことを通じて、いうならば、これまでの一生を社会党と共に歩んできたのでありまして、その社会党から離れていく。しかも今度の場合には、一人で離れる。一緒にやろうという人が随分おるわけではありますが、まあ今度は一人でやらせてくれと。新しい政治集団を作りたいから、というのでみんなと別れて出るということは、なかなか心境複雑なものがございます。何故そうなるのか、それは今度の本の中に書いておりますから、またご覧いただきたいと思うのでありますが。

今日、私が朝、新聞を見ると、私の家内が社会党から除名になったというのが記事になっているのであります。ちょっと皆さんおかしいことありませんか。私が社会党を離れたらですね、除名にはならんのですね。離党を認めると、こうなっている。ところが、私が社会党を離党すれば、私の家内やあるいは秘書はどうしたらいいんでしょう。やっぱしこれは一緒に出ていく以外ないでしょう。だから離党届けを出したら、おやじの分は離党は認めるけれども、家内や秘書の分は認めない、除名すると。除名というのは社会党で言えば死刑の宣告ですね。ちょっとおかしいことありませんか。何かこの人間性というものがすっかりなくなっちまって、何か統制とか規則とかいうことだけが、表に出る社会党になってんじゃないのか、私はそこに一番問題があると思う。

だから埼玉県でも皆さんご承知のようにですね、社会主義協会というのがだんだん大きくなって、これは一体何を言うのか。マルクスレーニン主義のプロレタリア独裁でなければ社会主義じゃないと、そうでないものは社会党の本筋じゃないと言うわけです。だけどこれみんなわかりますか。マルクスレーニン主義のプロ独裁の、つったところで何のことかわかりゃしない。一体この政治というものはですね、妙な理屈を言っとればいいんじゃないのでありまして。

例えば今奥さん方の台所から言えば、沿岸200海里で、これに便乗した要素も多分にあるとは思うんでありますが、魚が大変な値上がりをしている。何をおかずにしたらいいのか、あるいはどういうような食生活をしたらいいのか、そういうことについて、みんなの意見が正しく反映されるのが、正しい政治であって、マルクスレーニン主義がどっちに転んどろうと、これ関係ないことですね。その関係ないことが一番大事にされるんだから、これちょっと話にならんわけですよ。

今の世の中というのはですね、あのアメリカが今度カーター大統領になりまして、エネルギーの消費規制という事をやるわけですね。アメリカの文明というのは、これは自動車の文明ですよ。それを今度は、ガソリンを使っちゃいかんと言い出したんでありますから大変なことです。

しかし考えてみるとですね、冬の寒い時に暖房をきかせて、上着を脱いで仕事をしなきゃならんというのはおかしいんですよ。そのおかしいことがおかしいと感じられないでやってきたが、もうここでひとつの限界にきたわけ。持てる国のアメリカがそうなんで。日本なんかもっと早くですね、そういうことに気をつけていかなきゃ、ガソリンは1滴もないんだし、沿岸200海里で魚は捕れなくなるんだし、何もかもありゃしない。

お百姓の農業にしてもですね、農薬やってる間に田んぼの土質が非常に悪くなる。今年寒さが厳しかったんでありますが、昔ながらの堆肥をやってるとこは余り被害を受けないんですね。金肥ばっかりでやってるところは、どかんとやられてる。

こないだも私は田舎へ帰って聞いていまして、ちょっとこう、吹き出しもしなかったのですが、そんな気持ちになったのはですね、農家の人がね、卵の共同購入をやっているんですよ。つまりもう働くという喜びがないわけでしょ。何かお仕着せの暮らしをしなきゃならんようになってる。実は私は政治というのは、そういうことをもっと深く考えなきゃいかんのだと思うんです。それでこそみんなの政治になるわけです。

だから今度、私たちは社会市民連合というものを作ろうと。これはどういうことかと言うとですね、簡単に言えば、社会市民連合の社会というものは社会主義ということなんです。ところが社会主義と言ったらマルクスレーニン主義、ロシアの社会主義、中国の社会主義、どちらかということをよく言われるのでありますが、私たちはどちらでもないと言うんです。私たちは社会主義というものをそんな難しく考えていないんです。

人間というのものは何を追求するんだろう。やっぱしみんなが自由でありたい、みんなが平等でありたい、みんなが手を繋いでいきたい、そのためには社会保障というようなことも、きちんとできなきゃならん。そういうことを目指して、みんなが足並みを揃えていこうというのが、これは私は何主義であろうと人間の理想だと思うんです。

社会主義というのは難しいことじゃないのでありまして、そういう自由で平等で最低の生活が保障された中で、みんなが仲良くするために、何が邪魔ものになっているのかと、その邪魔ものをひとつずつ取り除けていこうと。だから邪魔ものというのは、ひとつの邪魔ものを取り除いても、また次の邪魔ものが出て参ります。だからいつまでもいつまでも、これは終着駅はないのですよ。どんな世の中になっても矛盾があるのです。それを目指してやっていこうというのが、私たちの言う社会主義です。

残念ながらそういう主張を私たちがしましても、社会党の党内では、あいつはマルクスレーニン主義じゃないからだめだと、こうやられる。私にとってはマルクスレーニン主義でも、何やらでもいいじゃない、どっちでもいいじゃないか、マルクスレーニン主義というのが目的じゃないんであり、社会主義が目的じゃないんであり、みんなの幸せを築くことが目的なんだから、それから言えば少々意見が違っても、みんな一緒にやるべきではないかと言うのを、そういうことはけしからんと言うんだから、別れていく以外にはない。

その別れていった時にですね、もうひとつ私たちが考えなきゃならんのは、国民のみんなが社会党を支持しとるわけじゃない。むしろ今の世の中は、大体国民の3割、まあこの辺の団地でいけば4割以上はどの政党も支持しないという人でしょう。そんなら政治なんかどっちに転んでもいいのかと、そうじゃない。政治は良い政治をしてもらわなきゃならんけれども、今の自民党は元よりだめ、さらばといって、革新というどの政党も信頼するに足らんと、こういう人が4割からおるわけ。こういう人は、実は政治の革新を望んでるんですから、我々と一緒に手を繋ごうじゃないか。僕たちは自由な社会主義、これを求めている。

支持政党のない皆さんも強制されない、自分でものを考え、自分の考え方に従って動きたいという考え方を持っておられる。こういう皆さんが一つになることが大事なんじゃないか、それによって日本の政治が良くなるんじゃないか。その時にですね、みんな手を繋ごうというというのなら、政党の本部というのが、何か上の方にあって命令を下すようなことをやめようじゃないか。みんな対等でいこうじゃないか。

例えば日照権の問題がある、あるいは下水の問題がある、そういうことについて政党がこれはこうだと言って押しつけるんじゃなしに、みんなで相談してみようじゃないか。ただ、そこに地域のエゴも出て参りますから、意見が一致しないかもしれない。しない時にはこっちが正しくてこっちが間違いだとかいうような決めつけ方ではなしにですね、その間をどう調整していくか。だから私は、私たちの政治集団には統制委員会というのは必要ないんだと、調整委員会があればいいんだいいんだと。それでもそんな生ぬるい事を言って話がつかなかったらどうするのか。つかなきゃつかんでこの問題についての意見が一致はありませんと、そういうことを世間に発表したらどうかと。

そうすると世間は広いんですから、局地的な考え方でなしに全体を考え、あるいはもっと広い視野から、これはこうした方がいいんじゃないですかという意見も出てくるだろう。そういう中で段々と、このコンセンサスを作り上げていけばいいんじゃないか。そういう考え方で社会市民連合。社会市民連合と言っていますが名前が長すぎる、もっと簡単にいかんのかと言われるから、それは市民連合だと、こう言っているんです。大きな労働組合へ入っていなかったら、ものが言えんとかっていうことではなしに、圧力団体でなければものが言えんということでなしに、零細企業の人も、未組織の労働者も、誰もが気安く集まって来て、気安く話し合いができる、そういうものを作っていかなかったら、これからの政治はうまくいかんと思うのであります。

今の世の中はですね、もう自民党なら自民党というものが、ひとつの政党で国民の半分以上をカバーするということはもう不可能です。ヨーロッパを見ても、政党というのは非常にたくさん分かれているわけですね。アメリカなんかは、共和党と民主党とがあります。ところがあのニクソン大統領を追放した時には、ニクソンは共和党の人ですが、共和党の議員までがニクソンを反対なんですよ。党には属するけれども、大事な問題については議員が個人個人が自分の判断で行動すると、こういうことになっている。

だからもう、一つの政党が党議で決定してというやり方は、もうそれはできなくなっている。みんなの考え方が多様化してるんですから、どうしても政党というものは多党化時代です。多党化するということは、ひとつの党が連合していかなかったら、他の党と連合しなかったら、政治はやれんということなんです。じゃ連合の時に何が一番ものを言うかと言えば私は政策だと思います。どの政党がどういう政策を持っているかということが一番大事なんです。

私たちはまだ小さいんです。こないだもイギリスのサッチャーさんがやってきました。イギリス大使館に晩餐会に呼ばれました。大使館の人が「前の社会党の副委員長の江田三郎だ」とこう言ってサッチャーさんに紹介したのですが、よくわからんだろうと思って、「社会党を出たばかりで、目下国会議員ゼロ政党の党首であります、江田三郎だ」とこう言ったら、あの人なかなかお世辞の上手い人だから「そのうち大きくなるでしょう」と言うから「私はあんまり早く大きくなろうと思っていないんだ」と、数だけがものを言うんじゃないんです。これからは政策です。

今の野党というものはですね、政策、逃げているんですよ、難しいことは逃げとく。どうせ与党が何かやる、出してきたら悪口を言う、そういう習性がある。私はもう小さくてもいい。幸いにですよ、こっちは、口幅ったい言い方になるかもしれませんが、私は日本のですね、いろんな優れた学者や評論家はどの政治集団に一番集まっているかと言えば、私たちのところへ一番集まっているという自信があります。そういう人の頭脳を100%使ってもらって、日本が解決をしなきゃならん課題について、真正面から取り組んで行く。それも今鮭鱒がとれんから鰯や鯖をなんとかしようという、これも大事でありますけれども、これから5年先10年先に一体日本はどうなるのか、どういう文明を築いたらいいのか、どういう生活様式をしたらいいのか、そこまで根幹にふれた取り組みをしていきたいと思うのであります。

私は一人で社会党を飛び出して、こういう決意でやったんでありますが、国会議員のほうは,、みんな待ってくれと言うと、まあそんなら参議院選挙終わるまで社会党を飛び出ることをやめようかと言っておりますが、地方議員は西浦君もその一人ではありますが、次々にもう今の社会党じゃだめだというので、はせ参じてくれまして。おそらくたった一人でやると言ったのが、参議院選挙では全国地方区10人ぐらいな候補者を立てて戦うことになりそうであります。

言うなれば、こういうことを国民の多くの方々が、期待を持って待っておられたんじゃないかという気もいたします。社会党も大きく変わります、変わらざるを得ません。同時に労働運動も、すべてが変わるきっかけになるんではないかと、まあそういうことで大いに張り切っておるわけであります。

今日はこういう私のために、出版記念会を開いていただきまして、本当にありがとうございました。どうもありがとうございました。


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