2002/02/20

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津島委員長 引き続き議事を進めます。
 これより参考人鈴木宗男君に対して質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。浅野勝人君。
浅野委員 単刀直入に伺います。
 鈴木宗男参考人は、就任したばかりの議院運営委員長を今月四日に辞任をされました。重い公職を退くということは非を認めたことを意味する場合が多いと存じますが、なぜおやめになったんですか。
鈴木参考人 浅野委員の質問にお答えする前に、委員長初め委員の皆さん方に、私のことで大変御迷惑をかけていることを、まずもっておわびを申し上げます。
 また、大事な国民生活を守る予算審議が行われている、そのことが遅延したり遅滞したりしてはいけない、こんな思いもありまして、私は議運委員長の職をみずから辞させていただきました。特に、私の名前が出たことによってのこの国会の停滞といいますか、委員会が一日たりともおくれるという現象はいけない、こう思ったものでありますから、私から身を処したということであります。
浅野委員 これまで問題になってきたNGOのアフガン支援国会議のオブザーバー参加の件ですが、鈴木議員が外務省に圧力をかけて、特定のNGOの出席を取りやめさせたという指摘があります。その一方で、去年十二月の六日の自民党の外交三部会という公の席で、NGOのあり方、なかんずくNGOに対する外務省のお金の使い方について問題を提起し、結果として鈴木議員の指摘どおりになりました。
 この間の関連と経緯をお聞かせいただきたいと存じます。
鈴木参考人 昨年十二月のNGOの東京会議ですね、アフガンの。それと、一月二十一、二十二のアフガン支援の国際会議ですね、政府主催の。今までの議論を聞いておりますと、一緒に混同されている嫌いもありますから、この点は明確にさせていただきたいと思いますが、あれは昨年の十二月の中ごろ、十日、十一だったと思いますが、都市センターホテルでNGOの皆さん方がNGOのアフガン支援の会議を開くということになりました。
 あれは十二月の六日の外交部会であったと思います、自由民主党の。そのとき、NGO側から外務省に対し資金協力の要請があったと。そこで、外務省は、草の根無償資金で対応したい、こういう説明をされました。そこで、私は、草の根無償資金というのは海外でのみ使えるお金であって、国内での宿泊費だとか、あるいは飲食代だとか飛行機代には充当できないのでないだろうかというお話をしたんです。そのときは外務省も結論が出ませんで、次の部会で調べて返事をよこしますということでありました。
 そして、その結果、これは二十日の日に、これは外務省がペーパーも部会で配りました。外務省の中で調べたところ、草の根無償資金というのは海外でのみ使える公金であって国内では使えません、それが外務省での結論でありますから、そのようにさせていただきますという答えをいただきました。これは平場の議論でありますから、明快でないかと思っているのです。
 同時に、今最初の先生の御指摘で、NGOの排除について鈴木宗男の圧力があったかないかという御指摘もありましたが、私は、特定のNGOについて言及したことはございません。
浅野委員 それらのことに関連して、暮れの十二月十八日にピースウィンズ・ジャパンの大西代表と議員会館の事務所で鈴木議員は会っているそうですけれども、大西代表は記者会見で、たびたび鈴木に呼ばれ、言動にクレームをつけられたと言っています。本当に鈴木議員が呼びつけたのですか。
鈴木参考人 私も、大西さんが記者会見で、私に四回呼びつけられ、どやされた、怒られたという表現をしておりますが、はっきりしておきますが、私の方から呼んだという事実は一回もございません。同時に、四回のうち、大西さんが来られたのは二回であります。ほかの二回はほかのNGOの方々でありまして、大西さんが来られたのは二回ということであります。
 この点、呼びつけられたという印象と、先方から来たという印象では、おのずから私は受けとめ方は違う、こういうふうに考えております。
浅野委員 その際、あいさつにも来ないで何だ、税金を集めているのはおれなんだ、こんな行儀の悪いNGOへの支援は考え直さなきゃならぬなどと鈴木議員が言ったことになっています。
 呼びつけて圧力をかけたことはないというお答えですが、あなたの話し方や態度が威圧を感じさせるような誤解を与えたのではないかと思いますけれども、本当にこのような発言をなさっているのですか。
鈴木参考人 あいさつにも来ないで何だ、こういう私は表現はしていないのです。
 これは、十二月の十八日、大西さんが私のところに来ることになっておりました。ところが、何の連絡もなくそれはキャンセルになりました。そこで、かわりに来た方に、電話一本でも済むんだから連絡があってしかるべきでないかという話をさせていただきました。
 あと、税金を集めているのはおれなんだという表現はしておりません。私自身、国税庁の役人でもありませんから、そういう認識は持っておりません。私がお話をしたのは、皆さん方は一生懸命ボランティア、NGO活動をやっておりますね。しかし、その皆さん方の海外での活動資金は国民の税金ですね。その税金は予算で措置されて、それは国会で審議されているんです。その国会の審議というのは、与野党さまざまな意見があって、大変な議論を重ねてこれは成立をさせているんです。その国会審議の重みや国民の税金で活動しているということをぜひともおわかりいただきたいということを私は話をさせていただきました。
 また、こんな行儀の悪いNGOには支援はできない、こう言ったことはございません。ただ、今浅野委員御指摘のとおり、私はどちらかというと、力が入りますと声も大きくなります。同時に私は、たたき上げの政治家で、どちらかといえば今流の政治家でないかもしれません。古い政治家と言われるタイプかもしれません。ですから、私と長いつき合いの人たちとは、私の人間性や私の政治姿勢はわかってくれると思いますが、民間の方で、初めて私にお会いして、鈴木流に言われてショックを受けたり、あるいは、あらっという、まあ驚いたといいますか、威圧を受けたというような印象を与えたとするならば、私自身反省しなくてはいけないし、これは申しわけないことであったな、こんなふうに思っております。
浅野委員 外務省がピースウィンズ・ジャパンのアフガン支援国会議への参加を断ったのは、ピースウィンズがメンバーになっているジャパン・プラットフォームですね、そこに五億八千万円、ピースウィンズそのものに二億二千四百万円、大西代表を信頼して国のお金を出しています。それにもかかわらずお上の言うことには余り信用しないと言うので、そういう団体を国際会議に参加させるのはお断りしようと外務省が決めたと私は理解しています。
 ところが、一月十七日に出席が認められたのに、十九日になって突然出席を断られているものですから、十七日と十九日の間に事情を変更させる何かがあったと憶測を呼んでいます。その何かが鈴木議員の政治的圧力ではないかと疑われています。
 あなたは、十四日から総理特使としてタジキスタン、次いでロシアを訪問して、十九日のお昼ごろ帰国しておいでですね。仮に外務省に圧力をかけるとしたら、出張先の外国からか、あるいは帰国後短時間のうちに手を打つしかないわけですね。そういうことになると思いますけれども、事実はどうなんですか。
鈴木参考人 先ほども申し上げましたとおり、私は具体的にNGO等について言及したことはないんです。
 ただ、今私はこの予算委員会の審議等を振り返ってみるときに、昨年十二月の民間のアフガン復興支援会議のNGOの集まりの議論、いわゆる草の根無償資金等の意見ですね、その話とこの一月二十一、二十二の政府主催の会議が一つの流れとしてあるものですから、私がNGOに対して物を言ったということが何か尾を引いてきたのかなという感じを持っております。
 同時に、小泉総理の答弁にもありますけれども、逆に、十二月のNGOに対する発言、意見が、逆に、そのことをそんたくしてといいますか、ウエートを置いてもし役所の方が判断したとするならば、私は、これは逆にお互いそごがあったし、誤解があったし、また、そういう何がしか配慮といいますか判断があったとするならば、外務省にも申しわけないことだし、大西さんにも私は申しわけないことだな、今そんなふうに感じております。
浅野委員 先日の予算委員会で、共産党の委員が、「鈴木さん、あなたは私たちの友達です」という垂れ幕のかかった写真を示して、日本政府が人道援助として資金を出して国後島につくった宿泊施設、友好の家がムネオハウスと呼ばれているとか、色丹島のプレハブ診療所は鈴木宗男診療所と言われているとか、十人乗りの四輪駆動車はムネオ号と言われていることなどが指摘されました。
 早速、外務省を通じて現地の地区長などの当事者に確かめてみましたけれども、そのような看板や表札、表示は一切ないということであります。
 鈴木参考人は、こんな言われ方をしたことに対して、どのように思っておいでですか。
鈴木参考人 共産党さんの質問等、しかもパネルを持ち出しての話、私も拝見をいたしました。
 私自身、北方四島に日本の国会議員として最初に足を入れた者であります。日本の閣僚としてあの四島に足を入れたのも私が最初であります。浅野委員、北方四島に行かれたかどうか私は存じておりませんけれども、あの北方四島というのは、一センチの舗装もなければ、インフラも進んでおりません。
 そこで、人道支援、特にこの人道支援が始まったのは平成七年からであります。それは、平成六年十月の北海道東方沖地震というマグニチュード七あるいは七・五の大変大きな地震がありまして、学校が壊れ、診療所が壊れてしまったと。
 翌年の五月に私は初めてビザなし交流で行ったんです。当時は、沖縄北方、衆議院の特別委員長でした。そこで先方さんから言われたのは、何とか診療所を建ててもらいたい、命が助かるんだというような話を聞いて、その話を私は外務省に伝えました。その結果として、十月です、平成七年の十月、行ったとき、それがまたちょうどでき上がったということなんです。
 ですから、看板は間違いなく診療所、色丹島診療所であります。そして、国後島の友好の家も、間違いなく友好の家という看板です。ムネオハウスだとかムネオ診療所にはなっておりません。この点は明確にしておきたいと思います。ただ、島の皆さん方が私に、ある種の感謝の念だとか、ある種の仲間意識なんかを持って、これをムネオハウス、ムネオ診療所と言っている人がいるかもしれませんが、それは公式の名称ではないということであります。
 私はモンゴルにもいろいろ関係していますけれども、例えば皆さん、モンゴルに行きまして、日本の車がたくさん走っていますと、小泉さんからの車だと言う人がたくさんいます。それは、小泉総理の善意でクロネコヤマトさんの車をモンゴルに贈った。モンゴルの皆さん方は親しみを込めて小泉さんの車だと言うことを私も聞いたことがあります。私は、そういう話でないかと。何も私自身、スズキハウスと呼んでくれだとかムネオ診療所と呼んでくれと言ったことはありません。
 同時に、私は、友好の家でのあいさつ文も持っております。診療所の落成式でのあいさつ文は持っております。きちっとそのあいさつ文には私は、国民の善意だとか、日本国民は人道支援を積極的にやります、またこれは日本の国会議員の皆さんの協力のたまものですということは、ちゃんと入っております。
 しかし、一部、テレビや報道では、正式な場所でのあいさつでない、ちょっと何人かのぶら下がり的な話でこうやっているところの、私がやったんだとか、つくらせていただきましたという、その部分だけをとって、前段の、国民のこれは善意ですとか、日本国の総意でのこれは人道支援ですとかという、その大事な部分は報道されていないんですね。一部分だけとられて、私はまた誤解を与えている部分もあるかな、こんなふうに思っております。
浅野委員 北方四島は一貫して我が国の固有の領土です。北方領土から引き揚げてきた旧島民が大勢住んでいる根室が選挙区の鈴木議員が特別な思いを持つことはよくわかります。
 問題は、国際機関への拠出金の一部である人道援助を鈴木議員が私物化しているのではないかという批判です。
 例えば、おととしの十一月には、色丹島のディーゼル発電施設に十四億四千九百三十二万円、同じ年に、択捉島のディーゼル発電施設に五億九千七百四十五万円、次の年の十二年には、国後島のディーゼル発電施設に二十億九千百八十八万円の資金が投入されています。結構大きなプロジェクトがありますから、受注をめぐってさまざまなうわさが出がちです。
 これら一連の北方四島の人道援助に伴う工事の受注に、あなたは関与したり働きかけをしたことはありますか。
鈴木参考人 人道支援、なかんずくこの北方四島に対してでありますけれども、これは平成五年にこの支援委員会ができております。
 そこで、この人道支援というのは、相手側の要請主義であります、相手側の要請主義。例えば色丹島のプレハブ診療所、これは四島側からの要望であります。今、浅野委員細かく数字も挙げられましたディーゼル発電所、このディーゼル発電所は、橋本総理とエリツィン大統領との首脳会談で出た話であります。これもロシア側からの要請であります。
 同時に、友好の家だとかはしけについては、これは四島交流、ビザなし交流だとかあるいは自由訪問が始まりました。また、遺骨収集、いや失礼しました、日本人の墓地の訪問も年に四回ぐらいやっておりますね。そういった場合、泊まれる場所がないということで、四島交流をさらに活発化させようということで、例えば友好の家だとか、はしけを使うということでつくられたというふうになっておりまして、私は、相手側の要請、さらには首脳同士の会談等で出てきたプロジェクトが整々と進められている、こう認識をしております。
 同時に、それらの仕事に関しましては、私自身、この問題が出ましたから調べてみましたところ、新聞等による公募による公募型の競争入札だ、しかも、資格基準等も設定してやっている。私自身、どこどこにという話をしたことはございません。これは明確にしておきたい、こう思います。
浅野委員 鈴木議員は、友好議員連盟の会長を幾つ引き受けておいででございますか。そのうちアフリカは何カ国ですか。
鈴木参考人 全部で今十八の議員連盟の会長をやっております。一番大きいのは日中緑化議員連盟かと思いますけれども、その中で、またあと中央アジアの国も入っていますけれども、アフリカは十六の議連の会長をやっております。
浅野委員 その十六の中に、日本とケニアの議連の会長が含まれていますか。
鈴木参考人 このアフリカの十六の議連は、在京の大使さんだとか、あるいはアフリカから訪問された国会議員、あるいは政府の方から議連をつくってくれということで、私は頼まれてつくったものでありまして、ケニアも私は議連の会長をやらせていただいております。
浅野委員 アフリカは、リビア、アルジェリア、コモロ、シエラレオネ、ソマリアの五カ国を除いてすべて日本政府のODAの対象国ですから、ODA絡みの工事の受注をめぐって、とかくのうわさになりがちなんですね。
 率直に伺いますが、鈴木議員はケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電事業に関与したと指摘されておりますけれども、事実ですか。
鈴木参考人 このソンドゥ・ミリウの水力発電所に私が絡んだという話がよく出ます。去年の通常国会でも、衆議院の外務委員会あるいは参議院のあれは外交安保委員会でしたかね、民主党さんや社民党の先生方が質問されております。私は、正確な情報に基づいての質問ならば結構ですけれども、一部間違った情報で一方的に、私が関与した、こう断定されるのはいかがなものかな、こんなふうに思っております。
 私がこのソンドゥ・ミリウの仕事があると初めて知ったのが内閣官房副長官のときでした。たまたま平成十一年八月に私はユネスコの選挙でアフリカを訪問することになりました。当時、小渕総理でありまして、私は内閣官房副長官で、総理親書を持って総理特使の形で、日本から松浦さんという人が立ったものですから、その選挙応援で私はアフリカ数カ国を回ったんです。
 そのとき、官邸におりましたからばたばたしておりまして、十分なブリーフも受けないで、ケニアに行ってあすモイ大統領と会談する、そのときはこのラインで話をしていただきたい、こういうことを言われて、承りました。それは、ケニア政府の最優先順位はこのソンドゥ・ミリウの仕事であるから、もしモイ大統領から言及があった場合、さらにケニア政府から債務は責任を持って払うというお話があった場合は、日本政府は前向きに検討しますよ、そう答えてくださいと、私は、大使館、当時は青木大使でした、青木大使、さらには外務省、同行したアフリカの部局の方からそういう説明を受けて、初めて私はこのソンドゥ・ミリウというのがわかったんです。
 そして、浅野委員、ぜひともこれ、調べてもらったらわかるんですけれども、このソンドゥ・ミリウというのは平成七年から始まっていまして、もう私が行く前に工事も着工しているんです、第一期工事は。ですから、私は最初から何か関与しておったというならば、平成七年にさかのぼらなければなりません。私がソンドゥ・ミリウを知ったのは平成十一年の、その八月のケニア訪問であったということ、同時に、このソンドゥ・ミリウの問題が出てきましたのは、平成十一年の十二月、地球の友ジャパンというNGOが大蔵大臣等あてにあるいは一部国会議員等あてに、その地球の友ジャパンの思いというか考え方、それが流れてから国会でも議論されるようになった、私はそんなふうに承知をしております。
 同時に、もう一つ言わせてもらいますけれども、この件に関しましては、昨年の九月、衆議院の外務委員会が院の海外視察として、当時、民主党の土肥代議士さんが委員長でありますけれども、ソンドゥ・ミリウを視察しております。それで、現地のNGOや地域の住民や、さらにケニア政府とも会談をされております。そして、そこで明確に土肥委員長がコメントを発しておりますから、この点、日本に帰ってきてから、視察した先生方も懇談会を開いております、NGOからすべての人を集めて、親切に、丁寧に説明もされておりますから、それを聞いてもらえればおわかりになるのではないか、こう思っております。
浅野委員 外務省の職員に佐藤優という主任分析官がいます。佐藤氏は鈴木議員の海外出張にたびたび同行をしていて、まるで個人秘書だと言われておりまして、いささか異常な感じを受けますが、どうなんですか。
鈴木参考人 これも一部報道等でおもしろおかしく書かれていますね、秘書をやっていたとか運転手をしていたとか。全くそういう事実はございません。これはまた役所側もこの予算委員会で明確に答弁していると思います。外務省は外務省で出勤簿を私はつけていると思っておりますから、これは調べてもらえばわかる話であります。私の事務所に何分いたか、あるいは何時間いたかといったって、何がしかの報告等で来たことはあっても、私の秘書をやっておったとか、あるいは運転手までしておったというのは、私は、佐藤さんの名誉のためにもこの点ははっきりしておくべきことだ、こう思っております。
浅野委員 委員会でNGOの排除問題が議論になった一月二十四日の夜のあなたの行動について伺います。
 まず、あなたと外務省の小町官房長、それから重家中東アフリカ局長と、三人が会った。その後、自民党の松岡利勝議員に呼ばれて、近くの飲食店に席を移して、引き続き会合を続けたと伝えられています。専らその席で答弁のすり合わせをしたと見られていますが、いかがですか。この夜のあなたの行動を明らかにしていただきたいと存じます。
鈴木参考人 これも間違った、事実関係も確認しないで、お話がひとり歩きしておりますから、明確にしておきたいと思っております。
 一月二十四日の夜、私はアフガン復興支援会議の、この国際会議に来た国連職員があす帰るというものですから、それであればちょっと慰労会をしようということで、私は日本食をもてなしをしました。そしてその国連職員に、どうぞ、あなたの気の許す方を一緒しても構いませんよ、こう言ったんです。その国連職員は、もうこの委員会でも名前が出ておりますから、今アフガン復興の国連特使ブラヒミさんの補佐官をやっている高橋博史さんです。その高橋博史さんは、上村さんと沼田さんという方を一緒にして来ました。それと私の秘書と五人で会食をしたというのが正確な話であります。
 そして、十時半ごろですか、松岡代議士から電話がありました。今どこにいるかということですから、私は、日本料理屋さんにいて今食事をしているんだ、こう言ったんです。そうしたら、あ、おれも近くにいるんだということになったものですから、もうそろそろ食事が終わり、帰る時間だったものですから、じゃ、帰り寄っていくわと。私のうちの通り道なものですから。
 そこで、私は十一時半ごろ、十一時半ごろ松岡さんの席に行きました。そこで、松岡さんの席に行ったところ、外人さんがおりました。名刺交換して、初めてシリアの臨時代理大使だということがわかりました。そのシリアの臨時代理大使の正面に、小町さんと重家さんが座っておりました。
 私自身、その席に小町さんや重家さんがいると知らなかったんです。ですから、私は松岡さんに呼ばれて行っただけですから、松岡さんと十分ぐらいですかね、お話をして、私はすぐ退席をしました。そのとき、小町さんと重家さんとは会釈を交わした程度であって、答弁のすり合わせなんというのは、全く私はこれは不愉快であります。事実でないということ。
 それと、最初から私はその重家さんだとか小町さんとの夜の会合のセットはないわけでありますから。あたかもあったようにテレビ報道は流しておりますけれども、私は、よく調べてからやってもらいたい。私は、衆議院議員、公人でありますから、批判は受けても結構ですが、役所の皆さんには立場がありますから。私は、役所の皆さん方がこれではかわいそうだ、私はそんなふうに考えております。
浅野委員 その夜の大体の時間的な行動はわかりましたけれども、それでは、その松岡代議士とシリアの臨時代理大使との席、あなたは何分くらいいたんですか。外務省の幹部と何かやりとりはあったんですか、何もないままですか。何もないままというのはちょっと、会合に一緒にいて言葉を交わさないというのもおかしくありませんか。
鈴木参考人 十分か十五分ぐらいいたと思うんですが、そこでシリアの問題を松岡さんが話されました。そこで、通訳を挟んでの話でありますから、実際の往復時間を入れると十五、六分かな、二十分かなという感じがしますけれども、正味、松岡さんと私の話なんというのは七、八分のものだった、こう思うんです。
 ですから、重家さんとか小町さんと私は話をする時間的なものはなかったし、いま一度明確にさせてもらいますけれども、それは、答弁のすり合わせなんというのは邪推も邪推であるということ、これは明確にしておきます。
浅野委員 質疑を通じて、鈴木議員が北方領土の人道援助や開発のおくれているアフリカの国々のために真剣に取り組んでおられる、その政治姿勢はわかりました。
 最後に、お述べになりたいことがございましたら、この機会に短くお話しください。
鈴木参考人 私の選挙区は、これは釧路、根室であります。また、中選挙区時代も釧路、根室は選挙区でありました。
 私自身、この根室という場所、ここには元島民の人がたくさんおられます。私は今でも覚えているんですけれども、北方四島の中に多楽島という島がありますが、そこからの引揚者で浜谷政次郎さんという方がおりました。今から八年前に九十七歳で亡くなったんですけれども、この人は私にいつもこう言っていました。鈴木さん、私の代でだめなら息子の代で、息子の代でだめなら孫の代で、孫の代でだめならばひ孫の代で、ぜひともこの四島の返還をなし遂げてくれ、これはよく言われました。今も耳に残っております。
 そして、国会を見ても、あるいは我々同僚を見ても、なかなか、北方四島というのは民族の悲願であるといいながらも、ローカル的な問題でしか扱われてきませんでした。
 私は、政治家として、しからば私のライフワークとして、この領土返還運動、あるいは日ロ関係、平和条約の問題について取り組もうと思って、私は一貫してやってきた政治家なんです。それゆえに、四島にも私はだれよりも足を運んでおります。もう計七回も行っているんです。その思いだけはぜひともおわかりをいただきたい、こんなふうに思っております。
 同時に、アフリカにつきましても、私自身、あのソマリアだとか、あるいはエチオピアのおなかが膨れた子供を見たり、あるいは路端で亡くなっている映像等を見たときに、何とかしてやりたいという思いで私はアフリカ問題に取り組んでいるんです。
 私とアフリカを近づけさせてくれたのは、オスマン・サンコンさんでした。そして、オスマン・サンコンさんのおかげで、アフリカの青年も私の秘書をやっております。もう十六年にもなっておりますね。
 私は、日本も、戦後、食うや食わずの時代があった、しかし、今、日本もおかげさんでここまで来た、まだ日本は余裕がある、助かる命を日本の力でできることがあるならばやってやろうじゃないかという私は純粋な気持ちで、アフリカの開発だとかODAをやっているだけなんです。そのアフリカをやりますと、すぐ利権だとか、すぐですね、お金にかかわる話、これを私は……(浅野委員「ODAと取り組んでいるという意味ですね、ODAをやっているというのは」と呼ぶ)はい。そういった意味で、私は海外開発援助等に取り組んでいるということをぜひともおわかりをいただきたい、こう思っています。
 同時に、批判をするのは勝手でありますけれども、しからば、北方四島にどの政治家でどの人がいかほど取り組んでいるか、アフリカ問題にどの政治家がいかほどやってくれているか、もし頑張っている人がいるならば、また教えていただきたい、私は協力してやりたいものだ、こう思っております。
浅野委員 ODAをやっているというのは、ODAの課題と取り組んでいる、そういう意味だったと存じます。
 政治が社会の中で弱い立場の人のためにあるとしたら、政治ほど大切なものはないと私も思っています。
 これで質問を終わります。委員長、ありがとうございました。
津島委員長 これにて浅野君の質疑は終了いたしました。
 次に、原口一博君。
原口委員 おはようございます。民主党の原口一博でございます。
 鈴木参考人、御苦労さまです。ありがとうございます。
 まず、今お話のありました、オスマン・サンコンさんの御縁で秘書になられたというアフリカの青年、この方のお名前は何とおっしゃいますか。
鈴木参考人 ムウェテ・ムルアカ君といいます。
原口委員 この方は、いろいろなマスコミにもお出になって、大変背も高くて、二メーター九センチぐらいですか、ビッグ・ジョンとか、そういうあだ名がつかれていらっしゃる方ですが、いわゆるマスコミでおっしゃっているのは、御自身は、外交官である、コンゴ政府の一員だと。在日本コンゴ民主共和国大使館通商代表機関代表ということで名刺をお配りになっていると思いますが、これは事実でございますか。
鈴木参考人 名刺は、私は、私の私設秘書という名刺を使っている、こう思いますね。
 それと、そのザイール通商代表の肩書ですか、それを受けているかどうかは、ちょっと私は、通商代表部というのがある話は聞いておりますけれども、その仕事をやっているかどうかは確認、私は今できていません。
 ただ、大学の先生もやっていることは事実であります。大学の先生をやっておって、あと、授業を受けていることも事実でありますから、私のところには、その大学の講義のないとき、あるいは授業のないとき来ているということであります。
原口委員 このムルアカさんは、もう幾つも、報道でもありますし、御自身もそういうふうに名乗っていらっしゃる。
 委員長にちょっとお願いしますが、この方がやはり外交官用のパスポートやIDカードをお持ちか、これを本委員会に資料として提出していただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
津島委員長 理事会で相談をさせていただきます。
原口委員 鈴木参考人、何でこんな質問をするかと申しますと、もしムルアカ氏が外交官だとすると、他国の外交官を国会議員が、今私設秘書とおっしゃいましたが、お使いになるということは、日本の国益を守る意味で、これは正しいことではない。アメリカでは、これをスパイ活動を支援する行為として、犯罪に問われる行為でございます。それはもう当たり前の話です。
 私ども、少し確認をしてみました。この方が外交官であるかないかというのは、御自身がいろいろなところで、メディアでもお話しになっているんですから、鈴木委員は確認する立場にいらっしゃるんじゃないかと思うんですが、いかがですか。
    〔委員長退席、北村(直)委員長代理着席〕
鈴木参考人 私は、彼が外交官であるというふうな認識を持っておりませんでしたので、今、原口委員からそういう御指摘がありましたから、私の方もすぐこれは確認したい、こんなふうに思っております。もし、私自身、外交官であったとするならば、当然それは私設秘書なんという肩書を与えませんから、私は、民間人だという認識で使っておっただけでありますから、この点はっきりさせたい、こう思っております。
原口委員 ここはとても大事なところでございまして、もし外交官でないということであれば官名詐称になりますし、そういう問題のある方が私設秘書であったとすると、先ほど議論がございました、アフリカの十六カ国、会長をお務めになって大変熱心になさっています。私も、ロシアへ行ったりさまざまな国に行くと、委員のお名前が出て、委員に感謝をしているという、もう生で聞いてきています。しかし、十六カ国の、あなたが会長を務める議連の事務局もこの方がなさっているんじゃないんですか。
鈴木参考人 議連にはそれぞれ幹事長とか事務局長を置いておりまして、それぞれの先生に分担して協力をお願いしているということです。
原口委員 いや、今私が伺ったのは、鈴木参考人、このムルアカさんがその事務局役をお務めになっていると思うんですよ。それは、私ども確認していると思うんですが。
    〔北村(直)委員長代理退席、委員長着席〕
鈴木参考人 私の私設秘書でありますから、私が議員会長でありますから、例えば在京大使が会いたいとかというときの日程調整なんかは、当然、彼が中に入るということはあり得るということであります。
原口委員 そういう身分は今から確認されるということでありますが、私は、これは少し問題があるということを指摘させていただきます。
 それから、ムネオハウスあるいはムネオ号という話は今否定をされたわけですが、ケニアには、スズキホールという私財を投じられたホールがあると思いますが、これはどういう経緯でおつくりになったんでしょうか。
鈴木参考人 正確にお答えいたします。
 スズキホールというのは、ケニアではございません、タンザニアのアリューシャという場所であります。
 そこで、タンザニアの政府の次官が、一昨年日本に来られました。そこで、その人いわく、今一番困っているのは学校建設が途中でとまっている、この協力をお願いしたいんだという話でありました。私は、幾らぐらいかかるのかなと聞いたら、まあ十万ドルぐらいかな、ただ、正確にはわかりませんという話。それで、私も、私のできる範囲で協力をしますから、お帰りになったらどうぞ我が方の大使館にお申し越しをいただきたい、こう言いました。
 そして、向こうから来たのが、約八百万円、日本円にして七万ドルですか、七万ドルぐらいで建設が可能だと……(発言する者あり)ああ、失礼、日本円で八百万円、米ドルで七万ドルで可能だということでありましたから、私は、その八百万円、私の政治資金の方から出させていただきました。私の個人の政治資金管理団体であります。
原口委員 いや、非常にびっくりするんです。なぜこれを聞いたかというと、ホームページに書いてあるわけで、ケニアのアルーシャに立ち寄り、スズキホール落成式に出席した、モレル・タンザニア首相府次官がお話しになったことを感動されて、寄附をされているから。
 ただ、それで、私どもが国会議員の資産公開の取り決めに基づいて資産をチェックしてみると、とりたててその資産の増減がないわけです。つまりは、御自身のいわゆる資産から寄附をされていない。
 今、政治団体から寄附をされたということですが、政治団体からの寄附が他国に許されるんでしょうか。
鈴木参考人 これは、私は外務省に渡して、外務省から送ってもらっております。そこで、これは送金の写しもすべてありますから、私は、その点は迷惑かけたと。
 同時に、昨年の政治資金はことしの三月いっぱいの報告でありますから、当然事務的な手続も私はとられているものだ、こんなふうに考えております。
原口委員 これは幾つか法的にも、それから今、外務省をとおっしゃいましたが、非常に問題がありますし、しかも、私たち政治活動で集めたお金を、それを他国に寄附をするということが、こういったことが許されるのか。
 委員長にお願いしますが、これもまた理事会で協議をさせていただきたい。私は、非常に問題であるというふうに思います。
鈴木参考人 私の認識では、こういうふうに思っています。外国の企業等からの政治献金は受けられませんが、出す分については、私は、今原口委員指摘の点は、どこにも書いてない、私はそんなふうに考えております。
 失礼しました。もう一つ、委員長。
 なぜ外務省かといいますと、この点はっきりしておきますけれども、口座の確認とか、間違ったら困るものですから、正式に大使館に、先ほど私が言ったように、大使館にお申し越しをいただきたい、それで、どこに振り込んだらいいのかも大使館に連絡をいただきたいという、あくまでもそれは事務的な話でありまして、その写しははっきりありますから、これは後で、もしその写しを見たいというならば、出しても結構であります。
原口委員 私は、個人的な寄附を、そういった外務省をお使いになったということについても、それが果たしてよいのかということは指摘しておかなければいけない。七万ドルの寄附だけでは買えないプライスレスな笑顔があったと、すばらしい笑顔で志を遂げていらっしゃいますので、このことについては、また後日、少し調べてお話をしたいと思います。
 次に、二〇〇〇年の十二月、鈴木議員は森総理の親書を携えてロシアを訪問されています。そこでプーチン側近のセルゲイ・イワノフ安全保障会議書記に会ったとされていますが、これは事実ですか。
鈴木参考人 事実でございます。
原口委員 委員長にお願いして、橋本内閣以降の鈴木参考人の海外出張についての資料をお配りいただきたい。
 この際、同席したのはどなたですか。そして、個人の資格での訪ロでございますか、公式訪問でございますか。
鈴木参考人 これも国会でいろいろ取りざたされたこともありますから、明確にしておきたいと思いますけれども、十二月、セルゲイ・イワノフさんにお会いをしましたその経緯を原口委員に御説明したいと思いますが。
 その年の十月、当時の河野外務大臣とイワノフ外務大臣との間でも、河野大臣の方から、鈴木宗男議員をセルゲイ・イワノフさんに面会できるようぜひとも仲立ちをいただきたいという話が、まず十月の日ロの外相会談であります。翌月の十一月、ブルネイにおけるAPECにおいて、森総理からプーチン大統領に対し、ぜひとも鈴木議員をセルゲイ・イワノフさんに会わせてもらいたいと、大統領お願いしたいという話を、総理自身からもされております。それを受けて、十二月にセルゲイ・イワノフさんと私の会談がセットされたものだということをまず御承知おきをいただきたい、こう思っております。
原口委員 聞いていることだけお答えいただきたいのです。時間が短い、きょう、テレビが入っていますから。
 同席したのは一体だれですか、それは個人の資格ですかということを聞いているわけです。
鈴木参考人 私は、総理親書を携行して行きましたので、後でまた質問が出てくるかと思いますけれども、個人の資格といいながらも、政府と一体の中で私はそのときの会談に臨ませてもらった。同時に、先方さんから、テタテ、俗に言う一対一の会談をしたいというものですから、私と通訳のみということでありまして、そのときの通訳は佐藤優さんであります。
原口委員 先ほど田中元外務大臣がお話しになったことは、いわゆる公と私が非常に不明確なんですよ、委員の行動やさまざまな思いはわかりますけれども。しかし、その中で、どこからどこまでが公で、どこからどこまでが私かというのがよくわからない。もし公式訪問であるとするのであれば、政府関係で行くのであれば……(発言する者あり)出してください、この人、委員じゃないので。委員長、出してください。(発言する者あり)
津島委員長 御静粛にお願いします。
原口委員 政府関係で行くのであれば、外相が知らず、しかも、東郷欧州局長らが同行したにもかかわらず、同席をしたのは佐藤さんと中野さんだけというふうに聞いています。こんな政府の会見はないんですよ。
鈴木参考人 原口委員、原口委員、ここはよくおわかりをいただきたいのですが、東郷さんも来ましたけれども、先方の方で、一対一の会談をしたい、ですから、通訳とノートテーカーだけということですから、そういう形になったということなんです。これは、御党でも外務省出身の方がたくさんおられますから、聞いてもらえば私はわかることでないか。東郷さんも確かにモスクワにおられました。しかしそのときの状況で、私が、よく、外したなんという話があります、大使も外したなんという話もありますけれども、そういうことはないということだけは、これまたはっきりさしておきたい、こう思います。
 同時に、議院内閣制ですから、我々与党は政府の外交方針をバックアップするというのが建前でありますから、この点は何ら私は問題のあるものでない、こんなふうに思っております。
原口委員 今明確にお答えになったのは、先方の方から鈴木委員とお二人でと、やはり先方の方の意向に沿ったものであったと。私は、それはいかがなものかと思うのです。外交というのは、やはり専門家をきっちり交えて、積み重ねの上でやっていきます。
 そこで、お伺いしますが、次の資料をお配りをいただきたい。それは、いわゆる日露青年交流事業、この資料でございます。
 これは、いわゆる、今お話しになった佐藤主任分析官というのが実質的に仕切るとされている事業でございますが、一九九八年の小渕・エリツィン会談を受けて、十九・二億円の拠出金を事業資金として、九九年の七月から始まっております。千二百名規模のもので、滞在日数が十日間、年間約五億円という国費が使われていると思いますが、いかがでしょうか。
鈴木参考人 この日ロの青年交流、今原口委員お話しのとおり、当時の小渕総理とエリツィン大統領の、平成十年の十一月の小渕総理の公式訪問の際、決まった話であります。
 同時に、私は官房副長官でありましたから、この計画には積極的にかかわってまいりました。その結果、翌年からこの事業が動き始めましたが、私自身、時間のある限り、この青年交流で来日された皆さん方には極力会って、交流を深めているというのが事実でございます。
原口委員 今、このペーパー、私は二〇〇一年の分を全部持っていますが、すべてこの、今皆さんのお手元にお配りしたのは、モスクワ国際関係大学生一行の日程、成田に着いて、鈴木宗男衆議院議員表敬、あと、ディズニーランドに行き、築地の市場に行き、京都を視察し、京都を視察し、京都を視察する。ほかのも大体よく似ているのです。地方行政府関係者、鈴木宗男衆議院議員表敬、東京ディズニーランド、京都。政党関係者、鈴木宗男衆議院議院運営委員長表敬、大相撲初場所観戦、東京ディズニーランド、東京湾クルーズ。青年団関係者、鈴木宗男衆議院議員表敬、東京湾クルーズ。こういうことをやっていらっしゃるわけです。
 この中で必ず、私も実際に出た人にいろいろ聞き取りをしてみました。この金をとるのに尽力したのはおれだ、プログラムを行うときには事前にいろいろなことを相談をしなさいということをおっしゃっているということですが、いかがですか。
鈴木参考人 どうも、何かすればすぐ鈴木という結びつけで話をされますけれども、この金をつけたのはおれだなんという話は、これまた言ったことはございません。どうしてそういう話が出るかということ。
 ただ、先ほど言ったように、小渕・エリツィン会談で決まった話、同時に、決まるまで私も、先ほど言ったように官房副長官ですから、この事業の何たるかもわかっているということ、それを踏まえているということ。
 例えば、今原口委員がお示しになりましたこのモスクワ関係大学生の一行、私は、これは極めて重要だと思っているのです。なぜかというと、これは、今のパノフ大使もそうですが、全部この学校の出身でありまして、ロシアの外務省の方は大体ここが中心になっておりますね。ですから、この人らに会うのは意味があるし、同時に、もう一つ、原口委員、しっかり認識していただきたいのは、このメンバーの中にミトロファーノフさんという国会議員の息子さんがおって、そのミトロファーノフさんが、ぜひとも鈴木宗男に会ってこい、そういうメッセージを携えて私のところへ来ているというのも事実なんです。
 何がしかの御縁だとか何がしかの向こうからのアプローチがあって、私も極力時間を割いている、これが事実でありますから、この点、予算をとったのはすぐおれだと、どうしてそういう短絡的な話が出るか、もし具体的なものがあれば、私は示していただきたい、こう思っております。
原口委員 私が言っているのではなくて、あなたがおっしゃっているとたくさんの人がおっしゃっているわけです。証人を出せというのだったら出しましょう。委員長、それでも結構です。
 この中で何回も小宴を開いていらっしゃいますが、これもあなたのポケットマネーから出していらっしゃるものですか、違いますか。
鈴木参考人 小宴というのは何を指すのでしょうか。例えば、夕食会とかそういうのですか。(原口委員「いやいや、あなたが主催の夕食会があるでしょう」と呼ぶ)こういった公式の行事が終わった後、例えば、またどこかでもう少し食事をしたいだとか、あるいはお話を聞きたいということについては、すべて私の方で、外務省には一切の負担もかけず、先方の要望ができるだけかなえられるように、私は誠意を持って対応しております。
原口委員 事前に自分のところに話を持ってきなさい、北方のさまざまな問題についても、おれの話を聞いていない、だから必ずあいさつをしろ、こういうことをいろいろなところでいろいろな人に対しておっしゃっています。NGOの参加問題についても、先ほど、御自身の判断でおやめになったということですが、これは総理の判断ではないんですか。御自身の判断ですか。
鈴木参考人 一月三十日未明の総理の記者会見でもその点ははっきりしておることでありまして、私はみずから身を処したというのが事実であります。
原口委員 その理由は何ですか。
鈴木参考人 先ほど浅野委員の御質問にもお答えしましたが、私のことで国会が混乱をした。議運委員長というのは国会の議事運営の責任者でありますから、これは申しわけないことだと。同時に、田中大臣の更迭、また野上次官の辞任ということもあったわけでありますから、私も、ここは身を処すのが政治家としての出処進退ではないか、こう思って決断をしたということであります。
原口委員 NGOに対して、先ほど、十二月から四回、自分が呼びつけたのではないとおっしゃっていますが、机をたたいたり、あるいは、もうこいつらの援助はストップするからな、外務省はNGOが勝手にやっているのを許しているのか、任せっきりなのはけしからぬ、また、与党が政府なのに野党も同等に扱うのは許しがたい、もっと早くあいさつに来い、NGOというのはとんでもないのがいる、こんなやつらに税金を出すというのはどういうことだ、こういうことをおっしゃったのは事実ですか。
鈴木参考人 先ほど浅野委員にもお答えしました。今いみじくも原口委員が相当語気を強めて物を言いました。じゃ、今の原口委員の表現は普通なんでしょうか。私も、例えば力が入ったとき、ある程度オクターブが上がることも事実でありますから、私はその点、熱心の余り物を言ったことは事実でありますが、先ほど、浅野委員の質問と重複しますから、原口委員も時間を気にしておられますから同じことは避けますけれども、先ほど浅野委員にお答えしたのが事実でございます。
原口委員 おっしゃっているわけでしょう。おっしゃっていますよね。
鈴木参考人 それでは、いま一度丁寧にお答えします。
 私が呼びつけたという事実はございません。同時に、おれが税金を集めているんだとか、あいさつにも来ないで何だだとか、予算をつけてやらぬぞとか、そういうことは言っておりません。
 私は、ぜひとも原口委員にもおわかりいただきたいのですが、話が、五の話を十に膨らませて相手に言ってしまったら今のような話になると思っているんです。ですから、この点、もっと私は冷静に議論をいただきたいものだなと。
 同時に、私自身、この際はっきりさせておきますけれども、なぜこのジャパン・プラットフォームに対してそれなりの物を言うかというと、私はジャパン・プラットフォームを推進する議員連盟のメンバーであります。きょう、この中にも何人かの委員の人がおりますけれども、このジャパン・プラットフォーム推進議連というのは、おととしの八月にできました、若手の先生方で。私のところに相談に来まして、それはいいことだからやれと私は推し進めた者なんです。そして去年の十月、十二人しかいないから、十二人じゃ寂しいからもっと数をふやしたい、やはり鈴木先生にも入ってくれと言うものですから、私も正式にメンバーになって、歳費からも今会費が取られているはずであります。
 ですから、私は、ジャパン・プラットフォームは身内だという思いがありますから、仲間でありますから、ここは甘えの構造は許されないという思いもあって、はっきり物を言ってきたということ、同時に、協力しているものは私は協力しているということをこの際明確にしておきたい、こう思っております。
原口委員 今おっしゃったのは、内容について言ったか言わないかはおっしゃっていないわけですよね。おっしゃったわけですね、やはりそういう自分も思いがあったから。
鈴木参考人 そういう表現はないということは明確に言っておりますので、きょうはテレビも入っておりますから、後でまた議事録を起こしてもおわかりいただけるし、浅野委員の質問とも重複している部分もありますから、ここはよく見てもらえれば私はおわかりいただけるものだ、こう思っています。
原口委員 佐藤主任分析官のこの一年間の残業と申しますか、今秘書の役割をしていないということをおっしゃいましたが、あなたが海外に行かれるこの三十七回のうち、実に十八回御一緒になられて、そして、タイムカードを調べてみればわかるということを言われましたが、資料を、三枚目をお配りいただきたいと思います。実に六十二時間から百二時間に至るまでたくさんの超過勤務をなさっています。そして、私どもがこの佐藤分析官について調べてみたところ、赤坂の一等地におうちを持って、そこから通っていらっしゃるということでございました。
 私は、委員長にお願いをいたしますが、佐藤分析官、先ほど田中元外務大臣は、モスクワに行って、みんなと一緒にいないと紛れてしまうからということを事務方が申しておりましたということをおっしゃっていました。この佐藤分析官という方があなたにとってどのような方なのか、そして、北方領土返還運動をずっと続けていく上でどのような役割をされてきたのか、教えてください。
鈴木参考人 佐藤さんが赤坂にお宅を持っているというんですか、自分のうちを。私は今それも初めて聞きましたから、新しい、それもまた情報として承りたい、こう思いますね。私は、赤坂のアパートに住んでいるというふうに思っておりましたから、自分のうちとアパートではまた意味が違ってくるなという感じもします。
 私は、外務省の中にそれぞれ専門家がおります、この専門家が日本外交を支えている、こういう認識を持っております。その中でも佐藤優さんは一級の私は情報分析官だ、こう思っております。これは、外務省はもとより、外の方でも評価をされている、こんなふうに思っております。
 ちなみに、私は、これは平成十年九月の各全国紙ですけれども、佐藤さんが主任分析官になったということを大々的に報じております。外務省もいい人事をやった、たたき上げ、いわゆるノンキャリアでも能力のある者は登用するんだ、外務省は、これはしっかりしているという非常に好意的な記事もあります。
 私は、外務省も上級職あるいは専門職、きちっと何がしか区別されているように見られていますけれども、人間的な配慮のされた、私は外務省も時としていい人事、人の配置をやっているんだなという認識を持っているし、佐藤さんの分析能力、あるいはロシアのみならず、中央アジア含めて、私は一級の外交官だ、こんなふうに認識をしております。
原口委員 ここにサハリン・フォーラム二〇〇〇、それから日ロ専門家会議の議事録を持ってきました。
 このサハリン・フォーラム二〇〇〇では、六本の論文の中に、鈴木さんにお世話になっていますというのが入っています。しかし、この方々に領土の話をすると、鈴木さんはそんなことは言わない、鈴木さんは友好と援助のことは言うけれども、領土のことなんか言わない、あなたたちはまさに一括返還論者、伝統派であって、もっと開かれた、友好な態度で臨みなさいということを言います。
 私は、二元外交と言われるような、今まで政府と違ったところで、そしてロシア政府がまさに指名をされた、あなたが一体でお話しになったことが、結果的には日本の外交姿勢のメッセージを大きくゆがめてきたのではないか、そして、まさに外務省を私物化して、そして多くの人たちに物を言えなくしているんじゃないか、このことを指摘をして次の委員にかわりたいと思います。
津島委員長 これにて原口君の質疑は終了いたしました。(鈴木参考人「委員長、委員長」と呼ぶ)
 時間がございますので……(鈴木参考人「委員長、大事な部分ですから、これは議事録に残りますから、大事な部分ですから、私はこの点明確にしておきたいと思います。原口委員、日本政府の……」と呼ぶ)
 鈴木参考人、まだ答弁される機会がありますから、時間を割り振っておりますから、ちょっとお待ちください。
 次に、東祥三君。
東(祥)委員 自由党の東祥三です。
 議員は物事をはっきり言われます。僕もはっきり言いますから。時間、十分間しかありません。単刀直入に聞きます。また、できるだけ重複を避けたいと思いますが。
 一月二十一日から始まりましたアフガニスタン復興支援会議において、いわゆるNGOの参加拒否問題がありました。先ほど議員は、一切その圧力にかかわっていないと言明されました。少なくとも、公文書を読む限りにおいても、議員は常にNGOの問題について深く関心を持っていたことは公文書を通じてもよくわかります。先ほども言及あった、十二月におけるNGO東京会議においても、そのこと、先ほど言及されていたとおりであります。
 意見交換は少なくともされていたんでしょう。外務省との間でNGO問題に関して意見交換はされていたでしょう。いかがですか。
鈴木参考人 自由民主党の部会にはNGOをやはりサポートする会等もありまして、平場の会として開かれておりまして、NGOの皆さん方を呼ぶ、そして、我々も参加して自由にやるということでありますから、そういった意見交換はしております。
東(祥)委員 ただ、自民党の部会のみならず、外務省の役人を呼んで外務省との間でNGO問題について議論されていましたよね。当然、アフガニスタン復興支援会議において、どのNGOが参加するか参加されないかというそういう情報交換もされていたでしょう。
鈴木参考人 十二月のそのNGO……(東(祥)委員「イエスかノーかだけ言ってください。時間ないんだから」と呼ぶ)
 ですから、そういった具体的な相談はしておりません。してないんじゃなくて、伺っておりません。
東(祥)委員 わかりました。
 おかしいじゃないですか。公文書において、一月二十日付、中東第二課長より鈴木議員に別件もあり、そのとき、当該関係のNGOを外務省として不許可としたことを説明と書いてあるじゃないですか。あなたが事前にこういう問題について情報を得てなければ説明する必要ないじゃないですか。
鈴木参考人 私は、先方から会いたいという連絡があって、二十日ですから、それは何曜日になりますかね。(東(祥)委員「日曜日です」と呼ぶ)日曜日ですね。私は十九日、ロシアから帰ってきました。そこで、その間は恐らく外務省何も連絡やっていませんし、同時に、私はタジキスタンなんかに総理特使として行っていまして、アフガン復興にもかかわっておりますから、当然事務的な連絡として来られたものであるし、そういった連絡で会っているということであります。
東(祥)委員 昨年の十二月から、NGO問題に関して深くかかわっているということはあなた自身もお話しになっている。無償資金、いわゆる草の根資金を国内においてNGOに直接出すことできない、あなた正しいんですよ。それ以後ずっとかかわってきているんでしょう。その一連の流れの中で、NGOの方々と外務省の役人を踏まえた上で議論しているんでしょう。当然、あなたはアフガニスタンの復興の問題に関しては深くかかわり合いを持っている、関心がある。
 関心がある問題に対して、いつもあなたは執拗に攻めていくことは、僕は外務総括政務次官もやっているわけですから、二回やっているんですよ。先ほど田中外務大臣が、外務省においてあなたの影を常に感じている。僕は第一回目のときは感じませんでした。いわゆる九九年から入ったときに物すごく感じました、後から具体的に申し上げさせてもいただきますが。
 そういう意味におきまして、ちゃんとNGOとのかかわり合いに関して関心を持ち、意見交換されていたでしょう。それすらもあなた認められないんですか。
鈴木参考人 例のアメリカの同時多発テロが昨年の九月の十一日ですね。それを受けて、十月の七日、八日、私は総理特使として中央アジア、アフガンの隣接のタジキスタンに行っておりますから、そういった意味で、アフガン復興、アフガンの和平、安定のためには周辺国の環境整備というのは大事でありますから、その関係で外務省は、当然、私のところに説明に来たというのは何回もあるということであります。
東(祥)委員 じゃ、そういう意味では情報交換はされていた。ただ、あなたは直接、ピースウィンズ・ジャパンあるいはまたジャパン・プラットフォーム、これを排除するだとかいうことは言及していない。
 鈴木議員、私は、総括政務次官をやっているときに、まず初めに自民党本部にごあいさつに行きました。欧州局の局長以下皆さんがあなたのところであいさつしている姿を見て、驚いてしまったんですよ、初めに。何で鈴木さんのところへ行くんだと。いや、東さん、いろいろありましてと。ここから始まるわけですよ。鈴木さんというのは外務省の中で何を一体やっているのか。
 そしてその後、覚えていますか。一九九九年末、チェチェン紛争があったときに、このときにあなたは外務省の原案に関しても、河野外務大臣の発言する要綱ですよ、原案、これに対して茶々入れてきたことを覚えているでしょう。国内問題だというふうに論じろと。それに対してあなたは――我々は政府の見解だ、あなたからとやかく言われることはない、意見は聞きますよ。そしてその後、河野外務大臣、あなたが言われたことを言わなかった。何で河野外務大臣、そういうことを言わないんだということを欧州局に言ってきたでしょう。あなたはそういうやり方をやるんですよ。そういうやり方をやるんです。
 さらにまた、先ほどお話あったイワノフさん、あなたの親友ですね。イワノフ、今国防長官ですよ。当時、安全保障会議の書記、プーチン大統領の右腕だと言われる人ですよ。そのとき、二〇〇〇年暮れ、初めて会ったんだと思います。そしてその後、ある人が、外務省を通じてその人に会わせようとしたときに、会えなかったんですが、あなたはクレームをしているじゃないですか、外務省に直接。おれが彼のカウンターパートだ、どうしておれを通さないで彼に会わせようとするのかと。あなたのやり方というのはこういうことをやるんですよ。そうでしょう。
鈴木参考人 先生、これ、決めつけないでください。私は、じゃセルゲイ・イワノフさんに、邪魔をしたというのは何の件か、後で具体的に教えてください。それが一つ。
 チェチェン問題は、これは正確にやりましょう。
 日本は一貫して、チェチェン問題はロシアの国内問題だと言ってきたんです。それをアメリカやヨーロッパの方から、これは人道問題にカーブを切ろうと、日本も協力してという話があったんです。そこで外務省は……(東(祥)委員「委員長、委員長」と呼ぶ)これは大事なところですから、委員長。(東(祥)委員「話をずらさないで」と呼ぶ)いやいや、違います。ここは、チェチェン問題は大事でありますから。
 そこで、そのとき外務省もぶれたんです。国内問題から人道問題にぶれようとした。私は、アメリカやイギリスは領土問題はないけれども、日本には領土問題があるから、私は……(東(祥)委員「問題をずらさないで。あなたとチェチェンの問題……」と呼ぶ)
津島委員長 今参考人が話しております。
鈴木参考人 国内問題でいこうということになっておりますから、この点、日本の……(発言する者あり)大事な部分であります。
 それともう一つ。委員長、なぜ私はこだわるかというと、プーチン大統領も、日本だけだと、チェチェン問題でぶれなかったのは。今、日ロ関係がうまくいっているのは、この日本の政策のぶれがなかったことが今、日ロが友好に動いている、これは大きなことなんです。
東(祥)委員 私は、あなたとロシア問題、チェチェン紛争についても議論しましょう。
 私が言っているのは、あなたのやり方について言っているんですよ。大声を張り上げて、自分自身の関心があるところに言及しているんですよ。それをあなたは、おどしととられても仕方がない、それは相手の問題だという、そういうとらえ方をするかわからない。圧力ととられても仕方がない。あなたみたいな形で言う人っていないんですよ。私の意見はこうだ、考えてくれ。おまえ、何なんだ、こういう言い方をあなたはするんですよ。それが圧力ととられない。それは相手の問題でしょうと。
 あなたは一月二十四日、この問題に関して、田中前外務大臣はうそを言っている、判断することは外務省だ、私には言う権限がない、すべてのものを政治的圧力ととられてしまえば困ると言っているんですよ。判断するのは外務省。判断するためには、何か言わない限り判断できないじゃない。
 もう時間が来てしまった。委員長、おかしい。大西さんが言っていることとあなたは全面的に違う。直接あなたと田中外務大臣、関係ないかもわからない。しかし、田中外務大臣が先ほど言っていたことも、一生懸命外務省の改革をやろう、このように言っていながら、結局、結論として官邸が外務省改革を阻んでいる、そういう発言、もう重要な発言をしているんですよ。
 大西さん、大西さんだって人権あるんですよ。あなたも、うそだというふうに言われたら、人権問題だと言っているでしょう、いろいろなところで。大西さんにも人権がある。これは問題のらちが明かない。彼はノーだと言っているんですよ。大西さんをちゃんと呼んで証人喚問をやるべきだ。そうでなければ、見ている国民の皆さん方、何を言っているのかということになってしまうんじゃないんですか。
 チェチェン問題について、また北方四島問題については公の場でやりましょうよ。しかし問題は、ちゃんとあなたのやり方、私は実感しているんですよ。言うべき具体的な例、たくさんあります。
 以上。
津島委員長 参考人問題については理事会で協議をさせていただきます。
 これにて東君の質疑は終了いたしました。
 次に、佐々木憲昭君。
佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 私は、北方四島人道支援に関連をして、事業の受注に関して入札が公平、公正に行われているのかどうか、この点についてまずお聞きをしたいと思います。
 鈴木さん、あなたは北方四島人道支援の事業の入札、受注に関して介入したことはありませんでしたか。
鈴木参考人 委員長、お答えする前に、私も、これは参考人で出てまいりまして、誠心誠意答えているんです。一方的に、私の話も聞かないで片方の主張だけ言われたんじゃ、逆にテレビを見ている皆さん方は、私は、間違ったメッセージを与えますから、この点、お願いをしたい、こう思っております。
 今の御質問にお答えしますけれども、私は、関与したことはございません。
佐々木(憲)委員 とんでもない、事実と違う発言でございます。
 私は、ここに外務省の内部資料を持っておりますが、これは「国後島緊急避難所兼宿泊施設(メモ)」というものであります。九九年五月二十八日につくられたもので、「秘 無期限」、こうなっている資料でありますが、九九年五月二十七日に鈴木宗男官房副長官と外務省がこの、いわゆる友好の家、地元ではムネオハウスと呼んでいるものでありますが、この入札公示の内容に関連して、鈴木さんと外務省がやりとりをした記録であります。
 こういうふうに外務省は言っているんですね。「六月初頭に道新等に入札説明会の案内を掲載するべく、現在、その内容を詰めているところであるが、一番頭を痛めているのは、入札参加資格のところである。」こういうふうに、これはもう明確に文書で記録が残っているんです。
 それで、この点について議論があった。こういう議論はありませんでしたか。
鈴木参考人 今、私もそのお話を初めて聞きますので、もしその資料があるなれば見せてもらいたいし、外務省にあるなれば私は出してもらってもいいと思っております。
佐々木(憲)委員 では、具体的に申し上げましょう。
 ここで鈴木宗男さんはこのように発言をされているんです。「道開発局基準のBランクで該当企業が二百社程度というのは知っている。そもそも二百社もいらないだろう。多すぎる。根室管内には旧島民が多数居住している。いっそのこと地域を北海道内ではなく根室管内に限定してどうか。根室管内にはB以上は何社か?」、Bランク以上は何社か、こういうふうに聞かれているんですね。
 それに対して外務省は、「根室管内と限定するという点については持ちかえって検討させて頂きたい。」こういうふうに答弁をされていますが、「例えば根室管内ではなく道東ということでは如何か?」、こう聞かれて、鈴木さんは「それはやはり根室管内だろう。」こういうふうに発言をしているわけです。こういう記憶は全くありませんか。
鈴木参考人 外務省がどういう説明をしたか定かじゃありませんけれども、私は外務省のラインに沿ってやりとりをしている、こう思っています。
 ということは、私は、私の方から物を言うよりも、外務省の方がこういう基準だとかこういうフレームでいきたいだとかという説明はあったやの記憶はありますけれども、そういう細かいやりとりはありません、それは。
佐々木(憲)委員 全然説明になっていないですよ。はっきりと根室管内に持っていくべきだ、地域を限定すべきだと。大体、北海道新聞というのは、全道に、道民が見るんですよ。その道民が見る道新に、何で根室管内だけの業者しか応札できませんよということになるんですか。おかしいじゃないですか。
 しかも、結論としてどうなっているかというと、結局、結論はこういうふうになっているんですね。「この案のポイントは、入札参加資格は「北海道内」としつつも、施工実績のところで「根室管内において施工実績を十分有する者」として、入札資格審査の段階で実質的に地元の業者が有利なように配慮することである。」はっきりとこういう結論が外務省の文書に出ているじゃありませんか。ですから、明確な証拠があるんですから。
津島委員長 鈴木参考人、答弁してください。鈴木参考人、指名しております。
鈴木参考人 これは正確にお答えしますけれども、どこでのやりとりで、どういう文章で、この点もはっきりしなければいけない。私は、そういう細かいことまで話は外務省から受けた記憶はありません。
 一方的に、説明は受けているし、同時に、もう一つ大事なことは、地元の市長だとか地元の商工会議所の話なんかも混同されますと、私はこれはちょっと困るな、こう思っています。
佐々木(憲)委員 だれも地元の市長や商工会議所の話をしているんじゃないんだよ。外務省の内部であなたが参加した会議の話をしているんですよ。逃げちゃいけないよ、あなた。
 どういう文書かということだから言いますが、九九年五月二十八日、外務省の内部の文書であります。「国後島緊急避難所兼宿泊施設(メモ)」こうなっている。
 実際、じゃ北海道新聞にどういう結果が出ていますか。ここで検討されたとおりのことになっているじゃありませんか。
 例えば、私は、北海道新聞のこのムネオハウスの公募の文書があります。北海道新聞、これは一面をちょっと縮小してありますが、ここに、右下の方にこういう公募の文書がある。大体活字自体もめちゃくちゃ小さくて見にくいんですよ。そういう中で、これをちょっと拡大しましたけれども、こう書いてあるんですよ。「入札参加者の資格」「北海道内に本社を有する者であって、気象条件が国後島に近似する根室管内(根室市、別海町、中標津町、標津町及び羅臼町)において、類似施設建設工事の施工実績を充分に有する者であること。」外務省の、あなたとやりとりをして、外務省は北海道全体で公募するんだと、それをあなたの発言によってゆがめて、しかも、こんな前代未聞の公募文書が北海道新聞に載っているじゃないですか。入札応募に、実際にこれをあなたがゆがめ、この方針をゆがめて、そしてこういう結果が出ているというのはもう明確じゃありませんか。いかがですか。
鈴木参考人 一方的な資料に基づいて一方的に私は決めつけられても、これはまたいかがなものかな、こう思います。
 少なくとも、新聞は北海道新聞と北海道建設新聞二紙に載せたというふうに私は報告を受けていますし、そこで、公募型の入札方式だということを私は外務省から説明を受けたということであります。
佐々木(憲)委員 北海道新聞と北海道建設新聞の二つに載った。よくそれを御存じですよね。二つに載って、しかも、全道の業者が応募できるのかなと思ったら、根室管内ですよ。根室管内しかこれは受けられないんですよ、これは。あなたの選挙区だけではないですか。
 そういうものを、圧力をかけてゆがめて、実際にこういう公募がなされたというのは、これは地域限定の公募、今までこういう事例はありません。はっきりとこれはゆがめたということはもう事実であります。
鈴木参考人 共産党さん、佐々木委員がこの問題についてこの委員会でも質問されましたから、根室の市長さんなんかも私のところに連絡をよこしました。根室市長はこう言っていました。地元を使ってもらいたい、今根室は大変なんだということで、外務省にはよくお願いをしてありますと、こういう話。それと鈴木先生の話を一緒にされたら、逆に我々の動きが悪かったことになりますから。しかし、少なくとも、間違いなく公明正大に行われたということで承知していますということは、地元からも言ってきました。同時に、地元は、根室市長さんや商工会議所は、とにかく地元が、経済、疲弊しておりますから、しかも四島の返還の発祥地の根室を大事にしてほしいということは再三外務省にお願いしてきましたということです。
 ですから、私自身が一方的にこう言った、関与したと言われても、これは困る話であります。
佐々木(憲)委員 まあ、語るに落ちたとはそういうことですね。自分で、この地元のためにやったんだと、その声にこたえたんだと、事実上あなたはそれをお認めになったということですよ。
 しかも、大事なのは、このムネオハウスを受注した会社というのはたった一社ですからね。全然競争になっていないんですよ。しかも、その受注した会社からあなたに政治献金が渡っているんですから。まさに明確にこの入札をゆがめ、そこに介入し、そこから受注した会社から、あなたは、自分のところに資金が還流している、そういう仕掛けをつくっている。これを税金の私物化、援助の私物化と言う以外にないじゃないですか。もう明確なんですから、これはやはり国民に対して、はっきりと事実を認めて、謝罪すべきだ。いかがですか。
鈴木参考人 一方的に、謝罪というのは、私はいかがなものかと思います。
 なぜかといいますと、私自身、この業者を使えとかこの業者にしなさいということは言ったことはありませんから。これは明確にしておきます。この点、ぜひとも、何かしら私が特定の業者だとか特定の者を言ったならば、今の佐々木委員の意見も通るかと思いますけれども、私、少なくとも公明正大に公のメディアを使ってやって、そしてそれなりの資格要件等がクリアされて、手続がされたというふうに聞いておりますから、この点、私ははっきりしておきたい。
 同時に、佐々木委員のその資料等も、それが公式にあるとするならば、私はぜひとも出してもらいたい。公式にあるというならば出してもらいたい。それならばはっきりすると思います。
佐々木(憲)委員 では、その資料を、具体的に外務省に、私はこれでこの日付も指摘をいたしましたから、外務省でお調べいただきたい。また、当委員会に資料として提出をしていただきたい。
 委員長、いかがですか。
津島委員長 理事会で相談をいたします。
佐々木(憲)委員 時間が参りましたが、私は、こういうやり方というのは、今まで鈴木宗男さんが北方四島について具体的に介入をし、そしてそれを自分の後援会の幹部の企業に受注させ、そしてその企業から政治献金が渡っている、まさに税金の還流であり、税金の私物化以外の何物でもない。このことを厳しく指摘をして、質問を終わらせていただきます。
津島委員長 鈴木参考人。
 簡潔にお願いします。
鈴木参考人 今、税金の還流というお話がありましたが、非常に間違った表現だと思っています。
 私は、五十八年の選挙から応援をしてもらっている人ばかりでありますから、五十八年からの応援者を、何か仕事をしたから政治資金というのは、私はちょっと困る、こう思っております。
津島委員長 これにて佐々木君の質疑は終了いたしました。
 次に、保坂展人君。
保坂委員 社民党の保坂展人です。
 一番手の自民党の浅野議員からの質問にもあった、これはNGOが問題提起をしたケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電所事業について伺います。
 調査段階も含めると、これは巨額なプロジェクトですね、百八十億円を超えています。そして、有償ですから、これは利子をつけて返していただかなければいけないという、そういう案件です。そしてしかも、第二期の工事が今ずっととまっているという大変問題の多い案件なんですが、先ほど鈴木議員は、九九年八月、ここで初めてケニアに行って、モイ大統領などと会談した際に、このことを外務省側から、ケニアの方が債務削減を求めないのであれば積極的に検討する、前向きに検討するということを言う、そのくだりで初めて知った、こういうふうにおっしゃいましたよね。そういうやりとりがあったということをもうおっしゃっています。
 すると、去年の五月、フリージャーナリストの横田一さんに対して、おれがモイさんに会ったときに、おれが進めるなんていうのは言っていない、決め打ちできるのかと、今この横田君をしかっているところだと。これは外務省の方と電話をして言っておられますよね。今度は、もっと上の方を電話でつかまえて、正直者がばかを見るんだ、ケニアのダムは一回も頼むと言ったことはないし、ケニアに行ったときもそんな話はなかったんですよ、何で鈴木宗男が進めているということになるんだ、心外だ、鴻池組があって、そこから政治資金をもらって連動しているのではと、げすの勘ぐりをしているんだ、こういうふうに言って、一切進めていない、無関係だというふうに言われていますよね。
 矛盾するじゃないですか。
鈴木参考人 今保坂委員がおっしゃったとおりで、私は、ユネスコの選挙でケニアに行ったんです、平成十一年の八月に。いいですか。そのとき初めて、ケニアの話、ケニアに行って、ソンドゥ・ミリウという案件を知ったんですよ。
 で、私は、進めていないんですよ。政府に言われたとおりの、政府はこういう考えですから、このラインで首脳会談でお話をしてくださいと言われて言っただけですから、私が個人的に進めているととられるのは違いますよということなんです。
保坂委員 もう一回繰り返しますが、ケニアの側からそんな話はなかったとインタビューに答えているんじゃないですか、まさに官房副長官として公式に会ったときに。逆じゃないですか、さっきの答弁は。ケニアの側からもあったんでしょう、その話が。矛盾するじゃないですか。
鈴木参考人 先ほども説明しました、他の委員の質問に対して。外務省側から、あるいは我が方のケニア大使館側から、モイ大統領との会談で、恐らくケニア側は、このソンドゥ・ミリウは最優先事業ですよという話が来ますから、その話が出たときは、日本も前向きに考えます、検討します、こうぜひとも答えてくださいという話で、私はそのラインで言っただけなんです。
 ですから、私は、ソンドゥ・ミリウがどこにあるか、どんなダムかというのは全く承知していないということなんです。
保坂委員 全く、その矛盾を指摘した質問に答えていないんですね。
 このジャーナリストに対するインタビューでは、ケニアからそんな話はなかったと言っている。しかし、今のお話では、ケニアから出たときには、そういう、外務省の言うとおりやったと言っている。ここは、真実、これ以上やっても――これは正式に明らかにしていきたいと思います。
 もう一点、鴻池組の話が出ました。鴻池組は、これは総額で、第一期四十四億ですか、第二期だと大成と合わせて五十三億、かなり巨額な、これは受注予定ですね、第二期は。こういう鴻池組から百八十万円に上る献金を受けている。これは、政府高官としてケニアに行って、今お認めになったそういう話をしているわけですから、これは不見識そのものじゃないですか。鈴木宗男の応援団が鴻池組だとおっしゃっているようですけれども、じゃ、その応援団の鴻池組は、ああ、受注ができた、おお、それはよかった、こういう話になるんじゃないですか。非常に不透明だし、これはもうおかしい。どういうふうに考えているんですか。
鈴木参考人 保坂委員、先ほど、ケニア側から話がなかったと私が言っているというのは、それはちょっと短絡的で、鈴木が進めたんではないかと言うから、それはなかったというのがまずありきなんですよ。ですから、話はきちっとまとめて、整合性を持って私は言ってもらいたい。
 同時に、私がユネスコの選挙でケニアに行ったのが、これは平成十一年の八月ですね。鴻池さんはそれ以前から私の後援会員です。そして、月二万五千円ですね、今、年間三十万円いただいておりますから。私は、社会通念上で、きちっと届け出も出ていますから。何かそこで物を頼まれた、何か私が口ききをしたというなら問題かもしれませんが、一切そういうことはありませんから、これは誤解のないようにしていただきたい、こう思います。
保坂委員 鈴木議員がケニアに副官房長官として行ったのは九九年なんですね。その年も五十万円の献金が入っていますね。翌年も入っている。これは指摘をしておきたいと思います。
 そこで、ODAの、先ほどの同僚議員からの質問にもありましたけれども、巨額な資金が動くわけですね。これは国民の税金ですね。そして、もしこれが焦げついたりすれば、またこれは税金で穴埋めしなければいけないという大変重いお金です。
 私が入手した資料によれば、鈴木議員が、例えばここにいらっしゃる衛藤さんが経済協力の特別委員長だったときに委員長代理、こういうときに、つまり、根回しがないのでこの案件はとめると。要するに、鈴木議員に対する外務省側からの根回しがないので、何でおれのところに話がないんだと有償課長をどなりつけて、しかり飛ばして、そして外務省の方で、これはまずい、もう一回根回しをしなければということで契約を順延する、こういうようなことはあっちこっちから聞くんですね。
鈴木参考人 今、保坂委員の言ったことは一切ございません。これは、何かしらためにする話は本当に困ります。何でも鈴木というのは、どうしてそう言われるか、私自身もそれは反省するところもあろうかと思いますけれども、ない話をあると言われるのは困りますから、この点だけは明確にしておきたいと思います。
保坂委員 これについては、借款契約の根回しを行ったところ、鈴木議員はノーだったと。そして、これについて、これは交換公文のときに話を聞いておらぬ、こういうふうに言ったという話なんですが、この鈴木議員の、今、鴻池組の話をしましたよね。あらゆるところのODAの、自民党の委員長代理だったり、あるいは委員長だったりして、まさに鈴木議員のチェックを受けなければいけないという非常に不透明なシステムがある、こういうふうに言われているわけです。
 そして、例えば、そういう中で、相手国と議論する中で、この案件は商社が興味を示しているからぜひ政治の側からも働きかけたい、こういうふうに言ったことはないですか。
鈴木参考人 自由民主党というのは、各部会があって、そこで平場の議論がされておりますから、何も、何かにつけ私が言うとか、聞いてなかったからとめただとかという話がひとり歩きしますけれども、そういうことはございません。意図的にそう言われたとするならば、私は本当に、私自身困るなという思いでいっぱいであります。
 同時に、保坂先生、このソンドゥ・ミリウをよく経緯を調べてください。私は、先ほど言ったように、官房副長官、総理特使としてケニアに行った。そのとき、外務省が、こう言ってください、政府の方針はこうですからというラインで私が言っておって、ソンドゥ・ミリウというのは全く頭になかったから、私は知らない、関与していない、週刊誌の取材にもそういうふうに答えているだけなんです、これは。
保坂委員 そうすると、先ほどもスズキホールの話を、個人の寄附といいながら外務省に預けたりということが答弁の中でありましたよね。これは今聞いていません。
 この間、問題になっている、例えば佐藤主任分析官、鈴木議員と海外に同行しております、何回も。この同行をしている際に、出張費を外務省から出してもらったら、これは六百九十四万円ですね。例えばウズベキスタン、タジキスタンに行ったときには、佐藤さんが七十四万円かかっていて、今度は、鈴木さんの方は五十万円。
 こういうことで、どういうふうに出張を、外務省は、鈴木さんに外務省が頼んで全部行ってもらったと言っているんですね。これはやはり私物化じゃないですか、こういうふうに使うのは。
鈴木参考人 保坂委員、総理特使で行く場合はおのずから、これは政府の方で私は経費が出るものだ、こう思っていますね。これはもう当然のことだと思っています。
 同時に、外務省職員の出張は、私がだれだれと決めるものでなくて、外務省の中で手続をとって、その手続は局長から大臣まで行くものだと思っていますよ。その手続をとって外務省職員は出張しているはずであります。私がこうだなんて言って決まるものじゃありません。
 それと同時に、例えばロシアなんかと外交する場合は、やはりそのロシアの情報だとかあるいはその分析をよく知った人でなければ、私はいい交渉はできないと思います。特にハイレベルの交渉になると、私はなおそれが大事だと思っているんです。そういった意味では、私は、佐藤さんの情報だとか分析は評価のされるものだ、こう思っています。
保坂委員 今回、田中外務大臣が突然に更迭された。そして、この一連の事態の中で、NGO、そのピースウィンズ・ジャパンというのは結局排除されたわけで、田中外務大臣の指示のもとにまた戻ったわけです。そして、一連の展開の中で、外務大臣も更迭され、鈴木議員も議運の委員長をやめ、そして事務次官も、きのうですか、やめたわけですね。
 これは三十一日の新聞報道ですが、おれが仕組んだとおりになった、こんなにいくとは思わなかった、こういうふうにおっしゃっているようです。鈴木議員としては、この一連の事態、田中外務大臣が更迭された、意外だったんですか、あるいはこれが、このコメントどおり、うまくいった、こういうことだったんですか。
鈴木参考人 これも明確にしておきます。
 それは私の発言ではないはずであります。そういうことを聞いたというのが記事になっておりましたね。でも、私は言ったことはありませんから、その新聞の、書いた会社には、その責任者に私は抗議をしました、私はそういうことは言っていないということを。
 これは、全国の皆さんが聞いておりますから明確にしておきたい。新聞記事をもとに、その新聞記事も、鈴木宗男のかぎ括弧じゃないんです。そう聞いたという話になって出ていまして、私は、それは正確でないということで、きちっと抗議をさせていただきました。
保坂委員 それなら、今NGOの存在も大事だ、そして田中外務大臣は、NGOをしっかりそこに参加させろということで、そこは正しい指示をしたわけです。なのに更迭をされるということに対して、鈴木議員はどういうふうに受けとめたんですか。
鈴木参考人 これは、私が答えるのは僣越ですし、また、私が答える話ではない、こう思っています。
保坂委員 それでは、ピースウィンズ・ジャパンが参加できなかったということについては、これはどういうふうに評価したんですか。そのことについて外務省の幹部と意見交換をしたり、そしてその後も意見交換をしてきたわけでしょう。このことについてははっきり答えてください。
鈴木参考人 先ほど来の質問にもまた関係するかと思いますけれども、私は、外務省が判断をした、あるいは外務省が基準を持ってやったと。
 ただ、先ほども私、言いましたけれども、昨年十二月のNGOの会議での問題について、私が部会で言ったことなんかがちょっと尾を引いて、また外務省もそれに引きずられたとするならば、私自身、外務省に申しわけなかったと思うし、また大西さんにも迷惑をかけて申しわけないなという思いがあるんですよ。
 同時に、今回の一月の会合は政府間の会合で、二十五のNGOが希望した、日本でも。しかし、出れたのは十二なんですね。
 それからもう一つ、大西さんがジャパン・プラットフォームやピースウィンズを主宰しているけれども、大西さんのその組織であるアフガンのピースウィンズやアフガンのジャパン・プラットフォームは出ているんです。これも、私は、きちっと皆さん方にもおわかりをいただきたいな、こう思っています。
保坂委員 これでは、大西さんの言っていることと全く違うんですね。要するに、重家局長から電話がかかってきて、鈴木議員が大変怒っている、朝日新聞の記事を見て、とんでもない、こういう言い分と全く正反対、違うし、真相は明らかにならないんで、証人喚問を要求します。
 鈴木議員にまずそういう責任ある立場で答えてもらいたい。
鈴木参考人 これも正確に答えますけれども、先ほど来言ったように、総理の答弁なり役所の答弁を聞いていると、昨年のやはり十二月のNGOの会議の、その際の草の根無償資金等の私の発言が尾を引いている嫌いは多分にあります。ですから、そのことで、逆に、外務省が私の考えをそんたくして言ったとするならば、私は、外務省に対しても申しわけないし、また大西さんに対しても申しわけなかったということは再三述べているとおりであります。
保坂委員 そういうのを間接話法というんじゃないですか。外務省を使って、自分がこういうふうに言っているということを伝えただけなんで、これはもう絶対に納得できません。
 終わります。
津島委員長 これにて保坂君の質疑は終了いたしますが、きょうの質疑を通じて、鈴木参考人、最後に、言い残したことございましたら、簡潔に。
鈴木参考人 こういう場をつくっていただきましたことに感謝申し上げたい、こう思っております。ありがとうございました。
津島委員長 以上をもちまして鈴木参考人に対する質疑は終了いたしました。
 鈴木参考人は御退席いただいて結構であります。
 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。


2002/02/20

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