2001/11/08 -1

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154 参院・法務委員会 司法制度改革推進法案 参考人質疑

9時半から、法務委員会。司法制度改革推進法案の審議で、午前中は参考人質疑。田中成明京大教授、中川英彦住商リース副社長、吉岡初子主婦連事務局長、野澤裕昭弁護士の4人で、民主党は小川敏夫さんが質問。

吉岡さんの陳述。「リアルタイム公開により国民の関心が高まり、300万通を超える意見が寄せられました。顧問会議や検討会も、ぜひそうすべきだし、利用者である国民の関与も必要です。弁護士報酬の敗訴者負担は、裁判所へのアクセスを容易にするための方策として検討したのですから、一律導入によって、逆にアクセスが困難になるようでは、趣旨が違ってきます。原告勝訴の場合にのみ導入するのならよいと思います。ADRも、前置主義を取ると訴訟へのアクセス障害になってしまいます。」


○委員長(高野博師君) 司法制度改革推進法案を議題といたします。
 本日は、本案の審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、四名の参考人から御意見を伺います。
 御出席いただいております参考人は、京都大学大学院法学研究科教授田中成明君、住商リース株式会社代表取締役副社長中川英彦君、主婦連合会事務局長吉岡初子君及び弁護士野澤裕昭君でございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお聞かせいただきまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず田中参考人、中川参考人、吉岡参考人、野澤参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し添えますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いしたいと存じます。
 なお、参考人の方の意見陳述及び答弁とも、着席のままで結構でございます。
 それでは、田中参考人からお願いいたします。田中参考人。

○参考人(田中成明君) 田中でございます。
 法による正義の実現の中心的な場所であるべき裁判制度のあり方を研究してきている者として、こういった場で意見を述べる機会を与えていただきまして光栄に存じます。
 我が国の司法制度は、戦後、法の支配の確立を目指して抜本的に再編成されまして、裁判所や弁護士会の権限なども強化されまして、制度上は司法の地位は飛躍的に高まったわけでございますけれども、伝統的な法文化の影響が根強く残っておりまして、また行政優位のパターナリズム的な法の運用が続いていたために、司法制度というものは一般の国民にとっては身近な存在ではなく、二割司法とか三割、小さな司法などと言われておりますように、その制度的な役割を十分に果たしているとは言いがたい状況が続いているわけでございます。
 今般の司法制度改革審議会の改革提言は、社会の複雑・多様化や国際化を初め、内外の急激な環境変化に対応すべく、我が国司法制度のこういった問題状況の抜本的な改革を目指す画期的なものでございまして、我が国では九〇年代以降、政治改革とか行政改革、財政改革、規制緩和、金融改革、地方分権など次々と重要な構造改革が推進されてきておりまして、司法制度改革も、当然、こういった一連の現在進行中の構造改革の一環として他のもろもろの改革と連動しながら、我が国を取り巻く内外の厳しい環境に対応することが求められておりまして、審議会の改革提言を円滑にできるだけ早期に実現することは緊急を要する事柄ではないかと考えております。
 今回の審議会は、司法制度の利用者である国民の視点からの改革を目指して、佐藤審議会会長を初め委員の方々が強い使命感を持って審議に熱心に参加して意見の収れんに努められまして、法曹三者内部だけではなくしていろんな形で、従来続いておりました意見の対立構図を克服して、将来に向けた土俵を設定し直して二十一世紀の日本を支える司法制度のグランドデザインを提示されたものでありまして、委員の方々の御努力に心から敬意を表するものでございます。
 意見書では、制度的基盤の整備、人的基盤の拡充、国民的基盤の確立という改革の三つの柱のもとに、従来から司法制度に関して指摘されていました懸案事項をほぼ網羅的に取り上げて、それぞれについて重要な改革提言をされております。そして、国民に身近で利用しやすく、その期待と信頼にこたえる司法制度の実現にとりまして、これら三つの柱はいずれも重要不可欠であるということは言うまでもございません。
 しかしやはり、法曹人口の拡大と法曹養成制度改革を中心とする人的基盤の拡充が、これは十年余りにわたります司法試験制度改革論議に一応の決着をつけるものであるという歴史的な経緯と、それから今般の司法制度改革全般の円滑な実現の前提条件の整備にかかわるという構造的な位置から見ましても、最重要課題ではないかと思うわけでございます。
 これまでも法曹三者の自主的な努力によって司法の手続とか実務の改革はいろいろと行われてきたわけでございますけれども、いずれにつきましても、結局のところ、そういった制度を実効的に進めるために必要な法曹が不足している、そのために十分な効果を上げることができなかったケースが多くて、意見書が指摘しておりますとおり、「制度を活かすもの、それは疑いもなく人である。」ということを痛感させられることが多かったわけでございます。
 やはり、質、量ともに豊かなプロフェッションとしての法曹が、相互の信頼と一体感を持って厚い層をなして存在し、国民との信頼関係のもとで十分かつ適切なコミュニケーションをとりながら協働する、こういう状況がつくり出されない限り、司法の制度的基盤の整備も国民的基盤の確立も難しいのではないかと思います。
 中でも、法曹人口の不足が我が国の司法制度がその制度的な理想どおりに作動することを妨げている主な原因であるということは、これはもう以前から司法制度に関心を持つ人々が共通して指摘してきたことでございまして、意見書では、こういった経緯を踏まえまして、これはあくまでも計画的にできるだけ早期に達成すべき目標であって、上限を意味するものではないということを断った上で、二〇〇四年には現行司法試験合格者千五百名を達成した上、二〇一〇年ごろには新司法試験の合格者数を年間三千人まで増加させることを目指すということを提言しております。
 具体的にどの程度の数の増員が適正かにつきまして、具体的な数値をあらかじめ示すということは、これはいろんな条件と相関関係にございまして、これは学問的にも政策的にも難しいわけでございますけれども、少なくとも意見書が目指すような司法の実現のためには、弁護士だけではなくして裁判官や検察官につきましても思い切って大幅な増員が必要であるということは、これはもう明白でございまして、計画的にできるだけ早期に達成すべき移行段階の目標と見れば、この具体的な数値が適切であるかどうかということを云々するよりも、ともかくこういった目標の実現を目指して、関連する条件整備を推進することが先決ではないかというふうに考えるわけでございます。
 そして、法曹人口の拡大によってプロフェッションとしての法曹に期待される役割が適切に果たされるようになるためには、やはり法曹の質の維持向上を図り得る養成制度を整備することが不可欠でございまして、法科大学院の設置はこういった要請にこたえようとするものでございます。
 意見書では、二〇〇四年から学生を受け入れることを目指して、法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナルスクールとして法科大学院を設置しまして、司法試験も、法科大学院の教育内容を踏まえて、原則として法科大学院修了者に受験資格を認める新たなものに切りかえて、従来の司法試験という点のみによる選抜ではなくして、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させたプロセスとしての法曹養成制度を新たに整備するという提言をしております。これは、戦後の法曹養成システムだけではなくして、大学の法学教育体制、これは従来のジェネラリスト養成をやってきました法学教育体制の重大な変革でございまして、こういった大改革であるということをめぐる意見の対立にも十分配慮して、円滑な移行を可能とするための種々の配慮がなされております。
 法科大学院の設置につきましては、一定の設置基準を満たせば認可して、広く参入を認める仕組みとしまして、公平性、開放性、多様性を確保するために地域を考慮した全国的な適正配置に配慮すること、それから社会人などが学びやすくするために夜間大学院を設置すること、経済的な理由から入学が困難とならないように奨学金、教育ローンなどの支援制度を整備することが要求されていまして、入学者選抜についても、従来のペーパーテストの入学試験のほかに学部成績とか活動実績などを総合的に考慮して合否を判定すべきものとされておりまして、法学部以外の学部の出身者や社会人などを一定割合以上入学させるべきことだとされております。
 こういった制度設計は、法科大学院構想が法曹になる門戸を狭めて参入制限になるんじゃないかという批判に対応するものでありますとともに、一発勝負と言われております現行の司法試験の弊害を是正することを目指すものでありまして、今後の法科大学院の設置手続とか入学者選抜システムの具体化においては、こういったことに十分留意する必要があると考えられます。
 法科大学院の修業年限につきましては三年が標準とされておりますけれども、法律学の基礎的な学識を有すると認められる者につきましては短縮型として二年での修了を認めるという移行措置的な制度設計がなされております。いろいろ問題がございますけれども、差し当たりはこの制度設計の枠内で、法科大学院の目的とか理念は我が国に適した形で実効的に実現するような具体案を各法科大学院で模索すると。そして、おのずと収れんすべき方向を探るべきでありますけれども、これは、新しい司法試験の合格状況はどうなるかとか、あるいは法学部教育とか司法修習制度はどういうふうに変わっていくかとか、さらには大学全体について学部三年、修士課程三年という再編成案も議論されておりまして、こういった大学改革の状況等も視野に入れて、適当な時期に再検討してもいいんじゃないかというふうに考えております。
 法科大学院の入学者選抜の公平性、開放性、多様性とか教育水準などを確保するために、設置認可基準だけではなくして、法曹関係者や大学関係者のほかに外部有識者も参加した第三者評価によって厳密性とか公平性、そういった要件を確保することが行われておりますけれども、こういったものをできるだけ早い時期に公表して周知を図るべきだとされておりますけれども、特に第三者評価の基準と機構につきましては、推進本部が立ち上がれば、そこを中心に関係機関の意見を踏まえて早急に検討をいただきたいというふうに考えております。
 意見書は、法科大学院の理念といたしまして専門的な学識の習得とか豊かな人間性の涵養、その他いろんなことを挙げておりまして、基本的には理論的教育と実務的教育の架橋を図ると。それから、教育方法につきましても少人数教育にするというふうなことをやっております。そして、法科大学院はこういった意見書に示された教育理念をそれぞれ創意工夫して実現するように競い合うことにすべきでありまして、法科大学院では行政とか企業とか国際関係、従来の裁判関連業務以外にも法曹が進出するための基礎的な教育を行いまして、我が国の法曹の狭過ぎる活動領域の拡充を促進する拠点になるべきではないかというふうに考えております。
 法科大学院で質、量ともに豊かな法曹が養成されるようになるということは、単に司法制度全体の円滑な推進に不可欠であるだけではございませんでして、我が国の経済とか行政、政治を担う人材の育成において大学が果たしてきた役割にも大きな転換を求めるものでございます。
 こういった法科大学院の充実した教育体制を整備するためには、私ども大学関係者の真剣な努力が必要なことはもちろんでございますけれども、それだけでは限界がございまして、従来の安上がりのマスプロ的な教育体制から抜け出すための財政上、制度上の特段の配慮が必要ではないかというふうに思います。
 この法科大学院の問題に限らず、意見書は幾つかの画期的で重要な改革提言をしておりまして、それだけに、こういった改革を円滑に実現するためには多大なエネルギーが要ると思います。意見書では、内閣に強力な推進本部を整備して一体的かつ集中的に取り組む等を求めるとともに、内閣、関係機関に対して、司法制度改革推進施策を総合的に策定して計画的にできるだけ早期にそういった施策を実施することを求めております。さらに、今般の司法制度改革に関する施策を実施するために必要な財政上の措置に対する格段の配慮も政府に対して要求しております。
 財政状況が厳しい中、この法科大学院の支援も含めて司法関連予算の拡充を求めるためには、やはり国民的な理解と支持が不可欠でございますけれども、意見書の改革提言の具体化ということは、単に司法改革にとどまらず、最近の一連の構造改革の円滑な推進のための人的、制度的なインフラの整備にもかかわるわけでして、ひいては国民一人一人の生活の質のあり方にも大きな影響を及ぼす基幹的な意義を持っているものでございまして、こういったことが認識されて広い視点から、推進本部を中心に関係機関の円滑な協力によって、できるだけ早期に改革を実現するために必要な制度的な整備と財政的な措置が講じられることを期待しております。
 以上でございます。

○委員長(高野博師君) ありがとうございました。
 次に、中川参考人にお願いいたします。中川参考人。

○参考人(中川英彦君) 中川でございます。
 本日は、こういう場で意見を述べることができる機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。
 今回の司法改革でございますけれども、五十年ぶりの大改革ということで、法曹三者だけではなくて、利用者である国民が参加いたしまして大変幅の広い立派な改革提言ができ上がったというふうに理解しております。司法制度改革審議会の皆さんの御努力に敬意を表するとともに、この改革案が本当に実効のあるものとなるように官民協力して具体化される、そういうことを大変強く私どもとしては希望、期待しております。
 本日、私が参考人に呼ばれましたのは、恐らく司法制度の利用者である企業の立場から何か言えという御下命だろうと推測いたしまして、したがいまして、そのような観点から幾つかの要望ないし意見を述べさせていただきたいと存じております。
 まず一つ目は、法科大学院、今、田中先生からもお話がございましたが、に関してでございますけれども、既存の法学部と新たに設置されます法科大学院との関係をどう調整するかという基本的な問題も含めまして、法科大学院というものの役割をどこに求めるか、その点、若干あいまいな点が残されているように思っております。
 この点につきましてはいろいろ御議論のあるところとは存じますけれども、私は、法科大学院の役割を即戦力を備えた法律のプロフェッションの育成ということに徹していただきたいというふうに考えております。既存の法学部の方は、基礎的な法学教育を通じまして世間に出てもどこででも通じるいわゆるリーガルマインドの養成ということに重点を置いた教育といたしまして、原則として既存法学部と法科大学院との役割のすみ分けということを行うべきではないかというふうに考えております。
 法科大学院で養成いたしますプロフェッションというのは、単に法律的な知識だけではなくて、対外交渉力とかあるいは紛争解決能力などのようにいわゆるビジネスセンスを伴った総合的な法律家としての能力を意味しております。そういう資質と能力とを備えた人材、こういうものがこれから我が国で進んでまいります国際化に備えて大変重要な法曹の能力として要求されているのではないかというふうに考えるからでございます。
 また、我が国の法曹は決してインターナショナルとは言えないと思います。例えば、私どもが貿易取引など国際的な経済活動をやっておりましてそこから発生するさまざまの法律的な紛争がございますけれども、そういう場合に企業にアドバイスしているのは実は欧米の弁護士さんでございます。あるいは、企業がみずから養成した企業内のスタッフであるのが実態でございまして、我が国の弁護士さんが関与するのはごく一部にすぎません。法科大学院は、日本の国際化に対応できる十分な語学力、それから基礎的な外国法の知識の育成ということについても最大限の努力をすべきだというふうに期待をしております。
 法科大学院がそういうプロフェッションを養成するためには、これは法律専門の教員だけでは不十分だと思います。やはり、実務家の数をふやすということが必要だと思います。改革案では三割程度の実務家教員というものを考えておられるようでございますけれども、私はこれじゃ不十分なのでやはり実務家を半数程度にすべきではないか、そういうふうに思います。
 そういたしますと、そういう実務家教員をどうして調達するかという問題が大きな問題となって出てくるわけでございますけれども、これはフルタイムでない教員とか、あるいはボランティアで実務家の教員を導入するとか、そういう柔軟な教員の受け入れをすべきではないかというふうに思います。
 それから、実務との接点をふやすという意味で、例えば企業などの実務の現場で研修をしていただくとか、あるいは国内外の弁護士事務所でトレーンをするとか、そういうカリキュラムを硬直的なものではなくてできるだけ柔軟なものにするということが大切ではないかなというふうに考えております。
 それから、若干視点を変えて申し上げますけれども、現在我が国には企業内で、会社の中で法律業務に携わっているいわゆる企業法務の担当者というのが約一万人程度いると言われております。一万人というのは、全国の弁護士さんの数が約二万人といたしますと、その半分に当たるわけでございます。これだけの法務担当者を企業は十年、二十年という時間と大変なコストをかけて育てているわけでございます。これらの担当者の中には、法曹として資格はございませんけれども、専門の弁護士さんよりも高度な法律業務をこなす能力を持っている人たちが大勢おるわけでございます。そういう法務担当者が法科大学院で勉強いたしまして弁護士資格を、法曹の資格を取るようになれば、実務能力を十分に備えた優秀な法曹をつくり出すことができるということになるわけでございまして、これは企業にとりましても国にとりましてもプラスになるんじゃないか。
 けれども、企業で働きながら法科大学院で履修するのはこれは大変困難でございまして、したがって、例えば夜間の法科大学院をつくるとか、あるいは通信教育を可能にするとか、あるいは一定の経験、資格を備えた企業法務の担当者は履修期間を短縮するとか、何かそういう企業法務担当者を大いに活用するという方法も検討していただければありがたいんではないかというふうに思います。
 それから第二に、弁護士に関連して若干申し上げます。
 まず第一は、企業の目から見まして弁護士さんの活動領域が余りにも狭いということでございます。要すれば、活動の場が、これは一部例外はあるといたしましても、裁判所を中心にした法廷活動だ、それから活動の内容も訴訟を中心とした紛争解決ということに比重が置かれているという印象を受けるわけでございます。
 今後、人数をふやして、国民の生活上のお医者さんとしての使命を果たしていただくということになるわけでございますけれども、アメリカのように弁護士さんが、企業は言うまでもなく、政府機関あるいは地方自治体、裁判所、大学、労働組合その他、社会の隅々で活用できる、そういう制度にぜひ改めていただきたいと思うわけでございます。
 それからまた、活動の内容も、紛争解決のための法廷活動だけではなくて、いわゆる予防法務という立場から、ビジネスに対して法的な観点からいろいろアドバイスをしていただくいわゆるビジネスローヤーというものを数多く生み出すような制度あるいは土壌をつくり出していただければありがたいと思うわけでございます。ちなみに、米国の弁護士には、法律知識だけではなくて、財務とか税務とかそういう経営センスを身につけた人が多数おられまして、経営者と一体になってビジネスをサポートするということが常識になっているわけでございますけれども、日本でもこういうような人材が数多くあらわれてくるということを期待いたしております。
 それからまた、余談になりますけれども、アメリカでは、弁護士さんが一たん仕事をやめまして学者とかあるいは政府の役人を経験してまたもう一遍弁護士業に戻る、いわゆるリボルビングドアと言っておりますが、回転ドアのように回ってくる人、これは珍しくなくおりまして、豊かな経験とか知識を売り物にしております。こういうこともやりやすくなるような社会になってほしいと思うわけでございます。
 それから次に、国際化の問題でございますけれども、我が国の国際化に伴いまして、司法制度全般の国際化を進める、これはもちろん重要なことですが、弁護士さんの国際化それから専門化ということも我々といたしましては大変強く望むところでございます。商取引に絡む国際紛争、あるいは例えば国際間の会社買収でありますとか合弁事業といった国際ビジネス、そういうものに必要な法的サービスにつきましては、ごく一部を除きまして残念ながら欧米の弁護士さんに依頼せざるを得ないというのが今日の実情でございます。日本企業は多額の報酬を外国の弁護士さんに支払っておるわけでございます。
 今後、ビジネスも含めまして日本全体がますます国際化していくのは目に見えておるわけでありまして、その方面の弁護士さんが絶対的に不足してくる状況にございます。前に申し上げましたように、法科大学院のカリキュラム、これを国際化し多くの国際弁護士を輩出するようにしなければ、司法の国際化というものは行き詰まってしまうんじゃないか、そういう心配がございます。個々の弁護士さんの国際化も必要ではありますけれども、例えば欧米の弁護士と日本の弁護士とが合同で事務所を開設できる、そういうふうな抜本的な改革もやっていただければ利用者の方は大変利用しやすいんではないかというふうに思うわけでございます。
 それからまた、弁護士さんの専門化、これも重要でございまして、知的所有権、独禁法、労働法、税法、そういう特殊な法領域に特化した専門弁護士を養成できる、これも法科大学院がそのように工夫すべきではないかというふうに思います。総花的な教育ではなくて、いわばアメリカのロースクールのように本人の将来志向に応じた選択的なカリキュラムを用意するということがやはり専門性のある法曹を生み出すための重要な点ではないかというふうに考えるわけでございます。
 それから、弁護士さんの情報公開についてでございますが、サービスを使い勝手のよいものにするため情報公開が絶対に必要だと思います。弁護士さんの経歴を初め、実績あるいは得意とする分野あるいは報酬、そういうものなどを手軽にアクセスできるような開示の方法をぜひ考えていただきたいというふうに思うわけでございます。
 ちょっと時間があれですが、最後に、ADRについて簡単に申し上げます。
 オルタナティブ・ディスピュート・リゾリューション、これは法廷外の紛争解決制度でございますけれども、企業といたしましては、経済活動から発生する紛争、これは法律的に白黒をつけざるを得ないものも多々ありますけれども、多くは経済合理性の判断で決着をつけた方が迅速な場合が多いわけでございます。例えば、ある機械を買ったけれども予定どおりの性能が出ない、それは機械が悪いのか、それとも機械を買った人の使い方が悪いのかといったような紛争を裁判所でちょうちょうはっしやるよりも、やはり機械や製品のことをよく知っている実務の専門家が中立の立場で判断をいたしましてどこかに落としどころを見つけた方が、これは解決も早いし当事者も納得しやすいわけでございます。
 そこで、だれでもが信頼できる実務家、例えばもと判事をやった、そういうような法律家が判断者となりまして紛争当事者の主張を聞いて、そして妥当な結論を導き出す。その結論に対して一定の法的な効果を与える。そのような仕組みができましたら、企業といたしましては、国内、国外で発生するさまざまの取引紛争の解決に選択肢の一つとして大いに利用するようになるだろうと、そういうふうに考えておりまして、現在の商事仲裁制度を見直し、使い勝手のよいものにするというのも一つの方法ではないかと思います。
 米国では、既に産業のいろんなセクターに精通した実務家のリストというものを用意いたしまして、紛争当事者がADRを選択したときにはそれを利用できるシステムというものを構築しつつあるというふうに聞いておりまして、そういう民間主導の紛争解決システムを法的にオーソライズする、国がバックアップする、そして実効性のある紛争解決の仕組みをつくるということを期待しておる次第でございます。
 ちょっと話が細かくなりまして、またお耳ざわりな点もあったかと思いますけれども、御容赦をお願いいたします。
 以上でございます。

○委員長(高野博師君) ありがとうございました。
 次に、吉岡参考人にお願いいたします。吉岡参考人。

○参考人(吉岡初子君) 吉岡でございます。
 本日は、このような機会を与えていただきましてありがとうございます。司法制度改革審議会に委員として二年間関与させていただいた立場から、また消費者問題にかかわる一市民の立場から、今回の法案と司法改革に対する意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず最初に、法案の基本理念について申し上げます。
 司法制度改革審議会の意見書は、今回の司法改革の基本理念について、国民の一人一人が統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画すること、また法の精神、法の支配がこの国の血となり肉となることを掲げております。統治客体意識から統治主体意識への転換、法の支配の確立といったこれらのキーワードは、一言で言うならば、国民主権の社会にふさわしい司法に向けた改革を目指すものと言えます。
 このことが法案の二条の中で明確に記載されていないことはやや残念ですが、今回の法案の目的が意見書の趣旨にのっとった司法制度の改革と基盤の整備であるということからしても、このことは当然に第二条の前提になっているものと考えられます。したがって、これからの立法化の過程でも、国民主権の社会にふさわしい司法に向けた着実な制度設計が行われることを期待いたします。
 次に、立法過程の透明性について申し上げます。
 今回の審議会の大きな特徴の一つは、審議会が全面的に、しかもリアルタイムで公開されたことにあったと思います。審議の公開をめぐっては、当初、公開されると自由な発言ができなくなるという懸念がなかったわけではありません。しかし、審議に携わった立場から申し上げますと、公開の審議だったからこそいいかげんにはできないという懸命な思いで審議にかかわることができたのではないかと思います。実際、審議の中でおのおのの委員がどれだけ自由に、緊張感を持って、時に激しく本音の議論を行ったかは毎回の議事録をごらんいただければきっと御理解いただけるのではないかと思います。
 また、リアルタイムでの公開によって審議の内容が頻繁に報道されるようになり、国民の司法改革に対する関心が大きく高まりました。審議会の場にもさまざまな意見が寄せられるようになりました。そのようないわば国民注視のもとで、国民の反応や意見をフィードバックさせながら審議を行ったことが今回の意見書の内容にも反映されたものと思います。
 したがって、これからの立法作業の中で意見書の中身を後退させないためにも、立法過程の透明化は必要不可欠です。推進本部、顧問会議だけでなく、各分野に設けられると伺っております検討会につきましても、全面的な公開がぜひとも必要と思います。しかも、会議から何日もたってから議事録が公開されるのではなく、そうなると公開の意義は大きく損なわれてしまうと思います。立法過程を国民注視のもとに置くことは、やはりリアルタイムでの全面公開がぜひとも必要と考えますので、この点の御配慮をお願いできればと思います。
 それから、推進体制への国民の関与について申し上げます。
 推進体制について意見書は、「内閣に強力な推進体制を整備し、引き続き利用者である国民の視点から、一体的かつ集中的にこれに取り組まれるよう求める」としています。司法制度改革推進本部はこの意見書の提言を受けて設置されるものですが、今回の改革が利用者である国民の視点から取り組まれるべきものであることからすれば、推進体制の中に利用者である国民が関与することが必要不可欠と考えます。
 具体的には、顧問会議、各分野の検討会議のそれぞれに、ユーザーの立場にある者が構成員として加わることが必要です。その際、経済界からだけではなく、司法による公平な解決を最も必要としている国民の側からも構成員には加わることが必要と考えます。また、顧問会議については、その役割が、進められている改革が審議会意見書の趣旨に沿ったものであるかどうかをチェックすることにあると考えますと、基本的には審議会の委員が担当することが適当と考えます。審議会委員をメンバーにすると議論の蒸し返しが行われるのではないかと懸念する向きがあるかもしれませんが、全員一致で意見書を提言したのですから、そのような心配には及ばないと思います。そして、その際にもユーザーの立場にある者が構成員に加わることが重要だと考えております。
 なお、財政問題についても一言申し上げます。
 審議会の意見取りまとめの過程において、財務省筋から厳しい財政状況を踏まえた圧力がかけられたという報道がなされたことがありました。その真偽はともかく、今回の司法改革は内閣が総力を挙げて取り組むべきものと位置づけられている課題です。したがって、財政上の観点から改革がとんざしたり中途半端なものに終わってしまうことがないよう、財政当局には特段のお願いを申し上げたいと思います。
 次に、これから立法作業に入るわけですが、その課題の幾つかについて若干の希望を申し上げたいと思います。
 まず、裁判員制度について申し上げます。
 意見書では、今回の改革の柱の一つとして国民的基盤の確立を掲げ、裁判員制度の導入を提言しました。無作為に選任された一般の国民が裁判官とともに訴訟手続に参加する裁判員制度は、司法の分野における国民主権原理の具体化と言える制度であり、高く評価すべきものと考えます。
 しかし、審議時間の制約などもあり、意見書では制度の細部までの提言はなされていません。意見書は、裁判員制度を広く一般の国民が裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる制度として提言していますが、そのような実質を制度設計の中で確保できるかどうかは、これからの立法作業の結果によるところが大きいと言えます。裁判体における裁判官と裁判員の数をそれぞれどの程度にするかという点を初め、具体化が必要な論点は少なくありません。
 これらの点を具体化するには、一般国民自身が当事者となる制度であることからも、検討会のメンバーに国民代表を相当数加えるとともに、検討会のリアルタイムでの公開を含め、広く国民の意見を募っていく努力がとりわけ必要ではないかと思います。
 次に、弁護士費用の敗訴者負担制度について申し上げます。
 敗訴者負担制度導入の当否をめぐっては、審議会でも活発な議論が交わされました。また、国民の間でも、主として制度導入に反対する見地からさまざまな運動が展開されました。最終意見書の取りまとめの最後の最後まで原案の修正が重ねられた部分でもあります。その結果、この制度が裁判所へのアクセスの拡充という見地から導入されるべきものであって、一律に導入してはならないこと、訴えの提起を萎縮させるおそれのある場合には導入してはならないことなどが意見書で確認されました。
 今後の立法作業では、意見書の文言とともに、このような審議会内外の議論経過にも十分配慮した制度設計が行われることを期待しております。また、この問題については、国民的関心も高いものでありますから、国民の意見が立法過程に十分反映されるよう、特に工夫をお願いできればと思います。
 なお、原告が勝訴した場合にのみ弁護士費用を被告側に負担させる、いわゆる片面的敗訴者負担制度を導入することは、アクセス拡充という制度導入の趣旨にかなうものと考えられますので、そのような可能性も含めた検討が行われることを期待しております。
 次に、裁判外の紛争解決手段、いわゆるADRについて申し上げます。
 意見書では、ADRの位置づけについて、まず司法の中核たる裁判機能について、これを拡充し、国民にとって一層利用しやすくすることに格別の努力を傾注すべきことは当然であるが、それに加えて、ADRが国民にとって裁判と並ぶ魅力的な選択肢となるよう、その拡充、活性化を図っていくべきであると提言しています。
 これに対しては、裁判による紛争解決を複雑な紛争の解決などになるべく限定し、そこに力を入れていくことを目的に、市民間の日常の紛争についてはなるべくADRで解決し、裁判所の負担を軽減しようという観点に立ったADR拡充の議論も一方で存在するように思います。しかし、立法化の過程では、このような方向に流れていくことのないように、本来のADRのあり方を検討することを期待したいと思います。例えば、ADR前置主義が採用されることになると、国民の裁判による紛争解決の道はかえって狭められてしまいます。そういったことにならないように希望いたします。
 最後になりますが、私を含め、審議会の委員は、本当に真剣に、時に本業に大きな支障を来しながらも、国民のさまざまな意見を踏まえつつ、意見書の取りまとめに向けて精魂を傾けて議論を尽くしてまいりました。その結果、全員一致で取りまとめられたこの意見書は重みのあるものと考えます。ぜひとも意見書の趣旨が後退させられることのないよう、むしろその趣旨をより発展させた形での立法化がなされることを最後に改めてお願いして、私の意見陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。

○委員長(高野博師君) ありがとうございました。
 次に、野澤参考人にお願いいたします。野澤参考人。

○参考人(野澤裕昭君) 弁護士の野澤と申します。本日は発言の機会を与えていただき、ありがとうございます。
 私は、現在、自由法曹団という法律家団体の司法民主化推進本部の事務局長をしております。その活動を踏まえて、発言をさせていただきたいと思います。
 最初に、自由法曹団について一言御紹介させていただきます。
 自由法曹団は、一九二一年に神戸で発生した労働争議に際し、労働者を弁護するために全国から集まった弁護士を母体として結成されました。以後、労働、刑事、公害、行政、環境、基地訴訟などさまざまな裁判に携わり、国民の自由と人権の擁護のために活動してきました。現在、全国で約千六百名の団員がおります。
 私たちは、こうした労働者や国民の立場で裁判に取り組んできた経験から、現在の司法のあり方については強い疑問を感じております。それだけに、今回の司法制度改革については、私たちも真剣に考え、国民のための司法改革を行わなければならないとの立場で、積極的に提言もしてまいりました。
 司法改革を考えるとき、司法の現状がどうなっているかを検証することが第一に必要ではないかと思います。その場合、国民にとって司法、裁判というものがどういうものになっているか、国民が何に不満を持っているのかを裁判の実態に即して検証する観点が特に重要だと思います。
 この観点から見たとき、司法が抱える問題として最も重大だと思うのは、現在の司法が、憲法が期待する国民の基本的人権を擁護するとりでとしての役割、あるいは憲法擁護の役割を十分果たしていないということです。
 現行憲法は、戦前の日本が国民の人権を弾圧することで戦争体制を築いていったことの反省から、平和国家を建設するために何よりも人権が尊重されなければならないと考え、基本的人権擁護の理念を掲げました。また、憲法は、法律によって人権が制限された歴史も踏まえ、違憲な立法に対しては、裁判所にこれを審査し、無効とする違憲立法審査権を与えました。行政に対するチェックも裁判所の役割として期待されていると思います。まさに司法は平和と人権を支える機能を憲法から期待されているというふうに考えております。
 しかし、残念ながら、現在の裁判所は人権擁護、憲法擁護の役割を十分果たしていないのではないかと言わざるを得ません。
 例えば、国や大企業を相手とする裁判では、裁判所は国に追随し、あるいは大企業に甘い判断をする傾向にあります。国などを相手とした水害あるいは公害の差しとめや損害賠償を求めた訴訟では、そもそも原告適格がないとか、あるいは受忍限度の範囲内の被害は違法性がないとか、行政の規制権限に大幅な裁量を認めるなどの手法で住民や被害者の救済を拒んでいます。
 労働事件でも、労働者に対して冷たい判決が続いています。一例を挙げれば、共稼ぎで三歳の子供を保育園に預けながら働いていた女性が、会社から片道二時間以上もかかる職場へ転勤を命じられました。この女性は、妊娠中でもありとても育児ができないとこの会社の配転命令を拒否したところ、解雇されたという事件であります。裁判所は、会社の転勤命令は労働者として通常甘受するべきものであるという判断をして、この解雇を有効としました。この女性は控訴し、最高裁まで十二年間争いましたが、昨年一月、最高裁もこの解雇を有効としました。
 また、少年事件ですが、女子中学生が乱暴されて殺されたという事件がありました。女子中学生の体に犯人のAB型の精液や唾液が付着していたのですが、犯人として逮捕された当時十三歳から十五歳の少年の血液型がBあるいはO型と犯人のものと全く違っていたにもかかわらず、裁判所は、精液は別の機会につけられた可能性があるとか、少女の胸についていたAB型の唾液は少女のA型のあかと少年のB型の唾液がまざったものなどという常識外れの判断をして、少年を犯人と決めつけました。この事件は、さすがにその後、昨年二月、最高裁で破棄、差し戻しされています。
 また、憲法違反と思われる状態であるにもかかわらず、判決の影響を考慮して憲法判断を回避する、いわゆる司法消極主義と言われる傾向もあります。
 さらに、裁判が長期化し、費用がかかり過ぎるという問題もあります。労働事件や公害事件などでは十年、二十年という歳月がかかり、勝訴しても救済の意味が失われているという状況も生まれております。裁判が国民の常識からかけ離れ、国民に背を向けていると思われるような状況を変えることが、今改革の第一に求められていることではないかと我々は考えます。
 こうした現状を生んでいる原因は何かといえば、裁判官に対する最高裁を頂点とした官僚統制にあるというふうに思います。例えば、労働事件や公害事件では、最高裁が全国から裁判官を集めて裁判官会同あるいは裁判官協議会というものを開き、そこで特定の事例について事務総局から国や企業の利益に沿った見解が示され、その方向で判決内容を統制していくということが行われています。また、裁判官に対する任用あるいは昇給・昇格、任地などでの差別が行われ、最高裁の意向に反する裁判官は冷遇され、他の裁判官から引き離されるという人事統制も厳然として行われています。裁判官が法務省や検察庁に出向するいわゆる判検交流、これも年間数十人の規模で行われておりますが、裁判官が国の代理人となるということで行政寄りの意識を裁判官に植えつけ、行政寄りの裁判をさせる原因ともなっていると考えております。
 最高裁のこうした裁判官統制のもとで、裁判官が自由に意見を表明し行動することが制限され、良心に従って裁判を行うことができなくなっている。こうした状況が、先ほどの国民の常識に反し国民に背を向けた裁判を生み、憲法と人権を擁護する本来の司法の機能を失わせ、そのことが国民の裁判への信頼を弱めているのではないか。そのことが、司法が国民の中に浸透していかない大きな原因になっているのではないかと考えています。国民が利用しやすく身近な司法を実現するという司法改革の理念からすれば、このような官僚統制を廃止し、裁判所を国民の常識が通用するものに変えることが極めて重要ではないかと思います。
 このほかにも、司法の規模が人的にも物的にも小さいという問題があります。裁判官、検察官、裁判所職員を大幅に増員する必要があります。裁判官一人で二百件から三百件の事件を抱えるのではとても丁寧な審理はできないと言わざるを得ません。また、私たち弁護士も、弁護士過疎地と言われる状況を解消するために増員する必要があるというふうに考えます。
 私たちは、こうした司法の現状を根本的に改革するには、法曹一元、陪審制の導入という裁判の根本からの改革が必要だと考えます。今回の審議会の最終意見は、裁判官制度改革や裁判員制度の新設、国民の司法参加の推進などの点で現状を前進させる方向が打ち出されており、これらの点では積極的に評価しております。しかし、先ほど述べた法曹一元や陪審制の導入については先送りをされ、官僚的裁判官制度を根本的に改革するものになっていないということは不十分であるというふうに考えます。
 また、改革の理念自体についても、政治改革、地方分権推進あるいは規制緩和などの経済構造改革等の一連の諸改革の最後のかなめという位置づけをしておりますが、これは司法が何のためにあるかとの視点がずれており、問題ではないかと考えております。前述しましたとおり、司法は、現行憲法によって憲法の番人であり、基本的人権のとりでとしての役割を期待されているのであります。こうした憲法の理念を離れた規制緩和などのための改革を目的とするというのでは、本末転倒ではないかと考えるものです。
 また、労働裁判や行政裁判、刑事事件、違憲法令審査権の行使のあり方など、人権と憲法の擁護にとって非常に重要な問題について、残念ながら今回の意見では具体的な提言がほとんどなく、課題として先送りされております。労働裁判では、労働調停の導入が提起されておりますが、急増する労働事件を処理するには不十分です。労働参審制などの導入を図るべきですが、それは先送りになっております。刑事裁判についても、裁判員制度、被疑者・被告人の公的弁護制度の新設など評価すべき点も盛られておりますけれども、代用監獄の廃止あるいは逮捕後起訴されるまで最大二十三日間保釈が認められないといういわゆる人質司法の問題などについては先送りになっております。違憲法令審査権については、「論点整理」の中で論点項目に掲げられておりながら、最終意見は何ら現状の問題に踏み込んでおりません。弁護士報酬敗訴者負担の問題についても、国民が裁判を提起することを萎縮させるものであって、国民の司法参加という理念に反し、我々としては反対しております。
 私たちは、改革審のこのような審議のあり方、意見の内容が、司法の現状、特に裁判が国民の常識に合致していないという実態の調査、原因の分析が弱かったことと無関係ではないというふうに考えております。
 しかし、私たちは決して最終意見を否定するという考えではありません。むしろ、裁判官制度改革、国民の司法参加、その他前進的な面は積極的に実現するべきであるというふうに考えます。ただし、最終意見で積み残された点があること、あるいは裁判員制度など制度設計が今後の論議にゆだねられている点があること、弁護士報酬敗訴者負担に問題点があることなどから、この最終意見をゴールとするのではなく、これを新たなスタートラインとして国民的な論議を重ね内容を発展させるという観点が必要であり、今後行われる立法作業においてもそうした観点から行われるべきではないかというふうに考えるものです。
 今回の司法制度改革推進法案について最後に述べます。
 これについて私たちは修正意見というものを発表し、本日それを資料としてお配りさせていただきました。内容はそこに記載したとおりですが、要約すれば以下のポイントになります。
 第一に、推進本部設置の目的、基本理念の中に、司法の憲法上の役割を明記するべきだという点です。先ほども述べましたけれども、司法改革の理念というのは、やはり憲法が司法に期待している役割に即して行われるべきであるというふうに考えます。
 第二に、日弁連の責務条項については、これは削除するべきではないかと考えます。弁護士自治を有する日弁連が法律上一定の責務を負担することは、自治権の観点から問題があるというふうに考えるからです。
 第三に、基本方針の中に、最終意見が提言した裁判官制度改革などの積極的な部分を明確に反映したものにすること、今後の課題としている部分についても、これもきちんと盛ることが必要ではないかということです。
 第四に、推進体制の中に国民の意見を反映する仕組みをつくるということです。推進本部は全閣僚であり、事務局も各省庁からの出身者がほとんどで、これでは官僚主導の法案づくりという批判を免れません。国民の司法参加の理念というものにも反するもので、これでは国民の支持は得られないのではないかと思います。最終意見書では、最後の「おわりに」の部分でこのように述べております。「何より重要なことは、司法制度の利用者の意見・意識を十分汲み取り、それを制度の改革・改善に適切に反映させていくこと」であるということです。この最終意見書の最後の指摘にこたえるためにも、立法過程に国民の意思を反映させるということが極めて重要ではないかと思います。推進本部あるいは事務局にユーザーの団体、労働団体や消費者団体の代表を参加させることなど、国民が参加した推進体制にしていただきたいというふうに考えます。
 なお、顧問会議あるいは検討会設置ということが検討されていると聞いておりますが、ここにも利用者の代表者やあるいは学識経験者を参加させるということが必要であり、そしてそういう機関を設置する場合に、その存在をぜひ法律上明記していただきたいというふうに思います。そうでなければ、この顧問会議やあるいは検討会の権限、あるいは委員の人選や会議の運営などについてどうしてもあいまいになり、結局は事務局主導になるという批判を受けるおそれがあるからです。
 最後に、情報公開を徹底してほしいということです。審議会では、会議の議事録をすべて公表し、リアルタイムで会議の内容を公表されました。これは公開性を非常に高めるもので、国民の関心もこのことによって非常に高まりました。まさに、市民のための司法改革を行う機関として、それはふさわしい対応だったと思います。今後の推進本部の会議あるいはその他の会議においても、ぜひリアルタイムで会議の内容を公開するべきであると考えます。最低限、すべての議事録は公開するべきであると考えます。
 改革の目的はあくまで憲法と人権の擁護という司法の本来の役割を発揮することに置くべきであること、立法過程への国民参加と情報公開を保障すること、そのことが国民の司法改革への信頼を生み、改革の成功につながるということを強調したいと思います。
 最後に、私たち自由法曹団の弁護士も、二十一世紀の司法を国民のためのものにするため、法曹の一員として改革に主体的に取り組む決意であることを表明して私の発言といたします。
 ありがとうございました。

○委員長(高野博師君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。

○佐々木知子君 自民党の佐々木知子でございます。
 本日は、四人の参考人の先生方、貴重な御意見を本当にありがとうございました。
 まず、田中参考人にお伺いしたいんですけれども、法曹人口の拡大のことなんですが、御存じのように日本には各種の隣接法律専門職種、いわゆる準法曹がございます。我が国で準法曹が行っている業務内容は、外国では例えばタックスローヤーと言われているように弁護士の業務とされているものも多く、準法曹も含めると我が国の法律専門職種の総数は欧米先進諸国と比べて決して少なくないという考え方もできるかと思うんですが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。

○参考人(田中成明君) 確かに、法曹人口の問題を考える場合に、欧米では弁護士がやっている仕事を日本では隣接職種の方がやっていらっしゃるという問題があるわけでございますけれども、ただそういうことを前提に法曹人口を論じる場合には、やはり一種の現在の法曹資格間のバリアとか法制的なものの抜本的な再検討が必要ではないかと思うわけでございまして、単に隣接職種が弁護士がやっている仕事をやっているということだけでは、法曹人口を増大するのにネガティブといいますか、少なくてもいいという論拠にはならないんじゃないかと思います。
 しかし、将来的にはやはり弁護士の数がふえて活動領域が広がっていけば、隣接職種との職域という問題も再編成されて、広い意味での日本の法律家の、先ほど中川参考人も触れられましたように、非常に狭い活動領域、そういったものが広がっていくと一種のビッグバン的なことも起こり得ると思いますけれども、しかし現段階では、やはり今の弁護士とそれ以外の隣接職種との区別をした上でどれだけふやすかということを議論するのが適切ではないかというふうに考えております。

○佐々木知子君 次に、中川参考人にお伺いいたします。
 司法の国際化というのは非常にこれから進むでございましょうし、国際的な弁護士、そしてまた、おっしゃられましたように、各分野の専門的な弁護士をつくることは日本という国にとっても非常に重大なことだというふうに思っておりますが、ただ法科大学院でそれだけのことを教えられる教授陣というのをどのように確保していくかということは、これはまた別の問題として非常に難しいのではないかと考えるものですけれども、その点、いかがお考えでしょうか。

○参考人(中川英彦君) おっしゃるとおりだと思います。ただし、それを言っていたのではいつまでたってもこれは進まないわけでございまして、何とかしなきゃいけない。
 それで、私さっき申し上げましたように、大学院ではございますけれども、非常に柔軟な教育をそこでする必要がある。そこにやはり実務家を大量に導入する、そして実務的な教育を行うということと、それから実務との接点、これをふやす。企業に研修に来ていただくとか、あるいは海外の弁護士事務所で半年なり一年なり研修をするとか、そういうカリキュラムは恐らく今の大学院のイメージにはないと思うんですね。ですけれども、そこを柔軟なものにいたしませんといわゆる国際法曹というものは私は育たないと思います。
 したがいまして、やはり実務家を、これはもしもそういうカリキュラムができましたら、例えば企業の人でもボランティアで、じゃ私が行きますというような人もたくさん出てくるでしょうし、あるいは政府のお役人といいますか、あるいは公務員の方でも、じゃ私がちょっと行って教えてくるよというような、これはアメリカなんかはそうなっているわけです。
 ですから、そういう教員の確保を柔軟にする、それから実務との接点をふやすと、この二点をカリキュラムの中にどんどん取り込んで、本人が、例えば三年間あるわけですから、法科大学院というのは、もう二年目ぐらいから、自分は例えばタックスローヤーでいこうとか、自分は国際弁護士でいこうとか、そういう本人の志向ができるような、それに合わせたカリキュラムがあると、こういうふうに大学院の内容をしていただくことがやっぱりその専門家なり国際弁護士をつくる方策の大変大切な点だと思っております。

○佐々木知子君 じゃ次に、吉岡参考人にお尋ねしたいんですけれども、裁判員制ということが今回盛り込まれました。非常に画期的なことだと思うのですが、私は三年前に国会議員になる前に十五年間検事をしておりまして、プロフェッショナルな検事とか裁判官ですら、法廷に立ち会って真摯に事実認定をし、量刑を決めるということは心身ともに非常なストレスを強いられるということを実感しているものです。
 それを素人に対して、ある意味では関係のない裁判にかかわれということで、時間拘束も多うございましょうし、そういったストレスも非常にかかってくることと思いますが、その点についてはいかがお考えでしょうか。

○参考人(吉岡初子君) 確かに、佐々木議員がおっしゃるような御懸念というのはあろうかと思います。ただ、もともと司法は国民のためにあるということが当然のことで言えると思います。その国民のためにある司法が機能するためには国民が積極的に参加していく、そういうことが必要だと思います。
 先ほど、野澤参考人が裁判官にも非常識な判決があるということをおっしゃいました。やはり、プロフェッショナルだからこそ担わなければいけない、そういう面もありますけれども、素人の国民だからこそ社会的な常識、そういうところでの参加、そういうことができるはずでございます。
 それから、アメリカの陪審制、これについてはアメリカで見てまいりました。そういう中で見てみますと、やはり陪審制に参加するということで非常な責任感を一人一人が持つようになって、決して常識から離れたような判断はされていない、そういうふうに思っております。
 それともう一つ大切なのは、裁判官、検察官が素人である裁判員に対していかにして事実をわかるように立証し、説明し、そういうことが大切だと思いますし、裁判員、国民が参加した裁判制度は、そういう意味では裁判官の責任、リーダーシップ、そういうことも非常に大きいと思っております。
 ただ、もう一つ重要なことは、日本人の裁判嫌いといいますか、裁判は日本人一人一人からは非常に遠いものという、そういう感覚が少なくありません。そういうところで、やはりもしかしたら自分が裁判員になるかもしれない、そういう制度ができたときに裁判に対する関心の向け方、そういうものも変わってくると思います。それが、法が支配する国として国民が責任を持って参加できる、そういう制度になってくると思いますし、もちろん地盤整備としての教育の問題、これもかかわってくるとは思っておりますけれども、やはり裁判員として直接国民が参加する、そういうことが非常に重要な意味になると考えております。

○佐々木知子君 これは各参考人に簡単にお答え願いたいんですけれども、裁判の迅速化というのは私は民事、刑事を問わずぜひ実現しなければならないことだと考えておりますが、そのための工夫としてどのようなものが考えられるか、何か考えがあれば伺わせていただきたいと存じます。
 順番に、じゃ田中参考人から。

○参考人(田中成明君) 民事、刑事、多少事情違うところありますけれども、民事、刑事についてはそれぞれ、意見書に書いてありますように、集中的な審理とか争点整理というようなことありますけれども、やっぱりそういう手続とか実務の改革よりも、やはり裁判官の増員と、それから弁護士事務所の共同化とか、そういう訴訟を迅速にするための体制整備がなされないと、幾ら、手続とか実務改革だけでは追いつかないというのがこれまでの改革の成果ではないかと思いますので、やっぱり裁判官それから弁護士の増員と、それから弁護士の執務体制の変革というものが決定的に重要だというように考えております。

○参考人(中川英彦君) 私は、人的拡充も大変大切だと思いますけれども、例えば知的所有権の紛争なんかは、特許庁というものがあるわけでございますから、そういう、何といいますか、公的機関の専門家をもう少し活用すること、それは裁判というよりも、むしろ裁判の前にそういうところで判断をするようなシステムはないのかなという点が一つ。
 それからもう一つは、ADRでございますね、さっき申し上げた。裁判になじまないと言うと語弊がありますけれども、もっと早くできるADRシステムを発達させる。この二点も一つの工夫ではないかというふうに思っております。

○参考人(吉岡初子君) 裁判の迅速化ということは非常に大切なことだと思っております。その一つの対策としては、法曹人口を大幅にふやしていくということが必要だと思います。法曹人口、弁護士だけではなく裁判官、検察官も含めてふやしていかなければいけないと思います。
 ただ、裁判官、検察官がふえただけでは事務の効率化はできないと思います。そういう意味では、裁判官あるいは検察官の周辺の事務員関係、そういったところでも増員をしていただかないと迅速化というのは難しいだろうと考えております。
 それからもう一つ、証拠開示の問題があります。今、早い時期に証拠がすべて開示されているかどうか、その辺のところに疑問があるわけです。そういう意味では、証拠開示が前提になるということが言えると思います。
 もう一つ、集中審理についても検討する必要があると思います。

○参考人(野澤裕昭君) 法曹人口の増員というのがまず第一に必要だと思います。
 例えば、裁判官の数でいうと、日本は約三千名ですが、アメリカなどでは一万四千人、ドイツでは三万三千八百人ほどいると聞いております。例えばドイツなどでは、労働事件など六十二万件の件数が年間新規事件で処理されていると聞いておりますが、日本では、本裁判、仮処分事件合わせて約二千五、六百件という数字にとどまっています。こういう極端な数字の違いというのは、やはり裁判が長い、それだけ処理できる裁判官が少ない、もちろん弁護士の数も少ないということもありますけれども、そういうところに根本的な問題があるんじゃないかと思います。
 それから、審理においては、我々も経験しているんですが、いろんな大企業の差別事件などをやると十年とか二十年とかかかってしまう。そういう原因は何かといえば、やはり証拠が出てこない、偏在をしているという問題があります。証拠を開示すれば、特に差別事件などでは、どこにどういう差別があるのか、どこが違うのかが会社から出ればすぐわかることが、それが出てこないために長期の裁判が強いられると、そういう問題があると思います。
 そういう意味で、人口の問題、それから訴訟手続における証拠の開示の問題、こういうことが非常に重要な問題になるんじゃないかというふうに思います。

○佐々木知子君 時間が参りましたので、結構です。ありがとうございました。

○小川敏夫君 民主党・新緑風会の小川敏夫でございます。
 きょうは参考人の方にはお忙しい中、貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。
 吉岡参考人は審議会の委員にも参加されて、大変に中身のある有意義な意見を出していただきました。私ども民主党も、その意見の趣旨をこれから先完全に実現し、さらにもっと発展した形で司法を改革していきたいという形で一層努力していきたいと思っております。
 今回の審議会で、意見の中身も大変有意義なものであったと思いますが、先ほど吉岡さんが述べられたとおり、私は、この審議会が公開で行われたということが一つの画期的な出来事だったんじゃないかと。出来事と言うのはおかしいですけれども、審議のあり方であったというふうに思っております。そういう意味で、吉岡さんが先ほど述べていただいた点が重複する点もございますが、公開して有意義だったという点をさらにまた強調して御意見をいただければと思います。

○参考人(吉岡初子君) 私、本当にあの審議会が公開で、しかもリアルタイムで公開されていたということが非常に意義があったと思っております。全面的公開というのには、報道関係への公開という限定はあったかと思いますけれども、最初の出席はともかくとして、その後はマスコミの方たちが非常に関心を持って参加してくださった。通常の審議会等ですと、きょうの審議は大体こういうことでしたということが座長から報告されるんですけれども、そうではなく、臨場感を持って知ることができた、そのことが報道に生きてきたのではないかと思います。
 その報道されることによって一般の国民は内容について知るわけですけれども、そういう意味では、そのリアルタイムの報道がされることによって、今どこに問題があるのか、そういうことも非常に関心として大きくなったと思います。その関心が大きくなったということが、全体でいうと三百万を超えるような意見が審議会に寄せられております。弁護士報酬の敗訴者負担についても三万を超える反対の意見が寄せられました。そういうことが実際にあったということ、そのことが非常に意味が大きかった。
 それから、じゃ、自由な発言を阻害したかというと、決してそんなことはなかった。本当に熱心に発言しましたし、参加した十三人、本当に熱心だったと思っております。

○小川敏夫君 これまでのいろんな審議会とかいろんな各種会議がありますと、公開がなされなかったり、事後的に文書で報告という形が多かったんですが、即時に公開しない一つの理由として、公開することによって自由な意見が妨げられるとか、そうした自主的な審議が妨げられるという意見が中心だと思うんですが、その点、そういった弊害が感じられたかどうか、また吉岡参考人に説明いただきたいんです。

○参考人(吉岡初子君) 私は、確かに最初はそういうことを御心配の委員もいらしたと思います。ですけれども、一番反対していた方も、公開は一月からだったんですけれども、公開どうするということを再度かけられたときには、いいじゃないですか、入っていただいて結構ですというようにおっしゃいました。そういうことで、やはり知っていただくということが非常に意味があるという共通認識ができたと思うんです。
 そういうことからいって、自由な発言を妨げられるというようなことはなかったと断言できると思います。

○小川敏夫君 ありがとうございます。
 民主党としても、これからの推進本部、そのあり方について公開を求めていきたいというふうに考えております。
 田中先生にお尋ねします。
 先生は大学で生徒の指導に当たっておられるわけですけれども、今回、法科大学院というものができることになると。私が今感じている問題点を端的に申し上げますと、今、大学には大学の学部があって、大学院というものが二年制でございます。そうすると、今回も、三年制の法科大学院ということが標準であるけれども、学部卒業者については二年制でもいいというようなことになっております。
 そうしますと、今の学部の二年制ですね、それから大学院の二年制と、学部というのは専門課程でしたけれども、その年数が大学院の二年とぴったり合うものですから、法科大学院の趣旨というものが少しついてこないまま、今の大学院を少しお化粧するぐらいでこれで法科大学院だよという形になってはしまわないかということをちょっと私、不安に思っているんですが、実際に大学におられる先生、そこら辺の法科大学院のこれからのあり方と、今現存する大学院のあり方について御所感をお聞かせいただければと思います。

○参考人(田中成明君) 現在の学部と大学院と法科大学院の関係でございますけれども、学部は従来はやはりゼネラリスト養成、リーガルマインドを持ったゼネラリスト養成をやってきまして、それから大学院に関しましても基本的にはやっぱり研究者養成でして、部分的には専修コースという形で高度専門職業人を養成して、先ほど中川参考人がおっしゃいましたですけれども、我々もやっぱり実務家に教員に来てもらったり、カリキュラムについてもかなり努力してやってきておるわけですけれども、純然たるプロフェッショナル教育には行っていなかったということになるわけです。
 しかし、そういう形でゼネラリスト養成、それから研究者養成、それからプロフェッショナル養成になりますと、やっぱりカリキュラム全体を組みかえることになりますので、従来の学部のカリキュラムの延長線上とかあるいは従来の研究者養成を中心としたカリキュラムというものとは全く違ったカリキュラムを検討しておりまして、カリキュラムの編成に関しては、あれは三年が標準でございますので、三年で自己完結的なカリキュラムを編成すると。編成して、それでプロフェッションとしての法曹を養成するというカリキュラムをきちんとつくった上で、移行措置として従来、学部で法律学を学んできた方についてはある程度短縮を認めるというふうな制度設計になっておりますので、学部とか従来の大学院、それと新しくつくる法科大学院がごっちゃになるというふうな制度設計をしているところは今の大学はないというふうに私は見ております。

○小川敏夫君 ありがとうございます。
 また田中先生にお尋ねしますけれども、これまでは法学部で法律を一通り履修して、そこで司法試験を受けるという形で法曹に入っていったわけですが、今回、その法曹養成ということを法科大学院が担うとすると、今度は学部が必ずしも法曹を担うための法律知識をすべて教えることがないということにもなってくると思うんですが、そういう意味で学部の方の法学部の教育のあり方などについて、先生のお考えがありましたらお聞かせいただきたいんですが。

○参考人(田中成明君) 今おっしゃった点は、既存の法学部を抱えている大学にとっては非常に重大な問題でございまして、ただ法学部といいましても今は毎年大体四万五千人ぐらいいるわけでございますね。司法試験は現在千人ぐらいで、法科大学院が発足したところでせいぜい三千人、七、八割増すと四千人規模でございますので、現在の法学部の中のごく一割ぐらいしか、法科大学院に進むということは、仮に全部法学部から行ったとしてもそれしかならないわけでございます。
 現に、法学部がどういう役割を果たしているかといいますと、やっぱり法曹界に進む人よりも普通の民間企業とか国とか地方の公務員というふうな人材を養成してきておりまして、それは仮に法科大学院ができたとしても変わらないというふうに思いますので、各学部がそれぞれどういう層の学生を抱えているかというのに応じて、それぞれの進路に応じてカリキュラムを多様化して、ある大学は法科大学院に進む人をある程度念頭に置いたものもあるし、あるいはそれは全く関係なしに民間企業あるいは地方公務員あるいは国家公務員というような形で多様化していくんじゃないかというふうに思いまして、今、中途半端に両方一緒にやっているところがかえってどちらにも対応しにくくしていることになりますから、各大学はそれぞれの教育理念に応じてどういう形で役割分担していくかという形で、法科大学院ができれば全般的に学部の法学教育の中身は再編成されてかなり変わっていくだろうと。
 同時に、これは大学改革の観点から見ましても、やはり学部で従来、教養があって専門という形が四年一貫教育という形に変わってきておりまして、学部の垣根も非常にあいまいになってきているというふうな状況がありますので、大学改革全体の動きとも絡み合わせて相当大きく変わっていくだろうというふうに思います。

○小川敏夫君 中川参考人に一つお尋ねしますが、法科大学院は幅広い人材を集めるという意味で、法学部ではなくてほかの学部の学生にどんどん参加してもらうということがありますが、私はもう一つ感じている有意義なことは、社会人、やはり社会のいろんな経験をされた方がその経験を踏まえた後に法科大学院に入ってきて法曹となるということも、私は非常にいい意味でいい法曹を育てる一つのことだと思います。
 そういう意味で、先ほど一万人ぐらい企業の法務関係の方がいらっしゃるということでしたけれども、そういう方がまた法科大学院に入って法曹に加わっていただければと思うんですが、そこら辺の需要というのか、あるいはそうした体制とか、そこら辺のところはいかがでしょうか。

○参考人(中川英彦君) おっしゃるとおりでございまして、一万人の企業法務担当者といいましてもこれはピンからキリまでありまして、極めて実務経験の短い者もおりますし、それから中には二十年、三十年という人もおります。そういう実務経験の長い方はちょっと勉強すれば法曹としての資格を十分備え得るわけでございまして、そういう人たちが法科大学院で学んで資格を取る、そしてもとの企業へ戻ってくるか、あるいはそのまま法曹として活躍するか、それはどちらでもいいことであると私は思っております、余りけちなことは考えない方がいいんで。そういう活躍させるといいますか、企業に眠っております実務力というかを社会的に活用するのがいいんではないかという考え方なんですね。
 逆に、弁護士さんの方も、今後数がふえまして職域が拡大してくるとなりますとどんどん企業の方にも来ていただきたいと思っておるわけでございます。待ち望んでおるんですけれども、なかなかそういう適格、今の規制の問題がございまして、なかなか企業への就職というのは難しい。そこのところをフリーにしていただいて、企業の担当者も法曹として出ていく、それから逆に弁護士さんの方も企業の中へ入ってきていただく、その交流を進めるのがやっぱり法曹全体のレベルを上げる一つのいいチャンスじゃないかと思っておりまして、そういう道を開けるような制度にしていただきたいというのが私の考え方でございます。

○小川敏夫君 ありがとうございます。
 終わります。

○荒木清寛君 公明党の荒木清寛でございます。
 まず、田中参考人にお尋ねをいたします。
 新たな法曹養成制度としての法科大学院構想でございます。この問題は各層各界に賛否両論があったといいますか、今でもあるんだと思いますが、私はつくる以上は立派なものにしなければいけないというふうに思っているんです。
 それで、これはもうまず間違いなくアメリカのロースクールというのを随分参考にしているといいますか、それに肯定的な評価を与えた上で審議会の方も意見をまとめられたというふうに思うんですね。私は、そうであれば徹底的にアメリカ型のロースクールをまねした方がいいといいますか、向こうは私の理解では学部段階での法学部というのはないわけでありまして、リベラルアーツ教育というんですか、いろいろ幅広く教養を勉強して、そしてロースクールに行ってそういう法理論あるいは実践能力を培うということでうまく機能しているんではないかというふうに思うんです。
 だから、やるんだったら私はもうそこまで徹底的にやった方がいいんではないかと思いますけれども、いかがでしょうか。

○参考人(田中成明君) アメリカ型のロースクールの導入に関しては、私は当初から、否定的じゃないんですけれども、理念としてはアメリカ型のロースクールの意見が非常にみそになると思うんですけれども、ただ、それじゃ日本でそういう制度をどうして設計するかというふうになった場合、アメリカの制度が本当に理想かどうかというのは、私もアメリカのロースクールで学びましたですけれども、必ずしもそうじゃありませんでして、三年間というものを二年間に短縮した方がいいんじゃないかという意見もございますし、法学部につきましても、法学部がないというのはやっぱり問題ではないかというふうな意見がございまして、現在のアメリカのロースクールが理想的だという意見については私は必ずしも賛成でございませんでして、やっぱり例えばカナダのようにロースクールの後に司法修習制度も残そうとか、あるいはドイツのように大学では比較的理論教育を中心にやってあとは実務修習をやるというふうな、いろんなバリエーションがありますし、あるいは日本の医学部のように各大学で六年間きちんとやって試験を受けてまた修習をやると。いろんなバリエーションがありますが、そういう中から、日本の法曹制度とかあるいは大学制度等、適応的な中でアメリカのロースクールの理念をどうして実現していくかというふうなところがやっぱり制度設計をする場合にも重要でして、アメリカの制度はいいから、それじゃアメリカの仕組みをそのまま持ってくるというふうなことに関しては、必ずしも一般に言われているほどみんなそういうふうに考えているわけではなくて、アメリカのロースクールの導入論というのはこれはずっと以前からあったわけでございます。しかし、それに関してはやっぱりいろんな問題点も指摘されておりまして、今回の審議会の意見書もそういう問題点を非常に踏まえた上で、現実的にどういうふうに移行していくかというふうな制度設計になっているのじゃないかというふうに私は理解しております。

○荒木清寛君 今、米国でもロースクールを三年を二年に短縮してはどうかという議論もあるというお話でしたが、審議会の意見書は、「標準修業年限は三年とし、短縮型として二年での修了を認めることとすべきである。」というふうにはっきりうたっておられますね。私は、これは非常に大事な原則だと思うんです。ですから、日本型の法科大学院を考えるのであれば、四年間は法学部あるいは経済学部、工学部等で幅広く教養を勉強して、そして三年間みっちりそういう法律の専門家としての能力を養成するということを標準とすべきであるというお考えだと思うんですね。
 私は、これは非常に大事な提言であって、実際やってみたら、しかしそういう三年コースの方がごく少数になってしまったというようなことになってはいけないと思うんですが、この点、先生のお考えはいかがでしょうか。

○参考人(田中成明君) その点は、やはり三年が標準であることは標準で間違いないわけですけれども、カリキュラムについても、すべて三年標準でカリキュラムを編成したりするわけですけれども、やはり移行過程の問題をどうするかということがありまして、やはり現在、現実の問題としては法曹に進もうという人はやはり法学部へ来て相当程度法学を学んでいるということがありますので、そういう学生のことも差し当たりは考える必要があるということでございまして、将来的にどういうふうに考えるかということにつきましては、確かに二年、三年併存案というのは、カリキュラム編成で大学側でもいろいろ苦労していることはございまして、新しい司法試験の合格状況はどうなるかとか、あるいは司法修習制度はどうなるか、あるいは法学部がどういうふうに変わっていくかというふうなこと、あるいは先ほど少し話しましたように、大学全体について、学部三年、それから修士課程三年というふうな再編成案も大学改革の一環として検討されていると。
 そういうふうな状況を踏まえて、しかるべきときに再検討する必要があるというふうには考えておりますけれども、現在はやはり二年、三年併存案ということで、それでやっていくのが一番現実的であって、それで法科大学院が目指している理念がゆがめられるというふうには考えておりませんですけれども。

○荒木清寛君 中川参考人にお尋ねをいたします。
 利用者、特に企業法務という視点から、非常に私は示唆に富むきょうは御意見を聞いたと思います。
 ですから、参考人のお話を踏まえますと、参考人からすれば、改革されたそうした法曹養成制度の中で、法律ばかりずっと六年間とかあるいは五年間勉強してきた法曹よりも、むしろいろいろ語学も含めた幅広い教養を身につけて、法学部に限らず、いろいろ学部教育の段階では幅広い教養を身につけて、そして法科大学院でプロフェッショナルとしての技量を磨くという、そういう法曹を期待するという趣旨だというふうにお伺いいたしましたけれども、どうなんでしょうか。

○参考人(中川英彦君) そのとおりでございます。
 それで、実は、私ども企業の立場から見ておりますと、新入生、法学部を卒業して入ってくる人たちを見ておりますと、これは大学によってももちろんまちまちでございますけれども、実に法律を学んだという感じがしない人が多いんですよね、何を一体勉強しておったんだろうなと。改めて企業の方でこれを再教育をいたしまして、三年とか五年とか、やっと、ああ、法律というのはこういうものだったんですねというようなことを言い出すのが実情でございます。これが日本の実情でございます。
 だから、四年間の法学教育、それから三年間のロースクール、それから一年なり一年半の司法修習というのは、これはもう正直申し上げまして長過ぎるというふうに思うんですね。これを何とかもうちょっと効率よくできないものかというのが私どもの実は本音でございまして、それをどういうふうにしたらいいのかなと。
 これは先生の御質問とちょっとポイントがずれておるわけですけれども、何とか法学教育、これは法曹になるための教育も含めてなんですが、法学教育というものの効率を上げる、これはやっぱり実務との接点をふやすのが一番いいんではないかというのが、私、オン・ザ・ジョブと我々は言っておるんですけれども、具体的な接点を通じて、仕事を通じて、それがどういう法的意味を持っているのか、どういう問題があるのかというふうに、法律の知識だけではなくて現実の社会との触れ合いの中で学ばせると、そういうことが一番早いんじゃないかなというふうに思っておりまして、法科大学だけに限らず、やっぱり学部の方もできるだけそういうふうな教育を取り入れていただきたいなというふうに思っております。

○荒木清寛君 吉岡参考人には司法制度改革審議会の委員として大変御活躍をいただきまして、ありがとうございます。いろいろそういういわゆる法律のプロフェッショナルの多い中で堂々たる論陣を張られたことを私は大変評価をしております。
 今回の審議会の意見書は、従来、審議会といいますと、行政の隠れみのですとか事務局主導というふうに言われますけれども、大方の評価は、今回の審議会に限っては全くそうしたことはなく、委員主導で行われたということについてはほぼ評価が一致をしておると思います。
 そういう議論を進めることができた原因といいますか、何がポイントであったのか、教えていただければと思います。

○参考人(吉岡初子君) 何が原因だったというのはとても難しいところですけれども、スタート時点で議論をまずいたしましたときに、どうしても先に結論ありきというのが今までの審議会のタイプだと思っておりますけれども、今回の司法制度改革、これは先に結論ありきではないと。そういう意味と、それからもう一つは、十三人の中の七人は、法律専門家ではない、そういう分野から選ばれた。その七人の、そういう法律専門家ではない人たちから選ばれたということからして、やはり国民の視点に立った改革、そういうことを志向していたのではないかと思います。
 そういう面から、やはり事務局がもう既存の観念でもって主導していくという、そういうことではなく、もっとフリーにディスカッションをしていって、それが本当にこれからの二十一世紀の国民に役に立つ内容にしていくという、そういう合意が得られたということだと思います。
 ただ、改革事務局にいらした方々、皆さん優秀な方々でいらしたので、そういう意味では消化不良を起こされたかなという気もいたしますけれども、結論としては、そういう事務局主導でなかったからこそ意見書がこういう形でまとめることができたんだと思っております。

○荒木清寛君 最後に、野澤参考人にお尋ねをいたします。
 先ほどの陳述で、いわゆる改革審の意見書についてのコメントもございましたが、冒頭のこの基本理念と方向ということについてはかなり、賛同できないというお話であったかと思います。ですから、全体的には、評価すべき点はあるものの、全体としては評価できないという、そういうお考えなんでしょうか。

○参考人(野澤裕昭君) 全体としては、基本的には評価しております。ただ、この基本理念というのは非常に意見書のスタンスを宣言している部分であって、これに関してやはり先ほど言った問題があると。
 評価しているというのは、各論においてはかなり、私が先ほど指摘しました、国民の常識に反した裁判所を変える足がかりになる、抜本的とはちょっと言いがたいところがあるんですが、そういう方向が出されたということは画期的であると思いますし、そういう方向をやはり打ち出したという点において評価しているわけです。
 ただ、その中でやはりこれから制度設計をしなきゃいけない部分、裁判員制度だとかあるいは裁判官制度改革における人事評価のいろんな仕組み、任命過程への国民の関与のあり方など、各論部分になったときに基本理念の部分がやはり影響してくるだろうと。その場合に、やはり私としては、司法の本来の役割ということに立脚した観点が必要になってくる、それは先ほど述べたとおり、やはり憲法の規定に立ち返るということが一番必要じゃないかと思います。
 その意味で、この規制緩和あるいは構造改革その他の一連の諸改革のみが前面に出るということは、そういう観点からいうとやはり問題がある、そういう憲法の理念に従った形での各論の推進ということが必要ではないかというふうに考えております。

○荒木清寛君 終わります。

○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 きょうは、四人の参考人の皆さん、御多忙の中、本当に貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございます。
 最初に、野澤参考人にお尋ねをいたしますが、今日の司法の現状についてのお話がありました。特に、裁判官への統制という点で人事であるとか判検交流の問題を指摘をされて、これが司法が国民に溶け込めていない理由になっているという御指摘もありました。この問題、もう少し具体的なことも含めてお話をいただけるでしょうか。

○参考人(野澤裕昭君) 先ほど裁判官に対する最高裁の統制が非常にきついということを申し上げましたが、具体的には、私どもで市民集会をことしの四月に催したんですが、そこで元裁判官であった安倍晴彦弁護士がその集会に参加されて発言されたこと、これは非常に端的に物語っているのではないかというふうに思います。
 その点について若干御紹介したいと思うんですが、安倍裁判官という方は、和歌山の地方の簡裁におられたときに、公職選挙法の戸別訪問の規定について、これに違反したということで起訴された事件で、これが憲法に違反するということで無効という判決を書かれた方なんですが、この判決自体は当時はそれほどほかのいわゆる地方裁判所も出ていて極端な判断ではなかったわけですけれども、それが、それ以降、この安倍裁判官は最高裁の方からかなり厳しい処遇を受けたと。
 例えば、給料の差別、これがされまして、同じ採用された裁判官と比較すると月給として十五万とか、十四、五万の差が開き、それがどんどんどんどん年を追うごとによって開いていくと。
 あるいは、裁判官はいろいろ転任するわけですが、その転任に当たっても希望する場所に転任ができない、そういう転任における差別がされていると。例えば、東京に御家族がいて、そこに年老いた両親がいても、なかなかそこに帰ってこれないと。地方に飛ばされるとか。
 それから、最もおっしゃられていたのは、仕事について差別をされたということで、要するに、民事事件あるいは刑事事件とか、それぞれ裁判官の扱う事件の分野というのはありますけれども、そういう事件について自分の希望が入れられないと。安倍さんは家庭裁判所の支部にずっと置かれて、家庭裁判所の家事事件をされたわけですが、それは安倍さんのお話によると、なぜかというと、合議事件がないということなんですね。
 合議というのは、裁判官が複数、三人で合議体を形成して裁判を行う、こういうことですけれども、合議部があるとほかの裁判官にいろいろ合議の中で話をもちろんするわけですね。そういうところで影響がほかの裁判官に及んでは困るというような理由で、つまり合議のないところに回される。安倍さん自身は、もちろん修習生も来ないし、その裁判所の中でも合議から外されて、一人の孤立した状態に置かれると。これがやはり非常に厳しかったというふうにおっしゃっていました。
 また、これも司法修習のことでも関係するんですけれども、今のは裁判官になってからのことですけれども、司法修習の段階においても、五十三期、四期の修習生の中で、この司法制度改革が議論されていることに触発されて、今研修所でどういうことが行われているのかということを告発する資料をつくっているんですけれども、研修所の中で一番問題なのは、やはり裁判官になる任官志望者が裁判教官の目にかなった人しか結局任官していけない。任官希望を持っていても、いわゆる逆肩たたきと言われて、君はもうだめだよとか、あるいはちょっと可能性がないよとか言って任官をあきらめさせていくと、そういうことが行われているということを告発しておりますし、また検察官に関しても、これは何か女性枠というのがあって、一定の数以上は女性の検察官の任官者を採らないということで、そういう枠を設けているという実態があるだとか、そういう告発がされております。
 私が言いたいのは、そういう研修所の段階から判事補となる人たちがその教官によって選別されていく、その中で希望があってもなれない人がいる、そこでなった人たちはそういう研修所やあるいは最高裁の意向をやはり無視できない、従わざるを得ないという、もともとそういうような立場の中で任官をしていって、そして裁判官になった後も、さっき言ったような安倍裁判官のようなそういう統制の実態がある。
 そういう中で、やはり国民の常識に触れるというか、国民の中でどういう問題があってそれを親身になって考える、そういう感覚がやはり持てない状態でどんどん裁判官のその階段を上っていく。それがやはり、さっき私が一例でお示ししましたが、ああいう裁判が生まれている。
 そこの集会では安倍裁判官に来ていただいて、九百名集まりましたけれども、非常に大きな国民の中から驚きがありまして、何でそういうことがあったのかということで、裁判の実態はそういうことなのかと非常に驚きを持って受けとめられました。こういうことがやはり改善されないと、いろんな改革がされても、肝心の裁判自体が国民の常識に合致していないということであっては意味がない、その点を私としては一番強調したかったということです。

○井上哲士君 次に、吉岡参考人にお尋ねをいたします。
 ある雑誌で審議会委員の勤務評価というのを特集しておりまして、その中で吉岡委員は、消費者、女性の視点からの発言が多く、一番市民に近い立場からの議論をされていたように感じると高く評価をされておりまして、敬意を表するところであります。
 敗訴者負担の問題で、消費者運動をされている立場からいいますと、大変一番訴訟のちゅうちょにつながるということを実感をされるんではないかと思うんですが、この辺の問題をもう少し詳しくお話をいただきたいのと、中間答申から最終の、中間意見書から最終のときに表現も多少変わったと思うんですが、その辺の議論の過程なども含めてお話をいただきたいと思います。

○参考人(吉岡初子君) 敗訴者負担の制度につきましては、中間報告が公表された以降、これに反対する意見が非常にたくさん寄せられております。それと同時に、審議会の場ではないほかの場で、敗訴者負担制度を撤廃させようという消費者団体を初め市民運動があちこちで広がっていったということがあります。そういうことがあって、中間報告の段階と意見書の段階では違ってきているということはお読みいただければおわかりのとおりだと思います。
 ただ、じゃ、撤廃までなぜいけなかったのかという御批判もあると思いますけれども、やはり審議会は一人でやっているわけではありませんから、いろんな意見が当然出てまいります。そういう意見の中で、できるだけ訴訟を阻害する要因、そういうものは外していかなければいけないということで頑張ったわけですけれども、それで意見一致というところまで何とか持っていった、それが意見書の限界だったかなと、そのように思っております。
 ただ、基本的に敗訴者負担を導入して、例外はこれこれよというようなことで、労働訴訟、少額訴訟というような事例が挙げてございました。等となっておりますけれども、やはり一般から見ますと、労働訴訟、少額訴訟以外は敗訴者負担というようにどうしても読めてしまいます。そういうことではいけない、基本的には敗訴者負担制度は入れるべきではないと、私、個人的には思っておりますけれども、きょうの私の意見でも申し上げたんですけれども、そういうことであれば、片面的敗訴者負担を導入するということについても申し上げたんですけれども、なかなかそういう考え方でまとまるということはできなかったというのが実情でございます。
 そういう意味で、できるだけ敗訴者負担が適正ではない、合わないというものの幅を広げていく、そういう実績をつくっていくことによって、実質的には敗訴者負担制度の対象となる訴訟を非常に狭いものにしていく、そういうことがまず段階的には必要だと思いますし、そういう中でやはり国民の声を結集していくというもう一つの問題があるんではないかと思います。
 そういう意味で、私は、検討会議で今度は個別の課題がそれぞれ立法の中で考えられていくわけですけれども、そこのところに国民の声が反映するような仕組み、具体的にはメンバーに入れるということ、それから透明性を確保する、そういうことを続けていかなければいけないということを申し上げます。

○井上哲士君 田中先生にお尋ねをいたします。
 法科大学院構想について詳しくお話がございましたし、同僚委員からいろんな教育内容についても御質問がありましたので、私、財政措置の問題についてお尋ねをするんですが、教育内容の点でも地域的偏在をなくすという点でも、国公立大学がどういう役割を果たすべきとお考えかと。
 そして、それに対する財政措置のあり方、それから経済的困難で入れない者が出てはならないということも指摘されているわけですが、今、実際に学生の指導に当たっていらっしゃる立場で、学生の生活実態などもよく御存じかと思うんですが、実際、資力のない学生が排除をされない上で、奨学金であるとか授業料免除制度のことも意見書は言っておりますけれども、この点についてのお考えをお願いをしたいと思います。

○参考人(田中成明君) 法科大学院を円滑に運営するためには、主として法科大学院の教育体制を充実するための財政的な支援の問題と、それからそこに学ぶ学生がそういう教育に、勉学に専念できるという支援と、両方あると思うんですけれども、どちらにつきましてもやはり今の大学の標準では非常に問題が多いと。
 例えば、法科大学院の体制を整備するといいましても、やはり大学の予算の配分の仕組みを見ましても、やっぱり理工系に比べて文系の予算配当というのは非常に少ない。これは公にされたらびっくりされるほどの差が国立大学でもあるわけでございます。それは、従来、法学というのは何となく大教室で講義して、期末で、ペーパーテストで能力確認すればそれでいいんだというふうにやったわけですけれども、ロースクールの場合には、法科大学院の場合には、やはりもう少し少人数できめ細かにフィードバックをかけながら教育をする、あるいは実務的なセンスを身につけさせるためにインターンとかそういうことをやると。これは人的にも制度的にも設備的にもやはり相当のお金がかかるということで、先ほど別の議員の方からも御指摘ありましたように、我々としてもやる以上は立派なものをつくりたいと。そのためには、従来の大学の文系にはこの程度の予算を配置をしたらいいんだという発想を切りかえて、やっぱりプロフェッショナルスクールとして国際的にも通用する人材を養成するんだというふうな広い視点から、そういう人的あるいは制度的な基盤を整備するために投資が必要、優先、配慮が必要だというのが一つあります。
 それと、学生に対する問題でございますけれども、やはり経済的な、授業料をどうするかというようなことを、特に私立大学の場合いろいろ問題になっておりますけれども、医学部の場合にも似たような問題があるわけでございますけれども、やはり経済的に困難だから法科大学院に行けないというふうなことは、これはならないと。能力とかそういうことは別ですけれども、やはり経済的な理由で法科大学院に学べないというふうなことはなくするための措置が絶対的に必要だというふうに考えておりまして、これは以前に比べますと奨学資金制度とかローンとかいうもの、相当よくなってきておりますけれども、それだけで果たしてカバーできるかどうかというふうになってくると問題がありますので、この法科大学院を立ち上げる場合には、アメリカのロースクールの学生なんかはほとんどローンでお金を借りてやっているというようなことがありますので、新しいローン制度を含めた奨学資金制度とかそういった抜本的な支援策を考えて、やはり法科大学院にいる間は学生が勉学に専念できるという環境を整備するために思い切った財政的な支援が必要だというふうに考えております。

○井上哲士君 以上です。

○福島瑞穂君 社民党・護憲連合の福島瑞穂です。
 きょうは本当にありがとうございます。
 田中参考人にお聞きをいたします。
 きょう、たびたびロースクールのことが問題になっているのですが、私も非常に危惧も持っております。
 二点ありまして、大学で勉強したことと司法試験での受験勉強でやったことと研修所で勉強したことと実務についてからの四つは、全部勉強と中身が違うというふうにも思います。ただ、逆に言うと、それもいい面もあった。大学でやはり学問の自由などを勉強することはいいことであったと思うんですね。ロースクールができたときに大学院がいわゆる学問の自由といってやってきた部分の圧迫がされないかということを実は思っています。あるいは大学によっては法学部の中に政治学科が入っているところもありますけれども、政治学が非常に圧迫をされるのではないかというふうにも思っています。その学問の自由という点からの、大学の先生でいらっしゃいますから、いかがお考えかという点。
 二つ目は、今も出ておりますが、私は悪くすると、まあよくするとかわかりませんけれども、悪くするとロースクールが医学部みたいになるのではないか。
 つまり、国公立はあるんだけれども一部の人しか入れない、そして私立のロースクールに入ろうと思ったら、やはり今医学部がそうなように極めてお金がかかる。ロースクールは大教室でやる授業でなく丁寧に一人一人ケアをしないとだめなのでやっぱりお金がかかるとどの私立大学の方もおっしゃいます。そうしますと、今ロースクールに行くのに二百万から三百万ぐらいかかるのではないか、あるいは一年間にももっとかかるんじゃないかという試算もあります。そうしますと、幾ら奨学金といっても二十二、三で何百万負担できるというのは、やはり裕福なうちの、裕福ではないかもしれませんが、ある程度経済的に心配をしなくてもいいうちの子しか行けなくなれば、私は、ロースクールが限りなく医学部に近づくと言うと医学部に怒られるかもしれないんですが、という懸念を実は非常に持っています。
 年齢、職業、性別、国籍に基本的に関係ない司法試験は別の意味でメリットもあったという気もするときもあるんですが、この二点についていかがでしょうか。

○参考人(田中成明君) 大学の研究教育というか、学問の自由の問題でございますけれども、これは我々も非常に慎重に考えておりまして、やはりカリキュラムを編成したり実務家教員の協力を仰ぐといたすにしても、大学につくる法科大学院である以上、やはり研究というものと一体となって教育をするというところがございまして、法科大学院ができるから研究の自由が妨げられるというふうなことはないようになると思いますし、ある意味では従来の講座制をベースにした研究活動よりもロースクール化した方が教官の教育の仕方も変わってきますので、研究と教育のフィードバックがかかって、ある意味では研究のスタイルは変わると思いますけれども、それが研究の自由を損なうかどうかということは、私はそれほど心配していないと。
 その点に関しましては、第三者評価でそういう法科大学院の教育のレベルとかそういったものを評価、適格審査をするということになっているのでございますけれども、その第三者評価の仕組みをどうするかということで、そういった第三者評価をやるときに、やはり基本的には大学の中の制度だという視点と、それとプロフェッションとしての法曹を養成していくという視点とのかみ合わせを評価の中にどういうふうに組み込んでいくかという問題がございますけれども、ロースクールが即研究の自由を損なうというふうには思っておりません。
 ただ、政治学の問題をどう扱うというのはなかなか難しい問題がございまして、もちろん法科大学院をつくりましても法律学科目だけで三年間やるというわけでなくして、政治学とか経済学、そういった科目も相当取り入れたカリキュラム編成をするというのが当然の前提になっているわけでございまして、政治学が法科大学院ができて圧迫されるというのは、多少、法曹を養成するというところから住み心地が悪いかもしれないんですけれども、研究自体が圧迫されるということはないというふうに考えております。
 それから、医学部並みになるかというのは、ちょっと医学部の何と比較するかという、難しいわけでございますけれども、お金の問題については先ほど言ったようなことがありまして、やはり幾ら法科大学院で丁寧な教育をするからお金がかかるといっても医学部のようにお金がかかるということはないと思います。
 現在、私立大学とかいろんなところが法科大学院の授業料がどうなるかというふうな試算をやっておりますけれども、ああいった試算を見てみますと、教員の給与なんかを見ましても、我々国立大学の教員の給与に比べると数段高い算定をしてやっておりまして、ああいうものがどの程度信頼できるかというのは私はかなり疑わしいと思っておりまして、相応の財政的な支援をすれば十分やっていけるということと、それとやっぱり一つ考え方の問題としまして、大学院レベルの学生が家とか親の財産をベースに学ぶというシステムがいつまで続くかという問題がありまして、アメリカの場合はもう学生なんかは自分でローンを組んで自分のリスクで勉強するわけですね。
 今、学部、大学院、一体どこまで親が学生の面倒を見るかとなってきますと、こういうロースクールとかそういうプロフェッションスクールをつくるときには、学生が自分の責任でローンを借りて、そして将来、自分で返すというふうなこともやっぱり考えて、教育に対するお金のかけ方の発想の転換が必要だというように考えております。
 それと、医学部の問題について、医学部についてもやはり六年一貫についてはいろいろ問題がありまして、メディカルスクール構想というのがありまして、学部は四年間、生物学とか別のことを学んだ人にプラスアルファして医学的な知識をつけ加えて、別途、六年一貫ではない医学教育体制を組もうという意見もありますので、我々が法科大学院の制度設計をする場合でも、医学部教育のプラス、マイナスの点は十分検討しながらやっているつもりでございます。

○福島瑞穂君 私立大学の先生たちと話をしていると、ロースクールを開くのはいいんだけれども、全員が司法試験に受かるわけでもなく、その後の就職は一体どうなるだろうなんというふうに心配もされている人もいるんですね。一体、ちょっと中途半端というか、実務的な養成的にロースクールでやって全員が司法試験に受かるわけではないと。就職などはどうなるんでしょうか。

○参考人(田中成明君) 今のところ、司法試験がどうなるかというのは、これは我々としては早く内容を示してほしいところでございますけれども、司法試験の合格率が仮に、大学が一生懸命教育をやって七、八割になるといったところで、あとの二、三割はどうなるのかという問題がございまして、これは、法科大学院に来る人が全部皆司法試験を受けるという前提で制度設計する必要があるかどうか。
 例えば、私はもう今の法律家のような裁判法務中心はやらないんだ、企業法務をやるんだ、あるいは渉外関係をやるんだということで、最初からもう司法試験を受けない。企業法務あるいは行政法務をやるんだというふうな選択肢もあり得るんじゃないかということで、これは法曹概念の見直しということにもつながっていくと思うんですけれども、やはり法科大学院をつくって全部司法試験に受かるわけではない以上そういう問題は残るというので、それをどうするかというのは大学サイドとしては非常に頭の痛い問題でございまして、法科大学院の制度設計をしていく過程である程度枠組みが決まれば、そういう人に対してどうケアをするかということも当然視野に入れたことを考えなきゃならぬというふうに考えております。

○福島瑞穂君 中川参考人にお聞きをいたします。
 企業法務一万人の方の話がありましたが、私は、ロースクールができたら、企業の中には企業法務にいる人間を出向させて、ロースクールに。法曹資格を、司法試験に受かって戻ってきたら、それをまた企業内弁護士として企業の中で働いてもらうというふうにする企業も出てくるだろうと。確かに、顧問弁護士はフリーハンドで切れるのでいいという企業もありますが、企業としては、企業法務の人間を法曹にして、自分のところで裁判とか格安で、格安かわかりませんが、やってもらうというようなことが起きるんではないかと思っているんですね。
 それはいい面もあるかもしれないけれども、この一条が規制緩和の中での司法のあり方となっていると、国民のための司法ともいうコンセプトでこの司法改革がなされるというよりも、うっかりすると企業法務養成みたいなふうになるんではないかと実はちょっと思っている面もあるんですが、率直にいかがですか。

○参考人(中川英彦君) 私は、実は企業のためにということは余り考えておらないのでございまして、企業の中で実務経験を十分積んだ人が法科大学で資格を取ればいい法曹ができるんじゃないかという点に力点があるんですね。そういう人たちが企業へ戻ってきてくれればそれはそれでいいし、そのままやめて社会に出ていろんなところで活動をしていただく、それもいいんではないかという考え方でございます。今のままですと、企業の法務部なら法務部に配属されてもう定年までやるんですよね。これはいかにも、何といいますか、むだ遣いだと、人材の。ということが私の原点でございます。
 だから、そういう人たちを社会へ出した方がいいんではないかという点に力点がありまして、もちろんそれは戻ってくる人もたくさんおると思いますけれども、しかし企業で鍛えた実務、それから資格を取ればもうそこをやめて社会でやろうという人も出てくると思うんですよね。それはそれでもいいというふうに割り切るのが私たちのできる協力ではないかと思っておるので、ちょっと格好のいい話かもしれませんが。そのかわり、今度、さっきも申しましたように、弁護士さんとして活動されておる方が逆にまた企業の方にも来ていただいて大いに良識を発揮していただきたい。そこの交流ができればいいんではないかと、こういう考え方でございます。

○福島瑞穂君 吉岡参考人にお聞きをいたします。
 先ほど敗訴者負担のことについて話をしてくだすったので、裁判員制度についてちょっとお考えをお聞かせください。
 陪審制の方向は私は大賛成なんですが、先ほども野澤参考人と吉岡参考人の方から証拠開示の問題についての言及がありました。証拠開示がきちっとなされること、あるいは捜査の透明性や、先ほど野澤参考人の方から代用監獄の問題の言及がありましたけれども、そこを改善しないと、裁判員ができ上がってきた自白調書をもとにやはりある程度時間の制限のある中で裁判に加わるということになれば問題も起きるのではないかと思っているんですが、裁判員の制度についてもう少し御意見をお聞かせください。

○参考人(吉岡初子君) 確かに、証拠開示が刑事事件の場合には最初から全面的には出ていないという、そういう実態も伺っております。それから、自白についても、おっしゃるように、被疑者段階で自白してしまったことが、実はほかのいろいろな圧迫、そういうことで心ならずも自白させられてしまったという事例もあるやに伺っております。
 それをそのまま調書として裁判員に読ませて、それで結論をということになると、御心配のようなことが起こらないとは言えないと思いますけれども、やはり裁判員制度を導入した場合には、今までの裁判のように書面審理ではなくなると思います。やはり、そこに参加している裁判員が、どこが問題で、どういう証拠があって、だからこうなんだということが法廷で証明されていく。それを聞きながら、本当に弁護士が言っていることが信用できるのか、検察官が言っていることが信用できるのか、そういうことを合理的に判断していくという、そういうことになります。合理的に判断していくというためには、検察官を初め証明をきちんとわかりやすくしなければいけない。そういうことを進めていけば、傍聴席にいる人たちにも裁判の進行内容あるいは問題点、そういうことがわかってくると思います。
 基本的には疑わしきは罰せずというのが私は日本の刑事訴訟だと思っておりますけれども、そういうことから考えますと、やはり合理的に、検察官が証明していることに疑いが持たれるということになれば、そこで裁判員は判断すればいいわけですから、今までの法廷の進行とはかなり違ったものになってくるのではないか、そのように考えております。

○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 野澤参考人、ごめんなさい、時間がなくなったので。
 四人の方、どうもありがとうございました。

○平野貞夫君 自由党の平野でございます。
 私は法律の素人でございまして、素朴で唐突な質問になることをお許しいただきたいと思います。
 一般論として、制度を改革する場合に、金をかければできるものと金をかけてもできないものがあると思います。私は、司法は究極においては人だという考えを持っております。そういう意味で、非常に大事な難しい改革になると思うんです。
 まず、田中参考人にお尋ねしますが、御説明の中に日本の伝統的法文化の存在ということをお触れになって、はっきり物はおっしゃらなかったけれども、かなり問題があるんじゃないかなという、ここが一つの難所だなというような印象を受けたんですが、ちょっとポイント、どんな問題、あるいは日本人の法意識の問題点について、ちょっと簡単に教えていただきたいと思います。

○参考人(田中成明君) 日本の伝統的な法文化というのは、これはちょっと司法制度改革の問題とずれるかもわからないんですけれども、これはむしろ私の研究の専門の問題でございまして、日本の伝統的な法文化というのは、西欧的な発想を受けた後でも、中国の伝統的な律令システムといいまして、やっぱり刑事法とそれから行政法中心の法システムが中心に動いてきておりまして、民事というのは基本的には内部でやるか、内部でやれない場合だけやむを得ず国家的な機関に持ってくるけれども、国家的な機関も、何か権利義務の裁定をするよりも、とにかくその場その場を情理を尽くして説得しておさめるんだというふうなところがありまして、やっぱり基本的には、法律に頼っている面と法律を回避している面とありまして、日本人というのはやっぱり基本的には法律は余り好きじゃないと。当然、弁護士も裁判官も検察官も余り好きじゃないと。
 しかし、いざとなればやっぱり頼りにするんですね。嫌っておきながら頼りにするから、一たん紛争が始まりますと何でもかんでもみんな裁判所へ持ち出して裁判官に頼っていくと。裁判所へ持ち出しても相当事件が和解をしているというのが、我々から見ると、和解なんというのは本来、弁護士さんが一生懸命当事者を説得してやるべきもので、ああいうものを裁判所へ持ち込んで、それでなくても忙しい裁判官にああでもないこうでもないというようなことを言って煩わせるというのは、全体としてやっぱり、司法サービスの一環としては要るかもしれないけれども、法の支配というふうな観点から見るとやっぱり余計なサービスをやっているという面もないではないわけです。
 だから、そういった意味では、裁判というのは基本的にどういうものかということをもう少し見直す必要があるわけでして、やはり法の支配というのは基本的には権利義務関係をベースに物事を処理していくので、情理を尽くしていろいろ説得するというようなところは、先ほど中川参考人もおっしゃいましたように、ADRとかそういうところでやっていって、もっとすみ分けをうまくやっていく必要があると。
 そういうものが何でもかんでも裁判所に持ち込まれるというのと、それからやはり法というのは行政機関の道具だという発想が残っていたから、法を用いていろんな物事を、社会を自由で公正にしていく、しかも自分で用いてやっていくという発想が乏しかったというふうなことでございます。

○平野貞夫君 非常によくわかりました。
 私、田中先生の経歴を見まして、不勉強だったんですけれども、法理学の本を書かれている。法理学というのは非常に懐かしい言葉でして、おやっと思ったんですけれども、私は昭和三十年代の初めにマルクス法学でパシュカーニスの法理学という本を読んだことがあるんですが、ちょっとですから、この場と相当合わない議論になるんですが、法哲学だけじゃいかぬと思っておりまして、まさに今、人間の法意識の問題というのは、その法理学という学問がもっともっと発達しなきゃ私は本当の司法改革にはならぬと思っております。
 ということで、日本人の法意識に関連して、具体的なことでもう一つ田中先生にお聞きしたいんです。
 本当の意味の司法改革あるいは司法権の独立というのは、行政府と立法府が協力しなきゃあり得ないと思います。ことし、ハンセン病の熊本地裁の判決がありました。政府は法的手続で控訴を断念したわけですが、しかし小泉政権は内閣声明を出して、あれは控訴すべきだった、しかし特別に政治的に断念したんだということで声明を出された。私は、こんな司法を冒涜した行政府の責任者の態度はないと思います。何回も国会でこんなけしからぬことはないと言っていましたが、大して反応は、国会で私の意見を積極的に支持してくれる人は少ない、ほとんどいない。僕はひがんでいました。外部で支援してくれたのは中坊さんと藤本義一さん、テレビで言いました。今でも私、悔しくてしようがないんですが、もうちょっと法律の専門家というのは、法務委員会の野党の先生方は支持されていました。もうちょっとこういう、これこそ日本人の法意識、法文化の問題の根源じゃないかと悲憤慷慨、今でもしているんですが、御感想をお聞かせいただければ。

○参考人(田中成明君) 行政と司法、裁判というのは役割分担の問題がありまして、やはり行政と裁判ということは、司法の場合は、やはり法にのっとって物事を処理するというので、どうしても過去にあったことがそれは理非にかなっているかというようなことになると思うんですけれども、行政とか政治になると、やはり将来のことを考えて、どうしていくかああしていくかというんで利害関係も非常に錯綜してくるというふうなことがあるわけでございまして、やっぱり役割分担の問題があると思うんですね。
 そういった場合、例えばある人にその権利を認めるか認めないかというようなことを考える場合に、こういう判決を下して権利を認めれば財政負担が大変になるだろうなというふうなことを裁判をする場合には考えるべきではないと。裁判をする以上はやっぱり権利義務の問題だと。お金の問題をどうするかというのは、それは行政とか政治の問題で考えたらいいんだと。そういうやはり法の支配を貫徹するという意味での裁判所の役割ということをもう少しきちんとやる必要があると。
 行政機関も、行政の場でいろいろ物事を処理するというのと裁判の場で物事を処理するというのはやはり論理も違うんだということを踏まえて、裁判をやる以上はやはりそれは勝つか負けるかということも大事かもわからぬですけれども、そうやっているんで、法的な責任があろうがなかろうが、行政的な責任とか政治的な責任がある問題は幾らでもあるわけですから、そういうものは、判決はどうなるにかかわらず、やっぱり政治とか行政の責任として積極的にやるというふうな、権限とか役割の区別をしっかりすべきだというふうに考えております。全く個人的な意見ですけれども。

○平野貞夫君 かなりわかりました。
 これ本当に、基本的人権というか人間の尊厳を政治的判断で決めるといったら、これは古代の社会ですよね、ルール・オブ・ローの社会じゃないと思うんです。これを日本のマスコミ、各新聞社もテレビも、偉いことやった、立派立派と言って持ち上げる。こういう日本人の法文化といいますか、これをやっぱり改革することが本当は司法制度の本筋じゃないかという意見を持っております。
 それから、中川参考人にお尋ねしますが、大変いいことをおっしゃった。法学部の勉強なんて役に立たぬと、そのとおりだと思いますよ。今、日本の社会を停滞させているのは法学部出身者、法学部教育にあるんだということをぼつぼつ言われ出しましたね。中途半端な大学四年、実際は二年か三年でしょう、教育受けて、法律知っているのか知らぬのかわからぬので、妙に法律的な発想で社会を考える、そこが停滞の原因だという、そういう論文を読んだことがあるんですが、私も法学部二年行って何も知らずに出て、立法府の職員だったんですけれども、実務の中で、中川参考人おっしゃるように、法の精神なり法の正義というものを学んだものでございます。
 そういう意味で、会社とか役所で、そういう実務の中できちっとした勉強ができるということをもうちょっと社会的にオーソライズするものが何か必要じゃないかと思うんですが、その辺のことについて御意見を聞かせていただければ。

○参考人(中川英彦君) 法学部そのものがむだだと私、言っているんじゃなくて、法学部を出てきた学生さんが役に立たないということを言っておるわけで、それはおのずから目的が違いますので、そういうことになるんだと思います。
 それはそれとしまして、何か今おっしゃった実務と法学教育との結びつきをもう少しはっきりさせるような方法がないかと。
 実は、これプライベートでやっておると思うんですけれども、あれは何といいましたかね、法学士といいましたか、要すれば試験みたいなことをやりまして、それである程度実務を学んだ人にそういういろんな問題を出すわけですね。それが解ければ、何点とれれば一級だとか何ぼとれれば二級だとか、そんなふうな資格、これはプライベートな資格で国家が認めているものでも何でもないんですが、そういうものを取ってインセンティブをつけると。そうしますと、また次に転職なんかするときにその資格が役に立ってくるというようなことも考えておりまして、実務界でもやっぱりそういう、何といいますか、できるだけ実務に即した知識を持ってもらうためのインセンティブ制度みたいなものは考えておるわけですね。ただ、これをオフィシャルなものにしようというのは大変、私はちょっと難しいんじゃないかなという感じがいたします。
 ただ、アメリカなんかでも、ドライバーのライセンスとられた方はわかりますけれども、教習所というのはありませんですよね。路上でいきなり、何といいますか、練習いたしますし、路上でテストもあるわけで、教習所に集めてそこで一応やった人がまたそろそろと路上へ出ていくという、何か日本はそういう構造に全体がなっておりますけれども、そこのところを改めて、早く実務の場でオン・ザ・ジョブ・トレーニングをやらせる、そういう法学教育を取り入れた方が早いんじゃないかなという感じで申し上げた次第です。

○平野貞夫君 吉岡参考人と野澤参考人に、時間が短くて恐縮でございますが、一言お答えいただきたいと思いますが、この審議会の意見書の中で、政府あるいは立法府がまず真っ先に着手すべき課題は何であるか、御意見を賜りたいと思います。

○参考人(吉岡初子君) とても難しい御質問だと思いますけれども、私は、まず真っ先にやっていただきたいのは、推進本部を早く立ち上げるということに尽きるかなと思います。

○参考人(野澤裕昭君) 私は、推進本部のこれからの議論が非常に重要であると。ここにやはり国民の参加をする、情報公開すると、これがやはりこれからの司法改革が国民の中で本当に定着していくかどうかの試金石になると思います。その点だと思います。

○平野貞夫君 終わります。

○委員長(高野博師君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変お忙しいところ貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表して厚く御礼申し上げます。(拍手)
 午後一時に再開することとし、休憩いたします。
   午前十一時五十九分休憩


2001/11/08

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