1991/06/05

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120 参院・決算委員会

尾辻秀久議員(自民党)の拉致事件についての質問部分


○説明員(竹中繁雄君) 北朝鮮の情勢につきましては、我が国と北朝鮮との間で国交正常化交渉が緒についたばかりでございまして、いまだに外交関係もない状況でございます。また、北朝鮮が厳格な情報管理を行っているということで、その正確な把握には種々制約がございます。私自身も二回ほど北朝鮮に行っておるのでございますが、こういう直接行って見てくることのほかに、北朝鮮の各種の公式の発表を含むいろいろな公開情報の収集とか分析、それから北朝鮮と外交関係を有する第三国との情報、意見交換等を通じて、従来から可能な限りの情報把握に努めているところでございます。

 北朝鮮では、一昨年来のソ連・東欧の民主化、改革の動きを初めとする最近の国際情勢を相当厳しく受けとめておりまして、国内政治への波及を懸念して、思想引き締め等の対策を講じているように見受けられます。また、経済面でも引き続き困難な状況にあるものと推定されます。しかしながら、内政面では、今のところ基本的な変化があるかどうかということになりますと、例えば改革、開放への動きがあるとか、そういうような意味での基本的な変化は今のところ見られません。

 一方、対外的な点でございますが、北朝鮮をめぐる客観情勢はこの数年来大変厳しいものがございまして、新たな国際情勢を踏まえた現実的な政策調整を図らざるを得ないという状況にございます。具体的に申しますと、昨年来行われておりますまさに我が国との関係改善の一連の動き、それから金日成主席がことしの新年の辞で対アジア外交重視の姿勢を打ち出したこと等、外交面では現実的な外交への兆しも見られます。なかんずく、今先生が御指摘になりました国連同時加盟の方針でございますが、この間北朝鮮が暫定的な措置とはしながらもこの方針を打ち出しました。我々は、これが朝鮮半島の現実を踏まえたものとして歓迎しているところでございます。

 我が国といたしましては、このような北朝鮮の姿勢が北朝鮮の対外政策全般に広がっていくことを期待しつつ、今後ともその動向を見ていく所存でございます。

○尾辻秀久君 そうした中でいよいよ日朝会談が始まったわけでございますが、改めまして朝鮮半島に対する政府の基本姿勢をお尋ねしたいと存じます。

○国務大臣(坂本三十次君) 北朝鮮には、私も十年ほど前でしたか、漁業協定の調印で、国交がないものですから議員団が行って国のかわりに協定を結ぶ、日本の漁民が北朝鮮の沖合でお魚をとってもよろしいというそういう協定を結びに行ったことがあります。そのときも私は、お会いできた北朝鮮の幹部クラスの方々には、北朝鮮は世界のこの大きな流れから孤立しておると思う、だからこの北朝鮮の孤立化政策というものは、お国のためを考えてもまたアジアの平和を考えても、これは非常に心配なことだ、どうかひとつ開放政策をとってもらいたいと、歯に衣を着せず申し上げてきました。以来、そういう考えでございます。

 これはもう御承知のとおり、韓国との間は、過去の歴史は歴史として深く認識をせにゃなりませんけれども、過去にとらわれないで、そして新しい未来を両国力を合わせて切り開いていこう、それがアジアの安定にもつながることであり、世界の安定にもつながることだということで、昨年五月、盧泰愚大統領が来日をいたしましたときに、新しい国と国との間、国民と国民との間であすに向かって協力しようという、そういうスタートを切ったわけであります。当時の盧泰愚大統領の国会演説はまことにすばらしいものであったと、私はそう思っております。

 こういうふうに、南の方とは立派に新しい未来を開くためにスタートを切ったのですが、北の方とは国交はない、これはまことに残念である。二国間のみならず、やはり東アジアの平和と安定のためにも北側と国交を結んで、そして友好を推進していくことが大切である、そう思うて今日朝交渉をやっておるということでございます。これは本当に日本だけではなし、アジアだけではなし、韓国だけにとってではなし、中国だけにとってではないので、東アジア全体の平和と安定に資するものだ、私はそういう認識をいたしております。

 ただ、現実に今交渉をやっておる最中でありますから、二国間問題もあれば多国間問題もありますから、これらの問題について粘り強く腰を据えて、友好が確立できまするように交渉をしていきたい、こういうふうに思っております。そのときにも韓国ともよく話をし合いながら、また北朝鮮との国交回復は歴史的意義があるということを向こうも御承知のように思われますので、粘り強く交渉をすることが大切だ、私はそう思っております。

○尾辻秀久君 ぜひそうしていただきたいと思っております。

 この日朝会談でありますけれども、国交問題の協議に入ります前に、やっぱり両国間の懸案事項についてはすべて洗い出す必要があると考えます。北朝鮮には北朝鮮の言い分があるでありましょうけれども、やっぱり我が方から言いますとどうしても避けて通れない問題がございます。

 それは、先日石渡先生もお尋ねになった件でありますけれども、例の金賢姫の教育係であったとされる李恩恵という女性の身元が判明したという報道もあるわけでございますし、先日もそれに対する警察のお答えもございました。改めまして、先日もお答えいただいておりますので簡単に、その身元判明の経緯、そしてさらに、今後どういうふうに捜査をされるのか、対処されるのか、お尋ねをいたしますのでお答えを下さい。

○説明員(漆間巌君) お答えいたします。
 いわゆる李恩恵と呼ばれる女性の身元調査につきましては、昭和六十三年二月から警察庁並びに全国の警察に調査班を設けて調査をしてきたわけでございますが、本年の三月になりまして、埼玉県警察の調査で李恩恵の特徴に酷似する女性が浮上いたしまして、これに基づきましてさらに調査を続けまして、一定の裏づけがとれましたので、

本年の五月十五日に私以下警察庁係官が韓国に赴きまして金賢姫にこの女性の写真を示したところ、これが李恩恵であるという趣旨の供述を得ましたので、全体を総合いたしまして、この女性が李恩恵である可能性が極めて高いというふうに判断するに至ったものであります。

 そこで、金賢姫自身は大韓航空機爆破事件の犯人でございますが、この金賢姫の供述によりますと、李恩恵は日本から船で引っ張られてきたというふうに語っておりまして、拉致された疑いが極めて強いというふうに判断されますので、本年の五月十六日に警視庁と埼玉県警に、それぞれ「ちとせ」拉致容疑事案捜査班を設置いたしまして、現在捜査を推進して真相を解明しているところであります。

○尾辻秀久君 そうしますと、今のお話でも拉致された可能性が非常に高いというふうに言っておられるわけでございますが、それであればやっぱりきっちりと北朝鮮側に身柄の引き渡しを申し入れなきゃならないと思いますが、これについてはどうなさるお考えでありますか。

○説明員(漆間巌君) この件につきましては、既に外務省の方に通報しておりまして、今後具体的には外務省において判断されることになろうというふうに考えております。

 警察といたしましては、外務省初め関係各省との協力を今後とも引き続き行っていきたいというふうに考えております。

○尾辻秀久君 いろいろ報道されておるわけでありますけれども、そうした報道の中で、李恩恵と言われる女性が失踪したのが五十三年六月ごろということでありますけれども、その直後に日本海側で、それから実は私は鹿児島市池之上町というところに住んでおるんですが、鹿児島市池之上町の若い二人と、相次いで男女が行方不明になったり襲われたりするという事件が起こっております。

 警察庁、これらの事件につき、捜査状況をお教えいただけますか。

○説明員(漆間巌君) 昭和五十三年には、七月七日に福井県で、それから七月三十一日に新潟県で、そして八月十二日に先生の地元であります鹿児島県で連続三件のアベック行方不明事件が発生しているわけでございますが、これらはいずれも家出あるいは自殺等の動機が全くありませんで、また沿岸部から突如消息不明になっているということでありまして、その後国内では手がかりが全くつかめないという現状であります。

 また、同じ時期であります昭和五十三年の八月十五日に、富山県の沿岸部でアベックが四名の男たちに拉致されそうになった監禁致傷事件というのが起こっておりますが、この事件では、被害者は海岸で突然襲われまして、松林の中に引きずり込まれまして、猿ぐつわ、手錠等を用いて縛り上げられた上、寝袋のような布袋に押し込まれておりました。事件の内容から見て、これは強盗等の目的で行われたものとは考えられておりません。また、現場にゴム製猿ぐつわ、手錠、タオル等が遺留されておりまして、そのうちタオル一本が大阪府下で製造されたものであるということが判明しておりますが、その他のものはいずれも粗悪で、製造場所、販売ルートともに不明でございます。

 これら一連の事件は、その状況あるいは手口等から拉致または拉致未遂事案と考えられておりまして、発生場所が沿岸部であることを考えますと、海外に拉致された、あるいは海外に拉致されそうになった事件であるということで、警察といたしましては、事態の重大性にかんがみまして公開手配するなどいたしまして、これまで鋭意捜査してきたわけでございますが、いずれも手がかりが少なくていまだに解明に至っておりません。

 今回、拉致された疑いが強い李恩恵の身元が特定されたということに伴いまして、改めて捜査体制を強化いたしまして、真相を明らかにすべく関係の警察にそれぞれ対策班を設置いたしまして、これまでの情報の見直しや国民の皆様からの関連情報の提供をお願いしているというのが現状であります。

○尾辻秀久君 今、いろんなことから海外へ拉致されたのではないかというふうに思うとおっしゃったわけでありますけれども、ちまたでは、いろんなことがあって、一連の事件として北朝鮮との関与をうわさするわけでございますけれども、警察はどのように見ておられるのでありますか。

○説明員(漆間巌君) まず、一連の事件はいずれも失踪場所、発生場所が海岸に近い場所でありまして、突然失踪し、先ほど申し上げましたように家出、自殺等の動機が全くないということがございます。

 次に、その前年の昭和五十二年九月、石川県警察において検挙いたしました宇出津事件というのがございますが、この事件の北朝鮮工作員が北朝鮮から四十五歳から五十歳の日本人独身男性を北朝鮮に送り込めという指令を受けまして、東京の三鷹市役所に勤めていました警備員、これをだましまして石川県の宇出津海岸に連れ出しまして、ここから拉致して北朝鮮に送り出したと自供しております。

 さらに、昭和六十年に韓国で検挙されました辛光洙事件というのがございますが、この事件で検挙されました北朝鮮工作員が、昭和五十五年に当時四十三歳の独身日本人男性を宮崎県の海岸から北朝鮮に送り出したということを自供しております。また、この工作員は、昭和五十三年に北朝鮮上部から、四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示を受けていたということを自供しております。

 これらを総合的に判断しますと、一連のアベック行方不明事案は北朝鮮による拉致という疑いが強いというふうに考えております。

○尾辻秀久君 そうしますと、ここにも新聞の切り抜きを持っているんですが、この李恩恵の失踪当時に佐渡沖に不審な船があったとか、それが工作母船ではなかったのかなとか、大きく見出しにあるわけでありますけれども、こうしたものというのは警察としてはつかんでおられるのでありますか。

○説明員(漆間巌君) 警察といたしましても沿岸関係で各種の情報を持っておりまして、その関係で北朝鮮の工作船と思われる不審船がいろいろな位置にいたという情報は持っております。ただ、この事件とそのほかの事件が関連があるかどうか、これは現在捜査中でございます。

○尾辻秀久君 さらに、福井でも何か工作船が発見されたという報道もあるわけでございますが、これについてはいかがでありますか。

○説明員(漆間巌君) 昨年の十月二十八日でございますが、福井県下の海岸に漂着した北朝鮮工作船の小舟と、その直後に海岸で発見されました二体の男性水死体、これについて福井県警察では捜査をしてきたわけでございますが、これらの水死体は、漂着した北朝鮮工作船に乗り込んでいた工作員であるというふうに判断いたしまして、本年五月二十三日、入管法違反容疑で福井地方検察庁に送致いたしました。

○尾辻秀久君 今お尋ねしてきたいろんな事件があるわけでございますが、そうした中で、先日も、鹿児島で行方不明になった方の御家族がインタビューに答えて、政府間交渉への大変大きな期待を表明しておられました。ある日突然肉親を、あえて連れ去られたと言いますけれども、そうした方々の御心痛はどんなものであっただろうかとお察しするわけでございます。また、李恩恵であると判明した女性の御家族も、肉親ではないかと思いつつ残されたお子さんのことやいろんなことを考えて名のり出られなかったといいますが、その心境の苦しさというのはそれこそ察して余りあるものがございます。

 どうぞ、政府はこうしたことに対してまさに毅然とした態度で臨んでいただきたい、そのようにお願いをする次第であります。また同時に、最初に官房長官が言われましたように、大切な隣国でありますから今後仲よくしていかなきゃならない。言わなきゃならぬこと、言いたいことはお互いに言い尽くして、そして本当に友好なる関係というのを結んでいただきたいとも思います。それがまた最も大切なことであると思うわけでございまして、お願いにいたしましたけれども、もし何かお答えいただくものがございましたらお答えいただきたいと存じます。

○国務大臣(坂本三十次君) この李恩恵の問題につきましては、ただいま警察庁の方からも報告がありましたように、日本から位致されたという疑いは非常に強い、まことに日本国民全体にとっても非常に関心の高い、遺憾な問題であります。しかるがゆえに、日朝交渉の場におきましても、日本側からこの李恩恵についての正確な情報を北朝鮮側に要求しておるという段階であります。

 今のところは、これに反発をいたしまして次回の会談は中断をしておるという状況でありますが、しかし日朝交渉そのものをやめるというようなことは北朝鮮側も言っておりません。今のお話のように、やはり言うべきことは言い、その中で友好を模索していくという日本の姿勢には変わりはありません。


1991/06/05

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