2000/12/08

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正しい論憲の姿勢で柔軟に未来を思考すべきだ


 国際平和への強い意志を明確に打ち出した現行憲法こそ、二一世紀に日本が進むべき道を指し示している。一方、現行憲法に社会の現実との「差異」があるのも事実。“論憲”の姿勢で議論をおこし、憲法を“成長”させることが肝要だ。


◆今の日本にふさわしい平和主義の精神を

 憲法に対する私たちの姿勢はもっと柔軟であるべきだ。施行から五〇年以上を経た今、現実をカバーしきれていない部分があるのは当たり前。だが歴史の風雪に耐え、二一世紀に日本が進むべき道を指し示しているところもある。前者を見直し、後者を未来志向で発展させていくことが大切だ。この態度を私たちは“論憲”と呼ぶ。

 一九四五年、戦争が終わり、日本は世界に対して平和に徹することを宣言した。そのマニフェストは大切にしなければならない、疲弊しきっていた当時の日本が言えることは、前文の国際協調主義のほか、具体的には九条で軍隊を持たないということぐらいだった。しかし、経済力も国民の力量もずいぶん大きくなった。平和主義の精神を具体化する方法としては、より今の日本にふさわしいものがあるはずだ。

 第二次世界大戦をどう見るかで、憲法への態度が変わってくる。憲法制定過程に占領軍の介入があったことは否定しがたい。だが世界の歴史は各国ばらばらに進んでいるのではなく、平和や人権や自決権などを定着させ拡大しながら一つの大河ドラマとして発展してきた。終戦前の日本の支配層はこの流れから逸脱し、世界の攪乱要因になってしまった。そこで戦争に負け、世界の潮流を代表する占領権力が日本の方向転換に介入、国民もそれを歓迎した。憲法は、新たに選挙された議会で修正のうえ制定され、国民もこれを認め、現憲法下で今日の日本を築いてきたのだ。

 日本が戦力を放棄した時、世界もまた二度と戦火を交えない決意に燃えた。しかし世界はその直後に冷戦時代に入った。理想は夢か幻かになった。国連憲章で高らかにうたわれた国家主権を制約する集団安全保障の考え方は、実現不可能な夢に追いやられ、ブロック化が進み、国家主権を拡張する集団的自衛権の考え方が幅を利かせた。

 日本は、占領時代が終わり再び独立国となって、正当防衛権としての個別的自衛権行使のための自衛隊を保有した。主権国家としての権利としてだけではなく、国際社会に対する義務として個別的自衛権を行使できる組織を持った。そして八九年、世界史は再び大きな転換点を迎えた。冷戦が終わり、新しい時代がきた。私はこれで世界から戦争がなくなるとは思っていない。冷戦時代よりずっと、国際関係を動かすのは難しくなったともいえる。しかし、全面核戦争の恐怖がなくなったことは、人類に新しい可能性を与えた。私たちも世界秩序の形成に関与できるようになったのだ。

 第二次大戦後の時点で世界秩序に責任を負っていたのは当時の戦勝国だった。だが冷戦終了後の今、日本もまた、責任ある一国となった。憲法の理想を高く掲げ、平和主義の精神を具体的に実行していくことこそ、二一世紀の日本の課題である。集団安全保障のために、PKOはもとより国連警察軍なども視野に入れた国際貢献をしていく。その場合、間違っても国威発揚などと考えてはいけない。国連の実力組織は国際公務員であるべきなのだ。また、この集団安全保障の実現の第一歩としてアジアに地域的安全保障体制を築くために日本が積極的に提案し、行動する。日米安保条約もこのシステムにつなげていく。二一世紀初頭のわが国の課題はここにあり、こうした時代にふさわしい外交政策を実行していかねばならない。

 こうした平和への強固な意志と高い理想のもとに、日本国憲法は発展していくべきであって、「普通の国として普通の軍隊を持ち、日本の誇りと自信とをもう一度呼び覚まそう」という主張は、敗戦以来の歴史から何も教訓を得ていないことになる。二一世紀の普通の国は、一九世紀や二〇世紀の普通の国とは大きく変わってきているのだ。

◆懐古的な右傾化への懸念は杞憂である

 連合国に押しつけられた憲法を破棄し、自らの手で策定した憲法に衣替えすべきとの声もある。しかし、これまでの衆・参両院の憲法調査会の議論の大勢は、このような“過去指向”ではなく、“未来指向”で憲法の議論をしていこうというものだ。憲法が人類共通の世界史の歩みの中で生まれることを忘れ、独自性と称し世界潮流とかけ離れた憲法を持つことは、その国の幼稚さを示す。国粋主義的な立場からの発言が昨今の言論界のトレンドになりかけている。そこで“指一本でも憲法に触れると、つけ込まれる”との声もある。私は市民の良識も民主主義も成熟してきており、そのような非現実的で懐古的な右傾化への懸念は杞憂だと思う。

 基本的人権の分野でも、環境権、知る権利、男女共同参画などでもっと憲法を豊富にすることが必要だろう。また行政についても、旧憲法の名残で、立法と行政の唯一の接点である内閣総理大臣の権限が曖昧だ。地方主権、首相公選制、国民投票や住民投票制度、抽象的訴訟のできる憲法裁判所などについて議論し、二一世紀の日本国憲法を国民参加のもとで構想していくべきだ。憲法は国の基本法。日本にふさわしい憲法は特定の勢力が数の力で制定を強行できるものではない。まず十分論議すること。そのうえで、国会の発議にあたっては、政権交代を担う与野党が、大きな見地から合意し、国民合意でことに当たるという柔軟な姿勢が大切で、それこそが民主主義なのだ。

(小学館文庫 『激論!日本人の選択・上』2001/1/1発行に掲載)


2000/12/08

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