2003/03/20

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156 衆議院・憲法調査会

イラク問題、北朝鮮問題、と憲法について自由討議


平成十五年三月二十日(木曜日) 午前九時三十分開議

中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件、特に条約と憲法について調査を進めます。
 申し上げるまでもなく、現在の我が国を取り巻く国際情勢は、極めて不透明、不確実な状況にあります。特に、イラクをめぐる緊張は、アメリカの通告した期限である四十八時間が間もなく過ぎようとしております。また、北朝鮮をめぐる国際情勢も、北朝鮮のたび重なるミサイル発射実験の実施や実験用原子炉の再稼働などを受け、極めて厳しい状況になってまいりました。

 このような状況のもと、イラク問題、北朝鮮問題に関して、国際連合憲章、日米安全保障条約との関係を踏まえて憲法的見地から委員間の討議を行うことは極めて重要な意義を持つことであり、幹事、オブザーバーの先生方とも御相談の上、本日、緊急に憲法調査会を開会することになりました。委員各位におかれましては、活発に御議論をいただきたいと思います。

 本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
 それでは、まず、谷川和穗君。

谷川委員 時間を与えていただきまして、ありがとうございます。本日、こういう緊急な事態なので、私は、イラクの問題に関して、条約と我が国憲法との関連だけにつきまして発言をさせていただきたいと思います。

 国連決議なく、米英の単独軍事行動による戦争だ、もし今回戦争が始まればこういうことだ、こういう発言がありますが、果たしてそうでしょうか。この問題を考えたときに、私は、国際連盟はなぜ機能不全に陥ったか、その事実を思い起こす必要があると思います。

 国際連盟は、ウッドロー・ウィルソン・アメリカ大統領が構想を表に出しましたのが一九一八年。ドイツにおけるワイマール共和制が崩壊したのは一九三三年。満州国承認を非難する四十一カ国の各国代表を前にして国際連盟を脱退するという演説を行って、松岡洋右首席全権が最後に日本語でさようならという言葉を残して国際連盟の総会の議場を去ったのがやはりこの年。そして、ヒトラー・ドイツが軍備平等権を主張して国際連盟を脱退したのがやはりこの年の十月。

 今振り返ってみると、国際連盟の悲劇は、制裁規定を持っていなかったということが最大の悲劇だったんだろう、私はそう考えております。

 そして、国際連合ができたのは一九四五年の六月でありますが、ヨーロッパ戦線は既に終局いたしておって、戦いは終わっておったわけですが、極東ではまだ沖縄において壮絶な戦闘が続いておったころであります。

 当時、国連憲章を協議するに当たって最も大きな、中心的な議論となったのは安全保障の問題であって、つまり、制裁措置をどう規定するかということが国際連盟を経験した多くの世界の人々の考え方だったと思うんです。したがって、国連規約の中で、国連憲章の中で国際連合を特徴づけるのは、私は第七章だと思います。

 第七章は、御存じのように「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」。その三十九条に勧告が出てまいりまして、四十一条に非軍事的な措置をとる、そして四十二条にそれがだめな場合には軍事的措置をとる、こういう手続になっております。つまり、国際連盟憲章との違いは、武力制裁をとるという姿勢を国際的に表明したというところに非常に大きな問題があった、私はそう思っております。

 イラクに対する安全保障理事会の決議ですが、ここの中で武力制裁を認めた決議は、一九九〇年十一月二十九日に採択された決議六百七十八号、クウェートから直ちに撤退せよ、それからその次に、その翌年の四月三日に採択された六百八十七号、出ていかなければ武力行使をするぞと。これは十五カ国の決議ですが、フランスは提案国の一つです。反対したのはキューバとイエメン、棄権したのが中国、あとは全部賛成です。六百八十七号について棄権したのはエクアドルとイエメン、反対はキューバ、やはりフランスは提案国の一つです。国連憲章四十二条に基づく初の制裁措置がここで決まった。

 武力制裁には二つの考え方があって、一つがコンバタントと呼ばれる、これは字引で引くと日本語で戦闘員とありますが、もう一つがノンコンバタント、これは、字引で引かなくてもそういう言葉が出てくるのかもしれませんが、非戦闘員。私は、ここに大きな誤解が生じてしまったのではなかろうかと思います。すなわち、戦闘員であろうと非戦闘員であろうと、両方とも軍人であることは間違いないんです。それを、非戦闘員という言葉を使ったために民間人がこれを行うような意識になったと思うんです。

 最大の痛恨事の一つとしていまだに私、自分の気持ちの中に残っているのですが、一九九一年の海部内閣当時、一切の武力行使はけしからぬというような世論があってああいう結果になりました。日本国憲法九条第二項の後段、「前項の目的を達するため、」「国の交戦権は、これを認めない。」政府答弁は、交戦権というのは交戦国が国際法上有する種々の権利の総称を意味するもの、これが政府見解ですが、私はこの見解は正しくないと思います。

 なぜならば、英文日本国憲法では、ここは、ザ・ライト・オブ・ベリジェレンシー・オブ・ザ・ステート、こうありますが、この読み方は、ザ・ライト・オブ・ザ・ステートとベリジェレンシー・オブ・ザ・ステートと二つに分けて読むのが文脈上当然のことでありまして、しかも、日本国憲法の場合には、その他の国というところはネーションズという言葉を使っておって、この九条のここだけがステートになっています。したがって、小文字で書いてあるけれども、ここは、この国の権利、この国のベリジェレンシー、交戦権、こう読むのが正しいと私は思います。

 ベリジェレンシーという言葉は字引で引くと確かに交戦権ですが、ベリジェレントというのは交戦中のというふうに出てきておって、それは当然のことなんですが、戦っている団体があるいは個人が果たして交戦団体か交戦上の個人であるか、実はこれは、ベトナム戦争でベトコンは交戦団体かということで大変大きな国際的な問題を起こした一つの大きなテーマです。

 国際紛争を解決する手段として国権の発動たる戦争あるいは武力による威嚇または武力の行使、これは国際紛争の解決手段としては永久に放棄するぞというのは、それがかかって前項の目的というのが九条第二項の頭につくわけですが、あそこへポツが一点ついておって、その後に不保持原則で、それで丸がついて、その後に国の交戦権はこれを認めないとあるので、私はここで大いに議論していただきたいと思います。「前項の目的を達するため、」というものが、後段の「国の交戦権は、これを認めない。」にかかるのか、かからないのか。

 もしかかるということであれば、「前項の目的」ですから、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力行使、それならば、それ以外の交戦権は当然これを認めているというふうに読むべきなのか。あるいは、もし、さらに、後段はかからないというふうに判断する、丸がついて立っているところですから、かからないという判断をすれば、我が国を防衛するための必要最小限の自衛権を行使することは独立国家のすべてが持つ固有の権利だ、これが政府の見解ですが、それならば、なぜここに、憲法の中で「国の交戦権」云々という言葉を置かなきゃならないのか。世界の成文憲法を私なりに調べてみて、国の交戦権という言葉が入っている憲法はいずれの国にもない。では、なぜこの言葉がここに入ってきたのか。

 この九条後段が置かれた一九四六年ごろは、第二次世界大戦で、都市ゲリラのレジスタンスが行われた。それに対して、正規軍でない者に対しての、戦時国際法上その立場を認めてやらなきゃならぬという、これがあったときに日本国憲法がたまたま改正の時期にあって、非常に珍しいことだったと思います。

 そこで、結論。我々としては、イラク問題で大変な緊張事態に来ておりますが、やはり日本国憲法の中のこの条項についてどう判断すべきかということをぜひ議論すべきだ、私はそう思っております。

中山会長 次に、前原誠司君。

前原委員 民主党の前原誠司でございます。

 それでは、イラク問題を通じて、憲法と条約の関係について話をさせていただきたいと思います。

 国内法と国際法の関係に関しては、大まかに三通りのカテゴリーが考えられます。まず一つは、国内法と国際法は、それぞれ法的根拠を全く異にした別個独立の法秩序だとする考え方であります。他の二つは、国際法と国内法は、ともに同一の法的根拠に基礎を置く法秩序を構成しているという考え方ですが、どちらに優位を認めるかによってその見方が分かれます。つまり、国際法優位論あるいは国内法優位論とも呼べる考え方であります。

 ここでは、どの学説が妥当かという学術的アプローチは本旨ではありませんので割愛しますが、日本では、最高法規である日本国憲法第九十八条に、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と書かれており、締結、批准した条約などの国際取り決めに違反する行為を憲法は認めていないということを、外交を遂行する上で常に念頭に置いて行動しなければなりません。

 日本も加盟している国際連合の憲章には、国連加盟国が他国を攻撃したり、あるいは侵略することを基本的に禁止していますが、自衛権の発動と、国連安保理の決議がある場合の二ケースのみ、例外として他国への武力行使を認めています。

 今回の米英などによるイラクへの攻撃が例外の二ケースに該当するかどうかを、それぞれの観点から検証してみたいと思います。

 まず、自衛権の行使に当たるかという点ですが、結論からいえば、国際社会全般で採用されている自衛権発動の三要件、つまり、急迫不正の侵害があり、他に手段がなく、必要最小限の武力行使を行うという状況は全く整っておりません。現にイラクは、国連の査察に対して、全面的とは言えないまでも、小出しながらも協力し、まさに米英などを今にも攻撃しようとしている状況にはありません。

 確かに、昨年九月にブッシュ大統領が明らかにした国家安全保障戦略、いわゆるブッシュ・ドクトリンが指摘しているように、一昨年の九月十一日にアメリカで起きた同時多発テロ以降、戦争の概念が変わったのだという意見は傾聴に値します。

 現在唯一の軍事超大国になったアメリカに対して宣戦布告し、面と向かって戦いを挑む国はなかなか見当たりませんが、そのかわり、アメリカを快く思っていない国がテロ組織に武器や資金を横流しし、そのテロ組織がアメリカやその同盟国などに対して攻撃をしかけるという可能性は今後も十分考えられます。ましてや、その組織が核や化学兵器、生物兵器などの大量破壊兵器を保有してテロ活動を行えば、甚大な被害が出ることは容易に想像できます。したがって、特に大量破壊兵器が拡散してテロ組織の手に入る前に先制行動に出るという説明は、全く理解できないわけではありません。

 しかし、だからといって、そのような先制行動は、確立された国際法規では認められておりません。急迫不正の侵害もないのに、ただ、テロ組織を支援しているのではないか、あるいは大量破壊兵器を開発しているのではないかという疑惑だけで他国を攻撃できるとすると、自衛権の拡大解釈につながり、いとも簡単に他国への攻撃が可能となってしまいます。

 どの程度で自国に危険が迫っていると考えるかなどの基準は、だれがその判断を下すかによって大きく異なります。まして、現在の安保理常任理事国はすべてが核保有国であり、自分たちの保有はあくまでも善であり、他国が保有すれば悪であると烙印を押すのは、どうひいき目に見ても均衡を失っていると言わざるを得ません。

 したがって、危険をあらかじめ除去するための先制行動は、今後議論を経て、国際法規、国際慣習として確立する必要性はあると考えますが、現時点における正当性はないと断じざるを得ません。

 次に、今回のイラクへの攻撃は、安保理の決議にその正当性を見出せるかどうかについて考えたいと思います。

 ブッシュ大統領やパウエル国務長官は、国連決議一四四一、六七八、六八七をひもといて武力行使の正当性を主張しています。しかし、少なくとも決議一四四一と六八七は、武力行使を認めたものではありません。

 決議一四四一は、イラクに対し武装解除の義務を遵守する最後の機会を与え、強化された査察体制を構築し、実施し、イラクにさらなる重大な違反があった場合は安保理会合を即時に開催すると決めています。アメリカのネグロポンテ国連大使も、当初、武力行使への隠されたナイフはない、自動性はないと発言していました。また、川口外務大臣も、衆議院予算委員会で、国連決議一四四一が武力行使を認めたものとは理解していないと答弁をしています。何よりも、当時の非常任理事国であるシリアも含めて十五カ国全会一致だったことを考えると、決議一四四一が武力行使を認めていると考えるのは、極めて恣意的な見方と言わざるを得ません。

 決議六八七は、大量破壊兵器やミサイルの破棄などを定めたもので、それにイラクが違反した場合は、過去の諸決議に戻ります。

 その一つである決議六七八は、確かに、イラクをクウェートから撤退させるためと同地域における国際の平和と安全を回復するため、クウェート政府に協力している加盟国に対し、あらゆる必要な手段をとる権限を与えるとしています。アーミテージ国務副長官も、国連決議六七八が武力行使の根拠になり得ると発言しました。

 問題は、だれが、同地域における国際の平和と安全が脅かされており、回復されなければならないと決めるかという点であります。安保理の一部は、同地域における国際の平和と安全が脅かされていると考え、他の一部の国は、脅かされているとまでは言えない、さらなる査察が必要だと考えているとすれば、当然その判断は一部の国が独断で行うべきではなく、再度安保理で決める性格のものです。したがって、十三年前の古い決議を一部の国が勝手に解釈して、それを根拠に武力行使は可能だとする理屈は正当性を持ち得ず、決議六七八のあらゆる必要な手段をとる状況か否かを安保理で再度議論し、結論を得ることが不可欠となります。

 したがって、論理的な帰結として、同地域における国際の平和と安全が脅かされていると判断を下す新たな国連決議が必要であり、それなくしての武力行使は、国連憲章に違反していると言わざるを得ません。アメリカもイギリスもそして日本も、このことに気がついていたからこそ新たな国連決議を模索したのです。それが、最低でも必要となる九カ国以上の賛同が得られず、ましてやフランスなどが拒否権行使不可避な状況になったからといって見切り発車することは、国連憲章をないがしろにすることにほかなりません。

 また、日本が新たな国連決議なき武力行使に支持を表明することは、条約や国際法規の誠実な遵守を定めた憲法に抵触する可能性が高いという点もあわせて指摘し、ひいては、閣僚の憲法遵守義務を定めた憲法第九十九条に違反する判断を小泉総理が下したことになり、その政治責任を求めたいと考えます。

 政府や与党の一部には、北朝鮮の問題がある以上、国連憲章上問題があろうがなかろうが、アメリカへの支持を打ち出さざるを得ないとの考え方があります。それに対して、幾つかの観点から言及したいと思います。

 確かに、北朝鮮の瀬戸際外交はエスカレートしており、緊迫した状況であることは疑いの余地はありません。北朝鮮との交渉において、アメリカの強大な軍事力を背景とした威圧感、抑止力が一定の効果を持つことは否定しません。だからといって、国際法の正当性の乏しい行為に対して支持を与えることは、日本外交のバックボーンである国連を中心とした国際協調主義に反するばかりか、前に述べたように、条約や国際法規の誠実な遵守を定めた憲法に背く行動になることになるのです。一貫性のある外交がまさに日本に求められております。

 ましてや、米英などの一方的な武力行使により、国連安保理が機能不全に陥ることは避けられない状況であり、北朝鮮問題の国連の場における解決がむしろ難しくなったと言わざるを得ません。北朝鮮問題を包括的かつ平和裏に解決するためには、当然、中国やロシアの理解、協力が不可欠であり、アメリカの単独行動主義に何が何でもついていくという姿勢ではなく、むしろ国連安保理の機能維持に努めることが北朝鮮問題解決のためには必要な観点なのではないでしょうか。

 そもそも、仮に日本がアメリカの武力行使を支持しなかった場合、アメリカは北朝鮮問題に後ろ向きになるのでしょうか。アメリカが今最も執着していることがテロ支援国家の掃討であることを考えると、北朝鮮はまさにその対象として考えられる国の一つではないでしょうか。

 さらに言えば、日本はアメリカに対してそれほど卑屈になる必要があるのでしょうか。アメリカがボランティアで日本との同盟関係を結んでいるとは到底考えられません。日米同盟関係は、確かに双方の役割は非対称的ではありますが、アメリカのアジア太平洋戦略にとって死活的に重要な諸基地を日本は提供しており、また、年間六千億円以上の米軍駐留経費負担をしていることを考えると、なぜ、その貢献を明らかにする中で堂々と日本のスタンスを主張しないのでしょうか。

 北朝鮮問題を取り上げてアメリカ支持の必然性を説くロジックは、まさに日本外交は場当たり的で、理念一貫性に乏しく、アメリカとの国益をかけた戦略対話を放棄していることを白日のもとにさらすだけであり、憲法が求めた基本理念の一つである平和主義を本気で希求していない理屈であるということを最後に申し上げて、私の発言を終わらせていただきます。

中山会長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 今回の事態を迎えるに当たりまして、去る一月三十日の当調査会におきます私の発言を振り返らざるを得ません。あのときに、冒頭私は、イギリスのゴマソール大使と公明党の懇談の場における状況を紹介いたしました。要約すれば、軍事行動も辞さずという強硬な姿勢こそがイラクの軟化を生むとの認識は共有する、ただ、イギリスはむしろアメリカの行動に歯どめをかけてもらいたいとの思いを伝えたというものでありました。その後の展開は、期せずしてその思いが通じるのではないかとの期待すら抱かせる風のものであったことは、周知のとおりであります。

 アメリカの最大の同盟国である同国の中にも、また我が国だけでなく、そしてアメリカの中においてさえ、強い反対の世論があるにもかかわらず、今日の事態になった。まことに残念であり、遺憾であり、痛恨のきわみであると言うほかありません。しかし、事態を冷静に考えれば事はそう簡単ではないということも、また当然ながら事実であります。アメリカのブッシュ政権の決断を支持できないとして片づけられるほど、事は単純ではないと思います。

 あの湾岸戦争からのこの十二年間におけるイラクのサダム・フセインがとってきた行動は、明らかに、国際社会に背を向けるどころか、その願いをあざ笑うかのごとき悪らつなものであったということは、ここで改めて振り返ることもないと思われます。だからこそ、あの昨年の国連決議一四四一へと世界の思いは結実したと言えましょう。

 もちろん、でき得べくんば武力行使を公然と容認する新たな決議が欲しかったというのは言わずもがなのことであります。もっとも、それはだめ押しとでもいうものではないでしょうか。それがないからといってアメリカの行動を全否定できるか、私にはできません。不条理に満ちあふれたこの地上にあって、国際社会における決定的なトラブル解決を国連に託そうと人類は求めました。

 かつて、イデオロギーがばっこした冷戦期は、米ソ両大国による支配が優先し、しばしば国連の調停機能は麻痺したというか、後衛に、後ろに退かざるを得ませんでした。そして、冷戦後の時代を迎え、国境を越え、いつ何どき、どこのだれが襲われるかもしれないという国際無差別テロが常態となってしまいました。

 このテロというものを、私たちというか、いや、私自身いささか見くびっているのかもしれません。国際社会がこれにどう立ち向かうか。英知の結集が待望されているのに、なかなか答えが出てこないというのが現状ではないかと思われます。十二年間に十七もの国連決議がありながら、一向にみずからの挙証責任を果たそうとしないイラクによって、大量破壊兵器がテロリストの手に渡る公算が極めて高いという現実に脅威を抱くアメリカを、だれが大げさだと言えるでしょうか。あの九・一一以降、アメリカは変わったということの重みをまだまだ私たちはわかっていないというふうに思われます。

 昨日、埼玉の大宮にある陸上自衛隊の化学学校に衆議院安全保障委員会の一員として視察に行ってまいりました。国連の化学兵器禁止機関、OPCWに初代査察局長として派遣されたことのある秋山一郎同校校長、理学博士の話を聞いたり、実際に化学兵器という名の大量殺人液のサンプルを見まして、戦慄に近いものを覚えました。

 要するに、隠す気であれば到底捜し出すことなどでき得ないということを悟ったのであります。つまり、圧倒的に小さい、少量で大量破壊、大量殺人ということが簡単に果たせるからであります。査察というのは、時間をかければいいというものでも、人数をふやせばいいというものでもないということを改めて知りました。査察をめぐる多くの誤解があることを視察を通じて知ったことは、大きな収穫でありました。

 テロを撲滅するために人類が英知を結集せねばならないときに、一方で、そう考える人々や国家を殺りくし、じゅうりんしようとするテロリストやテロを正当化し、テロリストを支援する国家がある。これにどう立ち向かうかという場面が今の場面でありましょう。今ある国際社会における法や国連の仕組みが現実に追いついていない、そういう側面があると指摘せざるを得ないのであります。

 アメリカの行動をただ批判するだけでいいのか。これは、国際テロが常態となった新たな事態を前に、国際社会犯罪を取り締まる警察行動、国連警察軍的行動と言えないのか、そう位置づけられるのではないかと考えざるを得ないのであります。

 あのボスニア・ヘルツェゴビナにおける民族浄化という事態に対してNATOが空爆をしてからちょうど四年、あれは人道介入と呼ばれました。今度は、似て非なるものというか、逆に、非だが似ているものと言うべきかもしれません。テロ撲滅介入と私は呼びたいと思います。戦争はもちろん反対であります。同時に、大量破壊兵器拡散も反対であります。そして、このテロ撲滅介入に立ち上がったアメリカの行動に、悲しみを持ちつつ私は理解できなくはないと言いたいと思っております。

 今、私はアメリカの行動について理解できなくはないという言い方をいたしました。理解を表明しました。今度は、アメリカの行動について支持をするとしている小泉政権についての態度に触れます。

 これは、戦後ほぼ六十年になろうとする長い間、日本の平和と安全と繁栄に寄与してきた日米同盟を堅持、優先しながらの国際協調をとるということ以外に今はあり得ないとするなら、答えはおのずと明らかであります。日本は、武力行使に参加しない、国民の安全確保及び経済混乱の回避に努める、戦後のイラク復興に向けて主体的に判断するという方針にも大筋賛成であります。国民に向かってこれまで十全たる説明を小泉総理がしてきたかどうか、残念ながら、いささか説明不足は否めないと思います。

 今日、日本外交への評価について、アメリカ従属ではないのか、べったり過ぎるのではないかとの批判があります。何を隠そう、かつて私も盛んに書いたり、しゃべったりしてきました。しかし、事は、かつて日本に厳然とあったソ連従属や北朝鮮礼賛に見る生き方とは全く違うということであります。もっともっとアメリカに、友人として、パートナーとして忠告すべきだともちろん思います。岡崎久彦さんのように、集団的自衛権すら行使できないとしている日本が、アメリカに忠告するなんて恥ずかしくてできるわけがないというほどではないにせよ、政治家を含め、対米交渉に当たる政府当局者に屈折した心理があろうことは否定できないと思います。

 先般、当調査会の小委員会でも申し上げましたが、長く日米地位協定の見直しはできない、せいぜい運営の改善でという外務省当局の姿勢は、基本的に一貫して変わっていません。日米関係を中軸に据えて日本が生きることに、歴史的に、地政学的に見て異論はありません。ではあるものの、何か釈然としないものがある。

 それは、一つには、戦後の七年に及ぶ占領期におけるアメリカの日本支配によって培われた卑屈なまでの対米観と無縁ではないと思われます。そして、それとタイアップして進められた戦後民主主義教育との一体不離の関係に思いをいたさざるを得ません。つまりは、またしてもというか、やはり当調査会で進められている憲法の問題に行き着くわけであります。

 憲法九条と前文における記述のみで新しい事態が次々と起こる世界の現状に立ち向かえるのかどうか、ここは大いに疑問のあるところと言わねばなりません。日米安保条約を基軸にした日米同盟をベースに国連協調路線をとることに異論はないものの、それをより強固で真っ当なものにするためにも、憲法における関連記述を整理整とんする必要があると思います。
 以上です。

中山会長 次に、藤島正之君。

藤島委員 私は、先ほど前原委員がお話しになりましたけれども、今回の米国のイラク攻撃に対する正当性の議論については非常に問題があるとまず思っておりますし、あるいは北朝鮮問題に絡んだ米国の行動に対する我が国のありよう、これに対しても全く賛同するものであります。そういったものを踏まえまして、私なりに意見を申し上げたいと思います。

 まず、国連の役割でございますけれども、二十世紀の政治は、多極から二極へ、そして一極への移行過程にあったと思います。しかし、少なくとも二十一世紀の初頭の間は、米国の優位あるいは指導性が完全に確立した、この一極体制が世界政治の形態として続くものであると思われます。米国がリーダーとなり、日本や欧州などの国がその支援をしたり牽制する、このような世界政治の中にあって、現在の国連とのあり方が問われることになっていくと思います。

 すなわち、国連の重みが問われるものであります。安保理のミドル6と言われる国にはどんな役割を果たすことができるのか、そういった問題が出てくると思います。我が国は常任理事国入りをして発言権を高めるべきである、こういった意見があるわけでありますが、現在のような対米追随オンリーというか一辺倒の政策しか考えない政府では、米国の票が二票にふえるということと同じになるような感じがしております。国連を見直して、主要八カ国ですか、G8を中心とする新たな組織をつくるべきだといったような極端な議論も出ておりますが、それも一つの考え方である、もう一回国連を再編成するという意味で、これも一つの考え方であるような気がいたします。

 この件に絡んで、今回との関係での国連の外交でございますけれども、我が国はこれまでも国連外交重視重視と言っておりますが、現実には本当にそういうふうに重視しているのかどうか、非常に疑わしいものがあると思います。例えば、国連の演説では、原口大使に、二回やっておるわけですけれども、本当に任せっ放しにしておるわけでありますけれども、こういう機会には外務大臣が直接出かけていって説明あるいは演説をするとか、そういったことも考える必要があったのではないかというふうに考えております。

 さて、イラクの問題でございますけれども、米国のイラク攻撃の正当性の問題ですけれども、これは先ほど前原委員からありましたように、私は大変疑問を持っているところでございます。

 米国は、今回の攻撃は自衛権の行使ではない、国連憲章に言う五十一条ではないと言っておりまして、決議六七八、六八七あるいは一四四一に求めており、我が国もこれに同調しておるわけですけれども、アナン国連事務総長はこれに大変否定的にはっきり言っておるわけです。またロシアもそう言っておるわけですが、我が国はもともと、この解釈に重大な疑問があるために新たな決議を求めてきたということではなかったのでしょうか。我が国は米国に同調する前にそのことをはっきり米国に言っておくべきだったと私は思います。これまでの決議は根拠にはならないということなんです。

 それと、今回の米国の攻撃は国際法上違法であるということなんです。この違法適法の問題は、実際、それではだれがどうやって決めるのか。結局、今回のように米国がこうやって決めて行動を起こすということであれば、本当に国連は機能を果たしていると言えるのかどうか、非常に疑問に思います。

 これに絡んで、我が国の態度でございますけれども、我が国政府はこれまで公式の場で、これは私が予算委員会の場で質問したのですけれども、外務大臣は、あいまいにしておくことが国益にかなうんだというふうにずっと言ってきたわけであります。つい最近に総理は、我が自由党の小沢党首に対して、状況を見ながら判断するとかあるいはその場の雰囲気で判断するといったことを言っておるわけですけれども、戦後、我が国が中小国であったころならともかく、世界第二の経済大国である我が国が本当にこのようなあいまいなことで許されるのかどうか、十分考えてみなければいけないと私は思います。

 それから次は、説明責任の問題でございますけれども、政府はこの問題に関して国民に対して本当に説明責任を果たしているんでしょうか。

 我が国は民主主義の国であります。重大な国の政治にかかわることに関しては、政府は国民にその結果だけではなくてプロセスの過程で説明する責任があると私は思います。しかるに、政府は、イラクが査察に全面的に協力していないからこのような結果になったと言うばかりであります。これだけでは説明責任を果たしているとは言えないと私は思います。我が国憲法の求める民主主義に反するのではないでしょうか。

 あえて言えば、私は、フランスとドイツは、ワルシャワ条約機構がなくなり、軍事的にもはや米国に頼る必要がないのに対して、我が国には北朝鮮問題があり、米国に頼る必要がある、頼らざるを得ない。あるいは、我が国は独立以来、日米安保で国の存立を維持しており、今後も対米関係は最重要視する必要がある。あるいは、今回の攻撃は各種の国連決議にかんがみて正当性がある。この点について私はそうは思いませんけれども、そういった説明を国民にすべきではなかったのではないでしょうか。

 さて、この件に関する新法の問題ですけれども、私は、有事法制の基本的な考え方については憲法にその基本的な部分が当然なければならないと思っておりますけれども、現在、我が国ではPKO法だとかテロ対策法とか周辺事態法とかいろいろありますけれども、私は、こういった既存の法を含め、全体的な恒久法を整備する必要がある、そのように思っております。これまでの政府のやり方のように、事が起こってからその都度法案をつくって審議していたのでは間に合わないというふうに思います。

 その中で、私は、自衛隊にかかわる部分については、他の覇権国の軍隊と同じ行動がとれるように、特に武器の使用に関してそういう必要があるということを強く申し添えておきたいと思います。

 最後に、北朝鮮問題との関係でございますけれども、これはまさに我が国の安全保障に直結する問題であると思います。

 まず、小泉総理の平壌宣言は全く失敗だったということであります。核問題にしてもミサイル開発問題にしても拉致問題にしても、ある意味で北朝鮮にだまされたと言えるのではないでしょうか。解決に向かうどころか、ますます急速に悪い方向に向かっていると思います。

 これらすべての問題について、私は、妥協することなく、特に食糧援助等は言語道断でありまして、経済制裁を含む、強気の姿勢を崩すことなく対応すべきであり、米韓と共同歩調をとり、国際世論づくりをし、ならず者国家である北朝鮮を世界から追放する努力を続ける必要があると思います。
 以上で終わります。

中山会長 次に、春名直章君。

春名委員 日本共産党の春名直章でございます。

 一昨日、ブッシュ大統領が最後通告の演説を行って、この調査会が開かれている間にも攻撃開始があり得るという大変緊迫した状況であります。しかし、アメリカのイラク戦争には一片の道理も大義もありません。直ちに中止を強く求めたいと思います。

 第一に、査察強化で平和的解決という道が開かれているにもかかわらず、それをあえて断ち切り、戦争に訴えているという問題です。

 三月七日のブリクス査察団委員長の報告は、イラクの協力が積極的、自発的になってきたことを歓迎し、あと数カ月の査察継続が必要といたしました。そして、安保理決議一二八四に基づき、二十九項目の武装解除のための未解決の問題を明らかにし、今後の課題と作業計画を三月十七日に報告しています。これは、平和的解決のための査察の有効性、査察の継続、強化の必要性を裏づけたもので、それが本格的軌道に乗りつつあった瞬間と言えます。査察を強化、継続すれば、平和解決への道が大きく開かれていたのであります。国連がみずから決めたこの査察強化で平和的解決を目指す道を、アメリカが一方的に、独断で断ち切ることは許されることではありません。

 第二に、この戦争が国連の平和の枠組みを根底から突き崩すものだということであります。

 三つの角度から述べます。

 一つは、国連憲章はこうした戦争を決して認めていません。国連憲章は、言うまでもなく、戦争を違法として、国際紛争をあくまで平和的手段で解決することを大原則とし、その例外として、一、武力攻撃に対する自衛権の行使で、安保理が措置をとるまでの間に限ること、二、平和に対する脅威などに対する集団的措置として、安保理が決定する行動に限る、この二つを明確に定めております。アメリカが計画するイラク戦争がこのいずれにも当たらない無法な行為であることは、だれの目にも明らかでありましょう。

 二つは、アメリカが戦争の根拠と挙げている六七八、六八七、一四四一という三つの国連決議の中には、イラク戦争を正当化するような文言は一つもありません。例えば、一四四一決議は、武装解除の義務を遵守する最後の機会と述べるとともに、強化された査察体制を構築し、実施すること、重大な違反があった場合に安保理会合を即座に開催するということを決めています。武力行使の自動性を排除しているのであります。だからこそ、アメリカは新しい決議を準備したのであり、それが受け入れられず撤回した事実を見れば、明らかであります。

 三つは、この戦争の目的が政権の打倒に置かれていることの重大性です。アメリカは、イラクが大量破壊兵器を保有していること、フセイン政権のもとではその廃棄が不可能であると断定し、戦争に訴えてフセイン政権の打倒を目指すとしています。しかし、これは国連憲章が禁止している内政干渉そのものではないでしょうか。国連安保理の支持もなく、国連憲章と国際法に根拠を持たないイラク戦争を強行することは、戦後国際社会が積み上げてきた平和のルールを根底から覆すことになり、力による支配ではなく、法による支配を強化して国際の平和と安全を確保するという世界の流れに大きく逆行するものと言わなければなりません。

 第三に、この戦争が及ぼす重大な被害、悲劇、犠牲という角度からも、断じて許されないということです。

 国連の内部報告でも、イラク戦争で、死傷者五十万人、新たな難民三百万人、子供と妊娠中、授乳中の女性の被害が五百二十万人という驚くべき数字が示されています。大量破壊兵器の放棄と政権転覆を目的にしたこの戦争がこうした凄惨な事態を招くことは避けられないと考えます。アフガニスタンへの報復戦争の比ではない人命が失われることになります。世界じゅうで反戦デモが起こっているのは、この理不尽さへの怒りからでもあります。こんな無法を許していいのか、今このことが鋭く問われていると思います。

 次に、直ちにこの戦争計画を支持した日本政府の対応の重大性について述べたいと思います。

 第一に、この戦争計画を支持する根拠を、小泉内閣自身、説明できないという問題です。

 首相は、フセイン政権に武装解除の意思がないことが断定された以上、アメリカの武力行使を支持すると、ブッシュ大統領が演説で述べたことをオウム返しに追認をいたしました。しかし、昨日の党首討論でも明らかになったように、武装解除する意思がないことを一体、いつ、だれが断定したのでしょうか。首相自身、答弁することができませんでした。断定したのはブッシュ政権であり、国連安保理が断定した事実はないのであります。攻撃容認の根拠に一四四一決議を持ち出していますが、当の首相自身、武力行使を自動的に容認しているとは言えないと、一月二十七日衆議院予算委員会での答弁、こういうふうに国会でも答弁しているではありませんか。

 第二に、小泉首相は、国民への説明として、日米関係の信頼性を損なうことは日本の国益に反すると述べています。だから、アメリカがどんな無法を行うとも、日本はそれにつき従うしかないという姿勢ですが、これほど危険な外交姿勢はありません。

 日米関係、日本の国益との関係では、今、北朝鮮問題が引き合いに出されることがありますが、それこそ、アメリカがイラクに対して行っていることを北朝鮮に対してももし行えば、どんな恐ろしい事態を招くか、想像にかたくありません。政府が言うように日米関係を本当に大切にするというのであれば、アメリカが国際の平和秩序に反する行動をとろうとしたときに、その誤りを正すことこそ必要なのではないでしょうか。そうしてこそ、日米関係が信頼あるものになり、国益にも合致すると言えるのではないでしょうか。首相の説明は、国民の理解を得られるものではなく、逆に、平和解決を求める国民世論にも真っ向から反対するものだと言わなければなりません。

 最後に、日本には、国際ルールを先頭に立って守り抜き、戦争によらない平和解決を追求する特別の責務があるということを強調したいと思います。

 言うまでもなく、侵略戦争への反省に立って制定された日本国憲法のもと、戦争を放棄し、国際紛争を解決する手段としての武力行使を永久に放棄するとともに、軍事力を持たないことを世界に宣言した国、それが我が日本であります。しかも、日本は、イラクとの関係は比較的良好であります。中東諸国で戦火に手を染めたことのない国でもあります。ひたすらアメリカにつき従うだけの小泉内閣の外交は、この日本が果たすべき、また果たせる役割を一切発揮せず、逆に日本の国際的地位を地におとしめるものであることを厳しく指摘せざるを得ません。

 今、日本がとるべき行動は、アメリカ追随の恥ずべき姿勢を直ちに撤回し、イラク戦争を中止するようアメリカに強く働きかけることであります。そのことを強く主張いたしまして、私の発言といたします。

中山会長 次に、植田至紀君。

植田委員 社会民主党・市民連合の植田至紀です。

 アメリカによるイラクに対する戦端が開かれようとしています。人類の歴史はかくも愚行を繰り返すものかと暗たんたる心情でその瞬間を迎えなければならないことは、極めて遺憾であります。

 加えて、小泉総理の姿勢は、日本国憲法に背を向け、国際社会に背を向け、そして営々と続けられてきた平和への努力に背を向け、対イラク戦争という暴挙に加担することを全世界に発信するという、これまた度しがたい暴挙であることは言をまちません。

 言うに事欠いて小泉総理は、ブッシュ大統領の最後通告演説を、大変苦渋に満ちた決断だったのではないかなどと評されましたが、ブッシュ大統領はそもそもイラク攻撃を前提として政治工作を行ってきたわけでありますから、今回の件は当初から予定されていた判断の一環にすぎません。

 小泉総理は、日本政府は国際協調と日米同盟の両立を図ることの重要性をわきまえながら外交的努力を続けてきたそうでありますけれども、かかる認識は、総理が何か勘違いをしているか、そうでなければ虚偽を言っているとしか理解することはできません。

 当初、アメリカ、イギリス、スペインは、国連決議の採択によってみずからの行為の正当性の根拠を得ようとしたのであり、また、日本政府の姿勢も、かかる決議採択を前提としたものでありました。しかし、それは実現しませんでした。国際社会は、イラク攻撃を認めなかったからであります。それこそが国際合意なのであります。もし、小泉総理の言うとおり、国際協調と日米同盟の両立を図るとするのであれば、その段階でアメリカの自重を促すのが常道でありましょう。

 小泉総理は、日米同盟の重要性、国際協調の重要性を両立させる努力は今後も続けていく、戦後五十年間、日本を平和、繁栄に導いてきたのは、日米同盟の重要性をわきまえて国際協調を図ってきたからだとも述べています。この発言には重大な誤謬があることを見過ごすわけにはいきません。なぜならば、かかる発言の趣旨は、国際協調の前提に日米同盟があると述べたにほかならないからであります。換言するならば、日米同盟を超える国際協調は存在しないということになります。とするならば、我が国独自の国際協調外交もまた存在し得ないのであります。これが主権国家の姿勢と呼べるでありましょうか。我が国は少なくとも独立国であるとの私の認識に誤りがあるんでしょうか。

 この点については、そもそも、日米同盟の根拠たる日米安保条約自体を理解していないという点についても指摘せざるを得ません。条約の前文においては、「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、」とあり、さらには、安保条約第一条一項において、「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。」と明確に述べられているからであります。

 もし、この条項に今回のイラク攻撃が矛盾しないということを論証するならば、最低限の条件として、かかる武力行使が国際連合の目的と両立することが根拠づけられなければなりません。しかし、そのことは国連決議をアメリカが断念した段階で既に破綻しているのでありますから、イラク攻撃は日米同盟の根拠たる日米安保条約にすら反するものだと言わざるを得ないわけであります。今さら過去の国連決議を持ち出してイラク攻撃の正当性の根拠とすることは、こそくと言うほかありません。

 九〇年十一月の安保理決議六七八が、クウェートからイラクを追放するために関連決議の履行を求め、その実施のための武力行使を認めたことは事実であります。ブッシュ大統領は、そのいわば古証文を持ち出し、湾岸戦争後、イラクの大量破壊兵器の査察と廃棄を求めた決議六八七に基づく査察が九七年以降妨害されてきたため、六七八に基づくあらゆる必要な手段が自動的に認められると主張してきました。日本政府も、かかる見解を敷衍しています。しかし、この点については、その可否をめぐって議論が分かれていることも周知の事実であり、それゆえにこそ、新たな決議採択を、武力行使を支持する国々も模索したわけであります。それが果たされなかったら、改めて十年以上前に効力を停止した決議を根拠にするなど、認められるわけがないのであります。

 なお、昨年十一月の決議一四四一も、イラクに対して大量破壊兵器の開発計画の申告と徹底した査察の受け入れを求めたものであり、武力行使の根拠たり得ないのは言うまでもありません。数カ月間の査察の継続を求めた国連査察団の追加報告を拒否すること自体、重大な国連軽視であり、安保理決議なきまま先制攻撃を行うことは国連憲章に違反することもまた自明のことであります。

 いかなる詭弁を弄しても、イラク攻撃に正当性の根拠は一切見当たらないのであります。にもかかわらず、圧倒的な軍事力を背景に、みずからの価値観に反するものは武力で排除しようというアメリカの単独行動主義は、国連及び対話と協力、信頼と協調を柱とした冷戦後の国際秩序へのあからさまな挑戦であり、それを支持するという犯罪的役割を積極的に果たさんとする小泉内閣もまた、国際協調を放棄するものと断ずるのが至当でありましょう。

 日本国憲法においては、国連憲章が肯定する、いわゆる正しい戦争をも否定しているということを改めて想起しなければなりません。国連憲章の精神をさらに進化させたのが日本国憲法の平和主義であります。それを堅持することにより国際社会において名誉ある地位を保つことを、日本国憲法は我々国民の総意として確認しているのであります。そして、その理想は、今や理想ではなく、歴史の教訓から導き出された最も現実的な選択肢なのであります。それゆえに、イラク攻撃を支持すること自体、そして、支持するということは、かかる行為の一端にせよ協力することが当然の帰結である以上、その行為すべてが憲法に反するのであります。

 歴史は常にらせんを描いてきたことは事実であります。しかし、人類史が不断の進歩と発展の過程であるとするならば、過去に引き戻そうとするものと、新しい時代の扉を開かんとするものとの葛藤が歴史の局面においては必ずあらわれたことを忘れてはなりません。我々が愚行を繰り返す側に立つのか、未来を切り開く側に立つのか、その分水嶺に立っているという認識をもし我々が持つとするならば、歴史の審判を我々は恐れるべきでありましょう。未来に対して責任を持たなければならないということを我々は自覚すべきでありましょう。
 以上、意見表明とさせていただきます。

中山会長 次に、井上喜一君。

井上(喜)委員 今、イラク問題、北朝鮮問題がありまして、我が国の安全保障をどう考えていくのか、現行憲法あるいは日本が加入しております条約、これについてどのように考え、どのような運用をしていくのか、こんなことじゃないかと私は思いました。憲法をどうつくっていくかというのはそれとして、別に問題がありますけれども、現行の憲法、条約を前提とすれば、このイラク問題、北朝鮮問題を前提にいたしまして、どのように日本が安全保障問題を考えていくべきか、こんな問題じゃないか、そういう問題意識を持ちまして、これから述べてみたいと思います。

 日本国憲法の安全保障の規定というのは、ちょうど日本が占領下のときでありまして、色濃く占領政策が今の憲法に反映されておりまして、まさに武装解除そのものというような状況でありまして、そういう中でどう考えていくのか、こういうことだと思います。

 確かに、第二次世界大戦後の状況を見ますと、世界的規模の非常に大きな戦争とか紛争、そういうのが発生する可能性というのは大分低下をしてきていると思うんです。これは、第二次世界大戦前と非常に違ったことだと思います。相互依存関係が非常に強化をされてくるとか、あるいは、国際的に協調する場面が多くなってきておりまして、言いかえれば、外交的にいろいろな問題が解決できるような状況も出てきている、こんなようなことが背景にあるんではないかと思います。しかし、他面、宗教、人種なんかを原因といたします地域紛争が増加していることも、これまた事実でございます。

 我が国につきまして、それじゃこの周辺の状況をどう認識するかということでありますけれども、私は、我が国の周辺、これは北東アジア地域と言ってもいいのでありますけれども、非常な不安定要因に囲まれているといいますか、不安定要因が多く存在する地域じゃないかと思います。

 これは、民族とか言語とか政治体制も違うということで、言ってみれば、共通性が余りない地域じゃないかとも思いますし、また、非常に大きな軍事力が存在している地域とも言えると思いますし、さらには、政治体制としても不安定な国もありますし、我が国との間に国交がいまだ樹立をしていない国、あるいは領土問題を抱える国などもありまして、私は、我が国の平和と独立の確保のためには、また、今日のこの繁栄、こういったものを維持するためにも、今日の我が国の周辺の状況を見ましたときに、今まで以上に、これまで以上に安全保障の体制を強化していく必要がある、こういうぐあいに認識すべきじゃないかと思います。

 そういう意味で、より積極的な、より強い安全保障の体制の構築というのが求められている、こんなふうに考えます。ただ、我が国一国だけで安全保障の体制を完結していく、こういうことは不可能でもありますし、非現実的なことであることは言うまでもないわけでありまして、そういう意味では、可能な限りの我が国の防衛力の整備をするということは当然にいたしましても、他国との協調によりまして対処していくということが必要だろう、こう思います。

 我が国自身の問題として考えなくちゃいけない問題があると私は思うのであります。それは、憲法との関係でいいますと、憲法解釈によってできるのか、あるいは憲法改正しないといけないのかという、この辺の問題はあるところではありますが、一応それを別にいたしまして、それはそれとして検討するにいたしまして、一つは、やはり専守防衛の考え方ですね。

 どうも、今のこの専守防衛といいますのは、原則的に日本の領土それから領海、領空を守る、こういう考え方だと思うのでありますけれども、今日の状況といいますのは、その考え方を一歩出て、限定的あるいは局地的な侵攻への対応、あるいはミサイル発射に対する対応などにつきましては独自で対応する能力、すなわち敵地を攻撃するような能力まで高めて持っていく必要があるんじゃないか、そういう必要が出てきているんじゃないか、そんなふうに思います。

 それからもう一つは、集団的自衛権の行使についてであります。

 これは、国連が主導いたしますいろいろな国際協調に参加をしたり、あるいは米国とのいろいろな共同行為をする、そういう場合に、より積極的に参加していけるような、そういう検討が必要ではないのか。今の集団的自衛権は、日本の憲法上認められないという解釈でありますが、余りにも厳格過ぎて、現実的に有効に働かないような、より現実的に、もうちょっと機能的に働かせた方が日本の安全保障にとっていいんじゃないか、そういうことを検討する必要が出てきているんじゃないか、こんなふうに考えるわけであります。この二点。

 それから、今、国連による軍事力の体制につきましては、国連中心主義ということで国連がすべて取り仕切っていくのが一番いいんだというような御発言もありましたが、私は、国連が創設されました当初に期待されました、国際社会の平和や安全を守っていく、そういうのを維持していく機能というのが、どうもそのとおりに有効に働いていないようにも思うのでありますけれども、このイラクの問題につきましても、それはそのように言えるのじゃないか、こんなふうに思うわけであります。

 しかし、国連というのは、軍事力を行使する以外のところでは大変な成果を上げているところもあると思うんですね。例えば、国際的な平和維持の上で、多国間の対話でありますとか、あるいはPKOなどによります復興の援助あるいは人道援助、こういうことでは大変大きな役割を果たしておりまして、私は、国連としてはこういうような分野がこれからも期待をされる分野じゃないか、より国連らしい機能が発揮される分野じゃないか、こんなふうに思います。

 そういう意味で、私は、国連というのは第二次世界大戦の戦勝国が中心になって今安全保障理事会が構成され、あるいは国連全体がそういう中で動いているようになっておりますけれども、もう少し世界の政治、経済あるいは軍事的な、そういうような面で主導的な地位にある国を多く入れて、私が今申し上げましたような分野でより積極的に貢献していくことが本来の国連的な役割を果たすようになるんじゃないか、こんなふうに考える次第であります。

 次に、アメリカとの関係であります。

 やはり日米両国は、経済的、政治的にも共通の基盤がある程度もう確立しているし、日本の地政学的な重要性もありますし、アメリカの軍事的な優位性というのもありますし、かなり相互の補完関係を持つ両国だと思います。

 私は、我が国の安全保障について、国連に過度に期待するよりは、基本的にアメリカとの同盟関係を通じて安全保障体制を構築していくことが我が国の国益にかなうものだと思います。安全保障上の脅威については、今後とも、そういう意味で、日米安全保障体制のもとで日米が機能的に連絡して対処していくことが不可欠である、そのように考えます。
 以上であります。

中山会長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いをいたします。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。
 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いしたいと存じます。

葉梨委員 自由民主党の葉梨信行でございます。

 各党の先生方から御意見が述べられました。そこで、ちょっと疑問点もございますので、皆様の御意向も聞いてみたいと思います。

 今度のイラク戦争、始まったかどうかまだわかりませんけれども、恐らく始まるであろうイラク戦争の法的根拠でございますが、これはアメリカあるいはイギリスも含めて、自衛権行使にあると思います。イラクから大量破壊兵器がアルカイダなどテロ組織の手に渡る危険がないとは言えない、これは急迫した脅威であろうと言えると思います。

 安保理事会のお墨つきが必要不可欠であるという立論がされておりますけれども、この点についてちょっと申し上げてみたいと思いますが、国連憲章も個別的並びに集団的自衛権を認めております。それで、決議一四四一につきまして、それだけで武力行使の法的根拠となるかどうかということ、これについての御意見もございます。これは、少なくも政治的な正当化の理由づけと理解したらいいであろうと私は思う次第でございます。

 そこで、先生方に伺ってみたいのは、一九九九年に行われました、NATOによりますユーゴスラビアの人権抑圧を理由といたします空爆であります。当時は安保理事会に諮らずに、今度参加しておりませんフランス、ドイツを含めて、諸国が空爆に踏み切ったわけでございますが、これは安保理事会の決議がなくて踏み切りました。しかも、その後、問題になっていないわけでございます。

 安保理事会が事前にお墨つきを与えることにこしたことはないわけでありますけれども、このときはそうではなかった。それにつきまして、皆様方どう考えられるか、ひとつお考えを拝聴したいと思います。

杉浦委員 葉梨先生の問題については後ほど申し上げますが、各党の意見を拝聴しておって感じたことが一つございますので、申し上げます。

 共産党、社民党のお二方から、現行憲法、金科玉条のごとき御発言があったわけですが、お伺いしておって、私は学生時代でしたけれども、現行憲法制定の過程で、左派社会党の穂積七郎議員が、国を自衛する武力を持てないような憲法には反対だということを国会で強調されまして、共産党も同調されていたように私は記憶しておりますが、思い起こしました。両党も変わられたのかどうかという感懐でございます。

 葉梨先生の点について、私は改めて、安保理がすべてを決定する権限はない、余りにも過大評価したり幻想を持ってはいけないということを痛感いたしました。今回のアメリカによる武力行使が行われるとすれば、自衛権に基づくものであり、大統領声明そのほかで示されておりますし、アメリカの国会も、一名の反対があったようですが、承認している。アメリカの自衛権に基づくものでございます。安保理決議一四四一は、全体の流れを見ますと、それを補強するものとして援用されているというふうに感じられます。国連安保理がこのようなアメリカの自衛権に基づく武力行使に対してどういう態度をとるかということは、今後の問題として問われていると思います。

 フランスにしても、査察期間を最初は三カ月延ばせと言い、最終的には三十日に縮めてもいいというふうな態度で、基本的にはラストリゾートとしての武力行使を容認していたわけでありまして、国際社会がアメリカの自衛権行使に対して一致して結論が出せなかったのは遺憾千万としか言いようがございません。

 我が国の立場は、我が国と申しますか我々日本の政治の立場は、もちろん我々の日本の平和と安全について責任を有するわけでありまして、国際社会の問題は国連を通じて適切な対応策を図るということなんですが、我が国は、総理が再三申されているように、自衛隊は武力行使に派遣いたしませんし、事が起こった場合には戦後復興等で役割を果たすということで決まっておるわけでございます。アメリカに対しても、国際協調を維持するように、平和的手段で解決するように一貫して意見は申し上げてまいっておるところでございます。

 国際社会、安保理を中心とする国際社会に対して、現時点では安保理のメンバーではございませんから、今後とも、起こったとすれば、この戦争の被害が最小限に食いとめられるように、その後の復興に国際社会の責任ある一員としてあとう限り努力するように、何よりも安保理が、アメリカの自衛権に基づく武力行使に対して適切な措置をとる義務があると思いますが、そういう方向で機能回復を図るようにしてまいるべきだと思います。

中山会長 ただいまの葉梨、杉浦両委員の御発言に対して、各党から御意見ございましたら、これに関連して御発言願いたいと思います。両委員の御発言に関連した御発言の御意思はございませんか。
 それでは、島聡君にお願いをいたします。

島委員 民主党の島聡でございます。

 きょうは憲法調査会でございます。私の意見は今前原委員がおっしゃったことでございますが、イギリスで十八日、同じ議院内閣制をとるイギリスで、ブレア首相が、この行動に対してどうするかということに対して演説をし、その後、討議の最後に、イラクの大量破壊兵器の武装解除を確立するため必要なあらゆる手段を用いるべきだとの政府の決定を支持するとの政府動議を賛成か反対かという決をとりました。その結果、賛成四百十二名、反対百四十九名で可決されたわけでありますが、与党労働党からも相当の反対意見が出たわけであります。

 日本も同じ議院内閣制であるわけであります。この重大な決定の中において、国会議員一人一人の意思を明確に示す機会が今ないわけであります。憲法七十二条で「内閣総理大臣は、」「外交関係について国会に報告」する、七十三条で「外交関係を処理すること。」というのはありますが、今こういう重要な時期に、もちろん憲法調査会で今議論をしておりますが、それぞれの国会議員の意思、与党も含めて、本当に今のアメリカの行動を支持するのかどうか、それをきちんと支持する場が、同じ議院内閣制をとっているイギリスにあって日本にないというのはおかしいと私は思っております。

 本来であるならば、このような、イギリスがやったように、これを支持することにどうかという政府動議が出されて、それに対してきちんと国会議員一人一人が意思を表明して、その上で政府、日本どうするかということを決めるべきであるというふうに思いますし、憲法調査会として、そういうような方法がとれないのかどうかということをぜひとも調査をしていただきたいと思う次第でございます。

 そして、北朝鮮のミサイルの問題があるからやむを得ないという空気が今あると思います。これは、本当にそうならば、北朝鮮の問題が解決できるならばきちんと議論して支持しないのか、そういう議論にもなります。

 それで、憲法調査会でありますから、集団的自衛権の問題をきちんと議論しなくちゃいけない。つまり、具体的に言うと、北朝鮮からミサイルが発射されたときに、発射された時点では、我が国をねらっているのか、それともそこがほかの国をねらっているのか、それがわからない、そういうときに集団的自衛権というものをどうするのか、どう考えるのか。

 今、御存じのように、内閣法制局が集団的自衛権はできないということを言っているわけでありますから、これは内閣が、法制局が言っているんですから、内閣が解釈を変えれば、解釈を変えることは私は可能であると思います。当然民主党は、解釈において集団的自衛権を認めることを否定するということを私どもは安全保障政策で言っておりますが、それは九九年の時点でございます、言っております。

 国会議員の一人として、集団的自衛権の問題について、本当に内閣法制局の今までの解釈でいいのかどうか、これに対してもこの憲法調査会でぜひともきちんと議論をしていっていただきたいと思う次第でございます。

 最後に、いろいろな論理を振りかざしたとしても、今回の小泉首相の決断は、憲法九十八条の国際法規の遵守及び九九条の憲法尊重擁護義務に対しまして反していると私は思います。とするならば、首相としてある程度の責任を果たしたという段階で、この憲法尊重義務、それに反したという責任をとって辞職されるべきであるというふうに私は思うことを表明しまして、私の意見表明といたします。
 以上です。

中川(正)委員 アメリカの一連の対応と、それから国連との関係等々については、我々の前原委員の意見表明の中に尽くされているというふうに思うんですが、それを受けて、きのうの党首討論、あるいはそれ以前からの小泉総理の議論を聞いておりますと、本当に、この日本という国、私たちの国家としての意思といいますか、そうしたものが、どうしてこの程度の話でしか収束されないのか、いわゆる一つの表明というものができてないのかということにつくづく無力感を感じますし、こんな総理をいただいた国というのは何と不幸なことかという、そんな悔しい思いでいっぱいでございます。

 論理をよく聞いていると、一つは、これはもともとイラクが悪いんだ、だから悪いイラクをたたくアメリカに味方をしていく、この単純な話が一つ。それからもう一つは、国連について、一四四一あるいは六七八、六八七、この決議に基づいているということであるから正当化されるということなんですが、それじゃなぜ、新しい決議案をアメリカが新たに出して、それに対して日本の原口大使が国連の議場で新たにそれを決議してほしいという意見表明をしているのか。これは、一四四一、六七八、六八七によった話ではなくて、それが湾岸戦争の当時のことであって、今回は新たな事態なんだ、そういう認識の中に出てきたものに対して、日本としてもそれに乗って意思表示をしているということであったわけですから、こんな論理矛盾が通っているということであります。

 さらに言えば、北朝鮮の問題が出ていますが、小泉さんの論理をそのまま北朝鮮に当てはめれば、北朝鮮が悪い、これはイラク以上に北朝鮮というのは脅威なんだろうというふうに思うんです。脅威があるから、もし仮にアメリカがたたくと言ったら、日本はそのまま、それが正しいですよというふうに乗っていくんですか。

 だからアメリカに今協調していかなければならないという論理が通るとすれば、これは、この国会でも新たに今回の小泉総理の決断に対してしっかりとした議論の場というものを設けた上で、私たちは、今回の小泉総理の決断がそういうような意図のもとになされる、あるいはそういう論理のもとになされるとすれば、これは国民の意思に完全に反したことでありますし、私たちのこれまでの平和を構築していくという努力とは真っ向から反するものでありますから、即刻小泉総理の退陣というのを求めていかなければならないというふうに思っております。
 以上です。

中川(昭)委員 今この瞬間にも非常に重大な、世界的な関心事が進んでいるわけでありますけれども、私は、先ほど、特に冒頭の各党の野党の皆様方の発言を聞いて、非常に今記憶に残るというか、びっくりするような発言が幾つかあったというふうに思います。

 例えば、イラクに協力しないから北でアメリカは後ろ向きになるだろうかとか、あるいは対米追従一辺倒であるとか、あるいは、これは春名さんから、イラクにやったことを北にやればどんな恐ろしいことになるのかと。では、国連の手続にのっとって北に何かをやれば恐ろしい事態にならないのかという反論を思わずしたくなってしまうわけでありますけれども。

 今日は、北朝鮮とイラクと共通のことについて自由に議論をするという非常にいい機会を会長に与えていただきましたが、共通点があるんです。テロという問題、あるいは大量破壊兵器という問題、あるいは自国の国民に対するひどい人権弾圧、もちろん他国に対してもありますけれども、こういう共通点があって、その共通点の中で世界的な議題になり、特に日本にとってみれば、北という問題が極めて直接的、ある意味では当事者だという認識が当然出てくるわけであります。

 先ほど、日朝平壌宣言について、日本のもくろみが外れたという発言がありましたけれども、私はそうは思いません。日朝平壌宣言あるいは日朝首脳会談のもくろみが外れたのはむしろ北朝鮮の方であって、会談をしてあの文書をつくればいい、あるいはまた、五人を一たん帰せばいい、それでもって日本はきちっと向こうの言うとおりに条約を結んで、そして大量のお金やいろいろな援助物資を出してくると思っていたものが、もくろみが外れた。あるいは、最近のアメリカの政府高官、議会の代表の皆さん方の厳しい反応も、これもまたそれに拍車をかけた。では、この原動力は何かといえば、私は国民世論であったと思います。

 確かに、平壌宣言のあの約束事は幾つも破られております。ミサイルの発射実験の問題あるいは拉致の問題が全然進展していない、そういう意味でこの約束は破られたわけでありますけれども、しかし、もくろみが外れたのは北の側にあるというふうに思います。

 確かに、アメリカの高官がテロと認めながら、日本の政府高官がまだテロと認められないという発言は、私は愕然といたしますけれども、しかし、こういう問題がある。イラクももちろん関係ないわけではないわけでありまして、そのときに必要になってくるのが私は日米同盟であり、そしてまた国連憲章であり、日本国憲法だろうと思いますけれども、いずれもこれは紙切れではないということであります。

 特に、憲法においても日米同盟においても、これは守るという意思、世の中、刻々刻々変化している状況の中で、守るという意思が必要になってくるわけであります。特に、日米同盟の場合には連帯感というものが重要になってくるから、そういう意味でも、イラクとの関係においては日本にもいろいろな影響があるわけでありますけれども、そういう日米同盟というもの、北朝鮮という、日本が当事者、被害者という観点からも、私はアメリカとの同盟関係というものも十分視野に入れていかなければならないと思っております。

 私は決して、アメリカは、やろうとしたことがうまくいかなかったこともあるかもしれませんけれども、決して国連憲章やルールに違反はしていないという前提で申し上げております。

 最後に、イギリス議会の話がありましたが、私は、イギリス議会のあの結果、四百数十対百五十というあの結果は、与党の反対が多いけれども野党の賛成が多くてああいう大差がついたという意味、これは私はある意味では健全な民主主義、議会制度の結果だろうというふうに思いますから、私は、あのイギリス議会というものの結果の、日本の現状との残念ながら違いというものも、大いに我々は学んでいかなければならないというふうに思っております。
 以上です。

森岡委員 私は、自由民主党の森岡正宏でございます。

 先ほど来、各委員の先生方のお話を聞きまして、私も少し感想を述べさせていただくと同時に、野党の皆さん方に御意見をお伺いしたいと思います。

 よく、国際協調と日米同盟、どちらを優先させるのかというお話がございます。先ほど来、与党の先生方がおっしゃっておりますように、私は国連には限界があると思っております。国連は常に正義であり続けられるかと思いますと、そうじゃないと思うわけでございまして、外交というものは常に正義を追い求めなければならないんですけれども、力と関係のぶつかり合いで事が定まっていく、それが世界の動きだと思います。

 たまたま冷戦時代は、米ソの両大国、力と力が均衡しておった。そこで、大きな核戦争など起こらない、そして比較的力と力の均衡がうまく世界を支配していたと思います。しかし、今はアメリカが他の国々をしのぐ絶大な力を持っている一国だけだ。そこに問題があるわけでございますけれども、すべて国連に頼り過ぎている、そういう姿勢も、私は野党の皆さん方に、それはいかがかということを申し上げたいと思うわけでございます。

 それから、どの国もやはり国益によって行動しているんだということを忘れてはいけないと思うわけでございまして、我が国もやはり国益を考えて行動していく、そのことを忘れてはならないと思います。

 そして、イラクの問題につきまして申し上げますと、先ほど赤松委員から御指摘がございましたように、査察を続けておっても、これ以上続けても何が得られるか、どのようにでも隠せるじゃないかというようなお話を聞きますと、四カ月待てばいいじゃないかというようなお話もございましたけれども、私は、これだけアメリカが軍事的な圧力をかけてもイラクはあの程度しか協力しなかった、この現実を見ますと、やむを得ないのかなというふうに思えてならないわけでございます。

 私は野党の皆さん方に、アメリカの軍事行動に反対をするというならば、それならばどういう対案があるのか。アメリカが今撤退したら、世界はテロや生物化学兵器の脅威にこれからもずっとおびえ続けなければならない。この現実をどう見られているのか、どういう対案があるのか。それをお示しいただきたいと思うわけでございます。

 また、当初谷川先生の方から日本国憲法の第九条二項についての言及がございました。ここは憲法調査会の場でございますから、これをもっともっと深く議論していく必要があると思いますし、先ほど島委員の方から出ました集団的自衛権の解釈につきましても大いに議論をして、そして内閣法制局が今とっている見解を見直していかなければ、北朝鮮との関係を考えますと、私は早急な対策を要すると思っているわけでございまして、これもこの場で早急に議論していただきますようにお願いをしておきたいと思います。
 以上でございます。

中山会長 ただいま、森岡君から野党の委員の方々に対して、御意見があればお述べいただきたいという御要請がございました。もし御意見があれば、御発言を願いたいと思います。
 登録順によりまして、山口富男君。

山口(富)委員 私は、日本の平和主義を持っている憲法の立場からも、それからまた国連に参加している、国連憲章を守る日本の立場からいっても、今度のアメリカの打ち出しているイラク戦争について、その適法性についてきちんと考えるということが非常に大事だと思うんです。

 きょうは野党の各委員から、このアメリカの戦争というのは非常に違法性なんだ、違法なものなんだという指摘がこもごもありました。私は、特にブッシュ演説があった後に、アナン事務総長が、これは安保理が認めていない行動であって、いろいろな訳がありましたけれども、適法性に疑問とか合法性に疑問と言ったのは当然のことだと思うんです。といいますのも、繰り返しになりますが、国連がいろいろな問題についての武力行使や武力の威嚇を禁じて、国連の枠のもとで自衛の問題や安保理が認めた場合に限るという制限をきちんとつけた上でのものですから、やはりそれをきちんと見るということが大事だというふうに思います。

 それからまた、大量破壊兵器の問題で、急迫不正にかかわる、アメリカにとってはそういう認識を持つじゃないかという意見がありましたけれども、国連はそれに対して査察の強化、徹底という方向でこの問題に平和的解決で対応しようとしたわけですね。ですから、今度のアメリカのブッシュ政権のとる態度に対して、査察委員長のブリクス委員長が記者会見で、三カ月半で査察の門戸を閉じることは適切でないということをきちんと表明したのも、そういう意味で、やはりその検証自体をふさいだという意味で非常に大きな問題だというふうに思うんです。

 その意味で、私は、今度のイラク戦争の問題では、国連の責任ある人たち、事務総長やそれからまた査察を実際に現場に行ってやってきた人たちがこの方向ではないということを述べていることをきちんと見なきゃいけない。

 それと、先ほど対案という話がありましたけれども、それは、国連が探求してきましたように、査察の強化、徹底できちんとやっていくというところが一番の筋であって、それで査察委員会自身がどういう計画で、それからどの項目で査察を進めていくのか、それからまた長期にわたってイラクの監視活動を進めるのか、その計画書を出している段階でそれを断ち切ったわけですから、その責任は大きいと思います。

 それから、なおの話になりますけれども、先ほど杉浦委員からお話ありましたが、私は、それは杉浦委員の記憶の世界のことだと思うんです。社会党左派という話があって、私は中身は存じ上げませんけれども、そういう議論に同調するようなことはありません。

 それと、NATOの例のユーゴ空爆なんですけれども、これは実際には、人道的介入論自体はいろいろ議論があるようですが、国際的には、ああいう方法をとるのはまずかったというのが今の認識の到達点ではないかというふうに考えております。
 以上です。

金子(哲)委員 今お話しになっている問題、このイラクの問題に関して、私は、これからの国際秩序がどうあるべきかという極めて重要な分岐点に立っていると思っております。つまり、国連憲章や国連決議また憲法を中心とする法の支配のもとにこの国際社会をつくっていくのか、先ほどどなたかの発言にもありました、力による支配を認めていくのかという、極めて重要な時点に立っているというふうに思います。

 少なくとも、今やろうとしているイラクへの軍事行動というのは、国連憲章や国連決議、先ほど来話がありますように、これらに基づくものとは到底言いがたい状況にあると言わなければならないと思います。もし仮にこれが許されるとすれば、法の支配による国際関係の秩序をつくることはできないというふうに考えております。

 戦争ということになるわけでありますから、戦争についても、国連憲章では、いわば一定の許される状況というものを、先ほど来話がありますように、受けた武力攻撃に対して自衛権を行使するか、平和を脅かす者に対して国連安全保障理事会が武力制裁を決めた場合のみと限定をしているわけでありまして、これまでのこうした戦争のルールすら無視することになると思います。

 特に、この間の国会の決議でも、国連決議一四四一、先ほど来ありますように、これで武力行使はできないということは何度も政府も答弁をしてきていながら、今この段に至って、それがイラクの攻撃を容認する決議かのごとく発言をすることは、まさに法の解釈そのものを無視するということになっていき、そのことはこれからの秩序を崩壊させていくことになるのではないかと思います。

 これまでのアメリカの主張をつぶさに見てみますと、攻撃目標がかなり変化をしてきていると思います。当初はテロとの関連が主張され、そして大量破壊兵器の問題が行われ、今主張されているのはフセイン体制の打倒ということに大きな目標が掲げられている点を考えてみますと、私たちは冷静に見ていかなければならない。何の目的で今米国がこの戦争を開始しようとしているかということであります。

 国際社会も必ずしも、例えば米国が最初に言ったテロの問題に対しても、全くそのことを無視したわけではなくて、例えば、テロという組織犯罪に対する問題を解決するためには、国際刑事システムの構築ということを行い、昨年の六月に国際刑事裁判所というものがつくられたわけであります。しかし、これに対して米国は、参加をしないということを表明しております。

 さらに、米国の現在のユニラテラリズムと言われる主張の中には、これまでの国際社会が築いてきた国連憲章や国連決議やさまざまな国際間の約束に対して、残念ながらそれを拒否する方向を、先ほど申し上げました国際刑事裁判所への参画拒否のみならず、例えば地球温暖化問題における京都議定書からの離脱、さらにはCTBT、大量破壊兵器とかかわりの深いCTBT、核実験全面禁止条約の未批准の問題などなどを考えてみますと、米国のこの間のとってきたさまざまな国際社会における政策というものが、本当に国連憲章や国連中心という政策の方向に行っているのだろうか。このことについて、やはり日本政府としてはしっかりと検証して態度を示していくということが極めて重要だと私は考えております。

 そうした点からいいましても、またそうした問題を考えるとき、これは憲法調査会でありますので、先ほど憲法の平和主義というものを金科玉条のごとくという発言もありましたけれども、私は、日本政府がさまざまな態度を決めるときに、憲法をもってしてその態度を決めなければならないというのは当然のことであるというふうに考えておりますし、その際、日本国憲法は、何度も繰り返して申し上げておりますけれども、国際紛争の解決の手段としての武力を行使しないということを憲法の精神としてうたっておりますし、これは日本の国是であると考えております。

 そうした意味でいえば、そうした日本の国是の立場に立って今日の状況というものをしっかり見、そして対応するということが極めて重要で、この間の小泉首相の対応というのは、国連憲章、また憲法に基づいても、まさに法に基づく考え方を示しているとは到底言いがたいというふうに考えております。
 以上であります。

大出委員 民主党の大出彰でございます。

 我が党の考え方は、先ほど前原議員から述べていただいたように、はっきりと大変立派な議論であったと思っておりますが、つけ加えるような形でお話をしたいと思います。

 憲法調査会でございます。憲法の九条があり、そして国際法があるわけですが、それに基づいてやるならば当然平和解決という方向に行かなければならないわけですが、残念ながらといいますか、小泉さんは全然そうではない方向にかじを切っているというところが、憲法調査会であるからこそ指摘をしなきゃいけないのではないかと思うんですね。

 そして、もう一つ思い出していただきたいのは、平成十二年の五月三十日、二〇〇〇年の五月三十日に、衆議院の本会議で議員の皆さんは、戦争決別宣言決議というのを行っているんですね。これは池田行彦さんが提案をしているんですかね、それでやっていまして、前半の方は読みませんが、ちょうど九州・沖縄サミットのときなんですよね。野党の方は多分反対なさっているんじゃないでしょうかね。九条があるのにこんなのはおかしいんじゃないかと言ったんではないかと思うんですが。ちょっと半分だけ読みます。

  「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を踏まえ、唯一の被爆体験を持つわが国は、日本国憲法に掲げる恒久平和の理念の下、歴史の教訓に学び、国際平和への貢献に最大限努力するとともに、九州・沖縄サミットを契機に、日本はじめ各国が国家間の対立や紛争を平和的な手段によって解決し、戦争を絶対に引き起こさないよう誓い合うことについて、世界に向け強く訴えるものである。
  右決議する。

こうなっているわけですね。

 これは平成十二年の五月三十日ですからね、三年前です。九条があって国際法があってこういう決議をしているんですから、平和解決が当たり前だと思うんですが、その方向に進んでいない。

 私は、今度のイラク攻撃というのは、やはり先ほど金子さんの方から出ましたけれども、もともと九・一一からオペレーションが進んでいるのにもかかわらず、どうしてアルカイダと敵対関係にあるイラクにつながっていくのかもわかりませんし、最近だったら本当にフセインを倒すという、最初からフセインを倒すというのが目的なんでしょうけれども、変である、理由がつかないだろうと今回は思うんですね。

 前回の湾岸戦争のときも私は反対をしたが、当時は世論の方で、私は議員でございませんでしたけれども、何でおまえは反対するんだと言われたんですね。ところが今回はそうではございません、全然逆ですが。それでも、前回の湾岸戦争はクウェートに侵攻したという事実があるからですね。だけれども、アメリカのマスコミは何をしたかといえば、いたいけな少女のイラク脱出発言なんかを捏造し、黒い原油にまみれた水鳥の映像を出すという、これは全部デマであるということがわかってくるわけですが、あのときでさえそういうことをしていて、今回は一体どうなっているんだということが言われるわけですね。

 私は、武力行使を行うと中東和平のプロセスが壊れると思うんですね。それから、もし大した大量破壊兵器がなくて無辜の民を殺したとすると、自国民にどうやって説明するんですか、支持してしまって。アメリカも含めてですね。

 さらに、今度の決め方のおかしいのは、一四四一のときは一応国際社会が一致して決議を出したわけですね。ところが、ここまでいってきて、なかなかアメリカ、イギリスの案が通らないものですから、今度は少数の側が武力行使に走ろうとするんですね。本当ならば、多数の側につかなければいけないはずなんですね。そうしなければ、国際秩序が壊れるわけですね。

 ただ、そう簡単に悲観ばかりをしていてはいけませんから、平和的に私たちが思うには、本当は、アメリカの戦略が先制攻撃戦略といいますか、核も含めた先制攻撃戦略というふうに変わっている点を、それはもう一回もとに戻せというかあるいは変えろということを言わなければいけないんだろうと思うんですが、まずは、出ていっちゃったアメリカを国連に戻すことを考えるべきですね。アメリカをいさめる決議をするべきでしょうね。

 そして、元査察官のスコット・リッターさんがおっしゃっているように、イラクに対して、前の査察みたいにダーティーな査察でなくしっかりした査察を継続することによって、一〇〇%大量破壊兵器の武装解除ができると、その方向があると私は考えているわけでございます。
 以上でございます。

末松委員 民主党の末松でございます。

 先ほど、アメリカの正当性という問題がございました。政治というのは力と筋でございますから、そういった意味で両方ないと国際社会で通らないのだろうと思いますが、結局、米英の正当性をだれが認めるかというと、今の時点では安保理で認めるしかないんですね。安保理のところで正当性が認められなければ、世界であるいは国際社会で正当性が認められたことにならない。その意味で、米英がそれに失敗したわけです。ですから、そういった意味で、日本としてはそこをきちんと判断しなければいけなかった。だが、小泉総理がやった判断は、こういった正当性が崩れたときに、アメリカはそれでもやる、では日米同盟を理由としようという話になったわけです。

 日米同盟というのは、確かに安全保障条約を結んだ中でいいんですが、そして集団的自衛権の話にも多分これが移っていくんですが、私、集団的自衛権でいつも思うのは、どの国と集団的自衛権を結んだ方がいいかという話になると、やはりアメリカがベターだろうという話でありますけれども、そのアメリカがいつもこういった形で正当性のない戦争をし出すとかいうことが多いと、これはやはり、自国の安全に関係のないことでこういった先制攻撃なんかで戦争をし出すと、それに日本が巻き込まれるというのが一番恐ろしい話であります。

 結局、今、小泉さんは、集団的自衛権を認めていない立場であるけれども、日米同盟を理由にやっているということは、実質的に集団的自衛権をアメリカとの間で認めているということで判断しようとしているんだろうと思います。これもちょっと、極めておかしい話です。

 時間がないので次に移ります。
 国益が重要だという話は確かにおっしゃるとおりでございますけれども、例えば、民主党が言っているように、査察であれば少ない費用で、査察をやっている間は、イラクは大量破壊兵器の工場をつくることもできないし、戦争を起こすこともできません。そういった意味で、査察は有効だと言っているんです。

 これを戦争にした途端に、十兆円から二十兆円規模の負担が各国に降りかかってくる。日本も数兆円、応分の負担ということになったら、これは大変な額であります。ただでさえこのフラジャイルで大変な経済のときに、こんなことをやれば、さらに経済が落ち込むことは目に見えております。これも国益を害する話でありますし、特に、そういったイラクの復興なんかを含めて数兆円かかるということであれば、不必要な出費、戦争がなければですよ、そのむだ金を砂漠に捨てるよりは、むしろこれを、今日本の懸念の北朝鮮からの弾道ミサイル、これが非常に懸念があるということであれば、これの数兆円の何分の一かでもいいから、弾道ミサイルの防衛費に使っていくという方がよっぽど効果的であり、日本の国益に資すると思います。

 今、今年度の弾道ミサイルに対する防衛の費用は、予算で十九億円ですよ。たったの十九億円。平成十一年度から百五十五億円ですよ。この程度の予算しか使わずに国民がおびえるよりは、しっかりした金を、こんな戦争で起こる本当に意味のない出費よりはこちらの方に金を使った方が、よほど日本の国益に資するんだろうと。

 さらに、私、イラクにも二年間いて、アラブにもいた経験から申しますと、あの民族は非常にしつこい、執念深い民族です。米国のお先棒を担いでいる日本を、日本の旅行者なんかにテロを仕掛けたりしたら、これこそ日本人の安全が問題となります。

 そういったことを踏まえれば、やはりここはきちんと、二十世紀型の戦争に訴える解決じゃなくて、二十一世紀型の査察という、そういう戦争に訴えない知恵をこれからやっていくのが日本の方向だと思うし、これは憲法の精神にきちっと合っていると思います。
 以上です。

大畠委員 民主党の大畠章宏でございます。

 私も、この憲法調査会で、こういう状況でありますから、一言発言をさせていただきたいと考えるわけであります。

 きょうは、中曽根先生がおいでにならなくなってしまったんですが、おいでになれば、総理経験者として、今回の小泉総理の行動についてどう考えておられるかということを伺いたかったんです。一つは、日本国の総理としてのこのたびの行動という視点、もう一つは、国連憲章というものを私たちはどう受けとめるかという視点、三つ目には、森岡委員からも先ほど御指摘がございましたけれども、そのことについて発言をさせていただきます。

 一つは、総理の行動でございますけれども、日本国の総理が、このような状況の中で一つの決断をする、決断はしなければならないんでしょう、しかし、同時刻に衆議院の本会議が開かれている、その開かれている同じ時間に記者会見で発言を開始するというその行動そのものが、私は、理解しがたいと考えているところであります。

 国民の八割が、今回のこのアメリカの行動に対しては懐疑的であるということもありますし、もちろん、先ほどからお話がありましたように、憲法調査会の中で、どのような日本をつくるか、どのような未来の日本の国をつくるかという論議をしているさなかでありますが、私たちが考えなければならない基本的な視点は、現在の日本国憲法であります。これについては既に何人の方からかお話がございますが、いずれにしても、あの大戦を経て、昭和二十二年の五月三日に施行されるということで、当時の吉田内閣総理大臣が中心となってこの日本国憲法をつくったわけでありますが、この憲法の理念からしますと、果たして、アメリカの行動というものを日本の総理大臣が支持をするという発言ができるかどうかなんですね。

 いずれにしても、そういうことから考えますと、非常に疑問であります。少なくとも、憲法九条というものがあり、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」ということにもなっているわけでありまして、そういう意味からしますと、日本国の総理として、支持をするという発言はできないんじゃないか。同時に、残念ながら、これまでの平和主義あるいは国連中心主義というものも放棄したと言わざるを得ないと私は考えるわけであります。

 二点目は、国連憲章の問題でありますが、この国連憲章の前文を見ますと、戦勝国のつくったチームといえばチームでありますが、しかし、彼らは彼らで、やはり反省もしておるんですね。我々の一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍から将来の世代を救いということから、反省をし、もしも戦闘行為を行うときには、この国連の安保理の中で合意をした上でやろうということを決めたわけなんですね。しかし、今回、この安保理の中でどうも賛成が得られないということで、その合意なしに、アメリカ、イギリスを中心として武力行使を行おうとしているわけでありますが、このこと自体、一体、私たちは何を基軸に物を考えたらいいのかということが非常にあいまいになり始めている。

 もう一つ、日米安保条約の話が出ましたけれども、第五条に、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和」云々ということで、これも、日米安保条約があるからアメリカを支持しなきゃならないということは当たらないと私は思うわけであります。

 いずれにしても、先ほどの森岡さんの話に答えるとすれば、日本国として、少なくても、国連で合意できる手法を模索するということをやはり当然主張するのが、さきの大戦あるいは国連憲章あるいは日本国憲法というものをもとに考えれば、そのようなことを主張すべきであろうと私は思うわけでありますし、フランスの外務省の関係筋がいわく、殺りくと戦いを繰り返してきたヨーロッパの歴史からのメッセージとして今回のアメリカの行動は賛成するわけにはいかないというメッセージがありましたが、そういうものを踏まえて行動しなければならないと思います。
 以上です。

仙谷委員 仙谷でございます。

 貴重な御意見を拝聴しているわけでございますが、数時間後あるいは数十分後には、アメリカのイラクに対する武力攻撃が始まることのようでございます、そのように認識をしております。

 きょうの御議論を聞いておりましても、やはり私どもは、戦後五十八年、少なくとも、建前としては積み上げてきた国際的な諸法規あるいは慣習法というものを改めて今問い直す時期に来ているんだろうと思います。

 私は、人類の理性と知恵でここまで、暴力の行使、武力の行使ということについては、国際慣習法あるいは戦争違法化の流れ、あるいは国連憲章として現時点では結実しているこれらの諸原則を踏まえることなくして、暴力の行使あるいは武力の行使というのは許されてはならないということを考える立場でございますけれども、そういう観点から、今度のアメリカの武力攻撃を考えていただきたいと思っております。

 とりわけ与党の先生方にお考えいただきたいし、お答えいただきたいのは、今回のアメリカのこの武力攻撃、あるいは米、英、スペインというふうに考えてもよろしいかと思いますが、この武力攻撃は、国連憲章二条に言う国連の行動なのかどうなのか。国連の行動ではなくして、単なる地域的な取り決めや地域的なグループによる行動だとすると、これは国連憲章五十三条には明らかに違反すると考えられるわけでありますが、これをどう考えるのかということをお示しいただきたいというふうに考えているわけでございます。

 先ほどから、にもかかわらずフセインはひどい、イラクは非常に危険な国だ、だから、国連には限界があるから、現時点で武力攻撃を行って、フセイン政権を倒す、そういう先制的な行動が必要なんだという議論もなされているように聞こえます。

 しかし、よくお考えいただきたいのは、このような論理が許されるとすれば、国内的にも、今、いろいろな残虐な犯罪が起こっております。テレビに出てくる被害者の方々あるいはその御遺族の方々のお話を聞いておりますと、裁判所は生ぬるい、警察がでたらめだ、こういうお話がいっぱい聞こえてくるわけでございます。そういう状況の中で、それでは、日本の国内においても、一人一人がひそかにみずから武装をして、ひそかに自力救済を行うというふうなことが許されるのかどうなのかということが、近代法、現代法の、我々がせっかく長年かかって築き上げてきた原則との関係でどうなるのかということでございます。

 つまり、それは、正義の認定権や、あるいは武力行使の要件があるかどうかの判断権を一人一人の国民に、あるいは、国際社会では一つ一つの主権国家の独自の判断にゆだねていいということにすれば、限りない正義の名による報復の連鎖になるということを人類が学んだからだったんではないでしょうか。そのことが国連憲章の中で、集団的、個別的自衛権の行使は許されるけれども、国連が集団的な措置を決めるまでの間だというふうに限定がされている、そういうことにつながっているのではないかと思います。

 ちなみに、日米安全保障条約もその前文におきましてはっきりと、日米安全保障条約つまり日米同盟も、国連憲章の目的、原則を再確認し、国連憲章上の個別的、集団的自衛権を有していることを確認するというふうに、わざわざそういうふうなうたい方をしてあるわけでございます。これは私が申し上げました国連憲章の、自衛権の行使ですら集団的措置が決定されるまでの間、その間でしか、集団的自衛権ですら行使され得ない。ましてをや、自衛権の行使に至らない、そういう急迫な侵害を受けていない場合においての武力行為というのは、到底、現下の国際法のもとでは許されてはならないと私も考えているところでございます。
 以上です。

杉浦委員 筆頭のお話については最後に触れます。

 まず、小泉総理が憲法遵守義務に違反している、したがって、解任すべきであるというような御発言が一、二ございましたが、私はそんなことはないと思います。総理は、何も自衛隊を現地へ派遣することを決めておりませんし、後方支援もやるとは言っておりません。日米同盟の基本に立って日本の安全と平和を守る、北朝鮮の問題が視野に入っているんでしょう、支持すると言われて、何ら違反しているものではないと思います。

 悪いイラクをたたく云々という言葉も出てきましたが、イラクが悪いということは国連決議一四四一で決定していることであります。その第一項で、イラクは査察に協力せず、決議六八七以降、関連決議に基づく義務に関して重大な違反を繰り返してきたと決定しておるわけであります。しかも最後のところで、この文脈において、義務の不履行を続けることは重大な結果に直面することとなると警告もしておるわけでありまして、小泉総理が言っているわけではありません。ブリクス報告も玉虫色でありまして、不履行であるというふうに読めないこともないわけでございます。

 イギリス国会の決議について島委員が申されましたが、イギリスと日本は決定的に違う事情が一つあります。イギリスは軍隊を四万人ぐらいですか現地へ派遣しております。支持することは、即、自国の軍隊を戦闘に参加させることになるわけでありまして、我が国は自衛隊を派遣することを決めておりませんし、そういう意味での違いはあると思います。我々与党三党は、一致して総理の決定を支持しておりますし、民主党が反対されるのであれば、反対決議案を出されたらいかがでしょうか。

 アメリカの、基本的には自衛権の行使だと思われますが、今度の武力行使の決定、国会も一致して支持しておりますが、これは国連憲章五十一条の自衛権行使の要件、武力攻撃が発生した場合に当たるのか当たらないのか、直接発生しておりませんから当たらないという批判がございます。

 国際法上、この点についてはさまざま議論があるようでありますが、この問題については、アメリカの場合、国会が一致して支持し、最近の世論調査ではアメリカ国民の六六%が政府、大統領の決定を支持しているということでございますので、アメリカ国民はプリエンプティブアクションをとってよしということを考えておられるんじゃないかと思うわけでございます。

 穂積七郎先生の発言については精査いたします。私は、穂積七郎先生の立場がすばらしいと思ってあの当時聞いておりました。ここに資料が来ておりますが、また精査してお示ししたいと思っております。

    〔会長退席、葉梨会長代理着席〕
奥野委員 世界の中で、東北アジアが戦争や平和の問題にとって一番危険な地域だと見られていることは周知の事実でございます。その中に日本が位置しているわけでありますけれども、今度の問題につきましても、日本の安全保障のためにどうこうという意見が意外に少ない。

 平和ぼけしているということがよく言われます。やはり国の安全を守っていくことが、国の一番大事な課題じゃないかと私は思うのでございますけれども、平和ぼけの原因をなしているのは、憲法制定の経過や今日の憲法条文などにあるように私は思うわけであります。

 一昨年、アメリカは、テロ行為によって貿易センターなどがぶっ壊されてしまいまして、大変な犠牲が出ました。それから、アメリカの戦略としては、国の安全を守る、軍事力を強化することじゃないんだ、テロや大量破壊兵器を世界からなくしていくことが自国の安全を守る最大の課題だと考えたと思います。

 また、そういう意味で、昨年は年初からブッシュ大統領が、イラン、イラク、北鮮を悪の枢軸とまで呼んだ。我々には考えられぬぐらいに名指しで呼んだわけでございます。テロや大量破壊兵器がすべてなくなる社会をつくることによって、自国の安全も保持していきたい、また世界の安全も守っていきたいということになってきたと思うのでございまして、テロと大量破壊兵器をなくするということは日本の安全保障にとっても一番大事なことじゃないだろうかな、こう私は思っておるわけでございます。

 しばしば国連中心という言葉が出るわけでございます。私も、国連に頼って世界の安全が保たれるような時代が来ることを期待するものでございますけれども、国連憲章ではまだ日本を名指しで敵国と呼んでいるわけでございます。安全保障の常任理事国でもありませんし、拒否権もありませんし、また、国連が生まれるときに企図された、国連自身が武力を持つということもまだできておりません。

 国連が日本の安全を守ってくれるかということになりましたら、私は望みはないと思います。危険な地域に日本がおって日本の安全を守る、やはり同盟国の力をこの際は利用していかなければいけないんじゃないかな、こう思うわけでございます。集団的自衛権がないなどと言いますけれども、集団的自衛権といいましても幅の広いものでございまして、できる行為もいろいろあるだろうと思います。ドンチャンすることはまず否定されるべきだと思いますけれども、経済的な援助もありますし、後方地域でいろいろな活動を支援するという問題もありますし、いろいろあるだろうと思うのでございます。

 そういう意味で、私は、この同盟関係を大切にすることが日本の安全を守っていくためにも極めて重要なことじゃないかな、こう思っておるわけでございます。そういう意味で、憲法についても考えていきたい、国連についてもなお努力をしていきたい、しかし今は、アメリカが自分の国を守るために、テロや大量破壊兵器をなくしていきたい。アメリカ国民はそれに一番おびえているんじゃないかと私は思います。そういうことも考えるべきでございましょうし、そのことはまた日本にもかかわりを持っているものだ、こう考えているわけでございまして、今の日本政府のとっている態度は当然のことじゃないだろうかなという感じがいたします。

 だれだって平和を望みます、戦争は喜べません。しかし、テロと大量破壊兵器の廃棄を考えた場合に、やはり今はアメリカがとっている政策以外にはちょっと考えられないんじゃないだろうかなという残念な気持ちを持っている一人でございます。

野田(毅)委員 二つ三つ意見を申し上げたいと思います。

 結論として、日本が今回のアメリカの行動を支持するということは、率直に申し上げてやむを得ないことだと思います。できれば、国連決議が行われて多国籍軍という形の中で行動が行われるということが望ましかったと思いますけれども、拒否権というものを持っている常任理事国がそれをちらつかせながらその行動に制約を加えたという状況下においては、やむを得ない。

 先ほどもそうなんですが、査察を継続することによっていろいろ大量破壊兵器の廃棄を実現できるのではないかという話があるが、私は、そんな甘いものではないと思います。大量破壊兵器の実際の廃棄の着手は一体いつだったのかと。十何年もしていなくて、実際に国連の査察チームを受け入れたのは、米軍が現地に駐留を始めるという事態になって初めて動きが始まった。今、何十万かの軍隊が何兆円ものお金を使って現地に展開して極めて緊迫したプレッシャーをかけているからこそ、具体的なアクションが行われているのであって、では、一体何年同じ状況を続ければ気が済むのか。であれば、アメリカにかわって他の国々がそういう軍事的プレッシャーをかけ得るだけのことをなすのかなさないのか。そのことなしに、ただ単に期間を延長すればただでイラクの大量破壊兵器の廃棄が実現できるということは、実効性はないという判断をアメリカも行ったのではないか。

 このことは、お隣の北朝鮮が今、核開発初めいわゆるNBC兵器について、これを本当に現実に持とうとする、あるいは持ってからでは遅い、こういったときに、一体、日本は本当に国連にすべてをお任せするだけでいいのかどうかということにも、実は真剣な検討を加える必要がある。

 そもそも、国連の役割について我々は過大な期待を抱き過ぎている。それは、日本の敗戦ショックの中で、国連至上主義の中ででき上がった憲法の枠の中でしか考えていないということから来ているように思います。戦後、特に米ソ冷戦構造の中では、ほとんど国連の役割は機能できなかった。国連の枠の外で米ソが直接対話をすることによって世界じゅうの紛争を解決してきたということが現実であります。

 そういったことを考えた場合に、あらゆる場合に国連が機能できるというのではないので、国連の枠外で行われる事柄、コソボの問題であったり、それはいろいろとこれからも、地域紛争、あるいはABC兵器をどうやって開発、拡散を防いでいくのか、あるいは大量殺りくが行われるような場合にそれをどうやって抑止していくのか。必ずしも国連が常に一枚岩で対応するとは限らない。特に、今回のNBC兵器の拡散という問題について、これをどう事前に対処するのか、持ってからでは遅いのではないかということも含めて、我々は真剣な対応を求められていると思います。

 最後に一つ申し上げますが、少なくとも今日の世界の平和秩序の枠組みは第二次大戦の戦勝国によってつくられているということは厳然たる事実であって、そろそろ日本も、国連加盟五十年になって、独立を回復して、基本的に自分の国は自分で守るという当たり前のことぐらいきちんとしておかないと、いつまでも世界の五大列強がつくり上げた枠組みの中でとぼとぼとついていくということだけで本当にいいのかどうか。私は、そういう意味で、国連に対する資金提供も、日本は分不相応に出していると思います。そういう意味で、世界の平和秩序構築ということに日本国としてこれから将来に向けてどのようなかかわり方をしようとしているのかという、そのことについて、もっと突っ込んだ議論をこの機会になされるとありがたい、そう思っております。
 以上です。

首藤委員 民主党の首藤信彦です。

 ただいま五時四十三分、バグダッドで空襲警報が鳴ったというニュースが入っています。いよいよ、歴史的な転換点に今私たちは直面しているわけですが、その瞬間にこの憲法調査会にいるということの偶然というか、あるいは因縁というかを強く感じます。この瞬間こそ、私たちは全力を集中して、日本の進路そして世界の平和を守るために最大の力を尽くしていかなければいけない、そういうふうに思います。

 今までの意見をいろいろ拝聴しておるわけですが、国際社会において脅威が存在するということはそのとおりであります。しかし、問題なのは、国際における脅威というものをだれが判断するかというところであります。今までフセインが悪い悪いという話を聞いておりましたが、もちろんそうでしょう、いろいろ決議を守っていない点もたくさんあると思います。しかし、それに対して一体どれだけの暴力を加えるかということも、非常に大きな視点として当然、論議されなければいけないわけであります。

 国際憲章においては、あるいは国際法においては、一体だれが悪いのかということを定義するということが非常に重視されているわけであります。そしてまた、どの程度悪いのかということもきちっと定義されなければいけないということであります。国際憲章においては、当然のことながら、これは国際連合の安保理でこれをきちっと定義するということとなっております。しかしながら、皆さん御存じのとおり、この一四四一でも、これは、問題があったときには安保理で直ちにそれを分析し、そして判断をするということになっているわけですが、その安保理がまだ判断をしていない段階で武力攻撃が行われる、それは安保理の一国が単独行動をとるということでありまして、このことこそが国際社会における大変な脅威であると私は考えております。

 これに対して、我が国の対応でありますが、小泉総理が昨日、アメリカとの同盟関係と国際協調、これをバランスとってどちらが重要かということを考え、同盟関係を重視したという発言がございました。これはもうゆゆしき発言だと思います。国際憲章、国際社会、世界の問題を考えるにおいて一番重要な問題よりも、地域的な取り決めということを重視する、これは新しい法律上の解釈、国際法上の解釈でありまして、この問題に関しては調査会で集中討議すべき問題だと思っております。

 もちろん、地域的な取り決めが重要だということは、国連憲章の第八章五十二条にも書いてあります。しかしながら、五十二条の一項に明記されてあるように、このような「取極又は機関及びその行動が国際連合の目的及び原則と一致することを条件とする。」と明記されております。したがって、この点においては、同盟国が一方的な行動をとり、それに対して賛意を表するということは、日本国政府の反憲章的な言動であると言わざるを得ません。

 また、ブッシュ大統領の先日の発言を見ますと、非常に反憲章的な発言が目立つわけであります。国連が、安保理が何も行動しないから我々は立ち上がるんだ、そういう発言があるわけでありまして、アメリカが目指している有志連合、そして、何とその有志連合の三十カ国の中には我が国も名前が挙がっているわけですが、一体、憲章と国際連合というものと有志の連合というものはどういう関係があるのかということも集中討議しなければいけない。

 こうしたことを考えますと、日本国総理の発言というものは非常に問題があるわけでありまして、日本国憲法九十八条二項に違反していると言わざるを得ないわけでありまして、最後に、この問題に関しては、ぜひ総理がこの憲法調査会に出席して、みずからその独自解釈をきちっと私たちの前で説明し、同時に国民に対して説明するということを強く求めたいと思います。
 以上です。

中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。

 法哲学者のヘーゲルという人の言葉に、神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史であるという大変意義深い言葉があるのであります。私は世界連邦主義者でございまして、世界連邦というものができることを夢見ておる一人でございますが、今のところの国連に満幅の信頼が置けるかというと、私は、そうではないように思います。

 それは、過去、私も国会に出していただいて三十四年になりますが、かつて、四十年ぐらい前に、まだ国会に出る前でございましたが、この議員会館に、チベットの隣にありましたシッキムという王国の王女様が来られて、カンパ族という族長を連れて、中国に今圧殺されようとしている、何とかしてくれという話があって、それ以来、チベットを中国が圧殺してしまい、特に日本の場合、考えますと、アルバニア決議案という決議案が国連に出まして、そして、ついに台湾という、中華民国、日本はいわゆる日中戦争の最初は毛沢東と戦ったのではありません。毛沢東の中国は、一九四九年、日本が戦争に負けて四年後にできた国でございますが、それ以前に長い戦争を始めた中華民国を、国連から二千二百万人の国民を有する国を追い出してしまいました。十万人の国さえ国連に加盟させているのに、世界一の金の保有、世界第二の外貨の保有量を持っている台湾を追い出した国連が、一体、国連なのかしら。

 逆に、一九五〇年六月二十五日に朝鮮動乱が起こりました。国連決議、十六カ国、ソ連が拒否権を発動したために、国連決議百九十五号であったと思いますが、十六カ国が団結して北朝鮮を攻めました。今、その北朝鮮が国連に加盟しております。台湾は国連に加盟しておりません。私は、中国で塩川訪中団についていったときに、国連に台湾を加盟させなさい、それを中国に賛成しなさいと。特に、私は日本国憲法の問題で大変疑問に思っておりますことは、この国会で永久条約で期限のなかった中華民国との条約を一秒の議論もなしに破棄しました。外務大臣が記者会見でそれを破棄したわけだから、これは最大の憲法違反であったといまだに私は思っておるのでございます。

 考えてみますと、先ほど仙谷先生のお話にありましたが、アメリカはおととしのセプテンバーイレブンス、九月十一日、この日に攻撃を受けたときに、世間の議論の中に全く出ておりませんが、アメリカは、連邦法の第二十二章の二千六百五十六号のfの(d)という国内法を持っております。テロをしかけられた国には大統領は攻撃をすべき責任を持つと。国連決議以前に、アメリカの大統領は国内法で縛られているという現実が無視されています。

 物事が一つになっていく過程というものはいろいろある。例えば、日本の歴史を振り返ってみても、歴史は鏡といいますから、引き出しから時々出して見てみようという、昔は大鏡、増鏡、吾妻鏡という、鏡というのは自分を照らせという意味でございます。太閤秀吉が日本を統一するその前提としての小田原城攻めをやりました。その次は、御承知のように、幕末には福島藩を攻撃しました。そして日本は統一されていきましたが、最後に、明治維新になってからも、西郷隆盛が城山で賊軍とされて、後には上野の山に銅像が立って、彼の罪は許されるわけでございますが、統一の場合には、統一に至るまでの悲しい戦争があるという人間の現実を私どもは直視しなければいけないと思います。

 その意味で、今、このイラクという国、イランに戦争をしかけ、またクウェートに戦争をしかけ、そして十三年間、敗戦の条件は、核拡散防止条約によりますいろいろな大量破壊兵器をなくすということは、特に、三木内閣のときに、国会で核拡散防止条約が批准されましたときに、私は自民党を代表して賛成討論をいたしました。

 その意味から、この大量破壊兵器を保有する国が十二年かかってもそれに応じないことに対する、私は国家的な問題としての日本国が、特に北朝鮮という国が隣接しておりますし、私は、北朝鮮から、自社さきがけ、この三党の訪朝団で帰ってまいりましたとき、フォーリー大使に大使館に呼ばれまして、北朝鮮の報告をしてくれということで話をしましたときに、アメリカから来られていた若い戦略家が、いざというときは北朝鮮は休戦協定しかないから、ばんとたたいたらどうだろうかというお話がありましたので、冗談じゃないです、反撃は日本と韓国に来ますよ、アメリカにはミサイルが届かないかもしれませんが、これは何としても私どもは、そういう日本に対する報復を考えていただくと、同盟関係を切られるなら別ですが、そういう行動に出てもらっては困りますと言ったことがございます。

 しかし、現実の問題として、一九五〇年六月二十五日、朝鮮動乱が開始されます一週間前にダレス国務長官は三十八度線に行って、戦争はない、平和はこの朝鮮半島で続行されると言った一週間後に朝鮮動乱は始まったことを我々は思い起こしながら、日本は、アメリカという世界最大の、四十四兆円という日本のことしの税収に匹敵する軍事力を持っているこのアメリカが警察行動に出る行動を、私どもは、人間の社会として、政治家として現実を認めながら、夢は世界連邦ができる、国連がその機能を果たすことを夢見ながら、総理大臣、小泉純一郎総理の今の決断は正しかった、私はかように認識をしております。

倉田委員 自由民主党の倉田雅年でございます。

 先ほど来、野党の方々、まずは金子先生がおっしゃいましたけれども、法の支配が世界の理想である、また、我々の理想であると。まことにそのとおりだと思うんです。国連憲章はその最高峰であるということでございます。

 それに対して、アメリカのやろうとしていること、これは力の行使なんだ、法の支配は力の行使に負けてはいけないんだと。これはまさしく、私も実は弁護士として法の世界に三十年おりましたので、法の理想ということはよくわかるつもりでございます。したがいまして、アメリカの行動が法理論的にどうなんだということは大変難しい問題、アナン事務総長も疑念があるとおっしゃった、こういう立場もよくわかるわけでございます。

 しかしながら、今、法の支配が力を上回る段階に人類はまだ至っていないと思うのでございます。現実問題は、お隣の北朝鮮の問題でございます。これも、力がどの程度あるかは別として、力をやたらといたずらに振りかざしている現実があるんです。私は、日本にとっては、イラクの問題よりも、むしろお隣の北の問題の方がはるかに急迫、なおかつ不正が行われつつある状況にあると思っておるわけでございます。

 そうした中で、小泉首相が支持とまで言ってしまいましたが、私はやむを得ないというところかなと思っておりますし、いざというときには北の問題に対してはアメリカが出てきてくれるんだ、本当にそうかしら、それで大丈夫なのかしらと私自身も思うのでございます。野党の方々はそうした小泉さんの態度、姿勢に対しまして、恥ずかしいことだ、情けないことだ、こういうことをおっしゃられるわけでございます。

 しかし、もし、情けないこと、恥ずかしいことだと言うのであれば、その原因は一体どこにあるのかということを考えなくちゃいかぬと思うんです。簡単に言うと、一言で言って、日本がまだ自分の力で自分の国家を守る力を持っていないという、ただその一点に尽きるわけでございます。

 先ほど来、末松議員が、ミサイル防衛にたったの十九億しか予算が組まれていない、こういうことを嘆いていらっしゃいましたけれども、私もそう思っております。現在、四兆五千億という防衛費が使われておりますけれども、今や上陸用舟艇の時代でもない、戦車もそうたくさんは要らない、そういう時代でございますので、ミサイル防衛とかそういったことに本当に力を尽くすべきだと思うし、もう一つは、対テロ対策というものを一生懸命考えなければならない。

 これが我々が今やるべきことであって、我々が現在やむなくアメリカを支持するということを恥ずべきだと思うのであれば、我が国が、自分だけは、自分の国だけはきちんと守れる、できれば世界を守ってあげたいんですが、日本の平和憲法というもの、それはそれなりの理想の世界だと思いますので、私も平和憲法は支持すべきものだと思っております。しかしながら、その平和憲法が必ずしも自国防衛を禁じているわけではないということは、もはや日本国民がほとんど理解をするところでございます。

 そうした中で、ミサイル防衛それからテロ対策をどこまでできるのか。武力をもって外国を攻めてはいけない、これがまさしく平和憲法であり、私もそれが一番いいと思っておりますが、テロの根源を絶つために、例えば外国に特殊部隊を派遣することは、許されるのか許されないのか、専守防衛の範囲を超してしまうのか。いろいろな難しい問題がございますけれども、今回の問題につきまして一番我々が感ずべきことは、まずは自国だけは守ることを持っていないと、それでないと国際社会で理想論は語れない。早く日本も国際社会でアメリカに対しても理想論を述べ得る立場をとりたい、こう思うわけでございます。
 ありがとうございました。

中山会長 この機会にお伝えをいたします。
 テレビによるアメリカ大統領の演説は、十二時十五分日本時間に行われるという連絡がございました。また、NHKニュースでは、武装解除の作戦が始まったとの記者発表があったとの報道がなされております。
 以上です。

中野(寛)委員 民主党の中野寛成でございます。

 先ほど来、国連が極めて不十分な存在である、ある意味、国連批判とも言える御発言が幾つか続きました。私はそのことは率直に認めたいと思いますが、現実に、先ほど例も挙げられました、敵国条項が残っており、今なお日本、ドイツ、イタリアは国連の敵国条項の対象国とされているままになっておりますし、また一方、PKOの活動にいたしましても、積み重ね方式で、国連憲章にまとまった条項として規定をされているわけではないということもあります。

 私自身も、先ほどの中山正暉先生と同じで、国連をより強化拡大して、世界連邦へという理想を持っている者の一人であります。しかし、それならそれで、やはり、国連の欠陥をあげつらうというよりも、国連をより一層よりよきものに構築をしていく日常の努力こそが必要なのではないか、その前提として、国連の機能をやはり意識して守り育てていく努力も必要なのだ、それは、国連という言葉を平和という言葉に置きかえても同じことが言えるのではないのか、このように思います。

 よって、今回のことも、言うならば、イラクが悪い、そのことは、おおよそ全世界の皆さんの一致した考え方だと思います。しかし、そのイラク・フセイン政権に対してどう対応していくのか、この方法論について、言うならば、二つに意見が分かれているということかと思います。

 ですから、私は、少なくとも、イラクに対する批判的姿勢というのは世界のほとんどの国々が持っている状況の中で、国連で決議をし、イラクに対する措置をまとめ上げて、そして国連の総意として対応をしていく方法というのを、より一層粘り強く構築するべきであったというふうにも思います。

 先ほど、平和ぼけという話もありました。しかし、日本は平和ぼけをしている人がいるから今度の小泉総理の判断に対して批判をしているのかというふうに言われますと、ならば、ドイツもフランスも中国もロシアも、平和ぼけしている国なのだろうかと反論をしたくなります。

 むしろ、いかなる方法をもって平和裏にこれらの問題を解決していくかという努力が、本当に国連において、それぞれの国においてなされたのか、日本は率先して本当にその努力をしたのか、この疑問を解くにはまだ私は不十分だというふうに思っております。

 国連で、安保理で決議をされて、先ほどもある委員が言われましたが、多国籍軍の形をとってイラクに対する攻撃がなされるということであれば、私は容認しようと思っておりました。しかし、その道はなし遂げられませんでした。いろいろな努力はされたかもしれませんが、拒否権を持っている国々の中で、フランスもロシアも中国も、決議をするということになれば拒否権を発動するぞとまで言っている状況の中で、言うならば五分の三がそういう状況の中で、果たして国連の一部が反対したという言い方ができるだろうか、今アメリカが国連の大勢が反対をしている行動をとったというときに、日本は、無条件で、オーケーです、支持しますと言っていいのかという疑問を、私はなお払拭し切れない、そういう気持ちでおります。

中山会長 それでは、予定の時間も過ぎておりますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、来る二十七日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時調査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時六分散会


2003/03/20

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