2002/06/10

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仙谷議員「核兵器持ちたいなら堂々と議論せよ」 (民主党ニュース)

 民主党の仙谷由人議員は10日、衆議院武力攻撃事態特別委員会における非核政策見直し発言問題の集中審議で質問に立ち、「小型原爆は憲法上禁じられていない」との安倍官房副長官の発言について、「憲法解釈に名を借りた乱暴な議論をしてもらっては困る」と強く批判した。

「憲法上保有することが許される原爆があるのか。あるとして、その性能は広島型原爆と比べてどの程度の能力なのか」、またそもそも「広島型・長崎型原爆はTNT火薬何キロトンの能力と考えているのか」と議論の前提認識を問う仙谷議員に、安倍副長官は即答できず、ようやく答弁資料を探し当てて答弁したものの、TNT(トリニトロトルエン)火薬を「NTT火薬」と2度言い間違えて委員らの失笑を買った。

 仙谷議員は、安倍副長官が拠り所とした岸内閣当時の政府答弁について、「将来小型の戦術核が開発されるかもしれないので、今から手を縛るべきでないという政治的な意図に基づく議論」とする一方、今日の現実の誘導弾は最低でも広島型原爆の10倍程度の威力を持つ弾頭を付けているという資料をもとに、「なぜこんなものが小型であるとか殺傷能力が低いと言えるのか」「そういう爆発力・殺傷力のあるものを、憲法解釈上、必要最小限度の範囲内で、というごまかしの論理で保有するという結論が出るのか。絶対に憲法論としてはこういう論理は出てこない」と熱弁。

「私は、『いかなるものであっても核兵器と名がつけば憲法上持てないという憲法解釈は採らない』という岸答弁や法制局の考え方を紹介しただけ」「週刊誌をもとに質問されても困る」などと言い逃れようとする安倍副長官に対し、仙谷議員は「(憲法解釈に)すき間を空けて皆さん方は何をしようというのか」「もし自民党が政策的に核兵器を保有したいなら、堂々と問題提起したらどうだ。われわれは反対するが。選挙で負けようと、やりたかったらやればいいではないですか」と安倍副長官の姑息な態度を厳しく批判し、質問を終えた。


平成十四年六月十日(月曜日)

瓦委員長 この際、仙谷由人君から関連質疑の申し出があります。川端君の持ち時間の範囲内でこれを許可します。仙谷由人君。
仙谷委員 民主党の仙谷でございます。
 引き続いて、安倍副長官にまず御質問をいたしたいと存じます。
 今回の官房長官、副長官の発言というものが報道されまして、新聞紙上等々でも、いかにも軽いというのが大体、大筋の評価のようでございます。
 私も、改めて国会の論争、憲法解釈論争等々を拝見してみましたけれども、改めて少々勉強してみますと、軽いというかリアルさがないんですね、これ。全くリアルじゃない、この議論は。何のためにこんなことを昭和四十三年からやっているのか甚だ不可思議でしようがない。つまり、これこそまさにある種の政治的な意図に基づく論理ではないだろうか、こんな感じがするんですね。
 なぜならば、では、安倍副長官、こういうふうに聞きましょう。あなた、大学の授業がどうのこうのと否定されたけれども、まず事実問題として、こういうふうに言っていらっしゃいますよね。「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」こういうふうに言っているんですね。
 あなたが言われている小型というのは、広島で投下された原子爆弾と比べてどのぐらいの性能の兵器なんですか。
安倍内閣官房副長官 そもそも今委員は、その週刊誌をもとに私に質問をされているわけであります。その授業の場にそういう盗聴器や何かを持ち込んだものを起こしたものを、しかもそれを適当に週刊誌が編集したものを根拠に質問されているわけでございますが、私は先ほど、私が申し上げた趣旨については申し上げたわけでございまして、必要最小限のということについて私が答えたわけでございます。
仙谷委員 それでは、質問を変えましょうか。まず、早稲田大学で、小型の原子爆弾であれば憲法上保有することが認められるというふうに言ったかどうかという事実問題を本当はお聞きしたいんだけれども、聞き方変えましょう。
 では、憲法上保有することが許される原子爆弾というのはあるんですか、ないんですか、核兵器というのはあるんですか、ないんですか。あるとすれば、そのときの性能というのは、広島型の原子爆弾と比べてどういう能力を持つんですか。それをお答えください。
安倍内閣官房副長官 憲法論について言えば、繰り返しになるわけでございますが、我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは憲法第九条第二項によって禁止されていない、その中においては通常兵器であろうと核兵器であろうと同じであるということでございます。
 そもそも、先ほどから議論があるように、政策論としては、非核三原則あるいはNPTによって、核を保有するという選択肢は全くないわけでございます。国内法によってもそうでございます。ですから、私が大学で述べたことは、それは、憲法論について、また、政府の解釈論を紹介したわけでありまして、また、歴史的な事実として岸答弁を紹介したわけであります。
 今、現実の政策論として、個々の核兵器について議論をされているわけでございますが、それはそもそも、もう既にこれは選択肢として、政策論としては放棄をしているわけでございますから、意味がない、このように思います。
仙谷委員 あのね、憲法論をしているんですよ。そういうふうに逃げちゃだめですよ、この問題。いいですか、そうしない限り、あなた方が政府解釈でおっしゃる、自衛のための最小限度の範囲内の核兵器、憲法上保有が許される核兵器という概念が空想のかなたに飛んでいってしまうんですよ。そうでしょう。ないと言うんだったら、空想のかなたじゃないですか。
 あなたね……(発言する者あり)では、官房副長官。官房副長官は、広島型の原子爆弾はTNT火薬何キロトンの爆発力があったというふうにお考えですか、あるいは長崎はどのぐらいの能力があったという認識を持っているんですか。
安倍内閣官房副長官 先ほどもう既に私が申し上げておりますように、憲法には一々兵器が列挙していないというのは当然でございます。その解釈論について、九条の二項をどう解釈しているかという解釈論について私が述べたわけでございます。
 今の仙谷委員の議論でいけば、すべての個々の限定列挙をしなければいけなくなるということになるわけでございます。つまり、私が申し上げていることは、それは、憲法において必要最小限ということについて、私はお話を憲法解釈論として申し上げたわけでございまして、それは憲法解釈論でございまして、政策論としては、先ほど来私も述べておりますし、また、官房長官も述べておりますように、既に非核三原則においてその選択肢はもうないということでございます。NPTにおいてもそうです。
 ですから、今ここで、そういう個々の、個別のことをとらえておっしゃっておられますが、それは極めて無意味な、政治の場であれば極めて無意味な議論であると言わざるを得ないと思います。(発言する者あり)
瓦委員長 静粛に願います。
仙谷委員 副長官、申しわけないけれども、私は、少なくともあなたよりは、大学でもあるいは職業としても憲法を勉強していますからね、言っておきますけれども。
 そこで、改めて聞きますけれども、広島型原爆、長崎型原爆の能力について、爆発力について、あなたは全く認識がなくて発言をしているんですか。そこをお答えください。
安倍内閣官房副長官 今は、どれくらいの威力かということは、これは別に私に聞かなくても調べればすぐわかる話でございますが、あえて私に聞きたいということであれば、私の口から述べさせていただきたいわけでございますが、爆発力について言えば、TNT火薬として言えば、広島の場合は十五キロトン、長崎の場合は二十二キロトンということでございます。
 それと、私が先ほどから申し上げておりますが、個々の兵器については、政策上、既にそういう選択肢がないわけでございますから、我が国の政府としてはそういう検討を今まで行ってきていないということでございます。
仙谷委員 そこで次の質問に移るわけですよ。まさに憲法論なんですよ、これからが。具体的な事実を踏まえての憲法論なんですよ。そうしない限り、あなた方がおっしゃる神学論争、空中論争になるから私は言っているんですよ。
 いいですか。自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものがあるとすればという、これがまさに今おっしゃった古典的な政府の解釈ですよ。あるとすれば、ですよ。
 現時点で、こういう答弁が出てから約三十四、五年たっている。そうですよね。これは昭和四十二年、四十三年のときの議論だ。三十数年たっているこの時点において、憲法解釈上、自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものがある状態になっているんですか、ないんですか。どうですか。
津野政府特別補佐人 これは、考え方だけ少し御説明させてください。
 政府は、先ほどから安倍副長官からも答弁しておりますように、憲法第九条二項の解釈といたしまして、核兵器であっても、仮に自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものがあるとすれば、これを保有することは必ずしも同項の禁ずるところではない旨、これは従来から申し上げてきているところでございます。
 これはあくまで、仮にそのような核兵器が存在するとすればという仮定のもとに、法解釈として論理的に導き出されますところを申し上げてきたわけでありまして、現実にそのような核兵器が存在するというようなことをその前提として申し上げてきているわけではありません。
 当時から、仮に、科学技術等の進歩もあり、いろいろな将来のことを考えれば、小型のものとか非常に力の弱いものとか、いろいろなものがあるかもしれないという前提でいろいろお話をしてきているわけでありまして、そういった現実の話を前提としてお話をしてきているわけではございません。
 それで、具体的に現実論としてそういうものがあり得るかどうかというような専門的な、これは兵器に関する知識あるいは見解が必要なわけですから、私ども法制局としては、そこまではなかなか知識としては有していないということでございます。
仙谷委員 そんなことはわかっているから、あなたになんか全然聞いていないじゃないですか。
 では、防衛庁長官、どうですか。この自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものが、三十数年たって、あることになったのかないのか、それをお答えください。
安倍内閣官房副長官 これは、私どもが非核三原則という原則を昭和四十六年に国会決議をして以降、事実上の国是となっているわけでございますから、その段階で政策論として我々はそれを放棄しているわけでございますから、個々の兵器について我が国の政府が検討してきたことはないということでございます。
仙谷委員 いやいや、防衛庁長官、どうですか。事実問題として、こういう議論をしたのは昭和四十二年、四十三年だったということはわかります。まだ私なんか大学生だ、そのころは。そこから三十三年、三十四年たった今、当時の議論を見ていますと、どうも、将来そういう小型のコントロール可能の戦術核ができれば、それを保有する可能性まで否定してはならぬのじゃないか、こういうイメージの議論が、読んでみるとありますよ、政府の議論の中に。だから私は、政治的な議論だ、こういうふうに申し上げている。
 ところが、現時点になって、この防衛ハンドブックを見ても、どうも私のイメージからは、広島、長崎原爆の、これをはるかに小型化した核兵器というふうなものが現時点の世界じゅうにおいてあるようには見えないんですね。
 つまり、そこは論理的な矛盾になるんじゃないか。どういう論理矛盾かというと、核というのは、通常兵器よりも爆発力を格段に、瞬時に高める、そういう科学技術だから核なんですよ、核兵器なんですよ、多分。だから、核兵器である限り、小型とか必要最小限度の中におさまるなんということが論理矛盾を来す、私はそう思うんですよ。
 これは現時点でどうなっていますか、防衛庁長官。ちゃんとある程度日本の武器以外には書いてあるじゃないですか。「誘導弾の性能諸元」というのが、防衛ハンドブックの三百十八ページから出ている。この中には、少なくとも、私が申し上げる、小型、あるいは必要最小限度の範囲内にとどまるというふうに考えられるものはないんだけれども、どうなんですか、防衛庁長官。
安倍内閣官房副長官 先ほど委員がおっしゃった、将来、科学技術が発達すれば必要最小限にとどまるものも考えられるという趣旨の答弁がなされたのは、それは昭和三十四年、五年の岸内閣においての岸答弁でございます。その後、昭和四十二年に佐藤総理が非核三原則について述べられ、四十六年に国会決議がなされたわけでございます。
 要するに、それ以降は、政策的な選択肢としてはもう既に排除しているわけでございますから、今おっしゃった、個々の核について、また将来の技術の進歩についても、これは一々検討をしていないということでございますから、個々の核兵器が憲法の必要最小限の中に入るかどうかということについては、検討してきた経緯もないし、また政策手段としてはそれを放棄しているわけでございますから、それを一々検討することはないということでございます。
仙谷委員 僕は、全然、官房副長官にこの種のお答えをいただくために聞いているわけじゃないんですよ、さっきから。防衛庁長官に、武器の技術の進歩というか、技術改良の進歩か技術革新の進歩かがあって、性能が非常に弱い、そういう核兵器が開発されておるんですかと聞いておるんです。そういうものを防衛庁長官は知っていますかと聞いておるんです。どうですか。
中谷国務大臣 近年、湾岸戦争とか、またアフガニスタンの問題においても、核兵器が使われたという事実はございませんし、それぞれ戦術の変化また環境の変化も起きておりますが、戦場において戦術核を使用するようなことは今日考えられなくなってきております。
 その例としては、イギリスにおいても、アメリカにおいても、保有している国では、戦術核の兵器をほとんど既に実戦配備から解除して貯蔵に回しておりますし、また、ミサイルの研究開発を進めている米国は、対空ミサイルの弾頭に核兵器を搭載することは考えていないと承知をいたしておりまして、今日において、核を使うという問題につきましては、軍事的、合理的に見て、必要不可欠と感じられるような戦術核兵器というものはほとんど存在をしていないのではないかと分析をいたしております。
仙谷委員 さっき呼ばなかったけれども、法制局長官が出てきましたよね。たった六月の六日、つい最近あなたが参議院で答えた、「非常に小型な核兵器であるとか性能が非常に弱いような核兵器と言えるものがもし開発されたとするならばというような非常に条件付でおっしゃっておられます」、つまり、合憲の範囲、合憲的に保有できる核兵器というものがあるんだ、それはこういう条件つきだとおっしゃっているから、私ずっと聞いているのですよ。――いやいや、まだあなたに聞いていない。だから性能問題を出したわけ。
 そして、性能のことの認識もなくこの種の議論をもてあそぶのは火遊びだと私は思うのですね。つまり、いいですか、あなた方もちゃんともう一遍見てごらんなさい。この誘導弾の性能を見てごらんなさい。(発言する者あり)
瓦委員長 静粛に願います。
仙谷委員 最低のものでも広島型原爆の大体十倍ぐらいのものを弾頭につけることになっているじゃないですか。簡単じゃないですか。なぜそんなものが小型であるとか殺傷能力が低いと言えるのですか。現実によく考えてみれば、爆発力が通常爆弾よりはるかに大きいから意味があるというのが、幾ら迎撃ミサイルであろうとなかろうと、そこに意味が出てくるんじゃないですか。
 そうすると、日本の場合に、そういう爆発力、殺傷力のある、能力のあるものを、憲法解釈上必要最小限度の範囲内でという論理で、そういうごまかしの論理の中で保有するというふうな結論が出るのか。これは、憲法論としては大変問題ですよ。絶対に憲法論としてはこういう論理は出てこない。
 法律用語で言うとすれば、自衛のために必要な相当な範囲内でというのだったら入ってくるかもわかりませんよ。必要最小限度内の中へは入ってきませんよ。(発言する者あり)先祖返りじゃないよ。憲法論、法律論をやるのであれば、そのぐらい厳密にやってほしい。憲法解釈論に名をかりた願望や政治議論をやってはならない、そういうことをやるのは火遊びだ、こういうふうに考えるのですよ。総理大臣、どうですか、この種の議論。
津野政府特別補佐人 先ほど私が申しましたように、先ほど先生の御引用されました先日の国会の委員会での答弁でも申し上げましたけれども、これはあくまで、仮にそのような核兵器が存在すればという、そういう前提のもとで法解釈論として論理的な帰結を申し上げてきているところでありまして、これは昭和三十七年の林内閣法制局長官、「これは将来の問題もございますし、いわゆる科学技術の発達ということから、純粋に防御的な、まあ小さな核爆発、そういうものができないことは保証できないわけでございまして、そういうものができた場合に、憲法がそれも禁止しているということにはならない、」とか、あるいは昭和三十九年三月に、これは参議院の予算委員会での林内閣法制局長官も、ここでも、「戦闘的な目的として、殺傷用あるいは破壊用に核エネルギーを使った武器を使うということそれ自身だけで、直ちに憲法違反となるというものではあるまい。それはもう少し端的にいえば、防御的なものは憲法違反じゃないということばになってくるわけでございます」とか、それから昭和四十八年に、「攻撃的か防御的かということは判定は」「むずかしいと思いますけれども、理論上の問題といたしまして、自衛のための正当な目的の限度内の核兵器というものがありとするならば、この点につきましては、従来、岸内閣時代におきましても、たとえば当時の、私のもとのもとの前任者でございます林修三氏が答弁をいたしておりまして、将来科学技術の進歩によって、非常に小型な核兵器であるとか性能が非常に弱いような核兵器というものがもし開発されるとするならば、そのようなものは防御的な核兵器と呼ばれるのではないか、」
 そういうふうに、ずっとこれは政府の見解としてそういった論理的な前提を置きまして解釈を導き出してきているわけでありますので、そういうところでは何ら憲法解釈として問題はないというふうに私どもは考えております。
仙谷委員 法制局長官が、余り、前提にした議論をしているわけですよ。おさらいをしていただかないでもその趣旨はわかっていますし、今、私の質問に対する答えとしては、もうちぐはぐになっちゃうんですよね。困ったものだと思います。
 そこで、もう残り時間、それほどないわけでありますが、安倍副長官、もう一つ、あなたが言っているのでちょっと気になるんです。
 「違憲ではない」、つまり、戦術核を使うということは岸信介総理答弁がされていますと、「それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただ、それはやりませんけどもね。」こういうふうに言っているんですよね。
 日本人は何を誤解しているんですか。あなたの理解はどうなんですか。日本人が誤解している理解というのは何なんですか。
安倍内閣官房副長官 先ほど来再三申し上げておりますが、委員は、週刊誌の記事を、「ものすごい中身」とかいう大見出しで書いた週刊誌の引用をされているわけでございます。そもそも私は使用という言葉も使っていないにもかかわらず、その週刊誌の見出しは、私が核の使用は合憲というふうに言ったというふうに書いてあります。
 そういう……(発言する者あり)私はずらしてはいないわけでありまして、そういう不正確な週刊誌の記事を、委員は、この国会の場で基礎として、それのみを情報源として今質問をされているわけでございますが、しかし、私は、あえて私の言いたかったことというか、そこで申し上げたことは、ここではっきりと申し上げておかなければいけない、こういうふうに思うわけでございます。ですから、その週刊誌は必ずしも正確ではございませんから、週刊誌にのっとって、私はそこで一々議論する気は毛頭ございません。
 私がそこで申し上げたことは、岸答弁をいわば引用したということでございまして、これは昭和三十五年と三十四年でございました。この昭和三十四年の岸答弁というのは、この憲法上の解釈の問題と実際上、政治上の問題と二つあると思います、憲法上の解釈として、核兵器と名がつけばいかなる兵器もこれは憲法違反として核兵器は用いることができないんだという解釈は憲法の解釈としては適当でない、今後どういう発達をするかわからないが、いかなるものであっても核兵器と名がつけば憲法上持てないんだ、憲法違反だということは、憲法の解釈としては私どもはとらないというこの岸答弁を私は紹介したわけでございます。
 また、先ほど法制局長官がお話をされた法制局の見解は、これは私の意見として申し上げたわけではなくて、政府の立場、法制局の考え方を、質問に対してこちら側が紹介をしたということでございます。
仙谷委員 だから、そんなこと、だれも否定していないので、当時から自民党政府がそういう解釈をとってここまで来ている、憲法解釈としてそういう解釈だということは、全然私も何にも誤解していないのですよ。だけれども、あなたは日本人が誤解していると言っていらっしゃるから、日本人が何を誤解しているのですかと。
 日本人だって、自民党がそういうある種の強引な解釈をしながら既成事実を積み重ねてきたという部分は、別に誤解していませんよ。理解していますよ。だから、辛うじて自衛隊に対する支持が過半数を超しているんじゃないですか。そういう難しい議論をまあまあとしてやっているんじゃないですか、日本人が。別に何にも誤解していませんよ。そうじゃないですか。
 だから、誤解しているとか、何か日本人の方が間違っているかのような言い方をされて、あたかも、核兵器を保有することは、法律上あるいは条約上禁止されるけれども、憲法上は禁止されていないんだ、そこのすき間をあけておいて何をしようとするのですか、皆さん方は。
 堂々と議論をすればいいじゃないですか、核兵器問題をやりたいのであれば。核兵器を持ちたいのであれば、そう言えばいいじゃないですか、皆さん。何をそういうこそくなことを考えているのですか。どうですか、福田さん。
安倍内閣官房副長官 極めて今乱暴な決めつけで、週刊誌をもとに質問をされて、私が日本人が誤解しているということを言ったかのごとくの質問をしておられます。
 日本人は誤解はしているとは思いませんが、委員は私は誤解していると思いますよ。憲法解釈論と政策論を誤解しておられる。私は、政策論と憲法解釈論は別であって、岸答弁にも先ほどありましたね、私が御紹介したように。ですから、私は、政策論としては、選択肢としてはあり得ない、しかし、憲法解釈論としてはこういう解釈が今までの解釈としてありますよ、岸答弁はこういう答弁ですよと歴史的な事実を淡々と誠実に学生に対して申し上げたわけでございます。
 ですから、そこで委員のような誤解があってはいけないから、政策論と憲法論をごっちゃにしてはいけませんよということを申し上げたわけでございます。幸い、学生の皆さんからレポートをいただいたわけでございますが、そういう誤解をされた学生はおられませんでした。
仙谷委員 最後に一言だけ言っておきますよ。
 合目的的な憲法解釈をすれば、憲法解釈論としてはあなたの方が誤解しているんですよ。具体的に、現実的に憲法を解釈すればあり得ないということをきょう教えてあげたじゃないですか。
 もし自民党なり皆さん方が政策的に核兵器を保有したいというんであれば、そういう議論をすればいいじゃないかと言っているわけですよ。そうじゃないですか。堂々と問題提起したらどうですか。我々は反対しますけれども、堂々と問題提起すればいいじゃないですか。選挙に負けようと何しようが、やりたかったらやればいいじゃないですか。別にそれをやること自体に、議論すること自体に反対しているわけでも何でもないんだ。
 終わります。


2002/06/10

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