2002/05/16

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平成十四年五月十六日(木曜日)

瓦委員長 次に、石破茂君。
石破委員 官房長官、国家公安委員長、ほかの委員会等々の御都合がおありかと思いますので、時間になりましたら御退席をいただいて結構であります。
 まず、瀋陽の総領事館のことにつきましてお尋ねをいたしたいと思います。
 というのは、なぜこれをお尋ねするかといいますと、予期せざる事態が起こったときにどのように対応をするかということがきちんとできていなければいかぬのだろうというふうに私は思っております。
 そして、阿南大使の発言、これがいろいろ問題になっておるわけでありますが、私どもがちょうだいいたしました発言の概要を見る限りにおいては、これは実に当たり前のことを言っているわけですね。脱北者は中国へ不法入国している者が多いが、一たん館内に入った以上は人道的見地からこれを保護し、第三国への移動等、適切に対処する必要がある。まことにそのとおりです。他方、大使館としては、昨秋来テロに対処するという観点からも、警戒を一層厳重にすべきことは当然であり、不審者が大使館敷地に許可なく侵入しようとする場合には、侵入を阻止し、規則どおり、大使館門外で事情聴取をすべきだ。実にそのとおり。
 ところが、問題は、許可なく侵入しちゃったときにはどうしますかという、ここに書いてないことが起こったわけですよね。そのときに、一々北京にお伺いを立てたり、霞が関、今は霞が関ではないか、外務本省にお伺いを立てているうちに事は起こってしまうということであって、取り返しがつかない事態になる可能性が多分にあるだろう。
 では、こういう予期せざる事態が起こったらどうするかということをきちんきちんと定めておいて、ありとあらゆる可能性を想定して、一々お伺いを立てなくてもその場で判断ができる。しかし、それはあらかじめきちんと定めておくことが、ルール・オブ・エンゲージメントみたいなお話なんですが、これが実際に政治の責任なんだろうというふうに私は思っておるところでございます。
 もう一つは、この武装警察とは一体何なんですかということなんですよね。つまり、日本にはそういうものがないものですから、警察、武装、武装警察とは一体何だろう。これは警察なのか、人民解放軍なのか。だれが指揮し、だれが指導して、だれが責任を負うのかということが我々日本人にはよくわかりませんねということがございます。
 もう一つ、この事件を通じまして思いますのは、難民の受け入れというものに対して、我が日本国政府としてどのように対応するかという基本方針が根底にありませんと、どうしても対応が場当たり的になってしまう。
 この阿南大使の発言自体はまことにそのとおりだと思いますが、私は、その根底に、日本国政府としてこういう問題にどう対処するかということがきちんとしていませんので、中国に対してもなかなか毅然たる姿勢が貫けない、足元を見られてしまうということになりかねないのではないかというふうに思うのであります。
 この阿南大使の御発言も、いただいたのは概要でありますから、総理がおっしゃいますように、前後関係全部を見ないとこれはとても判断ができるものではございません。この概要だけを見てああだのこうだの判断して、追い返せと言ったなんということ、本当に言ったのか言わないのか、概要だけを見たってわかりません。
 言いたくないことですが、外務省というのは、内部の記録というのはメモをとらないんだそうですね。外部との記録はメモをとる。そして、都合のいいことは外へ出す、都合の悪いことは出さない。どうしてと聞いたら、メモをとっていない。そんなことで通るとは、私は思わないのですよね。
 その辺はきちんとして、一体何が行われたのかということ、これを明らかにする必要があるだろうと思うし、そして、処分をすべきものはきちんと処分をしなければならないし、同時に、かわいそうだからといって難民全部を受け入れていたら、これは一体どういうことになるんですかということもございましょう。北朝鮮の方々、どうぞお越しください、それは人道的には結構なことかもしれないが、その中にあるいはテロリストがまじっていたらどうするんだということも我々は考えておかねばならない。政治難民なら、政治亡命なら受け入れるが、経済難民は受け入れませんということで本当にいいのか、この対応もきちんとしておかねばならないと思っています。その点についてどうか。そして、武装警察というものについてどのような御認識をお持ちか。
 それぞれ、官房長官並びに国家公安委員長から御答弁をいただきます。
村井国務大臣 それでは、簡単な方からお答えさせていただきますが、いわゆる人民武装警察と称するものでございますが、私の理解しておりますところでは、これは階級が軍人の階級をそのまま援用しておる。それから、人事、それから身分、採用等々でございますが、これは軍事委員会の管理下にある。一方、その任務というのは、警備でございますとか、あるいは一部は国境警備、それから消防なんかも一部やっているようでございますけれども、そういったような任務に当たっている。
 そういう意味では、軍事委員会の管理のもとと、それから公安部の管理のもと、公安部が警察を管理しておりますが、その公安部の管理下にオペレーションの面ではあるというような存在と理解しております。
福田国務大臣 今回の問題は、人道上という問題でもありますけれども、難民問題について日本がどういうふうに考えているのか、こういうことであろうかと思っております。
 この辺、御指摘のとおりでございまして、この問題に対して、日本の政府、また日本の政府だけでない、国全体がどういうふうにこの問題を考えてこれから対処していこうかということについて、これは政府としても十分検討をしていかなければいけないと思いますし、また同時に、国会においても十分な議論をいただきたいという問題でもあろうかと思っております。
 現在は難民の受け入れということは、国際的な取り決めでございます難民条約、また、この国内法でございます出入国管理及び難民認定法等によりまして、人種、宗教、政治的な意見等を理由に迫害を受けるおそれがあるときは難民として認定しているということでございます。
 今後とも、難民受け入れのあり方について、人道、人権に関する意識の動向、それからまた国際社会の中における日本の役割、こういうことも視野に入れながら検討すべきであると考えております。
石破委員 この問題は、何か報道で見ます限りは、とにかく、北朝鮮に強制送還をしない、第三国経由でどこかに亡命をさせる、そのことで手を打ちましょうというような話が巷間伝えられておりますが、私どもはそれだけで済むとは思っていないのですね。
 この問題はやはり、主権の侵害であるかどうかは別にして、不可侵権の侵害であることは間違いのない事実である、そのことはきちんと私どもは主張していく必要があるであろう。彼らが人道的な取り扱いさえ受けられればそれで事成れりということではないのだということが大方の国民の意見であり、我が党としてもそのような対応であろうかというふうに認識をしている次第でございますので、ぜひよろしく御対応をお願いいたしたいと思います。
 それから、先ほど国家公安委員長にお尋ねをいたしましたのは、要は、自衛隊とは何なんですかという議論、これが私は根幹にあるんだろうと思っているのですね。
 自衛隊というのは警察なんですか、軍なんですかというふうにお尋ねをしますと、警察でもありますし、軍でもあります、ではどっちなんですかと聞くと、いえ、だから自衛隊なんです、こういう答えが返ってくるわけですよね。海外に出れば軍としての扱いを受けるがというような話なんです。
 これはもう防衛庁長官もよく御案内のとおりですが、この自衛隊法の書き方というのは、基本的にポジリストになっているわけですよね。何々をやってよい、何々をやってよいということが書いてある。これは警察予備隊令から始まって、保安庁法になって、それが自衛隊法になった。何だかんだ言ってみても、ベースは警察の法律なわけですね。
 以前、村井副大臣ともいろいろな議論をさせていただきましたが、これは一体どういうものなんだという問題を実は突き詰めていかないと、この議論は収束しないのではないか。いつかはこれにちゃんとした結論をつけていかないと、どうもどっちつかずの議論、あいまいなままになってしまうのではないかというふうに思いましたので、武装警察とは何ですかというお尋ねをしたような次第でございます。そのことにつきましては、また後ほど議論をさせていただきたいと思います。
 さて、この有事法制、いわゆる有事法制です。この言葉も、考えてみれば不思議な言葉で、有事の対語は何ですか、有事の反対語は何ですかということを考えますと、無事なんですね、無事。でも、普通我々が思っているのは、有事の反対は平時である、こういうことになるはずなんです。
 では、何で有事なのか。本来、平時の対語は戦時のはずなんですね。平時の対語は戦時のはず。有事の対語は無事のはず。では、有事とは何なんですかという議論がよくわからない。一体どういう事態を指すのかよくわからない。ですから、議論は混乱をしているのだろうと思います。ここはきちんと整理をしたいと思っていますが。
 そもそも、こんな法制があること自体がよくないとおっしゃる方があります。こんな法制をつくるから無用な警戒心を起こさせて、有事法制をつくること自体が戦争のもとなんである、こういうお話をされる方がある。防衛庁長官風に言うと、消防署があるから火事が起きるみたいなお話ですよね。そのようなことがあるわけはないと私は思っている。
 しかし、では脅威というのは何であるかというと、これは意図と能力なんですよね。間違いなく意図と能力によって脅威というのは構成をされる。
 では、日本の周りを見回したときに、能力がないとは私は思っていないのですよ。能力がないとは絶対に思わない。中華人民共和国であれ、あるいは北朝鮮であれ、極東ロシア軍であれ、能力がないということまで言うと、これは事を間違えると思っている。なぜあのように陸軍があり、海軍があり、空軍があるか、なぜあのような強大な軍備を持っているかということは、能力は間違いなくある。
 問題は、意図が今のところはないであろうということなのだろうと思いますね。意図、それが、どうしてその人でなければわからないことが我々に本当のことがわかるのであろうか。自分の配偶者が何を考えているかだって、本当のことはわからないんですよ。わかっている方もいらっしゃるかもしれませんが。
 では、朝鮮民主主義人民共和国が、中華人民共和国が、あるいはロシアが、そのほかのどの国でもいいですよ、どの国と名指しすることは絶対にいたしません、しかしながら、どの国も能力は持っているが、意図がわからない。その意図というのは、その国の指導者でなければ本当のことはわからないはずなんです。
 私は、脅威というものは今は存在しない、なぜならば、意図がないと思われるからです。しかし、だからといって備えをしなくていいという話には全くならないというふうに思っておりますが、長官の御見解を承りたいと存じます。
中谷国務大臣 やはり委員がおっしゃるとおり、その国の意図というものをいかように判断するかということは大切な問題でございまして、そのために情報を収集し、分析し、判断する必要があろうかというふうに思っております。
 そういう観点で、今回の法律におきましては、予測される事態ということで、我が国への武力攻撃の意図が推測をされることなどから見てという判断をしているわけでございます。
石破委員 ここはきちんと押さえておきたいのですけれども、防衛のためのいろいろな法制であるとか装備であるとか運用構想であるとか、そういうことはすべからく抑止力なんですね。きちんとした抑止力のためにきちんとした装備を持ち、きちんとした法制を持ち、きちんとした運用構想を持つ。すべて抑止力なんだということが、どうもよくわかっていない人がいるらしい。
 防衛について議論をすると、すぐ侵略だとか右翼だとか軍国主義だ、そんなことを言われますが、私は、もうずっと思っているのですけれども、実際、短い期間ながら防衛庁副長官を務めさせていただき、その後もいろいろな舞台に出て思っているのですけれども、一番戦いたくないのはだれかといえば、間違いなく自衛官なんですよ。この人たちが、自分たちが一番身を危険にさらして、宣誓に従って、命を落とすこともあるかもしれない、けがをすることがあるかもしれない。一番戦いたくないのは自衛官なんですよ。一番平和を願っているのは自衛官なんですよ。そのことをきちんと認識する必要があるんじゃないだろうか。
 しかしながら、では、インド洋に船が出た、そのことを一体どれだけの報道が取り上げてくれたか。私は見送りにも行きました。その中に、前日にお母さんが亡くなったという隊員がいた、長男だった。お葬式を出さなきゃいけない。だけれども、自分はそれに参加させてほしい、その出航には必ず間に合いたいということで、御家族も御親族の方も、いいよ、おまえ行ってこいということで参加をされた隊員がありました。そして、インド洋に行く間に結婚式を控えた隊員が二組ありました、横須賀から出た船の中に。でも、その結婚式を延期してでも自分たちはそれに参加するということで行ったんです。灼熱地獄の中で大変な思いで任務を全うして帰ってきた人たちを、だれがどれだけ温かく迎えたかということなんですよ。
 はっきり申し上げますが、自分が安全なところに身を置いて人を批判する、そういうことがあってはならないと私は思っているんです。だれが行くんだということを考えるべきだ。そして、だれが一番平和を願っておるんだということを考えるべきだ。
 そして、防衛力というのはすべからく抑止力であって、我が日本国憲法は憲法九条によって侵略戦争は絶対にしないと言っているわけですから。要は、どのようにして文民統制が行われるかということをきちんとすれば、そして防衛力は抑止力であるということを押さえれば、この有事法制というのがない方がよほどおかしいというふうに思っておるわけであります。
 かてて加えて申し上げれば、長官の御認識、官房長官の御認識を承りたいのですが、この有事法制というものは、日本で言ういわゆる有事法制というようなものですよね、こういうものを持っている国というのはほかにありますか。こういう有事法制というようなものを持っておる国、ほかにありますか。
福田国務大臣 中身については、これは各国持っていると思います。また、持つべきだろうと思います。持って当たり前と思っております。
 しかし、我が国はほかの諸外国の持たない特別な憲法の決まりがございまして、その中でどうするかということで、自衛隊の活動については特にいろいろな制限を加える、そういうことがかつてございましたし、これからもこの憲法下ではそういう制限下においていろいろ物事を考えていくしかない、こういう状況にございますので、それは日本独特の現象だというように考えております。
石破委員 これは一年ぐらい前に、森内閣のもとの副大臣会議でいろいろな議論をしたんですね。そのときに、今のような問いが出たのですよ、こういうような有事法制みたいなものはほかの国にあるのかということ。もう一つは、いわゆる敗戦前、旧帝国憲法下においてこのような有事法制はあったのかという質問が、ある副大臣から出たのですよ。
 私は、自分が防衛庁副長官でいながら、的確な答えができなかったのです。そのときに、当時の村井副大臣がおっしゃっていわく、そんなものはきっとなかったのではないかと。
 なぜならば、先ほどの質問のとおりでありますけれども、今の、ポジリストで書いてあるからこういうものが必要なんだ。つまり、やっていいことがずらずらずらと書いてあって、そういうような法制。でも、普通の国の軍の法律というのは、やってはいけないことだけが書いてあって、それ以外のことは何をやってもよろしいというのが本来の軍のあり方。だとすれば、今のような形での、かぎ括弧つきですが、適用除外をずらずらと並べたような有事法制というのは、本来は有事法制の本質ではないのではないかということなのであります。
 そして、この有事法制というのは、実は民主主義国家においてのみ必要なものなのですね。専制国家、独裁国家においては、こんな法制は要らないのですよ。すべて命令のままに動くわけですからね。しかし、我々が今生きておる、誇るべき日本国というのは、権力の分散、権力の分立ということが基本になっている。権力を集中しないで、権力をできるだけ分権をしていこう、三権分立でいこうというような形ですね。権力の分散ということでこの国を運営しておる。
 もう一つは、日本国憲法にうたってありますとおり、いかにして権利を尊重するか、基本的人権を尊重するか、そういうようなことが我々日本の誇りであり守っていかねばならない価値なのでありますけれども、権力が分散をしておる、そして基本的人権というものを常に尊重するということが、本当に戦時に、有事に強い国家の体制なのかということなんです。権力を分立させ、集中しないようにする、そして基本的人権をできるだけ尊重する、そういう国を守るためにはどうすればいいんだということを考えなきゃいけない。
 我々が価値としておる権力の分立、そしてまた権利の尊重、そういう国家を守っていくために、そういうものをなきものにしようという者が攻めてきたときに、権力の分立、分散、そして権利の尊重ということをやっておったらば、本当にその大切な我が国を守ることができるのか。一種のパラドックスみたいな話なんですけれども、そこのところが私は基本じゃないかと思っているのですね。
 どの国が攻めてくるんだという話をされることがありますが、私、世界じゅういろいろな国を回ってみましたが、そんな議論をしている国は一つもない、どこにもない。そんなことがどうしてわかるんだねと言われておしまいなんですよ。どの国が攻めてくるというんですかと言うと、そんなことがわかるぐらいだったら苦労しない、だから抑止力のために軍備は持っているんだという話ですがね。しかし、どこだかわかりません。そういう国がないなんていうのは、神ならぬ身であるから断言はできない。しかし、日本国民が大切にしている基本的人権というのを最後に守ってくれる主体は何かということなんです。
 我々の人権や、基本的権利や、そういうものを最後に守ってくれる主体は、あくまで我が日本国なんです。その我が日本国が危殆に瀕したときに、やれ権力の分立だ、基本的人権の尊重だ、可能な限り尊重しましょうと言っておって戦に敗れて、そのときに残るものは、権力の分立でもない、そして権利も尊重してくれない、そういう国家になってしまうかもしれない。
 有事において、もちろんきちんと範囲を明示した上で権限を集約し、そしてまた、補償をきちんと行った上で私権を公共福祉のもとにある程度制限するのは、これはある程度やむを得ないことではないかというふうに私は考えている。それが有事法制の根幹の思想ではないかというふうに思っていますが、御見解を承りたいと存じます。
福田国務大臣 私は、委員の御指摘、御意見は全く賛成でございます。
 先ほど抑止力というお話もございましたけれども、私もまさに抑止力だと思います。軍事力を持つということは、今の平和憲法を持つ我が国において、攻撃を我が国からしかけるという性質のものでない。しかし、十分なる防御ができるという力を持つということは、そもそも、他国が侵略をしにくいというか、する意図を持ちにくい、こういう意味において、これは抑止力そのものだというように思っていますので、しかるべきその力というものは持つべきである。
 そういう意味において、今回有事法制の御検討をお願いいたしておりますのは、まさにそういう、我が国を自分の手で守るという具体的な意思を国外に、国際社会に示す、こういうことに結果的になろうかと思っておりますので、そういう観点からもこの有事法制というものを考えていかなければいけないと思います。
 また、国民の権利、一人一人の権利とか財産の権利とかいったようなもの、これは当然あるわけでありますけれども、しかし、その権利を主張し過ぎて、その結果、国が敗れた、自衛隊の活動が十分にいかなくて国が敗れてしまったといったことになれば、これは元も子もないということがありますから、その国民の権利と、それから、その事態における自衛隊の活動の範囲というものは、これはおのずからバランスがとられなければいけないものだというように考えております。
 そういう意味において、委員の御指摘、まさにそのとおりだというように考えております。
石破委員 冷戦が終わったのはヨーロッパにおいて終わったので、アジアにおいて冷戦というのはまだ続いておると見るのも私は一つの見方だと思っているんですよ。冷戦があったときは抑止力がきいていますから、そんなに地域紛争とかそういうものは起こらないのですよね。冷戦が終わったらばそういう抑止力がきかなくなってきて、まさに冷戦が終わってから、地域紛争とか民族紛争とか領土紛争とか、そういうものが多発するようになったのではないでしょうか。アジアにおいては冷戦はまだ基本的に終わっていない、そういう認識を持つべきであります。
 要は、争いというのは、何かが違うから争いが起こるのだろうと思うのですね。民族が違う、宗教が違う、政治体制が違う、あるいは経済力が異なっている。かてて加えて、領土紛争があちらこちらにある。そのアジアがこれから先も平和だ、だからもうどこも攻めてこないんだというのは、私は正直言って、危険な一方的な思い込みなんだろうと思っています。
 こちらから手を出さなければ向こうも出さないだろうということは、あくまで推測です。願望です。こちらから手を出すことは日本は一切いたしません、一切いたしませんが、そうであれば向こうもやってこないというのは、私は一方的な思い込みだろう。これは人間関係に当てはめてみればすぐわかることなのであります。
 村井大臣、御退席いただいて結構です。
 そこで、そういうような思い込みというのは危険なのだろう。ただ、それをずっと突き詰めていきますと、総理はよく憲法論に言及をされますが、日本国憲法前文に、我らは平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して我らの生存を保持しようと決意した、こういうお話でありまして、もしそれが違ったらどうするのということが実はこの日本国憲法には定められていない、そういう問題がきっとあるのだろうというふうに思っておるわけです。
 私どもアジアにおいては、そのような争いの種というのはたくさんある。私どもは、本当に抑止力という観念において我々から攻めていくことはしないが、しかし、抑止力というものはきちんと持って、どの国からも決して攻められることがないように法制を整えようということなのだろうと思っております。
 それでは、総論はそれぐらいにいたしまして、各論に入らせていただきます。
 先ほどの岡田議員の質問とも関連をいたしますが、今度新しく、武力攻撃が予測されるに至った事態というものが出てきました。これは防衛出動待機命令に書いてあることと書き方はほとんど一緒なんですが、そういう概念を新たに創出して、つまり、待機命令というのは、そのときに命令に従わなければという罰則が今まで書いてあっただけの話であって、それだけではほとんど意味がないだろうということから、この予測されるに至った事態というものをつくられたのだろうというふうに思っておりますが、この事態をつくられた意味、効果、そのことにつきまして御見解を承ります。
福田国務大臣 現実に武力攻撃、すなわち我が国に対する外部からの組織的、計画的な武力の行使、こういうものが発生する直前の段階において、一定の範囲で速やかに対処を開始する必要があるということから、この法案では、武力攻撃のおそれのある場合と、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態のいずれも武力攻撃事態の対処に含めております。
 この武力攻撃事態への対処は、国全体が一体となって行うべきものでございまして、国民の被害を防止するための警報の発令等さまざまな対処措置が、武力攻撃事態の認定とともに迅速に実施されることが重要であります。このために、内閣総理大臣が、国、地方公共団体等の対処措置を総合調整するとともに、行政各部を指揮監督するための根拠となる対処基本方針を閣議決定により策定する、こういうことになっております。
 また、この武力攻撃事態への対処というものは、国民の理解と協力を得て時期を失することなく適時適切に行われる必要がある、そういうことで、対処基本方針を定めたときは直ちに国会の承認を求めて、不承認の議決があったときは速やかに対処措置を終了する、こういうようなくだりになっているわけでございます。
石破委員 趣旨はよくわかるのですけれども、先ほども官房長官から御説明がありましたが、多分、今晩のテレビでは、官房長官の御説明の場面がずっと出て、視聴者の皆さん、わかりますか、こういうようなコメントが出るような気がするのですね。実際、どういう事態なんだかよく頭には浮かばないのですよ。ここのところはきちんと整理をする必要が、今後の議論を通じて必要なんだろうと思いますが。
 さて、予測される事態なんですね。あくまで予測される事態ですよ、ここに書いてあるとおりですね。「我が国を攻撃するためとみられる軍事施設の新たな構築を行っていることなど」とか、「ある国が我が国への攻撃のため部隊の充足を高めるべく予備役の招集や軍の要員の禁足」とか非常呼集を行ったというようなことですよね。どうもこれは予測される事態だと。予測される事態なんですが、あくまでネーミングの問題ですけれども、予測される事態であるにもかかわらず、我が国においては、これを武力攻撃事態、こう言っちゃうわけですね。
 やらんとすることは、まさしく今長官のおっしゃったとおりですよ。そして、こういうような概念を新設する必要があるのも、私はよくわかります。しかし、それをネーミングとして武力攻撃事態というふうにやっちゃいますと、相手の側から見るとどうなるかというと、まだ我々はそんなつもりもないのに、日本はこれを武力攻撃事態というふうに言ったんだというふうに、言葉の上からだけ見ると、そういうふうにとられちゃうおそれがあるんですね。
 私は、この趣旨はよくわかります。新設するべきだし、そのための法律効果も必要だと思っています。しかし、これを武力攻撃事態と言うのではなくて、法律上も武力攻撃予想事態というようなことにしておく必要が、私は、あるいはあるのかもしれない。あるいは心配のし過ぎかもしれません、懸念のし過ぎかもしれません。あくまでネーミングの問題ですが、そのことにつきましての御見解を承りたいと存じます。
福田国務大臣 この法案では、武力攻撃と関係する事態として、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態から武力攻撃事態の対象に含めておる、そして一くくりとして、武力攻撃と関係しない事態と一線を画すということにしております。
 この予測の段階の事態と武力攻撃が発生した事態とでは、必要となる対処措置の内容は、これは異なりますから、予測の段階の事態と認定される場合には、その旨を対処基本方針の武力攻撃事態の認定に明記して、そして事態に応じた対処措置を講ずる、こういうことにしております。
 したがいまして、予測の段階の事態において、武力攻撃が発生した、そういう事態と誤解を受けるということはないものと考えております。
石破委員 これは、私どもがどう思うかということよりも、相手がどう思うかという話だと思うんですよ。つまり、予測される事態だ、対処方針の中に、これは武力攻撃事態でも何でもない、予測される事態だとは言うのですが、でも、それを武力攻撃事態という言葉でくくっちゃうわけですね。そうすると、先ほど来の議論にありますように、こっちがそう思っているからといって、相手がそう思ってくれるとは限らないんですよね。
 一方的な思い込みというのは物すごく危険だ。外交とか戦争とかいうものは、性善説に立ったら絶対できないのであって、向こうはどうやってこっちの弱みにつけ込み、弱点につけ込んでわあっとやってくるかということを考えておるときに、ネーミングとして本当にこれでいいんだろうかということなんです。
 長官のおっしゃる趣旨はよくわかります。しかしながら、そこのところは、私は、検討の余地があるのではないか。あくまで技術的な問題ですが、しかし問題は、相手がどのようにとるかということであって、そこのところにつきまして、御一考いただければ幸いだというふうに考えておる次第でございます。
 防衛庁長官、この点につきまして御見解があれば。
福田国務大臣 そもそも相手国の武力攻撃は違法でございまして、武力攻撃に対して自衛権発動の三要件が満たされる、こういう場合には自衛権を行使することは認められております。御案内のとおりでございます。
 したがいまして、武力攻撃を行おうとする相手国に対して、当該武力攻撃に対する自衛権の発動が可能となる場合に備えて準備をすることは当然のことでございます。また、基本理念において、武力攻撃が発生していない事態においては、武力攻撃の発生が回避されなければならない、こういうふうにいたしております。
石破委員 ここのところを誤解している人がいっぱいいるのですね。まさしく今長官がおっしゃるように、例えば、今までの法制でも、防衛出動を下令したからといって武力の行使ができるわけではないんですよね。そういう状態には置きますが、あくまで自衛権行使の三要件が起こらない限りは、我が方としては武力は行使できない。世の中には、防衛出動が下令されれば自衛隊は何でもできるみたいに思っている人がいますけれども、それは違うんですよね。防衛出動が下令されたって、自衛権発動の三要件を満たさなければこちらは何もしないんです、いいことか悪いことかは別にして。そのあたりも誤解している人はたくさんいます。そのあたりの仕組みをもう一度整理する必要があるのではないか。
 繰り返して申し上げますが、あくまで相手がどうとるか、そしてつけ込まれないかということなのだろうと思います。この点につきまして、また機会があれば議論をさせていただきたいと思いますが、私はそのように思っておる次第でございます。
 さて、今回の法案に対していろいろな御批判がございますが、その中に、では、テロはどうした、工作船はどうした、サイバーテロはどうしたんだ、一番大事なものが抜けているじゃないかという御批判があります。これは我が党内でもさんざん議論をいたしました。そのことについては何事であるかという話もありました。しかし、だからといって、今回の法案は要らないのかといえば、そういうお話にはならない。では、それがないから今回の法案もだめなのかといえば、そんなことにはならないだろうというふうには思っています。
 しかしながら、では、テロとかサイバーとか工作船とか、そういうものに対する法制が今の日本の法律には全くないのかといえば、私はそうは思わない。
 そしてまた、九・一一がありましたね。あの場合にどうするかというときに、長官は、そういうようなことがもし仮に日本で起こったとすれば、これもこの法律の対象たり得る場合がありますという含みのある御答弁をなさいました。しかし、私は思うのですけれども、あの場合に、何でアメリカがこれは自衛権を行使するというふうに言ったかといえば、国または国に準ずる者というものからの攻撃だったからではないですか。つまり、あれが何だか全然わからなくて、オサマ・ビンラディンが個人でやったことであれば、私はやはり自衛権の発動にはならないんじゃないかと思っているのですよ。ここのところの御見解を承りたいんですね。
 つまり、あの場合には、アルカイーダというのがあって、そして排他的な支配権を有しておるタリバン政権というのがあって、オサマ・ビンラディン、アルカイーダ、タリバン、国または国に準ずる者というものが攻撃の主体であったということだから、私はこれが自衛権の発動たり得たんだろうと思っています。これが全くの個人とか、あるいは国または国に準ずる者でなくても、この対象たり得ますか。武力攻撃の対象たり得ますか。私は、それは非常に難しいんじゃないかと思っているんですね。
 それは、どの場合に自衛権を行使し、どの場合に警察権を行使するかという、実は根源的な問題に触れるからお尋ねをしておるのであります。それがだれだかよくわからないね、あるいは国内の人間なんだねという場合に、起こった被害が一緒であっても、それは自衛権というものを行使することは極めて慎重であるべきではないだろうかというふうに思いますが、いかがですか。
中谷国務大臣 やはり、国または国に準ずる者という規定は必要だと思います。この点につきましては、国際連合を初め国際社会の認定で、国に与えられた権利として、個別自衛権または集団自衛権というものがございまして、米国もこれに基づいてみずからに対する武力攻撃であると認識をいたしましたし、国際社会においてもこれが武力攻撃に該当するということでありまして、国際的に広く認められた概念であろうかと思います。
石破委員 そういうことなんですね。国または国に準ずる者からの組織的、計画的な攻撃でなければこの対象たり得ないということは、私は押さえておく必要があるんじゃないのかというふうに思うのですね。
 これも予測されない事態の最たるものですよ。あのアメリカのように情報機関を世界じゅうに張りめぐらし、情報衛星を上げ、いろいろな通信も傍受をしておると言われ、その国家をもってしてあのような攻撃を受けたわけですね。私はアザー・ザン・ウオーに対する備えというものが喫緊の課題なんだろうと思っています。
 アザー・ザン・ウオー、新しい時代の戦争と言われるものの特徴は何かといえば、一つは予兆が全くないということですよ。まず不可能な場合がある。もちろん、推測するためにさまざまな手段を尽くしますが、合衆国においてすら九・一一を防げなかったわけですね。予兆がない場合が多分にあるということが新しい時代の戦争の特徴の一つだろう。
 もう一つは、だれがやったのか瞬時にはわからない。国がやったのか、テログループがやったのか、個人がやったのか、だれがやったのかよくわからない。
 もう一つ、これは最も大事なことかもしれませんが、民間人が犠牲になるということですよ。軍人さんではなくて、もちろんだれも死んではいけないんですよ、しかし、新しい時代の戦争、九・一一に象徴されるように、軍人ではなく民間人が無差別に対象たり得るということ。そして、自爆の場合を考えると、死をも恐れないから抑止力がきかないおそれがあるということですよね。それが新しい時代の戦争の特徴なんだろうというふうに思っています。
 これにどう対応するか、そういう議論をしますと、だからそんなことが起こらないように情報をきちんと集めるんだという話になるんだけれども、それでも集められなかったらどうするのということなんですね。
 三年ぐらい前だったと思いますが、全日空機函館空港行きハイジャック事件というのがありましたよね。一度でいいからジャンボを操縦してレインボーブリッジの下をくぐってみたかったというお兄さんがいまして、本当にそれが妄想に取りつかれて、全日空機をハイジャックして函館空港に着陸させようとした。不幸なことに機長さんが殺害をされた、ほかの乗客や乗員には犠牲は出ませんでしたが。
 私、あのときに、これがそういうような妄想に取りつかれた青年であったからあれで済んだかもしれない、しかし、これがもしオウム真理教に乗っ取られて、今からどこどこに突っ込めというふうになったら、一体自衛隊はどうするんですかということをお尋ねしたことがあります。もしあれが妄想に取りつかれた青年ではなくて、北朝鮮のテロリストにハイジャックされて今から首相官邸に突っ込めと言われたら、自衛隊はどう対応するんですかというふうにお尋ねをしたことがあります。
 この有事法制の議論というのは、そもそも何から始まったんでしょう。ずうっとたどれば三矢研究まで行くはずなんですよね。この場でいろいろな議論があったと思います。昭和三十八年だから三矢研究というのだそうですけれどもね。あれは、政治家にも内局にも一切相談せずにやったということは批判をされましたが、しかし、いざ有事のときにどう動くんだということを自衛官が自衛官として議論したということは、私は決して責められるべきものだとは思っていないんです。そういうことをやらない方がおかしいのであって、やらなければそれこそ職務の怠慢であって、そのことを政治も内局も一緒に議論するということがあればもっとよかった。あれは非常に不幸なことだったと思っています。あそこでさんざん糾弾されたおかげで議論がとまってしまった。
 その次に、昭和五十一年、ミグ25函館空港強行着陸事件というのがありましたよね。あの場合にどうするんだという議論が沸き起こった。当時の民社党の皆さんから、あんなことでいいのかということをさんざん議論があったというふうに私は議事録で読みました。
 昭和五十三年に栗栖統幕議長解任ということがありました。栗栖さんがあのときに何と言ったか。いざとなれば自衛隊は今のままでは超法規で動かざるを得ない、もしあのミグ25を奪還するような、そういうような動きに出た場合に自衛隊はどう対応するか、今のままでは超法規で動かざるを得ない場合があるというふうに言ったわけですよね。シビリアンコントロールに反する、そのような発言はあってはならぬということで解任になった。そういうようないろいろなことがありました。
 しかしながら、私は、何が起こっても対応できるようにありとあらゆるケースを想定し、そのときに絶対に超法規にならないようにすることが民主主義国家の務めであり、責任ある政府の務めだろう、いざとなったら超法規でやれ、そんないいかげんなことを言ってはいけないというふうに思っているのですよ。
 函館空港事件でもああいうことがあった。そしてまた、全日空機ハイジャック事件でもああいうことがあった。今回、ではどうするんだ、九・一一と同じようなことが日本で起こったらどうするんだということを一つお尋ねしたい。全く法制で不備でありますから打つ手がありませんというようなことであれば、これは国民は大変不安になります。
 もう一つは、これはきちんと私も納得できていないんですが、自衛隊法八十四条をどのように解釈するかということなんですよ。必要な措置をとることができると書いてありますね。
 仮に、他国の軍用機が国の重要施設を目がけて突っ込んできたと。自衛隊機がスクランブルで飛んで、警告をし、着陸をしなさいというふうに呼びかけ、ありとあらゆる手段をとったけれども、全くそれにこたえることなく、我が国の重要施設に向かってどんどん高度をおろしている。今までの答弁の中では、爆弾倉を開いたときとかミサイルをロックオンされたとか、まあ爆弾倉を開く飛行機は今どきないだろうと思っているのですけれどもね。そういう場合に、もちろん正当防衛の理論ではだめですよ、これは。個人対個人の行為じゃありませんからね。国の正当行為として必要な措置がとれるということになっている。
 その中に、それでは、その侵入してくる飛行機に対してどこまで何ができるのか。必要な措置の中に何を含むのかということなのであります。要するに、スクランブル機に対して何か攻撃がない場合には何もできませんということになりますと、ましてやその飛行機が民間機であった場合には何もするはずないんですから、我が方の警告にも何も従わずにどんどん高度を下げてきたときに、我が方としては打つ手がありませんというようなことでは、私は、とても責任ある政府だとは思わない、責任ある政治だとは思わない。
 軍用機が我が国の警告を無視してどんどん突っ込んできた場合はどうかということについて、まずお答えをいただきたい。
中谷国務大臣 まず最初の、九・一一のような、あの米国のテロのように民間航空機を用いて政府の中枢等をねらった攻撃が行われるような場合に政府としての対応ですけれども、法律の範囲内でできる限りの対応をするわけでございますけれども、自衛隊といたしましては、状況に応じ、例えばアルカーイダのお話がありましたけれども、当該の攻撃が我が国に対する武力攻撃と認められるような場合には防衛出動により対応しますし、その他の場合には治安出動によって対応することが考えられるわけでございます。
 現実には、判断としてはそれぞれ極めて重く困難な問題でございますけれども、あえて法律上の問題として申し上げますと、治安出動等を命じられた自衛隊につきましては各種の武器使用権限を有しております。正当防衛、緊急避難に該当する場合のほか、一定の要件で武器使用について人に危害を与えても許されるケースがございます。
 例えば、自衛隊法九十条の一項一号に基づいて、職務上警護する施設が侵害を受け、または受けようとする明白な危険があり、武器を使用する以外に当該侵略を排除する手段がない場合には、事態に応じて、合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる、ということであります。
 この要件に合致する場合には、ハイジャックされた民間航空機やテロリストの乗った小型の航空機に対して武器を使用するということは、法理論上は可能ということになりますが、この判断につきましては、この航空機に搭乗している乗客や乗員の方々もいらっしゃいます。また、この飛行機を撃墜した場合に地上で生じるおそれのある被害も考慮する必要がございますし、非常に、現実の問題として極めて重く、かつ困難な問題でございます。
 それから、八十四条の領空侵犯の措置でございますけれども、まず領空侵犯機に対しましては、最寄りの飛行場への着陸、領空外への退去を警告し、誘導するという手順がございます。
 この領空侵犯機がこれに従わない場合であって正当防衛または緊急避難の要件に該当する場合には、要撃機は対領空侵犯措置の一環として武器が使用できるということとされておりますが、この正当防衛、緊急避難に該当する場合には、領空侵犯機が要撃機に対して実力をもって抵抗するような場合だけではなくて、領空侵犯機によって国民の生命及び財産に対して危害が加えられるような危険が切迫をし、この危険を排除するためには武器を使用するほかないという場合も含まれるというふうに考えておりますが、先ほどお話ししたとおり、状況の確認、行動の監視、警告、誘導、武器使用の措置を状況によって実施するということでございます。
 可能な範囲において、相手側に我が国を攻撃するとか人に危害を与えるとか、その相手の企図を明らかにするように努めるわけでございますが、それでもなお要撃機に対して実力をもって抵抗するような場合、また先ほど言いました国民の生命財産に対して危害が加えられるような危険が切迫をして、この危険を排除するために武器を使用するほかないといった場合につきましては、対領空侵犯措置の一環として武器を使用することが可能であるということでございます。
石破委員 職務上警護する施設に指定されなければどうするんだという問題は残るわけですよね。つまり、何でものべつ幕なしにどの施設も指定をするわけじゃないでしょう。ではその場合に、今の九十条第一項一号で本当にいいんですかねということは、私は問題としてあるだろうと思っているんですね。むしろそれは、昨年新設したものでやった方がいいんじゃないか。第三号でいった方がいいんじゃないか。そちらの方の特別武器使用権でいった方がいいんじゃないか。要は、どういうような法律構成をするかです。
 私が申し上げているのは、必ず撃墜しろとか、そんなことを言っておるわけではありません。しかし、今の長官の御答弁の中で、こちらの警告に従わず、しかしスクランブル機に対しては攻撃はない、その場合も、武器を使用することあり得べしということですね。その答弁で、私はそれだけでも大変な抑止力になると思っているんですよ。
 では、それが軍用機ではなく、民間機がどんどん突っ込んできた。これが領空侵犯の要件に該当すればいいですよ、領空侵犯の要件に。だけれども、では、例えばオウム真理教が乗っ取りましたという場合は、これは領空侵犯にならないですよね。だれだかわからないという場合も領空侵犯にならないですよね。
 では、その場合に、起こることは一緒なんですよ、起こることは一緒なんだけれども、領侵であれば対応できて、治安出動であれば、警護する施設になっていなければ法的には対応できません、いざとなれば緊急避難ですということは、私は、一番困るのは現場の指揮官でありパイロットだろうと思うんですね。そのときに、一体どの法律でいけばいいんだということで、そのときにいきなり防衛六法引いてやっているわけにはいかぬでしょう。本省の指示を仰いでいるわけにもいかぬでしょう。そんなものを仰いでいるうちに、必ずや目的は達成をされてしまうわけですね。そのことにつきまして、もう一度、御見解があれば承りたいと思います。
中谷国務大臣 やはり、法律的にいいますと、それが外国の軍隊であるのか、日本のテロリストであるのか、また正体不明の者であるのかという点は非常に大事な面でございます。
 そこで、外国の軍隊の場合につきましては、状況を判断して、防衛出動で、命令下で、武力行使によって対処する場合もあり得るということでございますが、日本のテロリストや正体不明者によって起こされたことにつきましては、治安出動の命令のもとにおいて一定の要件で認められる武器の使用が法律上可能となるケースはあり得るというふうに考えております。
石破委員 結局、相手がだれだかわからないような場合、あるいは、あくまで国内の人間であるということが判明している場合は、これはやはり基本的に治安出動だろうと思っているのですよ。治安出動は一体どこまでカバーできますかということを、私は、ぎりぎり考えてみる必要があると思っているんですね。
 昨年、そうはいっても、大臣とずっと議論しておりますように、では、警察が出ました、海上保安庁が出ました、とても対応できませんということになって、それでは治安出動だ、海上警備行動だ、海上自衛隊が出る、陸上自衛隊が出る。そんなに、信号機が赤から青に変わるようにならないんですよね。その間の事態というのは必ずある。そのために情報収集出動というのをつくったんですよね。この情報収集出動というのを昨年つくって、即日施行されたはず。
 もうそろそろ五月も半ばですよね。いろいろなことが起こる、あした起こるかもしれない、きょう起こるかもしれない。だとすれば、情報収集出動というものを新設したならば、それをどのように使っていくのか、陸上自衛隊と警察、あるいは海上保安庁と海上自衛隊、その間で、本当にすき間がないように、そして無用の犠牲が生じないようにやっておくことが本来当然の務めだろうと思っています。
 この点、海上保安庁と海上自衛隊とはどうなっているか、陸上自衛隊と警察とはどうなっているか、海上保安庁長官の答弁を求めます。
縄野政府参考人 仮に工作船があらわれまして、私どもが一義的に対処をして、私どもが対応することでは困難であるような場合には、御承知のように、まず海上警備行動が発令をされまして、自衛隊が対応するということになります。
 ただ、そのことにつきまして、前回の不審船事案での検証での、私どもとしてもう一度確認をしたわけでございますけれども、事態が私どもの力を超えるというような事態になった場合に、瞬時に海上警備行動が発令されてそれによる行動ができるようにするためには、当初から、事態の発生当初から政府全体として情報を共有して、その疑いがあれば、自衛隊が、直ちに艦艇が派遣されるような、可能な態勢をとるということが必要ではないかというふうに思っておりますし、海上警備行動の段階を超え治安出動に至るような段階でも、同じような対処が必要であるというふうに私どもとしては考えております。
石破委員 海上保安庁長官、縄野さん、先般、海上保安庁からレポートというのが出ましたよね。五月十三日に公表になった。あの中で、昨年暮れの東シナ海事案を反省して、装備面も運用面も法制面もさらに検討を政府全体でしていく必要があるというような、概略そのような記述がありましたよね。
 昨年の東シナ海事案を考えてみたときに、私は少し首をかしげることが幾つかあるんですよ。海上保安庁の対応はきちんと国際法にものっとったもので、私はそのことについては全く異論はございません。そして、現場で大変な思いをしながら職務を全うした海上保安官の皆様方にも心から敬意を表したいと思っています。
 さはさりながら、あの場合に、それじゃ海上自衛隊と海上保安庁の連携は十分にできていたのかといえば、私は、実際にロケット砲を撃たれたような段階において、私が知る限り、海上自衛隊の船というのは百キロ離れたところにいたはずですよね。ああいうような場合に、明らかにあの船はロケット砲を持っておったということは、能登半島沖から考えましても、その事案から考えても十分に推測をされたと思っているんですよ。あの場合に、十分な連携がとれていたとは私は思っていない。
 幸運にして当たらなかったが、あのロケット砲が万が一当たった場合に、波が高いから当たるはずはないんだと言われますけれども、逆に言えば、まぐれで当たることだってあり得るんですよ。当たっちゃって、それは、海上保安庁の船は商船構造ですから、あんなものが当たったら沈みますよ、恐らく。では、そのときに問われるのは、海上自衛隊は何をしていたということが問われざるを得ないだろうと思っている。
 私は、現場で、海上保安官も海上自衛官も与えられた責務を一生懸命果たしたとは思っています。しかし、今後、法制面において、運用面において、改善の余地というのは多分にあるのではないかというふうに思っておりますが、いかがですか。
縄野政府参考人 まず私の方からお答え申し上げますが、ロケット砲で直撃をされて、至近距離で当たった場合に、海上保安庁だけではなくて護衛艦も危ないことも危ないと思います。
 ただ、私どもとしましては、前回のような事態、工作船としてかなり重武装をしている疑いがあるという場合には、先ほど申し上げましたように、政府全体として情報を共有して、すべての機関、可能性のある、出動を求められる可能性のある機関はすべて発動態勢、出動態勢をとるということが必要であるというふうに思っております。
 法整備面につきましては、私どもが預かっております海につきましては、御承知のように、警察活動としての自衛隊の海上警備行動、それに治安出動それから防衛出動、治安出動及び防衛出動時における私どもへの内閣総理大臣の統制、あるいは防衛庁長官の私に対する指揮という制度が整っておりまして、それをきちんと運用するということが必要であると思います。
 装備面につきましては、もちろん、自衛隊だけではなくて私ども自身も、今回の反省も含めて、さらに充実する必要があるというふうに考えております。
石破委員 防衛庁長官にお尋ねしますが、では、情報収集出動というのができた、ではその場合にどれを活用していくかということにつきまして、どのような構想をお持ちでいらっしゃいますか。今まで訓練はどれぐらいなさいましたか。
 さらに加えて申し上げれば、能登半島沖不審船事案のときに、海上自衛隊に治安出動を下令したらどうなるかという議論をいたしましたね。航空自衛隊に対して海上警備行動を発令したらどうなるかという議論もしましたね。
 つまり、ありとあらゆる法律が、どのような場合に陸に適用され、海に適用され、空に適用されるか。常識で考えると、何で海に治安出動なのというふうに言われるかもしれませんが、条文を読めば、いいですか、条文を読めば、海上自衛隊に対しても治安出動は下令し得るんですよ。航空自衛隊に対しても、海上警備行動は下令し得るんですよ。
 では、それぞれにどこまで何ができるのかということをぎりぎり考え、さはさりながら、能登半島沖のときは、そうはいっても、多衆集合していないんだから、一隻や二隻の工作船相手に治安出動で特別の武器使用権にはならないだろうよということで、昨年法律改正したわけですよね。一隻二隻でも、あるいは少人数のゲリラであっても、強力な武器を持っていれば、特別の武器使用権を持つ治安出動は下令できるというふうにしたはずですよね。
 だとすれば、それぞれの条文についてありとあらゆるシミュレーションをやって、それでもなおこの部分が足りないという提起をするのが私は国民に対する責務だと思っているのですけれどもね。どれぐらいの訓練をなさいましたか。これからの運用構想はいかがですか。
中谷国務大臣 石破委員のおっしゃる点につきましては、非常に大事な点だと思っております。防衛庁といたしましては、不断に、自衛隊と警察機関、また海保との間の連携強化に努めることが重要だと考えておりまして、御指摘のありました海上警備行動、治安出動、警護出動等が下令された場合の連携のあり方に対しまして、種々の検討を行っているところであります。
 海上保安庁との連携につきましては、法律的には、第一義的には海上保安庁が対応するわけでありますが、海上警備行動になった場合に速やかに海上自衛隊が措置できるように、現場において極力その事態に海上警備行動が発令できるように、そして速やかに連携ができるようにということで、政府部内で見直しをいたしまして対処するようにいたしましたし、また、警察との関係におきましても、公安委員会との間で、昨年の十二月に治安出動に関する協定を改正しまして、現在、陸上自衛隊の師団と都道府県警察との間で、現地協定の締結を進めているところでございます。
 このように、治安出動が下令された場合における自衛隊と警察機関との連携のあり方等につきましては、今後とも、起こり得るさまざまな事態を想定いたしまして、研究と検討を行っていく必要があるというふうに認識をいたしております。
石破委員 これは余談ですが、海上保安庁長官、もしわかれば教えてください。海上自衛隊の船と海上保安庁の船で、名前が同じ船は何隻ありますか。
縄野政府参考人 お答え申し上げます。
 名前が同じ船があるということは承知しておりますが、今手元に隻数について残念ながら資料がございませんで、承知をしておりません。
石破委員 これはそれぞれ思いが込められて命名された名前ですから、自衛隊にも、それは海上保安庁にも思いはあるだろうと思いますよ。ですけれども、実際問題に、現場でいろいろな通信をするときに、例えば、本当にそういう船があるかどうかは知りませんが、「きりしま」という船があったとしましょうか。巡視船「きりしま」から護衛艦「きりしま」へ通信とかなんとか言って、何が何だかさっぱりわからないですよ、こんなもの。たしか同じ名前の船というのは三十数隻あるはずですよ。一体どうなるんだ、これ。これはかなり前から指摘をされている話ですよね。
 実際に、いいですか、私は象徴的に言っているので、現場の保安官と自衛官たちが一生懸命努力をしておることを否定しようとは思いませんよ。ただし、世の中で批判をされるときに、そう何だかんだ言うけれども、同じ名前の船が何十隻もあるんだって、では、どうやってそれは現場で交信するの。護衛艦何とかから巡視船何とかへ。同じ名前で、それはさぞ混乱しますよね。
 三年前に議論があったのは、海上保安庁と海上自衛隊の中で、本当に通信がどれだけできますか、共通化されていますかという話をした。共通化されていない、それでお互いの連携がうまくいかなかった。よって、通信の改善を行ったはずですよね。もし同じ名前があるとするならば、これは自衛隊だとか、これは海上保安庁だとか、けんかしても仕方がないですけれども、この名前の重複というのは避けていただかないと、連携しているといっても、本当かねというようなあらぬ誤解を受けるのではないかと思って申し上げております。
縄野政府参考人 先生御指摘のように、同じ名前のある船が存在することは事実でございます。確かに、通信のようなときにその名前自身を呼べば混乱を生ずるかもしれません。私ども、いわゆる名前、俗称のほかに、例えば巡視船であればPL一〇二とか、船の番号、識別の名称を持っておりますので、とっさの場合に、あるいは自衛隊との通信、連絡をする場合に、そちらを使わなければならないと私は思いますし、混乱がないようにはしなければならないというふうに思います。直ちに全部変えることができるかどうかは、手間と時間もかかりますので、まあ検討はしなければならないと思いますが。
 それから、御指摘の自衛隊との共同訓練、実際の船を出しての訓練、人を出しての訓練のほかに、図上訓練も通信訓練も、先生御指摘のようにいろいろな事態を想定した上での訓練というものを今後さらに充実していかなければならないというふうに私どもとしても考えておるところでございます。
石破委員 それは縄野さん、PL幾つとか、PS幾つとか、DD何ぼとか、DDH何ぼとか、DDG何ぼとかいうことはわかっていますよ。それはわかっていますが、しかし、どう見てもやや常識には反していますよ。この点は防衛庁にもお考えをいただきたいというふうに思っています。皆さん、思い入れがあってつけられた名前であるということを百も万も承知の上で申し上げておる次第でございます。
 領域警備という議論がありますよね。つまり、領空侵犯、八十四条だけ何で必要な措置をとることができると書いてあるか。治安出動にはそういう規定はありませんよね。海上警備行動にもそういう規定はありませんよね。領空侵犯措置だけ書いてありますでしょう。つまり、何が抜けている部分なんだろうか。
 先ほど来長官から、治安出動で対応する場合もあるという前向きの御答弁がありました。私も同感です。しかし、潜水艦の場合は簡易な手続で閣議決定がなされるようにしていますよね。しかしながら、ではほかのものはどうなんですか、飛行機なんかはどうなんですか。そういう場合に、本当に閣議決定なんというのを経ている暇がありますか、それで治安出動をかけている暇がありますかね。私は、そこは議論しなきゃいかぬことだと思っているんですよ。
 例えて言えば、このあたりで、首相官邸周辺でもいいですよ、国会周辺でもいいですよ、ついさっきまで本当の民間人の装いをしていた、普通の服を着て本当の民間人であると思われていた人が、ぱっと衣服を脱いでテロリストに変身をして爆弾を投げた、サリンをまいたというようなときに、ではどう対応するんですかということ。考えたくないことだけれども起こるかもしれないこと。万々が一にも起こるかもしれないこと。では、この場合にどうするんですかということは、私はぎりぎりと考えておく必要はあるんだろうと思いますね。
 しかし、これに対応しようと思えば、結局、領域警備という話になるんですかと。最初から、その人たちが持っている第一撃が強力な爆弾であったとか、サリンであったとか、殺傷力が高くて、どう見たって最初から警察力の限界を超えているねというものを使った場合に、今のままいくと練馬の駐屯地から治安出動命令がかかって出てくることになるのではないかということなんですね。それでは間に合わないかもしれない。そういうようなすき間をどうやって埋めていこうかという議論、これをきちんとやっていくことが必要なんだろうと思っています。
 それに加えて関連して申し上げますが、では、ミサイル防衛はどうなんですかということ。これも実際ありましたよね。テポドンが三陸沖に着弾したということ、実際にありましたよね。あのときにいろいろな議論が起こりました。
 先般、総理大臣と官房長官の御答弁が食い違ったかのごとき報道がありましたが、私は、あのときの官房長官の御答弁と小泉総理の御答弁は何ら違っていないと思っています。
 総理がおっしゃったのは、撃たれた場合はどうするんだという話であって、第一撃甘受ということをおっしゃったのではない。官房長官がおっしゃったのは、かつての、昔の答弁をお引きになって、それはずっと継続をしておりますが、座して死を待つことが日本国憲法の予定するところではない、ほかに何も打つ手がなければ先制攻撃も憲法上は、法理論上はあり得るということで、当たり前のことです。この両方の答弁は何ら矛盾するものではございません。私は、それはそのように解釈をいたしております。それで間違いないかということが一つ。これは、安倍副長官からでも御答弁をいただきたい。
安倍内閣官房副長官 ただいま石破委員から御指摘がございました総理の答弁と官房長官の答弁でございますが、今委員の御指摘のとおりでございまして、それぞれ別のことを言っているわけでございますし、また、ざくっと言えば、総理は、実態として第一撃を実際に撃たれたときには、それは具体的な方法としてはそうならざるを得ないという話をされたわけでありまして、他方、官房長官は、憲法解釈また法律論にのっとって、従来からの政府答弁を申し上げたということでございます。
 つまり、ミサイル誘導弾を発射されたときに、こちら側が座して何もやるすべがないのかといえば、そうではなくて、憲法は、座して死を待つべしということを言っているわけではないということでございます。
 また、ミサイル誘導弾が、これは武力攻撃をしているという認定をいつするかということにつきましては、それはミサイル発射に向けて、ミサイル発射に着手をした段階だというように我々は考えております。
石破委員 問題は、いつをもって着手したかと言うかですよね。つまり、被害が発生してからじゃ遅いんですよ。まさしく副長官が言われるように、着手の時期なんですよね、発生した時期というのは。
 そうすると、あくまで議論の上の話ですが、ミサイルに燃料をついでいる、テポドンは液体燃料ですから、これはミサイルに燃料をつぐのは相当の時間がかかります。この時点はどうもまだ着手とは言えないですよね。燃料をついでいるだけでは着手とは言えない。
 それでは、発射された時点なのか、あるいはどこなのかというのは、結局、それがどこに落ちるかというのは何によってわかるかというと、打ち上げられた角度と、初速と、炎の強さによって推定される搭載燃料の量、これによって、算術計算によって、何時何分どこに落ちるということがわかるわけです。これは情報収集衛星では不可能ですよね。早期警戒衛星でないとわかりません。早期警戒衛星は我が国は国会決議によって持てないことになっていますよね、汎用性がありませんので。
 では、そうすると、私どもはどうして着手の時期を知るのかということ、これはこれから先、衛星政策をどのようにしていくか、サテライトの方の衛星ですが、そのことによってきちんと議論をいたしませんと、これは国会決議に反するから早期警戒衛星は持てないということになると、何時何分どこに落ちるかということは我々日本にはわからない、外国に教えてもらわなきゃわからない、情報衛星によって、いよいよ撃つんだろうなということだけがわかるというだけの話なのですよ。本当にそれでいいのかという問題を提起しておきたいと思います。御答弁は要りません。
 では、どうやってそれを撃ち落とすんだということになりますが、そうしますと、これは今までの政府の答弁は、まだミサイル防衛というものは研究段階であって、開発段階にも入っておりません、したがって、法的構成というのは今政府の中で鋭意検討中ですという御答弁を、五年ぐらいずうっと続いて同じ答弁をいただいておるわけですよ。
 しかし、ふっと考えてみますと、BMD、MDはないかもしれない。しかし、湾岸戦争においてイスラエルが急遽導入したようなバージョンアップした形のパトリオットというものは、恐らく近々我が自衛隊にも導入をされるはずなんですね。これは高空で撃ち落とすことはできませんよ。いよいよ近くまで来たときに、しかしながら、撃ち落とした方がそのまま直撃されるよりも被害が少ないというふうに判断をされた場合には、撃ち落とす能力はゼロだとは思わない。これは湾岸戦争のときに、イスラエルがパトリオットを使ったことを全世界が見ていますからね。この場合に、どういう法的構成をするのかということも考えておかねばならない。
 つまり、どこの国とは言いません、ある国が、衛星を打ち上げたと称して、あるいは予告も何もなく、予兆もわからず、とにかくそういうものを打ち上げた、計算した結果、日本のある地域に落ちるということが判明をした、近くにパトリオットの部隊があったという場合に、これを撃ち落とした方が我が国に対する被害が少ないと判断をされるという状況を仮定して、これを落とせるという法的根拠というのは何ですか。
中谷国務大臣 現時点におきまして、対領空侵犯措置につきましては航空機に限られております。
 ミサイルに対しましては、我が国の自衛権の発動としての武力の行使に該当するものでございまして、政府におきまして、このような事態を認定し、そのミサイルに対処するという仕組みになっております。
石破委員 それで間に合わないことがあるのではないかということなんですよ。多くの国民が思っていますのは、今度の法律は必要です、絶対に必要ですから、私どもは何があってもこれを通したいと思っています、成立をさせたいと思っています。しかし、間に合わない場合はどうするんですか、対処方針が出ない場合はどうするんですか、閣議決定が得られない場合はどうするんですかと。向こうは、攻撃してくる方は、日本の対処方針がまとまるまで多分待ってくれないんですね。閣議決定ができるまで待ってくれないんですね。どうするんだということなんですよ。
 基本はそうです、基本形はそうです、そうあるべきものです。しかしながら、どうするんだと。ミサイルですから、飛行機じゃありませんので、長官がおっしゃるように、領空侵犯措置は使えませんよね。ミサイルですからね。しかし、防衛出動とかそういうものをとっていたらば間に合わない可能性がありますよね。政府としては、恐らく私が答弁をする側でも、そういうことがないように万全を尽くしますという答弁をすることになるんだろうと思いますよ。しかし、我が国に対する武力攻撃かどうかわからない、しかし、ほっておけばそれが我が国に着弾するという場合に、今の法律をぎりぎり考えてみたときに何かないかということなんです。
 これは答弁要りません、ひとり言だと思って聞いてください。災害派遣でいけませんか、災害派遣。自主派遣ができますよね、これは。そして、何だかわからないものが落ちてくるのを撃ち落とす行為は、これは防衛出動になるかならないかということなんですよ。警察官職務執行法に、「狂犬、奔馬の類」というのがありますよね。「狂犬、奔馬の類」であれば、警察官としてはそれを撃っていいというふうに読めますよ、あの条文は。
 つまり、ミサイルが落ちたときにどうするんだというときに、何年か前、これは災害出動でいくんだという議論が一部からありまして、私は、どうしてミサイルが落ちるのが災害になるの、頭どうかしたんじゃないかと思ったことがありますが、よくよく考えてみると、そういうような理論構成というものを考えざるを得ない。やや不自然だし、ややテクニカルだし、ややトリッキーだけれども、そういうようなことになってくる。
 やはり、そういうものを全部考えた上で、どこに穴があるのかというのを考えるのが、これから先、テロをどうするんですか、工作船をどうするんですかということに対応する本来のあり方なんだろうと私は思っています。
 今の法律で対応できないわけじゃないですよ。今の法律でも対応できるように、去年、情報収集出動も入れたんです、警護出動も入れたんです。相当カバーできるようになりました。そして、常に自衛権を使うということではなくて、だれが相手だかわからない、あるいは、明らかに国内の人間である場合には、これは警察権で対応すべきものだというふうに思っているのです。
 さればこそ、では、治安出動、海上警備行動、領空侵犯措置、領空侵犯措置はマイナー自衛権だという説もありますが、そういうものの射程範囲はどこまでなのかという議論を政府の中できちんとしておいていただきたい。
 そして、何が足りないのかということで、テロに対しても万全の法律をつくるんだということですが、これ、いつまでにおつくりになりますか。可能な限り早くということだと思いますが、私が一番恐れていますのは、党内の多くの同志が恐れていますのは、今回の法律ができたことで事成れりだ、また次の法律をつくるまでに、テロとか不審船とかサイバーとかそういうのをつくるまでまた十年、二十年かかりましたというようなことが一番怖いんですよ。
 これ、従来の第三分類、国民を守るための法律等々は二年以内というふうな期限が定められていますが、ではテロはどうする、工作船はどうするということについて期限がありませんよね。このことについてはどのようにお考えですか。
 さらに、ついでに伺いますが、副長官、いわゆる国民を保護するための法制とか、あるいはテロ、サイバー、工作船、そういうものについて、私は、小泉内閣として責任を持って、政治が責任を持ってこの法制を整備していくべきだと思っているんですよ。
 これは後ほど申し上げますが、民間防衛について、今を去ることもう二十年近く前、昭和五十九年、参議院予算委員会で藤波官房長官が、民間防衛はどこの省庁の所管ですかというふうに聞かれまして、藤波長官答えていわく、内閣官房が中心となって政府全体として法制整備を進めてまいりたいと思いますという答弁が、何と昭和五十九年なんです。今から何年前のことですかね。十八年も前の話なんです。
 私は意地悪を言うつもりもありませんが、今回、この法律が多くの方々の御理解を得て通ったとして、ああ、これで事成れりだ、また十年、二十年たちましたということを一番恐れているのですね。テロに対して、不審船に対して、あるいはサイバー攻撃、そして国民を守るための法制、そういうものについて、私は、できることならば整備推進本部のようなものを設けて、官房長官なり、そういう政治家がその長となって法律を整備していくんだということがあるべき姿じゃないかと私は思いますが、いかがですか。(発言する者あり)
安倍内閣官房副長官 いわゆるテロ、また不審船に対する対策についてどうするんだということにつきましては、この法案を作成する段階から、石破委員にもたびたび御指摘をいただいてきたことでもございますし、与党の中でもいろいろな議論がなされました。そしてまた、この委員会を通じましてその重要性が何度も指摘をされているわけでございます。
 ただ、この法律、法案につきましては、いわゆる防衛出動下令、そしてまた待機命令の下令を前提にこの法律、法案をつくったということでございまして、その中で、テロ、不審船が二年以内という中には入っていないわけでございますが、しかし、石破委員からも御指摘、また総理の御指示もございまして、この法案の中にその重要性また検討の必要性が書かれております。そしてまた、ただいま御指摘がございましたことの重要性も私ども十分に認識をしながら検討をしていきたい。これは、のんびり検討ばかりしていくというのではなくて、必ず結論を出すべく検討をしていきたい、このように思っております。
石破委員 官房長官もいらっしゃいました。くどいようですが、先ほど不規則発言が向こうからもありましたが、縦割りじゃだめなんですよね。政治家が責任を持ってやらないと、だめなんですよ。私は、この有事法制をめぐる議論をずっと議事録を読んでみて、官房長官はちゃんと答えているんですよ。総理大臣もちゃんと答えているんですよ。しかしながら、全然進んでいないんですよ。これは一体どういうことなんだということなんですね。
 去年、森内閣総理大臣のときに、法制化をしないという縛りを外し、法制化に向けた準備を進めてまいりますというような、大意そのような御答弁がありましたよね。防衛庁の中で、これは一体どういう意味だという話をしたんですよ。副長官とも議論をさせていただいた。法制化をするという作業はどこができるかというと、この国会以外にできないんですよ。なぜなら、立法権は国会に属していますから。法制化の準備というのは、条文を書いて、閣議決定をして、これを国会に提出する、そこまでが準備段階なんですよ。条文を書くというのが準備段階なんですよ。
 でも、これ、正直言いますけれども、九・一一が起こらなかったらこんなに進んだかというと、多分進んでなかったんじゃないですか。総理が、リーダーシップを持ってこれをやるとおっしゃった。大変な前進だと思いますよ。しかし、積み残された課題はたくさんあるんですね。そのことを本当に縦割りでお役人に任せてできるかというと、私は、残念ながら、今回だけは信じてくださいと言われても、そうですかとはなかなか言いにくい。
 私は、主任の大臣をきちんと決めて、政治のリーダーシップ、小泉内閣の責任においてこれはきちんとやっていただきたい、法整備。いいですか。第三分類についてもそうです。国民を守るための法制も、テロについても、工作船についても、できれば二年なり三年なりという期限を設定して、主任の大臣を設けて、整備推進本部をつくってやっていただくことが小泉内閣が国民に対して果たすべき責任だというふうに考えますが、官房長官、いかがですか。
福田国務大臣 今後の法整備につきましては、地方とか国民とかというような問題、これにつきましては二年以内ということでございますけれども、安倍副長官から御答弁申し上げたと思いますけれども、このことについては相当な作業になると思います。また、多岐にわたる作業になりますので、その体制というものは十分に考えていかなければいけないと思います。
 また、テロとか不審船とかいったような、そういう問題につきましては、これは現行法の中で対応できるということでありますけれども、この法整備において不備なところはあるだろう、また新たな形のものが、テロができるかもしれぬ、そういうようなことも考えて、総合的に考え、対応していかなければいけないということを考えますと、これについても、しかるべき対応の体制というのは必要なんじゃないかというように思っております。
 御意見は、大変貴重なものと考えておりますので、よく考えてまいりたいと思います。
石破委員 もう少しこの議論をしますと、防衛庁長官、軍と警察とは何が違うと思いますか。軍と警察の相違とは何ですか。
 つまり、そこへ結局帰着するというのは、冒頭からずっとしつこいように申し上げていることですが、軍というのは、基本的にその作用を対外的になすものですよね。警察というのは、対内的になすものですよね。軍というのは集団で動くもので、警察というのは個々が一つの行政単位のはずですよね。そして、軍の法律は基本的にネガリストであり、警察の法律は基本的にポジリストですよね。つまり、軍と警察というのは、基本的な違いがたくさんあるわけですよ。
 私は、二年でも、三年でも、とにかくできるだけ早く、この議論はきちんとした法律にして国民の前に提示をしなければいけない。間に合わなかったで済むような話ではない。
 しかし、そこにおいて議論されなければいけないのは、防衛庁を防衛省にすることも大切ですよ、しかし同時に、自衛隊をきちっと軍として認めるということ。それは、自衛隊を自衛軍にするというネーミングの問題じゃないんです。軍というのは何であり、警察というのは何であり、その場合に使うべき権限は何なんだということを、国内的にも、対外的にもきちんとしないで、自衛隊でございますというようなことを言っているから、変なことになるのですよ。それが自衛官の士気をそいでいるんですよ。何だかわからないねというようなこと。
 そして、軍事組織、実力組織に対して理解を示さず、あるいは嘲笑し、自分たちがやることじゃないといって安全なところから物を言っているということが、一番シビリアンコントロールに反することのはずなんですね。
 軍と警察、そのことにつきまして、現時点での長官の御見解を承りたい。そして、自衛隊というのはどうあるべきものだとお考えですか。
中谷国務大臣 まず、軍と警察の違いでありますけれども、国家における防衛作用を担うのが軍でありまして、警察作用というものを担うのが警察であろうかと思います。
 この警察作用というのは、国民の生命財産、また社会の治安とか秩序といったものを維持するということでありますが、防衛作用といいますと、やはり国を守る、国家そのものを守る、外国から侵略等を防止するという観点で国を守るというのが趣旨だと思います。
 そこで、軍隊であるかどうかということでございますが、自衛隊は外国による侵略に対して我が国を防衛するという任務を有しているわけでございますが、我が国の場合には憲法がございまして、そこに自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられておりまして、通常の国際的な規格から、その観念で考えますと、軍隊とは異なるということでございますが、しかし、軍隊の定義がいろいろございまして、やはり国を守る組織を軍隊と呼ぶなら、軍隊でございます。
 こういう点で、外国からの侵略に対して対抗する実力を持つものを軍隊というのであれば、自衛隊も軍隊というのは可能でありまして、国際社会におきましても軍隊というふうに位置づけられているというふうに認識をいたしております。
石破委員 これはあるべき論ですから、今後議論をしたいと思います。ただ、この問題を解決しない限り、実は、日本の安全保障の問題は解決しないということだけ申し上げておきます。
 閑話休題みたいなことですが、幾つか出た議論の中で確認をします。
 ここへもし重大な攻撃があって、国会本会議場か何か、国務大臣みんな物故された、おかくれになった。とにかく、いなくなった。生存しなくなった。国会議員もみんな生存しなくなった。さあ、どうしましょうという話、出ましたよね。アメリカの場合にはずらずらずらっと、大統領の権限の継承権者が決まっていますよね。日本の場合は、第五番目までしか決まっていない。これでいいのかというお話があって、私も、それじゃまずいのかもしれないなというふうに思っています。
 それからもう一つ、国会議員はどうなんだという話なんですが、ふっと考えてみますと、比例区というのがあるんですよね。衆議院にも比例区があって、参議院にも比例区があって、少なくとも、その人たちはみんな復活当選してくるんですね。繰り上がって当選してくるんですね。そうすると、一応議会というのは成り立つんじゃないかという気もするんですが、それをもって比例区をつくったわけでも全然ないのですが、結果として、復活当選、繰り上げ当選することによって、一応、もちろんいろいろな事務的な手続はありますが、選挙という手続を経なくても議会というものはちゃんとできるんじゃないのかという思いが実は私はちょっとするんですが、選挙部長いらしていたら、これは御答弁をいただきたい。
 もう随分前ですが、昭和五十年代かな、小松左京の「首都消失」という小説、お読みになったことありますか。首都圏が全部、正体不明の雲に覆われまして、国会も内閣も全く機能しなくなるんですよ。その場合にどうするかということをぎりぎり考えて、これは全国知事会が臨時政府みたいなものをつくる、こういう想定なんですね。それが憲法上本当に可能なのかという、かんかんがくがくの議論がされていますよ。
 そのようなことは起こり得ないとお思いかもしれませんが、ありとあらゆることに備えるということから考えて、私、先般来の議論の中でちょっと疑問に思ったものですから、御答弁をいただきたいのが一つ。
 それからもう一つは、よく言われる話の中に、コンビニからみんな食べ物が消えちゃうんですよ、怖いですね、ガソリンスタンドからガソリンがなくなるんですよ、怖いですね、こういう話がやや意図的に流布をされていますよね。今度の法律ができると、自衛隊がみんなコンビニから食べ物を持っていくかもしれない、そんなばかなことがあるわけないと思っているんですね。日本国民は一億二千万人いて、自衛官は陸海空合わせても二十数万であって、そして、そこで食料買い占めみたいなことが起これば、瞬時に国民の支持を失う。そんな自衛隊だとは私は思っていない。そして、これは自衛隊が勝手にやるんじゃなくて、現地の事情に通暁した都道府県知事が下すのであって、そのようなことは、この法律の仕組みからいっても、そして総合調整というのも行われるわけであって、世の中で言われるように、コンビニから食べ物がなくなる、ガソリンスタンドからガソリンがなくなる、国民生活はすべて軍に奉仕するようになる、そのようなことはためにする議論だと私は思いますが、いかがですか。
中谷国務大臣 石破委員おっしゃるとおりであります。
 自衛隊が任務遂行上、必要な物資を確保する場合には、第一義的には民間との契約によりまして物資を調達することになりますが、任務上どうしても必要な物資につきましては、限定された地域の中におきまして、原則として、防衛庁長官の要請に基づきまして都道府県知事が物資の収用の措置を行うことになりますし、この時点で、防衛庁長官、要請者との間で調整をされて市民生活への影響が最小限となるように適切な判断がされますし、おっしゃったように、武力攻撃事態対策本部におきまして必要な総合調整がなされることになっておりまして、自衛隊が物資を独占し、市民生活に多大な影響を及ぼすような事態は回避されるものだというふうに考えております。
石破委員 繰り上げ当選と継承順位につきましての答弁、もしできたらどなたかお願いします。
大竹政府参考人 お答え申し上げます。
 公職選挙法におきましては、国会議員に欠員が生じたときには、まず、繰り上げ補充の対象者がいる場合には、これによりまして欠員を補充いたしまして、繰り上げ補充の対象者がいない場合、あるいは繰り上げ補充してもなお一定数以上の欠員があります場合には補欠選挙を行うこととされてございます。
 御質問ございましたように、国会議員がすべて欠けるような事態につきましては、そのような特別の規定は設けられておりませんことから、この通常の繰り上げ補充及び補欠選挙の手続によることになろうかと思います。
 その場合、衆議院でございますけれども、まず小選挙区選挙につきましては、さきの選挙におきまして同点者がいない限りは補欠選挙を行うということになろうかと思います。それからまた、比例代表選挙につきましては、当選となりませんでした名簿登載者の中から順次繰り上げ補充を行いまして当選人を決定していくことになるわけでございますけれども、なお十一のブロックの選挙区ごとに定数の四分の一を超える欠員が生じている場合には補欠選挙を行うことになります。
 参議院につきましてもほぼ同じような手続でございますけれども、選挙区選出議員につきましては、欠員が選挙期日から三カ月以内に生じた場合には法定得票数を得ました次点者から、その後につきましては同点者から繰り上げ補充を行うわけでございますけれども、これにより欠員を埋めることができない場合には、補欠選挙により行ってございます。それからまた、比例代表選挙につきましては、当選となりませんでした名簿登載者について順次繰り上げ補充を行いますが、それでもなお在任期間を同じくする議員ごとに定数の四分の一を超える欠員が生じました場合には補欠選挙を行うというものでございます。
 以上でございます。
石破委員 総理の継承順位についてお聞かせください。
福田国務大臣 総理大臣が欠けたときには、今現在は以下五位までの継承順位というものを定めております。これは内閣ごとに決めるわけでございます。
 これは、一応危機管理ということではありますけれども、平時における危機管理というような感じもいたします。今、有事法制の議論をしているときに、では有事のときにということも含めて考えると、委員の御指摘のように、もう少し幅広く考えるべきではないかというようにも思っております。
石破委員 残余の時間で、民間防衛についてお尋ねをしたいと思います。
 従来、第三分類と言われておったものです。私は、いわゆる有事法制の根幹は、実はこの第三分類、国民を保護するための法制だと思っているのですね。国家総動員だと言う人がいまして生理的アレルギーを覚える人もいますが、これは余り世間で言われていないことだけれども、なぜ日本はアメリカに勝つことができなかったのか、戦争自体が間違っておるということはともかくとして。アメリカの方が総動員体制はきちんとしいていたという物の本を私は読んだことがあるんです。
 アメリカにおいては、一九四二年の段階で、もう民需用の自動車はつくってはいけないということになっておった。家族のドライブはしてはいけないということになった。鉄道旅行もしてはいかぬ、鉄のおもちゃもつくってはいかぬ、あるいは鉛筆の鉄製のキャップすらつくってはいかぬということがきちんと決められておったのだそうですよ。
 つまり、どれだけ短い期間で戦争を終わらせて、もとのきちんとした民主主義に復するかということが根幹じゃないかと私は思っている。国家総動員という言葉はネガティブな響きを持ちますが、どれだけ本当に国の力を一点集中して、その不幸な事態を終わらせるかということのために何ができるかということは、正面から向き合わなければ、結局は我々の大切な今の民主主義体制というものを守れない結果になるのではないかというふうに私は懸念をするのであります。
 最近の戦争の特徴は、民間人が多く犠牲になることだということを申し上げました。かつての中世の戦争、それは勝手に王様同士がやっていたんですね。しかしながら、近代市民社会ができて、国民同士の戦争ということになっていった。
 第一次世界大戦までは軍人と民間人の死者はほとんど同数であったというふうに聞いております。ごめんなさい、第一次世界大戦でも二〇対一ですよね、軍務に服していた人二〇に対して民間人一であった。しかし、これが第二次世界大戦になって一対一になるんですね。戦争によって亡くなった人々の数が、第一次世界大戦では二〇対一であったのに、第二次世界大戦になればこれが一対一になった。朝鮮戦争になったら一対五で、民間人の方が多く犠牲になった。ベトナム戦争に至っては一対二〇、民間人が軍人の二十倍も犠牲になったということで、第二次世界大戦後、これはだめだ、民間人をきちんと守ることができなければこれは抑止力にならない、何かあっても民間人がたくさん犠牲になるということであれば決して抑止力にならないんだということで、スイスにおいても、フランスにおいても、ドイツにおいても、あるいはソ連においても、民間人を守るためにはどうするかという法制を真剣に考えてきて抑止力ということになったはずなのです。
 日本の場合には、全然それができていない。第二次世界大戦で日本とドイツにおっこちた爆弾の量を考えてみると、もちろん期間の長い短いはありますが、ドイツの方が日本の十倍の爆弾が落ちている。しかし、亡くなった人は、ドイツは三十万人、日本は二十七万人。十分の一の爆弾しか落ちないのにほとんど同じだけの人が犠牲になったのはどうしてかということで、アメリカは、戦争が終わった後、調査団を日本に派遣した。
 米国戦略爆撃調査団、その報告の中に、そうか、こういうことだったのかということが書いてあります。
 日本における防空計画は、国民の冷淡と無関心、民間と軍当局との間の混乱、調整の欠乏につきまとわれ、日本の役人が適切な民間防衛の必要に気がついたときには、既にそれをなし遂げるには遅かったのである。今でもそのまま通用する言葉ではありませんか。政府は戦争が始まるや否や、県や都市に対する統制力を失い、整然とした国家防空組織活動は見られなくなった。今でも同じではないですか。
 そして、日本の民間防衛当局は、将来の空襲の規模の推定を誤っていた。その結果、アメリカの集中攻撃は防空組織の不意を突くことになり、手配や準備の全く整わないうちに完全に圧倒されてしまった。一般に人員は十分であったが、指導力の欠如と方向違いの努力が効果をそいでしまった。
 これ、昭和二十年に出た報告なんですよ。それから半世紀以上たって実は何も変わっていないのではないか、戦争の反省というものはきちんと生きていないのではないかということだと私は思っている。
 長官も私も、午後質疑に立つ岩屋議員も、同じ昭和三十二年生まれのはずですよ。そしてまた、理事をやっておる米田議員も、また浜田議員も、みんな、いろいろな議論を一緒にしてきました。みんな戦後世代です。おまえたちは戦争を知らないじゃないか、戦争を知らない者が何を言うんだというふうに言われてきたが、じゃ、このような戦争の反省はどのように生きてきたのか。
 民間防衛というものはちっともできていない。国会で大臣はそれぞれ答弁をするけれども、実際の法整備というのはできていない。個人をどうやって守るかという法整備がちゃんとできなくて、そして訓練をちゃんとやっていなくて、本当にそれが抑止力と言えるのか。私は、決して言えないと思っている。
 昨日は沖縄が復帰して三十年であった。夜、テレビを見ておると、有事法制を沖縄ではどう見たかというテレビ番組がありました。怖いですね、物資はみんなとられちゃうんですよ、軍に徴用されるんですよ、従事命令が出るんですよ、逆らえば、従わなければ罰則なんですよ、軍は民間人を守ってくれないんですよというような報道がなされておりました。
 私は、毎年できる限り沖縄に行くようにいたしております。あの南部戦跡に建つ平和の礎というところへ行って涙しない人間は、私はいないと思っています。ひめゆりの塔に立って、涙なくしてあそこに立てる人間もいないと思っています。どうすれば平和になるのかということを我々も一生懸命考えておるつもりなのであります。
 しかし、あえて申し上げますが、有事になって、戦時になって、軍事組織は何に専念すべきかといえば、それは、どうやって敵を一瞬でも早く撃滅をして国に平和を取り戻すかということに専念をしなければいけない。防衛出動も災害派遣も同時に出るということは、私はあり得ないのだろうと思っている。例えば災害であれば、自衛隊も来ますよ、警察も来ますよ、消防も来ますよ、国家の総力を挙げて原状の復帰をやりますよ。しかし、有事はそれとは違うんだ。相手は日本の弱いところをついてくるし、次から次から事態は拡大をしていく。自衛隊は、そのときにどうやって敵をせん滅するかということに専念をしなければ、これはどうにもならない。
 それじゃ、民間人はどうやって守るか。今まで自衛隊がやっていたことを警察や消防がやる、そして警察や消防がやっておったことを民間防衛組織がやるということにならなければ私はうそなんだろうと思っているし、そういう組織はきちんとした民主主義国であれば、あえて申し上げますが、どの国でも当然に持っているんです。日本だけが持っていないんです。民間防衛法制も民間防衛組織も、災害対策基本法に災害はカバーをされているけれども、有事については言及をされておらないのです。これをどのように整備をしていくかという方針、これが明らかにされなければいけない。
 そして、繰り返して、沖縄の経緯。私は、沖縄は、先生方にまたお教えをいただきたいと思っています、あるいは自分の考え方が間違っておったらばおしかりをいただきたいと思っていますが、私は物の本で読む限りにおいて、ああいう場合に、米軍が上がってくる、米軍が上陸してくる、そのときに、民間人は軍と一緒に行動しては絶対にいけないはずなんですね。軍はそこで戦闘になるわけですから、民間人はいかに軍と別に戦場ではない安全なところへ避難するかということを考えれば、あのような悲しい犠牲は起きなくて済んだのではないか、私はそのような論説を幾つか拝読したことがございます。
 いざというときに自衛隊は何をするか。仮に、海外から敵が侵攻してくる。日本の大きな町はほとんど海岸沿いにありますからね。私の選挙区、鳥取もそうですよ。大臣の選挙区もそうでしょう。やってきたときに、民間人は内陸へ逃げるんですよ。逃げ惑うんですよ。そして、軍の駐屯地というのはほとんど内陸にあります。戦車部隊なんて特にそうですよね。海の側から内陸に向かって民間人が逃げてくる。陸の側からは自衛隊が進撃をする。そのときに、だれが交通整理するんですか。だれが避難誘導するんですか。先ほどのミサイルでも、だれが警報を出すんですか、だれが避難命令を下すんですか。
 そして、初空襲を日本が受けたときにはドーリットル攻撃隊というのが来ましたよね。あのときにはいきなり、警戒警報ではなくていきなり空襲警報が出て、逃げる間もなくみんな犠牲になった。東京大空襲のときには、穴を掘って隠れなさいということで、焼け死んだのではなくて酸欠で多くの人が亡くなった。広島の原爆のときには、空襲警報が解除されてからエノラ・ゲイが飛んできた。それで大勢の犠牲が生じたのではありませんか。
 民間防衛というのは、我が国において特に論ぜられなければならない問題であるというふうに考えますが、お考えと、そしてまた整備の方針、そしてそのために必要ないろいろな手段ですね。
 私は、民間防衛基本法というのをつくって所轄の官庁を決めて、消防であり警察であり、あるいは消防団であり、自衛隊OBであり警察OBである、民間防衛というとすぐ市民が竹やり持って戦うんだというようなことを言いますが、そんなことでは絶対にない。どうやって市民を安全に保護するかという法制が何よりも肝要と考えますが、お考えを承ります。
福田国務大臣 いわゆる民間防衛ということにつきましては、確立された定義があるわけではございません。
 この法案では規定しておりませんけれども、諸外国においては、国民の保護のための救助、避難誘導等の活動の重要性、こういうことは十分認識をしておるところでございまして、政府といたしましても、国民の保護のための法制の整備は極めて重要な課題であると考えておりまして、この法案に示された枠組みのもとでさまざまな措置に関する法制を整備したいというように思っております。
 この法案が成立した後に、早急に関係機関と調整して検討体制を整えて、そして国民の保護のための法制の策定作業に着手したいと考えております。
 御意見は大変参考になりますので、よく考えさせていただきたいと思います。
石破委員 これは、本当に大臣には心からお願いしますよ。
 昭和五十四年十二月に大平総理大臣が、参議院でこんな答弁をしている。民間防衛は国民の生命財産に直接結びつく重要な問題で、政府全体で慎重に考えてまいりますというふうに答弁している。その年の二月に当時の防衛庁の防衛局長が、各国の民間防衛については今調査中である、昭和五十四年の話なんですよ。二十三年も前のことなんですよ。本当にお願いをしたい。
 なぜ我が国が戦争において、さきの大戦において大勢の民間人が死んでいったか。それを保護するための法制がなぜ必要なのかということを、私は、正面から国民に向かって語りかけることが必要なんだろうと思っています。
 この有事法制は、事の本質が何なのかということを国民の前に明らかにしていって、先ほどのコンビニからお弁当が消える、ガソリンスタンドからガソリンがなくなる、そのような風説に惑わされることなく、この法律は民主主義国家を守るために必要なものである、そしてそのためには国民の理解が何よりも必要なことなのである、民間人の防衛なくして抑止力なしということ、私はそれが本質だろうと思っている。
 そのことが国民の御理解を得たとするならば、私は、必ずやこの法律はこの国会において成立をすると思うし、そして、官房長官がおっしゃったとおり、政府において責任持ってその体制をつくって、民間人を守っていくんだ、自衛隊が活動するための法律、米軍の活動を円滑にするための法律、そして民間人を守っていくための法律、その三者相まって有事法制なんだということを国民の前に明らかにしていきたいというふうに考えておる次第でございます。
 多くの議論が多くの委員から出されております。しかし、本当にこの法律を成立させたいんだという思いがあるとするならば、思いが一つであるとするならば、いろいろな修正が仮に仮にあったとしても、この法律を一日も早く通す、次の国会でもいいやとか、もう一回出し直しだ、そのようなことには私どもはしたくない。委員各位の御努力、そしてまた政府の御努力を心からお願いいたしまして、質問を終わります。
瓦委員長 午後二時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    正午休憩
     ――――◇―――――
    午後二時開議
瓦委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。岩屋毅君。
岩屋委員 自由民主党の岩屋毅でございます。
 午前中は、この問題、こういう領域に関しましては我が党きっての論客と言われる石破茂委員の方からいろいろな問題点を整理していただいたところでございますし、また、米田建三委員や衛藤征士郎委員からも既にさまざまな我が党としての指摘をさせていただいたところでございます。
 しかし、私は、戦後ようやく、この有事法制がいよいよ国会にこうやって上程され、国民の皆さん注視のもとで堂々と議論ができる、大変大きな前進だなと思って喜んでおりますし、である以上は、何としても国会の英知を結集してこの法案を成立させていきたいものだというふうに心から願っているところでございます。
 その中身についてこれから質疑をさせていただきたいと思いますが、その前に、外務省の問題について外務大臣に一、二点お伺いをしておきたい、こう思います。
 先週、私が田舎に帰りましたときに、迎えに出た家内が珍しく怒った顔をして出てきておりまして、そういうことは日ごろないものですから、一瞬どきりとして私も立ちどまったわけでありますが、わけを聞いてみると、今回の亡命者連行事件について本当に憤慨しているということでございました。
 とにかく、あのビデオの映像というのは非常に衝撃的だったと思います。今回のことでは、中国も、そして我が日本も大きく外交イメージを損ねてしまった、非常に残念な事件だったと思います。
 中国については、残念ながら、あの映像を見た多くの方々は、やはりこの国は人権ということに関しては十分な配慮がなされない、そういう国なのではないかというイメージを持ったと思いますし、一方、その中国の武装警官の行為に何らなすところのなかった我が日本、外務省に対しては、多くの国民の皆さんがやはり失望している。大げさに言いますと、正しい愛国心や使命感や公僕としての義務感、そういうものが欠落をしてきたこの戦後日本の自画像をあの映像を通じて見せつけられたような、私は、そういう感も多くの国民の皆さんがお持ちになったと思います。
 この件については、早速、政府、外務省も対応していただいているわけでありますが、言うまでもなく、大事なことは三つあると思います。
 一つは、不可侵権を侵害した中国に対して毅然たる抗議を行うということ。そして、明快な、明確な謝罪を求めるということ。第二点は、亡命希望者の引き渡しを実現するか、もしくは、少なくとも第三国への出国を実現すること。三番目には、外務省の当該責任者に対しまして断固たる処罰を行うと同時に、二度とこのようなことが起こらないように万全の対策をとる。この三つだと思います。
 既に杉浦副大臣も現地に行かれて交渉をされたということでありますし、日々刻々と事態は動いて――行ってないんですか。まだ行ってないんですか。失礼しました。行けなかったそうでありますが、日々刻々と事態は動いていると思いますけれども、現在の、最新の正確な状況について、そして外務省の対処方針について御説明をいただきたいと思います。
川口国務大臣 今、委員からお話がございましたように、今回の在瀋陽総領事館における事件につきましては、映像がもたらした強烈なイメージとともに、我々外務省の人間に対しまして、あるいは広く国民の方々にさまざまなメッセージを与え、また私どもは、国民の皆様のこの問題についての外務省は何をしているんだという叱責を重く受けとめております。
 三つのことが重要であるとおっしゃられたことは、私もそのとおりだと考えております。
 まず、中国側との関係におきまして、ウィーン条約三十一条が規定する領事機関の公館の不可侵の問題がございます。この中国側の態度、とった行動、すなわち、武装警察官が我が方の同意なく我が方の総領事館に立ち入ったという件については極めて問題であると考えておりまして、事件発生直後からさまざまなチャネルでハイレベルで抗議を行っております。
 また、もう一つの人道上の問題、これも非常に重要な問題でございまして、五名の関係者について人道上の要請が満たされているということが重要であると考えておりまして、何びとであれ、いかなる場合においても、みずからが迫害を受けるおそれのある国、地域に送還されてはならないという要請が満たされることが何よりも重要だと考えております。
 政府といたしまして、中国政府とは、こういった観点から、国際法、人道上の立場をきちんと踏まえまして、冷静に、かつ毅然と協議を重ねまして問題の早期解決をしてまいりたいと考えております。全力を今尽くしているところでございます。
 そして、この点に関連して、今どういう状況にあるかというお尋ねもございましたが、日中間の具体的なやりとりについて申し上げることは差し控えたいと思いますけれども、昨今の報道に出ているような、第三国に出国させるといったことについて中国と合意に至っているということはございません。
 それから、三点目におっしゃいました外務省の問題については、これは本当に、委員が御指摘のとおり、次から次にいろいろな問題が起きておりまして、意識の改革といいますか、全面的に外務省のあり方を根本から見直さなければいけないと私は思っております。この点についても、ただいま「変える会」でも、それから、中にございます変わる会といいますか、そこでも議論をしていますけれども、また、そういった会合の結論を待つことなく、できるものからどんどん改善に手を染めていきたい、改善をしていきたい、そこにリーダーシップをとってやっていく決意でおります。
岩屋委員 とにかく、毅然たる態度を大臣におかれては貫徹をしていただいて、しっかりと中国との交渉に臨んでいただきたいと思います。
 私は、維新の元勲であります西郷隆盛先生をこよなく尊敬しておりまして、西郷先生の語録が残っております南洲遺訓という有名なものでございますが、肌身離さず持っておりまして、いつも読ませていただいておりますが、私にとってのバイブルのようなものでありますけれども、その中にこういう記述がございます。国が外国から辱めを受けた場合は、国全体でかかって、たとえ倒れようとも正しい道を踏んで道義を尽くすのが政府の務めであるという記述があるわけであります。
 私は、時代は変われども、これは外交の一つの基本姿勢として真理だというふうに思っておりまして、今回国民の皆さんが悲憤慷慨している背景には、残念ながら、今日までの我が国の軟弱外交とも言うべき極めて弱々しい外交姿勢というものがあり、それに対する長い間の国民の皆さんの不満やうっぷんというものが背景にあって、今回の事件はそこに火をつけてしまった、こういうふうに思っているところであります。
 そういう意味で、小泉総理にかわられて随分その点も改善をしてきていると私は思いますけれども、さらに外交姿勢においては、特に今回のような我が国の主権が侵害をされるという事態に至った場合は、冷静であることはもちろんでございますが、あくまでも毅然と対応していただきたい。
 そんな中で、外務大臣済みません、もう一点だけ。さきに、昨日ですか、明らかになった今度の背任事件です。
 本当に、大臣おっしゃるように、次から次にいろいろなことが起こって、大臣も大変だと思います。今回の有事法制に、直接中身にこれはかかわるわけではないけれども、しかし、我が国有事の際には、防衛庁はもちろんでございますが、外務省も、事態への対処あるいは終結において極めて大きな役割を果たしていただかなくてはならない。したがって、防衛庁とともに、国民の皆さんから信頼される行政であっていただかなくてはならないわけでありますが、そういう意味でも非常に残念です。
 今回の背任事件は、背景は、例の支援委員会を舞台にしているわけでありまして、先ほど大臣が触れられた「変える会」においても、この支援委員会のあり方については抜本的に見直せということになっていると思いますし、先般我が党の外交部会の小委員会でも外務省の改革案をまとめましたが、その中でも、この支援委員会方式というのはもう抜本的に変えなさいということを提言させていただいております。
 大臣は、改革の中でできるものはどんどんやっていくんだということでございますが、この支援委員会の改革についてのお考えを聞かせていただきたい。
 さらに加えて、とにかくこの外務省の職員の、全部とは言いませんが、しかし、モラルの低さ、異常な特権意識というのは、あいた口がふさがらないというふうに私は思います。さきの総領事館での職員の対応もしかりでありまして、使命感の欠如というのは、もう目を覆うばかりだと私は感じておるわけであります。
 先ほども大臣も、抜本的に組織のあり方から登用から何から全部変えるとおっしゃいましたが、いま一つ大臣から強い強い決意が我々にも国民にも伝えられておらないような気がいたします。そういうことを含めて、今の問題についてお答えをいただきたいと思います。
川口国務大臣 まず、今回の背任事件でございますけれども、これは、今は、不祥事が続いている外務省の中でまた一つそういうことが起きてしまいまして、大変に反省もしておりますし、国民の方に申しわけないと思っております。外務省としては、全面的に捜査に協力をいたしまして、この件が早く解明されることに協力をしていきたいと思っております。
 それの関係で、支援委員会の件でございますけれども、支援委員会は、専門家会議の方に御議論をいただいて、これは提言によりますと廃止されるべきであるという御意見でございまして、これは重く受けとめるべきであると思っております。
 また同時に、監査委員会、監査法人の方に支援委員会の仕事のあり方を全面的に監査いただきまして、問題点についてもいろいろ御指摘をいただいております。
 それで、これは、支援委員会が国際機関ということで、相手の国、ロシアがございますので、ロシアを初めとする相手の同意がいただけるということが重要でございますが、支援委員会は、これは廃止をすべきであると私は思っております。ただ、そのやっております業務、これはロシアの人道的な支援、市場経済化の支援等、北方四島の住民支援といったことは重要であると思っておりますので、これも関係の方々とお話し合いをしながら、新しい仕組みをできるだけ早くつくり上げたいと思っております。
 外務省の改革のあり方についてでございますけれども、これについては、いろいろな方の御意見をいただいて、自民党からも意見をちょうだいいたしておりますので、そういったものを参考にさせていただき、かつ踏まえながら、外務省として、信頼をいただける外交を行っていくにふさわしい、いい外務省に変わるべく努力をし、改革をやっていきたいと私は思っております。
岩屋委員 確かに、支援委員会の問題は、相手のあることですから、こっちから、ある日突然一方的にというわけにもいかないでしょう。いかないでしょうが、ここまでたくさんの問題が出てきたわけでありますから、そこは一たん支援委員会方式を改めて、新たな方策をぜひ探っていただきたい、こう思っておりますし、外務省改革については、まあ大臣も、本当に就任早々いろいろなことが起こって今日まで来て、大変だと思いますけれども、ひとつ、国民の皆さんも川口大臣の改革に注目をしておりますから、ぜひ断固たる姿勢で改革をやり遂げていただきたい、こう思います。
 もう大臣は結構でございます。ありがとうございました。
 それでは、本論の方に入りたいと思うんですが、きょうは、官房長官と防衛庁長官ということで、細かい点については先ほど石破委員の方からも指摘があったところなんで、私は、そもそも論を幾つかやらせていただきたいと思っております。
 まずは憲法問題でございます。
 これまでの審議を通じましても、こういう有事立法というのは本来は憲法を改正してからやるべきだ、こういう御意見も聞かれました。しかし、いつ起こるともわからない有事に対応すべき法律をつくるのに、また、いつ実現するかもわからない憲法改正を待っているわけには現実問題としてはいかないわけでございます。それは、厳しい結果責任を問われる政治の姿勢としても無責任ということになるんだ、こういうふうに思います。
 私も、本来は、この最高法規の中に緊急事態法制というのはきちっとあるべきだ、緊急事態条項というのはきちんとあるべきだ、こういうふうに思っておるんですが、しかし、何度も申し上げますように、有事は憲法改正を待ってくれない。したがって、現段階でできる限りの対策のための枠組みをつくろうというのが今回の立法であると思います。
 この点を国民の皆さんにわかりやすく政府として説明していただかなければならないと思うのでございますが、確認の意味で、長官の見解をお伺いしたいと思います。
福田国務大臣 現行憲法の枠組みの中で、今までやっていなかったこと、それを、新たな法律をつくって、そして実行ができるようにするということは、例えば国際平和協力法案、これもそうだと思います。昨年秋成立しましたテロ対策特別措置、これもそのことだと思います。それぞれ自衛隊の活動に関することなんでありますけれども、今般は有事法制をお願い申し上げている。これも自衛隊の活動に関することでございます。
 今まで、憲法の枠の中ということで非常に制約がある、そして自衛隊が活動するのは極めて限定的だといったような、そういうふうな考え方に基づいて自衛隊の活動については遠慮がちにしてまいったわけでありますけれども、しかし、我が国が国際社会の中で、経済的にもまた外交面においてもいろいろな立場においてこれだけの活躍をしているという中で、我が国が持つべき役割と申しますか、それをしていないことについて、これはやはり至急に整備していかなければいけない。そのうちの一つが今回の有事に関する法律だろうというふうに思います。
 あくまでも憲法の枠の中でということでございますから、それは自衛隊の活動も憲法の枠の中で、憲法の規定の中で行うということでございますので、非常にこれも、他の国の軍隊とかそういうものと比較すれば限定的であるということは言えますけれども、しかし、それでも、我が国を、憲法のもとで、自分の持てる力でもって守っていくということは、これはもうどうしても必要なことであり、今までそういう法制がなかったということが極めて不思議な状態だった、その不思議な状態が続いてきたということであります。
 今般、国民の理解もかなり進んできた、そういう中でこの法制審議が行われるということは、我が国国民そしてまた国家のために極めて有益なものだというように考えておりまして、ぜひこの法律の成立については格段の御理解をいただきたいと思っております。
岩屋委員 その確認の上で、あえて、将来の憲法改正がいよいよ俎上に上るときの課題についても、ちょっとお話をさせていただきたいと思うんです。
 小泉総理は、たびたび答弁の中で、現行憲法にはおかしな点もあるということをおっしゃっておられます。このおかしなという言葉が適切であるかどうかということは別にして、事安全保障、防衛に関しては、確かにこの憲法の文言と現実との乖離が非常に甚だしいということも事実でございます。
 私はいつも思うんでございますが、国語論として、最高法規という法文ということじゃなくて、国語として、国語の文章としてあの九条を読んだときに、そのときに設問をつくって、さきの文章を読んで、陸海空の自衛隊は、これは我が国が持てるかどうか、マルかバツか答えなさいという問題を小学生に出した場合は、私は、国語論としてはバツが正解だと思いますね。陸海空の戦力は、これを保持しない。
 しかし、では陸海空の自衛隊というのは戦力じゃないのかという、総理がいつも言われるくだりでございますが、しかし、政治論として、どんな国であっても国家固有の自衛の権利がないはずはない、書いておらなくても当然にあるという理屈の上で日本は自衛隊を有して今日に至ってきているわけであります。しかし、そういう日本だけに通用する論理というのは、やはりもう限界があるのかなと。
 あの湾岸戦争のときの国会の議論、私は初めて当選してきてあの議論のただ中にあって、戦後、ガラス細工のようにつくり上げてきた我が国の安全保障に関する議論のもろさというのを、あのときの一期当選組はみんな感じたと思うんですが、いまだにそういう思いを持っております。
 こういう状態は、長く放置すると、大げさに言うと、我が国の言語空間を著しく現在もゆがめていると思います。法空間も著しくゆがめていると思います。したがって、国民の皆さんが、国防に関して、安全保障に関して正しい認識、意識を持つことも、その意識を涵養することも妨げているという結果に残念ながらつながっていると私は思うんですね。しかも、国際社会からは折に触れて誤解をされる要因にもなっている。
 したがって、将来この憲法改正がいよいよ具体的なスケジュールに乗ってきたときには、私は、自衛隊の存在とその役割、これを最高法規の中に明記をする、さらには、今法案の中にも初めて取り上げられております国民の協力、本来私は国民の義務であるべきだと思いますが、そういうことについても、安全保障の基本的な考え方、仕組みを最高法規の中にきちんと書き込むべきだ、こう思っておるのでございますが、長官はいかにお考えでございますか。
福田国務大臣 憲法論になりましたけれども、我が国の憲法の基本理念でございます民主主義、平和主義、そしてまた基本的な人権の尊重、これは、これまで一貫して国民からも広く支持を受けてきた、そういう基本理念でございます。これは、将来においても、いかなることがあっても堅持されるべき基本的な考え方であるべきだというように思っております。
 そういう上で、どういうことを憲法改正のときに盛り込むかということは、それはこれから国会で大いに御議論をお願いしたいというように思っておりますけれども、しかし、我が国が今申し上げましたような基本理念に基づいた考え方に立って、自衛隊が将来軍隊になるかどうかは知りませんけれども、自衛隊が活躍できるということは、これは大変国際社会のためにも役に立つことだ、こういうように考えておりますので、そのことについて特別な制約を付すものではないだろうというように思っております。
岩屋委員 そこで、今回の有事法制、武力攻撃事態対処法でございますけれども、私は、有事法制の本質は、もう枝葉を全部切り取って申し上げれば、非常大権付与法だというのが本来の姿であり本質であるというふうに思っております。
 非常大権という言葉が適切かどうか、ちょっと誤解を招くおそれもあると思いますが、要は、有事に際しては、やはり権限が集中されておって指揮命令系統が明確でなければあらゆる不測の事態に対処することはできない、これはもう当然の、当たり前のことだというふうに思っております。総理大臣にでき得る限りその権限を集中して指揮命令系統を明確にするということがこの有事法制の本来の目的であり本質である、こういうふうに思っているんです。
 危機は、いつどこでどんな形でやってくるのかわかりません。その千差万別の危機に対して機動的に、そして柔軟に、かつ迅速に対応できる法体系を、スケルトンとして、基本構造として持っておれば、それが一番大事なことであって、それで十分用は足りるわけでございまして、そこのところを見失った議論を幾らしてもせんないことだというふうに私は思っております。
 特に、武力攻撃事態というのは、きょうの議論でも出ておりましたが、明らかな意図を持って、決意を持って、知恵を持った相手がいる話でございまして、自然災害とは違います。どういう事態が起こるのか、どう展開をしていくのか、こっちの出方によってまた向こうの出方も変わる、まさに千変万化する事態に対して対処していかなくちゃいけないということでございますから、あらかじめありとあらゆる事態を想定して書き込めなどというのは、そもそもできない相談だと私は思うんです。
 そういう意味で、この法案、ちょっとこの点はいかがかなと思うのは、予測やおそれという用語が別々に使われておって、その定義をめぐってしばしば議論が展開されております。きょうも冒頭に福田官房長官から御説明の御資料をいただきましたが、しかし、これを読んでわかる国民はなかなかいないと私は思うんですね。下手をすると、ますますわかりにくくなっていると言えないこともない。
 結局、長官の御説明にもありましたように、なかなか、要は、言いにくいんだけれども「あえて申し上げれば、」ということをそれぞれについてわざわざ書いて、「おそれのある場合」「予測されるに至った事態」ということを説明しておられるわけでありますが、私は、そんなことを明確に区分する必要もないだろうと思います。恐らく国語学者に聞けば、では、おそれと予測というのは、どう定義して、どう違うのかということになれば、ほとんど同義語だということなのではないかなと。
 したがって、おそれがある場合や予測される事態も含むというふうに言い切っちゃえば、それぞれの事態の説明に時間を労する必要もないわけでありまして、そこら辺がもうちょっとすっきりしないかなというふうに思っておりますけれども、いかがですか。
中谷国務大臣 この予測とおそれの違いでございますけれども、予測というのは、ある程度前の段階、いわゆる準備段階でございまして、その時点における国際情勢や相手国の動向、そして我が国への武力攻撃の意図、これが推測をされることから見て、我が国に対する武力攻撃が発生する可能性が高いと客観的に判断されるわけであります。この際に、国民の避難の指示とかお願いとか、また自衛隊の待機命令とか、いわゆる準備行動を始める事態であります。
 おそれのある場合は、その後の段階でありまして、我が国への武力攻撃の意図が明示されているところから見て、我が国への武力攻撃が発生する明白な危険が切迫しているということが客観的に認められる事態でありまして、自衛隊法七十六条の防衛出動を下令し得る事態であります。
 こういう事態に際しましては、おそれも含みますけれども、武力の行使というものを実施できる事態でありますが、しかし、そういった行動につきましては、一般の市民の生活がありまして、できるだけ国民の皆さんに迷惑をかけずに、また、そういう事態には安全に過ごしていかなければならないわけでありまして、必要最小限にとどめるという見地で、こういった段階を分けて対処するような基本的な考え方がございます。
岩屋委員 防衛庁長官の説明としてはそうなんだと思うんですけれども、やはり、これは本当に大事な法案だし、国民の皆さんも重大な関心を持って見ておられるし、いざというときは国家の主権、自分たちの生命財産にかかわる、そういう法律でございますから、私は、法律用語としてもさることながら、国語として、やはりわかりやすくできておらなければいけない、こう思うわけでありまして、予測とおそれの違いを説明するのに数分間もかかるようなことではいかがなものかなという感じがどうしてもするわけでございます。
 要は、この有事法制というのは、先ほども申し上げたように、基本的には非常大権付与法というか、そういう性格、性質、本質を持った法律だというふうに思います。でありますから、総理大臣を中心とする対策本部のもとに、出される対処方針、これには各自治体も公共機関等も従っていただく。そして、国民の皆さんもできるだけ協力をしていただく。非常に当たり前な、シンプルな、すきっとした考え方の法律だと思っておりまして、そういうことを事あるごとに、もちろん私どもも努力をいたしますが、政府として、わかりやすく国民の皆さんにお伝えをし理解をしていただく、そういう努力をしていただきたい、こう思います。
 今回の議論を聞いておりますと、例えばこういう御議論がありました。この法案は、いわゆる緊急事態全般を網羅できるものにはなっておらないので、不十分であり、だめだ、こういう御議論もございます。私も、もちろんこの法案で十分であるとは全然思っておりませんで、一刻も早く残された二年の期間の中で関連法を、二年と言わず、できるだけ速やかに整備をしていかなくちゃいかぬ、これはあくまでも第一歩にすぎない、しかし第一歩すら踏めないようなことではしようがないということで、ぜひ成立をさせるべきだ、こう思っておるわけでございます。
 もう一つは、この法案は余りにも古典的な戦闘あるいは古典的な戦争を想定して書かれたものであって用をなさない、こういう御指摘もあったと思います。しかし、私は、その最も古典的なというか基本的な、そういう有事というか、ものに備えるものすら今日まで日本は持てなかったわけでありますから、やはり、言ってみれば零点の状態にあったわけでありますから、まずはその基礎になる点数をしっかりこの法案でとる。まずは五十点をとって一刻も早く百点にこれを近づけていくという意味合いで大いに今回の立法の意義はある、こういうふうに思っております。
 国民の皆さんも、この十年、地震はあった、サリンはまかれた、不審船はやってきた、それから米国での同時多発テロを、テレビであの惨劇を目の当たりにした。本当に、いざというときにこの国は我々の生命財産をしっかり守ってくれるんだろうか、そういう不安感も私は国民の皆さんはお持ちだと思います。したがって、今回の立法を契機に、早急に全般の体制を整備していかなければならないと思うのでございます。
 例えば、アメリカにFEMAという、連邦危機管理準備局だったと思うんですが、組織があって、大地震のときに大変活躍をしたということがあります。しかし、このFEMAという組織は、そもそも核戦争に対応するために考案、組織されたものであって、国家にとって最悪の事態に備えていたからこそ、その他の緊急事態にも対応することができたということだと思うのです。
 今そういう蓋然性があるのか、有事という危険性があるのか、何でそんなことを国会はやっているんだ、こういう御議論もありますが、決してそうじゃない。国家にとって最悪の事態に備える体制があってこそ、ありとあらゆる緊急事態にも応用がきく、こういうことだというふうに思っているわけであります。
 テロ対策や不審船対策についてもしかりでありまして、基本がないところに応用編はないわけでありまして、その基本を今回の立法でつくらせていただくというふうに考えておるし、そういうふうに国民の皆さんに説明すべきだと私は思っておりますが、官房長官、いかがでしょうか。
福田国務大臣 国及び国民の安全にとって最も緊急かつ重大な事態でございます武力攻撃事態に対処する法制は、国の備えとして当然整備をされなければならないものでございまして、国家存立のための基本でもあります。
 今般、政府では、我が国の緊急事態対処の全般について改めて見直すことといたしまして、かかる基本的な法制でございます武力攻撃事態対処法制の整備を図るとともに、安全保障会議の機能強化、武装不審船に対する対処態勢の強化、テロ対策の推進等を進めようとしているところでございます。
 このような政府の考え方につきましては、四月十六日の内閣総理大臣談話において明らかにしているところでございますが、引き続き国民の十分な理解を得るように努めながら、いかなる事態にもすき間なく対処できるように、安全な国づくりを進めてまいりたいと思っております。
岩屋委員 私は、各党の皆さんにもぜひお願いをしたいと思うのであります。
 例えば、民主党さんは、この議論が始まるかなり前に、党としての有事法制に関するというか緊急事態に関する考え方を取りまとめられました。私は非常に敬意を払うべきことだと思っております。しばしば質問に立たれております岡田政調会長も、極めて真摯な姿勢でこの議論に取り組んでいただいておりますし、心から敬意を表したいと思っております。
 自由党さんも、けさの新聞でしたか、党としての独自の案をまとめられると。藤井裕久先生が冒頭の質問でそういうことをおっしゃっておられましたが、恐らく、小沢一郎先生の年来の御主張に基づくそれなりの統一感、整合性を持ったそういう案になって出てくるものと思います。今骨子をちょっと同僚議員から渡していただきました。まだ勉強していないので、勉強させていただいて、機会があればぜひ議論もさせていただきたい、こう思っております。
 それから、他の政党の皆様も、まさか有事法制というかそういう危機管理体制が全くなくていいなどと思っているところもないはずでございまして、やはり、各党の英知というか国会の英知を結集してこの法案はぜひ成立をさせるべきだと思います。
 これは、それぞれがばらばらのことを言っておって、おれたちはそもそも反対だとか、いや、おれたちは百点じゃないから嫌だとか、そういうことを言って国会がばらばらに対応してこの法案が成立をするということは、本来は事柄の性質上望ましくないことだと思うんです。
 米田建三先生の質疑の中にもありましたか、要するに、こういう法律があることが抑止力につながるんではないかと。私はそのとおりだと思っておりまして、だとするならば、日本の国論ができるだけこの問題については統一をしておる、各党の主義主張はいろいろあるけれども大方まとまって日本に有事法制が見事にできたということが我が国の抑止力を高めるということにもなっていくと思うので、ぜひお互いにそういう姿勢で残りの議論を進めていかなければいけない、こう思っているところでございます。
 官房長官、もう一つの基本論に、国民の権利の制限、そして国民の協力という問題がございます。
 言うまでもないことですけれども、武力攻撃事態というのは、国家の主権が脅かされる、国民の生命財産が直接危険にさらされるということでございます。一刻も早くこれを撃退し排除する、これが何よりの目的になるわけでございます。
 国民の皆さんの基本的人権、もちろん平時においては一〇〇%保障されておらなければならない。けれども、有事に際しては、武力攻撃事態に際しては、人権の最たるものは生きる権利でございますから、命でございますから、命なくして人権もへったくれもないわけでございまして、一時的に、必要な限りにおいてそれが制限されることはやむを得ない。しかし、事態が終結し次第、政府においてその損失はきっちりまた補償をされなければならないという考え方は、今法案においてもきちんと貫かれておる、こういうふうに思うわけでございます。
 国民の皆様にも、何も銃をとってくれと言っているわけではない。石破先生御指摘のように、対策本部の指示に従って、できるだけ速やかに安全なところに相協力して避難をしていただく。これは、いたずらな非協力は、みずからの命を危険にさらすばかりでなく、その他の命をも危険にさらすことにつながるわけでありまして、協力をしていただくべきことは私は当然のことだと思います。本来は、責務と書いておっても決しておかしくないことではないかな、こう思っているんであります。
 この当たり前のことは、国民の皆さんに真摯に問いかければ必ず御理解をいただける、こう思うんでございますけれども、この国民の権利の一時的な制限、そしてその回復、さらには国民の協力といったことについて、官房長官の御説明を改めてお伺いしたいと思います。
福田国務大臣 国民であるからには、国民の権利、そしてまた国民の義務という双方があると思います。そのバランスの上に成り立っているものであると思いますけれども、武力攻撃事態におきましても、やむを得ず国民の権利を制限するということは、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉のために必要最小限のものでなければならない。そして、このことは、「国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という憲法第十三条の趣旨に沿ったものでございます。
 また、武力攻撃事態において、国、地方公共団体及び指定公共機関が対処措置を実施する際には、国及び国民の安全の確保のために、国民の方々にも御協力いただけるものと期待しており、国民の協力について規定をしております。この規定は、法的に拘束するものではございませんが、国民の方々に、それぞれの置かれた状況の中で、避難また被災者の保護等に関してできる限りの協力をいただきたい、こういうように考えているところでございます。
岩屋委員 それでは、各論というか個別の話に入る前に、といっても、だんだん時間がなくなってきておりますが、防衛庁長官に基本的な問題を一つお伺いさせていただきたいなと思うんでございます。それは、集団的自衛権の問題なんです。
 私は、これまでの政府の集団的自衛権の定義というのは、どうも違和感がある、おかしいなとずっとずっと思い続けてきたんでございますが、念のために、集団的自衛権の定義をちょっと正確に聞かせてください。
中谷国務大臣 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされておりまして、我が国が国際法上この集団的自衛権を有しているということは、主権国家である以上、当然でございます。こういう意味でございます。
岩屋委員 自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な国が攻撃されたときに、これを実力で排除する権利が集団的自衛権だという解釈というか定義ですけれども、これは我が日本政府がためにした定義であって、それが国際社会の中で共通の定義なのかなということを私は非常に疑問に思っているんです。
 というのは、よく引き合いに出される国連憲章の中にこのくだりが出てくるわけですけれども、それは、加盟国が他国から攻撃をされた場合に、国連が正式に動くまでの間は、個別的並びに集団的自衛権をもって対処すべしということが書かれてある。このくだりで出てくるわけですね。
 ということは、集団的自衛権というのはどう読むべきかというと、同盟国の支援を得て、密接な関係にある国の支援を得て自国を防衛する権利と読むのがこの文脈からいえば私は正しいのではないか、あるいは、もう一歩だけ踏み込むと、同盟国と相共同して相互を防衛する権利のことを集団的自衛権というのではないか、そういう定義の方が正しいのではないかなというふうにずっと思っておりました。
 今回の法案は、日米安保に基づいて米軍と共同して対処することが前提となっている法案ですね。ということは、米軍の支援を得て、同盟国の支援を得て我が国を防衛するということは、それは集団的自衛権を行使するというふうに読むのが、私は、本来の国語であり、正しい定義、解釈なのではないかとずっと思ってきておるわけでございます。
 なぜこんなことを言うかというと、今回の法律案は、もちろん日本が攻められたときに反撃するということなんで、個別的自衛権の世界なんで、集団的自衛権は関係ないよという整理のもとにつくられております。しかし、たびたび説明がありましたように、周辺事態法と併存する状態がある。周辺事態法は、あくまでも集団的自衛権行使にかかわらないように、武力行使と一体化しないようにというたがをはめておるのに、併存する武力攻撃事態の方では、いや、それは我が方の問題だから米軍と共同してやるんだ、その米軍には支援をするんだ、こういうことになっておって、しからば、集団的自衛権の問題はどうなんだと、必ずこの議論に、壁にぶち当たるわけでありまして、私は、本当は、この集団的自衛権は正しい定義に変えるべきだと。もっと言うと、憲法解釈を変えるべきだということでございますけれども、本当はそこまで行かなきゃいつまでたってもまともな日本の安全保障政策はつくれないと私は思っているんであります。
 したがって、集団的自衛権は、我が国は有してもいるし、行使することもできる、ただし、同盟国が攻撃されたときに出ていくかどうかという判断は、あくまでも政府の政策判断であり政治判断である、こういうふうに構えるのが私は正しいと思うし、本来はそうあるべきだと思っておるんですが、今すぐにどうこうしろとは言いませんが、防衛庁長官のお考えを聞かせてください。
中谷国務大臣 この議論の定義となる自衛権ということにつきましては、我が国の場合、過去の国会答弁で、日本国憲法は自衛権は禁止していないけれども、自衛権の行使、発動については自衛権発動の三要件に限られるというのが従来からの説明でありまして、この三要件は、我が国に対する急迫不正の侵害があること、これを排除するために他の適当な手段がないこと、必要最小限度の実力行使にとどめるべきことというふうになっております。したがいまして、集団的自衛権につきましては、行使し得ないという立場でございます。
岩屋委員 ですから、もう深くは聞きませんが、今の政府の定義は、私にあえて言わしめれば、集団的自衛権ではなくて、集団的他衛権のことですね。そうですね。自分のところは攻められていない、同盟国、仲間が攻められている、だからそこに行って加勢するんだといったら、集団的他衛権ですね。だから、国語というか特に漢字にはそれぞれ意味があるわけでございまして、正しく使わなきゃいかぬと思いますね。これは、ぜひお互いに議論をして、いつかは乗り越えましょう。そう思っておるわけでございます。
 それで、時間がなくなりましたが、では一、二点だけお伺いして終わりたいと思いますけれども。
 石破委員の議論の中にもあったと思います。自衛隊の地位をどう明確化するか、位置づけるかということでございますが、特に私が心配しておりますのは、いざ武力攻撃事態になった場合に、戦闘が行われる、相手を捕まえることもあれば、こっちも捕まることもある、お互いに捕虜になることもあるというのは、当然想定されることだと思います。
 ところが、例えば捕虜の待遇ということをとってみても、自衛隊並びに自衛隊員の地位というものが明確になっておらないと、とんでもない不当な扱いを受けることになりはせぬかということを心配しているわけでございます。ジュネーブ条約によって、捕虜になった軍人は人道的な処遇を受けることになっております。一方で、武装軍隊の構成員にあらざる個人が行う交戦行為は、むしろ戦争犯罪に問われる、これはハーグ陸戦法規でございますが。これが国際社会の常識だと思うんですね。
 ところが、我が政府は、自衛隊は一般に言う軍隊ではないということを言い通してきているわけでございまして、先ほどの長官の答弁では、必ずしもそういうニュアンスではありませんでしたけれども、私は、ここのところをしっかりとしておかないと有事に備えるということにはならない、我が国に対して武力攻撃を行う某国が、身柄を拘束した自衛官を、日本政府はこれは軍人じゃないと言っているんだから軍人として扱う必要がないということも起こり得る可能性がある、こう思うわけでございますけれども、その点についてはいかがですか、やはり国際法上の地位というものを明確にしておく必要があるんじゃないでしょうか。
中谷国務大臣 今お話がございましたジュネーブ条約ということにつきましては、武力紛争に際して武力を行使することを任務とする国家の組織を指すものと考えられるところ、自衛隊は、外国からの武力攻撃に際して我が国を防衛することを主たる任務とする組織でございまして、こういう意味におきまして、自衛隊は同条約上の軍隊、自衛官は同条約上の軍隊の構成員として取り扱われるものと考えられるわけでございます。
 しかしながら、我が国におきましては、憲法によりまして、司法につきましては特別裁判所に当たるものが禁止をされております。これは憲法七十六条でございまして、旧軍の軍法会議のような通常の裁判体系と切り離されたものは許されていないということでございます。
 このジュネーブ条約につきましては批准をいたしておりますが、それの法律整備がなされていないということでございまして、私は、早期にこの整備を図る必要があるというふうに思っております。
岩屋委員 今の長官の御答弁の中にも出てきておりましたが、もう一つの心配は、果たして有事になったときに本当に自衛隊は役に立つのか。ちょっと言い方は余りよくありませんが、つまり、国民の皆さんに対しては、官房長官おっしゃったように、協力していただくことを期待する、特に明確な義務も処罰も設けなくてそれはいいかもしれない。しかし、実際に武力攻撃を排除する、その戦闘行為に当たる自衛隊は、やはり一つの軍隊としての規律が明確に保たれなければ、とても武力攻撃に対処するということにはならないと思うのでございます。
 そういう意味で、今もちょっとお話がありましたが、日本には軍法がない、軍刑法がない、したがって軍事裁判もない。自衛官は一般市民と同様の裁判権を持っておりますが。しかし、各国ともに、やはり軍というものの性格あるいは特殊性、その使命にかんがみて、独自の、軍だけに適用される法体系を持っている。これは、自衛隊の皆さんに対して、指示に従っていただくことを心から期待していますと言うだけで済ますわけにはいかないので、やはりこれについても、自衛隊を正式に軍隊と認めて、軍人としての名誉、処遇をしっかり与える一方で、また、厳しい軍刑法、あるいは、軍事裁判という名称が適当かどうかは別にして、そういう特殊な裁判制度というものも考案されてしかるべきではないかな、こう思うのでございますが、その点についてはいかがでしょうか。
中谷国務大臣 各国の交戦規定とか、また自衛権等の考え方は万国共通なルールのもとに行っていくのがしかるべきだというふうに思っておりまして、そういう意味におきましては、国際法や国際慣習に従って自衛隊も行動すべきでございますし、また、我が国におきましても、そういった国際的なルール及び我が国における法令に基づいた行動が必要でございまして、そういう中で今後とも検討してまいりたいというふうに考えております。
岩屋委員 例えば永世中立国スイスの軍刑法でも、敵前逃亡は死刑でございます。各国もほぼ同じようなことでございまして、私、好んでそういう話ばかりをしたいとは全然思いませんけれども、武力攻撃事態を排除せんとする組織においてはやはりそのぐらいの厳しい規律というものが必要だということは、この際しっかり指摘をさせていただきたい、こう思います。
 それでは、もう時間が大分なくなってきましたが、官房長官に安全保障会議法の一部改正についてちょっと伺いたいと思います。
 事態対処専門委員会、第八条ですが、これを設置することとなっておりますが、この委員会は常設されるんでしょうか、そして、その委員会にはどのような職員を任命することになっているのか、御説明いただきたいと思います。
福田国務大臣 今回の安全保障会議設置法の一部改正案によりまして設置することといたしております事態対処専門委員会につきましては、常設でございます。常設するものであり、この委員会の委員につきましては、内閣官房及び関係省庁の中から局長級以上の関係者を任命しようというように考えております。
 委員の任命を含めまして、委員会の具体的な運営につきましては今後定めていくことになりますが、内閣官房長官のもとで平素から専門的な調査分析を行い、会議への進言を行うことにより、事態対処に関する会議の審議を的確に補佐するということは十分可能であるというように考えております。
 また、委員の任命につきましては、関係省庁から専門的知見を有する関係者を選定すべきことは当然でございます。
岩屋委員 しかし、私、ちょっとこれは、そのようなことだけでいいのかなという感じがしてなりません。というのは、この局長級の委員会を平素から開催する、こうなっておりますが、その事務局は常設されるということになっておらないですよね。だから、やはり私は、この事態対処専門委員会には常設の事務局を設けて、そこにしかるべき人材を備えて日ごろから準備をしておく必要があるんではないかな、こう思っておりますが、いかがですか。
福田国務大臣 この法案が成立をいたしましたならば、どのような体制でこの会議を運営していくかということについて早速検討を行いたいと思っておりますけれども、内閣官房が中心となりまして、そして、事務局を置くかどうか、事務局を置くのであればどのような規模のものを置くかとかいったようなことを総合的に考えていかなければいけないと思っております。
岩屋委員 それと、その事務局なるもの、事態対処専門委員会に一体どういう情報が入るかということなんですけれども、私は、日本の場合は、それぞれのいわゆる情報を扱う機関はそれぞれにかなり立派な仕事をしていただいていると思うんですけれども、何せそれを統合運用するしっかりした仕組みができておらないというふうにかねてから思っておりました。
 外務省にもそういう組織があり、防衛庁にももちろんあり、警察にもあり、公安調査庁にもあり、今度人工衛星が打ち上げられて上からも見る。しからば、そういう情報をいかに統合運用できるかという組織をいよいよ日本も立ち上げないことには、攻められたときの準備ばかりしておって、攻められなくするということがもちろんその前にもっと大事なわけでありますが、そういういわゆるインテリジェンスコミュニティーですね、情報の統合運用のための組織をこの危機管理体制の一環として整備すべきだと思いますが、それについての官房長官の御意見を伺って、質問を終わりたいと思います。
福田国務大臣 ただいま申し上げましたように、その体制についてこれから十分に考えてまいりたいと思いますが、御意見は、本日のところ、承っておくということにさせていただきます。
岩屋委員 しっかりやってください。
 時間が来たので終わります。


2002/05/16

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