2001年5月30日

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公共事業を国民の手に取り戻す委員会・最終答申(要旨)
「ポスト公共事業」

一 麻薬づけの社会

 これまで指摘してきたように、日本社会は公共事業に深く広く支配されてきた。公共事業が日本の財政や環境をぼろぼろにしていると知りながら、とりあえず「明日食うために」という名目で、それに依存してきたのである。そしてそのような公共事業のバラマキを続けているうちに、いつしか全員がそれなくしては生きていけないという状態になった。

 ばらまいてもばらまいても景気は回復しない。だからばらまきをもっと増やしていく。このような状態を「麻薬づけの社会」というのである。


二 過疎とは何か

  1. 過疎地域には以下のような特徴が見られる。

  2. 人口は減り続けている。

  3. 高齢者が増えてきている。

  4. 当初、このような地域では農業、林業、漁業などのいわゆる第一次産業が主流であったが、最近は土木・建設が主流となった。

  5. 財政は国(交付税や補助金)に頼らざるを得ず、とりわけ各種公共事業は、ほぼ国が全面的に補填する「過疎債」によって行われてきた。
  6. 最近の不況と税収不足は自治体財政を直撃し、これらの地域は独自の回復手段を持っていない。国あるいは県の地方交付税の抑制や公共事業の縮小は、ストレートに自治体財政に影響し、今や自治体そのものの存続にかかわる不安を与えている。



三 これまでの対策

 過疎法は地域振興、活性化などの目標を実現するために、特別な財政措置(過疎債)、行政措置(道路や港湾、漁港などの整備)、金融措置(農林金融公庫からの貸し付け)、税制措置(減価償却などの特例)を講じてきた。特に、過疎対策として人口の増大、あるいは格差是正のために産業の振興、交通体系の整備、生活環境の整備などが不可欠だとして重点的に投資してきた。

 こうして昭和45年から今日まで、おおよそ62兆円という巨額な税金が過疎対策として投入されてきた。


四 何が残ったか

 しかしこれら様々な対策にもかかわらず、これら過疎自治体の問題はほとんど解消されていないように見える。最も大きな問題である人口減は解消しなかった。新しい産業も生まれなかった。せっかく呼んできた企業も、今やさらに人件費の安い海外などに移転を始めている。若年層は好むと好まないにかかわらず、そもそも仕事がないので、自分の生まれ育った町や村を去らなければならないのである。自治体の財政はいっそう悪化し、膨大な借金は返す当てもない。道路を走る車もわずかで、せっかく行った農業基盤整備事業も、就業機会をもたらしたが、肝心の田畑は耕作する者もいないまま草ぼうぼうという状態だ。集落は寸断され、「美しい国土」は今や見る形もない。

 彼らは、公共事業なしには生きていけないこと、しかしそれを継続していってもまた何も生み出さないことの双方を痛いほどよく知っているのである。


五 自立へ

 このような深刻な事態は、今までの政策の延長上では解決できない。それは、これら政策の前提になっている政策目標そのものに問題があるからである。

 過疎法をはじめとするハンディキャップ法はすべて、人口が減少することは悪であり、他の地域と比べて道路や学校がみすぼらしいのは恥ずかしいことである、従って人口を増やすことあるいは格差を是正するということが政策目標となっていた。

 しかし、今後日本では過疎地域だけでなく、全体としても人口が減少していくのは確実であり、これら過疎地域が大都市に近づくというのもまったくの幻想なのである。また自分の地域だけはそうはしないと頑張ってみても、従来の政策のままでは不可能だということも知らなければならない。

 つまり、人口増や格差是正といった政策を捨てなければならないのである。むしろ、このような地域には都市には絶対にない貴重な価値がある、ということを認めた上で、大都市とこれらの地域は棲みわけをし、協働すべきなのである。

 公共事業に依存しない山間地域の自立の可能性がここにある。
 以下、これを政策的に取りまとめれば次のようになる。

  1. 各地域、各自治体は自らの持つ価値を再認識すべきであり、自立の可能性はここにかかっている。

  2. 国や県は市町村の新しい実験を応援すべきである。当委員会はすでに公共事業の質の転換を求めて、全国総合開発計画と各種中長期計画の廃止、そして公共事業の「国営事業」と「市民事業」の分離を提言している。この前提に立って、援助の部分は新たに設計し直さなければならない。

    このシステムのもとでは、市町村はまず「ヒモのつかない財源」(一括交付金として、現在得ているのと同じ金額)を持ち、これを自由に使うことができる。

    福祉事業を選択するか土木事業を選択するか、あるいは土木事業の中でも道路を選択するか下水道を選択するか、すべて自分自身の責任で決めるのである。美しい村、古くからの文化の再生にそのすべてをつぎこんでももちろん良い。国や県は、この選択に異議を述べてはならない。

  3. 自由な選択のもと、自治体はこれまでにない新しい事業を発見していくであろう。すでに1975年、「農業を継続させることにより、必要最小限の人口を維持し、あるいは田園を保護するため、山岳地域やその他の条件不利地域を対象」としてEC(現在のEU)で導入された「直接支払制度」は、日本でも1999年「中山間地域等直接支払制度」として結実していて、現在1700の市町村が実施している。今のところ事業規模は700億円程度であるが、将来は飛躍的に拡大されるだろう。その他、公的介護、環境回復産業(森林や河川と海の回復。これらは既存の公共施設のメンテナンスと共に、将来の大きな産業になると推測されている)、太陽光、風力、潮力、バイオマスなどのエネルギー、そしてその地域の文化を伝える祭りやイベント、さらには都市住民のための住宅や宿泊施設、あるいは癒しや生産の場としての農地や農園の提供等の様々な可能性が追求される。

  4. これらの事業も最初は自治体の公共事業として、あるいは企業が営利追求の一貫として行われる。しかし最も大事なのは、そのうち役所や企業よりもはるかに多く、公益的な法人(NPO、公益法人、あるいは第三セクターやPFI)によって担われるということである。

    ここに掲げられた事業は、収入は必要であるが、莫大な利益は必要としない。それは単純な労働としてではなく、生きがいとして行われる必要がある。またそれは若年層だけでなく、高齢者や女性などの知恵がなければうまく運用できないであろう。
     ここでは公共経済でも市場経済でもない新しい「第三の道」、すなわち新しい主体による公益経済が実施されていくのである。

  5. これら自由な事業を行っていく中で、地域で最も必要とされる人材が育っていく。彼らは最終的に、ちょっとした便利さや機能よりも、個人、家族、地域の「美」を選択していくであろう。

 「ポスト公共事業」とは、こういう社会を作ることである。

以上


2001年5月30日

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