2004年6月22日 目次 1     戻るホーム憲法目次

民主党憲法調査会「中間報告」 第1小委員会:総論


文明史的転換に対応する創憲を
−クローバル化・情報化の中の新しい憲法のかたちをめざして−

憲法をめぐる論議が盛んになるにつれて、私たちは何を議論しなくてはいけないのか、どのような検討を行うべきなのか、次第に明瞭になってきた。それは、21世紀の新しい時代を迎えて、現在の日本国憲法をいかにして深化・発展させていくかというものであり、未来志向の憲法構想を、勇気をもって打ち立てるということである。

1.いま何故、憲法論議が必要なのか?

私たちはいま、文明史的転換期に立っている。

第1に、近代社会の国家間の暴力や戦争、帝国的な民族支配に代わって、国際テロ・民族浄化・宗教紛争や新型ウィルスの発生、地球温暖化問題など新しい共通の脅威が地球上を覆い始めている。これに伴い紛争の形態も変化し、「国際協調による共同の解決」が主流となりつつある。

第2に、社会の中心的動力が、これまでの「物質的富」に代わって、「情報」にシフトしていくということである。急速な情報化は、人間社会の基本が、人間と人間、社会と社会の間の「コミュニケーション」にあることをいよいよ明らかにしつつある。物質をめぐるゼロサム・ゲームに対して、情報を通じたプラスサム・ゲームへと歴史は大きく転換する。このコミュニケーションに対する権利が新しい世紀の鍵ともなっていく。

第3に、環境権、自己決定権、子どもの発達の権利、少数民族の権利など、21世紀型の新しい権利の台頭は、人間の尊厳が、国家の枠を超えて保障されるべきものであるとの「地球市民的価値」を定着させてきている。

第4に、世界において人間一人ひとりの力が急速に上昇し、情報化技術によって地球規模のネットワークを生み出して、言わば人と人を横に結ぶ「連帯革命」が生まれている。それは、各種国際会議へのNPOの参加となって表面化し、あるいは世界的傾向としての「分権革命」の運動となっている。

そして、これらの紛争形態の変化、大きな価値転換や構造変動に伴って、これまで絶対的な存在と見られてきた国家主権や国民概念も着実に変容し始めている。EUでは、「国家主権の移譲」や「主権の共有」が歴史を動かしている。国際人権法体系の整備は、一国の中の人権問題もそれを国際的な「法の支配」の下に置きつつある。国境の壁がいよいよ低くなり、外国人であっても「地球市民」としてその基本的権利を保護する義務を政府は果たさなければならない。私たちはいま、こうした文明史的な転換に対応するスケールの大きな憲法論議を推し進めていくことが求められているのである。

こうした大きな眺望の下に立つとき、いま私たちが試みなければならない憲法論議の質が、懐古的な改憲論や守旧的な護憲論にとどまるものでないことは明らかである。いま必要なのは、こうした歴史の大転換に応えて<前に向かって>歩み出す勇気と、日本が国際社会の先陣を切る決意で、21世紀の新時代のモデルとなる、新たなタイプの憲法を構想する<地球市民的想像力>である。

2.未来を展望し、前に向かって進む

しかしいま、日本では、一方に、既成事実を積み重ねて憲法の「空洞化」を目論む動きがある。他方には、憲法の「形骸化」にもかかわらず、それを放置しようとする人たちがいる。私たちは、憲法の空洞化も形骸化も許さず、これを国民生活の中に生きたものとして発展させたいと考える。そのためには、目先の利害や政治的駆け引きにとらわれることのなく、50年、100年先を見通した、骨太の憲法論議が必要である。私たちは、ここにそのための基本的視点を提起し、前へ進みたいと考えている。

第1は、グローバル社会の到来に対応する「国家」のあり方についてである。

そもそも、近代憲法は、国民国家創設の時代の、国家独立と国民形成のシンボルとして生まれたものである。それらに共通するものは、国家主権の絶対性であり、国家による戦争の正当化であった。これに対して、戦後日本が制定した日本国憲法は、国連を軸とした国際秩序に信を寄せて立国の基本を定めたという点で画期的なものであり、国家主権それ自体を相対化する試みとして実に注目すべき内実を備えている。

21世紀の新しいタイプの憲法は、この主権の縮減、主権の抑制と共有化という歴史の流れをさらに確実なものとし、これに向けて邁進する国家の基本法として構想されるべきである。国家のあり方が求められているのであって、それは例えば、ヨーロッパ連合の壮大な実験のように、「国家主権の移譲」あるいは「主権の共有」という新しい姿を提起している。

第2に、急速に進展する情報化が「個人」と「社会」のあり方そのものを劇的に変化させている。

個人はこれまで、地域社会や階級・民族など様々な中間的団体組織へ組み込まれて、その中で人生を全うすることを余儀なくされてきた。このため、近代社会において、「国家権力からの自由」は憲法によって保障されることになったものの、私的領域とされたこれらの社会や組織の中では、人権保障はなかなか及ばないとされてきた。家族という親密な共同体の下では、「法の下の平等」など想定もされなかった。

しかし、国民の権利意識の向上と情報化の進展は、家族における抑圧や、民族や宗教の名による人権の侵害、企業権力による不当な差別をも、憲法の下に据えることを要求している。とりわけ、情報化がもたらす新しい権利侵害に対して「新しい権利」も提起されている。プライバシーの権利や情報へのアクセス権、国民の知る権利、あるいは文化的少数者の権利などは、そうした新しい時代に応える権利の要請である。未来志向の憲法は、まずこの課題に応えていかなければいけない。

第3に、「自然と人間の共生」にかかわる環境権の主張もまた例外ではない。21世紀型の新しい人権の確立に向けて、時代は大きく展開しようとしている。

私たちは、日本が培ってきた「和の文化」と「自然に対する畏怖」の感情を大切にするべきであると考えている。「和」とは、調和のことであり、社会の「平和」を指すものである。21世紀のキーワードはいまや、「環境」「自然と人間の共生」、そして「平和」であり、日本の伝統的価値観の中にその可能性を見出し、それを憲法規範中に生かす知恵がいま必要である。

そして第4に、人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基礎を据えた社会は、異質な価値観に対しても寛容な「多文化社会」をめざすものでなくてはいけない。これもまた、唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、進取の気風に満ち、日本社会に根付いた文化融合型の価値観を大いに生かすことができるものである。

3.新たなタイプの憲法の創造に向かって

この憲法の名宛人は、どこなのか、誰なのか。従来は「国家」とされてきたが、今日では国民統合の価値を体現するという意味を込めて、国民一人ひとりへのメッセージであるとともに、広く世界に向けて日本が発信する宣言でもあることが期待される。

もともと、「憲法(コンスティテューション)」とは、国家権力の恣意や一方的な暴力を抑制することに意味があった。あるいは国家権力からの自由を確保することにあった。これは、言わば「…するべからず」というものであるが、これに対して、今日求められているものは、こうした「べからず集」としての憲法に加えて、新しい人権、新しい国の姿を国民の規範として指し示すメッセージとしての意味を有するものである。時代はいま、禁止・抑制・解放のための最高ルールとしての憲法から、希望・実現・創造のための新たなタイプの憲法の形成を強く求めている。

新しいタイプの憲法は、何よりもまず、日本国民の意思を表明し、世界に対して国のあり方を示す一種の「宣言」としての意味合いを強く持つものでなければならない。そのことを通じて、これを国民と国家の強い規範として、国民一人ひとりがどのような価値を基本に行動をとるべきなのかを示すものであることが望ましいと考える。同時に、憲法は、法規範としての機能を果たさなければいけない。それを侵すならば、それに相応しいペナルティが課せられる「法の支配」が貫徹されるものとすることが重要だ。新しいタイプの憲法は、日本国民の「精神」あるいは「意志」を謳った部分と、人間の自立を支え、社会の安全を確保する国(中央政府及び地方政府)の活動を律する「枠組み」あるいは「ルール」を謳った部分の二つから構成されるべきである。
 
4.憲法を国民の手に取り戻すために

今日の日本政治の現実は、こうした時代の流れに逆行し、憲法の形骸化・空洞化を推し進めている。いまや、憲法は「クローゼット中に」押し込まれて、国民の日常生活や現実政治とは遠いところに置かれている。どのように立派な法であっても、それが不断に守られ、生かされるのでなければ、国の枠組みやあり方を規制する基本法としての役割は果たせない。この現状を克服し、「法の支配」を確立することがいま何よりも必要である。

私たちは、こうした憲法の「空洞化」の最大の要因の一つに、いわゆる9条問題があると受け止めている。「武力の保持」を禁止した憲法にもかかわらず、世界屈指の軍隊としての自衛隊を保有し、その海外派遣を繰り返す姿に、立憲政治の重みは存在しない。国民の多くは、憲法に対して言わばシニカルになり、この国に立憲政治の実現を期待することも止めてしまうのではないかと懸念する。この現状を変えるとともに、先に示した憲法の基本価値を実現する政治、人間の自立を支える新たな仕組みへと転換させていくことが重要である。

未来志向の憲法を打ち立てるに際しては、国民の強い意志がそこに反映されることが重要である。しかし、日本ではこれまで、憲法制定や改正において、日本国民の意思がそのまま反映される国民投票を一度も経験したことがない。私たちは、憲法を国民の手に取り戻すためにも、やはり国民による直接的な意思の表明と選択が大事であること強く受け止めている。


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