2002/06/12 戻るホーム憲法目次

平成十四年六月十二日(水曜日)
   午後一時一分開会
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   参考人
       中央大学法学部 教授    横田 洋三君
       神戸大学大学院
       国際協力研究科 助教授  戸塚 悦朗君
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  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査(基本的人権 ― 人権の国際化)

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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「基本的人権」のうち、「人権の国際化」について、中央大学法学部教授の横田洋三参考人及び神戸大学大学院国際協力研究科助教授の戸塚悦朗参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を承り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、横田参考人、戸塚参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず横田参考人にお願いいたします。横田参考人。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 本日は、人権の国際化に関しまして参考人として意見を述べる機会を与えていただきまして、お礼を申し上げます。
 最初に、自己紹介を兼ねまして、参考人と人権とのかかわりにつきまして簡単に述べさせていただきます。
 参考人の専門分野は国際公法及び国際機構法でございます。特に、その中でも国際人権法、とりわけ国連による人権分野の人権基準設定及び監視活動について研究を進めてまいりました。その間、一九八八年から二〇〇〇年までの十二年間、国連の人権促進保護小委員会の代理委員を務めさせていただきました。また、二〇〇〇年からは、その国連人権促進保護小委員会の委員に選出され、現在に至っております。一九九二年から九六年まで、国連人権委員会のミャンマー、ビルマですが、ミャンマー担当特別報告者となり、毎年ミャンマーを訪れ、同国の人権状況をまとめて国連に報告するという仕事をしました。また、一九九八年には、人権の分野で国際的に定評のあるNGOの国際法律家委員会、ICJと略されておりますが、その委員を務めており、本年よりその理事になっております。
 以上が参考人と国際人権とのかかわりについての概略でございます。
 続きまして、本日のテーマである人権の国際化の意味について卑見を披露させていただきます。
 人権は本来、普遍的なものです。つまり、人はだれでも、いつでも、どこでも自由かつ平等であり、人間として尊厳を持って扱われなくてはいけません。言い換えると、人権は元来、国際性を持つものだということです。
 しかし、人権は、実際には各国の憲法秩序の下で国内法の枠内で保障されてまいりました。それは、統一的中央政府が存在せず、複数の主権国家によって分権的に秩序が維持されるという国際社会に固有の制度の在り方が原因でありました。すなわち、国際社会は主権国家相互の関係から成り立つものであって、個人の問題は人権を含み各国の国内で政府の権威の下で処理されるという体制をこれまで取ってきたわけです。その結果としまして、人権はしばしば各国家の人権状況によっては政府によって侵害を受けるという、そういう忌まわしい歴史を刻んでまいりました。
 どうしてかといいますと、国家の行為を規律する国際法の中に人権ということを規定するものが十分な形で存在してこなかったからです。つまり、個人の問題は国内法、国内憲法の問題だというとらえ方を従来してきたということです。
 ところで、一九四五年に発効した国連憲章は、第二次世界大戦中における特に国家による大規模かつ極端な人権侵害を反省しまして、人権の尊重が平和の基礎であるとして、人権尊重の促進を国連の目的の一つとして掲げました。具体的に申しますと、国連憲章第一条三項は、「人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。」、これを国連の目的の一つとして規定しました。
 この規定を受けまして、国連は、一九四六年に国家代表によって構成される人権委員会を設置しました。また、翌四七年には個人的資格で選出された委員によって構成される人権促進保護小委員会などの人権機関を作りました。
 こうして、これらの機関を通じて国際的人権基準の設定とその履行監視、モニタリングと言っておりますが、そういう活動を国連は行ってきました。そのほかにも、人権に関する調査研究、技術協力、教育啓発活動なども行ってまいりました。
 このような人権分野における国連を中心にした人権機関の活動の結果、一九四八年十二月十日には、御存じのとおり、世界人権宣言が国連総会で採択されました。また、その後、条約として、ジェノサイド禁止条約、集団殺害禁止条約ですが、それから難民条約、経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約、市民的、政治的権利に関する国際規約、拷問禁止条約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、こういった重要な人権関係の条約を起草し、そして採択してまいりました。
 ついでですけれども、日本の場合、これらの条約のうち、集団殺害に関する条約には加入しておりませんが、それ以外の主要な人権条約には日本はすべて加入していることは、先生方御存じのとおりでございます。
 また、国連は、人種隔離政策、アパルトヘイトを行ってきた南アフリカや、クルド人に対して抑圧的政策を取ってきたイラクに対して経済制裁を科したり、また、私が少し関係しましたが、ミャンマー、それからスーダン、キューバ、アフガニスタンなどの人権状況の悪い国につきまして、その状況を調査し勧告をするというような監視活動もしてまいりました。
 このように、本来、普遍的、国際的であるべき人権が、それまでの国際的な体制の下では十分に国際的に保障される状況になかったのですけれども、それが第二次世界大戦後、国連の下で国連及び国際社会の関心事項として位置付けられ、国際的に人権の尊重を促進し推進していくという活動が国連を中心に展開されるようになりました。
 こうして、本来、理念的に国際的であるはずの人権が、第二次世界大戦後、国連の下でようやく法的、制度的にも国際的に扱われるようになったと言ってよろしいかと思います。人権の国際化は、このようにして、理念的にもまた法制度的にも実現されてまいりました。
 次に、日本の人権と世界の人権について少し考え方を述べさせていただきたいと思います。
 一九四七年に公布された日本国憲法は、当時としては世界でも最先端を行く充実した内容の人権規定を持っております。日本国憲法第十一条から四十条までの三十か条のうち、ほとんどの規定は、法の前の平等、奴隷や差別の禁止、通信、移動、居住、思想、良心、表現、信教、結社、集会、学問といったような様々な自由権、こういったものを規定しております。
 この憲法の人権規定が当時においていかに先進的であったかということは、お手元のレジュメの次に資料がございまして、世界人権宣言と日本国憲法の人権規定比較表があります。これは実は私が作成したものなんですけれども、個々の規定については多少表現上の違いがありますが、人権項目としてはほとんどについて世界人権宣言と日本国憲法は共通の規定を持っております。その中には、貴族の禁止あるいは幸福追求の権利のように、日本国憲法には規定がありますが世界人権宣言には規定がないものもあります。他方、無罪の推定や母子の権利のように、世界人権宣言にはあって日本国憲法にない規定もあります。しかし、ほとんどの規定は、ごらんのとおり共通して人権が規定されているという状況でございます。このように、日本国憲法と世界人権宣言の間には人権規定に関してほとんど優劣がないと申してもよいかと存じます。
 その上、日本国憲法の公布は一九四七年五月三日です。他方、世界人権宣言の採択はその一年半後でございます。つまり、一九四八年十二月十日でございます。こういうふうに見ますと、同じような人権の規定が日本国憲法と世界人権宣言の中に見られるわけですけれども、それが、日本の憲法の方が一年半も早い時点で、つまり世界に先駆けて充実した人権規定を持った憲法である、こういうふうに申してよろしいかと思います。別の言い方をしますと、一九四七年、四八年の時点においては、世界の人権に関する規定あるいは物の考え方とそれから日本における人権の規定そして人権に関する考え方の間にそれほど大きなギャップはなかった、場合によっては日本の方が少し進んでいる規定も存在したということが言えるかと思います。
 ところが、その後、国際社会では国連を中心に人権に関する調査研究が進み、また人権をめぐる議論が活発に展開されてまいりました。その結果、集団殺害、死刑廃止、難民の保護、女性の権利、子供の権利、少数者の権利、先住民族の権利、障害者の権利、不処罰の禁止、不処罰の禁止というのは、極端な人権侵害を行った実行犯などをいろいろな形でもって保護する国内法がある国がございますが、そういうことを許さない、どこに逃げたとしても必ず人権侵害の犯人は捕まえて処罰するという原則を最近は国連の場で議論しております。そういった問題を最近は扱っております。
 このほか、最近問題になりましたテロと人権、開発と人権、グローバリゼーションと人権、あるいは情報技術、ITと人権など、国際社会の実情に合わせた人権規定の内容の充実と、それから人権保障、救済手続の発展が過去五十年間着実に図られてまいりました。
 翻って、日本の人権に関する戦後の議論を見てみますと、日本国内では依然として日本国憲法の人権規定を厳格に解釈するという枠を大きく出ていないように思います。その結果として、最初は同じ地点にあった日本と国際社会の人権に関する状況がこの五十年の間に非常に大きなギャップを見せているというふうに思います。
 この人権の議論において世界と日本の間に存在するギャップを示すものとして、国連の人権委員会や人権促進保護小委員会などにおいて、特に最近、日本の人権問題がしばしば取り上げられ、批判の対象にされてきたという事実があります。
 恐らくこの後の戸塚悦朗参考人の発言の中でも触れられると思いますが、いわゆる慰安婦問題もその例です。そのほか、かつては、これも戸塚先生の関係した問題ですが、精神障害者の取扱いの問題について、更には指紋押捺問題などが俎上に上がりました。最近でも、治安維持法の被害者救済の問題、あるいは歴史教科書の問題、それから過労死、過労自殺の問題、雇用における性差別、ジェンダー差別の問題、外国人の差別的取扱いの問題、被拘禁者、刑務所とか拘置所などでの被拘禁者の扱い、こういった問題がNGO等の発言を通して国際的な人権の場で問題提起され、議論されてきております。
 また、皆様の記憶に新しい、最近起こった中国の瀋陽における日本総領事館亡命者連行事件、これは国際社会における人権の認識と日本の人権認識のギャップをまざまざと見せ付ける結果となりました。
 日本では、日本国憲法の人権規定が日本の国内において主に日本人を中心に尊重されていればよい、こういう考え方がどうも一般的のようです。したがって、瀋陽の事件のように、被害者が外国人、亡命希望者たちですが、五人の人たちですが、それから事件が起こった場所は中国の領域内で日本国憲法の規定の及ばないところ、しかも加害者も中国の武装警察官という、日本人ではなかったということで、人権、人道問題としてあの事件を見るという見方が日本においては最初から欠落しておりました。
 その上、日本国憲法の規定の中には、迫害から逃れる権利という国際慣習法で確立され世界人権宣言の第十四条でも規定されているこういう規定が存在しません。お手元の資料の三ページ目に世界人権宣言の規定がございまして、十四条を見ていただきますと、迫害から逃れる権利というのがございます。日本国憲法にはこれがありません。
 そうすると、日本国憲法の人権規定だけを根拠に人権の議論をしている日本の国内の状況から見ますと、あの事件は人権問題ではないというとらえ方になってしまうわけです。その結果として、亡命者に対する人権、人道の立場からの連帯の意識が極めて日本は希薄であると申せます。そのために、瀋陽事件に対する日本の政府やマスコミ、識者の反応は一様に、日本の主権侵害、領事関係に関するウィーン条約が規定する領事館の不可侵権侵害という国家間、政府間の権利義務関係に基づく議論が中心でした。人権、人道の観点からの議論は当初は全くありませんでした。
 中国政府が、日本の同意があって武装警察官が領事館に入ったのだと反論して、その後、日本の主権侵害あるいは権利侵害の議論が中国の主張との間で平行線をたどるようになって、この時点から、日本政府の内部からも、これは一方で人道問題もあるのではないかというとらえ方が出るようになったことは周知のとおりです。この間、日本の人権問題を専門にしている国際法学者や憲法学者の中から、瀋陽の事件について人権、人道の観点から意見を出すということはほとんど見られませんでした。
 ところで、瀋陽事件の本筋というのは、実は日本の主権とか権利侵害というよりも、むしろ五人の亡命希望者の処遇にあったということは、これは日本の世論も世界の世論も一致して見ていた問題だったと思います。その証拠に、五人の亡命希望者が、その意思を尊重して第三国に無事到着したことにより世論は安堵しました。そして、この事件に対する一般的関心が急速に薄れていったということの中にも示されていると思います。
 日本政府も実際、この事件を契機に、法務大臣の下で難民問題を検討する専門部会が設置され、難民問題の政策について、人権、人道の立場から検討しようという動きを示し始めております。つまり、瀋陽の事件は、最初考えられていたよりははるかに人権、人道という側面が強い事件だったということが言えると思います。
 最後になりますが、経済や社会の国際化に伴って、日本の人権状況や人権政策が世界的な評価の対象とされるようになってきました。日本の人権の議論も、いつまでも憲法の人権規定の硬直的な厳格解釈論のレベルにとどまっていてはいけないと思います。世界の人権の議論の動向を正確にとらえて、国内の人権の議論を深める必要があります。
 また、世界の人権の論議に積極的に参加する形で、弾力的、動態的、ダイナミックに議論を進めることも重要です。特に、世界の一五%の経済力を持つ日本は、世界の人権伸長に対しても大きく貢献する責任があると思います。数百万人が虐殺されたポル・ポト政権下のカンボジアや、八十万人が虐殺されたルワンダの民族紛争に関しても、日本のような国が無関心を装うということは国際化した人権の立場からは許されません。
 人権が国際化した今日、日本はもっと世界の人権状況の改善に積極的に発言して問題と取り組む必要があります。日本がこの数年、人間の安全保障を外交の一つの柱にしていることは、この点で歓迎すべきことです。そのことこそ、憲法の前文で規定している、これは憲法の前文からの引用ですが、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れる権利を有することを確認し、こういうことが憲法の前文にもう既に書いてあるわけです。さらに、そういうことを確認した日本国民は、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と、こういうふうに規定しております。
 こういう憲法の前文の精神を、日本国民、そして日本政府が国際社会の中で示していく、その最もよい方法は、人権の問題について日本がもっと積極的に国際社会の中で発言し、行動していくことにあるのではないかと、こう思います。
 どうも御清聴ありがとうございました。
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、戸塚参考人にお願いいたします。戸塚参考人。

○参考人(戸塚悦朗君) 憲法調査会という重要な場所にお招きいただきましたことを大変光栄に存じます。
 私は、長年弁護士をしておりまして、その間、国際NGOの代表としても国連の会議に参加するなど、実務的な立場から人権問題に接してまいりました。今、大学におりまして研究教育に従事しておりますが、そこでも実務的な立場からの教育を行っております。
 今日の主題につきましては、大変興味深いお話だったものですから、論文を書くことにいたしまして、ただ時間的に間に合いませんで、原稿の段階で、しかも校正のしていないものを提出させていただきましたけれども、詳しくはそちらをごらんいただければと思います。
 最初にレジュメの方からまいりますが、人権は元々国内的にしか保障されなかったが、最近は国際的に保障されるようになってきたという理解が一般的であるように思われるわけであります。弁護士時代の私も直観的にそのように考えておったわけであります。しかし、歴史的に人権保障の経過を注意深く振り返ってみますと、今申し上げた理解は不十分であって、かえってその逆が真実ではないかというふうに思うようになりました。
 日本に関して言いますと、まず国際的に人権が保障され、それを受ける形で国内的に人権保障がされるようになったというのが正しいのではないでしょうか。ですから、実際は国際的に保障された人権が国内化してきたというふうに見るべきではないかと思います。
 具体的な歴史的事実を若干申し上げますと、いわゆるフランス人権宣言というものがございますが、これは実は人権ではなくて、男性の権利の宣言にすぎないというふうに思われます。人権宣言という翻訳は美しい誤解あるいは誤訳ではないかというふうに思います。また、アメリカ合衆国憲法、これは一七八七年のものですが、は先住民、黒人奴隷をその主体に含めておりませんでした。また、それが保障した人権は、実は白人男性の権利であったにすぎないことが指摘されております。
 大日本帝国憲法、これは一八八九年でございますが、が保障したのは臣民の権利でありまして、人権ではなかったわけであります。
 一九一九年、パリ平和会議が採択しました国際連盟規約、これはベルサイユ条約の第一編でありますが、にも人権という文字はございません。そのときに作られました国際労働機関、ILO憲章、これはベルサイユ条約の十三編でありますが、にも人権という文字はなかったのであります。
 基本的人権が世界的な規模で法的文書により約束されるようになったのは、連合国による国際連合憲章が採択された一九四五年六月二十六日でありまして、ちょうど今から五十七年前の今月のことであります。
 米、英、中首脳が署名して発表しましたポツダム宣言がございますが、これは国際連合憲章が定めた基本的人権の保障を日本に要求したのであります。日本政府はこれを無条件で受諾しましたが、これが日本が人権の保障を法的に約束した最初のことだったのではないかと思われます。日本政府はこれを無条件で受諾したのでありまして、ポツダム宣言受諾による基本的人権保障の責務は現在も日本が継続的に負う国際的法的義務であります。
 日本国憲法の制定による基本的人権の保障は、この国際義務の履行であるというふうに理解できるわけであります。
 国連加盟によりまして、日本は国連憲章の履行を約束いたしました。先ほど横田参考人から御説明がありましたとおり、これにより日本は憲章が国際的に保障した基本的人権を日本として保障することを約束したのであります。さきに述べましたポツダム宣言受諾に重ねて、更に基本的人権の保障を約束したことを意味するのであります。
 こうして見てまいりますと、国内的に保障された人権が国際化したのではなくて、国際的に保障された人権が国内化されたと理解すべきであることがお分かりいただけると思います。
 日本は、国際的に保障された基本的人権を憲法と国内法を通じて実効的に実現する国際的な法的義務を負っていることに思いをいたさなければならないと思います。その意味は、憲法を改正するといいましても、このように日本を拘束する国際法上の枠組みの範囲内で行うべきものであるということであります。
 したがって、今私たちが議論すべきなのは、国際的に保障されている人権をどのように国内化しなければならないのか、またどのようにしたら実効的に国内化することができるのかという課題ではないかと思います。このような観点から憲法の実施状況を見てまいりますと、以下述べますように、この課題に十分こたえていないと言わざるを得ないのであります。
 次に、人権の国内化について申し上げます。
 基本的人権を国内化するための原則を、憲法九十八条二項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と定めております。この解釈には、学説、判例上さしたる争いはございません。国際人権法などの国際法は原則として国内的な効力を持ち、国内裁判所はこれを直接適用すべきである、これは法律より優位でありまして、国際法に違反する法律は無効であると。国際法は憲法より優位かどうかについては争いがございますが、この問題には触れません。この憲法の規定には問題がなく、改正する必要は全くないと考えます。
 また、国際人権法の諸規定は非常に豊富でありまして、先ほど横田参考人から御説明のありましたとおり、憲法の基本的人権保障の諸規定と相まって人権を保障するために十分なものでありまして、憲法の人権規定も改正する必要はないと考えます。
 問題は、九十八条二項の原則がこれまで実効的に実施されてこなかったところにあると考えます。その実例でありますが、まず司法府による条約違反について申し上げたいと思います。
 最高裁の消極姿勢と条約違反が批判されております。最近、下級審裁判所が自由権規約を直接適用しまして被害者を救済する判決を出し始めました。しかし、上告審で最高裁判所がこのような下級審の判断を支持していないのであります。
 大阪弁護士会はこれを批判しまして、二〇〇一年八月、次のとおりの会長文書を国連人権高等弁務官に提出して最高裁判所を批判しております。
 一九九七年の指紋押捺事件最高裁判決で見られた自由権規約を正面から検討、判断しないという最高裁の態度は、二〇〇〇年に下された徳島刑務所接見妨害事件においても繰り返された。同事件では、自由権規約違反を認定した原審高松高裁及び第一審徳島地裁の各判決を覆すに当たり、何らの具体的理由を示すことなく、自由権規約違反は存しない旨、わずかワンセンテンスの結論を示しただけであったと。
 これは自由権規約二条の違反でございます。同条三項の(b)は、救済措置を求める者の権利が権限ある司法上の機関によって決定されることを確保すること及び司法上の救済措置の可能性を発展させることと規定しております。日本はこの条約を批准してこのことを国際的に約束したのでありまして、これは日本が国際的に履行しなければならない法的義務となっております。
 ところが、最高裁は、司法的な救済措置を求める者の権利について必要な司法的救済を与える決定をしていないのであります。大阪弁護士会の批判は正当であると考えます。
 その次に、行政府による条約違反について申し上げます。
 国際人権法遵守に関して、日本の行政府の消極性は国際機関からも批判され続けております。その一部は横田参考人が申し上げたとおりでありますが、国際人権規約委員会その他の条約上の機関が勧告しておりますが、その勧告は論文に譲りますけれども、人権条約違反に関する個別問題点が多岐にわたるわけであります。これらにつきましては、多くのNGOの日本政府に対する批判的見解もあり、次第に知られてきているように思われますので、個々の論点には触れません。
 失礼ながら、立法府による条約違反について申し上げたいと思います。
 立法府による作為、不作為の人権条約違反もございます。私が人権NGO代表として知り得た事例について、実務的観点から幾つかの事例を指摘したいと思います。
 第一に、民事訴訟法改正による自由権規約二条違反問題があります。平成八年、九六年、法百九号、民事訴訟法改正によりまして、旧民事訴訟法三百九十四条にあった、又は判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背あるときが削除されまして、新民事訴訟法三百十二条の「上告の理由」は、その一項で、「憲法の解釈の誤りがあること」と「その他の憲法の違反があること」のみを上告理由に限定しました。そのため、国際人権自由権規約など国際法違反を理由とする場合は、従前は法令違背に含まれるとされて最高裁に上告ができたにもかかわらず、法改正後は上告できなくなったわけであります。
 先ほど申し上げたとおり、自由権規約二条三項(b)は、司法上の救済措置の可能性を発展させることを締約国の義務としております。自由権規約違反があった場合の上告の機会を従前より広げる方向で法改正をしなければならなかったにもかかわらず、逆にその上告を制限し、司法救済の可能性を発展させる道を閉ざしてしまいました。これは同二条違反と言わざるを得ないのであります。
 次に、日本軍性奴隷問題に関する立法不作為の問題があります。
 国連とILOの報告書は、重ねて条約など国際法違反を指摘し、日本軍性奴隷被害者個人への国家補償などの義務を履行するよう勧告しております。控訴審で覆されたのでありますが、山口地裁下関支部関釜裁判判決は、韓国の被害者に関して、国会議員が国家補償立法義務を負うことを認め、合理的期間内の立法不作為を違法としたことを忘れてはならないのであります。
 法案の準備に時間は掛かりましたが、野党三党の参議院議員による議員立法統一法案、戦時性的強制被害者問題解決促進法案の参議院への提案が実現し、この通常国会で参議院内閣委員会に継続しております。日本軍性奴隷問題に関し、被害者への国家による個人補償を実現しようとするいかなる法案も憲法、条約に違反し、国会に提案することは不可能であると信じられていた時代に比較しますと、これは大きな進歩でございます。立法運動を推進してこられた多くの市民と国会議員に深い敬意の念を表明いたします。
 この法案は、サンフランシスコ条約などの条約にも憲法にも違反しません。被害者側はこぞってこの法案を歓迎しております。連立与党が賛成していないので、この法案が成立する見通しは立っておりません。立法不作為による国際法違反は継続しているのであります。
 次に、一九四九年ジュネーブ四条約の違反、これは処罰立法義務に違反する不作為でありますが、について申し上げます。
 一九四九年ジュネーブ四条約、一九五三年に日本は加入しております。これら四条約は、重大違反行為を処罰するための立法義務を加盟国に課しております。ところが、なぜなのか、処罰立法の義務については日本の行政府も立法府も学者、弁護士会なども真剣な議論をしてこなかったのでありまして、立法の提案さえないのであります。
 この重大違反行為というのは、戦争犯罪、人道に対する罪の典型例でありまして、時効がないことが国際条約で確認されております。現在、国会審議中の有事立法の論議ではこの点は全く無視されており、一九四九年ジュネーブ四条約が求める立法については何の法案も提出されていないのであります。
 まず第一になされるべきことは、過去の軍事行動で日本がどのような過ち、戦争犯罪及び人道に対する罪を犯したのか、その真相究明に基づく反省、再発防止の措置としての立法措置が取られるべきであります。これらは、歴史から何を学ぶかという問題であります。
 そのような段階を経ていない以上、憲法九条に触れるまでもなく、日本の行政府も立法府もそれ以上の有事立法を討議する資格を欠くと言わざる得ないと思います。
 最後に、それでは憲法九十八条二項の実効的な実施のための方策はあるかということに触れます。
 第一に、政治的決断が必要であります。憲法九十八条二項を実効的に実施するという政治的決断をすることが極めて重要であります。これを実効的に実施するには、国際人権法に関する限りは国際人権機関による解釈を受け入れるという決断をすることが必要であります。国際人権法違反について国連などから指摘を受けた場合は、可及的速やかに立法措置などを取り、解決を図る必要があります。
 次に、それを具体化する方法でありますが、国際人権機関への個人通報権を保障する人権条約の選択議定書を批准することができます。この問題が国会で真剣に討議され始められた当時は、アジアではこれを批准している国がございませんでした。それが、日本政府が批准に消極的な理由の一つとされたのであります。しかし、日本政府が批准を怠っているうちに、フィリピン、韓国など多くのアジア諸国が次々に批准、加入してしまいまして、日本はすっかり取り残されてしまったのであります。これが、先ほど横田参考人が御指摘になった大きなギャップの原因の一つだと思います。
 第三に、司法改革がございます。現在、司法の国際化の論議が進行中でありますが、その中で、憲法九十八条二項の実効的な実施を検討し、消極司法の解決を図る具体的な方策を立てることができます。残念ながら、議論はそのような方向には向かっていないのでありますが。
 例えば、規約人権自由権委員会、規約人権社会権委員会は裁判官などの国際人権法を含む人権教育を実施するように勧告しております。これらに誠実に対応しなければならないと考えます。しかし、現状は逆行しておりまして、国際人権法を含む国際法は、最近、司法試験科目から外されてしまいました。したがって、新たに設立されるであろう法科大学院のカリキュラムでは、国際人権法はこれまで以上に軽視されるでありましょう。このままでは、日本の司法は国際競争に堪えないのではないかというふうに恐れます。
 次に、国連による人権教育の十年の努力が進んでいるのでありますが、これについて申し上げたいと思います。
 これは、国際人権法が草の根的に市民レベルに至るまで浸透するような教育を目的としております。国連ウェブサイト、これは英語等の公用語で書かれておりますが、これを日本語化するということを実現し、日本語を母語とする人々が草の根レベルで国連の人権情報を容易に入手できるようにするという方策がございます。詳しくは論文の方に書いてありますので、そちらをごらんいただきたいと思います。
 最後に、国際協力は国際法上の義務であります。日本は社会権規約委員会からODAの増額勧告を受けております。このことをも想起する必要があると考えます。
 時間になりましたので、この程度で質問にお答えすることにさせていただきたいと思います。
 ありがとうございます。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 荒井正吾君。

○荒井正吾君 自由民主党の荒井正吾と申します。貴重な時間を拝借して質問をさせていただきます。
 また、今日は大変貴重な御意見を賜りましてありがとうございました。両参考人とも、国際化する人権の国内的実施に力点を置いて御説明願ったような印象を受けました。
 今日、その後、質問される方は近畿地方の方が多いようでございますが、私は奈良の出身でございまして、十七条の憲法の発祥の地でございます。出身地だけは憲法問題を議論させていただく資格はあるんじゃないかというふうに思っております。
 人権の国際的な問題、憲法の国際的な問題というふうに聞きますと、十七条の聖徳太子の憲法の時代も、国際社会の中における日本の立場、国論の統一、自律的な立場というふうに大変意識して作られたような憲法であるように思う次第でございます。そのような立場で、今日は余り触れられなかったんですが、憲法、立法の問題を主に触れられたような印象も受けますが、憲法の問題の、せっかくでございますので、基本的な問題を二、三、質問させていただきたいというふうに思います。
 最初は両参考人にお伺いいたしますが、人権保障の客体、言い換えれば、人権は、日本国憲法における人権はだれに対して保障されるべきかということについてお聞きしたいと思います。
 現行の憲法では、人権規定、「何人」と書かれたり「国民」と書かれたりして、言葉上不明確な感じがいたしますし、また日本人の意識の中にも、日本人以外の人権保障の対象という意識が先ほどのお話でも少々希薄なような気がいたします。
 日本に来たフランス人が、日本は日本人しかいないような国でおかしな国だということを言われたことがあります。また、サッカーでも、外国のチームではフランスなりイギリスなり、元の帰化した人がたくさん活躍されているというような状況もあります。また、直接は関係ないかもしれませんが、日本という呼び方がサッカーではニッポン、ニッポンと、こう言ったりして、東京ではニホンバシ、大阪ではニッポンバシというような、どうも呼び方とその対象、日本人とは何かというようなことが少々整理してないような気がいたすわけでございまして、日本の今住んでいる人の中でも、日本の国籍人、永住外国人、外国人労働者、旅行者、外国人旅行者、いろいろなステータスの方がおられるわけでございまして、今後、憲法の議論を進める上で、人権保障の客体をどのようにランク付け、整理して、それを憲法上の明文化という作業の過程でどのように反映すればいいか。両参考人のほかの論文を読むと、そういう点も触れられておられるようでございますので、お聞きしたいと思います。

○会長(上杉光弘君) どっちからですか。
○荒井正吾君 両参考人。横田参考人と戸塚参考人、両参考人に。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 二人に質問を出していただきましたが、私の方からそれでは最初に失礼して、簡単に私の意見を述べさせていただきます。
 御指摘のとおり、日本では、特に日本の憲法の人権規定がだれを保護しているのかということはしばしば議論になります。その最大の理由は、人権の規定の中に「すべて国民は、」という書き出しで始まっているものがかなりあるからですね。同時に、何人もと言って、国民はと言わずにもう少し広く規定しているものもあるわけで、この規定の違いを厳格に解釈すると、例えば憲法の十一条、十二条、十三条などは「国民は、」という形になっています。十四条もそうです、法の前の平等。法の下の平等は、「すべて国民は、」となっていますから、外国人には適用されないのだという厳格解釈の余地もあり得る文章になっております。
 ただ、しかし、私が大学時代に学んだ、今から三十年以上前になりますが、憲法学者の通説、当時の通説は、これは余り大きな意味がないのだと、すべて国民はと書いてあっても、これは何人もと読み替えていいのだと、ただし、参政権とか国民に特に認められるべき人権については、そこだけは別の解釈をする必要があるという、そういう理解をしていまして、私はその理解で全く問題ないと思います。
 国際的な人権文書、これはもう国民はという限定はありません。すべて人はとか何人もというふうに日本語に訳されておりますが、一般的に人はというふうになっております。これはもちろん国際的な文書だからそうだということもありますが、もっと重要な問題は、国際的な人権の議論をする場では出発点は人間だということなんです。人間の尊厳が人権の出発点ということになっていますので、国籍とかそういうことで人を区別するという考え方自体がそもそも人権の基本的な考え方になじまない。したがって、すべて人はとか何人もという規定の仕方になっている、こういうことです。

○参考人(戸塚悦朗君) 私も、基本的に横田参考人の言われたことに賛成いたします。
 一つ補足いたしますと、憲法の規定が不十分だということはどこの国でもありまして、例えばアメリカの憲法を拝見いたしますと、いまだに男女平等の規定はございません。提案がなされたけれども、実際には成立しなかったわけであります。
 そう考えますと、日本の憲法の規定というのは後れているということはないんでありまして、相当進んでいる。しかし、国際社会が進んでまいりますと若干不十分だなというふうに考えられる点が出てくると思いますけれども、私は、九十八条二項があるために、国際人権法を日本はそのまま導入できると。そこで、日本の憲法は全体として、先ほど横田先生がおっしゃった人はという、すべての人、何人であっても人権を保障するという規定をそのまま日本の法制度の中に取り込んでおります。それで十分ではないかと。
 しかし、先ほど申し上げたように、九十八条二項を実効的に実施するという決断、そしてその手だて、これを具体的に進めていくのが良いのではないかというふうに考えます。

○荒井正吾君 ありがとうございました。
 人権の問題を国際的な場で考える場合、特に日本はアジアの中でございますので、アジアの中での地域的な人権保障の在り方ということが他の地域に比べて課題になってきているように思います。
 横田参考人にお伺いしたいんでございますけれども、アジアの中での地域的な人権保障の在り方、特にアジアは意識も人権の内容も多様なようでございますし、また交流も今まで比較的希薄であったという中で、今、人権の国内化という話が中心でございましたが、日本人としてアジアの中での人権意識の国際化に果たす役割、あるいは地域の人権保障の在り方について、横田参考人の御意見を伺いたいと思います。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 大変重要な問題提起だと思います。
 御存じのとおり、しばらく前に、今から十年ほど前ですが、ちょうどウィーンで世界人権会議が開かれる前に、アジア諸国がバンコクに集まりまして、世界人権会議に向けてのアジアの諸国の一種の立場を明確にしていこうということで、そのときに一番議論されたのが、正に人権基準はこれまで西欧中心に作られてきたと、アジアの人権というのはそれとは別にある、それにもかかわらず、アジアの国の人権状況を西欧の基準で判断して、まだまだ達成度が足りないといって批判されるのは、これは非常に問題だと。これは御存じのとおり、マハティール・マレーシア首相とか、リー・クアンユー当時のシンガポール首相などが公然とそういう形でもって西欧基準による人権批判をしたわけでございます。
 このことはウィーンの会議でやはり問題になりましたが、結論的には、そこの、バンコクに集まったアジアの国々も含めまして全部コンセンサスで採択された文書がありまして、これはウィーン宣言及び行動計画というものですが、その中では、やはり人権そのものの考え方、これは世界共通であって、アジア的人権とかヨーロッパ的人権というようなものはない、一言で言いますと、人権は普遍的であるというふうにはっきり文書に書いてあります。ただ、普遍的な人権を具体的に実施する方法においては、場合によれば各地域、各国によってその状況を反映したものになることはあり得る、こういう形でいわゆる人権の地域性、普遍性の論争に一つの答えを出したわけでございます。
 もう一つの問題は、今の御指摘の中で重要なのは、アジアには地域人権条約と地域人権機構がございません。これはヨーロッパにはございます。一番古いのですが、ヨーロッパ、一九五〇年代にもうできております。その後、米州にも人権条約と人権機構、裁判所までができております。アフリカにも、御存じのとおり、バンジュール憲章という、アフリカ人権及び人民の権利に関する憲章というものができております。
 日本を含むアジアにはそれがないために、しばしばアジアの人権の状況が世界的に見て後れているというふうに批判されてまいりました。ところが、アジアの国々は非常に多様性があって、なかなか足並みがそろわない。そのためにいまだに、前から人権団体、NGOなどはアジアに地域人権条約と地域人権裁判所をというふうに主張してまいりましたんですが、まだそれが結実する段階には至っておりません。私もその方向で努力したいとは思っておりますが、アジアの状況はなかなか複雑で難しいと、そういうことです。
 もう一言ちょっと申し上げますと、そういう議論の中で、日本政府はかなり早い段階から人権は普遍的であるという立場を明確にしておりまして、バンコクでアジア的人権、アジア地域の特殊な人権ということをアジアの国々の申合せ事項としてまとめたときには、日本政府はその点を留保して、人権は普遍的であるということを明確に世界に示しました。これは、日本政府の人権に関する姿勢がはっきり出たものとしてプラスに評価されております。
 以上でございます。

○荒井正吾君 ありがとうございました。
 次は、戸塚参考人にお伺いしたいと思うわけでございますが、人権の国内化ということを考えるときに、特にアジアの中で国際的な課題になっておる人権の日本の処理の仕方ということについて御発言がいろいろおありでございます。
 そのときに、日本の国法として考えるときに、自律的な立場を取るということを基本にいたしますと、他国からの人道的な立場の干渉、あるいは外交問題を超えて普遍的な立場で日本の国内化を、人権保障の、国境において発生した人権問題の保障を国内的にどうするかという課題があるように思うわけでございますが、その際に、戸塚参考人は、現行の日本国憲法で何か制約がある面があると考えておられるのか。それは、現行憲法の問題じゃなしに、立法作業あるいは司法制度の何か改革ですればいいというふうに考えておられるのか。あるいは、先ほども少しお述べいただいたわけですが、どのような意識の進展、日本人の意識の進展というのはとても大事でございますので、自律的に人権問題を解決するというために何かお考えがありましたら、最後にお聞かせ願いたいと思う次第でございます。

○参考人(戸塚悦朗君) 大変重要な御指摘だというふうに思います。
 そのアジアの中での人権問題に日本はどういう立場を取って何ができるかということでもありますけれども、日本国憲法の現行規定の範囲内で十分対応は可能であると。問題は、御説のとおり、立法その他、日本が何をするのかということにあると思います。立法については先ほども若干申し上げましたけれども、日本がまず率先垂範する必要があるのではないかという気がいたします。
 一九一九年のパリ平和会議でありますけれども、日本は国際連盟の規定の中に人種差別禁止条項を入れようということで大変強い主張をいたしましたが、残念ながらそれが国際連盟の規定の中に入らなかった。いろいろ日本は問題があるんでありますけれども、その点に関して言えば、非常に進んだ主張も行動も取ったわけですね。それが一貫してその後も取られていれば、私はアジアで日本が人権の面で大きな役割を果たせるし、あるいはアジアが一体とはいかないまでも大枠で一致して、ヨーロッパのように人権を進めていこうということで一致できていく可能性がある。しかしながら、日本が戦争、植民地支配ということを十分反省していない、それに対する対応を十分取っていないがためにアジアから十分尊敬されない、名誉ある地位を占められないと、こういういわゆる限界がございます。その点をまず解決するのが一番大事ではないかというふうに考えます。

○荒井正吾君 以上です。終わります。
 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) 次に、高橋千秋君。

○高橋千秋君 民主党・新緑風会の高橋千秋でございます。
 今日は、お二方に貴重な御意見を伺うことができまして、ありがとうございました。短い時間ですけれども、私の方からも質問をさしていただきたいと思います。
   〔会長退席、会長代理江田五月君着席〕
 まず、お二方共通して出てきた話としてギャップという、大きなギャップという話がありました。横田先生のこのレジュメにも書いていただいておりますけれども、三番目のところに、新しい人権に対する考え方、特に最近なんかはインターネット等の問題で非常にそこの人権ということがよく論議がされますし、テロの問題も、昨年の九月十一日以降、私は、アメリカなんかはむしろ逆の方向に向いているような気がして心配をしているわけでありますけれども、お二方にとってこの新しい人権の考え方と今の日本国憲法の中で、横田先生の方は、この比較をしていただいた表を見さしていただくと、ほぼ幾つかを除いて網羅をされているというお話ではありますけれども、どうもこの新しいものについてこの日本国憲法の解釈、解釈だけで済むのかどうかはなんですけれども、どうも大きな開きがあって、世界の流れに日本が付いていっていないんではないかなという感じがするんですけれども、まずそのことについてお二方側から御意見を伺えれば有り難いと思います。横田先生から。

○参考人(横田洋三君) はい、ありがとうございます。
 御指摘のとおり、世界の人権の議論の中では、私が出ております国連の人権促進保護小委員会でも、新しい状況に対して新しい問題を提起するという形で次々と新しい人権問題を扱っておりまして、今御指摘のありました情報技術の問題、それからテロと人権の問題、これがテーマとして上がっておりまして、議論が始まっております。
 どういう点が問題になるかといいますと、情報技術の観点では、いろいろありますが、中でも今度の国会でもちょっと問題になっております個人情報を、情報技術を使った場合にどうやって保護していくのかという問題なんですね。
   〔会長代理江田五月君退席、会長着席〕
 これは非常に深刻な問題で、情報技術をコントロールできる国になりますと、ほとんどの重要な情報がよその国についてもそこに集中するという問題がありまして、じゃそれをどうやって規制できるか。そうすると、規制の方になりますと、場合によると人権侵害が出てくる可能性もあります。
 そういうところで、どういうふうにバランスを取って今後の法制を確立していったらいいのかということが議論されております。
 それから、テロの取締りとの関係では、どうやってテロ集団に属する人とかテロ集団だというようなことを判断するかということから始まって、特定の個人がテロに協力した、あるいはテロに資金を提供した、そういったことをどうやって政府の方で確認していくのかということが一つ問題になっておりまして、これもうっかりすると政府による個人生活への不当な介入になる危険性があります。あるいは、テロ協力者だという理由を付けて個人の人権を無視し、場合によれば不当な逮捕にまでつながるというようなこともあり得ます。
 しかし他方で、それじゃ政府は何もしなくていいのかというと、今回のニューヨークでの昨年の九月十一日の事件でも明らかなように、黙ってほっておけばいいことではなくて、あれだけ多くの人の命が失われ、また多くの人がけがをし、建物、財産がなくなるわけですね。これ自身非常に深刻な人権問題です。
 どうやってテロを防止するか、あるいはテロ事件が起こった場合にどうやって早くそれを収拾するかという側面と、これは国家から見ますと警察力や武力を使うことになります、兵力を使うことになりますので、これを使わざるを得ない。しかし、これが限度を超えますと、今度は逆に国民生活を制限するということになります。
 この辺のバランスについても私どもの人権小委員会では議論しておりますが、日本ではまだ人権の問題という観点からこういうことを議論するような状況は出てきていないという意味でやはりギャップがあるなと、こう感じております。

○会長(上杉光弘君) 本日は、ちょっと御紹介しておきますが、副議長の本岡先生、今日は大切な憲法調査会だというので傍聴いただいておりますことを皆さんに御紹介いたしておきます。(拍手)

○参考人(戸塚悦朗君) 今も非常に重要な問題提起があったわけでありますが、日本が世界の流れに付いていっていないのではないかというのは、先ほど来申し上げたこと及び論文にるる説明しておりまして、是非それを見ていただきたいと思います。
 ただ、日本は、努力しないで、先ほど私が申し上げた政治的決断次第で世界的に人権の面で非常に大きく貢献できるという素地を持っているというふうに確信しております。
 例えば、先ほどのテロのお話でありますけれども、私、実は九月の十日にアメリカからカナダに飛行機で飛びまして、翌日起きたところであの事件をテレビで見まして、一日遅ければ身動きが付かなくなっていたということで、一種被害者的な心境を持って重大な関心を持って見ていたんであります。
 その中で感じたことでありますけれども、やはり被害者、あれだけの被害を起こしたテロというのは非難しなければいけない、その実行者については処罰をしなければいけない、しかしながら、その方法、あるいは国際法の原則に従ってやらなければいけないと。その面で、例えば日本はそういう重大な犯罪を処罰するということでやはり決断しなきゃいけない。少なくとも、日本が過去それ以上のことを行ったわけでありますけれども、それについては、先ほど申し上げたとおり、事実を確認し、これは処罰すべき犯罪であったということを確認し、今後二度とそういうことが起こらないような法的な措置を取ると。その象徴としては、やはり国際刑事裁判所規程、条約ができましたけれども、批准していくという、国内法の整備を図っていくというような決断が必要ではないか。そういうことによって原則を確認することで、逆にそういう重大な行為を行っていく者に対する非難をする資格を得ていくということになるんじゃないかと。
 他方、アメリカは武力によって対応しようというふうに行動しましたけれども、日本は憲法九条がありますので、そういう場合、何ができるかというと、私は平和的な支援を強力に行うことによって対応ができると。
 私は、現在、奉職しておりますところが国際協力研究科でございまして、開発途上国に対する国際協力を研究、教育するというところでありますけれども。例えば、国際協力を国際機関が日本に勧告するように強力に進めますれば、テロの背景にある大きな貧富の差、グローバリゼーションによってなお広がっていく貧富の差というものにも対応ができていくんじゃないか、そのような地味な活動を日本はできると。千人の軍隊を送ってもテロはなくなりません。しかし、千人の国際協力の人間を送れば、あるいは人権の実施に貢献できる人材を送れば、これは相当のことができます。そういったようなことをお考えいただくのがよいのではないかというふうに考えます。

○高橋千秋君 戸塚参考人の提案は非常に重要なことだというふうに思いますし、私も全面的に賛成したいと思います。
 ただ、先日起きました、横田参考人の方からも話がありましたが、中国の瀋陽での領事館での事件の一件を見ると、ウィーン条約のことを考えると、あの領事館の中が日本というふうに考えるのであれば、その日本の行政に携わる方々が人権という意識がほとんどないんではないか。先ほど人権の国際化から国内化というお話がございましたけれども、日本にとって、特に最前線で国際的な問題に携わらなければいけないそういう行政の担当者自体が、その人権ということがないがしろになっているようなことを私も感じましたし、あれによって日本の人権ということの信頼、信用というのが国際的に一気になくなってしまったというふうに思います。
 その意味でも、この戸塚先生のレジュメの中にも「行政府による条約違反」というのがありますけれども、行政の人権にかかわる、そういう特に国際問題になるようなときの意識付けというのは非常に重要だと思いますし、先ほど国際協力をする方を例えば千人そういうところへ送るというお話ありましたが、今回のことで問題になっていたのは、ああいう認可もしないのに入ってしまったということが全面的に出てしまいましたけれども、その下にある北朝鮮の問題というのが、北朝鮮における人権ということについてがほとんど論議されていないというふうに思うんですね。ただ、北朝鮮に対して、さっきの話で、軍隊を送るということもできませんし、平和協力をするということ自体もできない。こういう中で、どのようにこの日本が平和的な活動を地道にやっていくということも必要だと思うんですが、もっと効果的に即効的にできる部分がないのかなというふうに思うんですが。
 その一方で、横田参考人、特に国連の方に携わっておみえになるということなんですが、国連自体が、国連の意義というものが最近ちょっと疑問視されている部分が非常にあると思うんですね。国連の、単にサロン的な役割になってしまっているんではないか、人権ということを国際的に考えていく上でもその効果を発していないんではないかというふうにも思うんですが、この北朝鮮の問題と国連の問題、それから行政の方のそういう人権の問題、この三点について横田参考人の方から御意見を伺いたいと思います。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 大変大きな問題が含まれておりますが、簡単に説明させていただきたいと思います。
 瀋陽の事件につきましては、おっしゃるとおり、あの現場にいた日本の領事館の人たち、副領事とか何人かいたようですが、その人たちが明らかにあの行動の中では人権、人道というものに対する認識、思いやり、そういうものが欠けていたように見えたということはこれは事実だろうと思います。その結果として、あれは世界じゅうに映像が流れましたので、ああ、日本人というのはああいうときでも、女性が武装警官に引き出されようとしている状況でも何も手をかさない人たちなのかと、こういうふうに見られた。その結果として、日本人に対する一つの評価、低い意味での評価が下されたのではないかということは御指摘のとおりだと思います。
 私は、このごろ公務員研修それから外務公務員研修で人権の話をするようにと頼まれることが多くて、これ自身、私は大変うれしいことだと思っておりますが、やはり公務員になる人は公務員になった特権、選ばれたという特権を振りかざすのではなくて、逆にやはり公僕という、国民に奉仕する公務員という、憲法に書いてありますが、その基本に立ち返って人々の生活をなるべく良くする、楽しくする、平和にする、そのための公務員なんだということを基本に置くような、そういう教育をしていかなければいけないというふうに思います。
 実を言いますと、総領事館には外交庇護権というものがないんです。つまり、総領事館は本当を言いますと亡命者を庇護することは権利としてはできないんです。ただし、現地の官憲が同意がなければ建物、施設の中に入れませんから、事実上手出しができないというだけのことなんですね。
 今、韓国の総領事館に最初五、六名でしたが、今はもっと増えて十数名になっているようですが、韓国と中国の交渉、必ずしもうまくいっていません。これはなぜかというと、中国の方は庇護権はないはずだと、こう言っているんですね。領事館の不可侵権というのは領事業務を行うために与えられているものですから、庇護をするというのは不可侵権の目的と外れているということがあります。そういうことで、この問題はもう少し国際法的にも詰めて議論しなければいけない部分があるように思います。
 北朝鮮の問題について、これは北朝鮮の人権状況、それからさらに国民が現在飢餓的状況にもあるという話で、この点について一言私が何ができるかと申し上げますと、北朝鮮を孤立化させそして国際社会から遠ざけるのではなくて、国連を中心にいろいろな形で人道的な支援活動が北朝鮮の中に入っていくことが大事だと思います。そういう人たちが入っていくことによって北朝鮮の状況が明確になってきますし、また北朝鮮の人たちもこれまで閉ざされていて世界がどういうものかということを知らなかった。ところが、外から援助の人たちがやってくれば、それで外の世界が見えてくるということがあります。そういう人道的な活動を通してもっと世界と接点が多くなれば、北朝鮮全体の状況が世界にも分かってくると同時に、改善の方向に向かう可能性があるのではないか。
 ついでですけれども、私のおります人権促進保護小委員会では、数年前に北朝鮮から亡命する人たちを保護するようにという内容の決議を採択しました。北朝鮮はそれに対して非常に反発しましたが、結局それはそのまま決議としては通りました。反発したということは、こういう決議が通されるのは嫌なんです、北朝鮮政府としては。ですけれども、国連の機関としては通しました。こういうことをすると、今度は北朝鮮はこういう決議を通されないようにするためにもう少し政策を変えようというふうに動く可能性が十分にあります。
 そういう対話を通して改善の方向を目指すというのも一つの方法かと思います。

○会長(上杉光弘君) 次に、山下栄一君。

○山下栄一君 まず、ちょっと今までお話しされていないことで、科学技術と人権という観点なんですけれどもね。特にバイオの技術と人権保障ということなんですけれども、農業、食料確保という観点から農業にバイオ技術を活用する、また医学、薬、これはがんの治療とか遺伝病の解決とかというようなことで、非常にこういう分野の開発技術、力を入れていくという流れなんですけれども、一方で、人権との兼ね合いで非常に深刻な問題が私はあると思うんですね。例えば、ヒトゲノムの解析がもう完了したとか、クローン人間の問題とか、これは私は物すごい人権の観点から大変重要なテーマだというふうに思います。
 科学技術の下で、またビジョンの下に、人権、それも根本的な人間の尊厳にかかわるような状況になってきているということから、国内というよりも地球的な規制、ルール作り、これが非常に私は緊急の課題であろうと。そういう議論が、特に日本では余り進んでいないように思うんです。それよりも、どちらかというとバイオ技術を新しい産業として力入れていこうというような流れの方が圧倒的に強くて、人権的な配慮というようなことが関心が弱いと、こういうように感じているんですけれども、それぞれ、この観点からの人権、要するにバイオ技術と人権という観点からの御意見をちょっとお伺いしたいと思います。

○会長(上杉光弘君) 両方ですか。御両者ですか。

○山下栄一君 そうしたら、横田さんに、済みません、まず。

○参考人(横田洋三君) はい、ありがとうございます。
 確かに科学技術の進歩に伴っていろいろな人権問題が出てきておりまして、今の御指摘の点もあります。現在、私が知っている動きでいいますと、例えばヒトゲノムの問題があります。
 簡単に申しますと、一人一人が人間は個性を持っておりまして、人格を持っておりまして、一人一人が尊厳を持っているわけなんですが、私という人間を規定しているものが科学的にだんだん解明されていきますと、これがヒトゲノムというところに、遺伝子の中にあって、それで全部分かる。そして、これをコンピューターでもって私のヒトゲノムというものを記憶させて私と同じ人間を再生するというようなことも可能になってくると、一体私という人間の尊厳がどうなるかというような問題が出てきておりまして、今、ユネスコではこの点について、やはりヒトゲノムは一人一人の人間の人格の一部であって、これは科学者が勝手に解明したり、それを場合によると特許を取ってしまうというんですね。私のヒトゲノムを特許を取るというような、もう私でなくなるわけなんですが、そういうことが科学的に技術的に可能になると同時に、それを場合によれば商売にするとか、そういうのが出てくる。これはやはり国際的に規制しなければいけないということで、ユネスコで決議案が出ておりまして、これは国連でもやがて取り上げられる方向にあります。
 日本からは京都大学の位田隆一教授が出て、大変活躍しておりまして、この点の国際的なルール作りをやっております。
 そのほか、臓器移植の問題、死の定義の問題、それから、例えば日常的なことでいいますと人工中絶、これが言ってみれば殺人に当たるかどうかというようなことも人権との関係で議論されております。そういう意味で、医学、科学技術の進歩、これに伴った人権問題というのはいろいろ出てきておりますが、日本では残念ながらこの点についての議論は深まっておりません。御指摘のとおりなんです。
 この一つの理由は、恐らく学問の縦割り化にあると思います。医学部に進む人は、人権なんて全然勉強しなくても医学のことをやれる。そうすると、医学の観点から面白い、科学的に面白いということをただ追求するという方向になります。
 これで怖いのは、例えば物理学者が面白いといって研究していった、突き当たったところが結局核兵器の開発というようなことになる、あるいは化学兵器あるいは細菌兵器の開発になる。そういうふうに、科学者が自分の科学の分野から面白いということで研究していくだけでいいのかという種類の問題、いわゆる科学と倫理の問題が出てきているわけです。
 海外では、もう既にこれを人権の立場からかなり議論しているわけなんですけれども、日本ではやはり、科学というのは科学者に任せる、そして倫理の問題は哲学、倫理学に任せる、人権の問題は法律学に任せるということで分かれているものですから、この状況を変えていかなければいけない。
 先ほど戸塚参考人が指摘しましたけれども、法科大学院をこれから作るという方向で今動いていることは御存じのとおりでございますが、その場合に、やはり法科大学院で法と倫理の問題をもっときちっと基本的に法律を専門にやる人に教育するということは大変重要なことではないかと思っております。

○山下栄一君 ちょっと済みません。戸塚先生にちょっと別に聞きたいことがございまして、時間があれば今の件も触れていただきたいと思いますけれども。
 先生が書かれた最新の論文の中に、いわゆる国連情報を日本語で入手できる環境にないという、これは大変重要な指摘だというふうに思いまして、早速これは国としてやるべきことだと私は思ったんですけれども、横田先生も人権委員会の小委員会の方で大活躍されている、また戸塚先生も国際NGOでも頑張っておられる、そういう様々な御経験あるわけですけれども、要するに、国連がどんな人権保障体制を組んでいて、どんな仕事をしているのかということを即時に日本国民一人一人がインターネット等を通じて知ることのできるような体制になっていないという。
 その国連のウェブサイト、日本語のウェブサイトを立ち上げるということ、これぐらいは国としてやれよという御提案は私は物すごく大事な提案だというふうに思うんですけれども、ちょっとアピールをしていただけたらと思います。

○参考人(戸塚悦朗君) 詳しいことは私の論文の末尾に、ひょうご国際人権問題研究会という私どもがやっております会がありまして、そちらの決議がございますので、是非それを見ていただければと思います。
 意外に費用は掛からない。ドイツがこれをやったときに百十万ドルということですから、当時でしたら、今でしたら一億何千万でしょうか、それでとてもできるかどうか。ドイツはニューヨークの情報だけですから、ジュネーブの人権情報まで入れると二億になるか三億になるか、年間その程度のお金でできるということらしいのです。別に常任理事国になる必要がないそうですので、是非御研究をお願い申し上げます。
 先ほど物すごく重要なことを御指摘になったんで、若干、一分ほどお答えしたいと思うんですが、実はバイオの問題ですね、これは日本はなぜ発展しないかと。私は、これは物すごく大きな理由があるというふうに思っております。
 この人権というのは、バイオ、つまり医学関係では人権というのはタブーなんですね。それはなぜ分かったかといいますと、私はスモン病という薬害事件をやりまして、その経験から、何でこんなことが日本で起きるんだろうというのを疑問に思ったわけですね。次に精神病者の人権問題をやりました。これで、日本の人権状況は物すごくひどい、特に医学であるというふうに思われたわけですね。
 イギリスに参りましたら、イギリスの精神科の教授が、それは天皇の戦争責任を追及していないせいだというふうに言うものですから、私はびっくりしまして、本当にそうなんだろうかと思ったんですが、次に取り組んだのが従軍慰安婦問題でありまして、実はこれは、最初医師の助言で始まっております。しかも、あらゆる場面で医師がすべて関与しております。これらの事件について医学部の系列で物すごくたくさんの人たちが関与している。七三一もそうであります。ところが、それについて医学部の方たちが本格的な調査研究、反省をしていない。これでは今後もバイオについては必ず人権侵害が起きると、私はそう思います。
 ですから、国会で是非これらの真相解明をする法律を作られて、もちろんそれだけではなくて過去の問題すべてですけれども、まず過去の問題点を全部洗い出して、そこからどのような教訓を酌み取るかということをおやりいただかない限り、日本では同じようなことが次々起きるというふうに思います。

○山下栄一君 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) 次に、吉岡吉典君。

○吉岡吉典君 日本共産党の吉岡です。
 まず、戸塚先生にお伺いします。
 私、従軍慰安婦問題を始め戦後処理問題をずっとやってきましたので、戸塚先生のお書きになったものをかなり読ませていただきました。お書きになっていることでもあるんですけれども、国会でいろいろ取り上げる場合にも、また運動の中でも問題になるのは、結局は解決済みだということで、今求められている謝罪あるいは償いという問題の解決が進まないという状況にあります。これ、戸塚先生よく御存じの問題です。
 同じ問題はほかの問題にもありまして、例えば私、最近政府関係者と議論している問題ですけれども、旧日本軍が中国に遺棄した毒ガス弾による被害の問題があります。これは日本軍が大量に残してきた中国にある毒ガスが、たまたま掘り当てて、戦後もう五十数年たった今でもいろいろな形のこの被害者が出ているという問題です。
 毒ガス禁止条約によって、中国に遺棄した旧日本軍の毒ガスの処理の責任は日本にあるということになっておりますが、しかし、残された毒ガス弾による犠牲が出た場合、それの補償責任はもう既に解決済みで日本にはないんだというのが日本政府の説明で、まあこれは一般的に見れば非常に矛盾した話だと思いますね。毒ガスの処理する責任は日本にあるけれども、被害が出た場合、それの救済とか補償というのは日本にないということ。だとすれば、一体それはだれが救済し、だれが補償するのか。
 あるいは、例えば従軍慰安婦問題にしろ、今の毒ガス弾による犠牲の問題にしましても、解決済みというのは日本が、ある合意があったとしても、その合意を超えて日本が補償したりすることは、禁止規定のような言い方ですけれども、それをやることは法律上できないものなのか、義務はないけれどもやることは構わないということなのかどうなのかというような点も含めて、まず戸塚先生のお話をお伺いしたいと思います。

○参考人(戸塚悦朗君) 論文を読んでいただいたそうで、ありがとうございます。
 その論文の中でもるる説明をしておりますが、第一の問題ですね。過去、中国での戦争に際して日本が行った行為の結果起きた被害、こういったものについての補償、これを立法できないのかというこの問題は、もう既に先ほどお答えしたとおり、これは日本政府の野中官房長官の答弁もございますけれども、これは本岡昭次先生の質問に対してお答えいただいたものですが、サンフランシスコ平和条約その他の条約の存在にもかかわらず、慰安婦問題等について補償立法をするということは、条約違反でもないし憲法違反でもないという政府見解が出ておりまして、この点についてはもう解決済みだと思います。ただし、今申し上げたのは、すべてが条約で終わったとしても立法はできるという法的な見解であります。
 しかし、私は第二点として、終わっていないという論文を発表しております。例えば、つい最近、ドイツの赤十字雑誌に出た英文の論文がございますが、その日本語版は「戦争責任研究」というところに出しておりますけれども、少なくとも中国については全く終わっていない。これは最近の福岡の判決でも同じでしたけれども、個人に対する補償問題が終わったという条約上の文言は一つもありません。
 一九七二年の日中共同声明を見ても、戦争賠償だけは放棄されていますけれども、個人は書かれておりません。当時、日中で個人の重大人権侵害に対して個人の請求権を放棄するという条約を結ぶことはジュネーブ条約に違反するということで、できないようになっていたのであります。したがって、やっていないんだろうというのが私の推測です。
 また、朝鮮民主主義人民共和国と日本の間では条約はございません。
 それから、日韓でございますけれども、これはそれこそICJの意見書もございますし、国連のレポートもございますけれども、違法行為については全く言及がなくて、終わっていないと考えられます。
 それから、フィリピンと日本の間ですけれども、これは私は別途書いておりますが、個人の請求権について終わったということを主張する条約の批准はジュネーブ条約のフィリピンと日本の批准より後にできておりますので、これはできなかったというふうに私は解釈しております。
 アメリカでも最近の判決が幾つかありますが、連邦地裁でも、カリフォルニアの裁判所の判決でも、日中について、日韓についてはサンフランシスコ平和条約等で終わっていないというふうに解釈しております。
 したがって、そのすべてについて条約によって終わったという法的な見解は、私は明白な誤りであると。ただそれは、国会等で政治的に効果を発揮しているというだけではないかというのが私の考えであります。

○吉岡吉典君 横田先生にお伺いしたいんですけれども、時間の関係でごく簡単にお伺いしますけれども、世界の議論と日本のギャップの問題ですね。数回前にもここで、国際人権規約の扱い方についての日本の行政、司法の考え方というのは十分でない、後れているということの指摘がありました。これは、日弁連の文書等でもかなり以前からそういう指摘を行ってきているところでもありますけれども、一体、先生のお話も今お伺いしましたけれども、それにしても日本でどうしてこんなに国際的な後れがあるのかということについてもう少し突っ込んでお話しいただけないかと。その際、先ほどギャップの中で挙げられた中に治安維持法問題というのが触れられていたと思いますけれども、治安維持法の問題が国際的にもどういう形かで論議になっているとすれば、これ是非教えていただきたいと思います。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 きちっとした調査というのはないんですけれども、いろいろな人と議論してきて感じることは、日本では法律は、法学部で憲法、民法、商法、刑法、あとは訴訟法、こういった国内の実定法を研究している人が主流で、これらの人たちが研究をし、かつ司法試験などでは試験官になって、弁護士、裁判官、検事となっていくという、こういうコースをたどりますね。
 そうすると、その中で、国際的に日本が負っている義務とか、条約上の義務とか慣習法上の義務とか、そういったようなことをきちっと教えたり学問の中に取り入れたりということがないんです。ですから、例えば、本来でしたら、刑事手続をやっている刑事訴訟法の人は、当然、国際的な刑事訴訟に関する人権の規定がありまして、それがどう日本の国内で法律的に反映されているか、あるいは実際に裁判官によって適用されているかということをきちっと研究して、国際的な人権基準から見て日本の状況はいいかどうかということは議論されるべきなんですが、残念ながら、実定法、国内の実定法をやっている先生方はそこまで研究を進めておられないというところが一つ非常に大きな問題なんですね。
 これは、先ほど戸塚先生が御指摘になったとおりで、もっとそういう意味では国際法というものを、憲法九十八条二項で「誠実に遵守する」と書いてあるわけですから、国内の実定法をやっている人たちは是非憲法の規定に従って国際法というものをきちっと理解しておいていただきたいと、こう思います。とりわけ人権に関する国際法、国際条約はきちっと勉強しておいていただかないと、直接国民の権利に関係するということがあるからです。
 もう一つの問題は、これも戸塚先生がおっしゃったことなんですが、先ほど国連について、日本語で国連文書がアクセスできるようにと、これは私もそれは大変結構なことだと思いますが、それがないことが一つの理由で、国内の実定法をやっている人たちのほとんどは、国連での議論を、英語で読まないことにはなかなか分かりにくいものですから、そうすると言語上の障害があって、もう初めからそこは自分とは切り離しているということがあります、現実に。
 この点については実は私たちにも責任があって、国際社会でこういうことが論じられているということで国内の先生たちにチャレンジして議論を深めればいいんですけれども、どうしてもそれぞれの分野で殻を作って、国際法の人は国内の実定法に口出ししない、国内の実定法の人は国際法に口出ししないという、こういう学界の持っている一つの閉鎖性も、私は残念ながらそういう状況を作り出している理由になっているのではないか、こう思います。
 治安維持法については、治安維持法自身が憲法で規定する様々な人権侵害を行ったものであるということは、もうこれは国内でも確定しておりまして、国際的にもそのとおりなんです。問題は、治安維持法はもう今ないわけですが、かつて治安維持法、この治安維持法は古い大日本帝国憲法の下で作られたんですけれども、新しい憲法に照らしたときに明らかに憲法違反である。その被害者及び被害者の遺族等に対して日本国憲法の下でどう対応するかというのが今一つ問題になっていまして、国際的な議論は、その場合に法的な議論を詰めていきますと、もう法律がないんだし、いいのではないか、問題解決済みではないかという議論になるわけですけれども、国際的には、そうやって法律が変わって状況が良くなっても、以前の問題のある法律によって被害を受けた人及びその家族がいろんな形でもって負担を負っているわけですね。それに対して国がきちっと対応するのが人権の立場だという考え方、これが現在の言ってみれば国際的な常識になっていると思います。
 日本政府及び国会も、そういう観点で、過去の間違った法律や過去の間違った行政措置によって被害者が出て、しかもその方たちがその後苦しんでおられる、家族の人が苦しんでおられるとすれば、そういう人たちに対してきちっと措置することも人権の立場からの一つの重要な問題なのだというふうにとらえて、積極的に救済措置を取っていただければいいと、こういうふうに思っております。

○吉岡吉典君 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) 平野貞夫君。

○平野貞夫君 国連という会派が参議院にございまして、これは略称でございますが、国会改革連絡会というところの、無所属の会と自由党で作っている会派なんですが、私は自由党の所属でございます。
 最初、戸塚参考人にお尋ねしますが、先生のお話の中で、実際は国際的に保障された人権が国内化してきたんだと、こういうお話があったんですが、このお話を中国の瀋陽事件に当てはめた場合に、難民条約という、これも人権の一つの国際的保障だと思いますが、これに対応する国内的制度が整備されていないと、こういう認識でよろしゅうございましょうか。

○参考人(戸塚悦朗君) 私は、条約によって保障された権利が国内法によって保障されていないかどうかということも問題だと思いますけれども、先ほど横田参考人の方からお話がありましたように、亡命者に対する日本の、一般市民から行政官、国会まで含めて、十分な御理解がまだないというところに原因があるんだろうと。
 法務省が直接の担当でありますけれども、難民をほとんど認めないと。これは、国連の難民高等弁務官事務所の方で難民だというふうに考えても、日本政府は認めないということがございます。難民申請中に、裁判中に送り返してしまうという事例もあります。したがって、私はそういう法務省の取扱いが原因になっていると。どうせそういう人を日本の領事館が受け入れても、結局後で引き受けてもらえないんじゃないかというところにあると思うんですね。
 ですから、まず難民というのは一体どういう方たちなのか、それに対してどういう処遇をすべきなのか、これをきちんと国際条約に従って考え直すと。そして、取扱いを大きく変えると。それについては、やはり国民的な理解を得るように努力するということをおやりいただかないと、うまくいかないのじゃないかという気がいたします。
 また、先ほど私申し上げたんですが、国際人権(自由権)規約選択議定書あるいは女性差別撤廃条約の選択議定書、その他選択議定書というのがございます。これを批准いたしますと、それによって個々の事件で問題があった場合に、国際機関が具体的にどこがどう問題あるのかということを指摘してくれるわけですね。そうすると、個別にああここに問題があったのかということが理解できると。そうすると、一つ何か事件が起きたときに、もう感情的な大騒ぎということでなくて、もっと冷静的な対応ができるということがありますので、そのような手段をお取りいただいたらどうかというふうに考えます。

○平野貞夫君 分かりました。
 私も十年ぐらい法務委員やっておりますので、今のお話を参考にして改めて認識を深めて対応したいと思いますが、当面の問題として、外務大臣とかあるいは中国大使とか、日本のですね、あるいは総領事とかという人たちの人権というものに対する、亡命者のですね、感覚といいますか、あるいは責任といいますか、そういうことについてはどのようなお考えでございましょうか。

○参考人(戸塚悦朗君) 実は、これは私は個別に考えていても駄目なんじゃないかという気がするんですね。実は、今まで私、アジアの侵略とか戦争責任とか外国人に対する人権侵害の問題を問題にしてきたんですが、そういった問題も含めて、国連で重大人権侵害の被害者に対する補償の問題ということを人権委員会で討議しております。これは、まだ結論出ておりませんけれども、これを研究するということが一つあると思います。これによれば補償はしなければならない、あるいはした方がいいと。
 実は韓国、台湾、こういったところでは、過去政府が行った重大人権侵害、これは外国人じゃありません、自分の国民です、に対して行った重大人権侵害について次々反省する、補償する、そういう法律を作っております。その点で、日本はまだそこへ、過去清算というところに踏み込んでいけていないと、これが問題なんですね。その根っこがどこにあるかなんですけれども、私は実は、日本人の人権が尊重されていないところにあるということだと思うんですね。
 と申しますのは、戦時中、戦争被害ですね、これはアメリカの爆撃等による被害その他ですけれども、があって、日本人が被害を受けたと。こういうときにどうするのかというと、実は東条内閣が提案してできた法律がありまして、補償といいますか対応がなされたんですね。これを戦後廃止してしまったんですね、これは連合軍による勧告。これは軍人に対する恩給と一緒に廃止したわけですね。
 ところが、独立したときに復活したのが軍人恩給系統だけだったんですね。この日本人が受けた物すごく大きな被害、爆撃の被害その他の戦争被害について、日本の政府も国会も何の対応もしなかったし、恐らく多くの方々はそういう法律があったということ自体、御存じないんじゃないか。この法律を復活すると、そしてやはり日本人の人権を擁護するというところからスタートしない限り、やはり他人に対する思いやりもできない、極めて冷たい国だと、日本は、人権に対してですね。人がどういう被害を受けようと構わぬというふうに感じているんじゃないかというふうに思われますので、そういった大枠の話に対応していただくことができないと難民の問題も対応できないんじゃないかと、こういうふうに思います。

○平野貞夫君 横田参考人にお尋ねしますが、世界人権宣言の中には「人間の尊厳」とかあるいは「人として認められる権利」という、「人間」とか「人」という用語が使われております。日本国憲法は、「個人として尊重」という、「個人」という言葉が使われていますが、これは同じ意味に理解していいでしょうか、あるいは別の意味と取った方がいいでしょうか。ちょっとそこのところを御説明ください。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 大変難しい問題なんですが、簡単に申しますと、世界人権宣言で言っている「人間の尊厳」と日本国憲法で言っている「個人の尊厳」、これは同じことなんです。ただし、言葉としては若干の違いがありまして、それが今、平野先生が御質問される背景に言葉の理解への違いがあって出てきていると思います。その意味は、個人というのはこれは英語ではインディビジュアル、これ以上細かく分けること、ディバイドできないという、つまり人間ですね。あとは社会を作って、社会は広がりますけれども、だんだん社会を細かく切っていくと、最後に残るのは人間、個人でありますね。
 ところで、人という場合は法律的には二つの意味がありまして、個人というのと、それから御存じのとおり法人、つまり人間とは違った団体とか財団法人、これを英語ではリーガルパーソンとかジュリディカルパーソンと言い、オールパーソンズ、パーソンがこの人なんです。
 そこで、パーソンには、実は個人プラス個人ではない団体が入るという意味で、本当は言葉を分けて使った方がいいわけですけれども、厳格に使っていない規定もありますので、若干今のような御疑問が出てくることはあると思います。結論的に言いますと、規定上の違いはないと考えていいと思います。

○平野貞夫君 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) 大脇雅子君。

○大脇雅子君 両先生、貴重な御意見をありがとうございます。
 私は、女子差別撤廃条約の委員会を、条約を批准した後傍聴したことがございまして、その委員会に私どもが様々な国内における性差別を持ち込むことによって画期的な変革がもたらされるのではないかと非常に期待して行ったのですが、しかし実際のところは、委員会のコンセンサスという形で、言わば勧告という形で日本政府にそれがもたらされる、日本政府がそれに対応しなければ何らの現状の変更もないということを目の当たりにして、がっくりきたことがございます。
 先生は、国連の規定として人権の基準設定やモニタリングのシステムをおっしゃいましたし、戸塚先生は、国際法の中で国内法化を要請する様々な委員会の勧告が重ねられているということを言われました。
 裁判に取り組んでおりますと、裁判規範としてやっぱりそうした条約の国内の法的実効性といったものがほとんど議論されていないし、実務では拒否されている。今度はこの国会に参りまして、例えば選択議定書の批准などいいますと、最高裁判所は国内で最終最高の判断基準であるので、それを外に持っていくという頭が元々ないんですよね。
 私はやはり、今国連も、武力による解決ということよりも刑事裁判所などの条約がその効力を発生いたしまして、言わば法治、国際法的な法治の世界というものが非常に進んでいるような気がする。しかし、日本の法治の状況は全くそういう国際法と切断されたところにしかないということを痛感するわけですが、これをやはり双方流れ合うというか、日本の法体系に組み込むためには私たちはどういう作業をした方がいいのか、どこに欠陥があるのかということを両先生にお話しいただきたいと思います。

○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 大変重要な点なんですが、先生が女性差別撤廃条約の委員会に出られてもどかしい感じを持たれたというのは、私も人権小委員会にもう毎年出ていまして、日本についての議論もあります、先ほどありましたように。よその国についてもあって、それで、一体こんなことを議論していてどのくらい実際は人権状況が良くなっているんだろうかと。目に見えた目覚ましい変化というのはなかなか起こらないんですね。
 ミャンマーについて、私が人権の特別報告者をやっているときにも同じでした。たくさん勧告を出すんですが、ミャンマー政府は、口ではいいことを言いますが実際には何も動かないという状況があって、随分私ももどかしい気持ちだったんですが、長い目で見ますと、それはそのとおりなんですけれども、例えば一つの例を挙げますと、南アフリカでアパルトヘイトがあって、あれはもう、私たちの感じではもう絶対に南アフリカは放棄することがないだろうというぐらいに向こうの政府はがっちりとそれを固めていたわけですが、しかし、国際世論と国連の批判、更に国連の経済制裁というのが重なることによって、時間掛かりましたが、今では非常に民主的ないい政府ができておりますね。
 そういう成果はところどころにはありまして、私たちは、人権の分野でその目覚ましい成果というのはなかなか期待できませんが、一歩でも進歩すればいいという気持ちで少しずつ改善する努力をしているというのが今の国連での人権の状況なんです。
 裁判規範の問題ですけれども、これをどういうふうに日本の国内できちっと受け入れてもらえるようにしたらいいかと。これは、戸塚先生の先ほどの参考人としての御発言の一つの中心的な課題だったと思います。やはり、国際法をきちっと日本の実定法の人たちに理解してもらう、とりわけ人権条約、人権関係の慣習法はきちっと理解してもらうということが重要だと思います。
 それから、国連や人権のいろいろな委員会がありますので、そういうところで議論されているものを法律実務を行っている人たちがきちっとフォローする。そのために、できれば私は、法務省、外務省がそういうところで議論をされている非常に重要なポイントだけでも日本語できちっと紹介して、現在、国連ではこういうことが議論されて、日本にもこういうことが影響があると思うので参考までにといって、情報を裁判官、検事、弁護士あるいは大学の先生たちに渡すというようなことも今後やっていく必要があるのではないかという気がしております。
 もう一つ、先ほど私申し上げましたが、大学の先生、私を含めてなんですが、どうしても自分の分野の殻に閉じこもってしまうんですが、御存じのとおり、アメリカのロースクールは、国際法の先生があるときは憲法を教え、あるときは民法を教え、あるときは刑法を教えているんです。余り、日本のように国際法担当の人はずっと国際法という、そういうことではないんですね。自分がこれを教えたいと言うと教えられます。コロンビア大学のあの有名なマイケル・ヤングという日本法の先生はしばらく国際法をコロンビア大学で教えていました。自分がこれを教えたいと言うと教えられるんですね。
 私は、日本の法科大学院を作るときには、もう少し分野間の交流、分野間の意見の交換ということをすることも考えていかなければいけないと。これは我々研究者、学者、大学の教員としての自己反省を含めての発言でございます。

○参考人(戸塚悦朗君) 一時間も話をしたい内容なんですが、できませんので簡単に申し上げます。
 先生にそんなことを申し上げるのは本当に釈迦に説法なんですけれども、一つは、先ほど申し上げた、今、横田先生もおっしゃった日本語化の問題ですね、ウェブサイトの。これで日本人、先生方も含めて、だれでも読めるというふうになることがまず第一に非常に重要じゃないかというふうに思います。それから、ロースクールでの国際人権法の教育、そういったものも実現していただかなきゃいけないと思います。
 それで、ただ、私たちがなぜこの人権の問題に駄目なのかというのは、これ実は私は自分で体験しているんですけれども、慰安婦問題をやるまで私は、男は仕事をする、女は家庭を守るということで正しいと思っていたんですね。正に女性差別撤廃条約に違反した考えを持っておって人権弁護士だと自分で思っていたわけですね。これは、やはり慰安婦問題に取り組んで、その中から、ああ、これは自分の考えは間違っていたと、自分はやっぱり女性差別をやっていたんだということで改めた経験があります。
 したがって、例えば慰安婦問題を先生方が御審議する中で日本が変わっていく、日本の国会議員も変わっていく、そういうプロセスがすごく大事じゃないか。結果出てくる法律、法案は、これは非常に大事ですけれども、それは結果であって、そのプロセスが非常に重要である。したがって、女性差別撤廃条約の選択議定書になぜ加盟しなきゃいけないのか、その議論をする、そして加盟したら一つ一つの事件で国際的な基準と日本のギャップを吟味していくということがやはり必要だろうと思います。
 弁護士会の中でも国際機関に対する大きな偏見があるのは先生も御承知のとおりでありまして、これは最高裁、法務省だけが悪いということではないんだろうと思うんですね。最高裁にも法務省にも弁護士会にもみんな考えてもらいたいと。
 国際機関の判断を受け入れる、選択議定書を批准するのは司法権の独立を侵さないんだと。これは、ヨーロッパに行って、ヨーロッパ人権条約に加盟しているほとんどですけれども、その司法権の独立を侵すなどという議論は一つも出ておりません。最高裁は憲法については終審裁判所であるというふうに憲法に書いてあります。しかし、国際条約については国際機関の判断を尊重する、これは十分、条約を批准し、先生方が承認し、できることだというふうに思います。

○大脇雅子君 私たちも余りにも厚い壁に時々たじろぐことがございますが、先生方のおっしゃったような努力を積み重ねてまいりたいと思います。
 最後に、先生は、ジュネーブ四条約を日本は批准しているけれども有事法制の中でその議論がないではないかと。現在出されている法案では二年間のうちに整備すると言われておりますけれども、そのジュネーブ四条約の国内法整備のための論点みたいなものを御教示いただけたらと思います。

○参考人(戸塚悦朗君) これは非常に広範なものになると思いますが、一つだけ簡単に申し上げます。
 私は、慰安婦あるいは強制連行について直接刑事責任のあった方について、捜査し、訴追し、処罰していくべきだということを提案いたしました。検察庁にも被害者の方と一緒に参りましたけれども、門前払いでした。それ一番大きかったのは時効なんですね。しかしながら、この時効というのは絶対的なものではありませんで、戦争犯罪、人道に対する罪については時効はないというふうに考えられております。その点、今後も要するに戦争犯罪や人道に対する罪を犯した人については、国境もない、時効もない、国籍もない、あらゆるケースで処罰をしていかなきゃいけないということを確認していただくのが一番大事だというふうに思います。

○会長(上杉光弘君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言申し上げます。
 参考人の方々には大変貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)
 本日はこれにて散会いたしますが、クエスチョンタイムのために時間が大変縮小されましたこと、運営に御協力いただきましてありがとうございました。各党に対しお礼を申し上げて散会といたします。
   午後二時五十七分散会


2002/06/12 戻るホーム憲法目次