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7月22日(木) 上京、人事、両院懇、総会、役員選考委、内定、帰岡

今日は、9時過ぎの新幹線で上京。

昨日、「民主党・新緑風会」の役員選挙に立候補がありませんでしたが、この関連で、北澤さん、直嶋さんが議員会長の立候補を届け出なかったことにより、会長に私の名前が急浮上したと報道されました。新聞から見ると、そう見えるのかも知れません。今日から、選考が始まります。

13時から、両院議員懇談会。参院選で初当選した議員も皆集合して「おめでとう!」の声が飛び交い、昨秋の総選挙に続く躍進で、意気の上がる会合となりました。岡田代表の挨拶、藤井幹事長の報告の後、質疑となり、10人が発言。皆前向きの積極的提案です。藤井幹事長の「4番バッターがバントすることができるのが、真に強い野球チームです」という言葉は、重みがありました。終了後、羽田孜さんと懇談。

14時半から、参議院の議員総会。藁科会長の挨拶、山本幹事長の報告に続き、選挙管理委員長の和田洋子さんから、役員選挙に立候補者がなかったことが報告され、執行部の提案により、期別に委員を選び、役員選考委員会が選考を始めることになりました。

私は在職年数の一番長いグループで、くじで3人の委員を選んだら当たって、役員選考委員となりました。15時過ぎから委員会が開かれ、田名部匡省さんを委員長に互選し、話し合いの結果、田名部委員長が、私を議員会長、輿石東さんを幹事長という提案をすることとなり、これを全員一致で了承することによって、そのとおり選考されました。その後、この人選を岡田代表に報告し、あとは26日の議員総会での承認のみとなりました。この内定の速さは予想外で、電光石化の人選といえます。

16時過ぎから、津村啓介さん。17時前、連合岡山から長谷川さんと岩崎さんが寄ってくれました。最終新幹線で帰岡。


岡山から、岩崎さん、長谷川さんが訪ねてくれて

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