江田五月 活動日誌 2001年8月(11〜15) >>日程表 ホーム総目次8月目次前へ次へ


8月11日(土) 県連協議、2区、県連常幹、中学同期会

今日は、9時半から民主党岡山県連の草苅幹事長と、今後のことについて詰めた協議。参院選で負けているので、ややこしい問題が山積です。

11時から、衆院第2区総支部関係の協議。14時から、民主党岡山県連の常任幹事会。国政報告のあと、参院選の反省をさまざまな角度からしました。いろいろと、細かなところで気のつかない問題点があります。比例代表区のことについて、抜本的な見直しが必要です。第2区問題も議論になりました。

18時から、岡山市立旭中学校の昭和32年卒業の同期会。今年の幹事はH組で、私もその一人です。お世話がなかなか出来なかったので、せめてもの罪滅ぼしで、二次会の司会をしました。カラオケ大会ですが、みな積極的にマイクを取ってくれました。

3次会まで出て、ぐでんぐでんで帰宅しました。やはり同期生は、いい仲間です。



8月12日(日) 光復節、ソーメン流し、初盆回り、盆踊り

今日は、10時半から韓国民団の皆さんの主催で光復節記念式典が行われ、挨拶しました。第56回目です。日本では終戦記念日ですが、韓国では独立記念日なのです。20世紀は終わりましたが、21世紀の東北アジアのスタートは波乱含みです。全て、小泉内閣になってにわかに起きたことに原因があります。歴史教科書、靖国参拝です。永住外国人参政権を実現しなかったこともあります。早く正常な状態に戻さなければなりません。

12時半から、岡山市内の北の方の桃の産地で、町内の皆さんのソーメン流しとカラオケ大会に参加。カラオケに参加したのですが、昨夜の同窓会が祟ってか、充分声が出ませんでした。

ソーメン流しとカラオケ大会に参加

その後18時半まで、初盆の皆さんのところにお線香をあげに回りました。今日は岡山市の西半分です。90歳を越え天寿を全うした方あり、50代で家族を残して無念の死を迎えた方あり、人生模様はさまざまです。

19時過ぎから、盆踊り大会3ヶ所。中学生に司会や太鼓たたきの出番を作っているところ、和太鼓の大合奏をするところなど、町内ごとに工夫を凝らしています。



8月13日(月) 県連打合せ、初盆回り、靖国参拝

今日は、9時過ぎから民主党県連の打ち合わせ。参院選で負けた後だけに、深刻な議論が必要です。

10時半に事務所を発って21時に戻るまで、県北の美作地域を初盆回り。範囲が広く、その上お盆の帰省のためか他県ナンバーの車が多く、思うように動けません。昨日と今日で、約50人というところ。建部町にある両親の墓にもお参りしました。

ついに今日、小泉首相が靖国参拝を強行しました。日にちを変えたのは、さすがに自分でもまずいと思ったからでしょうが、彌縫策としても姑息です。首相の「真意」は、戦没者の追悼と平和の祈念だということです。これはに誰も異論はありません。問題は、その「真意」は靖国参拝によっては発信されず、逆に、真意でない意思がメッセージとして発信されることになる点です。

総理大臣が、特定の宗教施設に、しかもA級戦犯を合祀している施設に、参拝したのです。憲法の禁止する政教分離を、首相自身が破るのが、日本という国だということを天下に明らかにしました。戦犯として有罪判決を受け、処刑された人の霊に参拝し、内外の被害者の感情を踏みにじったのです。この歴史認識を間違ってはいけません。首相個人の「気持ち」の問題では済みません。一日も早く、このメッセージを取り消さなければなりません。



8月14日(火) 初盆回り、車、戦犯の遺族

今日は、9時過ぎに自宅を発って18時前に戻ってくるまで、東備、邑久、玉野、倉敷の初盆回りです。約20人でした。今日の私の車はクーラーが効かず、窓を開けて走ったのですが、それでもすごい炎暑でした。喉をやられたのが、咳になり、早く直さなければと思っています。夜の盆踊りのご招待は、メッセージでお許しいただきました。

地元で私が乗るのは、その時の担当スタッフの車の助手席です。スタッフが自分の車を持っているときは、なかなか良い車ですが、事務所の車の時は、格安の中古車なので、いろんなことがあります。ラジオで高校野球の中継を聞いていると、急にサイレンのような大きな騒音に変わり、慌てて切ったりします。

靖国参拝につき、A級戦犯合祀を問題点として指摘するのは、戦犯のご遺族の感情を配慮し、慎むべきでしょうか。ことさら人の感情を逆撫でする表現を用いるのは、当然慎むべきです。しかし、逆に過度に感情に配慮し、自分の意志を表現するのを諦めると、議論は成り立ちません。それと、当然のことですが、戦犯の遺族だからといって、戦犯の責任を引き継いではいません。さらに、戦犯の全人格を否定してはいません。立派な方ももちろんいます。

誰も自分の親を誇りに思います。しかし親の責任を理由に、子を責める人もいます。私は、それは不当だと思います。私の父は、小作争議の指導者で、戦争反対で服役しました。今もそれを理由に、私への不支持を明言される人がいます。逆にそのために私を支持してくれる人もいます。面白いものです。



8月15日(水) 終戦、初盆回り、同期生、羽場君

今日は終戦記念日。静かに過去に思いをめぐらせる日です。私は4歳のとき、中国の石家荘で終戦を迎えました。何も覚えていません。翌年4月、天津に集結。父は世話係で走り回り、母は生まれたばかりの弟の世話で精一杯。私は、じっと海を見ていたそうです。佐世保へ帰還の上陸用舟艇の中から、私の記憶が始まります。船底に、ものすごく大勢の人がごろ寝していました。

初盆のお参りが出来るのは今日の夕方までなので、岡山市の東部を20人ばかり回らせていただきました。

高校同期生がすぐ近所に住んでおり、しょっちゅう飲んだり歌ったりしていました。偶然に肺に早期癌が発見され、良かったと喜んでいたのですが、そう簡単なことではありませんでした。今年3月ご逝去。お嬢さんは私の娘と同級生。お焼香に付き合ってくれました。奥さんは、娘たちの夫たちと、ゴルフに出かけたとか。元気に頑張れと、声援を送りました。

夜は、民主党県連の今後につき、真剣な会議。帰宅すると、羽場市議が待っていました。元秘書の西信男君の初盆参りに、新見まで行ってくれたそうです。


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