江田五月 活動日誌 2001年5月(16〜20) >>日程表 ホーム総目次5月目次前へ次へ


5月16日(水) 理事懇、決議、役員会、法相、議長、官房長官、生協、英国

今日は9時半、議員総会。10時から10分ほど本会議。終了後、法務委員会理事懇談会。明日の委員会の予定を決定。法務大臣の所信聴取だけで、質疑は24日となります。その前にハンセン病判決に控訴されてしまうと、委員会の場で法務大臣に意見を言うチャンスがなくなります。そこで私から、明日の所信聴取後、1時間で良いから集中審議をし、ハンセン病問題に限って質疑をしようと提案。理事懇を休憩にして検討することになりました。

10時45分頃、遅れて予算委員打ち合わせ会へ。来週の質問の打ち合わせです。峰崎さん、今井さん、円さんが質問に立ちます。12時から、国対・理事合同会議。各委員会とも新大臣の所信聴取が続きます。

13時、ハンセン病弁護団の皆さん、議懇の民主党メンバー、民主党赤松国対委員長と議運理事の3者で、18日に予定される衆議院本会議決議について協議。「控訴断念」が盛り込まれない決議だと、かえって控訴を正当化することになるので、元患者サイドとしては認められず、決議がない方がいいとのこと。国会としては、国会の反省と謝罪のメッセージを国民に発するため、決議をする必要があるので、さらに密接な協議で詰めることにしました。

13時40分、常任役員会。予算質問の打ち合わせ。靖国参拝や地方参政権をどうするかなど、支持率90%の小泉首相の攻め方に苦労しています。参議院でのハンセン病決議の内容も協議。

14時から、ハンセン病議懇役員会。情勢分析。14時30分、法務省の寺田秘書課長が、明日の委員会について話しに来られたところに、森山眞弓法務大臣が就任後挨拶に。緊張しているようですね。続いて同省参事官から、金庫株と単位株について説明を聞きました。法務委の自民党石渡理事と詰めの協議。

15時45分、法務理事懇を再会。明日の質疑は行わず、法務大臣に理事会に出席していただき、理事からの発言をお聞きいただくことにしました。与党側の誰が質疑に反対したのか、不明です。

16時から、民主党本部が拡張されたお披露目も兼ね、本部5階で両院議員総会。菅幹事長が、「小泉首相の足を引っ張るのでなく、頭を引っ張り、足を引っ張る自民党と、どこで千切れるか競争しよう。」と挨拶。

16時50分、綿貫衆議院議長に議懇として申し入れ。議長は議運委員会で協議して貰うことを明言されました。これで、法相から控訴について協議があったとき、事務レベルで勝手に返事をすることは出来なくなったと思います。

17時20分から30分間、議懇として福田官房長官に会い、小泉首相あての申し入れをしました。小泉首相が、控訴断念の政治決断をすることと、元患者の皆さんとお会いになることの2点がポイントです。

福田さん:「小泉首相の思いは、皆さんと一緒です。しかし、控訴しないとは言えません。税金を預かっているので、国民に説明できるかどうか、関係各方面ともよく協議します。」

私:「控訴してさらに訴訟を続けるために、税金を使うことを国民が認めるかかどうかも、よく協議して下さい。」

福田さん:「元患者の皆さんは、来てくれるでしょうか。」

私:「喜んで来ます。小泉首相が患者と握手をしてくれると、それだけで偏見除去の大きなインパクトになります。支持率が100%を超えるかも知れませんが…」

福田さん:「前向きに検討します。来週水曜日あたりでしょうか。」

18時、男女・人権・消費者部門会議。18時半、「日本生活協同組合連合会創立50周年記念祝賀会」。賑やかでした。19時20分、ブリティッシュ・カウンシル主催ゴマソール英国大使レセプション。20時過ぎ、近所の居酒屋で、郡司、大畠両議員の秘書さんらと一杯。記者さんたちもいて、つい政治談義に花が咲きました。



5月17日(木) 寺島さん、司法、法務委、法相、国のかたち、憲法、決議、日弁

今日は、8時から「ニューリベラル懇話会」で三井物産戦略研究所長、寺島実郎さんのお話を聞きました。「冷戦が終わって、西側から東側に持ち込まれたものは、junk food, sex industry, gambleの3つで、荒廃は目を覆うばかり。他方、新資本主義の現実は、IT革命のglobal化と言っても、理念の混乱、政治の液状化。55年体制の保革対立時に、革新の掲げた、護憲、反安保、社会主義の旗印は、全て融解しました。そこで、ニューリベラルの思想軸を打ち立てなければなりません。」ここで、私は時間切れ。

9時から、司法制度改革WT。審議会から直近の審議状況のヒアリング。いよいよ最終段階です。民主党の最終提言を渡しました。

9時50分、法務委理事会。10時から委員会。森山法相の所信の聴取です。その後、理事会を再開し、法相の出席を得て、ハンセン病判決について、各理事が意見を述べました。私は、これまで述べてきた根拠を上げ、控訴すべきでないと強く主張しました。自民党理事だけが、除斥期間などにつき上級審の審査が必要と言いたげな様子。法相は、慎重な言い振り。

10時45分から、法務部門会議等の金庫株についての勉強会。11時半から1時間、国のかたち研究会。今後の小泉内閣、特に田中外相に対する対応や、同時選挙の可能性につき協議。13時、ハンセン病本会議決議の文案の協議。

13時半、官邸に安倍副官房長官を尋ね、小泉首相あての司法制度改革提言を渡し、意見交換をしました。14時から1時間、参議院憲法調査会運営検討委員会。6月の調査会の持ち方、資料の合本についてなどを協議。

15時、NC会議に出席し、ハンセン病決議の民主党案の説明。了承を得ました。15時半、連合の担当者とハンセン病問題の協議。夕方、鷲尾会長が控訴反対を言明されました。16時、井上参議院議長に面会し、ハンセン病問題の申し入れ。16時半、法務省内の記者クラブで、司法制度改革提言の説明。17時、日弁連の久保井会長らに会い、提言の説明。評価してくれました。

18時からハンセン決議につき、議懇役員や弁護団の皆さんと、情報交換と長い詰めた協議。



5月18日(金) ハンセン控訴か、問われる小泉さん、国のかたち

今日は、朝はゆっくりして、メールの返事や原稿書き。その間にも、来客や電話連絡があり、デスクワークははかどりません。

ハンセン病判決について、国が控訴の方針と報道されています。ファイティング・ポーズを取りながら、飴玉をしゃぶらそうという構えで、そうすれば、飴玉が小さくて済むだろうという、姑息な魂胆でしょうか。旧来の自民党や官僚の考えそうなことです。

国のなすべきことは、まず謝罪、次に偏見の除去。控訴を断念し、小泉首相が元患者の手を握って「済まなかった」とひとこと言うことで、この2つが劇的に出来るのです。今でなければ、これは出来ないのです。給付額を増やすかどうかなどは、どうでもよいのです。ここのところを分かってほしいと、祈るような気持ちでいます。

小泉改革はやはり、暖かい優しいものではなかったのでしょうか。やはり、党や官僚の壁を破れないのでしょうか。問われているのは、小泉純一郎さんです。小泉さんにとっても、剣が峰です

15時から、ハンセン議懇の緊急役員会。情報交換と方針の協議。16時から、控訴についてテレビ番組のインタビュー。今夜遅く、放映されます。

18時半、新幹線で東京を発ち、一泊で国のかたち研究会の研修。後援会作りのノウハウの勉強ですが、私は最終で東京へ戻りました。

参考:やまのい和則さんの報告(厚生労働委員会質問)



5月19日(土) 岡弁、玉野、祝賀会、地方参政権、松下労組、報告会

今日は、8時のフライトで岡山へ。橋本元首相、平沼大臣も一緒で、何かと思ったら、片虎さんの事務所開き。巨大な事務所で、「改革で・・・」との看板が掛かっていました。小泉人気にあやかろうとの魂胆みえみえ。

10時から岡山弁護士会の定期総会。昨年度の決算や今年度の予算が議題です。弁護士法で自治権を与えられた会ですから、出席は会員の最低限の義務なのですが、思うに任せぬことも多いのです。終わって記念撮影。

12時半に、やっと玉野市に。田淵雅子さんと一緒に、みなとフェスティバルの開会式に参加しました。石田みえさんも一緒でした。

13時半、岡山弁護士会所属の、叙勲を受けた中村道雄弁護士と30年表彰を受けた高原勝哉弁護士ほかの皆さんの祝賀会に出席。山下一盛弁護士は、先日奥様を亡くされ、お祝いを言うのがはばかられました。

14時半、「多国籍住民でつくる地域社会フォーラム」へ。岡崎勝彦島根大教授と朴一大阪市大教授がパネリストで、私も国会の状況について説明しました。定住外国人の地方参政権付与は、日本が内なる国際化をしていく為の試金石だと思います。最低限の措置です。

17時半、松下電器産業労組電子岡山支部30周年記念行事の懇親会に出席。鏡開きをし、来賓として挨拶しました。この事業所は、蛍光灯と半導体を扱っており、過去30年は、右肩上がりでした。これからが勝負。また、この30年の労働運動は、粘り強い努力で労線統一と連合結成を達成した時代でしたが、その中で松下労組は指導的役割を果しました。こちらも、これからが勝負。

18時50分、森本県議の県政報告会に出席して、国政報告。石田みえさん、田淵雅子さん、田原、羽場市議も参加しました。田淵さんが、なかなかの説得力で話をし、これからが楽しみです。

20時、民主党県連の候補者選考委員会。



5月20日(日) ソフト、消防、法事、報告会、常幹、判事逮捕

今日は、8時から地元学区の男子ソフトボール大会。今年度最初の体協行事で、8町内会から12チーム出場ですが、私は挨拶だけで、試合には参加できませんでした。

9時半から、県消防操法訓練大会。県下各地の消防団から代表選手が出場し、成績優秀のものは全国大会に進みます。開会式だけで失礼しました。

11時半から、父・江田三郎25回忌と母・光子7回忌(1年繰り上げ)の法要を営みました。戦前戦後から高度成長までという激動の昭和の荒波を、政治の第一線で戦い抜いた夫婦でした。妙福寺の福島住職は、若者らしくお経を大声ではっきりと唱えます。初夏の緑の風が、開け放たれた本堂を吹き抜ける中、私たちも一緒に読経します。その後、墓前で読経。13時から場所を移して会食。親族一同、思い出に浸り、和やかなひとときでした。

喪主の私が、失礼して途中退席。15時半、岡山市内で国政報告。石田みえさん、田淵雅子さん、森本県議、田原市議も一緒です。

18時から、民主党県連の常幹。石田さんの選対会議に切り替え、具体的協議。最終新幹線で上京。名古屋から、鳩山代表が乗車。皆頑張っています。

東京高裁の判事が児童買春で逮捕。びっくりしました。刑事判決を書くときは裁判官の人格、買春するときは個人の人格。2重人格? 偽善判決? 福岡事件との共通点はインターネット。狭い人間関係が、情報化で急に広がり、抑制が外れたのでしょうか。司法のキャリアシステムが制度疲労を起こしていることは、明らかだと思います。


ハンセン病訴訟

今週は、21、22の両日、参議院の予算委員会総括質疑です。論点は多岐にわたりますが、その1つに、同時進行のテーマとして、ハンセン病判決に対する国の控訴の是非があります。

ハンセン病に対する国の施策によって、社会に、強烈な差別と偏見が作られました。これは人為的なものです。この切り裂かれた社会の傷を、どうやって癒すかなのです。

国の最高責任者である小泉首相が、元患者の手をしっかり握って、「悪かった」とひとこと謝ってくれること。責任とは、そういうことなのです。和解とは、金の話ではありません。心の響きあいなのです。その具体的証しが、控訴断念なのです。これは、今しか出来ないのです。


江田五月 活動日誌 2001年5月(16〜20) >>日程表 ホーム総目次5月目次前へ次へ