1979年 衆議院総選挙

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総選挙政策

行財政の改革  集権政治を改め、分権化ヘ!

 われわれの主張する行財政の改革は、単純な“安い政府”の実現や、行政の減量化だけの追求ではないし、かつまた機構の改革だけを目的とするものでもない。明治以降長年にわたって続いてきた中央集権的行政の根本的見直しであり、二一世めざして政治の変革を展望した場合、いかなる政治の形態が適切かを体系的に問うものである。

 それは端的にいえば、中央集権的縦型支配の形態を構造的に転換し、徹底した分権を推進することである。産業主義を追求する上では有効的な役割を果たしえたかも知れない現在の政治機構は、今後目指されている福祉型社会や活力ある社会創出の政治には適合せず、国民の多様な価値観とそこから生じる複雑な行政需要には応じ切れないことは明白である。

 外交、防衛、全国的経済政策、というような一国規模で行わなくてはならない行政を除き、その他の大部分の行政は地方自治体に移管し、それを政治の基本単位とするという一大転換が必要である。


 一、財政の改革
 われわれの提唱する財政改革の基本構想は次の通りである。
 第一に、過渡に中央政府に集中した税源を大幅に地方自治体に移譲し、財政規模も中央政府の肥大化を抑え、自治体に厚くするよう転換する。特に新税制創設の場合は、基本的にはこれを地方自治体の財源に充当する。

 現在、実際の行政量は、地方七に対し、中央政府三であるが、税収は中央七、地方三と、逆になっている。この構造を最終的には、行政と見合って、地方七、中央政府三に転換する。

 第二に、中央政府の一般会計の三分の一にのぼる補助金(中央縦型支配行政の根幹をなす)を最終的には廃止して、地方交付金に移行させる。これによって厖大な行政量を合理化でき、政治の分権化にも寄与できる。

 第三に、地方自治体に課税自主権を与え(課税対象・課税率など)、起債権も基本的には自治体の権限に移管する。

 第四に、国税三税は五〇%地方交付を目標とし、その算定基礎の決定権も自治体に付与する。

 以上の基本目標を追求しながら、当面は次のような改革を推進する。

(1) 地方交付税の交付率は三二%となっているが、実情に合わないし、分権の推進のためにはこの率を大幅に引き上げる必要がある。私たちは、当面四二%の交付率とすることを要求する。

(2) 補助金については、零細なものや類似するものを廃止・改革し、メニュー化と統合を進めて過渡的措置としては「総合補助金」制度に切りかえさせる。こうして自治体の裁量権を拡大しつつ、廃止へむけて改革を進めることにする。

(3) 法人事業税については、外形標準課税制をとり入れ、地方財政の安定化をはかる。当面は資本金五億円以上の法人に対して、事業税は外形標準課税とする。


 二、行政改革
 われわれの提唱する行政改革の骨格は次の通りである。

 第一に、肥大化した中央政府とその外郭団体を大幅に整理縮小し、大部分の行政を地方自治体に移管し、分権を徹底する。

 第二に、地方自治体の事務機構を縮小し、今後行政需要の増大する行政現場(福祉・医療・教育など社会サービス部門)は逆に拡充してゆく。

 第三に、真の行政改革は、行政機構(ハードウェア)の改革だけでは実現できない。行政主体をあずかるソフトウェアの改革をも合わせて追求しなければならない。

(1) 肥大化した中央政府を簡素化し、旧式化し現実に合わない不要不急部門を廃止して合理化する。この改革を推進するために、現在の行政管理庁を外局から独立させ、会計検査院と同様の機能と権限をもった組織とさせる。こうして行政の実態を総点検し、機構の肥大化や硬直化に鋭いメスを入れて改革してゆく。

(2) 中央政府の許認可事務を大幅に都道府県や自治体に移譲し、分権化をはかる。また地方事務官制度は情報・交通の発達した現在、実情に合う制度ではないので、これを縮小し、最終的には廃止して、その行政を都道府県および自治体に移管させる.

(3) 中央政府や地方公共団体の外郭団体を改革、整理し、それを減らしてゆく。大部分の外郭団体は、厖大な補助金や援助をうけ財政の浪費となっているが、これの廃止によってかなりの節約ができる。絶対に必要とされる事業は、極力民営に移管して、効率的経営によってそれを進めることにする。

(4) 地方自治体の役所事務機構は、この一〇年間に二倍に増え、公務員数も五〇%増加した。不要不急部門を改廃することによって二〇%の機構縮小をしなくてはならない(「日本都市センター」の分析・試算による。『新しい市役所事務機構』)。

 さらに現在、地方自治体には高度成長期に増員された厖大な管理職層がおり(二五〜三〇%)、行政現場と遊離したこの層は、自治体財政圧迫の原因ともなっている。

 この層を新しい行政需要の部分に配転してゆくことは、急を要する改革の課題である。さらに事務機構の簡素化と新しいシステム (例えば主管制など)導入をして合理化をはからなくてはならない。

(5) 地方自治体では今後、福祉・医療・衛生・教育という分野の行政量が拡大してゆくことが見込まれるために、この部門は、むしろ行政機能の拡大と充実が必要となろう。

 この領域の行政をふやしてゆく場合でも、従来のようなお役所的縦型の機構をふやすのでは問題の解決にならない。特に、終身雇用制の公務員によってすべての事業を行うという方法は妥当ではないであろう。地域住民のニーズに見合った柔軟な行政が実現されなくてはならない。

(6) 行政のソフトウェアの改革には、従来の逆ピラミッド型――縦型司令系統の組織機構に代わって、主管制の導入やプロジェクト・チームの随時編成など、柔軟な行政運営がまず必要となろう。そして職員が自己の立身出世に汲々とするのではなくて、行政の企画やその遂行に情熱をもって参加できるような「活性化」をはかってゆかなくてはなるまい。

 公的機関のもつ豊富な情報を駆使して主権者の利益を満たすような、とくに主体性のある活動の揚が行政機構の内部に形成されなくてはならない。このような行政体質の改革は、市民の政治参加を促し、かつまたそれと連動して追求されてゆくことになろう。

(7) 行政に関する情報の公開を制度化し、市民が自由にこれをえつ覧する権利を保障する。その手はじめとして、「オンブズマン」(行政監察委員)制を実施し、市民の代表が自治体の行財政を監視し、開かれた政治を実施する。

 三、税制の改革
 福祉社会の実現には、国民の、ある水準の財政負担の上昇を伴うであろうことを否定すべくもない。われわれはある水準の高負担は、それが現在の社会生活の改善のために必要ならば、回避すべきでないと考える。われわれの社会は、老後、病気、教育のための個人的保障を、もっと社会的保障に移しかえていく必要があるし、都市の改造や安全で快適な環境の創造のため、あるいは人命にかかわる多くの災害防止のため、もっと費用をかける必要があるからである。

 わが国のこれまでの財政運営は、どちらかといえば「安価な政府」型に傾斜し、高度成長期における財政収入の伸びを年々、減税にまわすという対応をしてきたため、国民の公共部門にたいするニーズの高まりと財政の規模とのあいだにギャップが生じており、他の先進国とくらべても、公共財政負担の対GNP比率ははるかに低くなっている。こうした事情を考慮すれば、長期的には財政の相対規模を高めることになる高負担を予定しなければならない。
(注)公共財政負担の対GNP比率は、西ドイツ、フランス、スウェーデンはいずれも五十%をこえ、イギリスも四五%で、それにくらべて日本は二六〜二七%で、約半分である。

 しかし、もちろん、われわれのいう「高負担」型財政は、医師の優遇税をはじめ、資本蓄積のため公正さを著しく損なっている種々の租税特別措置法の整理を中心とする税負担の公平化、財政支出の合理化を前提としてのみ提起される。同時に、福祉社会のための財政の積極的な役割のプログラムの提示と組み合わされて提起されるべきことを強調したい。

 大蔵省をはじめとするこれまでの政府の「増税論」はこれらの前提を欠いており、「不況」の「あと始末」としての増税という消極的な姿勢に陥っているところに根本的な問題があることを指摘したい。

 さらに、福祉社会の実現にせよ、社会的生活環境の整理にせよ、これからこれらの施策をする主体はほとんど地方自治体であり、中央省庁が中心ではないことに留意すべきである。

 したがって、今後国民のある程度の負担増がなされるとするならば、その税はほとんど地方自治体に還元すべきものであって中央政府の財政増大となるような税体系にはなりえない。税制の改革もまた、この基本線に沿ってはかられなくてはならない。

一、不公平税制の抜本的改革

 社会保険診療報酬課税の特例(医師優遇税)を廃止し、税の公正化をはかる。

 さらに、「利子・配当所得」の分離課税廃止、「有価証券取引税」の引き上げ、「土地譲渡所得課税」の総合課税など改革を急ぎ、税の公平をはからなくてはならない。その他、法人の各種引当金(「貸倒準備金」「退職給与引当金」「製品保証等引当金」など)、各種準備金(「海外投資等損失準備金」「公害防止準備金」「価格変動準備金」「証券取引責任準備金」など)の改廃および交際費や広告費への課税強化などを行い、不公平をたださなくてはならない。

二、以上の不公平税制の改革を抜きにした一般消費税には反対する。

三、地方自治体に課税自主権を与え、起債権も基本的には自治体に移管する。

四、財政構造の分権化(補助金を廃止しこれを地方交付金に移行)をはかると同時に、新税創設の場合には、これを地方自治体の税源にあてることにする。


エネルギー政策  クリーン・エネルギーの開発を!

 二一世紀を目指す経済政策の基調には、産業主義のもたらす諸弊害をいかに克服するかというすぐれてエコロジー(生態系保護)的意識が貫かれなくてはならない。ひたすらGNPのみを追求してきた産業主義は、資源の乱獲・浪費を行い、環境破壊をもたらしつづけてきた。そしてその結果として、資源・環境という難題が、経済成長を制約する桎梏となるに至った。

 われわれの目指す今後の経済活動は、なによりも、これまでの高度成長の負の遺産をいかにして克服し、調和あるものにしてゆくかという政策思想に貫かれたものでなくてはならない。われわれは、地球というかけがえのない環境保護を第一義的目標として、経済政策の骨格を定める。

 そのため第一に、経済成長に関していえば、「中成長」を経て漸次的により低い、より安定した経済に軟着陸させる道を構想する。産業構造的には、重化学工業中心から、しだいに第三次部門を拡大させ、その比重の高い構造へと転換させる。

 第二に、エネルギーの消費と供給の体系を抜本的に再検討し、石油全面依存から脱却し、再生可能エネルギー(クリーン・エネルギーを最大限に利用する新エネルギー・サイクルの確立を実現する(ソフト・エネルギー・パスの選択)。

 第三に、高度成長期になおざりにされていた社会福祉、生活関連ストックの充実に全力をあげ、福祉社会を早急に実現する。

 わが国の経済力は、他の先進諸国と比較してもなお十分に競争力に耐えうる力をもつ故に、その余力を右のような体質転換に有効に生かすことが、いまこそ求められているのであり、これこそ内需拡大の道にも通じるであろう。

 だがしかし、この転換はその場しのぎの短期政策で実現するものではない。長期的展望にたった経済体質の体系的な変革を漸進的に成し遂げる以外にない。

 われわれは、この経済転換の骨格となるエネルギー政策について次のように提案する。

(1) 第一に、再生可能エネルギーの開発に全力を投入する。わが国には再生可能エネルギーは比較的豊富である(水力発電――中小出力を利用すれば五六〇〇万キロワット可能、風力――現在の技術で二〇〇〇万キロワットは可能、太陽熱―― 一平方メートル当たり年間四〇万キロカロリー可能、その他、太陽発電、生物および有機廃棄物利用エネルギーは厖大な可能牲をもつ)。これらの諸エネルギーを全面的に開発すれば、二一世紀までには、現在使用している石油の約二分の一を代替エネルギーでまかなえる。現在の技術利用でこれを実現することができるから、要は政治的決断と有効な政策が求められているだけである。

(2) 第二に、省エネルギー政策の体系的な追求である。現在の政府の省エネ政策は、思い付き的(例、省エネルックや議会の冷房節約など)であり、場当たり的にすぎない。

 省エネルギー政策の基本は、次の三つである。
(a)最も石油に依存しているマイカーの規制と公共輸送機関の拡充。
(b)高圧遠距離送電(全エネルギーの四分の三をロス)方式を改め、小型・地域分散型発電への切りかえである。
 この基本政策の転換に並行して、
(c)諸省エネルギー策(断熱材利用、自動車の車体軽量化や速度制限、回生制御等)を追求すれば、石油消費量を終極的には二分の一に抑えることができる。

(3) 第三に、安い石油を前提にしてつくられた現在のハード・エネルギー・パスを全面的に見直し、地球の環境と調和するソフト・エネルギー・パスを選択するというエネルギー政策の基本を設定すべきである。ハード・エネルギーの究極形態が原子力発電であり、核エネルギー利用であるから、この選択が果たして二十一世紀へむけて有効でありうるかどうか、根本的再検討の機会を設けるべきである。すでに米スリーマイル島の原発事放で、その危険性がいよいよ身近になってきたいまこそ、原発を当面、モラトリアム(一時停止)して、後顧の憂いなきを期す機会とすべきである。

 以上のエネルギー政策の選択は、環境破壊を防ぐと同時に、石油輸入をめぐる国際的摩擦を避け、石油を長期的かつ合理的な活用を可能にし、かつまた、今後発展してくる途上国への適正技術(AT)の援助ともつながり、途上国の健全な経済発展へのわが国の国際的寄与ともなりうるものである。


新しい労働政策  労働の「人間化」を主要課題に!

 われわれは労働問題についても、新しい視点と問題意識をもった政策が必要になってきていると考える。

 それは第一に、産業主義がもたらした「非人間的労働」、劣悪な労働条件の除去という課題に直面しているからである。 第二に、高齢化社会のなかで福祉社会を展望した場合、いかなる労働政策が必要かを改めて問われるからである。

 第三に、労働の真の意味での「人間化」とはなにかを問われており、これを実現する方向を求められているからである。 われわれは次のような労働政策を提唱する。

 (1) 危険な労働や非衛生的労働の中止。
 産業主義のあくなき追求は、経済効率を高めるために、労働者に非人間的な危険労働や非衛生的労働を強いてきた。炭鉱労働、原子力発電における放射能被曝労働、高圧電線の修理など、人命を犠牲にした労働は依然残っており、こうした非人間的労働は一刻も早く中止されなくてはならない。これは労働の「人間化」のための初歩的課題である。

 (2) 労働時間の短縮。
 労働時間を短縮し、雇用増大と定年制延長を実現することは、さし迫った課題である。他面で、労働時間短縮は、文化を享受する余暇を増やすことにより、労働者の再教育、生涯教育の機会をつくることにも貢献する。

 (3) 高齢化社会の到来が必至の現在、中高年労働者の雇用を保障することが優先されなくてはならない。このためには定年制延長(六五歳)と、再教育と職業転換の道を保障すべきであろう。

 この場合、中高年層は能力の劣る労働力ではなく、多年の労働によって蓄積された豊富な経験と能力をもつ故に、その長所を十分に発揮できる「相互長所発揮型」社会をつくってゆくべきである。福祉社会とは、社会保障が制度的に整備された社会を指すのみではない。むしろ、こうした中高年層労働者も、人間のもてる能力を発揮して働き、社会に活力を保持させるような社会でなくてはならない。

 (4) 労働者の経営参加を促進し、共同決定方式から自主管理への道を追求する。
 労働者が自己の労働を商品として売る立場から脱却し、労働の「人間化」を果たすためには、賃金や労働条件の改革だけを求めても実現はしない。企業や事業所の経営や生産計画、経済活動のあり方にまで参加し、自己の労働が人間の意志による活動であるような状況を積極的につくりあげてゆかなくてはならない。

 (5) 今日、世界的にみても労働者参加は時代のすう勢である。それは次の三つの点から明らかにされるべきであろう。

 第一に、巨大株式会社制度が一つの転機にきているためである。巨大企業は社会的に大きな影響力をもつにもかかわらず、これを社会的にコントロールする方法がない。株主総会は全くの虚構と化していることは明らかな今日、企業改革の一つの有効な方法が労働者の経営参加であるという点である。

 第二に、労働運動の発展の一つの到達点として参加問題が登場していることである。職場や企業は労働者の働く一つの共同体であるが、そこにおける労働者は十分な発言権をもっていない。それを獲得するためにも、参加は避けては通れない。労働運動は、その疎外克服と「労働の人間化」のために、このことを切実に問われている。

 第三に、社会主義国の国権的集権的方法に対する反省から、参加問題が問われはじめたことである。社会主義国においてもまた、労働者の下からの意志決定への参加、分権的体制への移行という課題が達成されなければ、経済の硬直化や官僚体制の支配という弊害に陥ることが立証されてきている。参加や自主管理は、いまや社会主義思想の革新という性格をもっている。

 以上の点からみるとき、参加の方法としては次のようなものが、当面ありうる形態であろう。

(a) 経営者の人選、重要方針について、決定と結果の監査への労働者代表の参加(少なくとも半数)。
(b) 職場の運営、労働のあり方についての労働者の意志を貫くための参加。
(c) 政府の政策決定への労働者代表の参加(たとえば社会契約的国民会議を開くことなど)。

 これまでわが国の労働運動は、一見戦闘的なたて前をとってきたにもかかわらず、その実能は、こうした自覚が余りにも少なく、労働組合運動もはなはだ受動的、消極的な方針しかとってこなかった。われわれが労働の「人間化」を達成しようとするならば、労働者の参加こそ、その最も重要な鍵であると考える。

 (6) 労働戦線の統一について。
 現在、労働戦線統一にむけての気運が高まってきている。社民連は、労働組合の戦線統一へむけての努力に高い敬意をはらうとともに、その実現を切望してやまない。

 労働戦線統一について、社民連は次のような期待をもっている。

(a) どのような困難があろうと、できるだけ早期に、すべての労働組合が結集する唯一のナショナルセンター結成を期待する。
(b) この統一運動と新しいナショナルセンターは、政党や市民団体と連帯し、社会的制度を改革するために開かれた組織であることを期待する。
(c) この歴史的事業にあわせて、二〇〇〇万人以上の未組織労働者が、労働組合に結集することを期待する。
(d)社民連は、労働戦線統一に呼応して、政界において強力な野党結集の努力をおこなう。


医療保険制度の改革 くすり漬け医療を止め、公平な保険制度を!

 一、売薬医療の改革
 わが国の国民医療費の伸び率は年平均二〇%を記録し国民所得の伸びを年々上回り、五二年度における総額は八兆六五〇〇億円に上ったが、五年後の五八年度には二〇兆二八〇〇億円に達すると推計されている(国民所得に占める割合は六・四%)。この増大の最も大きな比重は薬剤費であって、その割合はほぼ四〇%に達し、欧米諸国の一〇〜二〇%に比べて異常な高さを示している。

 このようなわが国の医療における最大の問題である“売薬医療”“くすり漬け医療”の弊害を改めるために、

(1) 厳正な薬価基準の決定方式によって薬価を下げる。九〇%バルク・ラインという現行数値を切り下げ、実勢把握のためその調査方法を改める。             

(2) 医療分業体制の実施によって医師と病院の診療報酬から薬価を切りはなす。

(3) 診療報酬体系における医師の技術料を高める。

(4) 一定限度での患者の自己負担を設ける。

などの改革を直ちに実施すべきであるが、(2)の分業体制の確立のために“薬局は化粧品でもうける”と言われている実情を改めるために、

(1) 薬剤師の調剤技術料を高めてその質的向上をはかる。
(2) 試験、情報伝達、研修の機能を持つ管理センター、薬品備蓄センターをつくる。
(3) 過疎地域に公営薬局を設置する。
などの措置を実施する必要があろう。

 なお、薬剤メーカーの薬を一括して医者に統一価格で供給するための買い上げ公社を創設する方法も検討に値しよう。

 二、差額ベッドと付添看護料
 わが国の医療制度は重症の場合に負担が重く、軽症の場合には負担が軽いという“逆立ち医療”となっている。とりわけ差額ベッドと付添看護の患者による自己負担は深刻な問題となっており、長期・重症入院の場合にこの保険外負担は患者と家族の生活を破綻させる事態を招いている。

 この現状を改善するために差額ベッド料については、(1)本人の希望による特別室の室料差額については自己負担とし、(2)治療上特別室を必要とする患者については給付を加算する、(3)普通病室について病室設備の差に応じて数段階の料金制を設ける、などの措置を講じた上で徴収を禁止する。

 付添看護については、(1)諸外国なみに看護補助者の導入を頗る、(2)看護基準に加算制度を設けてその全額を保険による給付とする措置がとられねばならない。

 三、家族への保険給付と自己負担
 “逆立ち医療”の改善とともにわが国の医療保険における際立った不合理は、被保険者本人と家族との間の給付の格差の問題である。本人も家族も家計はひとつであり、社会保障の見地からその間に給付の格差を設ける理由はない。現にこのような本人と家族間の給付水準の差は、社会保障の先進諸国においてその例を見ないところである。すべからくすべての医療保険における本人・家族の給付は同一のものとしなければならない。

 また、主要諸外国の例をみても、入院の場合には自己負担のないのが普通であり、その代わりに、外来診療の場合には受診のつど、相当額の自己負担をさせたり、あるいは薬剤や歯科治療などの費用の一部を自己負担させている国が多い。

 したがって、われわれはわが国の医療におけるより高い充実・改善をはかるとともに、たとえば初診料および入院時の一部負担の額を適正水準まで引き上げ、再診時および外来投薬時の一部負担を導入すべきであり、軽症者の乱診乱療とそれによる医師の点数かせぎという現状を改善すべきである。

 四、三本立て医療保険
 我が国の医療保険は八つの制度に群立し、各制度間で給付、負担、財政の格差を生んでいる。この現状を改めて公正かつ合理的なシステムを実現するために、組合健保と政府管掌健保を被用者健保に一本化し、新たに総合対策としての老人医療保険を新設して、国民健保と合わせて三本立てとする。

(a) 被用者保険の一本化。組合健保と政管健保との間には傷害手当金や家族治療の給付における付加給付による格差をはじめ、さまざまな医療と健康管理、サービスの差を生んでおり、それは正に大企業労働者と中小・零細労働者の間の格差に見合うものとなっている。

 一方、被保険者一人当たりの医療給付において政管健保が六万八二〇四円、組合健保が四万七四三六円と約二万円の差が生じ(五〇年度)、また三六年度にくらべて政管は八・一二倍、組合は六・二七倍の増加率を示しており、保険料率と国庫負担の年々の増額にもかかわらず政管健保は累年赤字を増やし続けている。

 この現状を改めて給付を同一にし、医療にともなう格差を解消し、被用者(労働)保険として制度の一本化をはかることが適切である。

 そのための措置として、(1)全国一本という巨大でズサンな組織である、政管健保の被用者を一定地域に沿って組合に組織する。その方式は同業同種あるいは地域別のいずれかにより、共同連帯意識による経営の責任、さまざまな経営努力を強める、(2)健保組合との間に過渡的、段階的に組合の財政調整をすすめ、給付と保険料を同一化させるが、(3)それぞれの組合が事業主との間で既成化されている保険料の負担比率その他の既得権はプラスアルファとして維持される。

(b) 老人医療保健制度の新設。老人医療は単なる治療の問題としてではなく、年金や福祉サービスなどの他の諸施策と相互に関連させ、総合的な老人福祉対策の一環とする。

 そのために、(1)在宅ケアーを改善するためにホーム・ヘルパーの増員と訪問看護の拡充、ボランタリーの点数制の採用などをおこなう、(2)特別養護老人ホームの増設、健康診断、リハビリテーション、作業活動、リクリエーション、その他の福祉サービス機能を含めたケアー・センターの設置普及、(3)老人専門病院、総合病院における老人科の設置、などの対策を講ずる。

 またその費用の負担は国、都道府県、市町村が分担するとともに、(1)後代世代による一定の負担(割増保険料ないし新たな目的税)を考案すべきこと、(2)保険給付に一定の所得による制限を設けることが適当であろう。

 さらに治療中心よりも保健指導などに重点がおかれるべき老人医療については、医師の診療報酬を出来高払い方式から登録人頭払い方式とすべきであろう。

 (なお、開業医のあり方をすべて登録人頭払い方式をとるイギリスやカナダのホーム・ドクター――二〇〇〇人〜三〇〇〇人の住民を受け持ち、登録住民数に応じて診療報酬が支払われる――の制度に改変し、あわせて開業医と病院との分業システムを実施することも考慮に価する。)


年金制度の改革  公平で安定した社会をめざそう!

 われわれは年金制度を生存権の保障ならびに社会的連帯と世代間の合意によって支えられる制度と考えている。この立場から現行制度を点検するとただちに次のような問題点が明らかになる。

(1)給付水準が低く、ナショナル・ミニマムを保障する役割を果たしていない。
(2)形式上は国民皆年金制度ができているが、現在最も給付を必要とする老人の大半が本格的給付を受けていない。
(3)各年金制度が群立し、相互の整合が不十分であり、また格差が大きいはど全般的に公平性に欠けている。
(4)経済変動への対応が物価スライド制の導入にもかかわらず、なお脆弱である。
(5)積立金の運用など、制度運営に民主的管理を欠いており、また制度や支給方法が複雑すぎて、人々が自分の年金を自分で計算できるような状態にない。
(6)費用負担についての原則と確たる見通しを欠いてきたために、すでに財政破綻に陥っている制度があらわれてきている。

 このように現行年金制度は非常に大きな欠陥をもっており、現に深刻化しつつある老人の生活保障の緊急性に対しても何ら対応しえていないというのが実情である。われわれは医療と並んで社会保障の中心的内容をなす年金制度の改革をとりわけ重視し、次のような改革のための提案をしたい。

(1) ナショナル・ミニマムの保障と二階建て方式
 年金を基礎年金部分と付加年金部分とに分け、基礎年金部分だけで、ナショナル・ミニマムを保障できるようにする。

(2) 各年金の公平と統合をめざして
 そのために、
(a)各制度問をつうじて保険の多少にかかわらず一定の部分は基礎年金として支給額を統一し、福祉年金もこれに合わせる。
(b)この基礎年金に、保険料に比例する部分を付加年金として各制度毎に上積みする。
(c)その場合に、この上積み部分の計算方式を同一にして、官民格差の解消をはかり、被用者年金として、一本化をめざす。
(d)国民年金についても付加年金が受給できるように任意加入制度を導入する。
(e)年金の支給は定年制の延長とからませて給付開始年齢を同一化する (さし当たり六〇歳とし次の目標として六五歳をめざす)。
(f)老齢化社会に対応して、福祉年金受給者の減少とあわせて基礎年金部分の比重を高めてゆく。こうして制度間の公平化を実現しなければならない。

(3) 賃金(所得)スライド制の導入
 経済変動のもとで、年金生活者の生活水準が一般生活水準と乖離するのを防ぐため、物価スライド制だけでなく賃金(所得)スライド制を導入する。

(4) 年金の民主主義の確保
 年金制度をできるだけ単純明瞭化し、人々が容易に理解できるようにし、公的年金制度が官僚や専門家の「聖域」化することを防ぐ。さらに公的年金の運営を被保険者および年金受給者を中心とする民主的な運営組織によるものにする。

(5) 賦課方式への転換
 従来の積立方式は、今日のような持続的物価上昇のときには、積立金の実質的価値を大幅に低下させるばかりか、世代間の連帯に基づく負担の公平という原則の基礎を弱める。したがって、当年度の給付費を当年度の保険料収入と国庫負担で賄う賦課方式への転換をはかるべきである。


住宅・土地問題解決のために
   公的機関の先買い権と農地の宅地並み課税

 本年度予算の編成いらい住宅建築は、公共投資とともに不況・円高問題に対する重点政策としてにわかにクローズ・アップされてきた。たしかに衣食に一定の充足を得た今日、住宅は最も切実な国民的ニーズであり、もし適切な政策がおこなわれればその潜在的需要は顕在化し、確実かつ長期的に内需を喚起するものとなるであろう。三井不動産の江戸英雄会長でさえ「三五〇〇万世帯のうち住宅飢餓感を持つのは一〇〇〇万世帯」と言っている(「朝日新聞」五二年一二月二七日)。

 昭和四五年の国勢調査当時の二六六七万世帯のうち狭小住宅と思われる借家居住世帯は一一一六万、実に全世帯数の四二%を占めている。とくに東京・大阪の二大都市の場合にはそれは全体の実に六二%にも達している。そこから国民の持ち家にたいする熾烈とも言うべき欲求が生まれており、政府はこれに注目して個人住宅向け融資ワクの大幅な拡大をおこない、償還期限の延長、融資限度額のアップなどの措置を講ずることによって、投下費用の二・四五倍とされている需要波及効果に期待を寄せている。

 しかし、こうした政府の見とおしはほぼ確実に実現し得ないであろう。なぜならそれは適切な土地対策を何ら伴ってはいないからである。

 現在わが国の住宅建設費用のなかで土地代金の占める割合は実に六〇%であり、住宅建設費用とはとりもなおさず土地代金であると言っても過言ではないからである。(因みにアメリカの場合は二〇%、従って建設費はアメリカの六〇%に対して三五%、設備費は二〇%のアメリカに比べてわずか五%となっている)。したがって年収三〇〇万円で同額の貯金をしている平均的サラリーマンが一五〇〇万円のマイホームを建てればその返済額は収入の約四〇%に達する。

 このように、持ち家の夢の実現が借金奴隷への転落を意味することは目に見えている。加えて土地対策を伴わない住宅建設の促進は地価の高騰につながり、その因果はめぐって住宅建設をいちだんと困難にするという悪循環を生むであろう。これでは景気回復どころかスプロールの拡大、零細住宅の急増といった住宅問題の深刻化をさらに促進せずにはおかないであろう。

 乳児の圧殺事件さえ生まれ、人工妊娠中絶の因ともなり、さまざまな精神的、肉体的条件を侵す過密住宅、実質労働時間の延長を意味する遠距離通勤、そして公害・高家賃・高ローンと、住宅問題は人間としての生活要件を欠いた状態のまま放置されているのが現状である。

 生活力やGNPの急速な伸張とは対照的にわが国の住宅事情は中進国並みの低水準にあり、老後の不安、多額な教育費負担とならんで住宅問題は国民の切実な問題とされて久しい。とりわけ土地価格は適切な対策が講じられることなく、資本主義的無政府性にまかせられて異常な高騰を招いたままに推移し、住宅問題を解決するに当たって最大の障害となっている。

 われわれは今こそ土地問題に対する抜本的かつ総合的な施策を実施し、シビル・ミニマム、ナショナル・ミニマムとしての住宅問題を解決し、国民の多くが望んでいる快適な住居を実現するために、以下の五大重点政策を提案する。これは、さし迫った住宅建設の促進という景気対策の充実もさることながら、わが国の住宅問題の解決のための合理的、長期的な政策の基礎をつくり出すために必須のものであろう。

 一、土地税制の強化
 いうまでもなく、土地は人間の生活にとって欠くことができないものであるにもかかわらず、その量をふやすことが困難であるという点で、社会全体の共有財産という性格を強く持っている。

 また土地の価格の上昇は公共投資の効果や都市化の進展、あるいは一般的なインフレ期待などほとんどすべて外部的条件に基づくものであって、土地保有者の何らかの生産的努力に因るものではない。前世紀の末いらい、土地の売買に対する税制の強化がおこなわれ、さらには土地の私有そのものに対する規制が、公有化をふくめて次第に社会の趨勢となってきているゆえんである。

 しかるにわが国の場合、土地の稀少性が著しく高いにもかかわらず、土地の私的保有による利益の増大は野放しにされ、土地価格の上昇による社会的還元という通念はきわめて未成熟であった。土地税制はようやく四四年度になって従来よりも強められはしたがなお低率であって土地価格の上昇を期待する貯蓄動機の土地保有を規制する効果を生まなかった。ところが政府・自民党は近く譲渡所得税の軽減をはかろうとさえしているのである。

 第一に譲渡所得税に対する政府の軽減措置は誤りであることはもちろん、第二に実現していないキャピタル・ゲインに対しても都市計画税の引き上げ、あるいは市街化区域内の一定規模以上の土地に対する固定資産税の課税対象額の引き上げや税率アップなどの措置を講ずべきである。

 このような土地税制の強化によって貯蓄動機にもとづく土地保有=広義の土地投資によるキャピタル・ゲインは大幅に規制され、土地の放出が促進される。同時にこのことによって土地価格の騰勢をも阻止することができる。

 二、市街化区域の地の宅地並み課税についての選択方式の導入
 ほんらい市街化区域は一定期間内に市街化することが妥当と認められ、そのために巨額の公的資金が投入されて都市施設が整備されることとされた地域である。ところが現在この区域内の農地はなお三大都市圏で一四万ヘクタール、東京都にかぎっても六万へクタールを占めており、しかもその税制はさまざまな優遇措置によっておどろくほど軽微である。

 このため多くの農地は値上がりを期待して低度利用のまま保有されている。たとえば東京都の場合、五二年一月一日現在で二万九九六〇戸の農家の中で、農産物の販売金額がゼロのものが四六・一%を占め、年に一〇〇万円以下のものを加えると七六・三%を占めている。

 市街化区域内の農地に一般の宅地並みの課税が実施されるならば、これによって相当部分の農地の放出が促進されることになるであろう。加えて、国庫補助率を引き上げた自治体による区画整理によって、計画的な土地利用計画の実現が可能となる。ただしその場合、長期(たとえば二〇年)にわたって営農をおこなう意志を明示する農家はその例外とする措置を講じてその営農の権利を保証すべきである。以上の措置をさし当たってまず東京都に限って実施することとする。

 このいずれかの選択を農民じしんにゆだねることによって、優遇税制によって将来の土地価格の上昇を期待し、低度利用のままに保有されている農地の相当部分の放出が促され、同時に都市農民の営農権は保証されることになるのである。

 三、市民参加と自治体主導による土地利用計画の実施
 わが国の土地利用計画はほとんど皆無であり、都市は無計画、無秩序のままに放置されている。市民の参加と合意に基づき、各級の自治体による本格的な土地利用計画の実現が急がれねばならない。

 そのための槓杆として、国と自治体がみずから定める一定の区域内における土地のすべての売買に関して、先買い権を確立する。ほとんどの欧米先進諸国において確立されているこの公的セクターによる先買い権を一日も早く実現し、この条件を活用して市民による土地利用計画の作成と実施が急がれねばならない。この先買い権を行使し得る裏付けの財源は土地税制の強化と同時に、このための地方債の発行によるものとし、そのための移行措置としては交付税率を飛躍的に高める。

 四、公共住宅の飛躍的拡充
 シビル・ミニマム、ナショナル・ミニマムとしての住宅問題の解決は公的・社会的な責任であることは、今や先進工業諸国の通念となっている。イギリスの公営住宅は戦後の建設総戸数の六割に近く、西ドイツの社会住宅は六割五分に達している。わが国の場合、公共住宅は僅か七%に過ぎない。

 したがって、全住宅戸数の三〇%を目標に各種の公共住宅を大量に供給することが急務である。また公共住宅は職業の場所や家族構成に対応して住み替えが容易になるように立地、規模、形式などでバラエティに富んだものとすることが必要であるが、その提供に当たっては、(1)入居後もふくめた所得のチェックを厳正におこなう、(2)公共料金としての家賃の値上げは合理的な根拠と入居者の同意によっておこなう、などの措置を必要とするであろう。

 五、木賃アパートの建て替えと改善
 狭小で過密な木賃アパートの居住者(東京都下では全世帯の約三割を占める)の劣悪な居住条件を改善するために、国と自治体はその所有者と協力して、融資、共同建設借地権設定など多様な方法でこれら不良住宅を良質な共同住宅に建て替える。

 持ち家のための条件を整備するために、ローンの支払い期限を現行の二〇〜二五年から思い切って四〇〜五〇年へと延長し、二世代にわたってその支払いをおこなえるようにすること。また良質の住宅供給を促進するため、住宅金融公庫の融資条件を大幅に緩和する必要がある(年収に対する融資金額を引き上げること、および年齢制限を廃して二世代にわたる返済を保証すること)。

 その場合に抵当証券を発行して債券市場で自由に流通する制度を併せ導入し、長期の住宅資金の貸し出しにともなう銀行経営の不安定化を避ける、などの措置をとることとする(地域ごとに「高さ」と「低さ」を一定限度に規制する措置も考慮に値しよう)。


環境政策  公開と参加のアセスメント法をつくろう!

 われわれの環境政策は、公害防止という狭義のものにとどまるものではなく、自然環境の積極的擁護と人間生活の快適性(アメニティ)を守ることをふくむ広義のものとする。


 一、環境アセスメント法の制定
 環境庁は環境アセスメント法を準備してきたが、大企業やその意向に迎合した官庁(建設省、通産省など)の圧力に屈して法案を流産させてきた。われわれはこうした政策に抗議し、以下の内容を盛り込んだアセスメント法の即時制定を要求する。

《 われわれの主張するアセスメント法の骨子 》
(1) 影響評価の適用対象を典型七公害に限定せず、原子力施設から生ずる放射能汚染や石油パイプラインの影響、さらに、自然破壊、土地利用と管理、過密混雑緩和、史跡や建造物など歴史的環境保存、景観の維持や野外リクリエーションなどまで含めた総合的なものとする。
(2) 影響評価の対象となる事業主体は一切の制限や区別を設けずすべてに適用する。
(3) 資料・情報公開の原則を貫き、計画段階から一切の資料を公開させる。調査・予測後につくられる「準備書面」は 住民が十分に縦覧し、検討して意見を出せる時間のゆとりをもたせるべきである。少なくとも六カ月間以上の縦覧期間をおくこと。
(4) 住民参加を保障するために、公聴会を義務づけ、住民はもちろん住民の推薦する専門家や技術者を制限することなくこれに参加させる。
(5) 関係地方自治体はこれと並行して公聴会や公開の検討委員会を開催し、住民の意志が反映されるよう積極的な措置をとる。
(6) 完全に独立した第三者中立機関をつくって最終的決定権をこれにゆだねる。
(7) 影響調査は短期・中期・長期の三段階にわけられる。第一次影響ばかりでなく、順次的影響効果、累積効果も検討・評価する。また、影響効果が予測に反する結果を生じた場合は、計画を一時中止し再度影響の測定評価をやり直し、住民参加の下に再決定をしなくてはならない。中期・長期予測に関してはこのような修正が可能であることを明記しなくてはならない。

 二、地方分権化による環境保存の強化
 公害防止策は中央官庁から開始されたのではなく、住民の利害と関連の濃い地方自治体からまず着手された。同様に環境保護の施策は地方自治体から動きが始められている(例えば七大都市首長懇)。われわれはこうした動向を評価し、次のように提言する。

(1) 環境アセスメント法が実現する以前からそれに代わる地方条例を速やかに制定し、実際的環境政策を開始する。
(2) 環境影響は地域毎に特徴をもち、複雑・多様であるから、地域的「環境管理計画」を住民参加のもとに作製し、これに基づいたコミュニティづくりを運動化する。
(3) 環境の範囲を広くとり、歴史的文化的影響や災害対策、自然保護・景観保持などを条例の対象としてゆく。
(4) 以上のような積極策をとるために、自治体や審議会や推進委員会のような機関をつくる。これらの機関はすべてを公開性とし、住民・市民の代表を必ず参加させる。

 三、産業廃棄物・有害放出物資の規制
 二酸化窒素(NO)の規制基準緩和にみられるように、産業界の圧力に応じて廃棄物や放出物資の緩和策がとられつつある。だがしかし、この緩和策は科学的根拠に基づくものではなく、環境破壊と健康障害再発生の恐れが十分にある。

 われわれは、廃棄物や放出物資の規制について次のような政策をとることを要求する。

(1) 各種放出物資の環境への影響に関する研究の強化とそこからえられる情報の公開を制度化すること。
(2) 公開された情報に基づく公聴会を開催し、住民参加の討論を保障すること。
(3) 総合的に環境保護を調査・分析・解明をする調査研究機関の設置(“公害研”ではなく“環境研究所”である)。
(4) 独立した第三者中立機関をつくり、最終決定権をこれにゆだねる。

 四、入浜権の確立
 海域、海岸、河川は市民の共有財産であり、市民が自由かつ不可侵に使用を許されるべきものである。国はこの市民の利益を第一義的に考慮すべきであり、この公的なものの管理を信託されているにすぎない。したがって企業の利益のために海辺の切り売りを自由に行わせることを禁じ、住民が海辺に立ち入ることのできる「入浜権」を環境権の一部として確立すべきである。

 その上で、海岸埋め立てや産業の海辺利用にあたって環境アセスメント法を適用して、その賛否を決定すべきものとする。


雇用政策  社会サービスで失業のない社会を!

 一、状況と認識の課題
 石油危機以降、労働市場は大きく緩和し、失業率は四八年度の一・四%から五二年度には二・四%へ上昇し、今年六月は二・三九%に達している。有効求人倍率は四八年度は一・七八倍で人手不足だったが、五二年度には〇・五四倍と、職を求める側の二倍に達している。

 完全失業者は五二年平均で二三万人、景気がゆるやかな回復に転じたのちも、女子パートと零細企業雇用者で増加が見られるが、男子、大手企業では逆に減少し、一貫して「人べらし」が続いている。また地域別、年齢別の失業率や求人倍率でかなり格差が生じていることも問題である。

 さらにもっと重要な問題は、当面の雇用情勢の悪化は、一九七五年不況の長期化によって生じたものだが、その底流にはもっと長期的な雇用基調の変化が生じていることである。それは第一に、六〇年代型の重化学工業中心の雇用拡大の再現はできなくなっている。第二に、六〇年代からすでに、雇用拡大は第二次産業から第三次産業毒型へ移行している。第三に、中・後進国の追いあげ等で、構造不況業種が生まれ、産業構造の転換期を迎えていること等である。

 以上のような状況から、かりに、当面、六〜七%の「中程度」の成長が実現したとしても、雇用不安の解消はむずかしく、まして「より低い成長率」のもとでの完全雇用の維持という、これまでになかった課題にわれわれは直面せねばならなくなっており、目的意識的な、雇用創造のための長期的計画を確立する必要にせまられている.

 二、これからの雇用政策
  雇用保障に結びつく新しい生活条件の水準を
(1) 当面の失業給付日数の延長、給付率のアップをさらに推進するとともに、特定不況地域に対して、財政支出の配分を増大する。
(2) 労働時間の短縮。とくに週休二日制を早期に実現し、夏期休暇の大幅延長をはかる。完全週休二日制の普及率はアメリカ、イギリス等の八五%にくらべて、日本は二三%と低い。学校、官庁、銀行を先行させる等の方法を考える。
(3) 定年の延長をはかる。年金と整合させ、また賃金体系を改める問題とセットして、公共、民間ともに、当面六〇歳、将来六五歳を原則とする。
(4) 年金の成熟を早め、基礎年金の統一をめざす。
(5) 中・高年齢者の雇用を守るため、何らかの解雇禁止を含む雇用保障の原則を確立する。
(6) 労働者の経営参加によって、雇用保障をより確かなものにする。

 以上のような、労働時間、社会保障、経営参加等の実現は、国際的な「公平な競争」の条件を整備することになり、公正、対等な自由貿易を主張することができる。

  自治体の役割の見直し
 徹底した分権化は、これからの雇用政策においても不可欠である。環境保全、治山治水、都市計画はもちろん、中小企業、農林漁業対策の大部分は全面的に地方自治体に移管すべきである。

 たとえば中小企業の大部分は、地域産業であるか、地場産業であり、地方自治体の政策に委せることによって創造的な雇用の機会を増大させることができる。また分権化は、公共投資や公共サービスの持続的な拡大による、雇用創造のためにも不可欠の前提である。さらに失業率や有効求人倍率の地域間格差に対応して、財政支出の配分をリンクさせる等のキのこまかい政策も考慮されてよい。

  社会サービス活動の領域での雇用拡大
 広義の社会サービス活動、すなわち、教育、文化、医療、保健、社会福祉などの領域でもっと多くの人材(教員、文化事業関係者、看護婦、保健婦、リハビリテーション技術者、施設職員、地域福祉事業関係者等)雇用計画を立てるべきである。こんごの雇用増の主力は、いやおうなしに、第三次産業であるが、第三次産業を私的消費領域での、いわば雇用の「吹きだまり」にするのではなく、福祉社会化への成熟を意識的に早める展望をもちながら、ますます高度化する国民のニーズに対応すると同時に、多くの人々にたいして、新しい有意な職業生活に参加する機会を用意すべきである。

 こうした広義の社会サービス領域で、今後一〇年間に、二〇〇万人程度の雇用増を期待することは困難でない。またそれは中・高年層の失業に対応する「福祉雇用」の考え方にも通ずる。

  有効な職業転換政策
 これまでの職業訓練計画や訓練施設は、基本的に転換された労働力をどこにもっていくかというビジョンに欠けているため、形式的なものとなり、効果はきわめてうすい。今後の方向としては、以上のような雇用創造計画に沿って、むしろ、一般教育機関を職業転換のための技能習得のために活用することが必要である。

 たとえば中・高年齢層の職業転換のため、一般教育機関に特別コースを設け、特別奨学制度を用意し、失業手当てと併給することによって、生活の保障をはかりながら、新しい職種を身につけるようにする。こうした方法はいわゆる生活教育の実際上の手がかりともなる。


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