1985/04 社民連十年史/明日の連合にむかって

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座談会―今こそ社民連(1985/04)  再生・前進の途をこう拓く

(石井紘基機関紙委員長の挨拶)
 社民連は「今こそ社民連」という意気込みで二月九日、十日、大会をやりまして、その後約二カ月、何とか今のところは順調に動き出したといっていいのではないかと思うんです。

 たとえば、顧問団会議が早速開かれるとか、あるいは三役議員団会議は毎週木曜日に朝八時半から行われているとか、事務局会議も隔週に行われて、さまざまな体制づくりの問題について具体的に進めているとか、そしてそういう中で機関紙も何とか発刊をしまして、今後継続的に月一回刊行していくということになってまいりました。

 今日は江田五月代表、阿部昭吾書記長、菅直人副書記長の三役および常任顧問の田英夫さん、そして法政大学の内田健三先生に外側から、社民連を見ているというような立場からご参加をいただきました。

 また内田先生は以前マスコミ界で大変ご活躍だったということもありまして、政界の内部のさまざまな事情についても熟知されていらっしゃるので、きたんのないご意見をいただきたいと思います。

 世代交代のトップを切った

江田 ご多忙のところお集まり下さって有難うございました。去年一年、のるかそるかの議論をして、「再生・前進」の大会を終わらせて、新しい体制をとったわけです。

 そこで、私たちは「今こそ社民連」だと思っているわけですけれども、どうも政党というのが一人よがりということもよくあり、周辺から見ている皆さん方がどうごらんになっているか、あるいはどういうことを期待をされているか、これをずっとこれから虚心坦懐にいろんな人に聞いていきたいと、こういう気持でいるわけです。

内田 私から、口火を切らせていただくんですが、「今こそ社民連」という意気込みはいいんですが、それほど、国民の目に見えているかということだと思うんです。

 しかしその前に私は、全体状況を言えば、「今こそ政治が動く時」みたいな感じを持っているんです。それで、今度二月大会をおやりになったんだけれども、私は二月というのはタイミングが非常によかったと思っています。というのは、三月からにわかに政治の世界は非常に大きく動いているわけです。それは竹下創政会にしろ、田中ダウンにしろ、民社党党首の交代にしろ、これはやっぱり全体的に見ると、例の五五年体制の打破というのが、社民連の結党の原点だったと思うんだけれども、それが三十年たってようやく最近は八五年体制というのが今つくられつつあるのではないかという、そういう評論が出始めている時なんですね。

 だからそういう意味では、社民連の新しい展開というのは非常にタイムリーじやないかと、そう思って見ているんです。まず田さんから今度の引き継ぎについて。

 フレッシュな後継者の下、新しい政治改革の実現を

田 
実をいうと、今度、再生だ、前進だというようなことに漕ぎつけるにも、内部ではなかなかやはりそれなりに、小さいにも関らず激論をしてきたものですから、私はやはり「今こそ社民連」というのは少し、これもまた、身のほど知らずに聞こえるかもしれないけれども、一言で言えば、五五年体制を崩壊させて新しい政治をつくらなくちゃいかんという意気込みで言っているわけです。

 今日、保守か革新かとか、資本主義か社会主義かというような政治構造が次第に変わってきている。つまり五五年体制を打ち壊してもっと新しい価値観の下で、政治がより市民的な立場から見られていかなくちゃいかんという、これがまあ江田三郎さんの言われた新しい政治だと思うんですが、それを目指してきた我々の見通しが、いよいよ現実のものになり始めてきているんじゃないかということで、社民連という小さい政党の運営、経営は苦しいけれども、ここで何とか耐えていかなくちゃいかんと、その思いが「再生・前進」というところにつながったんだと思います。

 いよいよ「今こそ社民連」というスローガンの下に生き続けるということを決めなくちゃいかん。それが生き続けるとすれば、やはり江田五月さんという得難い人が居る。

 つまり江田三郎さんが言われた新しい政治哲学を実現しようというのが、社民連の一つの基本的な柱にあるわけですから、それをいよいよ受け継いでいくには、息子さんという、これは世襲じゃなくて、そういう意味でも得難い人だし、それから非常に若くてフレッシュな、清潔なイメージということも、これからの新しい政治にぴったり。まずここにバトンを渡すことが大前提だと、昨年末あたりに心に決めた方向づけであったということです。

内田 では今度は江田代表に移って、そこで社民連をどうするかと。

江田 田前代表の決断をいただいて、若いエネルギーでまあ猪突猛進してみようという事で引き受けたわけですが、実際に代表なんてことになってみると、なかなか大変で改めて田さんの苦労がよくわかる。

 今こういう大きな激動の時期に、やはり変化していく客体と、変化をつくっていく主体というものがあるということですね。ですから、図体の大きさということが、比較的意味が少なくなってきている時期であるので、僕らは図体の小ささをあまり悲観することなく、むしろ時代をどれだけ前進させる先見性を我々が持つことができるかということに、最大の情熱を注いでいきたい。それがまあ我々が生きる道ですよね。

内田 新旧代表からお話があったんですが、私が見えないじゃないかと言ったのは、水をかけたわけじゃなくて、現実の問題としてやはりもうちょっと数がほしいということは、残念ながらあると思うんです。

 しかし私は、社民連の存在価値というものは決してそんなに低く見ていないわけで、やはり起爆剤的なものはあると思うんですよ。

 生産と生活の結節点を

阿部 内田先生もおっしゃった我々の悩みは、率直に言って、国民の目の前にどのように、小は小なりに主張を明らかにし、姿を出していくかということです。日本の政治全般にしみ込んでいるイデオロギー偏重とか、組織依存体質とか、あるいは党利党略のようなものから、もっと大きく転換し脱皮を遂げていけるような状況づくりをするという任務を果たさなきゃならんのですけれども。

 向う一年ちょっとの間に、参議院選挙があり、また次の総選挙もある。これを我々としては一つの勝負にしたい。したがって早急に私どもは相当の人材発掘と他の友党との協力関係や、他のいろんな人たちの協力関係等もつくりながら、今のミニミニ体制から少し姿の見える、予算委員会にやはり発言の場を持っているくらいのところまでは、自力でとにかくもっていく決意です。

菅 社市連以来つねに言い続けてきたことは、既成の党の硬直性を変えていかなくてはということ。もう一つ、それと関連はするわけですが、既成政党に組み込まれていない、しかし非常にアクティブなパワーも潜在的には持っている市民層を、政治の中でどう関連をつけていくか、あるいはそういう勢力を広い意味で結集していくかという、この二つを常に追い求めてきたと思うわけです。

 この間いろいろな試行錯誤が、あったわけですけれども、この数年の流れを見ていても、いろいろな事件がありますが、一番最近で言えば逗子のリコール、ないしは市長選挙。無党派の三十代の子育て真っ最中の主婦が自転車に乗って集まってきて、ワァーとやっているわけですね。あのエネルギーあるいはもうちょっと古くなりましたけれども、勝手連というものが北海道で動いて、多様な人を巻き込んだ。

 我々が社民連結成以来そういうことについてやらなければということが、かなりのところで進んできたということは、これは間違いない。

 そういう市民層の政治的なエネルギーの盛り上がりというものは、もうこれはだれもが否定できない存在になっていると思うわけです。

 もう一言、いわゆる既存政党の中での再編問題にももちろん我々も絡んでいかなきゃいけないが、しかし同時に生産点をベースにした運動体である労働組合、あるいは企業、そういうものと、もう一つ生活点をベースとしたいろいろな市民運動、消費者運動、あるいは主婦の運動というものが、私は今の社会構造の中で二つのチャンネルになっているような気がします。

 そういう意味で生産点と生活点の結節点をつくっていく役割を、社民連が果たせたらと思っているところです。

 真中の党が政治を決める

内田 私はその生産点と生活点という問題がやっぱりヒントだと思うんですよ。私はよく言うんですが、生産点でもこれはうんと頑張らにゃいかん、たとえば全民労協みたいなものとのつながり方、これは一つのポイントであると思うんです。

 それから私はやっぱり生活点というか、生活の場での活動が大事だと思う。我々の仲間を見ていても、企業にいるということは労働組合に入っている。ここでは活動するわけです。そして仕事が終わっても、新橋界隈で飲むんですよ、仲間で。そして、電車に乗って四、五十分かかって郊外の我が家に帰る時には、とたんに孤独なんですね、これが。猛烈に孤独で、駅前で大体赤提灯で飲むなんていうのは、ほとんど孤独で飲んでいるんですよ。だからそこのところでつかまえることじゃないかね。

 そこで連合問題ですけれども、これは初めに小さ過ぎるなんていう話をしたんですが、やっぱり私は社民連の位置というのは、非常にいい所に今やいるというふうに思うんですよ。というのは、政党論を書いたデュベルジュというのがおりまして、「基本的な政治の方向は、議会の真中にいる政党で決まるんだ」ということを言っているんですね。

 それで議会の真中にいる政党は今どこかというと、社民連なんですね。私はそう思うんですよ。つまり右に自民党がいて、民社党がいる。新自由クラブというのは非常にデリケートだと思っているんですが、そして公明の隣に社会党がいて、社会党の隣に共産党がいる。この共産・社会と、自民・民社との間のあたりに社民連というのがいて、そういう意味ではちょうど中央という感じがあると

 それから今度はもう一つの問題は、その一つ一つの政党がみんな一種の分化傾向というものを生んできている。一種の緩んだ形になりつつある中での、ゆるやかな連合の可能性というのは、まんざら捨てたものでもないと思っているんですがね。

 小さな集団だが大きな役割果たす

阿部 それぞれの政党の立っておる基盤というものが、また大変な変化を遂げつつあると思うんです。

 たとえば全民労協というものが将来、官公労の再編統合までどんどん進んでいって、同盟イコール民社、総評イコール社会党、そのどっちもが、どうも今までのような安住体制は許されなくなっていって、一つの脱皮転換を否応なしにせまられてくる。

 そういう意味では私どものこの小集団は、単なる政党間連合のほかに、そこには自己というものをちゃんと持ちながら、ある役割を果たしていくということが大切になってきているのではないかと思う。

菅 政党間連合に若干絡んでいえば、政党対政党のトップ同士がいろいろ話をして一緒になろう、なるまいとかというだけでは、全然進まないわけ。

 まあたとえば、江田さんや私なんかも、あるいは阿部さんなんかも、個人的に民社党や社会党の人といろいろおつきあいをする、あるいは民社、社会、我々の三者でつきあうと。そういう作業が我々がやり得る政界の新しい連合に向けての、かなり大きな役割になり得るんではないかなと。そのパワーとしての役割ではないけれども、お互いのカルチャーを融合させていく役割が、かなり果たせるんじゃないかなと思っているんですけれどもね。

内田 それは大事なことですよ。

阿部 こわくないからね (笑)。

石井 ご苦労さまでした。今日の議論では社民連のレゾンデートルというか、「今こそ社民連」、チャンスは大いにあるぞというお話、さらに、社民連はこういう党にという方向性が出たように思います。

(1985年4月)


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