1983年 第三回全国大会(1983/01/23)

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代表挨拶(要旨)  政治変革の先頭に立とう
代 表  田 英夫

 ことし一九八三年は、日本の政治史に大きく残る年になると思います。
 露骨に右傾化を強め、「不沈空母」発言など日本の軍事力増強に突き進もうとする中曽根内閣、そのもとで四月の統一地方選挙、夏の参議院選挙に加えて、衆議院の解散・総選挙も参議院とのダブル選挙という形をとって行われると思われます。

 さらに一月二十六日には、ロッキード裁判の田中角栄被告に対する論告求刑、さらにこの秋にはその判決という衝撃が予定されています。

 こうした中で、私たち社会民主連合はたくましく生きぬきながら、さらに日本の政治変革に向かって猪突猛進しなければなりません。


 中曽根内閣の危険性
 このような政治状況の中で、私たちはまず中曽根総理のもつ危険な性格を見ぬいておく必要があります。それはレーガン大統領と全く同様に古いイデオロギー主義にとらわれ、ひたすらソ連との対決のみに走り、韓国の全斗煥大統領ともどもに、日米韓の軍事体制の強化に狂奔しようとしている姿です。この姿勢は必ずや、アジア諸国民から極めて危険なものとして批判されるに違いありません。

 さらに中曽根総理の性格の上で注意すべき点のひとつは、今回の訪米での「不沈空母」発言ではしなくも露呈した無責任な“二枚舌”的な態度です。自己を顕示し、強者にはおもねるこのような態度は、日本の政治の最高責任者としての資格がないことを、自ら示したものといわざるをえません。


 田中元総理は政界引退を
 次にロッキード裁判の田中元総理の問題でありますが、私はこの二十六日の論告求刑を機に、田中元総理が自ら永久に政界から身をひくことこそが、日本の政治を救う唯一の道であると考えます。田中元総理は、自らがさらされている事態を冷厳に見つめ、この決断をすべきであります。

 もしそれをしないときには、私たちは国民の皆さんとともに、彼を政治の世界から追放するため、あらゆる手段を講ぜざるをえません。


 政治決戦に臨む姿勢
 次に私たちの一連の選挙およびこの通常国会に臨む姿勢についてふれたいと思います。

 まず四月の統一地方選挙が目前に迫ってきました。私もからだの続く限り応援に走り回る覚悟でいます。現役の皆さんがその議席を守ることは当然ですが、新たに挑戦される皆さんは是非とも当選を果たされ、そこに社民連の拠点を構築していただきたい。それが社民連の組織強化に直接つながるのです。

 次に参議院選挙でありますが、新しい選挙制度となった結果、状況は極めて困難になりました。しかし私自身の議席は、何としても必ず守りぬきます。皆さんには大変ご苦労をかけますが、ご支援を心からお願いいたします。

 衆議院の解散・総選挙については、さまざまなケースが予想されていますが、中曽根内閣は明らかにダブル選挙を望んでいるといえます。

 それはひとつには、田中論告求刑からある程度冷却期間があり、しかも判決の前であるということもありますが、それに加えて参議院選挙の新制度では、ダブル選挙が明らかに自民党に有利とみられるからです。というのは、衆・参のダブル選挙となれば、衆院百三十選挙区の自民党候補(前回三百十名)と参院地方区候補を合わせた、実に三百六十余名によって比例代表選挙への運動が展開できるのです。その点、小政党ほど運動量に大きな格差がつき不利となります。

 逆にいえば、この通常国会の早い時期、解散に追い込むことに成功するならば、自民党と中曽根内閣の思惑を封ずることができるわけで、田中論告求刑直後の野党の強い結束が望まれます。


 社民連の原点
 最後に私たち社民連のあり方について申しあげたい。

 結党以来五年、「市民の政治」「生活者の政治」をめざして懸命に奮闘してきた皆さんのご努力に、改めて敬意を表したいと思います。

 今日ここで私が強調したいのは、社民連が政治に取り組む原点についてです。

 資本主義と社会主義の対立を生んだ「生産者」のみを考えた政治を脱皮して、市民の毎日の生活に根ざした「生活者の政治」が私たちの基本でなければならないと考えます。

 「生活者の政治」は当然、エコロジーに限らず、核軍縮を中心とする軍縮・平和の問題、クリーン・エネルギーの追求、世界からの飢餓の追放、人権を中心とした真の民主主義の確立といった、多くのそして市民生活に根ざした新しい問題と広く取り組まなければなりません。

 既成のイデオロギーにとらわれ、特定の組織や周体の利益代表である自民党や社共両党と違うのはもちろん、アマチュアリズムをかかげ、特定の問題に限定した「目的政党」であることも許されないのではないでしょうか。

 私たちはこうした政治変革の先頭に立っているのだという自信を深めるとともに、先頭に立つ者は常に大きな苦難に直面するのだということを覚悟し、それを皆さんとともに乗り越えて行こうではありませんか。


1983年

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