大亀幸雄 50年の足跡

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社会党よ、「解党的再生」を!!

新しい政治をめざして
大亀幸雄氏は「演説の達人」である。と同時に屈指の理論家でもある。常に新しい政治をめざし、時代をリードする発言を続けてきた。ここにその一部をご紹介する。

1981年、社会党へのメッセージ

 残暑お見舞い申し上げます。
『月刊社会党』 の栗村論文なつかしく拝見。さすが町長さんの論文、発想が地についていると感心。その文脈、その問題意識、いずれも賛成。他党の書記長である私がなんの抵抗もなく同意できるのは、この論文が大衆的常識を代表しているからだと思う。

 最近よく「社会党は再生できるか」と質問される。私はいつも、なかなかむずかしい問題だが、社会党がその責任において、三つの問題を解決すればその可能性はあると答えている。

 第一は、どんな社会党をめざすか。
 第二は、どんな社会主義をめざすか。
 第三は、どんな革新連合政権をめざすか。

 この三つの問題にたいして、社会党は率直にして大胆な、劇的にして鮮烈な処方箋を作成し、国民によくわかる方法でその実現に全力投球すべきである。八方美人的・ことなかれ主義的な方法では、効果もないしイメージチェンジにもならない。

 ある人は「いまの社会党は江田三郎なき江田路線を歩いている」という。社公政策協定、中期経済プラン、社会主義インター重視、理論センター報告など、たしかにその傾向はつよい。だが、この軌道修正も情勢に追い込まれてのイヤイヤの選択、なしくずし変化の感じがつよい。これでは効果が半減。

 先日もかつての仲間から「社民連は社会党に帰ってこいよ」といわれた。好意的発言のつもりだろう。だが私はこの説には賛成できない。なぜなら、この説は古巣回帰論にすぎないからだ。なぜ社会党はもっと大局をみて、わが国の革新勢力の飛躍的発展のためにいま何をなすべきかと、高い次元から構想できないのだろう。

 社会党は野党第一党だ。その政治的ポジションからいっても、きびしい政治情勢からいっても、革新政党の現状をもっと深刻にとらえるべきだ。少なくとも次の二つの事業には精魂をかたむけて取り組むべきである。

 ひとつは、戦骨とファシズムの足音がだんだん大きくなりつつある今日、どうしたら平和と民主主義を愛するすべての勢力を結集できるか。

 二つは、二〇年にわたる長期低落傾向、万年野党的体質から脱出して、どうしたら革新勢力の再編成あるいは社会民主主義勢力の大結集ができるか。

 社会党の態度、出方によっては情勢はかならず発展する。さまざまな計画も可能になる。たとえば、党首会談、国民的シンポジウム、党派をこえたブロック討論集会、学者・文化人のつどい――などなど、新しい政治、新しい政党をめざしたいろいろな計画が可能となる。

 一体社会党は何を考えているのだろう。このような大きな政界再編のうねりのなかで、その一環として、その第一段階として、社会党と社民連が統一するなら歴史的価値もあり、波及効果もあり、国民的共感を得られると思う。「帰ってこいよ」では流行歌にすぎない。

 社会党の病気は重病だと思う。外科手術が必要である。解党的出直し、新党創立の方が近道かもしれない。

 最後に「魅力ある社会党の条件」とは何か。批判的立場から私の見解をのべてみたい。

一、古いイデオロギーにとらわれないで、価値観の多様化をみとめた新しい政治理念をつくること。

二、現実と理想をつなぐプロセスを大切にし、整合性ある漸進的改革をかさねること。

三、あらゆる階層に門戸を解放し、特定団体の利益代表型でない、大衆的・国民的性格を大切にすること。

四、市民社会のルール、常識と道理を大切にする庶民的な新鮮な感覚をそなえること。

五、政権獲得に情熱をもやし、多数派結集に全力をあげ、指導者・候補者の若返りを断行すること。

 いま社会党は無気力だといわれている。若さがない、知性がないともいわれている。それでも社会党が奮起し社会党が変わらないと政治はよくならない。その責任の重大性を自覚して行動してほしい。

 栗村論文に誘発されて、つい筆を走らせた。感想的な手紙ですので、舌足らずだが、私の最近の心境です。ここ一年くらいが、社会党にとっても、社民連にとっても、日本の革新勢力にとっても、重大な年になることは間違いないと思う。ご健闘を祈ってやまない。

        岡山県社会民主連合書記長 大亀幸雄

(この論文は一九八一年十一月号の「社会労働評論」に掲載されたもの。「栗村」とは、栗村和夫氏。この論文が発表された当時は宮城県小牛田町町長。後に参議院議員)


1981年、社会党へのメッセージ

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