出発のためのメモランダム 目次次「引揚げ一家」

  はじめに

参院選に初当選(1977年7月) 参議院選挙の前と後とで私の生活は大きく変わった。人生とは、誰の場合であっても、思いがけない転機があるものだ。しかし、私の場合、転換の激しさでは決して誰にも負けないだろう。選挙前は裁判官、選挙後は政治家。果たしてその間に私の人格として何かつながりはあるのだろうか。自我が完全に分裂しているのではないだろうか。

 人にいわれるまでもなく、私自身、真剣に心配した。人間の決断は、決して理論で行われるものではない。理屈を越えた、人格的跳躍であるからこそ、決断といいうる。私は、父、江田三郎の死に直面して、裁判官を退官し政治家になることを決断した。それは、もう終わった。しかし、今後どう生きていくかを自分でも見きわめるために、その決断の前後を通じて、自分自身の生き方を検討してみなければならない。

 ちょうどこのようなことを考えていた時、毎日新聞社の方から本を書くことを勧められた。三十歳代半ばで自分の過去を書くのは、いささか気恥ずかしい。断われば断われただろう。しかし、あえてこのお勧めを受けてみたい気もした。来し方を振り返えるということは、言うは易く行うは難い。何か作業を客観的に示すものがあった方がよい。それに、選挙で139万2475人もの方の支持をいただいたからには、なるべく多くの方々に私の実像を知ってもらった方がよい。誰でも、なるべく自分自身のことは隠したいものだが、同時に、自分を託する相手のことは、なるべく知っておいた方がよい。その意味では、民主主義のもとでは、政治家は、自分を裸にしたくないという人間の本性に反して、できるだけ自分自身をさらけ出す努力をすべきであろう。

 こうして、私の半生をまとめてみることとなった。悔い多き青春というべきか、それとも、悔いなき若さの燃焼というべきか。どちらでもよい。いずれにせよ、恥ずべきことのみ多かったことは事実だ。ただ、その時々を、一生懸命生きてきたことだけは、確信を持っていえる。何かになることを目指したり、何かであることに満足するのではなく、何をするかを模索し、いかにするかに没頭してきた。

 人は、いつも何かを求めて努力をしなければならない。その意味では、人は、好むと好まざるとにかかわらず、死ぬまで猶予期間にいるのだ。社会もまた、同じことがいえよう。大勢の人間がいる以上、常に解決すべき問題があるし、ある筈だ。そして、何も問題のない社会をめざして、進歩していく。果てのないこの過程を、常に真剣な模索で歩んでいくのが、政治家の使命だと思う。

 この探究と模索の点で、私の自我は一貫していると確信している。そして、今後もその姿勢を貫きたいと思う。

 私のような若い者でも、戦後の生存それ自体が困難な時代を通りすぎて、あっという間に高度経済成長の浪費時代を体験している。今また、資源問題や環境問題に直面して、社会の全面的な変革が求められている。この拙い著作が刺激となって、私より年長の方々が戦中戦後の生活を思い出され、年少の方々が私たちの体験に少しでも興味を持って下さったら幸いである。病める経済、社会、教育、医療など数多くの問題を解決するためには、高度経済成長の社会につかりきった生活意識を払拭することが不可欠なのだから。

 そういうわけで、本書は、何よりも、私自身のための、新しい天地を求めて出発するに当たってのメモランダム(覚え書)である。私の過去と未来を結びつける連結器としたい。同時に、本書が多くの方々に読まれ批判されることにより、新しい政治に向けての変革を必要としているわが国の、地に足のついた将来の模索のために、何らかの役に立ては望外の幸せである。

 最後に、大変ご心配をかけました私の健康もすっかり回復したことを皆さまに報告し、本書の出版にあたりいろいろお世話になった毎日新聞社の高杉治男氏と田中良太氏にお礼を申し上げる。

昭和53年1月7日     江田 五月


新装改訂版の刊行にあたって

 18年ぷりに再刊行される本というのも珍しいだろう。毎日新聞から「再刊する」というお知らせをいただいたのは、思いがけないことだった。

 この本を書いたのは、裁判官から政治家へという転身がきっかけだった。そしていままた、国政から地方政治へという転身がきっかけで再刊される。この本は、私の人生とともに歩む存在だといっていいような気がする。

 ともかく18年前の自分の文章を読み直してみた。そして意外にも、政界入りしたばかりの江田五月の初心は、いまに生きるものであることに気づいた。例えば43ページに書いたボランティア論である。阪神・淡路大震災による「ボランティア時代」を先取りした文章ともいえるような気がする。

 そういう部分を含め、この本は私の青春記でもある。とくに、いま青春まっ盛りの若い人たちにぜひ読んでいただきたいと思う。「30年前の青春など古い」と嫌わずに、この本と、ひいては私と対話を試みてほしいとお願いしておく。

1996年8月         江田 五月


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