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第2章 選挙制度を考える

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遠のく「連合」とミニ政党の乱立

 参院選の比例代表制について、私は初めから疑問を持っていた。憲法違反の疑い濃い条項が多すぎる。たとえば、候補者個人を選挙することができない点。これは四十三条の「両議院は全国民を代表する選挙された議員で組織する」に反するのではないか。第二に、政党に所属しないと立候補できない点。これは十四条の「法の下の平等」に反するのではないか、等々。

 憲法を引合いに出さなくとも、無所属候補を認めないのは、数の上では自民党に次ぐ第二党の無党派層を無視することだ。

 さらに、社民連という政党の立場から言えば、せっかく軌道に乗ってきた地方区の野党選挙協力が、振り出しに戻ってしまう。比例代表候補者は個人の選挙運動を禁止されているから、各党は、なるべく多くの選挙区に候補者を立てて自分の党の名前をPRし、比例代表選挙に好都合の影響を与えようとすることが目に見えていたからである。

 私は、中山千夏さん、青島幸男さんと三人で野党各党の控室を訪問し、比例代表制の問題点を説き「比例代表制を決める参議院本会議をボイコットしよう」と呼びかけた。その結果、公明、民社、共産、及び私たち小会派は本会議をボイコットし、その大多数が院内の別室で抗議集会を開いた。私は司会を務め、熱気にあふれた集会だったが、結局は数に負けた。どこからかおとがめがくるかと思ったが、何もなかった。

 社会党は、「自民党案には反対だが、比例代表制には賛成」という立場から、自民党案を少しずつ緩和した対案を出していた。だが社会党所属議員の七割近くが「反対」。自民党でさえ、その所属議員の半数近くが「個人意見としては」と断った上ではあるが「反対」だと言われていた。

 もしあの時、一人一人の意見をそのまま評決に表わすとしたら、比例代表制は導入されなかっただろう。しかし、政党の党議拘束(政党所属議員は、その政党の決定したことに、嫌でも従わなければならないというきまり)が完全に働いて、個人の意志の集積が結論を作るということにならなかった。参議院は、政党よりも各議員の良識が大切なところ。ふだんでも党議の拘束がゆるめられることこそ必要なのに、いちばん大切なときに、参議院が本来のあるべき性格を失ってしまったといえよう。

 もちろん、比例代表制を積極的に評価する声もあり、山口敏夫新自由クラブ幹事長はその筆頭だった。「各政党が競争で、良識ある人を候補者名簿に載せるだろうから、参院を本来の『良識の府』に再生させることができる」、「無所属も含めた野党連合のきっかけになる」と、持ち前の楽天的見通しを述べていた。私自身もきわめて早い時期に、そんな主張を口にしたことがあったから、彼の楽観論を頭から批判できない。

 だが、比例代表制が現実のものとなると、「連合」のむつかしさを見せつけられる事態が次々生じた。特に世間の注目を集めたのは、参議院で「無党派クラブ」をつくっていた無所属議員の分裂だった。

 「一の会」「二院クラブ」等がせっかく大同団結したのに、候補者選考でもめたあげく、青島幸男さんは野坂昭如さんやコロンビア・トップさんを候補者にして「第二院クラブ」を、八代英太さんは「福祉党」を、中山千夏さんと秘書の矢崎泰久さんは永六輔さんらと「無党派市民連合」をつくって、三つに分裂した。

 一方、さまざまな運動の中から、「サラリーマン新党」や「MPD・平和と民主運動」という新党も誕生した。

 私たち社民連は、新自由クラブと一緒に「新自由クラブ民主連合」という名称の確認団体を作り、田英夫さんを一位とする名簿で臨んだ。

 選挙運動は、従来の個人名PRとはうってかわり、政党名のPRしかできない。「新自由クラブ民主連合」という馬鹿長い名称の不利を思い知った。一方、「福祉党」や「サラリーマン新党」、比例代表区ではないが東京選挙区の野末陳平さんの「税金党」など、政策をズバリと党名にしたミニ新党が、グングン人気を上げていった。


八代さんの政党くらがえ

 参議院比例代表選挙の結果は、「新自由クラブ民主連合」にとって厳しいものだった。

 得票数は123万9169票で、田さんが前回一人で穫得した158万7262票以下。名簿一位の田さんがやっと当選というありさまだった。大石武一さんをはじめ、映画評論家の水野晴郎さん等名簿登載候補者のみなさんに対して、おわびの言葉もなかった。

 一方、新党の中では政策を党名にしたところが大健闘で、199万9244票の「サラリーマン新党」は2名、157万7630票の「福祉党」も一名当選者を出した。一方、漠然とした党名のところは、「二院クラブ」は野坂さんを当選させたものの票は少なく、114万2349票。 「無党派市民連合」は50万9104四票で当選者を出せなかった。

 なお、選挙区における野党の選挙協力は、私の恐れたとおり激減してしまった。

 もしかすると、自民党が比例代表制導入に固執した真の狙いは、野党協力に水をさすことだったのかも知れない。

 なお、参院選から半年後に行われた総選挙に、突然「二院クラブ」の野坂さんが、新潟三区から出馬した。もちろん参議院議員を辞任して、である。

 「せっかく得た議席を……」と、びっくりした人は多かったようだが、名簿第二位のコロンビア・トップさんが繰り上がり、「二院クラブ」の一議席は変化がなかったので、もっとびっくりしたことだろう。いくら文字で読んでも耳で聞いてもピンと来ない比例代表制の仕組みが、生身の人間の進退によってあざやかに理解されたはずだ。

 ところが、それから一年後の昭和五十九年十二月、今度は「福祉党」の名簿第一位で当選した八代英太さんが、突然自民党に入ってしまった。比例代表制で党名で選出された議員の場合、どこまで自由が認められるのかと、これまた話題になった。

 公職選挙法百十二条二項には「比例代表選出議員に欠員が生じた場合は、当該名簿の名簿登載者の順位に従って繰り上げる」と定められている。野坂さんはまさにこの条文を実践したわけだが、問題は「欠員」の解釈だ。

 参議院という枠からとび出していった野坂さんは「欠員」だが、参議院の枠の中にいて、政党だけを変えた八代さんは「欠員」ではないという。しかし国民は、「福祉党」を支持し、この党から一人参議院議員として活躍させたいと願って投票したのだ。その一人が「福祉党」でなくなった以上、「福祉党」一人という国民の意思を尊重すれば、「福祉党」枠には「欠員」が生じたのだから、八代さんは失格、名簿第二位が繰り上げとなっても、おかしくない。

 今後も比例代表制は、さまざまな論議を招くことになるだろう。


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