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12月2日、玉龍会、GLA

玉龍会例会

昨日の強行軍でいささか草臥れたのか、目が覚めたら10時でした。風邪薬を飲む関係もあり、大慌てで朝食を食べ、昼食は果物だけで、12時半過ぎに出て、13時から2時間弱、玉龍会例会に出席しました。冒頭に物故者があったので黙祷を捧げ、私が簡単に会長挨拶を述べ、来夏の玉龍会展の持ち方につき協議しました。いろいろと細かい課題があるのですが、次第に煮詰まってきており、適切な時期に結論を出せると思います。

中座して、15時半から妻とともにGLAの感謝の集いに出席しました。会場周辺が岡山市の文化施設予定地になり、買収などが進んでいるせいか駐車場が極端に逼迫してきており、若干苦労しました。今回は高橋佳子さんが横浜の巨大会場で行う講演を全国に中継するもので、4人のゲストが登場して人生の歩みを振り返りながら感動的な話をされました。そのうちの一人として、愛知県議会で新政あいち県議団に所属する中村友美県議が登場しました。さらに頑張ることと思います。帰宅は18時半になりました。

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12月1日、北九州へ、北九書の祭典等、芦屋釜、師村邸、九盦、招待会、帰岡

「九盦」祝賀会で乾杯

篆刻家の師村妙石さんにご案内をいただき、7時10分過ぎに妻に送って貰って家を出て、8時前の新幹線で小倉に行きました。中国硬筆書法協会の張華慶会長が主宰する様々な行事が行われ、参加するためです。9時半前に着き、10時から北九州市立美術館で、「北九書の祭典」表彰式と「張華慶・李冰・熊潔英展」開幕式に出席しました。中国各地のほか、韓国、台湾などからも参加者が詰めかけ、師村さんをはじめ多くの皆さんのご挨拶に続き表彰が行われ、11時からは展覧会の内覧会で、張さんをはじめ中国の書作家の意欲的で大胆な作品を堪能しました。

表彰式で紹介
中国側の作品
師村さんの篆刻

12時過ぎから魚見公園に移って、60人強の海外勢とともに昼食会で腹を満たしました。13時から「芦屋釜の里」を訪ね、長い休眠の後に再開している伝統的な茶釜の製作現場を見学し、お茶をいただき映像での解説を聞きました。

芦屋釜の製作
お茶をいただき

その後、呉昌碩の銅像を見に行きました。北九州市と中国の大連市との姉妹縁組を記念した中国式の東屋の横に、堂々と立っていました。次いで、14時半に師村さんのご自宅を訪ね、篆刻の作業場や数多くの作品を拝見し、お茶をいただきました。15時15分から、「九盦」と名付けられた「張華慶大書法芸術館」を訪ね、村山富市元首相による「九盦」の揮毫などを拝見し、参加いただいている韓国の李寿成元国務総理らと懇談しました。

呉昌碩銅像
中国風の東屋
師村さんのご自宅で
九盦で
韓国の李元国務総理と

その後、次の会場のホテルに移って暫時休憩し、18時から2時間、「九盦」の開館招待会に出席しました。主催者である師村さんや張さんのほか、来賓として中国の何振良駐福岡総領事、北橋健治北九州市長、城井崇代議士らもご出席で、何人かにご挨拶をいただいた後に多くの来賓紹介があり、私が乾杯の音頭を取って夕食懇談会となりました。中国の皆さんは皆元気が良く、あちこちで乾杯や写真撮影などがあり、大賑わいの宴の最中に、20時に退席して小倉に急ぎ、21時過ぎの新幹線で帰岡しました。大車輪の一日でした。

招待会全景
主要来賓
乾杯の挨拶
みんなで頑張ろう!
香港の皆さん

 

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11月30日、風邪、デスクワーク

自宅でデスクワーク

この数日、風邪気味だったところにちょっと無理をし過ぎたのか、昨夜から咳が酷く、10時ころにやっと起きました。朝食後、近くの内科医に行って診察を受け、薬をいただきました。昼食後も寝て過ごし、19時から夕食を食べて、やっとパソコンに向かってデスクワークに取り掛かりました。新年の挨拶など、原稿依頼がいくつかあるのです。

 

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11月29日、広島へ、世良理事長お別れ会、加藤弁護士、帰岡、羽場市議ら

加藤弁護士と

何人かの若い人たちに「レコードレンタル」を知っているかどうか尋ねてみると、知っている人が皆無だったのに驚きました。1980年ころ、若者たちの間で、レコードレンタル店から好きな曲の入っているレコードを借りてカセットテープに録音し、それを自分流に編集してマイテープを作って聞くのが流行りました。曲を提供する側からすると、収入が無くなり困るのですが、聞く側からすると、提供する側が製造するレコードと録音機器を聞く側が連結すると怪しからんというのは、提供側の勝手な言い分で、聞く側の自由も認めろということになります。問題は、レコードの著作権料が製作時しか取れないので、これが取れるようにすれば両者の対立は緩和されると考え、レコードレンタル店の商業組合を作って著作権料の管理と支払いをすることにしました。この間の対立はなかなか厳しく、私は国会議員になりたてのころに、聞く側を応援しながら両者の調整に汗をかきました。その商業組合がその後に「日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合」となり、世良與志雄さんが15年間にわたり理事長を務めていましたが、この秋に享年62歳で急逝されました。13時から広島で「お別れの会」が開かれ、10時半ころに自宅を出て新幹線で駆け付けました。大きな会場が立錐の余地の無い参列者で埋まり、故人の人柄が偲ばれました。黙祷と関係者のご挨拶などの後、代表献花になり、私も指名されて恐縮しながら献花しました。配布された商業組合の追悼集には私との写真も載っており、専務理事の若松修さんとも暫時懇談しました。

お別れ会
世良さん遺影
追悼集に写真も

その後、ホテル内で待機し、15時半過ぎに加藤高明弁護士と落ち合って、共同受任している民事事件につき打合せをした後、16時半前から1時間ほど、一緒に事件関係者と協議をしました。

18時前の新幹線で帰岡し、18時半過ぎから21時前まで、羽場頼三郎市議や上田寿子さんらと一緒に夕食を食べながら来春の自治体選挙につき意見交換をしました。何としても新しい政治文化を持った立憲民主党の存在感を示さなければなりません。

新幹線で

 

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11月28日、電話連絡等、益代さん法要&会食

益代さん一周忌法要

午前中は自宅で電話連絡や来客応対などでゆっくり過ごしました。

私たちが今の住所に引越して来て以来、家族ぐるみで長くお世話になっていた黒田益代さんが、昨秋他界されて1年になり、一周忌法要が行われました。14時半ころに妻とともに自宅を出て菩提寺に行き、15時半から法要に参列しました。若い住職さんのお経に合わせて私たちも精一杯の声で読経し、戒名「廣益院妙綾信女」の成仏を祈りました。その後、境内に建立された集合墓苑に安置された故人に対し、線香を手向けて読経しました。

益代さん
集合墓苑で

18時ころから2時間ほど、参列者で会食となりました。美味しい料理が次々と出てきて、超満腹となりました。

会食

 

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11月27日、季節の味、デスクワーク

自宅でデスクワーク

曇っていますが温かい晩秋で、終日自宅で過ごしました。12時前から数人の来客があり、昼食とお喋りをご一緒しました。栗の渋皮煮や干し柿など、手作りの季節の味が素敵でした。

15時ころからパソコンに向かって、デスクワークをしました。その間、電話連絡もいくつか入りました。17時半過ぎに、テレビが衆議院法務委員会での外国人労働者関係法案の採決を報じました。立法府の役割喪失に繋がらないか、心配です。

 

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11月26日、お茶、事務所

デスクワーク

終日にわたって予定がなく、午後まで自宅でゆっくりと衆参予算委のテレビ中継を見ながらうとうとしていました。14時過ぎに来客が来て、暫時お茶にしました。

15時過ぎに出て、15時半過ぎから1時間強、法律事務所に入りデスクワークをしました。連休の間に郵便物などがたまっていました。その後に出て、所用を済ませて帰宅しました。銀行の事務や夕食の買い物です。

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11月25日、カラオケ、蜘蛛、羽場市議ら、夕食会

カラオケ大会で

ちょっと肌寒いけれど、爽やかに晴れた晩秋でした。10時半過ぎに妻と出て、カラオケの「ミモザ倶楽部15周年記念発表会」に駆け付けました。岡山市内で活動しているカラオケ同好会の一つで、今日は180人が自慢ののどを披露するということで、激励の一言挨拶をし、「ジョニーへの伝言」を歌いました。キーがちょっと低すぎたのが残念でしたが、花束もいただきました。

「ジョニーへの伝言♪」

12時に自宅に帰って庭を見ると、秋の蜘蛛が太って威厳を放ち、その下には柚子が大きくなっていました。

庭の蜘蛛
庭の柚子

15時半に出て、16時に法律事務所に入り、2時間強、羽場頼三郎岡山市議ら数人で立憲民主党岡山県連合を取り巻く諸課題につき率直な意見交換をしました。その後、妻も駆けつけてみんなで場所を移して夕食となり、そこに高井崇志さんご夫妻に加えて立憲民主党公認で岡山市南区で県議選に初挑戦することが決まったばかりの鈴木一史さんも加わって、18時半から2時間ほど、賑やかなイタ飯夕食会となりました。

夕食会!

 

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11月24日、渦潮、大鳴門橋、鳴門公園、昼食、新神戸、帰岡、祝賀会、来客

オックスフォード会の面々

淡路島の朝は快晴で、大浴場にゆっくり入り、美味しい朝食を食べて、9時半過ぎにバスで出発しました。

淡路島の朝

まず最初は、10時過ぎの遊覧船で鳴門の渦潮を見に行きました。「日本丸」という帆船ですが、帆は使っていないようでした。入江を出て、遥かに紀伊水道を見ながら鳴門海峡を大鳴門橋の下の最も潮の早い場所まで行きましたが、まだちょっと直径20メートルの渦が現れるまでには時刻が早いようでした。

日本丸で渦潮を見に
遥かに紀伊水道を見て
大鳴門橋下の渦潮
渦潮
風力発電

その後、バスに戻り、大鳴門橋を渡って11時過ぎから「鳴門公園・渦の道」を見学しました。橋の下を歩いて海上を大渦の真上まで行くのですが、なかなか距離があり、しかも観光客が溢れており草臥れました。外国人も多いようでした。

大鳴門橋と渦潮
足下に渦潮
渦潮

そこで再びバスで橋を淡路島まで戻り、13時半から1時間ほど、昼食となりました。淡路牛など美味しい地元の食材で満腹になり、バスに戻って新神戸に向かいました。途中で一組の夫妻がさらに旅を続けるために下車し、淡路サービスエリアでトイレ休憩をし、16時半過ぎに新神戸駅に着いて散会して新幹線で岡山に戻りました。

淡路サービスエリアで

18時前に着き、直ぐに移動してLEC東京リーガルマインド岡山本校主催の今年度各種試験の合格祝賀・交流会に遅れて出席しました。司法試験合格者3人を始め、司法書士、行政書士、社会保険労務士、公務員などの専門職試験に合格した若者たちが大勢集まって交流の真っ最中で、時間を取っていただいてお祝いのご挨拶をし、皆さんと懇談しました。18時半過ぎに閉会となり、夕食を食べて、20時過ぎに自宅を戻ると、21時前に来客があり、1時間強にわたり政党活動のあり方につき意見交換しました。

LEC祝賀会で挨拶
司法試験合格者と
懇談をして
おめでとう!

 

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11月23日、オックスフォード会旅行(新神戸、震災、垂水、淡路島)、泊

オックスフォード会夕食会

10時半過ぎに妻とともに出て、岡山駅で新神戸往復の乗車券と新幹線自由席券を買い、ホームに上がると、びっくりしました。以前の東京の通勤電車のラッシュ状態で、その上遅延が発生し、11時半過ぎに来たさくら号に乗ったのですが、車内も超混雑で立ちっぱなしになり、最後の2人は車内に押し込む状態でした。それでも、12時15分には新神戸に着き、オックスフォード留学中の友人ら13人が無事に揃いました。みな年齢を重ね、全員が入場料は高齢者割引となりました。

岡山駅前出発

13時前に貸切りバスで出発し、まず13時から1時間15分ほど、「人と未来防災センター」を見学しました。1995年1月17日の早朝、私は大きな揺れで目を覚ましましたが、まさかこれほどの大地震とは思わず、連休翌日なので7時半から岡山駅前で「おはよう730、江田五月です」の街頭演説を済ませ、9時から事務局会議をしてみんなで昼食を食べ、上京しようとすると新幹線が動かず、慌てて飛行機で上京したのを思い出しました。

人と防災未来センター
大震災体験
展示室

次に14時45分から16時まで、「舞子公園」を見学しました。まず「舞子海上プロムナード」で、明石大橋を堪能しました。細い丸木橋を渡ると、足下に海峡の波が丸見えで、肝が冷えました。さらに「孫文記念館」と「武藤山治邸」を見学しました。

明石大橋
ワイアーはこの太さ
足下の海水
東経135度
孫文記念館
武藤山治邸
武藤邸内で

そこから明石大橋を通って淡路島に渡りました。休憩所の大観覧車はあくまで大きく、やがて夕焼けがあくまで赤く広がっていました。

夕暮れの大橋
大観覧車
瀬戸の夕焼け

18時に淡路南のホテルに着いてチェックインをし、大浴場の温泉で寛ぎました。気持ちのいい湯でした。19時から13人の夕食会で、夫婦は並ばないこと、男女も同様というルールで席に着き、賑やかに22時過ぎまでおしゃべりをしました。最後はホテルの人に促されて、解散となりました。