に投稿

11月11日、上京、小泉環境相、帰岡

小泉環境相と

夜半の雨が嘘のように晴れ上がり、夫婦揃って10時半に自宅を出ました。但し行く先は別で、妻は理事をしている社会福祉法人の理事会、私は上京のために岡山駅です。11時前に着いてパーク&ライドに車を置き、構内で昼食の岡山名物握り鮨を買って、11時半前の新幹線で上京しました。備前平野は稲刈りがすっかり終わっていました。

新幹線内の昼食
快晴の旭川
稲刈り後の備前平野

15時前に着いて環境省に行き、玄関で(公益財団法人)日本鳥類保護連盟の名執芳博専務理事と落ち合い、待合室で暫く待機して、15時45分から15分ほど、連盟会長の私と名執専務とで小泉進次郎環境相と面会しました。自然環境局長と野生生物課長にも同席していただきました。私は2011年夏に短期間ですが環境相を兼務し、当時の様子が蘇って来ました。 私から日鳥連の活動と課題の概略を説明し、意見交換しました。野鳥保護に関わっている主な団体としては、他に日本野鳥の会と山階鳥類研究所がありますが、いずれも課題を抱えており、国にしっかりした問題意識を持つことが望まれます。

小泉環境相と面談

最後に日鳥連の来年の野鳥カレンダーを渡し、一緒に記念写真を撮りました。

野鳥カレンダーと
記念写真

終了後は雨模様の中を東京駅に急ぎ、16時半の新幹線で帰岡しました。

に投稿

11月10日、一生君七五三、親族会食、大相撲

一生君七五三

東京では即位礼祝賀御列の儀、岡山では恒例となった岡山マラソンの日ですが、私たちは朝から孫の一生君の5歳の七五三で大童でした。10時半に妻とともに出て市の中心部に行き、11時からももちゃんと一生君にパパとママ、それに両方の両親が揃って総勢8人で記念写真撮影を行いました。一生君は紋付羽織袴で扇子を持ち足袋に草履姿で、着付けも大変だったと思います。

一生君とももちゃん

次に近くの岡山神社にお参りをし、祝詞を上げてお祓いをしていただき、さらにお隣の旭川の土手で烏城と後楽園をバックに写真を撮りました。今日も長閑な小春日和でした。

お宮参り
旭川の土手で

12時半ころから2時間ほど、全員で祝賀会食を行いました。一生君はご機嫌斜めになりかけていましたが、着替えて元気一杯に戻り、食欲旺盛ぶりを見せつけました。

親族会食

祝賀パレードの進行中に帰宅し、テレビ中継を見ました。その後、友人夫妻が訪ねて来てくれたり受任事件関係の電話連絡があったり、テレビ中継で大相撲初日の取組みを見たりする内、夕食になりました。

に投稿

11月9日、散髪、吉田さんら、中本君、「黄さんのお話」

吉田さんご夫妻と

妻は9時半ころから美容院に出掛け、私もその後に行ってカットしてもらいました。2か月振りで、すっきりしました。

散髪

12時に帰宅し、暫くすると吉田良子さんがご主人と来られました。良子さんは個展開催でパリに出掛けて昨日帰国されたそうで、玄関口でしたが土産話を聞きました。さらに日本野鳥の会県支部の丸山支部長が来年の野鳥ポスターをご持参下さいました。その後、釣り仲間の中本君が取れたての釣果とともに来て捌いてくれました。穏やかな小春日和の午後でした。

17時半に出て岡山国際交流センターに行き、18時から2時間弱、「黄光男さんのお話を聞く会」に出席しました。黄さんは1956年生まれで、1歳の時に母親がハンセン病で長島愛生園に入所し、以来9歳まで岡山市の新天地育児院で過ごし、その後も家族のハンセン病を理由に差別され、ハンセン病家族訴訟の原告団副団長となって今年6月に勝訴を得ました。その生い立ちに裏打ちされたお話を伺い、ご自分のギター伴奏で歌を聞かせてくれました。私はちょうど黄さんが育児院に入ったころ、母に連れられて同院に伺ったことがあります。

黄さんのお話
ギター伴奏で歌

続いて「判決を受けて、市民の役割とは何か」とのテーマで城之内庸仁さんの司会によるシンポジウムが行われ、弁護団の莖田信之さん、ゆいの会の小野祐一郎さん、次世代ネットワークの久次博文さんと福祉交流プラザ大井の浅沼忍さんのお話を聞き、会場からの発言や質問もありました。

シンポジウム
会場から

帰宅は20時半ころで、遅い夕食となりました。

に投稿

11月8日、原田さん、上道荘、庭の花、行政事件相談

西井さん、原田さんと

10時半に原田謙介さんが来宅し、妻とともに出て上道荘に行き、3人で11時から1時間ほど、社会福祉法人第2まこと会の西井君江理事長を訪ねて暫時懇談し、さらに施設内を拝見して回りました。私も妻も開設当初から折に触れて伺っており、関係の皆さんのご努力に敬意を払っています。

12時半に帰宅し、庭に出てみました。満開のシュウメイギクがたくさん花を付け、カリンの黄と快晴の空の青とのコントラストが奇麗でした。

庭のシュウメイギク
庭のカリン

13時半に再び出て法律事務所に入り、14時から1時間半強、行政事件の法律相談を受けました。自治体の補助金の使途に関する件で、住民の皆さんの疑問を司法審査で解消する難しさを痛感しました。

法律相談

その後、18時までデスクワークをし、岡山駅で所用を済ませて帰宅しました。

に投稿

11月7日、口腔、所用、外食

妻と外食

終日薄曇りで、冬の近いことを予告する空模様でした。12時過ぎに出て岡山市の西部に行き、12時半過ぎから1時間半ほど、口腔の処置を受けました。長期にわたる不始末で神経が死んでいるとのことで、かなり深く削り進みましたが、痛みはありませんでした。

岡山市西部で

15時前に帰宅して昼食を食べ、16時半に出て市の中心部に行き、17時から1時間半ほど所用に取り組みました。その間に妻も私と同じ歯科医で処置を受け、20時ころに落ち合って外で夕食を済ませました。二人とも口の処置はまだしばらく掛かりそうです。

に投稿

11月6日、予算委、事務所、日没

電話連絡

今日も終日、雲一つない快晴の小春日和でした。13時から、衆議院予算委員会の質疑をテレビ中継で見て、14時半に出て法律事務所に入りました。電話連絡やデスクワークが多少ありましたが、それほどの滞りはなく、孫で幼稚園年長の一生君がママと顔見せたので、ちょっと寛ぎました。

17時過ぎになると、日の入りで窓の外が鮮やかに染まり、見とれてしまいました。帰宅は18時になりました。

日没

に投稿

11月5日、工事、事務所、横路さん

事務所で

13時に電気屋さんが来て、テレビの受信関係の工事が始まり、その横で昼食を食べて、14時半ころに出て法律事務所に向かいました。

15時に着き、打合せやデスクワークをしました。横路孝弘さんから新しく著した「民主リベラルの旗の下で」が送られてきて、学生時代から初当選のころまでを拾い読みしてお礼のハガキを書きました。奥さんの由美子さんも学生時代からの仲間で、私が彼らの結婚式の司会をしました。懐かしい思い出です。

17時半ころに出て帰宅しました。一日中、雲一つない快晴の小春日和でした。

に投稿

11月4日、日中書画交流展、倉敷美観地区

呉越さんと若手と

12時過ぎに妻とともに出て、国道2号線を西に走り、倉敷の美観地区に着きました。ところが到着寸前から大渋滞で、その上に駐車場が満車で、私だけが降りて13時からの「日中書画篆刻芸術交流展」の開幕式が始まったところに、会場の加計美術館に駆け付けました。

児島虎次郎・呉昌碩文化交流100周年と呉昌碩生誕175周年を記念した企画で、加計美術館の児島塊太郎館長の開会挨拶に続いて上海書法家協会の張偉生副主席や大原美術館の大原謙一郎名誉館長らの来賓挨拶があり、さらにテープカットが行われて、開館となりました。

開幕式
テープカット

早速入館し、呉昌碩の「水墨深山古寺図」や児島虎次郎の「菜果図」をはじめご出席の呉越さんや呉超さんの作品などを拝見しました。中国の若手作家の皆さんの作品も多数展示されていました。

児島虎次郎の菜果図

さらにギャラリートークやアートパフォーマンスも予定されていましたが、14時ころに退席し、美観地区を通り抜けて駐車場まで歩き、16時ころに帰宅しました。

に投稿

11月3日、タンチョウ、熊谷守一展、立民2区、GLA

タンチョウの散歩

祝日と日曜日が重なった朝、10時から11時まで、日本三名園の一つの後楽園でタンチョウの庭散歩があり、10時半前に妻と出て拝見に行きました。4羽のタンチョウが芝生の上を散歩しており、11時ころに飼育係の合図で一斉に飛び立ちました。

飛び立ち始め
飛翔

結婚式を控えたカップルでしょうか、あちこちで和服姿で記念撮影をしており、大勢の客の中からは英語や中国語が飛び交い、菊花の展示もあって世の喧騒を忘れるひと時でした。

和装のカップル
遠景は烏城
菊花展も

11時過ぎから1時間ほど、県立美術館で開催中の熊谷守一展を鑑賞しました。晩年の作品が多く展示され、虚飾を最大限に捨て去って形も色も単純化した抽象の極致の作品群に感動しました。その後、久し振りに城下公会堂で昼食をいただきました。良く流行っていました。

14時から、妻とともに立憲民主党岡山県第2区のパートナーズの集まりに顔を出しました。先日の県連の常任幹事会に出席したのが私だけだったので、私から常幹の報告をし、さらに国政の問題状況につき私の見方を述べました。主要閣僚が二人も相次いで、ともに最低限の政治倫理にも悖るお粗末な粗相で辞職し、教育を預かる閣僚が「身の丈」発言で教育の基本に対する無理解を天下に晒しているのですから、野党の役割は限りなく重要です。

立民岡山2区の集まり

40分ほどで退席し、15時過ぎから妻とともにGLAの高橋佳子さんの講演会に出席しました。横浜会場での講演の中継で、大きな会場が満席となり、高井崇志さんや原田謙介さんの顔も見えました。16時前に終わり、暫く皆さんと言葉を交わして、18時前に帰宅しました。

に投稿

11月2日、田主さん葬儀

田主さん葬儀

12時半過ぎに妻と出て、山陽道を西に走り鴨方インターで降りて、田主智彦さんの葬儀に駆け付けました。鴨方町長を4期に続いて合併後の浅口市長を1期務められ、この間一貫して私たちを支援してくれました。奥さまは私の高校同期生です。

14時の開式の15分ほど前に着いたのですが、既に駐車場はほぼ満車。式場は控えの間も一杯で、故人の人徳を偲ばせました。読経から親族焼香を経て私たちも焼香し、初七日法要と喪主の挨拶となり、故人が亡くなる数日前に書いたお別れの言葉が披露されたのには驚きました。さらに棺内に花を備えて故人を拝顔し、お別れさせていただきました。15時半過ぎに親族のみのお別れとなり、本当に多くの人が見送る中で16時前の出棺となりました。行年82歳。合掌。

棺に花を供えて

帰路も同じ道を通り、国道2号線に降りると大渋滞で帰宅は17時半前になりました。