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5月12日、庭の手入れ、上京

桃の摘果

今日も午前中は自宅でのんびり過ごし、昼前から13時過ぎまで妻とともに、滞っていた庭仕事をしました。まず、桃の摘果ですが、おそらく時期はとっくに過ぎているのだろうと思います。それでも気は心で、一枝に果実1、2個を残したのですが、上部の枝はとても手が出せませんでした。

次に夏ミカンの剪定をしました。これも時期でないことは分かっていますが、やらないよりはましだろうと思い、下枝を切って風通しを良くしました。茂った枝の陰に、取り忘れの実が一つしっかりと付いていました。

夏ミカンの剪定

昼食後は再び、昨日届いた母の日カーネーションや一生君手作りの格好良いおもちゃなどを見ながら、のんびり過ごしました。17時半ころに妻に送って貰って岡山駅に行き、構内で夕食の後、18時半前の新幹線で上京しました。発駅の博多付近で支障があったようで、少し遅れました。

夏ミカンの花
母の日カーネーション
一生君の手作りおもちゃ

 

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5月11日、天神山、事務所、ももちゃん邸

渓雲書道会展で

昼過ぎまで自宅でゆっくりと、デスクワークや電話連絡をしました。14時過ぎに妻と出て、所用を済ませ、15時ころから1時間ほど、天神山文化プラザで展覧会を見て歩きました。

最初は仮名書道の渓雲書道会展で、林陽舟さん、橋本光枝さんらがご案内下さり、お茶をいただきながら懇談しました。須藤暁子さんからご案内をいただいており、出品作品を見ると、最近お稽古を始めたとは思えない立派な色紙作品でした。次に白日会岡山支部展で、写実を中心とした立派な油絵作品が整然と並んでいました。さらに田中漆芸講座生作品発表会を見ました。漆芸と木彫のほか、金継ぎの作品が多数並べられ、この分野の面白さを初めて実感しました。

須藤さんの作品
白日会展で
田中漆芸発表会で

16時に法律事務所に入り、若干のデスクワークの後に、ももちゃん邸に寄って孫たちとお茶を飲みました。一生君が立派に幼稚園年中さんになっていました。

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5月10日、上京、李総理歓迎会、神本さんら、帰岡

李克強総理らと記念写真

備前平野は雲一つない五月晴れの朝となり、妻に送って貰って6時半に出て、7時前の新幹線で上京しました。12時から「日中平和友好条約締結40周年記念、李克強国務院総理歓迎レセプション」が開催され、私も日中友好会館会長として出席するため、会場付近の混雑も考えて、ちょっと早めに出掛けました。

五月晴れの旭川

10時半前に着いたのですが、警備のせいなのか会場周辺が大混雑で、11時過ぎにやっと受付に着き、30分強にわたり控室で来賓の皆さんと懇談しました。12時前になってやっと用意ができ、主要来賓が指定された位置に立ち、日中交流促進実行委員長の榊原定征経団連会長と李総理が入場して指定位置に立ち、記念写真撮影となりました。

来賓控室で懇談
来賓記念写真

その後、直ちに1500人が集まるレセプション会場に移動し、まず榊原委員長、次いで日本国際貿易促進協会の河野洋平会長、さらに安倍首相がそれぞれ挨拶して乾杯の音頭を取り、最後に李総理が日中関係の構築につき包括的な挨拶をして、乾杯の音頭を取って、懇談に移りました。全く急な呼びかけでしたが、本当に大勢の皆さんが駆け付け、日中関係改善の大きな節目になりました。その後、参加の皆さんと若干の懇談をし、中座して昼食を取り、14時半ころに参議院議員会館に難波奨二さんの事務所に入りました。

レセプション全景
河野会長挨拶
李総理挨拶

参議院予算委員会の参考人質疑の模様をテレビ中継で見ているところに、地元から鳥井良輔県議が現れ、さらに神本美恵子さんが寄られて、暫時懇談しました。17時半ころに出て、東京駅構内で鳥井県議らと夕食を食べ、19時過ぎの新幹線で帰岡しました。

神本さん、鳥井県議と
東京駅で夕食

 

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5月9日、長島架橋30年式典、記念コンサート、法律相談、首脳会談等

長島架橋式典で挨拶

8時半に妻とともに出掛け、9時過ぎに瀬戸内市長島の国立ハンセン病療養所邑久光明園事務所に着き、「邑久長島大橋開通30周年記念式」に出席しました。わずか20メートル強の距離ではあっても、海によって隔てられた離島に設置された長島愛生園と邑久光明園にとっては、ここに「人間回復の橋」を架けることは隔離差別を解消する象徴であって、長い悲願でした。私は1977年に国会議員となって以来、「ハンセン病対策議員懇談会」に所属して事務局次長を務め、また国賠訴訟支援のために「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」と立ち上げ、長島架橋についても対厚相交渉の先頭に立ってきました。当時のことを思い返しながら、感慨深い式典参加となりました。

邑久長島大橋

9時40分に信号弾打ち上げがあり、私も参加して玖珠玉割りをしました。次いで子どもたちの合唱があり、開式となって邑久光明園入所者自治会の屋猛司会長の式辞、愛生園の山本園長と光明園の青木園長の挨拶に続き、来賓祝辞となりました。全療協本部の森会長、厚労省の武田医政局長、津村啓介さんが続きました。

玖珠玉割り
子どもたちの合唱
光明園自治会屋会長
愛生園山本園長
光明園青木園長
全療協森会長
津村啓介さん

そして私となり、1955年ころに父・江田三郎に連れられて愛生園を訪ねたころの思い出から話を始め、架橋交渉の際の園田直厚相のことなどを話しました。さらに伊原木岡山県知事、神宝県議と武久瀬戸内市長の祝辞と来賓紹介が続き、最後に長島愛生園入所者自治会の中尾伸治会長の謝辞で閉会となりました。

私の挨拶
武久瀬戸内市長
愛生園自治会中尾会長

次に会場を移して、11時から1時間強、沢知恵さんの記念ピアノ弾き語りコンサートを鑑賞しました。続く昼食会は失礼し、13時ころに自宅に戻りました。

沢さんの弾き語りコンサート

暫時休憩し、15時過ぎに出て法律事務所に入り、16時から30分強、行政手続き関係の相談を受けました。さらにデスクワークを済ませ、18時過ぎに事務所を出て帰宅しました。その途中で、日中韓と日中の各首脳会談の様子がテレビで放映され、帰宅したころには米国のポンペオ国務長官の訪朝が報じられました。時代の大きな変わり目です。

法律相談

 

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5月8日、所用、法律相談

法律相談

午前中は自宅でゆっくりと、メール送信やデスクワークをして過ごしました。

13時半に妻と昼食に出て、別れて所用を済ませながら、15時前に法律事務所に入り、1時間弱、口座取引関係の法律相談を受けました。その後、デスクワークをして、18時ころに出て所用を済ませながら帰宅しました。

 

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5月7日、所用、取材、荒井理事長、楊爾作品展、帰岡

楊爾書法展開幕式で

8時に妻とともにチェックアウトしながらロビーを見ると、時代物の武者人形が飾られていました。私の月、五月です。午前中掛けて所用を済ませ、順調に進みましたが、やっと13時に終わり、近くのスープ春雨屋で昼食にしました。

武者人形

そこで妻と別れ、私は日中友好会館に戻って、14時半過ぎから30分強、李克強総理の来日につき中国国際放送局つまり北京放送の李軼豪東京支局長の取材を受けました。やっと要人往来が続いて、日中関係の改善が目に見える形になってきましたが、この変化は単に日中の関係に止まらず、現在進みつつある世紀を超え大陸を越えた歴史的大変化に繋がる一駒だと、強調しておきました。

中国通信社の取材
写真撮影もあって

15時半前に、日中友好会館の事務室に降り、荒井克之理事長と暫時懇談しました。その後、玄関に出てみると、美術館で「楊爾書法作品東京展」の開幕日で、記念写真を撮影中でした。王羲之の臨書作品も何点か飾られていました。

荒井理事長と懇談
王羲之の臨書作品

16時半に東京駅で妻と落ち合い、17時前の新幹線で帰岡し、駅構内で夕食となりました。

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5月6日、上京、夕食会

中国の皆さんと夕食懇談

11時半ころに妻とともに自宅を出て、パーク&ライドで岡山駅に車を止め、駅構内で昼食を食べて、13時過ぎの新幹線で上京しました。備前平野の田はすっかり水を張る準備ができ、間もなく田植えとなります。連休最終日で新幹線は超満員で、新横浜までは順調に来ましたが、そこから東京に着くまでの間に7分も遅れてしまいました。

備前平野の春

東京から在来線で移動し、ホテルにチェックインをして、18時半に上野公園の西郷どんの前で落ち合い、2時間強、日中友好会館の中国代表理事の鄭祥林さんご夫妻、中国国家観光局中日本代表処首席代表の王偉さんらとともに夕食懇談をしました。東アジア全体が世界史的な大変化の予兆に包まれ、彼らの仕事にも大きな変化の兆候を感じているようです。

西郷どんの前で

 

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5月5日、芍薬、弟邸へ、家族夕食

瀬戸田の弟宅へ

午前中は自宅でゆっくりし、庭に出てみると、芍薬が、年々弱っているのですが、それでも3輪きれいな花を付けていました。13時過ぎに妻とともに出て、車の給油をして岡山インターから山陽道に乗り、しまなみ海道を経て尾道市瀬戸田の私の弟の自宅を訪ねました。

庭の芍薬

弟の妻の実家を建て直し、熟年夫婦用のコンパクトな平屋建てにしたので、ちょっと遅くなりましたが、お祝いを兼ねて遊びに行ったのです。高速道の下りは特に混雑はなく、2時間ほどで到着し、1時間半ほど親族の近況などを共有しながら懇談しました。海に面しており、庭のソラマメや玉ねぎも立派に育っていました。周辺にはコンクリートの護岸のほか、狭いけれども砂浜もあり、子どもたちなら海水浴も楽しめそうです。

弟宅
周辺の海浜
薄暮の海浜

17時半に皆で出て、近くのお料理屋で夕食をいただきました。連休のど真ん中ですが、海の幸で満腹になり、19時半前にお別れして帰路に着きました。しまなみ海道は大渋滞で、山陽道も切れ目なく車列が続いていましたが、21時半過ぎに無事に自宅に着きました。道中に、全国に名を馳せた向島がありましたが、横目に見ただけでした。

お料理屋で
向島インター

 

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5月4日、「シロガシラ」、携帯、草取り

ドコモショップで

5月1日の朝、中国雲南省麗江市の宿舎で小鳥を見かけ、写真に撮りました。単独で行動し、高い木の枝先に止まっているところです。私の孫の一人が鳥博士なので尋ねると、今朝、「シロガシラ」ではないかと電話で返事がありました。後頭部の立った毛が白ければはっきりするのですが、ちょっと違うようにも見えます。誰か、お判りの方はいないでしょうか。

「シロガシラ」?

訪中中にメールの送受信が具合悪くなった携帯電話が、帰国すると治ったのですが、本当に安心なのか確信が持てなかったので、ドコモショップに予約を取って、14時前に伺いました。連休中だからなのか、通常の混雑はなく、直ぐに対応してもらい、短時間で正常に戻ったことが確認できました。

その後、夕食の買い物を済ませ、16時前に帰宅して、日没まで庭の草取りやひこばえの剪定をしました。草臥れました。

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5月3日、中川県議、憲法論議

中川県議と

中国旅行の疲れで、朝はゆっくり寝て、10時に朝食。その後、また寝入ってしまい、12時にやっと起床となりました。

14時から1時間強、中川雅子県議が訪ねてきて、あれこれ雑談をしました。妻が中国の茶器でお茶を入れたのですが、器に描かれた黒い竜が、熱いお湯に反応してきれいな紅に変色し、中国式の変化にびっくりしました。見送りに出て庭を見ると、数日の留守の間に紫蘭が満開に変わり、雑草が奔放に伸びていました。18時ころから草取りを始め、直ぐに薄暗くなって、妻とともに出て所用を済ませて帰宅すると、夕食は20時になってしまいました。

中国の茶器
中川県議

憲法記念日で、テレビの特集をゆっくりと見ました。憲法の視点から世界史を見ると、自由や民主主義、平和や人権、そして立憲主義といった近代憲法原則の確立が、世界各国で別々に進んだ出来事の連鎖の結果ではなく、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(日本国憲法第97条)として、世界中で諸国民がお互いに影響し合いながら戦い取った貴重な価値の結実であることが分かります。そうした世界や歴史に視野を広げた議論が足りないように思います。