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11月20日、江田三郎を偲ぶ会、太極拳交流大会

江田三郎を偲ぶ会

11時前に出て地下鉄で麹町に行き、11時半から14時ころまで、「江田三郎さんを偲ぶ会」に出席しました。約20人が集まってくれ、三郎家族からは私たち夫婦と長女に私の実弟の拓也も参加しました。

江田一族

学生時代から出入りしていた山田高君の司会で、黙祷と献杯をし、食事を食べながら、青年時代から三郎門下生として活動している仲井富さんが国会登場前後の父の話をしてくれ、時々私も注釈を加えました。久しぶりに自宅に戻って若い県議さんらと酒を飲んでいた時、父が烈火のごとく怒って茶碗を手で握り潰し、手が切れて血まみれになり、私を連れて銭湯に行った時のことを、私の記憶と突き合わせてみました。私は子どもではっきりわからなかったのですが、仲井さんの説明で、怒った理由は日本社会党の左右分裂の原因となった全面講和か単独講和かの違いだったとはっきりしました。私は、何か外交安保関係のことだとは思っていたのですが、それ以上は知りませんでした。父は、現実論に対して妥協的になる地方議員の皆さんに対して、あくまで全面講和で筋を通す左派の立場を主張し、ついに怒りが爆発したのです。

献杯
仲井さんの話

その後、全員から一言ずつ話をしていただき、記念写真を撮りました。参加者は高齢化し、幽明境を異にしたものも次々ですが、今回は1981年生まれで立憲民主党で練馬区議に当選した富田けんじ君が参加してくれました。

羽かい富田区議
私の挨拶

その後、調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザに急ぎ、2019太極拳全国交流大会に出席しました。私は日中太極拳交流協会の会長を仰せつかっています。簡化24式太極拳が周恩来、古井喜実のお二人の努力で日本に紹介されて60周年となる第34回大会で、全国から3000人を超す皆さんが参加し、最年少は中学生、最高齢は95歳でした。私も最後の2時間弱を拝見しました。

表演を鑑賞
表演
最年長は95歳

17時過ぎに終了し、直ちに閉会行事となり、まず私が会長挨拶を行い、続いて中国老師講評、成績発表と表彰となり、私も表彰状授与を行いました。さらにまだ残っている参加者全員による表演、個人種目最優秀選手の表演、中国老師による表演と続き、18時半に終了となりました。

私の挨拶
全員参加で

そこでお別れして都心に戻り、19時半に妻と合流して夕食を食べ、寒風に晒されながらホテルに戻りました。

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11月19日、上京、憂楽会、泊

憂楽会で乾杯の音頭

今日から4泊5日で上京なので、荷造りをして10時に出て、まず所用を済ませました。次いで法律事務所を経由して岡山駅に行き、構内で昼食を食べて、13時半前の新幹線で上京しました。道中は次第に雲が消えて快晴となり、富士山がきれいに見えました。雪はありますが、冠雪まではいかないと思います。

晩秋の富士

16時半過ぎに東京に着く直前、太陽が西に沈みました。まるで大火事のような風景でした。

東京の日没

16時半過ぎに着いてひとまずチェックインをし、17時半から大学の政治コースで同期だった友人らで続けている「憂楽会」の定例会に出席しました。私はずい分ご無沙汰して久し振りだったので、指名されて乾杯の音頭を取りました。

ゲストスピーカーとして松富かおりさんが来てくれ、まず1時間ほど、「『ニュー・ノーマル(新しい常態)の時代』の俯瞰」というテーマで、世界史の新展開の中で現在を理解し、その中で日本の役割を理解しようと問題提起をし、さらに新著「エルドアンのトルコ」を基にトルコ情勢を判り易く解説してくれました。

松富かおりさんと

その後、参加者からの発言が続き、的確に答えていただいているうちに、20時が迫って来て閉会としました。

閉会へ

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11月18日、歯科、事務所、黒田益代さん三回忌

10時ころ、朝食中に羽場頼三郎市議が訪ねて来て、立憲民主党岡山県連合のあり方に付き、暫時意見交換しました。

11時半に出て、12時から1時間ほど、歯科の措置を受けました。さらにまだ歯科治療が続きます。 13時15分ころ、法律事務所に入り、14時ころまでデスクワークをしました。

事務所で

その後、帰宅して昼食を食べ、15時半ころに妻とともに出て市内中心部の蓮昌寺に行き、16時から1時間弱、一昨年12月に他界された黒田益代さんの三回忌法要に参列しました。津村啓介さんをはじめ大勢の仲間たちが集まってくれ、しめやかに読経を済ませた後、お寺の中に設置された遺骨安置所でさらに読経を行いました。

益代さん三回忌法要
安置所で

続いて17時半からすぐ近くで、益代さんを偲びながら夕食懇談会を行いました。まずご主人の黒田春樹さんの挨拶があり、私が献杯の音頭を取り、和やかな雰囲気の中でおいしいお食事タイムが続きました。あっという間に20時半前となり、津村さんが閉会の言葉を述べてお開きとなりました。

会食で
献杯

益代さん三回忌法要
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11月17日、道文会旅行(興福寺、猿沢池、墨の資料館)、帰岡

興福寺国宝館で

7時半から参加者全員揃って朝食となり、昨日の「大饗の儀」でいただいたタイの塩焼きが出て来て、皆でいただきました。

朝食

8時半に貸し切りバスで出て、まずすぐ近くの興福寺を訪ね、国宝館を拝見して、千手観音や阿修羅など、数多くの仏像を堪能しました。次いで境内を散策し、雲一つない青空に輝く太陽を背にした五重塔の影に立ち、人の小ささに思いを馳せました。

太陽を背に五重塔
中金堂

次いでならまちの昼食会場を確認して散策に出掛け、猿沢池を廻り、趣一杯の街並みを過ぎて元興寺境内を見て回りました。安倍能成さん揮毫の碑があり、見事な筆致に感嘆しました。

猿沢池
安倍能成の筆

12時から昼食となりました。 午後はバスで唐招提寺まで移動し、街並みを見ながら「墨の資料館」まで歩き、墨の製造過程の細かい説明を聞き、全員が粘土状の墨の一握り分を自分の手で握って「にぎり墨体験」をし、自分だけの墨を作りました。

唐招提寺を脇に見て
墨の資料館で
にぎり墨体験

15時過ぎにバスに戻って帰路につき、自詠短歌コンテストなどをしながら賑やかに岡山に向かい、19時前に帰宅しました。

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11月16日、大饗の儀、奈良へ、道文会旅行、泊

道文会旅行で乾杯

モーニング姿でロングドレスの妻とともに11時前にチェックアウトをして皇居に向かい、暫く待機しながら大勢の皆さんと懇談し、11時半過ぎに豊明殿に入りました。

大饗の儀へ

大広間を縦に使って「大嘗宮の儀」のお直会に当たる「大饗の儀」が行われ、私たちは菅直人さんらとともに天皇皇后両陛下に最も近い席に案内され、大広間の反対側には舞台が用意されていました。 12時に両陛下と皇族の皆さんが入場され、天皇陛下のおことばと安倍首相の祝辞、さらに各地方からの献上品の紹介があって、お食事となりました。白酒(き)、黒酒(き)と呼ばれる今年の米で出来たばかりの濁り酒が振舞われました。舞台では、古式豊かな雅楽と舞が演じられました。雲一つない秋晴れの中、ゆったりとした時が流れ、13時40分になって両陛下と皇族方が退出され、私たちも順次退出しました。

参議院会館で着替えて荷物を整理し、東京駅で宅急便を出して、15時に新幹線で京都経由で奈良に向かいました。秋晴れの空に富士が奇麗でした。

快晴の多摩川
富士

18時過ぎに近鉄奈良に着き、岡山の仮名書道の皆さんによる道文会のリクレーション旅行の宿泊ホテルに直行し、一息つく暇もなく、18時半過ぎから夕食懇親会となりました。冒頭に私が指名されて挨拶し、合わせて大嘗宮の儀と大饗の儀の報告をして持ち帰ったお料理等を披露し、乾杯の音頭を取りました。私たちも加えて18人という少人数なので、お料理も皆さんに行き渡り、大変に喜ばれました。20時半に終了し、ゆっくりと大風呂に浸りました。

道文会旅行の懇親会で
挨拶

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11月15日、大嘗宮の儀、小幡さん祝賀会

小幡さん祝賀会

3時半過ぎに大嘗宮の儀が終わり、宮殿で軽食をいただいて、4時半前にホテルに戻りました。昨日18時過ぎから21時前まで悠紀殿供饌の儀があり、宮殿に戻って軽食をいただき、さらに本日になって0時半前から主基殿供饌の儀がありました。厳寒でしたが、慣れてしまえば何とか耐えることは出来ました。しかし遥か遠方で行われる秘儀のため、判別はほとんど不可能でした。厳粛な雰囲気の中でゆっくりと時が流れる感じは、なかなか良いものです。それでは寝ます。

大嘗宮の儀

辛うじて目を覚まして朝食を食べ、さらに寝て14時半に昼食を食べ、シャワーを浴びてやっと正気に戻りました。18時に妻と出て地下鉄で移動し、18時半過ぎから、参議院議長時代に事務方トップの事務総長として支えていただいた小幡幹雄さんの叙勲をお祝いして、小幡さん、当時の秘書だった事務の大蔵誠さん、政務の江田洋一さんとそれぞれの配偶者に私たちを加えた総勢8人で、夕食懇談会を開きました。当時の思い出から最近の政治批判など、話題は古今東西にわたり、気が付くと22時になっていました。

小幡さんの謝辞

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11月14日、上京、大嘗祭、泊

大嘗宮の儀へ

10時半過ぎに妻と出て岡山駅に行き、昼食のためにサラダなどを買って、11時半前の新幹線で上京しました。北日本の荒天予報が嘘のように、岡山は晴れて温かで、14時半過ぎに東京に着いた時も、まだ穏やかでした。

穏やかな旭川
昼食

直ちにホテルに直行し、モーニングに着替えて待機しました。16時半前に妻とともに出て、大嘗祭の中心的な行事である大嘗宮の儀に参列します。まず今夕の悠紀殿供饌の儀があり、続いて未明の主基殿供饌の儀があって、終了は明日3時過ぎになるでしょう。この間、皇居に入りっぱなしで写真撮影も出来ないため、今日の書き込みはこれで終わりです。

大嘗祭は国事行為ではなく、宗教的色彩を帯びること自体は許容されますが、違憲の疑いの払拭のためには、費用は内廷費で賄うべしとの指摘は首肯できます。

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11月13日、岸田夏子展、法律相談、電話取材

岸田夏子展で

13時過ぎに妻とともに出て、百貨店の美術画廊で開催中の「岸田夏子展」を鑑賞しました。わが家に夏子さんの祖父に当たる岸田劉生による「菊慈童」の原画があり、私が参議院議長時代に見ていただいたことがあって、以来仲良くしていただいています。個展は「賛 櫻 天空に游ぶ」との副題で、「朧月夜」など素晴らしい桜が並んでいました。

14時に法律事務所に入り、1時間ほど行政事件の法律相談を受けました。自治体行政の手落ちを糺そうとするものですが、市民の抱く疑問が勝訴に繋がるかというと、越えなければならない障壁がたくさんあって大変です。

法律相談

その後、問題の「桜を見る会」につき電話取材を受け、16時過ぎに妻が迎えに来て帰宅しました。

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11月12日、歯科、呉越さんら

呉越さんら

妻は9時半から公民館のコーラス練習に出掛け、私は10時半に出て、11時から1時間強、歯科の処置を受けました。まだ暫くお世話になりそうです。

13時前に帰宅したのですが、麻酔のため口が思うように使えず、昼食は14時半過ぎになりました。その間に妻とともに間近に迫ってきた上京日程の細目を詰め、15時半に、妻は切符の手配に出掛け、私は法律事務所に向かいました。

16時前に事務所に入ると間もなく、秋岡毅さんが上海の呉昌碩記念館の呉越さんご夫妻とともに先日の加計美術館での催しのお礼に来られ、暫時懇談しました。日中間の文化芸術交流の関係でも、ずい分大勢の中国人が訪日するようです。

18時前に出て帰宅し、遅めの夕食となりました。