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6月22日、羽場市議、再選挙、魚料理

羽場市議

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時前に遅めの朝食を食べ、12時過ぎに妻と出て、あちこちと所用を済ませて、14時前に法律事務所に入り、デスクワークをしました。14時過ぎに遅めの昼食と思って外に出ると、羽場頼三郎市議が寄ってくれるところで、一緒に昼食場所を探しましたが、ちょっと遅くなっており何処も「準備中」。已むを得ず諦めて、羽場市議と一緒に事務所に戻り、暫時懇談しました。

岡山市は、前回の市議選における中区での当選者のうち一名が失格しており、10月の市長選挙と同時にその再選挙が行われるのですが、候補者選びが難渋しています。

さらにデスクワークをして、16時半ころに出て帰宅しました。昼食抜きになってしまったので、妻とともに18時前に出て岡山駅西口のお料理屋さんに行き、美味しい瀬戸内の魚料理に舌鼓を打ちました。

魚料理

 

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6月21日、雨上がり、セクハラ防止研修、草取り

弁護士会館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜来の雨が上がり、庭のアジサイたちも生き生きとしてきました。ゆっくりブランチを食べ、13時過ぎに妻と出て、JR西大寺駅で所用を済ませ、妻を自宅で下して、14時半ころに法律事務所に入りました。

暫時デスクワークをして、15時から2時間、岡山弁護士会による「セクハラ防止研修会」に出席しました。若い弁護士さんらが40人ほど参加して、先ず担当者による弁護士会の規則などの説明があり、続いて広島弁護士会の芥川宏弁護士による講演がありました。

最後の20分ほどは質疑応答で、セクハラに過失相殺はあるかなど、先例もなく講師も答弁に窮するような質問もありました。17時過ぎに、再び事務所に戻ってデスクワークをし、18時過ぎに帰宅して、短時間でしたが雨上がりなので庭の草取りをしました。

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6月20日、女子昼食会、法曹協議会

女子昼食会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時半過ぎに妻とともに出て、11時半に岡山市北区のお料理屋さんに数人で集合し、昼食会を開きました。皆さん同じ年代ですが、男性は私だけで、光栄でした。私たちグループだけでなく、お店のお客をすべて見渡しても、男性は私だけでした。

14時前に私だけが失礼して、14時半に法律事務所に入り、短時間デスクワークをし、15時から岡山弁護士会館で、法曹協議会に出席しました。判・検・弁の法曹三者に法務局と刑務所の皆さんも各代表者が勢揃いし、判は広島高裁岡山支部、岡山地裁、同家裁、簡裁と各支部が、検も高検支部、地検と各支部がすべて揃いました。予め提出されている協議事項が10項目あり、順次議題にして質問に答え対応を協議しました。裁判の打合せは執務時間内に行うこと、バリアフリー化をさらに進めることなど、関係者がみな一層の努力をすべきことも多く、地裁倉敷支部での留置施設や接見施設の設置要望に対し、裁判所側では既に設置済みとの認識なのに、弁護士側ではそれを知らず、知らせる努力も欠けていることが明らかにり、関係者が一堂に会して各自の問題意識をぶつけて協議することの重要性を再認識しました。また、障がい者差別解消法の趣旨がまだまだ現場では徹底していないことも痛感しました。17時前に事務所に戻ってさらにデスクワークをし、18時過ぎに自宅に戻りました。

弁護士会館方面

 

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6月19日、相談、書類の山、用水満水、ラジオ出演

法律相談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時過ぎに鍋のブランチを食べ、12時半ころに出て法律事務所に入り、13時から1時間、法律相談を受けました。ネットでの勧誘による株取引のトラブルで、被害回復の途が見当たりません。その後、18時までデスクワークをしました。10日以上、事務所に出なかったので、未済の書類が山盛りになっていました。

出る時にも気が付いたのですが、自宅前の水路は農業用水で、今にも溢れそうに満水になっており、帰る途中には、僅かですが水が道路に溢れている個所もありました。用水を途中で堰止め、田の水量を調節するのです。以前は、この状態で大雨が降ると、水が溢れて道路や宅地が冠水していましたが、旭川放水路の百間川に水を逃がすポンプが完備された後は、そういうことは無くなりました。

 

用水が満水

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食後、21時から40分ほど、ラジオ番組に電話で生出演しました。ニコニコチャンネルというネットでのニュース配信で、「イッシン山口とユッキーナの政局チャンネル」という番組です。山口一臣さん、三宅雪子さんと、通常国会幕切れの参議院本会議での「中間報告」を中心に、辛口トークをしました。

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6月18日、アジサイ、「父の日」、ギボウシ、奇怪

友人宅のギボウシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も昼過ぎまで、無為徒食に過ごしました。昼、庭に出てみると、数年前に娘から頂いたダンスパーティーという新種のガクアジサイが、今を盛りと咲き誇っていました。昼過ぎ、娘から私への「父の日」と妻への誕生日のダブルプレゼントが届きました。

「ダンスパーティー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時にやっと動き出して、妻とともにご近所のアジサイ作りの名人のお宅を拝見しました。見事なアジサイが可愛く花を付けていました。16時ころ、高校同期の友人宅を訪ねました。綺麗に手入れされた庭に花を付けたギボウシが、そろそろ終わりになっていました。

 

「墨田の花火」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

綺麗な紅色

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18時過ぎに帰宅し、短時間ですが庭の草取りをしました。19時半ころ家に入り、夕食。ところで、添付の写真のような奇怪なものを見つけました。のっぺらぼうのフクロウのようですが、何か判りますか?

What is this?

 

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6月17日、弔問、家族会食

弔問へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中はダラダラしていると、正午のニュースになってしまい、頭だけ見て、妻とともに訪中中に他界された方の弔問に行ってきました。今年に入って、奥さんがスーパーのカートで転んで骨折し、入院中はご主人がずっと見舞いに来ていたのに、退院して二人の生活に戻ってしばらくすると、ご主人が自宅で転んで頭を打ってご他界。お二人にはこれまで大変にお世話になりました。享年82歳。合掌。

午後からもダラダラし、午睡を取り、17時半前に妻とともに出て、18時から2時間ほど、モモちゃんたちの一家と夕食を食べました。久しぶりの安息日でした。

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6月16日、帰国、帰岡

関西勢の見送りを受けて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5時半起床で6時半にホテルを発ち、バスで上海浦東空港に向かい、無事に諸手続きを終え8時過ぎにラウンジに入って待機した後、9時半に成田便に搭乗して、10時発で2時間半の飛行と1時間の時差で、13時40分ころに成田の滑走路に着陸しました。

 

早朝の上海

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入国手続きを終えて14時半前のリムジンバスで東京駅に急ぎ、16時過ぎの新幹線で帰岡に向かい、19時半過ぎに着き、妻の迎えで夕食を食べて、やっと21時半過ぎに自宅に帰り着きました。今日は終日、移動の一日で、8日早朝に岡山を発って9日間の長い旅が終わりました。

バスでパンをかじり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成田からリムジンで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新大阪付近で日没

 

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6月15日、上海へ、615、田子坊、バンド、夕食、雑技団

バンドで飛鳥村の皆さんと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5時起床で荷物を整え、6時にホテルを発ってバスで食パンなどをかじりながら成都空港に行き、手続きを済ませて8時過ぎの上海便に搭乗したのですが、出発が1時間ほど遅れ、機内食をいただいて11時半前に着きました。すぐにバスに分乗して行動を開始し、12時半過ぎから昼食となりました。上海風の四川料理でした。

 

成都空港で

 

 

 

 

 

 

 

 

上海虹橋空港で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食は四川料理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本では国会で、テロ等準備罪の法案が中間報告で参議院本会議の採決がなされたことを知りました。細かな経過は分かりませんが、私たちの世代にとって今日は、57年前に60年安保闘争の最中に東大生の樺美智子さんが亡くなった、記念すべき日です。「忘れまい615 若者の血の上に雨は降る 一人の手が砕かれた すべての手を組ませるため」という歌を心の中で口ずさみながら、年月の流れに思いを馳せました。

その後、14時前から1時間ほど、古い街並みが保存された商店街の田子坊を見て回りました。途中で青島ビールをちょっとひっかけ、さらに15時半過ぎから黄浦江の西岸の旧上海のバンドを、浦東のビル群を眺めながら散策しました。

田子坊散策

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビールを一杯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

短時間で切り上げて、17時から夕食会となりました。いよいよ最後の全員集合企画で、団長の私が最後の挨拶をし、つい一言ですが、「租界」の持つ歴史的意味に触れてしまいました。続いて中日友好協会の王占起副秘書長の挨拶があり、副団長の日中友好会館の荒井克之理事長の挨拶と乾杯の音頭で、上海料理にビールや紹興酒も入り、熱気に満ち溢れた晩餐となりました。すべてのテーブルを回って乾杯をし、最後には、誰言うとなく全員で肩を組んで、「星影のワルツ」の大合唱となりました。

最後の挨拶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全員と乾杯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「星影のワルツ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらにバスで移動し、19時半から2時間弱、上海雑技団の公演を楽しみました。以前にも見たのですが、さらにいっそう洗練され、感激と緊張の時が終わりました。

上海雑技団

 

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6月14日、パンダ、「鳥」、都江堰、九龍新区、夕食会

九龍新区で住民と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麺で朝食の後、今にも降り出しそうな空模様の中を9時にバスに分乗して、パンダ繁殖基地に向かい、10時から1時間半ほど巨大施設内を見て回りました。パンダは本来は標高1000メートル以上の高地に自然生息していますが、自然界での生息数が減少したため、1987年に標高600メートル程度の場所に当基地を開設しました。当時は4頭しかいなかったパンダが、今では数10頭になっています。

麺で朝食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パンダ基地で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主として竹が鬱蒼と茂る中で、パンダがぽつぽつと数匹、見ることができました。竹の食事に一心不乱のものや、木の上でひたすら眠りこけるものなどで、パンダの夢は、まずカラー写真に撮られること、次に肉を食べること、最後は目の下の隈がなくなることだそうです。本来は肉食だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

白居易の「鳥」が掲示されており、「誰道群生性命微 一般骨肉一般皮 勧君莫打枝頭鳥 子在巣中望母帰」とありました。初めて出会った漢詩で、感動しました。

園内に時々けたたましい叫び声が聞こえました。見ると、孔雀が羽をたたんで悠然と散歩をしていました。11時半過ぎに出て、昼食会場に向かい、13時に着いて激辛マーボー豆腐を含む四川料理をいただきました。

14時半ころから1時間、揚子江の支流の岷江に建造された都江堰を見ました。崖の間を縫って流れる水量豊かな河を治めるために、紀元前250年くらいに堰が造られたのが最初で、治水の原型です。崖の上から前景を眺め、急な階段を下って吊り橋で川を渡り、魚嘴という流れを二分する堰を眺め、電動カートに乗って下流に着き、さらに移動しました。

 

都江堰の吊り橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16時から1時間ほど、都江堰市の九龍新区団地を見て回りました。四川大地震の後に出来た近隣の農家の集合団地で、数軒が2階建てのテラスハウスになっており、ほぼ500世帯、1500人ほどが住んでいます。家の中を拝見しましたが、3つのベッドルームに居間と食堂があり、台所や広いシャワールームも完備されていて、電気・水道・ガスなども揃っていました。居住区は綺麗に整備されており、人々が太極拳、マージャン、カードなどに興じていました。記念品を渡してお別れしました。

 

麻雀に興じて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18時半過ぎに、夕食会場に着き、最後のお食事で満腹になり、さらに川劇の変面を堪能しました。役者が口から火を噴く場面もありました。20時半から1時間ほどスーパーマーケットで買い物をして、超満足の成都訪問を終わりました。明朝は早く上海に向けて発ちます。

口から火を吹く変面

 

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6月13日、武候祠、錦里、師範大学、夕食会

四川師範大学での歓迎式記念写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時から朝食で、今朝も麺をいただきました。9時にバス2台に分乗して、成都市内見学に出かけました。まず1時間ほど走って武侯祠に着き、1時間近く見て回りました。武侯とは諸葛孔明のことで、皇帝劉備の墓陵に武候の祠があり、三国志の時代に思いを馳せながら、亜熱帯の厚い雨雲の下での散策を楽しみました。錦里は、その隣の土産物通りで、書画や筆のお店や唐辛子のお店もあり。観光客で大賑わいでした。

 

朝食の麺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大賑わいの武侯祠

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇帝劉備

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦里で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「至人無己」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時から昼食会となりました。激辛料理を避けてくれているのか、いずれも超美味で、満腹になりました。

 

昼食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13時に出て1時間弱で四川師範学校に着きました。まず、四川省人民対外友好協会の趙会長、同大学の王学長らと日本語専攻の学生らに迎えられ、日本ホストファミリー代表団歓迎式に臨みました。学生たちがしっかりと準備をしてくれ、趙会長と王学長に続いて私も個人史に触れながら挨拶をしました。そして、全員で記念写真を撮った後、同大学の歴史資料館を見学して建学70年の歩みを概観しました。

 

学生主導の歓迎式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

挨拶

 

 

 

 

 

 

 

 

「師魂」像前で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感激の「母子」再会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歓迎会へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時ころから、交流会に出席しました。教授陣による四川劇の変面や学生らによる中国伝統衣装の披露、伝統楽器の演奏や踊りがあり、日本側からも若者の歌、奈良県明日香村の皆さんによる飛鳥時代の衣装と大化の改新の説明、琵琶湖畔の滋賀県日野町の皆さんによる民謡合唱などと続きました。さらに書道実技、面の隈取り、中国結び、切り紙細工などの披露があり、日本側からの巻き寿し作りもあって、記念品交換をして閉会となりました。

交流会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大化の改新

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の若者たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時半前に出て中心部に戻り、18時半過ぎから2時間強、対外友協の主催による歓迎晩餐会に出席しました。師範大学以外の近隣大学からも大勢参加してくれ、趙会長に続いて私が挨拶をして日本でのパンダの誕生に触れ、記念品交換をして、激辛料理を避けた四川料理のご馳走の数々に舌鼓を打ちました。ここでも出し物がいろいろとあり、日本側からは日野町の皆さんによる琵琶湖周遊の歌に続いて明日香村の皆さんによるふるさとの大合唱が披露され、私も会場の皆さんもみな飛び入り参加して大いに盛り上がったところで閉会となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふるさと」大合唱