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9月23日、運動会、総社市議選応援(萱野、小西、名木田、山田各候補)

総社市議選応援

8時過ぎに妻と出て路線バスで東山峠を越え、9時から3時間ほど、孫のももちゃんと一生君の運動会を見ました。幼稚園3か年と小学校、中学校の全校大運動会で、入場から校旗等掲揚に続いて、様々なプログラムが行われました。保護者も参加したり、高学年の生徒におんぶされた幼稚園児の玉入れもあったり、賑やかでした。12時過ぎに孫たちの出場プログラムが終わったので中座しました。

運動会全景
ジジババら、応援に
保護者と子どもたちの競演

バスで帰宅し、途中でうどんで昼食を取り、13時半ころに迎えの車で総社市に向かい、市議選の最終日なので関係候補の激励に回りました。

バスで帰宅し

まず15時に、民進党推薦の萱野哲也候補の選挙事務所を訪問しました。2期目の挑戦で、プロボクサーの経験を持つスポーツマンです。次に15時半に、同党推薦の小西利一候補の選挙事務所を訪問しました。4期目の挑戦で、前回はお元気だったご夫人の姿が見えなくなり、その分頑張らなければなりません。続いて16時前に、同支持の名木田正昭候補の選挙事務所を訪問しました。5期目の挑戦の長老で、ちょうど選挙カーに乗った候補者が戻ってきました。地元に根強い支持がありますが、油断大敵です。

萱野候補事務所で、
小西候補事務所で、
名木田候補事務所で

16時過ぎに、民進党推薦で初挑戦をする山田雅徳候補の選挙事務所に着いて一休みした後、16時半前から19時50分ころまで、同候補の選挙カーに乗り込みました。山田君は、私が昨夏の参議院任期満了を機に国政関与に幕を引いた時、最後の地元秘書をしており、その前は花咲宏基さんの秘書で、もともと政治に志を持っていて40歳での立候補となりました。

山田候補事務所で

山田候補が自らマイクを持って流し街宣をし、数回のスポット演説では私もマイクを握りました。各地で大きなご支援をいただきましたが、出遅れの感は否めず、とても安心できる状況ではありません。20時10分前に選挙事務所に戻り、私、倉敷の三宅和広県議、そして山田候補が順次マイクを持ってお願いをし、親友の音頭で頑張ろう三唱をし、流し街宣のマイクも持っていた妻の恵さんが締め括りをして20時ちょうどにマイク納めを終わりました。帰宅は21時になりました。

山田候補街宣
出て来てくれ
マイク納めは三宅県議、
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9月22日、市議補選出発、流し街宣、取材、事務所

市議補選出発式で、

8時半過ぎに妻とともに出掛け、9時前に下川倫史さんの出発式に駆け付けました。今日が、岡山市長選に併せて行われる岡山市中区の市議補選の告示で、受付を済ませて9時過ぎから出発式が行われ、私も紹介されて下川候補とがっちり握手をして激励し、候補の決意を込めた初挨拶があって、頑張ろう三唱の後に候補が選挙カーに乗り込んで出発しました。

出発式全景
候補者初挨拶
頑張ろう三唱
出発式寸景

確認団体である民進党の届け出も済んだので、10時から1時間弱、私が下市市議とともにこれに乗り込み、私の住んでいるご近所を流し街宣をして回りました。

確認団体車で流し街宣

11時に自宅前で下車し、自宅に戻ってデスクワークや昼食の後、13時半に出て法律事務所に入り、14時からと14時半からと、報道の取材を受けました。岡山3区の平沼赳夫さんが次期総選挙不出馬と報道されたことを受けて、平沼さんについて私の意見を聞くというもので、平沼さんは右派の論客、私はリベラル系と位置付けられ、立場は違うようにみられるが、背骨をしっかり伸ばして自分の信条を貫いてこられた点は、人間として尊敬でき、ハンセン病最終解決議懇の会長にお願いして就任いただいたことなどのエピソードを話しました。

取材1
取材2

その後18時まで、デスクワークや電話連絡をし、18時過ぎから1時間弱、民進党県連幹部らと総選挙候補者選考につき意見交換しました。その間、妻は自宅で総社市議選のお手伝いをしており、夕食は二人で外食となりました。

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9月21日、快晴、出国、帰国、帰岡

出国手続きを終わって

8時半に朝食を食べて荷造りをし、9時半に荷物を出して、夜中には帰岡出来るかと思いながら帰国の旅に出る前に、中央広場まで散歩をしてきました。雲一つない快晴で、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みました。

朝食
朝の中央広場

10時半にホテルを出て、帰国組10人ほどで1時間かけてウラジオストク空港に着き、厳重な警備や検査の中を、出国手続きをしました。13時に搭乗し、13時半に離陸して機内食の固い黒パンのサンドウィッチを食べたと思ったら、1時間35分の飛行と1時間の時差で、14時5分に成田空港に着陸し、日ロ間はこんなに近いというのを実感しました。

出国手続きの混雑

入国手続きは短時間で済み、15時前の成田エクスプレスと16時過ぎの新幹線を乗り継いで、17時半には浜名湖を過ぎ、19時半前に岡山に着きました。

浜名湖を通過
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9月20日、極東研究所、ルースキー島、オケアン、灯台、夕食

8時半に朝食を食べ、9時半に出てロシア科学アカデミー極東支部の「極東諸民族歴史・考古・民族学研究所」を訪ね、10時前から12時前まで、研究所の概要の説明を受けて博物館に陳列された遺跡出土品を見学しました。博物館には、漢字の書かれた土器のほか西夏のものと思われる文字も見え、歴史を遡ると極東から東アジアの地域の一体性は明らかだと思えました。

極東研究所で
出土品

 

12時過ぎから1時間ほど、昼食を取りました。蕨の炒め物がありました。13時過ぎからバスで移動して、最近建造されたゴールデンブリッジを渡ってルースキー島を回り、さらに半島に戻って北上し、「オケアン」と呼ばれる国立の青年施設を訪ねました。ソ連時代のピオニールを発展させたもので、極東地域に限らず広くウラル以東から13歳から17歳までの優秀な青年たちを集めて様々な体験をさせるもので、千数百人が3週間ほど集団生活をし、軍事の初歩を含む体育や野外活動、さらに舞台芸術から絵画に至るまで、幅広く行われているようでした。

 

蕨の炒め物
ゴールデンゲイトブリッジ
ウラジオ眺望
「オケアン」全景
軍事体験?
コテッジで

 

16時半前に出てウラジオストク市街地を抜ける途中で、農村見学に出掛けた中村繁太郎さんが戻ってきて、報告を聞きました。農業技術の改良の余地は大有りのようです。その後、街はずれの灯台まで行きました。干潮時だけ徒歩で渡れる道が出現しており、途中まで歩きましたが、時間切れで戻り、18時過ぎから全員揃った最後の夕食を北朝鮮料理のお店でいただきました。20時過ぎにウラジオストク駅まで行き、全員の記念写真を撮り、ハバロフスク行きの15人を見送って9人がホテルに戻りました。

中村さんの報告
灯台への道で
北朝鮮レストランの夕食
最後の全員集合

 

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9月19日、日本センター、フォーラム、書道実演、夕食会

8時に朝食を取り、9時にホテルを出て「ウラジオストク日本センター」に行きました。ロシアの沿海地方と日本との貿易や経済関係の促進事業を行っている独立組織で、向井一良所長と暫時懇談しました。

向井所長と

 

10時から15時過ぎまで、日ロクラブ訪ロ団とウラジオストクロ日協会の皆さんとのフォーラムを開催しました。双方の民間交流を多角的に推進することこそが地域の安定と発展に資する方策だということで、参加者が多様な意見交換をするものです。日ロクラブ代表運営委員でもあるリビンスカヤ・ディナラさんが開会を宣し、同じく代表運営委員の初岡昌一郎さんとセンターの向井所長が挨拶し、ディナラさんの司会と通訳で、当地の国際経済局長のスタリチコフさんの挨拶に続いて私が日ロクラブ会長として「日ロおよび周辺国の平和と民間交流」という基調挨拶をしました。用意した原稿をかなり省略しましたが、それでも通訳を入れて15分を優に超えてしまい、最後に広瀬淡窓の「桂林荘雑詠」から揮毫した「柴扉暁出霜如雪、君汲川流我拾薪」を引用して締めくくりました。

フォーラムで基調挨拶
フォーラム全景
挨拶

その後、北岡和義さん、山本武さん、ペトロフさん、ストラチコフさんなど双方から数人の発言があり、農業、介護、芸術、教育など多方面に具体的提案もあり、さらに40人程の参加者全員が自己紹介をして、13時ころに午前の部を終わりました。昼食はお弁当で、食べながらさらに会話が続き、14時から1時間強、さらに数人が発言し、初岡さんの総括発言の後に私が陽光桜の紹介などをして会を閉じました。初めてで準備不足なのに想定をはるかに超えて成功裡に終わったと思います。

北岡さん
初岡さん
こけしを贈呈

 

空模様が変わり、小雨が降り始めた中を会場を移し、16時過ぎから1時間半ほど、フォーラム参加者に新たな人々も加えて書道の実技交流会を開きました。私が開会挨拶をし、書家の井上蓮水さんが「金蘭之契」と、同じく浅野秋月さんがドストエフスキーの言葉と芭蕉の句を、さらに私が「一期一會」と、いずれも半切に揮毫しました。その後は、書家の八武崎守さんも加わって志願者に書の実技を体験して貰い、大盛会となりました。

実演会で挨拶
井川さんの書
浅野さんの書
私も揮毫

 

19時ころに土砂降りとなる中を、会場を移動して夕食会を開きました。楽しい会話と美味しい料理で、歌も入り大いに懇親を深めました。21時ころに終了するころには、雨はすっかり上がり、金角湾の眺めが実に綺麗でした。

俄か雨
夕食会で
雨後の金角湾
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9月18日、ウラジオ駅、中央広場、鷲の巣、時砲、昼食、要塞、総領事招宴

8時に朝食を食べ、9時に集合して市内観光に出掛け、まずウラジオストク駅に行きました。モスクワから9288キロメートルの地点にあるシベリア鉄道の終着駅で、駅前広場にはレーニン像が今も健在で駅舎も歴史的建造物です。さすがに広軌で、1941年米国製という蒸気機関車が展示されていました。

ウラジオストク駅
駅舎前で
9288キロ
レーニン像も
1941年の機関車

次は中央広場で、港に面しており軍艦が何隻も停泊していました。巨大な像はロシア特有です。さらに鷲の巣展望台から金角湾を展望しました。観光客の圧倒的多数派は中国からのようでした。下の岸壁には大砲が据え付けられており、12時には時報に変えて空砲が発射され、轟音にびっくりしました。

中央広場
観光客は中国人
時砲の瞬間

12時過ぎからポーク・ストロガノフなどのロシア料理で昼食となりました。軽くビールを飲んで外に出ると、高齢のアコーデオン弾きが寂しそうに歌っていたので、つい数人で合わせて歌いました。その後、お土産物店で若干の買い物をし、15時過ぎから要塞博物館に行きました。当地に要塞を構築して攻撃を撃退した歴史が綴られていました。

昼食


アコーディオン弾きと一緒に

16時半ころに一度ホテルに戻ってデスクワークをし、17時過ぎに再び出て、笠井達彦総領事の公邸に招かれて夕食会に参加しました。大渋滞の中を、ロシア側参加者を拾いながら1時間掛けて郊外に出、18時半から1時間半強、現地の食材による美味しいお料理で立食パーティとなりました。まず総領事が、次いで私が挨拶をして乾杯の音頭を取り、当地の市役所で国際関係を担当してきたサプリキンさんらの挨拶もあり、総領事が歌を披露し、誘われて私も、さらに何人かもロシア民謡などを歌いました。「ともしび」では日本側にロシアの皆さんもロシア語で参加してくれ、交流の実を上げました。最後に全員で記念写真を撮り、散会となりました。

買い物
要塞博物館で
公邸で挨拶
笠井総領事と
乾杯
合唱
ロシアの皆さんも
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9月17日、山田出発式、ウラジオへ、ホテル着

朝食を取り、9時半過ぎに訪ロの荷物を整えているところに、電話が入りました。地元の総社市議選の初日で、民進党推薦の山田雅徳候補(http://soja-yamada.com)の出発式の現場から掛かったのです。そこで電話で激励メッセージを送りました。定数を1名超えるだけの立候補という激戦で、山田候補は私の最後の秘書として現地で頑張っていました。他の民進党推薦、支持候補とともに、ぜひ頑張ってほしいです。これからチェックアウトして、東京駅から成田エクスプレスで成田空港に向かいます。

山田くん頑張れ!

10時過ぎにホテルをチェックアウトして東京駅に行き、11時過ぎの成田エクスプレスで空港第2ビルに行き、日ロクラブの訪ロ団の面々が揃いました。そこで旅程の確認をして昼食と食べ、搭乗手続きをして暫時待機した後に機内に乗り込み、16時20分に離陸して2時間弱の飛行と1時間の時差で、19時半前にウラジオストク空港に着陸しました。西に行くのに、時差が日本より1時間遅くなるので、驚きました。ここでは太陽が南中するのは、どうやら14時ころになるようです。

日ロクラブの訪ロ団集合!
昼食
搭乗手続き
機内からの夕焼け

 

入国手続きを終えて暫時待機すると、ちょうど夕日が沈むところで、異国の丘の夕焼けが綺麗でした。20時過ぎに25人の団員全員でバスでウラジオストク市内に移動し、21時前に夕食場所に着きました。

入国手続き
ウラジオストクでの電話連絡
異国の丘の夕焼け

夕食は、軽快なリズムの大音量音楽とダンスで盛り上がったレストランで、ビールと少しだけのウォッカで乾杯をしました。ホテルにチェックインをしてネット接続を試みると、うまく繋がらず、悪戦苦闘しました。

乾杯!!
ホテルチェックイン

 

 

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9月16日、上京、結婚祝賀会

結婚祝賀会で挨拶

9時半に妻とともに自宅を出て岡山駅に行き、弁当に今回も岡山名物の握りずしを買って、10時過ぎの新幹線で一緒に上京しました。夕方から二人で知人の結婚祝賀会に出席し、私は明日からまた海外なので、大きなスーツケース持参です。

岡山名物の握りずし

14時過ぎにホテルにチェックインして一休みし、16時前に出て祝賀会に向かいました。20数年前、新婦のお父さんの李振生さんが岡山大学の学生時代に私の妻らが中国語を教えていただき、それ以来仲良くしている縁で、お嬢さんの李媛さんの結婚のお祝いにお招きをいただいたのです。お相手はアメリカ人のギャビー・マーク君で、二人がサンフランシスコの大学院で勉学中に知り合い、昨年結婚して今春には長女のここみちゃんが生まれました。新郎のご両親はアメリカ在住で、新婦のご両親は日中間で仕事をしており、アメリカと中国でも祝賀会をし、今回は日本版でした。

両方のご両親に挨拶

両方のご両親らと挨拶した後に会場に移り、16時半から開演となりました。まず映像で2人の生い立ちや出会いの紹介があり、マーク君が日本語と英語で挨拶をし、ケーキ入刀とファーストバイトがあり、来賓代表で私が来賓挨拶をして、国際関係が波乱含みで米中関係も目を離せないときですが、米中両国に絆を持つお二人の輝く未来をお祝いしました。次いで媛さんの叔母さんにあたる袁暁娟さんの音頭で乾杯となり、祝宴が始まりました。

会場へ
ここみちゃんも出席
新郎の挨拶
私の挨拶
ケーキ入刀
乾杯!

その後は、美味しいお料理と楽しい会話で宴が進み、素晴らしい挨拶もありグループ写真も撮り、最後に媛さんがご両親に感謝の手紙を読み、振生さんが感謝の言葉を述べて、お開きとなり、小雨の中をホテルに戻りました。

メインテーブル記念写真
媛さんからお父さんへ
両方のご両親とともに

 

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9月15日、白彼岸花、診察、高井さんら

満開の白彼岸花

10時過ぎに妻と出掛け、JR西大寺駅に行って切符を買い、さらに若干の所用を済ませて戻り、庭に出てみました。季節の歩みは確かで、白の彼岸花が盛りで一杯花を付け、蓼も小さな白い花を一杯付けていました。昼食を済ませて13時過ぎに出掛け、所用を済ませて法律事務所に入り、若干のデスクワークなどをしました。15時に出て眼科医院に行き、白内障手術後の検診を受けました。

蓼も満開

診察を終え、さらに所用を済ませて自宅に戻り、ももちゃん、一生君とママを呼び出して夕食を食べに出掛けました。食堂街に出ると偶然、高井崇志さんとお母上に行き当たりました。ももちゃんが私たちの写真を撮ってくれました。

高井さんら

 

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9月14日、事務所、揮毫

法律事務所で執務

9時半過ぎに自宅を出て所用を済ませ、10時半過ぎから17時過ぎまで、法律事務所に入ってデスクワークや電話連絡をしました。しばらく留守にしていたので、郵便物がたくさん溜まっており、日程調整をする用件も多く、思わぬ時間が掛かってしまいました。夕食は、久し振りに自宅となりました。

19時過ぎに、夕食の最中に息子の江田剛所長弁護士が訪ねてきて、岡山弁護士会の依頼で揮毫を行いました。なかなか難しいものです。

揮毫