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5月8日、所用、法律相談

法律相談

午前中は自宅でゆっくりと、メール送信やデスクワークをして過ごしました。

13時半に妻と昼食に出て、別れて所用を済ませながら、15時前に法律事務所に入り、1時間弱、口座取引関係の法律相談を受けました。その後、デスクワークをして、18時ころに出て所用を済ませながら帰宅しました。

 

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5月7日、所用、取材、荒井理事長、楊爾作品展、帰岡

楊爾書法展開幕式で

8時に妻とともにチェックアウトしながらロビーを見ると、時代物の武者人形が飾られていました。私の月、五月です。午前中掛けて所用を済ませ、順調に進みましたが、やっと13時に終わり、近くのスープ春雨屋で昼食にしました。

武者人形

そこで妻と別れ、私は日中友好会館に戻って、14時半過ぎから30分強、李克強総理の来日につき中国国際放送局つまり北京放送の李軼豪東京支局長の取材を受けました。やっと要人往来が続いて、日中関係の改善が目に見える形になってきましたが、この変化は単に日中の関係に止まらず、現在進みつつある世紀を超え大陸を越えた歴史的大変化に繋がる一駒だと、強調しておきました。

中国通信社の取材
写真撮影もあって

15時半前に、日中友好会館の事務室に降り、荒井克之理事長と暫時懇談しました。その後、玄関に出てみると、美術館で「楊爾書法作品東京展」の開幕日で、記念写真を撮影中でした。王羲之の臨書作品も何点か飾られていました。

荒井理事長と懇談
王羲之の臨書作品

16時半に東京駅で妻と落ち合い、17時前の新幹線で帰岡し、駅構内で夕食となりました。

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5月6日、上京、夕食会

中国の皆さんと夕食懇談

11時半ころに妻とともに自宅を出て、パーク&ライドで岡山駅に車を止め、駅構内で昼食を食べて、13時過ぎの新幹線で上京しました。備前平野の田はすっかり水を張る準備ができ、間もなく田植えとなります。連休最終日で新幹線は超満員で、新横浜までは順調に来ましたが、そこから東京に着くまでの間に7分も遅れてしまいました。

備前平野の春

東京から在来線で移動し、ホテルにチェックインをして、18時半に上野公園の西郷どんの前で落ち合い、2時間強、日中友好会館の中国代表理事の鄭祥林さんご夫妻、中国国家観光局中日本代表処首席代表の王偉さんらとともに夕食懇談をしました。東アジア全体が世界史的な大変化の予兆に包まれ、彼らの仕事にも大きな変化の兆候を感じているようです。

西郷どんの前で

 

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5月5日、芍薬、弟邸へ、家族夕食

瀬戸田の弟宅へ

午前中は自宅でゆっくりし、庭に出てみると、芍薬が、年々弱っているのですが、それでも3輪きれいな花を付けていました。13時過ぎに妻とともに出て、車の給油をして岡山インターから山陽道に乗り、しまなみ海道を経て尾道市瀬戸田の私の弟の自宅を訪ねました。

庭の芍薬

弟の妻の実家を建て直し、熟年夫婦用のコンパクトな平屋建てにしたので、ちょっと遅くなりましたが、お祝いを兼ねて遊びに行ったのです。高速道の下りは特に混雑はなく、2時間ほどで到着し、1時間半ほど親族の近況などを共有しながら懇談しました。海に面しており、庭のソラマメや玉ねぎも立派に育っていました。周辺にはコンクリートの護岸のほか、狭いけれども砂浜もあり、子どもたちなら海水浴も楽しめそうです。

弟宅
周辺の海浜
薄暮の海浜

17時半に皆で出て、近くのお料理屋で夕食をいただきました。連休のど真ん中ですが、海の幸で満腹になり、19時半前にお別れして帰路に着きました。しまなみ海道は大渋滞で、山陽道も切れ目なく車列が続いていましたが、21時半過ぎに無事に自宅に着きました。道中に、全国に名を馳せた向島がありましたが、横目に見ただけでした。

お料理屋で
向島インター

 

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5月4日、「シロガシラ」、携帯、草取り

ドコモショップで

5月1日の朝、中国雲南省麗江市の宿舎で小鳥を見かけ、写真に撮りました。単独で行動し、高い木の枝先に止まっているところです。私の孫の一人が鳥博士なので尋ねると、今朝、「シロガシラ」ではないかと電話で返事がありました。後頭部の立った毛が白ければはっきりするのですが、ちょっと違うようにも見えます。誰か、お判りの方はいないでしょうか。

「シロガシラ」?

訪中中にメールの送受信が具合悪くなった携帯電話が、帰国すると治ったのですが、本当に安心なのか確信が持てなかったので、ドコモショップに予約を取って、14時前に伺いました。連休中だからなのか、通常の混雑はなく、直ぐに対応してもらい、短時間で正常に戻ったことが確認できました。

その後、夕食の買い物を済ませ、16時前に帰宅して、日没まで庭の草取りやひこばえの剪定をしました。草臥れました。

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5月3日、中川県議、憲法論議

中川県議と

中国旅行の疲れで、朝はゆっくり寝て、10時に朝食。その後、また寝入ってしまい、12時にやっと起床となりました。

14時から1時間強、中川雅子県議が訪ねてきて、あれこれ雑談をしました。妻が中国の茶器でお茶を入れたのですが、器に描かれた黒い竜が、熱いお湯に反応してきれいな紅に変色し、中国式の変化にびっくりしました。見送りに出て庭を見ると、数日の留守の間に紫蘭が満開に変わり、雑草が奔放に伸びていました。18時ころから草取りを始め、直ぐに薄暗くなって、妻とともに出て所用を済ませて帰宅すると、夕食は20時になってしまいました。

中国の茶器
中川県議

憲法記念日で、テレビの特集をゆっくりと見ました。憲法の視点から世界史を見ると、自由や民主主義、平和や人権、そして立憲主義といった近代憲法原則の確立が、世界各国で別々に進んだ出来事の連鎖の結果ではなく、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(日本国憲法第97条)として、世界中で諸国民がお互いに影響し合いながら戦い取った貴重な価値の結実であることが分かります。そうした世界や歴史に視野を広げた議論が足りないように思います。

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5月2日、日の出、上海へ、昼食、岡山へ、帰国、徳目

上海の昼食

起床は5時半。外はまだ暗く、満月が鮮やかでした。荷造りをして室外に出し、6時過ぎに朝食を食べに行くと、次第に明るくなり、6時45分に日が昇りました。7時前に集合して昆明長水空港に走り、手続きを済ませて、8時半に搭乗し、9時に上海に向けて飛び立ち、3時間の予定が2時間強で上海浦東空港に着陸しました。

昆明の満月
昆明の日の出
昆明空港で待機

12時過ぎに空港の近くのホテルで、ゆっくりと昼食を食べ、また超満腹になりました。その後、近くのスーパーマーケットを見て歩いて若干の買い物をし、15時半前に再び空港控室に戻って暫時休憩しながら待機しました。強風で心配しましたが、新潟からの機材が無事に到着し、17時に搭乗して18時前に離陸し、1時間45分弱の飛行と1時間の時差で、20時半過ぎに岡山空港に着陸して入国手続きを済ませ、21時半に無事に帰宅しました。やっとフェイスブックが復活です。

上海のスーパーで

ところで、機内誌に面白い記事を見つけました。海外旅行をする中国人を対象にした徳目です。私も中国語は分かりませんが、漢字を追ってみると「郷に入らば郷に従え」みたいなのが並んでいて、興味深く読みました。

機内誌
旅行者心得

 

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5月1日、麗江古城、木府、昼食、昆明へ、歓送会

麗江古城で

昨日から一転してきれいな青空が広がり、朝食後、8時半に集合してチェックアウトし、9時前から麗江古城を散策しました。かつてチベットと雲南を結ぶ茶馬古道の交易の要衝として栄えた姿がしっかりと残されており、世界遺産に指定されています。細い水路に沿った飲み屋街は、まだ朝が早すぎて静かでしたが、次第に観光客が増えて来ました。しかしまだ天候回復には至らず、玉龍雪山は雲の中でした。

花園別荘の庭
庭にはアヒル
屋根のお守り群
いたるところにバラが
玉龍雪山はなお雲の中
街並み
東巴の守護神
川端の飲み屋街
納西族の女性たち
川に落ちる!
東巴文字
「天雨流芳」は、「勉強しよう!」
老師のもとで勉強
私も負けずに

10時半ころから、当時の支配者である木氏の役場や居住区である木府を散策しました。石畳の道路に立派な建物が続き、さらに山の上にまで鐘楼が建てられ、途中で中国式のお茶のお点前をいただき一休みし、息を切らせながら階段を登り切りました。眼下には、古城の瓦屋根がどこまでも続いていました。下に降りる頃には、観光客で溢れていました。

木府へ
議事庁
萬巻楼
岩の穴から
中国茶で一息
さらに上へ
最上階
枯れ木の芸
民族衣装のモデルたち

11時ころに出て昼食会場に移動し、麗江市人民対外友好協会の張麗偉副会長が待っていてくれ、12時から1時間半ほど、副会長主催の昼食会で疲れを癒しました。その後、麗江三義空港まで見送りに来てくれ、そこで張副会長と通訳の鄢婧雲さんとお別れし、15時半前の便で1時間弱の飛行で昆明長水空港に着きました。空港から昆明佳華広場酒店に直行してチェックインし、暫時休憩しました。

昼食
空港には東巴文字の額が

18時半から2時間ほど、雲南省人民対外友好協会の周紅会長主催の歓送夕食会に出席しました。同協会の彭少雲、何静両副秘書長も同席してくれ、彭君の歌の披露もあり、おいしい料理と楽しい会話で最後の別れを惜しみ、最後にプレゼント交換をして閉会となりました。

昆明のホテルから
乾杯!
私も音頭を取り
彭君が歌を
プレゼント交換

 

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4月30日、玉龍雪山、昼食、「印象・麗江」、藍月谷、束河古鎮、夕食

玉龍雪山の展望台で

朝食を済ませて9時に集合し、マイクロバスで玉龍雪山に向かいました。広大な松などの林を抜けてひたすら真っすぐに走り、10時前に標高2000メートルほどから3356メートルのロープウェイ乗り場に着き、携帯用の酸素吸入器を携えて、かなりの高速で動く8人乗りの乗り物で4506メートルまで登りました。外は雪で冷え込み、時々見える下界には雪の中でシャクナゲなどが咲いていました。降りしきる雪の中で展望台の雰囲気を楽しみ、傘の先で雪の上に「玉龍」と書いてみたりしました。さらに100メートルほど登山道があるのですが諦め、再びケーブルカーで下山して、12時前から「雪厨」という大きなレストランでヤクの肉と豊富な野菜のしゃぶしゃぶで昼食をいただきました。

ロープウェイ乗り場で
乗り物
酸素吸入器
観光客で一杯
「玉龍」
雪の登山道には行列
昼食はしゃぶしゃぶ

13時に移動して、張芸謀(チャン・イー・モウ)の演出による「印象・麗江」を鑑賞しました。標高世界一の露天実演の壮大なミュージカルで、酒席の賑わいと恋の悲劇をテーマに少数民族の生活を描いた名作です。13時半に開演し、70分の間、地元の人々500人が、乗馬、器楽演奏、大コーラスなどで熱演し、雨の中でカッパで鑑賞した満員の観客を感動の渦に包みこみました。ほかに張監督によるものは「印象・西湖」と「印象・桂林」があり、私は西湖のものも見たことがあります。

「印象・麗江」の露天劇場で
少数民族の酒席
客席にも来て歌い
そして踊り
山も姿を見せ
終幕へ
感動の時を終えて

次に、15時ころに藍月谷に着き、移動するマイクロバスの中から豊かに流れる水の紺碧のグラデーションを楽しみました。河畔では、結婚式を挙げたばかりのカップルが何組も見えました。16時ころから1時間半ほど、束河古鎮を散策しました。かつて「茶馬古道」という街道があり、交易の中継所として栄えた街並みで、英国のパブ風の店でお茶にしました。

紺碧のグラデーション
上流も人の波
ヤクと新婚さん

 

束河古鎮の入り口で
踊りの輪に入り
茶馬古道の跡
水路脇で
お茶に
英国風のパブ
案内の曾君と
至るところに東巴文字
「笑」

18時前にホテルに帰り、18時半過ぎから20時過ぎまで、今回の旅行の8人組で夕食をいただきました。雲南料理で、毎回のことですが超満腹になりました。

夕食

 

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4月29日、昆明自由市場、麗江へ、東巴博物館、黒龍潭、夕食会

東巴文化博物館で

8時過ぎに朝食を食べ、9時半にチェックアウトして昆明市内の自由市場の視察に出掛けました。日曜日で連休ということもあってか、張大賑わいで、野菜、果物、魚、肉など地元のものが数限りなく並べられ、椿の芽、山羊の丸焼き、川魚に蛙等々、興味は尽きませんでした。

朝食
西瓜
漢方
バラの花びら
山羊

11時前に切り上げて昆明長水空港に向かい、12時から1時間弱、空港内で昼食を食べ、13時20分の便で麗江三義空港に飛び、1時間で到着して麗江市内に移動し、15時半過ぎに麗江官房大酒店の花園別荘にチェックインしました。雲南省自体が観光資源に恵まれていますが、特に麗江は東巴文字で知られる納西(ナシ)族など少数民族の居住地域で1997年に世界文化遺産に登録され、年間4000万人の観光客が訪れるそうです。

昆明長水空港
空港で昼食
麗江三義空港
空港待合室で

16時にホテルを出て東巴文化博物館に行き、1時間ほど展示資料を見て回りました。象形文字で、日本でも文字の存在は知られていますが、この文字で営まれた人々の生活や文化は、私は全く知りませんでした。その後、隣接の黒龍潭公園を散策し、17時半にホテルに戻りました。

東巴文字のスローガン
東巴文字の碑
納西族の衣装
納西族の生活
黒龍譚公園で
公園入口で

ホテルで若干のデスクワークをした後、18時半から30分弱、麗江市の金振輝副市長ら幹部の皆さんと会談しました。玲講師は日本の高山市と姉妹都市で、熱心な交流をしているそうです。その後、金副市長主催の歓迎夕食会となり、おいしい食事と楽しい会話であっという間に2時間が過ぎました。夕方から雲が出てきて、一時は土砂降りとなり、雨が上がった後は気温が下がってきました。

金副市長らと会談
記念写真
夕食会で乾杯