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6月16日、ナツツバキなど

娘の自宅の花

今日も終日、梅雨寒でした。所用関連ばかりで、変わったことは何もありません。

夕方、都心に出てきた娘が自宅の庭のナツツバキ、カワラナデシコなどを持ってきてくれました。

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6月15日、梅雨寒、国際関係、樺さん

全国的に、強い梅雨寒となりました。東京も終日、ひんやりしています。

私は今日は、昨日と全く変化がありません。何かアップできる写真はないかと思ってのですが、残念ながらありません。

米朝関係は大きな変化の門口に来て、両首脳の粘り強い交渉が求められますが、まだどういう経過を辿るか予断は許されません。但し日朝関係は、世界の変化から取り残される心配があります。

58年前に今日は、第1次安保で樺美知子さんが亡くなりました。今日の報道では、完全に忘却の彼方となったようです。

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6月14日、所用、スカイツリー

スカイツリー方向にビル

東京での所用の関連用務は結構長引き、まだまだ続きそうです。

今日は終日曇天でした。不忍池を見下ろすビルから眺めると、東京スカイツリーが見えるはずですが、曇天のためではなく、途中に建築が進む高層ビルの陰に隠れてしまったようです。

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6月13日、所用関連、花束、陽光

長女の花束

今回の所用の山は昨日で越えたのですが、これから当分の間、次々と関連した事務が続き、パソコンに向かえません。長女が持って来てくれた小さな花束を眺めながら、7時ころから仕事をこなしていきました。

今日の東京は、梅雨の切れ目で熱い陽光が照りつけていました。

梅雨の切れ目

 

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6月12日、雲、所用

不忍池

早朝の東京は、まだ厚い雲に覆われています。シンガポールはどうでしょうか。何はともあれ会談が始まることは、良いことです。性急な結果期待は、禁物だと思います。

東京はまだ曇り

朝から所用で、暫くパソコンに向かえません。

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6月10日、上京、所用

曇天の東京駅

5時半過ぎに起床し、6時半前に妻とともに出て、7時前の新幹線で妻とともに上京しました。出発時の岡山ではまだ少し青空が見えていましたが、10時半前に東京駅に着くころには、空は厚い雲に覆われ、少し小雨が降り始めているようでした。

新橋近く

昨夜の新幹線車中の凶悪事件発生により、気のせいか車内はJR職員も乗客も緊張感が漂っているようでしたが、私はさすがに眠く、持参したお握りを食べたりしながら、ほとんどうつらうつらしていました。

東京駅から妻とともに所用に直行しました。これから当分の間、ネットへのアクセスが思うようにいかず、発信が途切れ途切れになると思います。お許しください。

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6月9日、ハンセン病世界遺産、玉龍会

玉龍会練成会で揮毫

早めの昼食の後に12時過ぎに出て国立ハンセン病療養所長島愛生園に急ぎ、13時から1時間弱、「特定非営利活動法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会」の今年度通常社員総会に出席しました。全国の国立ハンセン病施設のうち、離島にある岡山県の長島の2園と香川県の大島の1園内の特定施設を指定して世界遺産登録を目指そうというもので、やっと市民運動が本格始動してきました。

ハンセン病世界遺産

開会後、議長に原憲一理事長を選任し、定足数確認などを行って議事に入り、昨年度の事業報告と決算、今年度の事業計画と予算、新理事選任等につき報告があっていずれも承認され、13時45分頃に閉会となりました。次の講演会まで30分ほど休憩となったので、そこで退席して旧船着き場の桟橋跡を見て長島大橋を渡りました。

旧桟橋跡

国道2号線を西に走り、15時過ぎに書道の玉龍会の合宿練成会に飛び込みました。前会長の曽我英丘さんの急逝を受けて、私がピンチヒッターで会長となっており、年間行事のうち最も重要な夏の玉龍会展に向けた作品作りの1泊2日の合宿に、一部分だけでもと参加したものです。既に大先輩の大崎勝一郎さんをはじめ皆さん作品作りに取り組んでおり、暫くお茶をいただきながら気持ちを整え、中国雲南省麗江で出会った風景を思い浮かべ、苦戦しながら全紙に「玉龍雪山」と揮毫しました。

参加の後輩たち
大崎先輩
苦戦

17時半前に退席して帰宅し、妻とともに明日からの上京の準備をしました。

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6月8日、所用、JP労組、日中会館理事会、退任挨拶、帰岡

日中友好会館理事会を終わって

9時半過ぎにチェックアウトをして所用を済ませ、参議院議員会館の難波奨二議員の事務室に顔を出しました。JP労組の増田光儀委員長と来年の参院選に同労組の組織内で立憲民主党から立候補を目指している小沢雅仁さんがおられ、本会議が閉会となって戻ってきた難波議員も合流し、暫時懇談しました。

JP労組の増田委員長と小沢さん
難波議員と小沢さん

その後、昼食を食べに議員会館地下食堂に降りると、売店で岡山ゆかりのお土産を見つけました。

岡山ゆかりのお土産

14時前に日中友好会館会議室に入ってしばらく懇談するうち、10人の理事と2人の監事が、さらに職員幹部も含め全員が揃って、14時に理事会が開会となりました。荒井克之理事長が議長役を務め、定足数確認などをして議事に入り、昨年度の事業報告と計算書類の説明があって挙手採決で承認と決まりました。さらに理事等選任手続き、評議員会提出の次期理事候補、定時評議員会招集につき挙手採決で承認と決まり、代表理事の職務執行等の報告があって、15時過ぎに終了となりました。

日中会館理事会全景
挙手採決

そこで、月末の評議員会で次期理事が決定されると同時に私の理事と会長の任期が終了するので、荒井理事長に促され、私がちょっと早い退任の挨拶をしました。参議院議長の最終盤に理事に選任され、議長退任直後に会長に就任してほぼ8年にわたり、公益法人となって法令順守などが強く求められる中、日中関係の実務経験のない私を支えていただいたことに感謝し、世界が歴史的な大転換に直面しそうな今、日中間の民間交流に携わる会館がさらに大きく重要な役割を果たすよう期待を表明しました。さらに宮本雄二副会長から身に余る謝辞もいただき、みんなで記念写真を撮りました。

ちょっと早い退任挨拶
宮本副会長より
記念写真

その後、東京駅に直行し、16時過ぎの新幹線で帰岡しました。道中、次第に空模様が怪しくなり、梅雨らしくなりました。