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7月17日、東山魁夷記念館、東山邸、村越市川市長、日鳥連理事会、受任事件、帰岡

日鳥連会長就任挨拶

8時前に都内のホテルで起床して朝食を取り、10時過ぎに出て、朝から猛暑の中を市川市に向かいました。11時前に東山魁夷記念館に着いたのですが、残念ながら休館日で、楽しみにしていた「心象の世界」展の見学は空振りでした。

東山魁夷記念館

そこで隣の東山魁夷邸をご案内いただき、アトリエや居室を拝見しました。人を魅了してやまない青や緑の顔料のケースも見せていただきました。

東山邸
ご夫妻に線香を手向け
青や緑の顔料ケース

11時半過ぎに市川市役所に着き、40分から12時15分ころまで、大激戦を勝ち抜いた村越祐民新市長と懇談しました。村越さんが若手代議士として大活躍したころに私もご一緒しており、ご就任を心から祝福しご活躍を祈っていたので、嬉しい懇談のひと時でした。

村越市川市長と

その後、昼食を済ませて高速道を都内杉並区まで走り、14時前に公益財団法人日本鳥類保護連盟の臨時理事会に駆け付けました。私は、直前の理事会で、理事に復帰していたのです。定刻5分前に理事総数8名と監事総数2名の全員が集合して合意を得たので、会長不在のため理事会を招集した名執芳博理事が暫時議長と務めて開会し、配布資料の確認と出席状況の報告を経て成立を宣し、さらに手続きを経て議長を務めることとし、出席者全員の自己紹介をし、私もやや詳し目に自己紹介をしました。

日鳥連理事会に出席

続いて議題の審議に入り、第1号議題が全員一致で採択されて私が会長に選定され、直ちに就任挨拶をして議長席に着きました。次に私の議事進行で議事録署名人を選任し、第2号議題が全員一致で採択されて専務理事に名執理事を選定し、第3号議題の会計処理規程の改定を決定し、名執専務理事から事務処理に当たっての若干の報告を聞き、出席理事からの自由発言をいただき、予定通り15時に閉会としました。さらに若干の事務処理を行い、15時20分頃に退席しました。

会長就任挨拶
名執専務理事と
議長として議事進行

そこで都心に戻り、私が特別顧問を務める地域コミュニティー再生協議会事務局に顔を出し、17時から1時間ほど弁護士として受任事件の打ち合わせをし、18時半前から夕食をいただき、20時過ぎの新幹線で帰岡しました。帰宅は24時になりました。

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7月16日、猛暑、孫たちピアノ発表会、上京

孫の姉弟連弾

猛暑はまだまだ続き、水害被災地の苦労も先が見えません。連休3日目で、昼過ぎまで自宅で電話連絡などをしました。

12時半過ぎに妻と出て、13時15分から2時間強、孫との固い約束を守るため、3つの子どもたちのピアノ教室による合同発表会「コンサート ドルチェ」を鑑賞しました。初舞台の一生君は「4歳だから4番目なんだよ」と大張り切りで、先生との連弾2曲とももちゃんとの姉弟連弾1曲をしっかりと弾き終え、大満足でした。

一生君の初舞台

ももちゃんはリトル・ピアニストの2番目で、昨日と同じ曲目と違うものと、全3曲を弾きました。曲想を捉えてタッチもしっかりし、立派に弾けたと思います。そこで目的は終了したのですが、さらに高学年の演奏を聞き、中高生の部に入るところで中座し、自宅で支度を整えて、16時半過ぎに出て17時半過ぎの新幹線で上京しました。

ももちゃんは立派に
お兄さんや
お姉さんも

 

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7月15日、猛暑、ピアノ演奏会

ももちゃんピアノ発表会

猛暑の中、大勢のボランティアの皆さんが豪雨被災地での復旧作業に加わっていただいており、特に学生・生徒の皆さんが連休を返上して頑張ってくれているのには、ただただ頭が下がります。

そんな中ですが、孫のももちゃんのピアノ発表会があり、13時半前に妻とともに出て、2時間ほど楽しい時間を過ごしました。寿明義明さんの特別レッスン受講生による修了コンサートで、ももちゃんは小さい方から2番目にツェルニーの「おどろうよ」などを立派に弾き終えました。

7人の受講生の演奏の後に、寿明さんがモーツァルトのソナタa-moll KV310とスクリャービンのソナタ第4番Op.30を演奏してくれ、ピアノの極致に魅了されました。

寿明さんの挨拶
同演奏

 

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7月14日、猛暑、原稿書き

原稿書き

猛暑のため、終日自宅でゆっくり電話連絡などをしていました。被災地では、大勢のボランティアの皆さんが力を貸してくれており、本当にありがたいことです。

夕方から机に向かい、少しだけ原稿書きをしました。18時ころにメールで送ることができ、気になっていたことが片付きました。

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7月13日、大水害、東大会

岡山東大会で

豪雨水害の爪痕はなお生々しく、なお新たな避難指示も出たりしています。そんな中、夕方まで自宅で電話連絡などをして過ごしました。

17時半に出て、18時から1時間弱、岡山東大会の総会と卓話に出席しました。東京大学出身者による岡山県内の同窓会で、会長は河原昭文さんが勤めています。開会後、河原会長の音頭で水害被害者に黙祷を捧げ、会長挨拶に続いて先年度の活動報告と次年度の活動方針があり、さらに各グループの活動報告がありました。

河原会長の挨拶
活動報告

続いて卓話に移り、大学から理事を務める松木則夫副学長が来られて、最近の東大の動きについてパワーポイント付きで卓話をしていただきました。五神真学長の大方針ということで、壮大な全体像でした。

松木副学長の卓話

19時前に退席し、所用を済ませて帰宅しました。熱い一日でしたが、明日はさらに熱くなるそうです。

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7月12日、事務所、環展、GLA

GLA集会で

梅雨前線大水害は、復旧や復興が大変なのに加えて、なお新たな土砂崩れなどの心配が続いており、県外からの支援の動きも活発になってきて、野党各党の支援体制も動き出しました。

そんな中、13時半に出て法律事務所に向かい、14時から刑事被疑事件につき電話での打ち合わせをし、さらに民事調停事件につき書面の読み込みをしました。

デスクワーク

その他のデスクワークもありましたが、15時半過ぎに出て天神山文化プラザに行き、短時間ですがご案内をいただいた環展を鑑賞しました。玉龍会前会長で急逝された曽我英丘さんの「東日本大震災に寄せて」が異彩を放ち、会員の後神直子さんの「樹」も新たな試みを見せていました。

環展で

16時半から1時間弱、妻とともにGLA会館に行き、被災地を回ってこられた高橋佳子さんのお話を伺いました。高井崇志さんも出席でした。

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7月11日、大水害、母子法要、会食

納骨堂で

梅雨が明け、青空の下で酷暑の夏が来ているのに、新たに初発の水害が発生するという異常事態が続いています。

昼過ぎまで自宅でゆっくりとデスクワークや電話連絡をし、15時半過ぎに妻とともに出て、16時半から1時間強、ご近所で家族付き合いをしていた方の奥さんと二番目のお嬢さんの法要に参列しました。お嬢さんが亡くなったのは4年前、奥さんは昨年末で、岡山市北区の日蓮宗蓮昌寺境内の納骨堂に収まっており、まず仏間でお二人の法要を営み読経をしました。

法要で焼香

次いで納骨堂でやはり読経をして線香を手向けました。

納骨堂のお二人

その後、直ぐ近くのお料理屋に場所を移し、17時から2時間半ほど、20人ほどで会食をしました。私が献杯の音頭を取り、お二人を思い出しながら賑やかなひと時を過ごしました。

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7月10日、大水害、行政事件

加藤弁護士とともに打合せ

未曽有の梅雨前線大水害は、今日も青空の下で、後片付けどころか、新たな溢水や土砂崩れが起きています。小田川改修の件は、国土整備工事の優先順位の判断の重要性を、あらためて痛感させられます。

13時半に出て法律事務所に入り、14時から1時間強、加藤高明弁護士とともに、行政事件の当事者との打ち合わせをしました。その後、若干のデスクワークや電話連絡をし、所用を済ませながら18時には帰宅しました。

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7月9日、水害一過、上京、所用、七夕、帰岡

七夕飾り

8時過ぎに妻とともに出て岡山駅に急ぎ、9時前の新幹線で上京しました。梅雨前線大荒れの傷跡はまだ生々しい状況ですが、新幹線は明石付近で若干の減速があっただけでした。旭川は濁流でしたが、百間川はもう元に戻っているようでした。平島付近では、砂川の溢水でしょうか、田が冠水していました。

旭川の濁流
田の冠水

12時過ぎに着いて直ちに所用に直行し、手際よく済ませて一休みすると、見事な七夕の飾りつけがありました。そこに、西日本の梅雨明け情報が飛び込んできました。これで「喉元過ぎれば」と、日本が災害大国であることを忘れてはなりません。

七夕

都バスやJR在来線で新宿に行き、妻のお好みの夕食をいただいて、東京に戻って18時過ぎの新幹線で帰岡しました。慌ただしい一日でした。

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7月8日、柳井原、玉龍会

玉龍会例会

大水害に見舞われた倉敷市真備町については、高梁川と小田川の合流地点である柳井原の大改修工事が予定されていたことが報道されました。地元の強い要望でもあり、私も議員時代に関わっていましたが、ずっと以前に着手されているものと思っていました。残念です。

13時半過ぎに出て、14時から1時間ほど、玉龍会例会に出席しました。8月7日から12日まで、天神山文化プラザ第一展示室で開催予定で、その準備の細かな打ち合わせをしました。