1995/10 五月会だより No.78 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

激動の時、問われる江田五月の真価

9月29日開会の臨時国会では、景気対策と並んで宗教法人法改正問題が大きな論議を呼んでいる。一方、自民党は橋本新総裁のもと、解散総選挙、単独政権復活の機をうかがう。激しく揺れる秋の政局、江田五月はどう動く?

○戦後50年めの夏も終わりました。冷戦が終結し、世界は徐々にではありますが、混沌の中から新しい道筋を探り、平和への歩みを進めようとしています。

もちろん、それに逆行する動きもある。中国、フランスが世界中の反対を無視して核実験を強行しました。国内では、骨抜きの「戦後50年決議」が、与党の党利党略で衆議院を通過したり、島村文部大臣が、「何度謝罪すれば気が済むんだ」というような非常識な発言をしたり…。

ごく身近で言えば、大亀幸雄さん(元岡山社民連書記長、江田五月会常任顧問)が、戦後50年、政治生活50年を節目に8月いっぱいで引退されました。

光彩放つ50年の活動 大亀さんに深く感謝

江田 私の父江田三郎が戦後、政治活動を再スタートさせて以来、大亀さんはずっと行動を共にしてこられた。そして1977年、父が世を去ってからは、今度は私を支えて下さった。

大変な決意を持って引退を決断されたことと思います。大亀さんは10代後半から現在まで、一貫して政治一筋に情熱を燃やし続けてきた。その政治家としての軌跡を見ると、常に新しい時代を模索し、過去に囚われることなく前へ前へと進んで行き、むしろ時代が後から追いかける、それも大亀さんの歩いた道を、時代が確実に後追いしてきた、という気がします。

私は、中央で仕事をさせてもらってきましたが、大亀さんは岡山にいながら中央の政治情勢はもちろんのこと、世界の動きを的確に捉えていました。これは驚嘆すべきことです。そんな大亀さんがリード役としてしっかりいて下さる中で活動してこられたことは、私たちにとって本当に幸せなことです。

○政治が激動している今、しかも小選挙区での初めての衆議院選挙を控えたこの時期の引退は、正直言って大変では?

江田 それはもちろんです。しかしね、「政治の道に志を立てた者は死ぬまで降りられない」「雀百まで踊りを忘れず」とか言われますが、人の一生は限られている。周囲にはやしたてられて、倒れるまで踊るバレーシューズを履かされた人生が美しいとは思えない。

これからの人生を有意義に生きようという決断、これもさすが大亀さんと言うべきで、なかなか真似できるもんじゃない。あとは、大亀さんに心配をかけないように、残された者が一生懸命がんばらなければ……。なにはともあれ、感謝の気持ちでいっぱいです。大亀さん、本当にありがとうございました。

最大の課題は自民党利権構造を絶つこと

○それにしても、本当に激動の政治状況ですね。「江田さんは何を考え、どこに向かっているんだ」とか「そもそも政治がさっぱり分からない」といったご意見をよく耳にします。

江田 折に触れ、皆さんにご説明するよう努力はしているんですが…。何しろ時代の大転換期、十分納得していただけないまま前進、という観は否めない。本当に申し訳ないことです。ルビコン河を渡り、橋を焼き落としての(※もう絶対に後戻りはしない、できないという喩え)決断が、なかなか思い通りに伝わらないもどかしさを私自身も感じているところです。

もしお手元にあったら、この五月会だよりのバックナンバーを読み返してみていただきたいんですが、私の、節目ふしめの主張、決断、そして行動が、次第に実を結びはじめているんじゃないでしょうか。

まず私は一貫して、「自民党一党支配が続き、政権交代が行われない。これじゃあ民主主義とは言えない。国民が投票で政権を作る、そんな当り前の民主主義のシステムを作ろう、私たちの時代に、せめてそのくらいは仕上げて、これを次の世代に伝えようじゃないか」と言い続けてきました。

そしてまずは野党が結集して、ともかく政権を取ろうということで様々な努力を重ねてきました。ある時には社会党と民社党の会派に社民連所属の国会議員が2人ずつ入って 「接着剤」役を果したり、超党派の議員集団「シリウス」を旗揚げしたり…。そんな中で、とうとう1993年、政権交代が実現したわけです。8党派が協力して細川内閣を作った、これに関しては、私もそれなりの役割を果たしたと自負しています。

○しかし政権は取ったものの、寄り合い所帯で、結局、社会党が離脱。さらに「まさか」の自・社連立で、自民党の政権復帰を許してしまった…。

江田 そうしたことに対する大きな反省に立って、小さな党派のエゴの衝突はもうやめようと、新進党を誕生させたわけです。そして参議院選挙で勝った。新進党の使命は、ますます大きくなったと言うべきでしょう。もちろん新進党に問題がないかといえば、そんなことはない。皆さんが指摘される不安、懸念、不満は十分承知しているつもりです。

しかし、今一番大切なことは「あれがいかん、これが好かん」といって、ようやくできた政権交代の芽を踏みつぶすのではなく、繰り返し主張してきたように、新進党をいい政党に育てていく、そして旧来の自民党政治の構造を精算することです。

国民参加の党首公選で開かれた新進党に

○一方で、「新進でも自民でもない、第3の極」をめざす動きがあります。どうも、「第3」というのが、「政権をめざすのではなく第3位をめざす」のか、「政権より理念が大切」というのかよくわからない。社会党は、村山さんが首相になったとたん、急に日の丸も君が代も安保もあっさり認めたわけで、その社会党が中心の「第3極」の「理念」に、一体どれほどの重みがあるのか…。

江田 社会党内の、「新党」をどうするのかという議論は、本当に気が遠くなるほど巡り巡り、浮かんでは消え、いよいよ「社会党消滅」が現実味を帯びて、ようやく重い重い腰をあげた、という感じですね。

つまり一番の問題は、「第3極論」はどうしても、社会党の生き残り策の域を出ないという点です。だから「キレ」がない。国民の皆さんも、そこをきちんと見抜いているから、新党ブームは起きない。

それともう一つ。 結局「第3極」ができることで、自民党がより巨大になって復活するという危険が、かなリある。

「第3極」は政権を目指すのではなく、現実には「第2極」の足を引っぱる役割を担ってしまう。その結果「第2極」を「保・保連合」へと追いやり、巨大自民党の出現、旧野党は見るも無惨というシナリオが現実味を滞びてくる。

○逆に言うと、新進党を、本当に国民の皆さんから「ガンパレ」と声援をおくってもらえる政党に変革していかなければなりませんね。

江田 今年12月、新進党は党大会を開きます。結党1周年ですね。そこで今の暫定規約にかわる本規約を作リます。

まずは党首選び。これはやはり、いわゆる「開かれた党首公選」の方向でいくべきだと思います。新進党は、まだ組織がきちんと整備されていないので、困難はありますが、細川護煕さんが主張している「オープン・プライマリー(党員以外も党首選びに参加できる制度)」にも賛成です。あなたも、千円払って、新進党の党首(もしかしたら、総理大臣になるかも知れない!) 選びに一票投じてみませんか?!

憲法原則を揺さぶる宗教法人法改正問題

○ところで、最近にわかに「宗教法人法」の改正、ということを自民党が言いはじめました。世論調査によれば、国民の8割から9割近くが賛成している。それに対し、新進党は「改正反対」を打ち出した。一部には、「新進党は創価学会の言いなりでは」といった批判さえあります。江田さんは、新進党の「政治と宗教に関する委員会(委員長=愛知和男衆議院議員)」の委員長代理ということですが、なぜ新進党は宗教法人法改正に反対なんですか?

江田 ひとことで言えば、今の動きは憲法の大原則をゆさぶるものだからです。

少しさかのぼってお話ししますと、新進党ができる前の「新党準備会」で、私は政務委員長を務めてました。その時提案したのが、「公明党(当時)も含めた新党を作る以上、政治と宗教とのかかわり方の原則をキチンとしなければいけない。創価学会と新党(=新進党)が一体のものということはありえないし、創価学会の皆さんだけではなく、すべての宗教団体に対して、『新進党は宗教に対してこういう原則を持っています。政治と宗教のかかわリについてはこのように考えます』ということをはっきり示すべきだ」ということ。政党と宗教団体とが、理念や政策を通じて支持協力関係を持とうということです。

立ち上がりは遅れましたが、新進党こそが、今いろいろと問題をかかえている宗教のあり方について、逃げないで真剣に取り組み、きちんとした原理原則をうち建てていくんだ、という意気込みでスタートした矢先、宗教法人法改正の問題が浮上してきたわけです。

宗教法人法改めてもオウム事件は防げぬ

○自民党は、「オウム事件がきっかけ」と言ってますが…。

江田 私は、今回の宗教法人法改正は、オウム事件に対する社会の不安と苛立ちにに乗じて、参議院選挙で新進党に敗れたことに不安と苛立ちを感じた自民党が、新進党=創価学会党キャンペーンの延長線上で、オウム事件にかこつけて持ち出してきたものだと思います。事実、自民党の幹部からは「創価学会が困るようなウマい改正はできないものか」といった発言が飛び出している。

○でも、宗教法人法を改正することで、オウムのような事件を未然に防ぐことができるのではないですか?

江田 世界史を見れば、「信教の自由」と「政教分離」というのは、宗教的権威と世俗的権威との長い闘いの後たどりついた、貴重な、そして基本的な原則、言ってみれば民主主義の大原則の一つです。

そして日本でも、戦前の宗教弾圧から始まる思想統制や「国家神道」への反省に立ち、この憲法原則を実体化するものとして、「宗教法人法」ができました。

私も今回、改めて読み直してみましたが、「ノーコントロール・ノーサポート」で、基本的にはよく考え抜かれた制度となっています。

それに対して自民党は、公権力が宗教活動に対して指導、監督、規制の権限を持つべきだと言う。これは憲法原則に触れると言わぎるを得ません。

宗教団体のあり方に問題がないというのではありませんが、その是正は、どんなに歯がゆくても、まずは宗教団体と市民社会の自律性で行うのでないといけないと確信します。

確かにオウムの事件は重大問題です。国民の皆さんの「政治は何をしてるんだ」という苛立ちはよくわかります。それに対しても答えを出します。しかし、オウム事件は宗教法人法の欠陥で起きたものではないんです。

「誤解」や「為にする議論」の先行を懸念

○「宗教法人だから、捜査に二の足を踏んだ」という警察関係者の声もありましたが…。

江田 もしそうだとしたら、それは宗教法人法の趣旨の取り違えです。宗教法人だからといって、刑法に触れることがあれば、当然罰せられるんです(宗教法人法86条)。行政が 「さわらぬ神にたたりなし」と及び腰だったことこそ、改めなければいけません。

○「宗教団体だけが非課税なのはおかしい」という声も聞かれます。

江田 それも誤解で、宗教法人だけでなく、公益法人すべてに適用されている税制上の優遇措置なんですね。だから、宗教法人法の問題ではなく、税法をどうするかという問題です。

宗教活動以外の営利事業には課税されるし、決して「宗教団体は治外法権」なんてことにはなっていない。

○しかし、国民の間には、根強い「宗教不信」といった空気があるように思います。その責任は、やはり宗教団体の側にあるのではないでしょうか。

江田 そういう点はあると思います。宗教団体と言いながら、金儲けに狂奔するとかね。しかし、「この宗教団体は良心的、こちらは怪しげだからダメ」といった線引きを国家が行うのは、民主主義の自殺行為ではないでしょうか。

強じんな市民社会が民主主義を守り育む

○では江田さんは、宗教法人法改正の必要はなし、という意見ですか。

江田 現在、政府与党が準備しているものには反対です。何度も言うように、今回の宗教法人法改正論議には、多分に政治的な意図が含まれている。宗教への社会の信頼が大きくぐらついている時に、それに便乗して信教の自由という憲法の大原則にかかわる問題を政治権力が政争の具として拙速に扱うのは、私は「政治的火遊び」だと思います。そのようなことに安易に手を出す政府や与党に、「あやうさ」を感じます。

私は宗教に関わるさまざまな問題の解決は、基本的には宗教に関係する方々の自発的な取り組みにゆだねるべきだと考えます。

たとえば処方箋としては、宗教団体が自発的に集まって協議会を作り、そこで相互の協議と批判で、透明性を高めるガイドラインを作るとか、市民からの苦情には「宗教オンブズマン」を設けるとか、が考えられると思います。

法改正は処方箋の一部で、しかもそれはオウム事件を徹底的に検証し、総括した上で検討しなければなリません。

先日、新進党の役員会で発言したんですが、「現代社会において、人が人として生き、社会が社会として成り立つために、宗教が果たすべき役割を、私たちは軽視しすぎてきたんじゃないだろうか。だから宗教問題というと、他人事のように思ってしまう。しかし、信教の自由というのは国民一人一人の基本的人権にかかわる重大なことがらなんだ」と。

信じること、そしてもちろん信じないことも含めて、個人の心のありようを国家が規定しようとすることに、私たちはもっと危機感を持つべきです。

民主主義というものは「民主主義を破壊しようとする思想をも許容する」という点で、常に崩壊の危機にさらされている。それをしっかりと維持し育てていくのは強靭な市民社会の存在です。困ったことがあれば、すぐに公権力の規制にゆだねるというのでは、市民社会はぜい弱になり、民主主義は「根腐れ」を起こしてしまいます。




お好み焼がおいしい季節になった。鉄板の上でしだいに焼けてくるそばやキャベツにかけられたソースのにおいがまた一段と食欲を誘う。

江田五月議員は、小学校の同級生山本さんの店「番町文庫」で醤油味の焼うどんを食べるのを楽しみにしているそうだが、最近ではそんな機会も極めて少なくなっている。岡山新2区での選挙準備もままならず、新進党の体制固めに、広報と企画の責任者として文字通り心身ともにくつろぐ間もない。

最近の仕事としては、フランスの核実験に対して、ル・モンドに新進党としての抗議の意味を込めた意見広告を掲載したことなどが特筆される。いうまでもなく、世界の非難をどこ吹く風としらを切る、シラキリならぬシラク大統領に反省を求め、フランス国民に良識を呼び戻そうというものだ。

フランスは人権思想の発祥の地とでも言うべきところであるにもかかわらず、自国のことのみしか考えず、他の国の人を同じ人間として考えていない節がある。

同じように、他国の人間の人権に無神経なのが、アメリカだろう。沖縄県での小学生暴行事件の犯人を、日米地位協定を理由に日本側に引き渡さなかった。今ごろ、運用面での改善などといっても白々しい。これをうやむやにするようなら、村山政権は日本の政府ではない。(は)


ハードスケジュール、北・中米視察の旅

衆議院内閣委員会に海外視察の番が回ってきました。物見遊山で税金の無駄使いだと評判が悪いのですが、要は内容。野党側の筆頭理事として、「超まじめ」でいこうと提案し、地震対策と危機管理に焦点を絞り、大変なハードスケジュールの計画をたてました。

8月29日、日墨(メキシコ)学院視察。日本人とメキシコ人を一緒に教育しており、なかなかの成果を上げているようです。自閉症児1人に先生1人付きっきりや、先生2人できめ細かく見ているクラスもあり、小学生にもコンピュータをいじらせたり。

昼食は仲良しで戸外の緑陰でばらばらにとっていました。「平賀先生知ってますか」と生徒に突然聞かれ、慌てました。岡山市立横井小から派遣された若い張り切った先生でした。午後は市内視察で、地震の傷跡へ。

30日、内務省防災局長訪問。なかなかのシステムを作っています。ポイントはネットワーク化とマニュアル化だと思いました。

31日、ペルーのフジモリ大統領と予定を大幅超過で1時間以上も会見。5年前就任したときは、テロ頻発と年率7千%のインフレ。改革の提案は、民衆に背を向けた守旧派政党の抵抗で、ことごとく議会で葬られる始末。そこで憲法の停止、議会の凍結を断行。私たちもびっくりしましたね。

しかし異常事態は短期間で乗り越え、7月選挙では圧勝で再選。「改革の方向を明確に示し、民衆の支持を得て、強いリーダーシップで乗り切ることが大切。いまでは議会でも私のほうが多数派ですよ」と明快。守旧派政党は、白人支配の遺物だったのですね。

ペルーといえばインカ帝国が有名ですが、その前にチャンカイという国がありました。この国は、栽培技術を基礎にした民衆文化の国で、見事なレース編みや陶器、ゴマ粒ほどの石に数ミクロンの孔をあけたビーズなど、天野博物館の展示品に見とれました。

中でも心ひかれたのは1枚の壁掛け。模様は縦横たくさん並んだ手のひら。よく見ると真ん中の手だけ指が6本。その意味は、障害をもって生まれてきた子供は、必ず普通の子にない使命を帯びているはずだと、大切にされるというのです。差別のない、優しい文化ですね。ところが金銀を手にした強国インカに併合されます。暗示的ですね。

9月1日、日秘(ペルー)文化会館視察。白人優位のなかで、日系人は大変苦労し、先住民銅像を建てたりして、融和していったそうです。老人クラブの1世の顔に刻まれた深い皺に、思わず声が詰まりました。

2日、ロスアンジェルスの災害ボランティア組織、オペレーションUSA訪問。きめ細かなネットワークやFEMAとの連携プレーは具体的で迫力満点。震源地ノースリッジはまだ立入禁止の家屋がありました。

日系企業経営者の組織では世界一のロスJBA有志が休日なのに出てきてくれ、本音の話を聞きました。「日本の教育は国際社会では通用しませんよ。」「日本の金融システムの信用は、がた落ちですよ。」大きな課題を背負って、9月4日元気に帰国しました。


50年間の活躍に賞賛と感謝の声

 大亀幸雄さんの第2の門出を祝う会

8月いっぱいで50年の政治生活にピリオドを打った大亀幸雄・元岡山社民連書記長の 「第2の門出を祝う会」が9月17日、岡山国際ホテルで開催された。

秋山長造・元参議院副議長、江田五月・衆議院議員など20名が発起人となり開いたもので、長野士郎・岡山県知事をはじめ400人が集まり、長年の活動に対して感謝と労いのメッセージを贈った。(大亀幸雄 50年の足跡

【大亀さんの挨拶(要約)】

私は昭和20年の終戦直後に政治運動にかかわり、翌年の昭和21年からは江田三郎さんの指導をうけながら本格的な政治運動に参加しました。

政治生活50年を振り返って、思い出すことは数限りなくありますが、時間の制約がありますので、そのほんの一部を紹介させていただきます。

長野×加藤知事選挙

第一は、昭和47年の「長野・加藤」の知事選挙のことです。あのとき私は、表では加藤さんと後ろでは木島さんと、二人を敵にまわしたのでは選挙に勝てないと判断しました。そこで共産党の木島さんに降りてもらう作戦をたて、連日連夜、共産党と話し合いました。

そしてある計画をたてました。その計画とは、共産党が長野さんに公開質問状を出す。その質問状は事前に私が見る。回答書は私が作成し共産党に見せる。両方の意見が一致したら公表すると云うものでした。

長野さんは二つの文書を見て「共産党と手を握ると公明党が怒ると思う。怒らせないように頼む」とのことでした。私は長野さんに「公明党が怒らない方法があれば教えてほしい。勝つためには怒ってもやる外ない」と説明し、妥結・公表の道を選びました。案の定、公明党にはこっぴどく叱られた。共産党を土俵の外に置いたこの「ブリッジ共闘方式」は、岡山方式として全国的に有名になり、全国の首長選挙で次々に採用されることになりました。

京都府知事選挙

第二は、昭和49年の京都府知事選挙のときのことです。蜷川虎三知事と大橋和孝さんが激突したとき、政治的には社・公・民共闘か、社・共共闘かが政治路線として選択の中心的課題だった時のことでした。

秋山長造さんは、社会党本部の方針に反対して除名覚悟で大橋和孝さんを応援したのですが、もしあのとき、江田三郎さんが秋山さんと行動を共にしていたら、社会党の歴史は変わっていたかもしれません。

江田三郎の闘い

第三は、昭和36年頃ですが、江田三郎さんが社会党改革に情熱を燃やしていたことです。

「構造改革のたたかい」「社会主義の未来像」「江田三郎ビジョン」「如何なる国の核実験にも反対」など、江田さんはつぎつぎと論文を発表。新しい社会党づくりに全力投球しました。だが江田さんは、最終的には社会党に絶望して社会党を離党、社会市民連合を結成しました。

しかしその2か月後、江田さんは癌で急逝しました。「歴史にもしもは許されない」 と云われますが、もし社会党が、30年前に、江田さんの主張を採りいれていたら、社会党はもう少し変わっていたかもしれません。

第3極は荊の道

最後に、ここ一、二年は、政界再編成の嵐が吹きまくると思いますので、私の感想と願望を、少しのべさせていただきます。

社会党が解党、解散の道を歩むことは避けられないと思います。そしてその後に、新しい党、リベラル新党が出来ることは確定的のようです。おそらくそのリベラル新党は、古いイデオロギーの「保守・革新論」を乗り越えて、新しい理念と政策の政党づくりを追求すると思います。

だが、その新党が、来たる衆議院選挙で、全選挙区に候補者を擁立する道を選べば、壊滅的敗北を招くことはまず間違いありません。自民・新進にリベラル新党では勝つ可能性はありません。

リベラル新党は一方では国民的拍手を狙って「第三の極」と云う新党をつくりながら、他方では、他党との選挙協力の道を探る以外に生きる道はないと思う。

その時、新進党は如何なる対応をすべきか―今から真剣な討論が必要だと思います。

保・革を乗り越えて

保・保連合政権なるものが流され、一人歩きしています。社会党は自民党も新進党も保守政党と断定しています。もちろん新進党は「保・保連合はありえない」と否定しています。

だとすると、新進党は、自民党とは一味も二味も違う、新しい政治理念・政策は何か、その点を鮮明にしなければなりません。

その理念とは、一言でいえば、保守・革新を乗り越えたものだと思います。私流に云えば、従来の保守政党、革新政党の理念の中で、何百年の歴史に耐えられ、今尚脈々として生きつづける普遍的公理・道理とも云えるものだと思います。

例えば「自由・公正・博愛・共生・人権・環境・軍縮」などがそれだと思います。

つまり新進党の理念と、リベラル新党の理念とは、否応なしに、共通項が多くなると予想されます。もしそうだとしますと、両党の関係は如何にあるべきか、―その答えは明白であります。

「一市民」として

難しいことにふれてすみません。これからは政治のことは一市民の義務程度とし、指揮・監督・院政などと称するものは決して行いません。

50年間、ありがとうございました。


Vous avez tort Nucleair non!
フランスの核実験に抗議し緊急街頭演説

9月6日午前6時30分(日本時間)、国際的な批判の高まりを無視し、フランスはムルロア環礁において核実験を強行した。

これに対し新進党岡山県連は急きょ対応を協議。抗議声明を発表する一方、その日、岡山県内にいた所属国会議員、県議、岡山市議らが集まり、岡山駅前で抗議の街頭演説を行った。

この演説の中で江田五月議員は、「核の脅威によって平和を維持しようという考えは、冷戦構造が崩壊した今、説得力を失った」と述べ、人類が核の恐怖から一日も早く解放されるよう、日本が率先して国際社会に働きかけるべきだと訴えた。

その後もフランス政府は核実験継続の方針を変えず、10月2日午前8時30分(日本時間)、ムルロア環礁に隣接するファンガタウ環礁で第2回目の核実験を強行した。

これに対しても新進党岡山県連は同日夕刻、核実験即時中止を訴える街頭演説を、再度行った。

【新進党岡山県連の抗議声明(全文)】

世界中の人々が中止を訴えたにもかかわらずフランスが核実験を強行したことに、大きな憤りと悲しみを覚える。

核廃絶は人類の願いであり、ことに広島・長崎の惨禍を経験した我々日本人にとって、今回の核実験は決して許されない暴挙である。

もはや核抑止力によって平和を保とうとする思考は過去のものである。真の平和は、相互の理解と協調によってのみ達成される。

我々は、以後の核実験計画を中止するようフランス政府に強く求める。そのことこそが、フランスの威信を高める道であり、日仏両国が今後実りある関係を築いてゆくための貴重な礎になると確信する。

我々は今後とも、あらゆる国の核実験に反対し、核の恐怖から解放された平和な世界を築きあげるために全力を尽くすことを誓う。


玉野市、灘崎町にお住まいのお知り合いをご紹介下さい!

衆議院小選挙区の区割りが決まり、江田五月は岡山新2区から出馬することになりました。新2区は、岡山市の旭川以東と小串・甲浦地区、邑久郡、そして玉野市と児島郡灘崎町です。このうち、玉野市・児島郡灘崎町は江田五月にとってはじめての選挙区となります。

ぜひともご親戚、ご友人をご紹介ください。ご紹介いただいた方々には江田五月の政治活動のお知らせ、各種催しのご案内などをさせていただきます。

どうかご協力をお願いいたします。


第3回江田五月株株主総会&シンポジウム
●日 時:1995年11月28日(火曜日)
      16:30〜18:00 シンポジウム
      18:15〜19:30 総会・交流会
●ところ:赤坂プリンスホテル別館
     クィーンホール=シンポジウム/ロイヤルホール=総会・交流会
●シンポジウムテーマ「21世紀日本の選択」
 バネリスト=細川譲照(元内閣総理大臣)/小林陽太郎(富士ゼロックス会 長)/猪口邦子(上智大学教授)/グレン・S・フクシマ(在日米国商工会議所副会頭)
 コーディネーター=江田五月(衆議院議員)
●会 費:20,000円(ただし95年会員及び株主はご優待いたします)

お申込み・お問い合わせは全国江田五月会まで

この催物は、政治資金規正法第8条の2に規定する政治資金パーティーです


編集後記
食料品売り場で松茸にお目にかかリました。ただし眺めるだけ。戦後の物資欠乏期に少年だった父は、すき焼きにどっさり放り込まれた松茸を箸でかき分けながら、わずかに入った牛肉を探し求めたそうです。そう言えば、戦前はマグロも赤身が好まれ、トロは二束三文だったとか…。何はともあれ、安価、健康的な、湯豆腐で一杯。(K)


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