1981/01 五月会だより No.7 ホーム主張目次たより目次前へ次へ



レーガン新時代はじまる
 
牛尾次朗氏 講演要旨

日本がつくった難民たち

泰緬鉄道の古傷を訪ねて    江田 五月  

 昨年末、タイを訪れた。鈴木首相のASEAN歴訪の「下準備」のため、といいたいところだが、事情はいささか異なる。

日本軍侵略の傷あと

 第二次大戦の最中、日本軍は、タイとビルマをつなぐ泰緬鉄道建設という大事業にとり組んだ。戦争遂行のためだから、余りほめたことではないが、より悪いことに、この労力を、日本軍は、連合軍の捕虜や、ビルマ、マレーシア、シンガポ−ル等周辺の諸国から徴用した労働者で調達した。出稼ぎではあるが、純粋に自由意思で出て来たとは、到底いい難い。この徴用労働者が、何と二十五万人。

 労働はきつく、多くの人々が、熱帯性潰瘍に苦しみ、マラリアやコレラで死んだ。
 
 戦後生き残った労働者は、放り出されて故国に帰る術がなくタイの村落に住みついた。

 彼らの救済を自らの使命だと考えた男がいる。通訳としてこの事業に関わった倉敷の長瀬隆さんだ。戦争の傷あとを、自分の目で見、自分の耳で聞きなさい、と忠告され、個人的な、私自身の勉強のつもりで、一緒に泰緬鉄道沿線の村々を訪ねたのだ。

 私も、参議院議員だ。何万人もの人びとがジャングルから出て来て、口々に日本を糾弾し謝罪の言葉を要求するとどうしようか。初めは、そうした気負った迷いもあった。

故国から引き裂かれて

 しかし、それは杞憂だった。既に帰国した労働者も数多く、私たちは、数人の老人を捜し当てるため、ジャングルを切り開いた道を、噂を追いかけて、あちらこちらと何十キロも砂けむりをたてて走り廻った。

 そのことは事態が軽いことを意味しない。

 尋ね当てた人たちはみな、かつて故国で貧乏だが平和な生活をしていた。戦争という、自分の力ではどうすることもできない嵐が、この楽園を襲った。軍靴とサーベルの日本軍の命令でついに有蓋貨車に揺られて親兄弟から遠く離れた異国に一人移り住むこととなった。頭をたれて嵐の過ぎるのを待つうち、仕事を得、妻子を得、近隣に友人を得て、そこに一つの生活関係ができ上がった。今さら親許に帰ろうにも、妻子を捨てることはできず。親兄弟の様子をうかがい知ることもできない。

 植物は、小鳥が実を食べ、遠く離れた地に糞に混じって種が落ち、そこで根をはって成長する。それが種の存続の方法だ。しかし、人間は違う。係累と離れ異民族の中に放り出され、言葉も通じない一人の男が、その異国の土から切り離すことができない程、そこに生活の根を深くはっている。その間の苦痛と苦悩は私たちの想像の限界を超えていよう。

 同時に、こうした異国の人を包みこみ、自分たちの土地に根をはることを許容するタイの人たちの根っからの寛容さも、これをほめ讃えるにふさわしい言葉を捜すのは困難だ。

日本人の厚顔さ

 このアジアの生活と精神の柔構造の中にも、戦争の傷あとは鮮やかに刻まれている。「日本は、戦争中自分たちのボスだったのですよ。だから現在でも、日本は、ボスらしく自分たちを遇してほしいものです。」捜し当てたマレーシア人の一人はあざけるように言った。「日本が私たちに何ができるかは、私たちに尋ねることではなく、日本自身が考えることですよ」とは、別のインド人の言葉。

 柔構造の中に、決して曲がったりすり減ったりしない鋭いトゲが包みこまれている。

 彼らにとって、嵐の元凶は日本だ。日本の戦争目的の遂行が残したこういう深い傷あとをそのままにして、今、日本は、この国に買春ツアーを繰りだし、ここで富を築き、首相はにこやかに笑顔をふりまいて美しい言葉をもてあそぶ。だのに、いまだ一人の日本の 「政治家」も、彼らを見舞ったことがない。

アジアに架ける心の橋

 もし現在でも二十五万人の徴用労働者がここにいるのなら、多分「政治」はこれを放置せず、援助とかいって、物と金をばらまくだろう。しかし、数人の深く傷ついた心を救うには、「政治」はあまりにもきめが荒い。

 いかに大量の火薬で焼きはらっても、自然も人間生活も元に戻るだろう。しかし心に残った傷は、容易に治らない。そこに物と金をばらまくことは、新たな不平等と紛争を引き起こすだけのこともある。傷ついた心を癒す方法は、その事に痛みを感じる「政治家」その他の人が、自分の心を砕くほかないのだ。

 このあと、西へむけてカンボジアとの国境を越えた。ベトナムとポルポトの力の対決と異なる祖国建設の夢を持ち、しかし現実は想像を絶する極貧の第三勢力の村を訪れた。

 こうした東南アジアの苦悩と貧困の現実に出会うと、やれ鉄砲だと大砲だといっている日本の軍備強化論が、いかに思い上がった一人よがりかがよくわかる。恥ずかしいことだ。

 アジアの人びとと心を通わせることができないで、どうして日本の平和がつくれるのか。

 いつの日か必ず、こうした汗と埃にまみれた旅こそが、首相訪問の「下準備」となるように、日本の政治に心を通わせたいものだ。


レーガン新時代はじまる ――アメリカの選択と日本
牛尾治朗

 江田五月氏の主宰する「21世紀サロン」第三回例会は、牛尾治朗氏を招き、「アメリカ大統領選挙後の世界政治と日本」について講演していただきました。以下は、この講演の要旨を記録したものです。

牛尾治朗氏のプロフィール
 兵津県生まれ
 東京大学法学部卒業
 カリフォルニア大学大学院卒業
 (株)社会工学研究所代表取締役
 ウシオ電機(株)取締役会長


優しさの時代から逞しさの時代へ

 政治の流れが変わるには三十年かかります。

 ルーズベルト大統領以来、アメリカではリベラル(民主的)な政治が続いてまいりました。それが最近コンサバティブ(保守)に置き換えられてレーガンが登場してきた。三十四年くらいかかっています。

 アメリカのリベラルとコンサバティブというのは、日本の保守・革新とはだいぶ違います。

 アメリカのリベラルというのは、経済政策の面でみますと、ケインズの近代経済学を軸とした修正自由主義というか、修正資本主義的な傾向をもっています。政府が総需要をつくりだすことによって景気を浮き沈みさせる。政治構造としては、力強い男がやさしさや連帯感を持って、やさしい社会にしようという、どちらかといえば弱者救済、平等、弱い者を助ける、そういう感じの保守主義です。

 それに対してコンサバティプの場合には、議会制民主主義や大統領制民主主義から成る民主政治という本体と自由経済体制という経済体制の二本柱で社会が成り立っているというわけです。

 自由経済というのは、どちらかといえば努力し、汗をかき、勤勉に働く者が報われる社会、それを信じる社会ですから、幸運まで含めて、要するに成功者が喝釆を浴びる社会、成功する者は最大の努力をする者なのだということを信じる社会。それは別のことばで言えば、強い者が勝つ社会、自由競争の社会ですから、競争による全体の調整が計画による調整よりも結果としては、よりすぐれている社会であるということを信じている社会、自由競争の社会です。

 この民主主義というどちらかと言えば平等、博愛、弱者救済という政治論理と、自由経済という競争の論理のもとに立った強者生存の社会とは、実は全く矛盾するものです。

 リベラルというのは、どちらかと言えば民主制度が自由経済のちょっと前へ行っている強い社会、コンサバティブというのは自由経済の論理の方が民主主義よりも大事だと考える社会です。

 “逞しくなければ生きていけない。しかし、やさしさがなければ生きる値打ちがない”というアメリカ人の好きなことばがあるんですが、逞しくなければ生きていけないが、やさしさがなければ生きる値打ちがないという人生観がアメリカ人にある。

 アメリカは本来国としても逞しかったはずで、だから生きていくことには十分自信がついたから、やさしさが前面に出た、それがリベラルの時代だと思うんです。それが最近アメリカそのものが相当逞しくならないと、生きていけなくなって、あとから出てくる日本にやられてしまうというようなこと、軍事力でソ連にやられてしまうというようなことになってきた。むしろやさしさよりも、まず逞しく生きることだという自立の精神が、レーガンで非常に表に出てきた、というふうに考えると非常にわかりやすいと思うんですね。だから“風と共に去りぬ”のレッド・バトラーみたいな男が最もうまく生きていいんだ、というふうに考えるのがレーガンの社会である。

 レーガンが当選したとき、とにかく嬉しくてしょうがない、素晴らしい、感動していると言うんで、レーガンの大統領当選のスピーチというのは、レコード大賞をとった歌手とよく似ているというような悪口を言っている新聞もありますけど、よく読むと一行ではっきり方針は書いている。これで働く者が幸せになれる社会が来る、と書いてあるんですね。勤勉に働く者が必ず報われる社会がくるんだと。

 これまでのアメリカは、文句を言い、不平を言い、すねている奴が得をする社会だったけれども、これでアメリカが開拓の原点で勤勉に働く奴が報われる社会になるぞ、ということが一行だけ、彼の抱負に入っているわけです。あとは全部喜びと感謝だけ。

 実はレーガンの政治の流れというのは、ここにだけ象徴されるわけですね。要するに、逞しくなければ生きていけなくなったアメリカというものを前面に出す、逞しく生きる、そしてやさしくという余裕がなくなった社会です。

 アメリカというのは非常に強い時代が続いて、一九三〇数年から三十五年間にわたってリベラルの全盛期、弱者救済が基本原点であった。黒人問題とか少数民族を助ける。難民を受け容れる。世論調査の意識でも五〇%のリベラルに対してコンサバティブは常に二五%以下。四分の一を切っています。マイノリティ(少数)・コンサバティブ、マジョリティ(多数)・リベラルというパターンです。

 だからルーズベルトが勝つまでは、民主党はリベラルで共和党はコンサバティブという傾向だったわけです。

 民主党は、政権をとるためには南部の、共和党よりももっと保守的な南部保守民主党と組まなければ政権がとれないというんで、超右派と左派が組んで民主党を創ったというのがアメリカの民主党の歴史です。ごく十数年前までは南部民主党というのは最も保守的で、共和党よりも保守的であった。それと組まなければ勝てない。都会の民主党というのは、どちらかといえばシカゴから東部にかけての組合勢力と結託をする。それに対して共和党というのはコンサバティブで、カリフォルニアとかテキサスというような南部、西部の自立して働く中小企業集団というようなものが中心であった。これはもうずっと、この三十年間少数派ですので・、東部にやはり共和党リベラルというのができて、共和党のりベラルが民主党リベラルの協力を得ながら、共和党コンサバティブと組んで、アイゼンハワーとかニクソンとかフォードとかがたまに勝っているわけです。

コンサバティブの圧勝

 今度の選挙は、はっきり民主党から共和党に移ったという単純なことではなくて、要するにコンサバティブが圧勝をした、リベラルが完敗したという選挙です。民主党でもリベラルとして売り出しているマクガバンというニクソンに負けた大統領候補とか、ロッキード問題できっかけを作った非常に告発するリベラル政治家としてのチャーチなんかは上院議員の選挙で落選しました。この落選のことはもう五月頃から十分に予想されていました。

 コンサバティブというのは、どちらかといえばジョン・ウェインとかレッド・パトラーみたいなイメージですから、努力し、力強いということで組織的ではない。高田馬場に駆けつける堀部安兵衛的な美学はあっても、組織的、システム的、情報管理的に政治運動を進めることが下手である。

 いわゆるオールドライトというのは、ゴールドウォーターに象徴されるように、一匹狼という感じです。日本でも自民党のコンサバティブは青嵐会を軸にして一匹狼的です。

 それが四年前、フォードがカーターに敗れたということの共和党の挫折というか、コンサバティブの挫折感というのは大へんに強かった。四年前のカーター、フォードの選挙は、フォードが僅少差で勝つだろう、というのが経営者の共通した見通しでした。四年前の大統領選挙における大企業・中小企業に至るアメリカの経営者のコンサバティブに対する熱の入れ方というのは熱狂的なものでした。それが無名のカーターに敗れた挫折感というのは非常に大きかった。

 それが逆にコンサバティブというものに対して、民主党対共和党の戦略を越えて、コンサバティブにならなければアメリカは崩れるという悲愴感を作り出す。これからは自立型人間の社会にしないと、もう強いアメリカは帰ってこない、ということをあらゆる局面で、政治活動のみならず、経済・活動、文化活動を含めて、いろんな弁士がしゃべり回ったのが、この二、三年の傾向です。

 そして、世論は年々コンサバティブが増えてきました。そういう点では今回の選挙は、世論調査の上ではコンサバティブが非常に強くなってきましたので、共和党が負けて民主党が勝っても、カーターは民主党のコンサバティブを無視しては政治ができないことが明確になってきました。カーターが勝っても、コンサバティプな政治をしなければいけない、自立人が幸せになれる政治をしなければ政権が動かない、というパターンは一つの自明の理であったようです。

 私どものところでも、アメリカのいくつかの提携社から十枚くらい、いろんな演説集が送られてきました。共和党のレーガンを支持する演説集で、ここでコンサバティブが勝たなければアメリカの経営は崩壊をする、という論理ばかりです。

 われわれは、もしカリフォルニアに地震が起こって、われわれの家や工場が壊れても、翌日すぐ鍬を持って起ち上がることから始まるんであって、政府に陳情をし、こういう地震対策が悪かったと、不平不満を言うのは一ヵ月後にしたいんだと。最近の政治は誰も鍬を持って起ち上がろうとしないところに、この国の欠陥があるという、そういうコンサバティブの呼びかけが非常に多かったわけです。

レーガンはニューライト

 二年くらい前からコンサバティブが初めてコミュニズムと連合しました。アメリカのコンサバティブが、大衆活動、運動と一緒になって組織的なマス・ムーブメントをしたのは初めてです。

 チャーチとマクガバンは必ず落とすぞ、というチームができました。それがアイダホのチャーチの所へ入って、チャーチは保守的で、ワシントンでは進歩的なことを言っている矛盾を、テレビの時間を買って徹底的にやったわけです。それで落とすのです。

 これは日本でも言えますが、一人の代議士を通すのは難しいけれども、落とすのは簡単です。カが三分の一でいい。一人の代議士を通す努力の三分の一の力があれば、相手を落とすことができるわけです。

 そういう点では、今度のレーガン側のコンサバティブは明らかにニューライト。ゴールドウォーターの時代からハッチ上院議員なんかに象徴されるような、かなり組織化された、武装化されたライトというものによって、三十何年ぶりにリベラルを破った。

 日本の保守というのは、実は長年リベラルです。日本の保守は明らかに、大平政権もリベラルであったし、鈴木善幸政権もリベラルである。田中さんもリベラル、三木さんもリベラル、強いて言えば、福田さんがちょっと、まあコンサバティブに近いかな、と思うけど、やっていることは非常にリベラルである。

 日本はアメリカ型の社会ですから、アメリカの政治がリベラルであれば、日本の政治はリベラルになる。そういう点から言うと、レーガン政権の誕生によって、これから四、五年以内に、日本の保守がコンサバティブ、これは日本的な意味のコンサバティブじゃなく、自助する者に恵まれた社会を作る、かなり男らしい社会に日本の保守がひきずられてくるだろうという印象を僕は持っているわけです。

 事実、地方の中小企業経営者が、大企業の組合なんかを背景にする社会党や民社党に対して持っている反感の最大の根拠は、奴らは何も働いてないじゃないかという議論があるわけです。地方の中小企業経営者は、非常にコンサバティブの方です。これが行き所がない。政治の世界では。

 政治の世界では、日本の保守はほとんどリベラルですから、組合とは非常にうまくいく。内部組合とは。だから民社党と自民党が防衛三法で議論しなくても、日常生活では日本の大企業の労使は、はるかにうまくいっている。地方の中小企業と、東京に本社を持つ大企業の感情的格差の方が、東京に本社を置いている大企業の経営者と組合の距離よりも遠いということです。大企業の労使間の距離の方がはるかに、大企業の経営者と下請けの経営者の距離よりも近い。

 だから地方の中小企業が、いわゆるアメリカ的な意味でのコンサバティブで、中川一郎さんとか青嵐会というものに対して向いていく。

 東京でも、下町にまいりますと、リベラルな保守に対する反感が大へんにあって、ドブ板の自民党が非常に勝ってくる。これは明らかにコンサバティブな保守に対する志向です。そういう点では、政治というものは、アメリカのリベラルとコンサバティブで日本を見直すということが非常に大事な時代になっていると思います。

“保革対立”はもう古い

 社会主義対資本主義とか、日本的な保守対革新という対比で説明すると、なにか現実は全然、辻褄が合わなくなってくる。東か西かで相撲をやっているときに、野球の先攻か後攻かと言っていると、枠外に出てしまいますから、既存のルールでしゃべらざるを得ないんですけれど……。

 その他にも私は、これからの日本の社会の変化というのは、アメリカのコンサバティブ対リベラルの大きな対立が基本になってくるだろうと思います。女性型社会か男性型社会かということも言えるし、やさしさか逞しさかということの選択にもなってくる。

 事実、日本の経済が、あと二年くらいすると必ず停滞してくる。そうなると、もうきれいごとは言っておれない。皆が生き残るためには逞しさが必要だということになってくると、やはりアメリカに三年くらいずれて、レーガン誕生の政治的風土が、保守、革新を問わず、蔓延をしてくるわけです。事実、オイルショック後の日本の労働組合の傾向をみても、そういう方向に進んでいると言えましょう。

 つまり、企業内労使というものを圧倒的に皆が評価している。同盟系、総評系の各民間労組が、企業の存立なくして従業員の福祉はないという発想で、経営の自立による組合活動を始めたわけです。自立する努力をやさしさよりも先に持っていく。それを非難されるから、申し訳のように中小企業を何とかしようということをあとでつけ足しに入れる。だから迫力ないですね、あれは。

救命艇の時代

 いま日本に、企業は百四十万社もあサます。そのうち上場されて、あるいは上場並みの大企業というのは四千社くらいしかない。ですから、百四十万の四倍で六百万人。一社五人としても七百万人の経営者がいるわけです。ダブっている人も相当いるし、夫婦兄弟で皆経営者というのもザラにいるけれども、そのうち四分の一が常につぶれて、四分の一が新しくできている。かなりいい加減な企業もある。しかし日本には数百万の零細企業経営者集団があるということは事実です。

 そこへもってきて約四千万くらいの給与所得者がいて、そのうちの大企業並びに組織労働者というのは、いろんな解釈がありますけれど一千万くらいではないでしょうか。

 そうすると三千万の未組織労働者と約数百万の自立型中小企業経営者は、今、票の持っていき場がないわけですね。そういう点では自立するのか、あるいは常に制度的な欠陥をついて何とかしてくれというふうに、常に異議申し立て、告発、抗議をして生きていくのかという、どちらかになってくる。

 しかし、世界の大勢が世界はひとつ――、オイルショック以降は、世界的には救命艇の時代に、ライフボートの、ライフガードの時代になっている。救命艇の論理というのは、救命艇に乗り込んだ奴だけが生き残るんだ、全員皆“We are in the same boat”じやないわけです。日本は日本という救命艇を何とか生かそうよという発想の時代に、実は国際環境というのは変わってきている。

 だからエネルギーの分配の問題でも、冬は暖かく、皆が石油に因らないという議論にならない。お前はこれだけで俺はこれだけだ、という取り合いですから、紳士的に仲良く、足元をみられないように。石油をつくっているOPEC、OAPEC諸国に足元をみられないように。先進国が消費者の便を汲んで生産者連合に対抗し、消費者連合の中では俺んとこは多く、お前んとこは少なく、という配分の議論をしている、そういう国際情勢の実態。そういう意味では完全に救命艇の論理の時代になっている。

不利な条件下の努力で

 そういう点では、日本が生き残ることは相当逞しく力がいるんだ、というのは非常に大衆に説得力があるわけですね。

 一九七〇年代は日本にとって不利な条件ばかりがそろっていて、それによって日本は世界で一番強い国に転化するのに成功した。通貨問題でいえば、三百六十円固定相場が変動で百七十円まで円が強くなるということは、輸出面では非常に不利な条件です。エネルギー問題は、石油依存度七〇%で、そのうちの九八%が輸入だという条件がある。自由化というのも日本のような最も自由化の少ない国にとっては不利な条件。食糧問題も日本のような土地の小さい、食糧の少ない国にとっては不利です。日本は何らかの努力、しくみ、手法というものの結果、一番不利であった七〇年代の十年間を通過することによって、八〇年代最も強い地位を確立した。

 高度成長のときのように日本にとって有利な条件のときには、世界の中での競争カはそれほど増していなかった。むしろ七〇年代、不利な条件下での対症療法が、八○年代の日本の国際社会での決定的な位置づけを良い意味で作り上げた。その実績というものが、現在の保守の強さです。

 これは政治のおかげじゃないと僕は思います。実際生きている現在の経営者や労働者や住民や、皆それぞれ日本人の生きざまの勝利だと僕は思うんですが、結果としては、この体制の勝利になってしまうんですね。

70年代の分析が必要

 そういう中で、世界のどこに行っても、“エクセプト・ジャパン”(日本は例外で)という言葉が非常に当たり前になってきました。

 九月の未、IMFなどのリポートを読んでみても、八○年代は世界は大へんなんだという。全体の生活水準がこれから下がっていくのを、東西南北を含めて、どう皆が分かち合うか、というのがこれからの国際共有の基本であり、八○年代の最大の課題であるというわけです。そして、“エクセプト・ジャパン”と書いてあるんですね。

 それから、物価問題は大へんだと。もうこれから三年間はインフレの危機と、通貨の価値を維持するというのがIMFの最大の課題だ、“エクセプト・ジャパン”と書いてあるんです。

 僕も二十年前に留学していましたが、先進国会議で日が何とか辛うじてそこに入ったときに、しばしば“エクセプト・ジャパン”があった。

 そのときの“エクセプト・ジャパン”はチープ・レイバー(安い労働力)でありバッド・クウォリティー(悪い質)であり、とにかくもうひとつ未成熟な、ちんちくりんなルールのない国としての“エクセプト・ジャパン”であった。この去る九月のIMFのというのは、日本だけは素晴らしくうまくやっているという“エクセプト・ジャパン”である。この二十年間の進歩というものが、結果としてはそのときの体制のエンドースメント(裏書き)になっている。

 七〇年代の分析は非常に大事だと思うんですね。今、誰が最高殊勲選手で、誰が最も足をひっぱる責任者で、誰が最も貢献をし、誰が最も享受したかということは、まだ分析が終わっておりませんが、これは、実は日本の八○年代の政治の方向を決める結果を作ると思うんです。

 そのようなときにアメリカがリベラルを捨てたという歴史的な事実がある。アメリカは“逞しくなければ生きていけない”という“逞しさ”を選択して、“やさしさがなければ生きる値打ちがない”なんて今言っておれない、まず生きていくことが先だという選択をした。

西ドイツの衰退とは

 もう一つは、西ドイツの衰退です。西ドイツの衰退をしゃべりますと、江田さんの政治勢力にはマイナスの発言になるのかも知れませんが、西ドイツがなぜ衰退をしたかというのは非常に興味深い事実です。われわれの業界から言いますと、西ドイツは明らかに技術革新に乗り遅れたのが最大の理由です。

 あの国は基本的には機械技術屋が多い国でして、メカニカルエンジニアリング中心の経済社会。だから自動車は非常に強かった。工作機械も大へん強い。装置も強い。皆さんの企業の中でエレクトロニクスのエンジニアと機械エンジニアを両方使っていらっしゃる方はすぐ分かると思うんですが、機械技術屋さんというのは大体頑固なんです。非常に計画的で、事前に全部設計図面を作りあげ、中間修正とか事後修正は全く嫌う。計画を変えることを嫌う。全て長いスパン(時幅)でがっちり組んで仕事をしたがるわけです。

 日本でも造船がそうですし、重電がそうです。それに対して家電とか、私もそうですが、エレクトロニクス・中心の技術屋というのは、非常に変幻自在です。計画はすぐ変更する。需要がくればすぐ生産を増やす。マーケットが変わればすぐ商品を変える。エレクトロニクスというのは、技術革新が容易に出没しますから、変化を前提としてシステムを組む。

 ドイツはそういう点では、どちらかといえばドイツ人の気質そのものがメカニカルエンジニア的だし、ドイツの産業そのものがメカニカルエンジニアリングを中心としてできた社会です。そういう点では、ベンツは三年後でも生産計画を変えないから、今注文しても三年くらい経たないと車がこない。

 というのは基本的には経営としてはみっともない経営でして、トヨタなどは、翌月の販売量に即応して翌月の生産計画を決めるのですから、来月が十万台で、その次の月が十五万台、その次の月が三万台というふうに、十万、十五万、三万しか作らない。それで原価が上がり下がりしないような商品を作るのがメーカーだと言っているわけです。

 それに対してドイツでは五年間で初年度が各月五万、その次が六万、その次が七万と決めて変えない。売れようと売れまいと……。それはよく、良いお菓子屋さんが五百個しか作らない、食いたけりゃ早く来いというあの態度と似ています。職人気質として一見評価されるけれども、中小企業以上にはなれない。

 ドイツはターボプロップのエンジン化までは機械分野ですからかなり先端を走ってまいりましたが、もう今や自動車は六割から七割が機械で、四割はエレクトロニクス。エンジン操作がコンピューターという時代になってまいりますと、それが現在の競争力の低下というものにはっきりあらわれているわけです。

 西ドイツが衰退した第二番目の理由は、ドイツ国民が大へんに贅沢になってきたことです。ドイツ人というのは本来、質実剛健で、生活が質素でケチな国民でした。それが二年前、貿易収入の二千億ドイツマルクの黒字に対して、それと同額の観光支出をしています。貿易収入の黒字と観光支出の赤字が同じだというんですから、週末は全部ドイツ以外の国へ行って遊ぶ。あの勤勉なドイツ人が、二百万人以上の外国旅行者を入れて、汚ない仕事は全部外国人にやらせる。こういう精神がドイツの勤労を軸とした組織力を非常に低下させているのではないか。

 第三番目の理由――。これは私の私見ですけれども、十二年前の“共同決定法”の採択です。ブラント社民党政権ができて、企業経営というものの最高の意志決定機関を監査委員会にもってきた。監査委員会というのは、株主や経営者が一〇〇%の会合ではなくて、三分の一が組合幹部であるとか、地域によっては過半数を経営者と株主が持たない、監査委員会が任命権があるという制度、“共同決定法″というのがある。

 そのほかドイツの人事は、非常にダィナミズムを欠いてまいりました。ドイツの先行投資意欲も非常に低下しました。ドイツの企業が大へん趣味的になってきたというのがこの十年間の特色です。

 そういう点では私はやはり、こと経済だけに限って言えば、自由な競争というものは、企業間同士のダィナミズムを作る。民間企業の制限された経営権カは、結局は防衛的になってしまう。ドイツの企業は、どんどん敗退をしていくわけです。誰もリスキーなチャレンジをしなくなる。それはやはり、経営権を株主、経営者から過半数を持っていったというところに問題があると思うんです。

 経営を理解する組合指導者と、組合運動を理解する経営者というのは、言うことは確かに紙一重しか違わない。しかししょせん、経営活動を理解する組合幹部の哲学と、組合活動を理解する経営者の哲学というのは、水と油です。

 組合活動をしている経営を理解する活動家の話は、基本はやはり分配の論理が先へ行く。配分の公平さ、活動状況のやさしさが前面に出る。どんなに組合活動を理解する経営者でも、基本は経営活動という創造的なものである。挑戦的なものであり、常にダイナミックなものが先行している。

日本の力も低下へ

 そういう点では私は現在、民社と自民が連立をすることは大勢に影響がないという議論が日本では横行しておりますが、三、四年は影響ないだろう。長期にわたることは自由経済の創造力は必ず破壊されるということを言わざるを得ない。

 アメリカの場合、社会主義でなくても、リベラルな政治が三十年続いたことが実はアメリカ経済、強いアメリカというものを破壊した。自立する者が最大に報われるという社会の論理は、常に見直されてないとダメである。

 事実、日本をふり返りますと、日本経済は、四八、九年頃からダィナミズムを失ってきています。大胆な投資とか新しい企業というのは登場しなくなっている。

 僕は一九八五、六年には相当日本の力は低下しているだろうと思う。そういう点で西ドイツの力の停滞、レーガンの復活によるコンサバティブの復活、そして七〇年代の日本の“ジャパン・アズ・ナンバーワン”として評価をされた四つのいろんな諸問題に対する即応態勢、こういうものの学習が、八○年代の日本の進路を決めていく結果になるだろう。

 私は決して日本がレーガンのようなコンサバティブになれという議論をしているわけではない。また私は、日本が自由経済だけでやっていけるとは思わない。日本はそういう条件の中で、恐らく日米関係は自動車とか家電における経済摩擦が短期的にあっても、長期的には全くなくなるだろう。日本の自動車は良いから売れるのであって、むしろアメリカが日本の自動車にやられるのは、アメリカの自動車の経営者の努力が足りないからだ、というのがコンサバティブの考え方だから、経済摩擦は、日本さえ努力して良いものを作っておれば起こらない。

国際共存のための分担を

 二年後にはむしろ防衛問題の自立問題が出てくるでしょう。日本が自から守る努力をしないで、経済だけに傾いている姿勢――。

 コンサバティブの論理からいうと、一人当たりの付加価値がほぼ同じで、一人当たりの防衛負担率が一対五というのはおかしいじゃないか、アメリカは一人当たり日本の五倍の防衛費を分担している。経済で日本よりも劣っているアメリカが、なぜ防衛で五分の四も肩代わりしなければならないのか、というのは当然出てくる。

 私はそのときに、防衛しろという議論ではなくて、五分の四の差額を何らかの形で国際社会の援助金として提出する用意をする必要がある。それを防衛費にまわすのか、経済援助として違う国にまわすのか。例えば国際機関に対する援助費として全部それを提供するのか、国連の費用を全部日本がみるのか。要するに皆は防衛費に費やしても、日本は同じ費用の分で何か国際共存費というものに支出をする。その共存費が防衛費になるという主張をする人もいるでしょう。

 いずれにしてもその辺の議論が八○年代後半の国際問題の基本になっている。いくら、どこからということにつきる。それを計算しますと、大体GNPの七%です。

 現在防衛費が一%弱、後進国に対する援助等々が一%弱ですから、あと五%を国際的に拠出をする義務がある。そうすると四百兆円くらいにふくらんだ数年後の日本のGNPの五%、仮に三百五十兆とすると五%ですから十八兆円。十八兆円というと日本の医療、今問題になっている医療の総費用よりも五割高いわけです。大へんなマーケットです。

 これが防衛装備にふり向けられるのか、後進国援助にふり向けられるのか。世界中の癌の研究の費用を全部日本が一手にもつような方向で使われるのか、それとも国連の面倒を全部みるのか、いろんな使い方があるだろう。そういう議論がむしろ高い政治であって、今の軍国化だとかどうのこうのというのは、二十年前の缶詰をあけたような議論であって、全くセンスがない。

軍事で国は守れない

 日本は先進国になったからには、GNPのあと五%を国際社会に無償で提供する決意をする必要がある。そのメニューについて、いかにチャーミングなプレゼンテーションをするか、ということが国の政治の基本になっているんじゃないか、と私は思うわけです。

 そういうことに向かって現在の防衛という問題をとらえる。防衛というのは、防衛によってその国が守れるという議論はすっかりすっとんでいて、アメリカだって自分の力じゃ守れない。アメリカや英国やフランスやソ連がこれだけ使っているのに、日本だけが使ってないことについて文句言われてるんです。

 防衛というのは守るためにするんじゃなくて、防衛あるいはそれに類する国際社会の非生産的な支出をしろという要請ですから、国際関係で議論すべきであって、国を守るための議論じゃないと、僕は割り切っています。

 そういう意味でアメリカ並みに、英国並みに、ソ連並みに国際社会に対する生産性、競争力を増さない支出を、どういう形でチャーミングに提案するかということに尽きるんじゃないか、という気がするんです。そういうふうに考えてまいりますと、国の財政というものは当然変わってくるんじゃないかと思います。

 新しい日本の政治社会、八○年代の幕明けは、大平さんが亡くなられ、レーガンが勝ち、西ドイツが斜陽化した八一年から始まると思うんです。その方向が明確になるのは八三、四年でしょう。

 私は日本にとっては厳しい時代だと思います。景気も今みたいに楽観的ではないと思うし、いろんな点で国際社会の日本の実績もはっきりいくら支払うかという金額の議論になってくる。そういう環境の中で、八○年代は企業経営者にとってどういう生き方があるか、政治はどうあるか――いろんな議論があると思うんです。

 私は最近余り政治のことはしゃべらないので、経営者の皆さんに申し上げたいのは、日本は全体としてはかなりうまく生き残れると思いますが、何といっても会社の数が多すぎる。アメリカ、ドイツに比べると四倍多い。儲かっている会社は別にして、大体三分の二はなくなると思わなければいけない。十万社か二十万社あれば十分です。そういう合理的な方向に、ドイツ、アメリカ並みの人口比の企業の数になっていくだろう。そして日本人はかなり懸命に生きる努力をするだろう。

 そして日本では、八○年代には失業は出てこないだろう。八○年代は高齢化社会ではない。八○年代は四十代社会なんですね。四十代の人が増えるんです。高年齢化社会というのは二十年後なんですね。

 高年齢化社会を出すことによって組合は大へんに現実化した。その意味では保守の戦略に組合がのったと言えるのではないでしょうか。七〇年代に高年齢化問題を出すことによって、六十歳定年を打ち立てて、労使協調路線を作ったが、それが本当に効いてくるのは十年後なんですから。

 日本は非常に情報化社会である。情報的に労使が一体化をして、実際の高年齢化社会が出現するのは二〇一〇年くらい、六十五歳定年というものは十年後になって初めて生きてくる。そういう点では私は、日本の企業は相当うまくいくと考えています。

 基本は、グロスの売り上げとかグロスの利益よりも、パーヘッドの計上利益を重点に考えていけば一番成功するだろう。一人当たりの計上利益がいくらだというのが一番問題で、会社の株を買うのは一株当たりの利益がいくらだというのが一番基調です。数字に強い企業経営と、パーヘッドを重視した企業経営をやっていれば十分に生き残れる余地がある。

 ただ一九七〇年代に儲かったものは、一九八○年代に儲け続けられる可能性は二五%しかないということを、アメリカの情報機関が発表しています。そういう意味では同じペースで儲けを続けるのは無理です。七〇年代に儲かってない企業は、儲かる可能性が逆にあるでしょうけれども……。

 恐らくパーヘッドの計上利益の延び率というのは、大体七〇年代の半分くらいのペースでやっていけるような経営規模をつくらないといけない。日本は十分に生きのぴられると私は楽観しています。

経済の安定から政治の安定へ

 ただ相当の数、経営者の数は減るだろう。会社の数が減るんですから。しかしこれはドラスティックな姿はとらない。最近の倒産というのは、事前にきちっとして、話し合いで企業を解散させているのが非常に増えてきました。大企業はますます下請けを使わないで内勢化する方向が進んできました。ますます内勢化が進む。

 それから日本の高度成長をつくった中小企業と大企業の二重構造という問題は、西暦二〇〇〇年に向かって急ピッチに解消されるだろう。中小企業を使って大企業が上に乗っかるというパターンは全体の二割くらい。八割は全部内勢化する。大企業は全部自分の工場でそれを実現するだろう。そういう点では日本の中小企業問題は姿を変えてくるだろう。

 むしろ日本の中小企業は、中小企業の方が効率の良い分野で中小企業が残る。アメリカ、ヨーロッパ並みにパーヘッドの計上利益が大企業並みといわれる中小企業だけが残るであろう。いわゆるクイックフード、まずいけれども速くて安い食堂は大企業がつくるけれども、手作りのおいしい食堂は中小企業の分野にはっきり分かれてきます。

 大量販売で種類は少ないけれども、自分で物を運ばなければならないけれども、安くて、品数を考えなければ、便利なショッピングは大企業である。相手に買い物を相談しながら、かなり質の良いものを買うのは中小企業、というふうに分野が分かれてくるんであって、大企業と下請けの関係による中小企業というパターンが七〇%を占めていた高度経済時代の中小企業問題はほとんどなくなってくるのではないか。

 だからパーヘッドの計上利益が大・中・小同じでなければ生存し得ないのは当然です。そういうふうに考えてまいりますと、産業構造の変化は非常に急ピッチで進むだろう。

 世界の先進国を集めたOECDの経済成長の見通しは向こう数年間で年率一・五くらいしかない。それに対して日本だけは五・五だと言ってるんです。日本が五・五ということは、どこかがマイナスかゼロになるしかないんですから。事実、恐らくこの数年間日本の経済成長率は四から五と進むだろう。世界の先進国は全部足したって一%くらいだろうということ。

 防衛問題では国際社会に対する共益費というものを提出するについては大きな議論があるだろう。しかし基本的にはパーヘッドの計上利益が良いということは、パーヘッドの付加価値がそれだけの値打ちがある企業だけが残るわけですから、そういうふうに考えると企業規模よりも付加価値論が経営の中枢になるだろう。

 経済が安定してくると、なんとでも政治は変わってくるわけです。明らかに日本の経済基盤はコンサバティブに有利な社会になってきている。逞しさが前へ出る社会になってきている。

 そのときに現在の自民党が、やさしさ、リベラルの代表であるとすれば、野党はむしろ逞しい政治集団でなきゃならない。今のやさしいリベラルよりはもっとベチャベチャ甜めるようにやさしくて逞しさのない野党連合である限りは、保守は安泰である、ということになる。

 そういう点では民社党が最近やたらと男っぷりを良くするというのは、その辺を論理的にわかっているのかどうか知りませんけれども(笑い)。

 ただ論理的にそれがわかっていないから発揮するところを間違えるわけですね。防衛で強くなることに逞しさを求めることは、実は日本人というのは非常に保守的である。内政はコンサバティブ、外政はハト派というのが日本人の基本です。

内政は自助・自立、外政はハト派で

 レーガンは外政はハト派かどうかわかりませんが、ただ内政はコンサバティブ、タカ派のイメージです。日本はそういう社会ではない。

 自民党が党是である改憲をひっこめて、護憲政党になって、民社党が改憲政党になったりすると、自民党政権はまた十年問続くだろう。

 自民党は五年以内には護憲政党に変わると思います。自民党はそれくらいのしたたかな英知を持っている。そのときに野党のそそっかしいのが却って改憲政党になっていたりすると、これはまた物笑いになるわけです。

 外政的には護憲平和外交が続くだろう。内省的にはコンサバティブの時代に変わっていくだろう。これは小さな政府です。

 レーガンは小さな政府、反共、強いアメリカ、当分世界の友人は助けない、自ら助くる者だけを援助する、こういう中心線というのを捨てていません。だから、日本も恐らく平和外交、内政は逞しく、自立人間が優先する社会に変わっていくに違いないと思う。

 そういう政治の潮流というものを考えながら、経営者は経営者なりに、これからの対処というものを考えていかなくてはならない。七〇年代の政治の流れを整理して、流れに沿った議論をがっぷり組まれることが、政権交代を招くと思います。野党がピントの狂った議論をしている限りは、保守安泰だということになります。

(文責・編集部)


1981/01 五月会だより No.7 ホーム主張目次たより目次前へ次へ