1987/06 五月会だより No.35 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

墓前に誓う野党連合

江田三郎没十年 墓前供養・語る会

江田三郎路線を高く評価 政界再編への胎動

 社民連の生みの親・江田三郎没後十年墓前供養は、五月晴れの五月二十四日午後二時から、緑濃い御津郡建部町福渡の妙福寺で国会議員二十人をはじめ江田三郎を慕う県内外の政界、五月会員、地元の人たち約三百人が参列して、厳かに営まれた。


 福島義全妙福寺住職の読経が流れる中、多賀谷真稔衆議院副議長、山口鶴男社会党書記長、永末英一民社党副委員長、秋山長造社会党県委員長らが次々に焼香、追悼の言葉を述べた。土井たか子社会党委員長と塚本三郎民社党委員長は供花を、矢野絢也公明党委員長は供花とメッセージを墓前に。

 各党首脳は、江田三郎が十年前に提唱して容れられなかった社会党改革、野党連合政権樹立構想を高く評価、その先見の明を讃え、父の遺志を受け継いだ江田五月社民連代表と共に、その推進を墓前に誓う意義深い集いとなった。

十年間に野党連合政権を

 各氏の追悼の言葉(要旨)は次の通り。

多賀谷衆議院副議長 「構造改革路線をみのりある形で発展させたかった。」

山口社会党書記長 「売上税廃案は先生が提唱された野党共闘の成果。これからも教えを守っていきます。見守って下さい。」

永末民社党副委員長 「新しい労働者の政権をつくることを墓前にお誓いします。」

田英夫参議院議員 「江田先生が考えていた新しい道が今、大きくひらかれました。社会・公明・民社・社民連、さらに大きく市民勢力を結集して、先生が描いた構想を実現します。」

秋山長造参議院議員 「亡き父の遺志を継承するニューリーダーの五月君を世界に通用する大政治家に育てることが、三郎さんに報いる道です。」

矢野公明党委員長 「みんなが遅れていたのか、江田さんが早かったのか…。江田さんが言ったことが今、見直されている。次の十年間に野党連合政権ができるかどうか、私もがんばります。」(メッセージ)

江田路線 いよいよ実現へ

 午後三時から同町保健センターで「江田三郎を語る集い」が開かれた。会場(300席)は満員、立っている人も多かった。

 黙祷、“江田三郎の生涯”のスライド上映の後、佐藤昇岐阜経済大学教授の基調講演。「現実を直視せよ、大衆の叫び、喜びから政策をつくらねばならない…と言った江田三郎さんの政治理念が実現に近づいている」と同教授は結んだ。

 時間の関係で九人が思い出を語った。

(田辺誠社会党前書記長)
社会党は十年がかりで新宣言をつくった。江田さんは何を今さらと言っているだろうが。二十年後はいままでの十年間であってはならない。(社会党改革、野党連合を)スピードアップしたい。

(山口社会党書記長)
野党四党が共闘する中でつちかった信頼関係の上に立って政権構想を進めてゆく。十年は長過ぎた。江田さんの教えに沿って、社会党は土井人気だけではなく内容を充実して、国民の信頼に応えたい。

(秋山長造参議院議員)
江田さんは医者にかからないのが自慢だった。それが死期を早める原因にもなった。「病気なんか酒を飲めばなおる」と言っていた。

(永礼達造津山市長)
何の抵抗もなくオヤジと呼べる人。

これからの十年が大切

(栗村和夫宮城県小牛田町長)
江田さんの先見の明を偲ぶだけでなく、その政治理念を継承しなければならない。早かったか、遅かったかの議論よりこれからの十年が大切。

 一人四分間の制限付きで、言い足りぬことが多かったようだが、江田路線の評価とその実現に努力するという点では一致していた。

 楢崎弥之助衆議院議員は、「山口さん・永末さん・田辺さん」と、目の前に座っている三人を名指しで「墓前の誓いは単なる挨拶だけではないでしょうな」とヤンワリ釘をさす一幕も。そして「江田さんが描いた政治の世界にたどりつくように…」と、シンミリ。

 最後に江田三郎が愛唱した「船頭小唄」を全員で合唱。光子未亡人は涙をこらえながら歌い終わり、お礼の言葉を述べた。その中で「夫が一生をかけて果たせなかったことを息子(五月)が受け継いでやっている。ぜひ、成し遂げさせて欲しい」と、政治家の妻として母としての熱い思いを、肉親の情愛を込めて話し、強い感銘を与えた。


野党結集の誓い 大々的に報道

売上税阻止に成功した野党共闘のその後は?と、野党四党の動向が注目されていたので、江田三郎歿十年墓前供養には、テレビ、新聞の取材陣38人が駆けつけた。NHKは同日(5月24日)夕、全国放送とローカルの二本立てで放映。民放各局も全国ネットで流した。新聞は翌日の朝刊で一声に報道。参列した野党の首脳が、墓前で、江田三郎の遺志である「野党勢力の結集」を誓ったことを揃って大きく取り上げていた。なかでも、毎日新聞は26日朝刊の「余録」で“江田路線・十年目の開花”として取り上げた。

社民連10年のあゆみ

江田三郎が十年前、新しい政党の結成を宣言して社会党を離れたのは、単にひとつの野党をつくるという小さな次元の行動ではなかった。

江田三郎こそ野党結集の柱であり、連合による「革新中道政権」を目指し続けた偉大な政治家であった。

江田三郎は既に今から十六・七年前、社・公・民の結集に向けて行動をはじめ、昭和五十年二月の社会党大会では、「自由と民主主義に基礎をおき、漸新的改革をめざす民主的な社会主義勢力」と「革新的ないしリベラルな諸党派・諸勢力・市民・知識人・中間層等」との進歩的連合による政権作りの必要性を強調し、社会党に最後の決断を求めた。

その後、離党=新党結成を決意した江田三郎は革新・中道・市民の大結集のため、新党構想を提起した。

社民連は、江田三郎政治路線にもとづいて、新しい時代の政党として出発。この十年間一貫して野党結集を訴えてきた。

昨年は、社会・民社両党との「二分統一会派」を実現。
社会・民社両党の歴史的和解に、自ら身を挺して乗り出した。

労働界も今秋の全民労連の発足へ向けて秒読みに入った状況のなかで、社民連がいよいよ江田三郎のロマンと悲願をみのらせる正念場にきた。

売上税を廃案に 江田代表大いに語る

ついに自民党304議席の重みをはねかえした。国会の内と外で、公約違反を追及し、ついに法案を廃案に追い込むことに成功した。この原動力は、何といっても国民のはっきりとした意思表明と、それに答えた野党の腕組み。これをきっかけに、野党再編の動きが活発化することを期待したい。

四党で四ケ月頑張る  =野党の腕組みをつくる=

 公約違反の売上税導入とマル優廃止を、ついに阻止することができました。

 今回の「税制改革」は、公約違反、大衆増税、複雑煩瑣。まさに「改悪」です。野党は、これが提出されるやいなや、社公民と私たち社民連で腕を組み、「売上税等粉砕闘争協議会」を作って対抗。以来以来四ヶ月の連携プレーは、これまでにない見事さでした。

 予算審議は、政府のチョンボで次々と遅れました。中曽根首相は施政方針演説で売上税に言及せず、税の内容は政省令で決まるのに、これを明らかにできなかったり。

 四月の知事、県議選の間は、与野党ガップリ四つの大相撲水入りでした。そして、岩手の参院補選を含め、国民は選挙で売上税ノーという答を出しました。県議選では自民党は百人以上減りました。私も応援に行きましたが、北海道の横路知事は見事でしたね。

 勝負はついたのに、自民党が強行採決。そこで市長・市議選の最中に国会は連日牛歩の徹夜となりました。そして遂に四月二十三日深夜、議長斡旋で自民党が売上税等の廃案をのみ、一件落着。

体を張っての攻防  =国会の中では少数でも=

 牛歩や時間超過など実力で審議を遅らせることに批判もあります。当然です。しかし多数派が数をたのみに、世論や手続きを無視して無茶をやる時、ある限度での議事遷延が少数派に許されています。フィリバスターといいます。民主主義は最後は多数決ですが、この伝家の宝刀へ行くまでのぎりぎりの攻防なのです。みっともないことだけど、やらせる方がもっと悪いのだということを、少数派が体を張って国民に訴えるのです。

 私も精一杯牛歩をしました。社民連では、楢崎弥之助さんと菅直人さんが、時間超過演説で懲罰にかかりそうになりました。しかしこれがなければ、売上税阻止はできなかったでしょう。目的の為に手段を選ばないのは誤り。しかし許された手段は、ぎりぎりまで行使しなければなりません。

国民の声を代弁したのは誰か =なぜ野党は勝ったか=

 今国会は、数の上では自民圧勝です。しかし、自民党の数は昨年のダブル選挙の民意、それも選挙公約を守ることを前提にした民意の反映です。ところがその後、売上税等の提案という重大な公約違反があり、今も自民圧勝が民意の反映かどうか、大いに疑問になってきたのですね。

 そこへ、数えきれない程の組織や団体や個人の意見表明。各種選挙での国民の回答。。まさに「民の声は天の声」です。今の民意は売上税ノーだ。これを国会に実現することが、議会人の務めだ。この声が大きなうねりになり、国民の願いが政治を動かしたのです。

 もち論、民意は代表者を通じて示されます。つまり、野党が腕を組んで、国民の願いを国会で実現したのです。

 私はこれまで、野党の腕組みが何より大切だと主張してきました。そのために、二分統一会派さえ決断しました。そして今、野党の腕組みが政治を変えることが実証され、私は胸を張っています。

まずは不公平の是正から =真の税制改革を=

 売上税は阻止できましたが、日本の税財政に大きな問題があることは事実です。

 何よりもまず、サラリーマンのみなさんの不満をはじめ不公平感が強すぎます。資産や有価証券への課税はどうでしょう。役割を果し終った優遇税制はないでしょうか。

 また、国の財政は大赤字。歴代の自民党政府の責任なのですが、だからといって、放ってはおけません。

 その上、戦後四十年で日本の人口構成や産業構造もずい分変わりました。これからも変わっていくでしょう。

 国会も国民もみんなで意見を出し合い、所得、消費、資産にどう税を割り当て、どういう方法で徴収すればよいか、二、三年かけて研究すべきです。直間比率のあり方は、その結果自ら決まるでしょう。

 新たに設けられた税制改革協議会で、実りある議論ができるかどうか、議会制民上主義の真価が問われるのです。


中国での国際会議に出席

 五月三日から七日まで、柳絮(りゅうじょ)舞う北京を訪ねました。柳絮とは、柳の花の綿ぼこり。ぼたん雪のように舞い、北京の春の風物詩です。

 「アジアの平和」日中懇談会に出席のためです。日本側は、宇都宮徳馬さんが代表。鯨岡兵輔さんや田英夫さんら国会議員五人と、日中開係や国政治の専門家十人ほど。中国側は張香山さんが代表で社会科学院を中心とする専門家十数人。昨年秋、東京で第一回をやり、今回は二回目。

 日中、中ソ、朝鮮半島、フィリピン、アセアン、インドシナ…。日中両国の見解を突き合わせ、議論また議論で、観光はゼロ。しかし釣魚台国賓館での最高級のご馳走には感激しました。

 ハイライトはケ小平主任との会見。ご存知、中国のドンですね。八十三歳にしてなお矍鑠。現代の怪物です。その発言は、いささか緊張するものでした。「中日関係は不変だが、最近日本側におかしな動きが多い。少数だが有力な政治家が、軍国主義復活をめざしている。」と言い、光華寮問題を持ち出してきました。

 私にも反論も注文もあり、懇談会では中国のSLBMのことなど発言しました。しかし中国の気持ちもわかります。

 中曽根首相は、国民の代表として靖国神社を参拝。そこには、アジアの人々を苦しめた戦犯も祀られています。私たちは気づかなくても、暴虐を受けた人の心の傷をかきむしる行動です。防衛費の枠撤廃も、気になるのが当り前。

 盧溝橋へ行きました。事件から五十年。日中不戦の誓いをよそに、私たちが過去を忘れ思い上っていることに気づかされる連休の旅でした。


今回の統一地方選挙は珍しく国政レベルの問題が争点になった。

ご存知の売上税問題である。中曽根さんは、昨年のダブル選挙で、大型間接税はやらないといった。そして三百を超える議席を得た。にもかかわらず、その舌の根もかわかないうちに、売上税という名の大型間接税の導入を決めた。これはもう騙しの政治以外の何物でもない。国民は怒った。次の国政選挙をまっていたのでは間に合わない。それでは統一地方選で、というのが、今回の争点となった由縁である。

結果は、北海道・福岡の知事選で、自民党は大敗。県会議員選挙でも自民党は全国で百五議席を失うという大打撃を受けた。さしもの中曽根さんも、強弁の仕方を失い、売上税は廃案となった。

思うに戦後四十二年のわが国民主政治の歴史の中で、国民の願いに反する政治は、どんなに強力な総理大臣でも強行はできないんだ、という事実を示すことが初めてできたのではないか。

政治は数だけではないんだ、という当然の理が通る民主主義のルールが根付いてきている。こうした実感と自信を、多くの国民が感じとったに違いない。

わが岡山社民連も、この統一地方選で県議を一名増やし市議も一名半増やした。江田グループの陣容も徐々に整ってきた。県民の願いはどこにあるのか、何が一番市民の願いに叶うのかを常に忘れないで、これからの政治活動を進めていかなければならない。

江田五月とともに社民連も結党十年。新しい歩みの第一歩を踏み出した観がある。


未来の政治へ・夢と新風!

 今年四月の岡山県議会議員、岡山市議会議員の選挙で、江田五月グループの仲間が見事当選を果たしました。県議会は橘民義(岡山)佐古信五(倉敷)井本丈夫(赤磐)の三氏、岡山市議会は寺田明生、則武伸一郎、寺田和子の三氏です。佐古、寺田明生の両氏は二期日、他の四人はフレッシュな新人です。県政、市政に新風を吹き込む仲間六人に集まってもらって座談会を開き、抱負を語ってもらいました。


やります 手作りの県政、市政

−皆さん、ご当選おめでとうございます。選挙戦を振り返っての感想はいかがですか?

 選挙には地縁、血縁、資金が欠かせないといわれるけど、私の場合、どれもなかった。本当に無い無いづくし。

−それが逆に力になった? (笑い)

 それを主張でカバーしようと思いました。江田五月グループとして県政で何をやろとしているのか、それを訴えようと…。

清潔さと公平さを

寺田明 それは私も同じ。地方自治は民主主義の学校である。という原点に立って、「市政に正義を」というキャッチフレーズを訴えた。

寺田和 私は女性の立場から女性の生活実感が市政に反映されていない。売上税を身近な問題として考えてほしい―、と主張しました。私への一票一票が政治参加につながると…。

−確かに、日本では身近な選挙ほど地縁、血縁に頼り、大切な政策抜きで進められることが多いのが実情です。江田グループは、そうした悪弊を破ったと言える。

則武 私の場合、一宮に生まれ育って四十数年になります。だが、地元に出身議員がいなくて行政面の立ち遅れが目立っている。地元には議員待望論があったが、立候補の決意が遅れ、準備不足。地止をまとめ切ることはむずかしかった。これからは地元のことはもちろん、全市的に活動をしていきたいと思います。

井本 私は「郡民党の立場を貫くこと」などを条件とした協定書を交わし、社民連の推薦を受けました。「郡民党」という草の根民主主義を大切に持ち続けるつもりです。

−佐古さんは新人の方に比べ支持層にも広がりが出来たのでは…?

佐古 橘君とちがい倉敷では浮動票はあてに出来ない。金力や権力や組織力が総動員されたような選挙なので、苦労の連続でした。四年間、世話役活動を徹底的にやったので、それが大きな成果をあげたと思う。

福祉・生活を充実

−皆さんの主張のどんな点が有権者に支持されたと思いますか。

 県議会は自民党の一党独裁もいいところ。活性化しなければいけない。それを私にやらせてください…と。それに県政の方向を大型プロジェクト中心から、福祉、教育、環境面を重視した生活直結型に向ける必要がある。

寺田明 市民の江田グループに対する期待や考え方が、定着してきたのでは。江田グループが指向している新しい政治を目指そうという考えが、支持されている。グループから市議を四人立てたが、その積極性も評価された。

寺田和 私はとにかく売上税反対を訴えました。「台所の声をもっと市政に生かそう」という主張は、同じ女性の支援を得られたと思う。

井本 保守・革新、をこえた郡民の代表というのが郡民党です。それが支持されたと思う。地道な草の根選挙をやり、自民党のきたない候補者交代を批判したのが、実を結んだと思います。

名前で苦労も

−今回は名前がまぎらわしいケースが多かったようですね。(笑い)

寺田明 西大寺地区で個人演説会を開いた時、私の顔を見て「本人が来ていない」と帰った人がいる。寺田和子さんと勘違いしたらしい。

寺田和 私も同じようなことがありましたよ。

 私の場合、同じ選挙区に同音の候補者がいたし、則武さんの場合は…。

則武 そう。共産党の元衆議院議員の方の印象が強くて…。音は「郎」がつくか、つかないだけ。親からもらった名前は変えるわけにはいきませんしね

−寺田和子さん、今回はマドンナブームが起きましたね。

寺田和 そうですね。私はピンクの色をシンボルカラーにして、服や選挙カーまで統一しましたが、反響はよかったですね。中年の女性から「私もピンク色が着られるようになった」といわれて…。

−最後に、これからの抱負を一言ずつ。

倫理条例制定へ

 文教委員になりました。岡山県の文化、教育の充実に力を入れます。一年生議員として、だれにも負けない努力をします。

佐古 二年生ですし、議会の様子もよく判ってきたので、江田グループに恥じない活動をします。

井本 清潔で公正な県政の確立のためにがんばる。新風を吹き込みますよ。

寺田明 市政に公平感と正義感を注入する。今回も現職議員の選挙違反があったが、ぜひとも倫理条例を制定させたい。

則武 身近に話が出来る政治家として、いろんな人の声を聞いていきたい。

寺田和 岡山の街を、緑とゆとり、うるおいのある街にしたい。責任ある仕事に女性を登用してもらえるよう、がんばります。


私も一言

当選した県議・市議の皆さんに期待するところは、非常に大きい。今回の選挙では、売上税にみられたように国政のあり方が問われたとともに、お任せ政治は終わりにしようという声が高まった。候補一人一人がその声を掘り起こし、票に結びつけてくれたのが、勝因といえる。

江田グループを支えてくださった有権者の皆さんに、心から感謝します。


清水しゅうじ

 「江田五月グループ」の一員として岡山市議選に立候補しましたが、残念ながら落選しました。選挙直前の数ケ月にわたる入院で、選挙体制が大きく遅れ、最後まで響きました。でも初陣にして二千票を越えたのは皆様のお陰と思います。今後は地道な地域活動を大切にしてがんばります。


選挙結果
岡山県議会
岡山(定数17) 橘 民義 (公認) 15064票 (6位)
倉敷(定数12) 佐古 信五 (推薦) 13390票 (9位)
赤磐(定数1) 井本 丈夫 (推薦) 15064票
英田(定数1) 大谷 具史 (推薦) 5156票
岡山市議会(定数54)
寺田 明生 (公認) 5895票 (3位)
則武伸一郎 (推薦) 3405票 (54位)
寺田 和子 (支持) 4331票 (30位)
清水しゅうじ (支持) 2177票 (58位)
津山市議会(定数30)
神崎 裕健 (推薦) 1365票 (24位)

統一地方選特集

河原隊長奮戦記

 今回の統一地方選の期間中、本職を投げうって(?)連日選挙カーに乗り込み、遊説隊長役を果したのが、弁護士の河原昭文さん。

 学生時代、東大応援団長だった河原さんには、まさにうってつけの役。これまで江田五月さんの選挙では、必ず河原さんの姿がみられた。今回の岡山県議選では橘民義候補に、岡山市議選では寺田明生候補に同乗。「○○です。よろしくお願いします」と、ウグイス嬢の役から、要所ごとの応援演説まで、大活躍だった。

 選挙結果が予想以上に良かっただけに、鍛えあげたノドは疲れを感じていない様子。「次回もよろしく」と各候補。さて、出番はいつ!?


カンパは古新聞で

 リサイクルで市政の刷新をと訴えた「清水しゅうじ」陣営。選挙カーといっしょに、リサイクルカーが伴走。演説をしている間に、近所の方から「こんなものでお役に立つのなら」と、古新聞などがカンパとして提供された。

 ゴミの増加は分っていても焼却炉の能力にまだ余力があるからといって、リサイクル(資源再利用)に不熱心な行政。この姿勢を改めさせ、市民の税金の節約にもなる活動を根づかせようという試み。

 選挙は残念ながら当選にはいたらなかったものの、その主張は間違っていないと意気はますます盛んです。


一票の重みズシリ

 則武伸一郎がハンカチを目に当てた。西秘書が泣きじやくりながら誰れ彼となく握手。 当選決定の時はいつもそうだが、則武の岡山市議選初当選は最下位だっただけに一層“劇的”だった。開票率九十五%を越えてから、当確を宣言する大亀書記長の声は弾み、半ばあきらめて沈みがちだった事務所は一転、歓声とバンサイに包まれた。

 次点との差九十九票に、一票の重味、大切さを学んだ。選挙が初体験の地元の人と、経験者の“外人部隊”とのチームワーク、県議選とのセットなど、問題続出だったが、勝てばすべて良し。美酒の味も一段と…。

 だからやめられない。何が?。酒か。いや、選挙が。初産の苦しみも忘れて「またやろうぜ」といって混成部隊は解散。


寺田教授の講義演説

 「地方自治は民主主義の学校です」− 先の岡山市議選で当選した寺田明生氏は、期間中、機会あるごとにマックス・ウェーバーの言葉を引用して市政の在り方を訴え続けた。

 各候補者はボリュームをいっぱいに名前の連呼に終始したが、寺田氏は恐らく市議選始まって以来、初めて選挙戦に“政治哲学”を持ち込んだと言える。

 「民主主義とは何か」「地方自治は一体誰のものか」と選挙戦を通じて市民に問い続け、分かりやすく市政の“本質”を語った。この結果、三位当選(五千八百九十五票。前回以上の成績を収めた。

 寺田氏は「政治を考えるとき、たとえ国政でも、市政でも解答は一つ。常に市民サイドの政治が基本」ときっぱり。 何やら、大学教授の講義のようだが、常に市民の身近な“寺田教授”で、向う四年間頑張って欲しい。


すばるのメロディーで

 県議選の運動日最終日。岡山駅西口で突如として、エレキバンドが「すばる」を演奏、道行く有権者の足を止めた。

 バンドのメンバーは、たちばな民義を応接する若者の会―“オレンジクラブ”の面々。社民連初の公認候補「たちばな民義」をなんとか当選させようと街頭に…。

 “すばる”は江田五月議員のテーマソング。演奏の後、「たちばな」が演説。効果は上々だった。

 雄大な歌詞、迫力ある演奏、たちばなの名演説、そのいずれが受けたのか? 答えは、多勢いた聴衆に聞いてネ。


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