1986/09 五月会だより No.31 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


野党結集へ捨て身の一歩  社会・民社と統一会派結成
今こそ出番! 改革のまとめ役に

 衆・参ダブル選挙は自民党の大勝、社会・民社の大敗、そして社民連の前進に終った。
 三〇九議席の自民党を相手に、野党がバラバラでは存在価値すらない。
 社民連は健全野党の総結集をめざして、社会党に二名、民社党に二名を派遣。衆議院院内統一会派を結成した。
 この選択が政界再編の導火線になるか、それとも社民連のイメージダウンになるか…… 乞う、ご声援!

 選挙後もますます多忙の江田五月議員に直撃インタビューしてみました。

―― 選挙の感想は…。

 厳しい選挙でした。岡山一区はサスガですネ。無手勝流の私に対し「連続トップ」を与えて下さったのですから。

―― それにしても、全国的には野党は惨敗ですネ。

 完敗。野党は何のために存在するのかが問われますネ。
 議会制民主主義は、政権交替が基本です。政権を相当する勢力が自民党一つではダメです。ライバル勢力をもう一つ作らなければならない。
 現存する野党はいずれも、一つの党だけでは政権担当はできません。だから中道、革新の健全野党が連合することが必要なのです。

―― なるほど。でも、自民党と連合すれば政権に参加できるのでは…。

 それでは政権交替にならないし、自民党はつっかい棒を必要としていません。
 それよりも、既成野党の結集に加えて、政治の外におかれている「市民」の政治参加が大切です。野党再編と「市民の政治」が車の両輪になって初めて、政権担当が可能な新勢力ができるのです。

―― 先日の社民連を二つに分けた統一会派のネライは…。

 野党再編の第一歩として、社会・民社の腕を組ませようということです。理想ばかりで何もしないのではなく、結集のため試行錯誤の最初の一歩を踏み出したのです。
 社民連が解体したのではありません。むしろ意気軒昂です。股がさけずに新しい結集に進んでいけば、政治改革への大きな一歩となります。

―― 共産党は批判しています。

 彼らは、健全野党の総結集を、右寄りだとして認めないのですから、そのための行動を批判するのも当然です。政権交替をめざすのか、それとも単なる批判勢力に甘んじるのかという違いです。

―― しかし政策の違いがあまりにも大きいのでは…。

 それが問題だ。だけど自民党は大きな違いを平気で呑み込んでいますネ。これを不潔だと言う人もいますが、大人の知恵と見ることもできます。
 野党も違いを乗り越える意気ごみがなければ国民は野党に政権担当勢力としての力も魅力も感じませんヨ。

―― もうちょっと具体的に…。

 一番大きな違いは、外交防衛とエネルギーですが、新しい政権は古い政権を引き継ぐのですから、現在の日本の外交防衛やエネルギーのあり方をただちに否定はできないのです。そのうえで、国民の納得を得ながら軍縮と平和、安心できるエネルギーに徐々に移行するのが政治というものです。

―― なるほどネ。理想は高く、現実は柔軟に…。ところで野党に足りないものは…。

 民間なら、業績が落ちると先ず競争会社のことを研究しますネ。もっとライバル、自民党に学ぶことが必要です。
 ある中学生が言ってましたが、今の先生は、例えば数学の先生から数学をとったら何もないというんです。
 政治家も、政治をとってもなお魅力があり尊敬できる人でないとネ。野党は権力がないのだから、それだけ一層人物を集めないといけません。

―― 自己診断は…。

 厳しい質問ですネ。まだまだ修業の身。大いにご指導をお願いします。

―― この夏はどうでしたか。

 相変らず多忙。八月二十三日、修善寺に行って日本水泳連盟主催の「日本水泳大会」に出場。七年前に水練証をいただいたのですが、今年は「教士」に挑戦し、十六人中七人の合格者に入りました。子供時代からの神伝流の修業が認められて、嬉しいですネ。

―― 書道もやるんでしょう。

 恒例の「玉龍会展」に今年は全紙に「露堂々」と書きました。ありのままということ。素顔の自分で勝負する。そのためにも修業一番ですネ。

―― わかります。ところで新自由クラブが解散しました。

 残念ですネ。「寄らば大樹の陰」を排した点で、心が通い合っていたのですが。
 保守の側にまとまる力が働いているのだから、野党にもまとまる力を作らなければネ。それが社民連の仕事。「今こそ社民連」ですヨ。

―― 社会党も新体制…。公明党もですネ。頑張って下さい。


江田五月連続トップ当選!良識が勝った!

 八七、八一五票、江田五月トップ当選。
 「最高点当選者は次回は落選」というジンクスはついに破られた。見事な成績である。
 だが卒直にいって、前半戦は“江田大丈夫説”に悩まされた。マスコミの世論調査ではNHKは六位、読売新聞は五位、RSKも六位。選挙事務所には重苦しい空気が流れ、みんなイライラしていた。
 しかし、後半戦の状況は一変した。危機を感じた江田支持者が自発的に動きはじめたからだ。電話が一日中嶋りひびき、燃えるような運動が開始された。勝利への前進がはじまったのだ。
 七月七日午前九時半頃、NHKは当確と発表。その瞬間、「良識が勝った」と誰かが叫んだ。

衆議院岡山一区得票結果

当 江田五月
当 逢沢一郎
当 大村襄治
当 平沼赳夫
当 日笠勝之
矢山有作
則武真一
45社民連
32自 新
67自 前
46自 前
41公 前
62社 前
55共 元
 87,815
 84,814
 80,509
 72,673
 71,489
 66,458
 47,106

 江田選挙にはいくつかの特徴があった。
 まず政治的主張が鮮明であったことです。江田は、あらゆる機会をとらえて二つのことを訴えた。
 一つは、健全野党を総結集して、「中道・革新と市民の連合による新しい政治」をつくること。
 もう一つは、憲法の精神をあらゆる分野で実現し、「市民の良識と感覚を生かした生活者の政治」をつくること。
 この二つの主張は、いずれも国民の声援をうけた。

 運動面としては、第一は支持団体が多彩なことです。
 医師、弁護士、税理士、司法書士、商工業者、青年、婦人など、あらゆる職業分野に江田グループを組織した。労働組合の場合でも総評、同盟、中立の枠をこえてすべての潮流と提携した。
 第二は、市民参加の自発的な運動を大切にしたことです。
 指令でも強制でもない自ら喜んで参加して楽しく運動するかたち。
(1)お金のある人はお金を!(2)知恵のある人は知恵を!(3)時間のある人はボランティアを!―こんなスローガンが大切にされた。
 第三は、選挙資金を県民の浄財にもとめたことです。
 資金調達はどの陣営にとっても頭痛のタネですが、われわれは思いきって「五月株」を再発行した。とくに株申込書付の法定ビラ一〇万枚の手配りは効果的であった。一ヶ月間で約一二〇〇万円売れた。また五千円、一万円のカンパも届けられた。


 問題はこれからです。トップ当選となるともう“江田危し”は通用しない。こんどは実力で勝負する外ない。そのためには、

(1)すべての学区・市町村、あらゆる職業・階層を対象に江田五月会を結成し、常日頃から世話役活動を熱心に行うこと。

(2)たえず社民連なり、江田五月の考え、政治行動を新聞、ニュース、演説などで宣伝すること。

(3)財政活動については県民を信頼して五月株の定期発行、会費の徴集、カンパ活動など大衆的方法に頼ること。

(4)各階層の政治的願望をたえず承握し、国民と議会とのパイプの役をはたすこと。

 また健全野党の総結集をめざして、誠意をもって、さまざまな行動を行うこと。
 以上の活動が大切です。


高原勝哉は惜敗 捲土重来を期す決意

参議院岡山選挙区得票結果

当 加藤武徳
当 一井淳治
高原勝哉
武田英夫
岡田定見
自 



 456,255
228,121
180,395
94,141
10,602

 一八〇、三九五票、残念ながら高原勝哉は惜敗した。
 二月八日の立候補声明以来、中道・革新と市民の連合による新しい政治をめざして大奮闘したが、力およばず敗れた。

 敗因は(1)出馬声明・出足がおくれたこと。(2)衆・参同日選挙が悪く影響したこと。(3)衆・参セットの運動方法に問題があったこと−などさまざまだと思う。高原は選挙後も精力的に挨拶廻りを続けているが、選挙を振返って「すばらしい勉強をさせてもらった。新しい友人もたくさんできた。いまは一八万余票の重みを、しっかり胸に刻み、捲土重来を期す決意」と語っている。



 衆参ダブル選挙は自民党の圧勝に終った。我が岡山県でも、衆院二区の藤井勝志さん(自民)の引退という特殊事情がなかったら同様の結果に終っていただろう。

 しかし、これは、自民党の圧勝というより、野党、なかでも社会党の大敗北とみるのが正しい。この2年半、中曽根政治が国民の目からみて高く評価される点は少ない。軍事費は着実にふえつづけ、それに対応して、着実に教育福祉の費用は減っている。外交にしてもタカ派レーガンの追認とあと押しで、西欧やアジアの諸国からは、必ずしも歓迎されているわけではない。やはり、野党の大敗北なのだ。

 ここ十年程、保革の伯仲が続いていた。しかし、その間に野党が力を合わせて政権交替の準備を真剣にしたか。十年一日の如く、ちがいだけを強調し合い、いがみあい、思い切った野党の再編への動きは見られなかった。そんな野党にしぴれをきらしてお灸をすえたというのが、今回の選挙結果の物語るところではなかろうか。天の声は、依然「野党よ、しっかりしろ」であり、「政権交替」であると思う。その証拠は、社民連の好成績ではなかろうか。他の野党は、社民連のささやかな勝利の中に天の声を、歴史の一つの方向性を読みとる謙虚さを持つべきだ。特に社会党は。さもなくば歴史は、大きくファシズムの方向に急転回をする危険も又今回の選挙結果は示しているように思えてならない。

 土井たか子委員長(!?)の初仕事は、社会党の解党を置いて外にない。やれるかな、土井さん。


江田五月の主張

 先の総選挙では、前回を上回る得票で連続トップ当選。予期せぬ好成績で、身にあまる光栄と感謝しています。

 ずいぶん金や利権の噂を聞きましたが、わが岡山一区の有権者はそんなものには動かされないことを示しました。何より嬉しいことです。

 私とペアの参議院の高原勝哉君は惜敗。私の力量不足で、応援して下さったみなさまにお詫びいたします。

 全国的には、自民党圧勝での三〇四議席となり、社会党、民社党が惨敗。私の社民連だけが、わずか一名ですが増加しました。

 戦後四十一年。私たちの身の廻りを見てもずい介さま変りです。国民はこの間の歩みを正しかったと信じ、これを続けたいと願っています。当然のことです。野党はこの国民の気持ちがわかっていたでしょうか。

 一方では国民は、現状に満足ではありません。老後、病気、教育、住宅、税金…。改革の課題は山積みです。野党は批判と抵抗に終始して、改革の願いに応えなかったのではないでしょうか。

 猛反省が必要です。

 社民連の健闘には二つの理由があると思います。一つは私たちが「市(庶)民の政治」を訴えたこと。大きな組織の応援は大切ですが、政党がこれに甘えてはいけません。一人ひとりの自立した市民に支えられた政治が大切です。

 もう一つは「健全野党の総結集」を訴えたこと。野党がいくら頑張っても、一つの野党だけでは政権は担当できません。野党が小異を残してでも大同につかなければ、政治は変わりません。

 この二点を私たち社民連の使命と自覚して、全力をつくす覚悟です。

 今各野党とも、選挙の反省と建て直しの論議をしています。それも大切ですが、私はその上に野党全体としての反省が必要だと思います。次の選挙で各野党が多少挽回することは可能でしょう。しかしそんなことを何十回繰返しても、政権交替という議会制民主主義の本来の姿は実現できません。野党は、自民党長期政権を批判するだけでなく、長期政権を維持している自民党のノウハウを学ばなければなりません。

 最大のノウハウは、どんなに意見が違ってもあらゆる知恵を総動員してこれを調整するということです。意見が違えば別れるほかないというのでは、世の中は成り立ちません。

 そこで今回、私たち社民連は捨て身になって野党の結集のために汗をかこうと、統一会派結成に踏み切りました。小勢力に安住せず、あえて行動をおこしてみたのです。

 野党結集のための第一歩を踏み出したところです。抵抗は強くハードルは多いと思いますが、必ず野党結集と政権交替を実現する決意です。

 増税、不況、軍拡、福祉後退など、自民党圧勝下で心配ごとばかり。私は引き続き文教委員です。二期目も全力投球します。ご支援下さい。


社民連 衆議院で4人当選 議席も得票も増やす

江田 五月
菅  直人
楢崎弥之助
阿部 昭吾
(岡山1区)当選
(東京7区)当選
(福岡1区)当選
(山形2区)当選
 87,815
136,482
179,066
73,495

 江田五月の率いる社民連は、結党以来初の衆議院四議席を獲得した。のきなみ惨敗した野党の中で唯一の奮闘といえる。江田五月は、苦しい出足だったが後半には見事に大逆転し、連続トップで当選を果たした。楢崎弥之助もカムバックした。定数是正で減員となった山形二区の阿部昭吾もその困難を克服。東京の菅直人は三回日の当選。また四人全員が得票を増したことも見逃せない。少数精鋭の社民連だが、生活者の政治を目指した市民感覚が有権者に共鳴を与えた。また、政党間の腕組みをアピールしたことも国民の声と一致。

 それらが勝利の原因と言ってよい。


社会・民社の歴史均和解のため統一会派

江田・菅‥‥社会党・議憲共同
阿部・楢崎…民社党・民主連合

 衆・参タブル選挙の結果は自民党の大勝、社会・民社の大敗、社民連の前進となった。
 社会・民社の大敗北は、有史以来のきびしさであるので、両党のショックは大きく国民もビックリ。
 自民党の大勝は中曽根政治の業練が評価されたためか、それとも野党のダラシなさに対する国民の怒りの現れか−どちらかといえば、“怒りの現れ”とみるのが的確ではないか。

 江田五月(社民連)は、この選挙結果を、野党の不団結に対する国民の「怒りの警鐘」と判断して、次の二点を決定した。

 第一は、社会党と民社党は過去の行きがかりを捨て歴史的和解をすること。社会・民社・社民連はその第一歩として、三党による院内統一会派を結成すること。

 第二は、自民党政治に批判的立場をとる健全野党(社会・民社・社民連・公明など)は院内外の協力関係を強化すること。

 だが、社会・民社の状況はそこまで成熟していない。そこで次善の策として、今回は捨て身の戦法で、江田五月と菅直人を「社会党・護憲共同」に、阿部昭吾と楢崎弥之助を「民社党・民主連合」へ派遣。二手に分かれて院内統一会派に参加するかたちをとった。

 一つの政党が二つの院内会派に参加したので、批判も心配もあるのは当然。「社民連は股裂きにならないのか」との心配、「社民連は分裂した」との誤解、「社民連は解党した」とのデマ。

 しかし大目標は政権担当能力のある健全野党の総結集。ときには試行錯誤も曲り道もあるが、天の声に支えられて奮闘する決意。


 三党合意

一、今回の社民連の提案を全面的に受け入れ、社会・社民連及び民社・社民連の間で、それぞれ統一会派を形成する。社民連所属の議員については会派としての党議拘束を行わない。

二、社民連提案の野党結集、特に社会、民社の提携を実現するため、社会、民社、社民連三党による定期協議を設ける。

三、野党結集の進展状況を踏まえて、次期通常国会終了後、統一会派継続について再検討を行う。


  声 明       社会民主連合

 自民党圧勝により議会制民主主義における野党の役割が問われている今日、我々社民連は野党再編の捨て石になる覚悟で、社会党及び民社党との間で統一会派結成に踏み切った。

 今後我党は、三党合意を踏まえ、社会・民社の歴史的和解と公明党や無党派市民層をも含む大結集に向けて、一致結束して全力あげる決意である。

 一九八六年七月二十二日


 この合意に際して私たちが基本的態度として貫いたことは次の諸点である。

 第一に、社民連が政党として、従来にも増して独自の前進をめざすことは勿論、むしろ広範な可能性を開く重大な選択であること。

 第二は、極めて困難な状況ではあるが、日本社会党、民社党、社民連が合意のうえ、公明党の参加を得て野党結集のための 「定期協議」を設けること。

 第三に、今回結成する統一会派は、連合の第一歩としての定期協議の実現と野党間の連携強化をめざすものと位置づけ、原則として今期限り(次期総選挙まで)をもって再検討するものである。また、野党間関係において意味を失った場合には解消すべきであること。

 第四に、会派名については、それぞれ協議の上決定すること。(日本社会党との場合は継続協議となった)。また、法いわゆる党議拘束の問題については基本的に主体的対応を行うこと。

 第五に、社民連四議員の両会派への割り振りについては、個々の考え方、立場等の事情を超えて、組織的に対応すること。

 最後に、私たちは結集の客観的状況づくりのため、社・公・民・連及び無党派市民層、知識人などによる 「野党連合フォーラム」(仮称)を結成し、“野党のあり方”について大討論集会を開催したい。このたびの行動はそのための条件づくりともなるものと考えている。

 以上、私たちの行動は、政治を活性化させるために、大胆に投じた歴史的な一石であり、私たちは今後の努力によって、必ず実りあるものとする自信と確信を表明するものである。


江田議員 国連で演説 東チモールに独立と平和を

 インドネシアの最東端の島、チモール島。実は西半分だけがインドネシアで、東半分はポルトガルの植民地です。両方とも同じく多人種の混合ですが、長い植民支配で今では別の国。戦争中に三年半、日本軍が占領していました。

 一九七五年十二月、ポルトガルの政変をいいことにインドネシア軍が東チモールを侵略して占領。以来十年間。人口六十五万人の東チモールでは抵抗戦争で二十万人死亡。

 現在国連のデクエアル事務総長の仲介でインドネシアとポルトガルが話し合い中ですが肝心の独立を求める当事者、東チモール代表はかやの外。

 そんな無茶な…と、今年四月日本の国会議員七十五名が署名して国連に手紙を出しました。江田議員は八月十五日、国連の特別委員会で、署名者を代表して英語で格調高く演説し、大好評でした。

 ご本人は「十五年ぶりのニューヨークなのに、たった一日の会議だけで帰国とは…」と嘆いています。何かいいことを期待したのでしょうか。


Y・M・Cも大活躍

 岡山の駅前に突如出現した街頭バンド。何事かと足を止める数百人の聴衆を前に、その演奏も見事な「昴(スバル)」。おおいに人が集まった時に江田五月の候補者カー。なる程、このテーマソングかと人々を納得させるだけでなく、若人の政治参加をおおいに広げた。
 Y・M・C(若者五月倶楽部)バンドの諸君は全員二〇才代。 若いエネルギーに負けじと候補者もより若返える一幕であった。


さつきばり作戦

 さつきばり作戦――今までにない新しいポスターの貼り方です。岡山市の南部にあたる第二開票区にはポスターの掲示板が百数十個所。ごく近所に住んでおられる支持者の方々に、江田五月のポスターを一人が一枚だけ貼ってもらうというこの試みは、マスコミも感心するぐらいの大成功。多くの方にポスターばりに参加してもらったのです。ほとんど三分以内に他候補をおさえて、堂々一着に貼れました。これが連続2回トップ当選のはずみになったとの声も。
 参加して下さった皆様、本当にありがとうございました。


銀輪部隊出動!

 いよいよ最終日。江田五月を支える女性の力をおおいに見せつけんと、鯉のぼり自転車部隊を作成。雨も激しいので「止めろ止めろ」の声もあったが、隊長は「断じてやりますわ!」。その気迫に風神雷神も後難を恐れてか、雨足も弱くなり、ついに決行。ヤングギャル(のつもりの人もいたけれど)がそろいのTシャツに美しい太モモをあらわにして、地元町内をさっそうと走りまわった。

 何事が起きたかと集まる人も暖かいまなざし。足でかせぐ選挙…失礼、足腰の強い選挙です。(写真をお見せできないのが残念)


初めての選挙運動 (土井都由美)

 選挙なんて遠い世界の事のように思っていた自分が、まさか選挙事務所へ通うようになるとは思ってもみませんでした。

 封筒貼りや単純な事務作業はともかく、見知らぬ人への電話作戦や自転車作戦には、さすがにためらいや恥ずかしさがありました。

 それでも、毎日必死に訴える江田候補を見ているうちに、いつしか私も立派な(?)江田ファンになっていました。

 毎日大変でしたが、初めて出会った人達と同じ目標に向って心が一つになれるという事は、人生に何度もある事ではないので、本当に良い経験をさせていただいたと思います。
江田先生、これからも頑張って下さい。


チャリティーレコード ふきこみに参加

 「江田議員がレコードを。」というとびっくりするでしょうか。《世界の恵まれない子供を救おう》という運動の一環としてチャリティーレコードが作られました。国会議員有志と子供たちによる混声合唱のいつでも、どこでも口ずさめる歌です。今年は「国際平和年」。またユニセフ(国際児童募金)では今年から「世界の子供に全員予防接種を」をテーマに運動を開始しました。この歌声が日本国内のみならず、海を渡り世界の子供たちを勇気づけるでしょう。

主催:世界はともだちチャリティーレコード発起人会


編集後記
 選挙カーが県北のある町にさしかかった時、折からの大雨の中を老婦人が一人、車にかけ寄って来た。その両手には丹精こめて育てられたと一目でわかる泰山木の一枝が握りしめられていたのです。「私は平和を願う者です。この木はその思いを込めて作ったものです。どうかこれを事務所の片隅にでも置いて頑張って下さい。」と一言。

 江田議員は、国連でも東チモールの独立と平和を訴えた。いつまでたっても世界中が平和にはならない。どこかで戦争がある。

 平和を愛する心は、人を愛する心。政治に反映して欲しいものだ。(T)


1986/09 五月会だより No.31 ホーム主張目次たより目次前へ次へ