2004年11月30日

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161 参院・法務委員会

 ・ 刑法等の一部を改正する法律案(閣法第8号)

刑法改正案の質疑で、まず参考人質疑です。意見聴取の後、私も15分間質問。次いで対政府質疑に入り、私も1時間質問。ほとんどが南野千恵子法務大臣とのやり取りで、政府参考人とのやり取りは最小限に留めました。南野大臣は、法務関係についての知識が豊富と言えないことは明らかですが、そこを突いても何の実りもありません。むしろ大臣の常識人としての感覚を質すことにより、今後の法務行政改善への指針を引き出したつもりです。質疑を終わり採決し、民主党も賛成で可決。附帯決議は全会一致でした。


平成十六年十一月三十日(火曜日)   午後一時開会

○委員長(渡辺孝男君) ただいまから法務委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、刑法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、三名の参考人から御意見を伺います。
 御出席いただいております参考人は、東京都立大学法学部教授木村光江君、弁護士・日本弁護士連合会刑事法制委員会委員長神洋明君及び龍谷大学法学部教授石塚伸一君でございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお聞かせいただきまして、本委員会における今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方について申し上げます。まず、木村参考人、神参考人、石塚参考人の順に、お一人二十分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いしたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、木村参考人からお願いいたします。木村参考人。

○参考人(木村光江君) では、着席のまま失礼いたします。
 本日は、このような機会を与えていただきまして大変光栄に存じます。
 私は、法制審議会の凶悪・重大犯罪の部会に参加させていただいた観点から、若干意見を述べさせていただきたいというふうに考えております。
 大変僣越ですが、簡単なメモを作りましたので、それをお目通しいただきながらお聞きいただければと思います。よろしくお願いいたします。
 その「刑法等の一部を改正する法律案について」というふうに書きました一枚物のメモでございますけれども、それに沿ってお話しさせていただきます。

 まず最初に、「凶悪犯罪と性犯罪―改正の二つの柱」というところでございますが、今般の刑法改正には二つの大きな柱があるというふうに考えております。一つ目の柱が凶悪・重大犯罪に対する対処でございます。そして、二つ目の柱が性犯罪に対する対処というふうに考えてよろしいかと思います。もちろん、性犯罪、特に強姦罪につきましては凶悪犯罪の中に含まれる犯罪でございます。その意味では凶悪・重大犯罪の一部というふうに言えるんですけれども、これまでの議論の流れから見て、一応凶悪・重大犯罪と性犯罪というのは若干別の様相を呈しているというふうに考えられるかと思います。

 まず、凶悪犯罪、(1)の「凶悪犯罪の激増」というところでございますが、凶悪犯罪とは、先ほどもちょっと言いましたが、強姦罪ももちろん含まれますし、殺人罪、強盗罪、強姦罪、放火罪を指すとされております。
 これらの認知件数が、この図でごらんいただくと分かりますように、平成に入り、九〇年代に入りまして加速度的に増加しております。これは単に数の問題だけではなく、余りにも変化が急激であるというところが非常に問題であるというふうに思われます。この事態に直面して、早急に何らかの方策を取る必要があるというふうに考えられます。その意味で、今回の改正で国として凶悪犯罪に対し厳しく対処するという姿勢を示す意義は非常に大きいというふうに考えられます。逆に、この機を逸すると大変なことになるというのが私の認識でございます。
 確かに、その図をごらんいただくと分かりますように、戦後直後は非常に犯罪が多かったというのは一般によく言われることなんですけれども、この図を見ますと、言わば戦後の混乱期と同じような状態になってしまっているというのが現在の状況かと思います。正に危機的な状況だと言っても過言ではないというふうに考えております。

 それが第一の凶悪犯罪の方なんですけれども、図の下の「(2)性犯罪」という方ですが、第二の柱というふうに先ほど申し上げた性犯罪に対する対処でございます。凶悪・重大犯罪の中でも、特に強姦罪、それと、それに加えまして強制わいせつ罪の法定刑の見直しが今次の改正の非常に重要なポイントであるというふうに考えられると思います。

 まず、そこにも書きましたけれども、男女共同参画会議の女性に対する暴力に関する専門調査会が今年の三月に報告書を出されまして、女性に対する暴力について取り組むべき課題とその対策と題する報告書でございます。これは長年の議論の蓄積を経て公表されたものというふうに伺っておりますが、この報告書では、その正に冒頭に、性犯罪を「女性に対する暴力の中でも、最も女性の人権を踏みにじる行為」であるというふうに断じています。そして、その報告書では、性犯罪について特に加害者の厳正な処罰が必要であるということが強調されております。今次の改正の性犯罪に関する部分は、正にこのような表現に代表される社会の要請を受けているということは明らかであろうと思われます。

 さらに、そのような社会の要請があるということに加えて、その延長線でもあるんですけれども、もう一つの、そこにアスタリスクで書かせていただきましたけれども、児童買春等処罰法であるとかストーカー規制法、犯罪被害者保護法、DV防止法等の言わば平成十年以降、特に十一年以降でしょうか、の一連の被害者保護に関する特別法制定の延長線にこの刑法改正は位置付けるべきだというふうに思われます。

 いずれも、この特別法はいずれも、これまで言わば沈黙させられてきた被害者、そういう被害者を救済するために制定されたものと考えられます。今回の改正は、いよいよ刑法典そのものの中に被害者保護の観点を入れるものというふうに位置付けられます。国民の意識を刑法典の中に取り入れるものであって、正に画期的な法改正と言ってよろしいかと思います。
 それが二つの柱というふうに考えられますけれども、次に、2の部分をごらんいただきたいんですが、「2、性犯罪に対する非難―厳格な処罰の必要性」と書かせていただいた部分でございます。ここでは主として強姦罪、強制わいせつ罪の法定刑の引上げについて検討したいと思うんですけれども、(1)の部分、「強姦罪、強制わいせつ罪の認知件数の増加」というところです。

 特に、強姦罪について見ますと、確かに最もいわゆる認知件数が多かったのは昭和三十年代と言われております。強姦のピークは昭和三十九年の六千八百件という非常に多い数ですけれども、そういう認知件数が出された時期がございます。その時期に比較すれば現在の件数は少ないのではないかと、むしろそれと比べれば少ないのではないかという議論もあり得ると思います。また、そもそも性犯罪は、先生方よく御承知のように、いわゆる暗数、表面化しない数というのがかなりあるのではないかと、そうすると、実際の発生件数が増えているからといって必ずしも実態として犯罪が増加しているとは限らないのではないかというような議論もあろうかと思います。ただ、そういうような議論はあることを踏まえた上でも、なお現時点で性犯罪の法定刑を引き上げる理由というのは十分にあるというふうに思われます。

 まず第一に、これはやはり数の問題になってしまいますけれども、(1)の@のところです。平成に入り増加しているということなんですけれども、十年前の認知件数と比較した場合、強姦罪は約一・五倍、また強制わいせつ罪は非常に伸びが激しいのですが、二・八倍に上がっております。これだけの変化を暗数が表面に出てきただけという議論で無視することはできないというふうに思われます。

 次に、二つ目ですけれども、刑法典制定時と現在との相違というふうに書かせていただいた部分ですが、認知件数の増加という側面を離れても、なお現時点で性犯罪をより厳しく処罰する必要性というのは非常に高いというふうに思われます。

 どういうことかと申しますと、女性の権利という観点から見ると、刑法典が制定されましたのは約百年前です。その百年前と現在とでは、女性の地位、女性の権利という意味では全く様相が異なっているというふうにとらえるべきかと思います。言わば、この百年間の女性の地位の変化を全く考慮しないで現行法を維持することは、正に時代錯誤と言われても仕方がないというふうに思われます。

 それを言いますと、刑法全体がもう百年たっていて大きな改正がなされていない、そうすると、そのこと自体が時代錯誤ではないかという御議論もあるかと思いますけれども、その意味では、実際に刑法典で十分賄えない部分については個々の改正がなされております。例えば、コンピューター関係であるとか、カード犯罪であるとか、そういうことは立法的な措置が取られてきているというのが現状です。

 確かに、性犯罪はコンピューター犯罪と違って刑法制定時になかった犯罪ではないじゃないかと、そうであれば、なぜわざわざ今の時点で変えなければならないのかという御議論もあろうかと思いますけれども、その意味では、もうこれも先生方は十分御承知のように、言わば強姦罪とか強制わいせつ罪は条文上は社会法益に対する罪というふうに置かれております。つまり、言わばわいせつ物頒布罪等と同じ場所に刑法典の条文上は置かれているというのが強姦罪、強制わいせつ罪です。言わば、風俗秩序に対する罪というふうに立法時は考えられていました。

 それが現在では、被害者個人、強姦罪であれば女性、強制わいせつ罪であれば男性も含むわけですけれども、その被害者個人に対する罪である、言わば社会法益ではないと、個人法益であるというのはだれも異論を差し挟まないという状況でございます。これだけ考え方が変化しているという犯罪について、しかも被害がこれだけ増えているという、認知件数がこれだけ増加しているにもかかわらず何も手を打たないというのは、正に時代錯誤そのものというふうに思われます。

 「性犯罪に対する非難」の(2)の部分ですが、これは起訴率、量刑の重罰化というふうに書かせていただきましたが、検察の実務でも、また裁判実務でも、性犯罪についてはより厳しい判断がなされてきているということをここで申し上げようと思います。

 まず、検察の方ですけれども、起訴率が例えば昭和五十年代と比べますと格段に高くなっております。強姦罪の起訴率は、昭和五十年代は約五五%前後だったものが近年は七〇%に近くなっております。強制わいせつ罪につきましても、やはり五十年代は四〇%前後だったものが近年は六〇%に近くなっております。起訴率が増加しているということです。検察の性犯罪に対する対応がより厳格なものとなっているということの現れだというふうに申し上げることができると思います。

 裁判所においても同様の傾向が見られまして、量刑について、強姦罪、強制わいせつ罪ともに重くなっております。しかも、実刑率も高くなっているということでございます。裁判官が書かれた量刑に関する書物の中で、かつては、強姦に対して傾向的に刑の軽い裁判官がいたように思われるが、近時、女性の人間としての尊厳を侵害する犯罪として厳しい態度で臨む裁判官も増えてきているというふうに述べられておりました。

 正に、検察、裁判ともに実務のレベルでも非常に厳しい態度が見られると、性犯罪に対する厳しい態度が見られるというふうに思われます。これは単に司法が言わば恣意的に重く処罰するように動いているというものではなくて、国民の意識が検察あるいは裁判を突き動かしているというふうに考えてよろしいかと思います。

 冒頭で述べさせていただきました男女共同参画会議での報告書というようなものも現代の社会を反映しているというふうに思われますし、そのような国民の意識の変化が検察、裁判所の厳格な態度に反映されているというふうに理解すべきかと思われます。

 三番目に、「法定刑の考え方」ということですが、強姦罪、強制わいせつ罪を中心にお話ししますと、強姦罪は下限を二年から三年に引き上げると、強制わいせつ罪は上限を七年から十年に引き上げるという改正がなされようとしているわけですけれども、これに合理的根拠があるのかという議論もあろうかと思います。
 ただ、結論から申しますと、私はいずれも妥当なものというふうに考えております。

 まず、強姦罪の量刑ですけれども、強姦罪の法定刑の引上げについて、法制審議会の議論の中でも、言わば下限に近い刑の言渡しが多くなされているではないかと、そのような状況下で引き上げる必要が今あるのかという御意見が出されていました。
 確かに、強姦罪の有罪判決の約四分の一は三年未満の懲役です。そうしますと、四分の一が言わば下の方、下に張り付いている状態であれば三年に引き上げる、二年から三年に引き上げる必要はないのではないかという御意見があることも確かでございます。
 しかし、このような見解は妥当でないというふうに思います。

 それは、そこに@からBで書かせていただいた三つの理由からなんですけれども、まず第一に、確かに四分の一が三年未満の言渡しではないかというふうに、そういう御意見あるんですが、十年前を見ますと、実に過半数が三年未満の刑だったんです。言わば、十年間で半減しているということになります。
 第二に、そもそも裁判所は現行法の法定刑を前提に量刑判断を行っているわけで、法定刑が変更されれば、当然その変更された法定刑を基礎にして量刑判断が行われることになると。ですから、現在の法定刑を前提とした議論というのは必ずしも妥当ではないのではないかというふうに思います。
 三番目に、これが最も重要な点だと思うんですけれども、「法定刑を維持することの問題性」というふうに書かせていただいたんですが、これはどういうことかと申しますと、現時点で、正にこのように国会で審議が行われるという段階にまでなっていろいろと議論はしたと、しかし、やはり現状のままがいいという判断をすると、強姦はやはりそれほど重大な犯罪ではないんだというメッセージを国民に与えてしまうことになるのではないかと。これは非常に危険であるというふうに思います。

 男女共同参画会議等の議論では、むしろ強姦の下限を三年ではなくて五年に上げるべきだという議論も強かったというふうに伺っております。確かに、急激に下限を二倍以上に上げるというのはやや乱暴な議論だというふうに私なども思いますけれども、その意味で三年の線が出てきたというのは非常に妥当な考え方ではないかというふうに思われます。
 しかし、何より重要なのは、ここで全く上げないという選択をしてしまうというのは国民に非常に誤ったメッセージを伝えることになるということかと思われます。

 次に(2)、強盗罪の比較ということなんですけれども、強姦罪の法定刑引上げについては、強盗罪との比較で軽過ぎるという御意見が強いということは私も十分承知しております。それ自体は確かにそのとおりだというふうに思われるんですけれども、単純な比較はむしろ危険であろうというふうに思われます。
 どういうことかと申しますと、強盗罪の比較で軽いという言い方をされた場合に、では強盗罪を下げればいいではないかという御議論が出てくるからです。法制審議会でも確かにそのような意見が出されておりました。強姦を上げるのではなくて強盗を下げればいいのではないかという御議論です。

 ただ、これは全く受け入れることができないというふうに私自身は考えております。冒頭でお示ししたグラフでも、これ急激に増加しておりますが、実は強盗が三倍に増えているというのが現状です。強盗がこのように危機的な状況にある中で、強盗の法定刑を下げるということはおよそ考えられないというふうに思われます。
 むしろ比較論、単純な比較論ではなくて、強姦罪、強制わいせつ罪の法定刑を上げるということに非常に意味があるというふうに思います。それ自体、強姦罪、強制わいせつ罪、それ自体が非常に軽過ぎるというふうに思われる。また、そのような考え方が法制審議会の部会でも圧倒的多数だというふうに私は理解しております。
 繰り返しになりますが、正に強姦罪、強制わいせつ罪について刑法は厳格な処罰をもって臨むんだということを示す、現在この時点で示すということが非常に重要だというふうに思います。

 先ほども少し述べましたけれども、児童買春等処罰法等の一連の被害者保護の流れをこの今回の改正はくむものというふうに私は理解しておりますので、しかも、これらの法律の制定に当たっては、特に国会議員、女性議員の方々の大変な御尽力があったというふうに伺っております。今回の改正をもし見送るというようなことになりますと、これまでのそのような先生方の御努力が非常に損なわれることになってしまうというふうに危惧いたします。
 そろそろ時間で、傷害罪、傷害致死については余り触れることができませんでしたけれども、やはり傷害罪なども非常に増えている犯罪です。被害者保護という観点からも非常にこの時点で改正するということが要請されているというふうに思われます。
 昭和二十年代の方が犯罪はもっと多かったというような御議論もあります。あるいは、厳罰化したからといって犯罪抑止につながるわけではないという主張もあろうかというふうに思います。ただ、このグラフを示させていただいたのは、実はこのような変化を現時点で何とかして食い止める必要があるということで、今回の改正はその意味で非常に意義があるというふうに思われます。
 少し延びまして申し訳ございません。
 以上でございます。

○委員長(渡辺孝男君) ありがとうございました。
 次に、神参考人にお願いいたします。神参考人。

○参考人(神洋明君) 本日、このような機会を与えていただきましてありがとうございます。今、御紹介いただきました弁護士の神洋明であります。

 私は、御審議いただいている凶悪・重大犯罪に対処するための刑法等の一部を改正する法律案については、基本的に反対する立場から意見を述べさせていただきたいと思います。つまり、私は、今回の法律案のうち、強盗致傷罪の刑の見直しについては賛成でありますが、その余の改正案については強く反対であります。
 まず、冒頭に一点だけ強調させていただきたい、いただきながら本論に入らせていただきたいと思います。
 刑法は犯罪と刑罰に関する基本法であり、刑事訴訟法は国家刑罰権に関する基本法であります。いずれの法律も一人一人の市民の生活と利益に深くかかわりを持つ法律であります。したがって、その改正は、基本的人権の尊重という憲法的価値基準を踏まえ、長期的な視野から検討審議の上、慎重にその方向性が見定められるべきであります。
 ところで、今回の改正案は、刑法に関し約百年ぶりの大改正、すなわち、有期の懲役及び禁錮の法定刑、処断刑の上限を引き上げるという内容を含むものであるにもかかわらず、法制審議会刑事法部会の議論に費やした時間は、五回、合計約十三時間程度にすぎませんでした。とりわけ学者委員の発言が極めて少ないと伺っております。刑事法部会における審議が充実したものであったとは到底言い難いものであります。今回の法律案の重大性からして、もう少し国民的な議論に発展する部会審議が必要であったと思われます。その一方で、法制審議会委員、幹事ではない多くの刑事法学者からの反対意見も寄せられていました。毎日新聞などのマスコミからも安易な一律厳罰化は避けるべきであるとの批判もありました。
 今回の改正案は、国民的議論が尽くされたものとは言えず、拙速に過ぎるものであったと言わざるを得ません。
 この十一月二十八日の朝日新聞の朝刊には、元々法務省としては、現行より重罰化すべきものと軽くすべきものなど、あらゆる罪のバランスの上で再検討した上で、数年先に刑法を抜本改正することを検討していたけれども、この部分だけが前倒しされたという記事が載っておりました。前倒し、前倒しにしても、改正対象となるあらゆる罪の再検討など到底されていなかった。その意味で拙速感は否めないと思っております。のみならず、このような改正手腕は、今回の改正にとどまらず、実は、現在、法制審議会刑事法部会で議論されている次の刑法改正案、人身の自由を侵害する行為の処罰に関する罰則の整備についてにおいても見られるのであります。
 私は、このように、刑法全体を体系的に見て改正するのではなく、小出しの形で改正する手法に対しては大きな危惧感を抱いていることを申し述べておきたいと思います。

 本論に入りたいと思います。
 まず第一点として、立法理由の存否であります。
 私は、まず、今回の刑法等の一部を改正する法律案には改正しなければならない立法理由がないということを強く指摘しておきたいと思います。
 その第一点は、犯罪の重罰化というのは犯罪の抑止力がないという点であります。
 今回の刑法に関する改正案は、有期懲役及び禁錮の法定刑と処断刑の上限をそれぞれ引き上げ、かつ殺人、傷害、強制わいせつ、強姦に関連した罪の下限をそれぞれ引き上げようというものであります。しかし、例えば、殺人を犯そうという者が刑法の法定刑の下限を引き上げられたからといって犯罪を思いとどまるものでないことは、多くの心理学者が述べているところであります。
 ところで、真の犯罪対策は、長期的な視野に立って、犯罪が増えた原因等を調査研究し、その原因を除去するための政治的・経済的・社会的方策が検討されるところから始めるべきであります。犯罪を犯した者に対しては、社会復帰が可能な刑務所における矯正処遇と、犯罪者が社会に戻ってきたときに再び犯罪に手を染めずに済むような、これらの人を受け入れる社会資源も不可欠であります。人権と大きなかかわりのある刑事罰の重罰化は、刑法の謙抑性からしても補充的な形で検討されるのにすぎないものであります。もっと腰を据えた徹底した犯罪対策こそ必要だと言わざるを得ません。

 二点目は、刑法各則の強制わいせつ、強姦の罪、殺人罪の罪及び傷害等の罪の重罰化の実質的な根拠がないことを述べておきたいと思います。
 刑法各則の強制わいせつ、強姦、強姦致死傷の各罪、殺人罪等の罪、傷害及び傷害致死の各罪に関する法定刑の加重に関する改正案についても、日本国憲法制定後今日に至るまでの約半世紀の犯罪統計を冷静に分析したとき、今回提案されているような形で今早急に重罰化しなければならない客観的な状況下にあると言えるかどうかは甚だ疑問であります。
 この点の統計資料の紹介については、さきの衆議院の法務委員会で日弁連の大塚明副会長が平成十二年度の警察白書を引用して述べているところでありますので詳細は省略させていただきますが、凶悪犯罪の認知件数は平成不況下にあったここ十年増加しているとは言っても、戦後から現在までの半世紀にわたる長期的な視野で見ると、ここ十年が特異的に増加しているわけではないのであります。

 岩波書店から河合幹雄さんという学者の「安全神話崩壊のパラドックス」という本が出ています。河合さんは各種の統計データを用いながら、犯罪は実際には増えていない、すなわち治安は悪化していないということを分かりやすく説明しています。河合さんはその中で、一般刑法犯は急増しているが、自転車盗が急増部分であり、それを除外すると微増にすぎない、凶悪犯は、殺人は一九五〇年代から減り続け、この十年横ばいで、強盗は急増しているものの、ひったくりや集団のカツアゲを統計に組み込んだせいであると述べております。
 立法当局は国民の体感不安の悪化などという言葉に惑わされてはいけないというふうに考えるのであります。

 三点目は、立法当局が強調する国民の体感治安の悪化、国民の規範意識、国民の法的正義観念、メッセージ性などという極めてあいまいかつ漠然としたキャッチフレーズには全く理由が、立法理由がないということを述べておきたいと思います。
 まず、体感治安なるものは、先ほど河合さんの本にもありますように、今回対象となっている凶悪・重大犯罪に関するものではなく、誇張され作られた言葉でしかないと考えられます。つまり、国民にそのような不安があるとしても、それはピッキングに代表される空き巣などの窃盗に対する不安とかおれおれ詐欺に、おれおれ詐欺に遭う不安が大部分であるのであります。したがって、今回のような重大犯罪の重罰化の立法理由には到底なり得ないものであります。
 また、国民の規範意識とか国民の法的正義観念に関して言えば、何を言っているのか分からないだけでなく、規範意識の高まりが何ゆえに重罰化に結び付くのかというのも牽強付会で全く理解ができません。今回の改正案に対しては、先ほども述べましたように、マスコミの中にも安易な一律重罰化は避けるべきだという社説が出ているほどなのであります。
 さらに、殺人の下限を引き上げる根拠として、命の大切さを訴えるメッセージ性などという言葉も納得のいかないところであります。

 東京拘置所に長く勤務し、死刑囚のケアをしていた精神科医でもあり作家でもある加賀乙彦さんは、殺人を犯す前に、この行為をしたら死刑になると考えていた者は一人もいなかったという趣旨のことを述べています。この言葉から分かるように、下限を五年以上に引き上げたから、よほどの情状がなければ執行猶予は付かない、だから犯行を思いとどまるなどといったことはあり得ないと言わざるを得ません。
 参議院の先生方には、こうした造語やキャッチフレーズに惑わされることなく、実体を見据えた御議論をいただき、この国の将来に禍根を残すようなことのないような慎重な審議をお願いする次第であります。

 四点目として、以上の結果として、今回改正されようとしている殺人の罪等、傷害の罪等の法定刑の加重は、玉突き論的な刑の均衡論以外に理由らしい理由がないことを述べておきたいと思います。
 法務当局は、強姦罪の法定刑の下限を従来の三年から五年に改正することを提案したことから、強姦罪と殺人罪の法定刑の下限が同じになり、それとの均衡から殺人罪の法定刑を五年以上に引き上げ、引き上げられた殺人罪の法定刑の均衡から今度は傷害致死罪の法定刑の下限を二年以上から三年以上にすることにしています。
 また、傷害罪や危険運転致死傷罪の法定刑は、今回の刑法総則の有期刑の上限の引上げに伴ってそれぞれ引き上げざるを得なくなっています。そして、殺人罪を加重したことによって組織的な殺人罪について加重し、傷害罪を加重したことによって暴力行為等処罰に関する法律の傷害の罪に関する部分について加重しなければならない、しなければ刑の均衡が図れないという構造を作り出しています。
 このような均衡論だけで、言わば玉突き状態での刑の加重をすること以外に根拠のない刑法改正には大いに問題があると言わざるを得ません。

 第二に、具体的な改正案に対する意見を述べたいと思います。
 まず第一点は、有期懲役及び禁錮の法定刑、処断刑の上限の引上げについて。
 ここでは、今回の刑法総則の法定刑、処断刑の上限の引上げは、凶悪・重大犯罪に対処するためという目的を超えて、刑法の全面改正の性格を持っていることを強く指摘しておきたいと思います。
 改正案は凶悪・重大犯罪に対処するためのものとされていますが、刑法総則に関する有期の懲役及び禁錮の法定刑の上限の改正等に関する改正案については、個々の犯罪事実の現状における具体的な実情を一切考慮することなく、かつ、凶悪・重大犯罪とは到底言うことができない犯罪までも含め、すべて一律に法定刑や処断刑の上限を上げようとするものであります。言わば、羊頭を掲げて狗肉を売るがごとき、極めて大ざっぱな改正を提案するものであって、国の基本法の改正の在り方としては到底賛成することができません。
 改正の対象となる犯罪は、実に刑法典、特別刑法を合わせて百四の多くに上る改正であります。その意味で、この刑法総則の改正は、凶悪・重大犯罪に対処するための改正とは言えず、刑法の全面改正の性格を有していることを強調しておきたいと思います。つまり、これらの百四の構成要件一つ一つについて、法定刑の上限を引き上げることの当否が全く検討されていないのであります。
 そのために、例えば、戦後一度も適用されたことがない御璽偽造の罪の法定刑が二年以上十五年以下の懲役から二年以上二十年以下の懲役になってしまい、公印偽造の罪の三月以上五年以下の懲役と大きくバランスを失する形で改正がされることになっています。また、加重収賄罪の罪についても同様のアンバランスが生じています。
 また、このような法定刑の上限を引き上げることによって、それぞれの犯罪についての法定刑の幅が広がり過ぎる結果も生じます。五年後の裁判員制度では国民が量刑に関与することになるのですから、このような幅の広い法定刑が裁判員を惑わす結果になることも見据えた見直しが考えられるべきだったと思います。その意味で、今回の改正案の中で、この刑法総則の改正こそ、最も根拠がなく、かつ、拙速さを表しているものと断ぜざるを得ません。

 次に、このような改正案は、長期の受刑者の社会復帰に重大な影響を及ぼすということを述べたいと思います。
 現在の世界の行刑モデルは、旧来の医療モデルから社会復帰モデルへと確実に変わっております。二十年、三十年、社会から隔離して拘禁施設に収容することは、受刑者の人格破壊につながりかねず、社会復帰にとってプラスにならないことも留意すべきであります。有期刑受刑者の長期収容化は、また無期刑受刑者の仮出獄までの期間を長期化するおそれがあり、無期刑受刑者の社会復帰にも否定的な影響を与えかねません。現在問題となっている過剰収容ともかかわるものでありますので、行刑とのかかわりの検討が不可欠であるのでありますが、その点の検討がなされた形跡がありません。

 三点目は、無期刑に処する場合と有期刑に処する場合の実質的な格差の縮小論については大きな疑問があるという点であります。
 法務当局から、有期刑の上限を引き上げて無期刑との差を縮めることによって、量刑の場面で無期刑と有期刑の選択が迫られた場合に、無期刑でなく有期刑を選択しやすくなるといった趣旨の説明がなされました。
 しかしながら、従来であれば無期刑であったもののどの程度のものが有期刑になるかは明らかになっていません。また、仮に無期刑になる者の少数が有期刑になったとしても、有期刑全体が長期化するなら、差引き長期化するおそれも大きいと思います。
 さらに、前述した法務当局の説明では、法定刑に有期刑とともに無期刑が規定されている罪には該当しますが、有期刑のみが規定されている罪、例えば強盗、事後強盗、御璽偽造などの罪には該当しません。このことは、格差縮小論が一律に有期刑の法定刑の長期を長くする理由になり得ないことを示しております。

 二つ目に、強姦罪等の法定刑の見直しについて述べたいと思います。
 まず、強制わいせつ罪と強姦罪の犯罪類型については、法定刑の問題以前に、その規定の在り方を根本的に見直す必要があることを述べておきたいと思います。
 刑法の強姦罪は、行為主体を男性、客体を女性に限っており、男性が客体となったときには強制わいせつ罪しか成立しません。ところで、性的自由の侵害に係る罪については、世界の趨勢は、男女間に差を設けない方向にあります。フランス、アメリカ、カナダ、ドイツなどにおいて、被害者を女性に限定しない形での法改正が行われており、男性被害者についても強姦罪が成立するようになっています。
 現時点で、刑法の強姦罪等の改正を行うのであれば、まず、こうした世界の趨勢に合わせた性犯罪全般の見直しが行われるべきだと思います。日本において、性犯罪の被害者は女性がほとんどだから現行の規定のままでよいという議論がありますが、これは近い将来の変化を視野に入れておらず、少数者であっても回復し難い精神的ショックを受けた男性の性犯罪に対する差別にもなりかねないものと思います。

 次に、性的自由の侵害の罪の刑を検討するに当たっては、現行刑法の強盗罪等の刑との比較が不可欠であることを述べたいと思います。
 強姦罪は強盗罪との比較で軽過ぎるという意見は以前からありました。しかし、今回の改正においても、強盗罪の関係では依然として低いままになっています。比較法的に見れば、フランスの一年以上十五年以下の自由刑、ドイツの一年以上の有期自由刑と比較しても、日本の強姦罪の法定刑それ自体が不当に低いというわけではありません。強盗罪の下限が五年という刑法の規定と比較するからこそ、現行の強姦罪の刑の下限が低きに過ぎるように見えるのであります。
 その強盗罪の刑の下限が五年というのは、実は欧米諸国と比較しても異様に高いものとなっていることこそ問題があるのであります。そのことを一顧だにせず、強姦罪の法定刑の下限を引き上げることには反対と言わざるを得ません。

 三つ目は、殺人罪等の法定刑の見直しであります。
 まず、殺人罪の性質からして下限を引き上げる理由がないことについて述べたいと思います。
 殺人罪は確執とか情念といった人と人との濃密なかかわりの中で発生するものが少なくなく、その違法、責任の在り方には種々のものがあります。従来、殺人罪の多くは執行猶予付きの判決が言い渡されてきたという事実を想定していただきたいと思います。すなわち、私は、殺人罪にはその性質からして類型的に執行猶予を付すことができる三年の刑に相当すべき事案があるからこそ、現行刑法はその刑の下限を三年以上としていたものと考えております。
 現在の日本社会の実情からしても、執行猶予を付すべき事案は類型的に生じ得ます。例えば、家族中心の介護をせざるを得ない社会状況の中で、長期間介護をしていた夫が介護に疲れた、妻を殺してしまうというような期待可能性の少ない行為類型も当然想定されるところであります。
 事は殺人という犯罪現象の類型的評価にあるのであって、具体的事案において酌量減軽をすれば執行猶予を付すことができるから不都合はないということで済ますこともできる問題ではないと考えます。

 次に、殺人罪の発生率からしても刑の引上げの必要性がないことを指摘したいと思います。
 日本における殺人罪の発生率は世界でも一、二を争うほど低いと言われてきています。戦後半世紀の統計を長期的に見ても、殺人罪の認知件数は、昭和二十九年の三千八十一件をピークとして減少傾向にあり、平成三年の千二百十五件で底を打っております。その後は横ばいに推移し、十一年には千二百六十五件となっており、必ずしも増加傾向にあるとは言えない状況にありません。殺人の検挙率も下がってはいません。最近十年間の殺人の認知件数を見ても、平成六年の千二百七十九件を一〇〇として、平成十五年の一千四百五十二件で一一三・五であり、微増にとどまっています。現状において、殺人の罪の刑の下限を引き上げなければならない犯罪状況にはないと言わざるを得ません。

 次に、傷害の法定刑の見直しについて述べたいと思います。
 まず、傷害の罪の法定刑は、国際的に見ても決して低くはないということを挙げたいと思います。
 世界の立法例を見てみると、傷害の罪の刑は、アメリカのニューヨーク州で二年以上七年以下の自由刑、イギリスで五年以下の自由刑、ドイツで六年以上十年以下の自由刑、フランスで十年以下の自由刑及び十五万ユーロ以下の罰金であって、日本の刑法の十年以下の刑が特に低いというわけではありません。
 また、傷害の罪に比較して、重い刑によって処断すると規定された罪についても問題があります。
 その刑が傷害の罪に比較して、重い刑によって処断すると規定された罪は、ガス漏出等致死傷の罪など刑法典に十二の構成要件が規定されています。こうした規定は特別法にも見られます。これらの罪の個別的な検討なしに、これらをすべて一律に同じ重さに引き上げることには疑問があります。

 最後に、公訴時効の見直しについて述べたいと思います。
 公訴時効の延長が提案されている刑事訴訟法の改正案は、警察を始めとする捜査機関の負担を増大させるだけでなく、刑事訴訟手続にかかわる弁護人の立場からすれば、公訴時効の延長は、時間の経過により、アリバイ証人等の確保や証人の記憶の喚起が難しい現状を一層困難にし、その反面で、供述者の記憶の新しさを理由に過去に取られた調書について、刑事訴訟法三百二十一条一項二号、三号書面の採用を容易にし、その結果、被疑者・被告人の防御権の行使を更に困難にする等の弊害があるので反対であります。
 以上のとおり、今回の改正案に対しては、国家の基本法たる刑法を大幅に改正するものであるにもかかわらず、到底十分な国民的論議がなされたと言うことができないものであるので、これに伴う刑事訴訟法の改正案も含めて、強く反対するものであります。

○委員長(渡辺孝男君) ありがとうございました。
 次に、石塚参考人にお願いいたします。石塚参考人

○参考人(石塚伸一君) 石塚でございます。こういう機会を与えていただきましてありがとうございます。
 既に木村参考人と神参考人からお話がありましたように、今回の刑法の一部改正につきましては種々問題があるというふうに私は考えております。私が今回ここに呼んでいただきました理由の一つには、今日配付されている資料の中に刑法学者の意見を添付されていると思います。この資料の六十七ページ以下に、「刑法重罰化改正に対する意見書」というものを作成いたしまして、刑法学者有志で提出させていただいております。こちらをお読みいただければ私どもの主張は御理解いただけると思いますが、今回の改正案は、ここには最後の七十二ページのところに書いてありますが、百害あって一利なしというやや情緒的な表現を用いておりますが、むしろ現在の司法に対する国民の信頼を損ねかねない、非常にマイナスの点の多い改正ではないかというふうに考えております。で、私どもは、安全で安心して暮らせる社会の実現のために真に必要な施策は何かを、もっと慎重かつ理性的、合理的に検討する必要があるというふうに考えておりまして、こういうような立場から意見を述べさせていただきます。

 また、私は龍谷大学で矯正・保護研究センターというセンターに所属しております。このセンターは、文部科学省の御支援をいただきまして、現在、二十一世紀新刑事政策プロジェクトというプロジェクトを推進しております。二十一世紀における刑事政策は従来の形態とは異なる新たなものでなければいけないというふうに私どもは考えております。その考え方は、これはまだ私の私見ではございますけれども、今日配付させていただきましたこの「現代「市民法」論と新しい市民運動」という本の中にまとめておりまして、百三十五ページに「二つの刑事政策」という形でまとめております。
 百三十五ページの一番下のところに、現代の刑事政策の展開の中で新たな世紀を見据えた刑事政策を選択するとすれば、二つの可能性があるというふうに述べております。
 第一の政策は、治安の悪化を自明のもの、刑罰の一般予防機能を重視して取締りを強化する厳罰主義の政策であるというものです。具体的には、警察官、検察官、裁判官などを増員して大きな司法を目指します。この政策は、刑事司法システムの入口を肥大化させる政策です。したがって、その出口である刑務所であるとか保護観察であるとか、社会復帰のいろいろな部局に後の世代あるいは現在でも影響が及んでしわ寄せが及ぶことは必定です。この政策は大きな刑務所人口を抱えることになるから、刑事司法のコストは膨大なものにならざるを得ない。後ほど、概算ですが数字を挙げて説明させていただきます。

 いま一つの政策は、犯罪の変化を慎重にチェックし、刑罰の特別予防的機能を重視して、ダイバージョン、刑事司法の流れの中から必要のないものを排除していくと、よそにそらすという方法ですが、この手法を活用しながら社会復帰のための処遇を開発する寛刑主義的な政策です。この施策においては、家庭裁判所の調査官であるとか、法務教官であるとか、保護観察官などのケースワーカーを増員して司法の福祉的機能を強化をする。この政策は、刑務所の人口を抑制し、前科者や再犯者の数を減らすから、間接的ではありますが、迂遠のようには見えますが、最終的には司法コストを軽減することができる、そしてそのコストを福祉に回すという施策です。後ほどこれについても説明させていただきます。
 私どもは、後者の方の政策、適正規模の刑事司法を維持する政策の方が妥当であるというふうに考えております。

 それでは、お話をさせていただきます。
 まず、大きな政策を取って失敗した国がアメリカです。なぜ失敗したかについてお話しします。
 アメリカは、一九八五年に約七十万人の刑事施設の収容者を抱えていました。これが二〇〇四年、現在ですが、約二百万人を超す収容者を抱えます。つまり、刑務所であるとか日本の拘置所に類するところで二百万人の人、百万都市二つ分の人たちを養っているわけです。この人たちは労働をしていませんから、この人たちの生活費をすべて国あるいは州が負担しなければなりません。民営刑務所で収容者一人について民営機関が請け負うときの値段が大体一日百ドルぐらいです。それ掛ける三百六十五日のお金が必要になるということになります。膨大なお金です。
 アメリカがなぜこのような三倍近くの収容者を抱えるようになってしまったかということについて説明します。
 アメリカでは、伝統的に刑罰目標というものは、応報と犯罪の抑止とそして隔離、そして社会復帰、この四つであるというふうに言われてきました。伝統的にアメリカは社会復帰政策を重視する、そういう政策を取ってきています。そういう中で、一九八四年、コンプリヘンシブ・クライム・コントロール・アクト、日本語では包括的犯罪統制法というふうに訳されていますが、この法律をレーガン政権の下で導入しました。この法律の目的の中で、刑罰目標は応報、抑止、隔離であって、社会復帰はこの三つの刑罰目標と抵触しない限りにおいて尊重される、そういう規定を設けました。そのために社会復帰は後退したわけです。そのために、厳罰政策が取られるようになります。

 まず最初に始まったのが、ウオー・オン・ドラッグと呼ばれる薬物との戦いです。薬物を自己使用した人たちも厳しく処罰して刑事施設に入れる、そういう施策を取りました。次が、少年裁判所の廃止等に見られるような少年に対する刑事司法の強化です。次が、性犯罪法、取りわけ、メーガン法という名前で御存じかと思いますけれども、性犯罪者に対して厳しい制裁を加え、出所後もその情報を公にするというような法律ですが、これは危険な犯罪者に対する厳しい施策を意味します。そして最後に、重大な一般犯罪を犯した人たちを厳しく処罰する方法です。三振法とかスリーストライクアウトとか呼ばれるもので、重大犯罪を三回犯すと無条件で二十年あるいは終身の自由刑にするというものです。変な話ですが、二回強盗をやった人が三回目に窃盗でピザを盗んだと、そうしたら終身刑になったというような笑い話のような話がよく挙げられますけれども、そういうような状況が生まれてしまいました。
 確かに、多くの人たちが刑務所に入りましたので、犯罪を犯す可能性の高いティーンエージャーであるとか二十代の人たち、そういう人たちは施設の中に入っていますので、外での犯罪は減ったように思われます。

 よく例に挙げられるニューヨークであるとかシカゴであるとか、そういう大都市の犯罪が減った。確かに、私たちも行ってみて、ニューヨークが安全になったというのは体感いたします。しかし、それは多くの人たちが危険な刑務所に過剰に収容されていることによって補完されているという現実を忘れてはなりません。
 また、都市に住んでいた人たちが小さな都市へと拡散していきますから、これはドイツなんかでも行われたことなんですけれども、ベルリンやフランクフルトの駅で、そこでたむろしている人たちを厳しく禁止する、二人以上話していると離れるようにというようなことが通告されることがあります。若い人たちは沿線の都市に行ってその周縁の住宅地域で今度はたむろするようになるという現象が生まれますが、フランクフルトの都市の真ん中、ベルリンの都市の真ん中は確かに体感治安は良くなります。しかし、これは全社会的規模で見たときの治安が良くなったと言えるかどうかということは問題です。
 そういうような失敗をアメリカは犯したというふうに私ども刑事政策研究者は思っています。多くの犯罪学者は、世界的なコングレス、大会に出ますと、アメリカの政策は失敗し、これを今後どうやって直していくかということを考えています。

 日本は、そういう意味では今正にアメリカの轍を踏むのかどうかという岐路に立っていると私どもは考えます。一九九〇年代の前半に、これは国会に諮ることもなく覚せい剤の自己所持あるいは自己使用の人に対する政策は全く、量刑政策は全く変わりました。
 どういう施策を現在取られているかというと、自己所持又は自己使用で量の少ないものを持っていたような人たちは、初犯であれば懲役一年六月、執行猶予二年を言い渡されます。覚せい剤の自己使用者という方は、多くの場合、依存症になっているケースが多いので、ああ釈放された、釈放されたんだと、私は無罪なんだというふうに考えられるのかもしれませんけれども、また再使用をされます。再使用をした場合には、当然また捕まって、覚せい剤の自己使用ないしは所持で捕まります。そうすると、今度は二年の実刑判決が言い渡されます。そうすると、前の執行猶予が取り消されますので三年六月、一番最初で刑務所に入ってくるときに三年六月の刑を持って入ってくるわけです。そうすると、二十五歳の覚せい剤の受刑者の人というのは、三年六月刑務所に入ってなきゃなりませんから、覚せい剤で仮釈放が付くということは難しいので、二十八ないしは九歳まで刑事施設に入っています。若いその時期に施設に入っていて社会に出てきても、働くチャンス、社会に復帰するチャンスは与えられません。したがって、再使用を繰り返していて刑務所と社会の間を行き来する、最終的には病気が進んで精神病院に収容されるというようなケースが増えてくるということになります。

 こういうような悪循環をどういう形で解放するか、解決するかということが今刑事施設の中で非常に重要な課題になっています。そのために刑事施設の中では覚せい剤プログラムを始めていまして、そこにはダルクという自助グループのメッセージが入ったりというようなことが行われていて様々努力をしていますが、現実には、施設の収容状況が一一七%ぐらいの収容状況ですから、九〇%程度が限界だと思いますから、二十数%ぐらいオーバーしている状況になります。そういうような状況の中ですので思うような処遇ができないというのが現実です。

 御存じのように、少年についても、日本は少年法の厳しい適用を求めるような改正が既に二〇〇〇年に行われていまして、現実にも少年院であるとか少年鑑別所に収容される子供たちは増えておりますし、その子たちの社会復帰というのは非常に大きな課題になっております。当然、五年後の見直しの際に先生方の御検討をいただくことになるかというふうに思います。
 もう一つの特徴は、被害者の権利の保障、被害者の権利のルネッサンスというふうに言われていますけれども、先ほども木村参考人からお話がありましたように、とりわけ女性の権利が今まで侵害されてきたことに対してだれも否定はしないわけです。そのために強姦罪の体系的な、刑法体系上の位置付けを考え直して、性的に自由に対する犯罪として理解すべきであるという考え方は学界でも通説になっておりますし、現在の性的道徳秩序に対する罪に位置付けておくことはおかしいということでは一致していると思います。そうであるならば、今回の改正でも、刑を重罰化するということが一つ、これは一つの方法だと思いますし、いま一つ、集団の強姦罪について新たに新設するというのも一つの方法です。より一歩進んで、なぜ親告罪にしておくのか、強姦罪から親告罪を取ってしまえばいいではないかという議論が一つあります。

 いま一つ、先ほどもお話ありました、男女を問わず性的な暴力行為に関しては、これは厳しく対応するということを社会に示すということは重要です。法制審議会の中で言われましたメッセージ効果というものを重視するのであれば、今回、強姦罪についてこういうような対応をしたということを世の中に明らかに示す必要があると思います。そういう観点から見ますと、それと一緒に殺人罪であるとかその他の刑法総則上の刑の上限を十五年から二十年に上げるということはマイナスです。片っ方で強姦罪重くしたよというメッセージを出しておいて、こっちも重くするんだよというメッセージを出すわけですから、当然受け取る側の印象は弱くなります。本当にその被害者の権利を保障するということであれば、一つ一つの犯罪類型についてきちんとした検討をした上で適正な刑罰を示すということが重要なのだというふうに考えます。

 いま一方で、先ほど神参考人からお話ありました立法事実として日本の犯罪が増えているという認識ですが、これも、河合さんのおっしゃることをまたず、我々犯罪社会学であるとか犯罪学の研究者は、今見えているような、統計上表れているような急激な増加はないということで共通認識を持っております。
 なぜこのように増えているかということを言うんならば、これは明白でして、窃盗罪が増えているからです。窃盗罪がこんなに増えているのはなぜかということは、先ほども自転車窃盗のお話が出ましたが、もう一つの、余り指摘はされてませんが、ファクターがあります。これは、一九九〇年代に新たな保険商品が出まして、損失すると、何かを盗まれたというときに警察に行って被害届をもらってきます。それを持っていくとその損害が補てんされるようになりますから、被害届を出すということが損害の証明になるような構造になりました。外国に旅行されると分かると思いますが、何かがなくなった場合には必ず警察に行ってその証明をもらってきます。そうすると、証明書はもらうけれども捜査は望んでいないというケースが増えるわけです。当然、そういう事件については捜査が及びませんので検挙率も下がるということになります。

 類似の例が器物損壊罪であります。器物損壊もこのところ非常に増えている犯罪です。
 この器物損壊と窃盗罪で全体の犯罪の約七〇%、認知件数の七〇%を占めていますので、この部分が増えてくれば検挙率が下がるのは当然なわけです。
 これはカウントをする構造それ自体が変わったので、株式の指標を、ダウ式平均株価を見ていくときに指標銘柄を入れ替えると継続性がなくなるのと全く同じで、同じような比較に合わないことになります。先ほどからお話ありますように、戦争直後と今を比較するのに同じように比較するのは確かに難しいと思います、窃盗それ自体の形態も変わっていますし。それだけを見て言うのではなく、やはり九〇年代に起こった数字のカウントの仕方の構造的な変化をもう少し見ていただければ私の言っていることは御理解いただけるのではないかというふうに思います。

 もう一つ、体感治安の悪化ということが言われます。これは、体感治安というのは、自分は被害者になる可能性があるというふうに一般の方々がアイデンティティーを持つわけです。自分が被害者になったらどうしようというのを体感治安ということになります。
 そうすると、この総理府で行われた調査も、朝日も読売もそうなんですが、調査を見ますと二十歳以上の方に調査されているんですね。つまり、選挙権を持っていられる成人の方なんです。つまり、未成年の人は調査の対象になっていないという事実を頭に入れておいていただきたいと思います。我々も、今の若い子供たちの行動を見て、服装であるとか物の振る舞いを見てちょっと顔をしかめるような行動が目立ちます。そういうものと体感というものが実は結び付いているということが一つ。

 それと、日本はこの十年間に急速に高齢社会になりました。したがって、世論調査をしたときも十年前と比べると高齢の方の御意見が反映しやすい構造になっていますので、これも五年前、十年前と比較しても若干その基になっているロットが違いますので、よく検討し直さなければならない問題です。単純に数字の比較ではできないというふうに思います。

 もう一つ重要な問題は、時間もありませんので限って言いますが、過剰収容問題です。先ほど申しましたように、入口のところを強化するとしわ寄せは出口に来ます。現在、刑事司法の収容者の数というのがどのぐらいあるかということですが、一九九二年、十年前ですと、刑事施設ですね、刑務所とか拘置所に入っている方が四万五千人、一日平均、でした。これに代用監獄と言われる警察留置場に入っている方も足してみると約五万人です。で、二〇〇二年ですね、二〇〇二年の統計でいいますと、刑事施設に入っている人は六万七千人、代用監獄に入っている方が一万二千人いらっしゃって、合わせると八万人ぐらいになります。つまり、六〇%十年間で増えているということです。三万人、六〇%増えているという計算になります。

 で、六万人増えるということは、経済負担でいうと物すごい負担になります。大体、収容者ですね、人件費を除きまして一日平均六千七百円ぐらいの収容費が日本でも掛かっています。これを月に直しますと、これに三十を掛ける、それに三百六十、十二か月を掛けてみると、大体一年間で二百四十四万、二百五十万円ぐらいのお金が掛かります。一万人増えると二百五十億です。これが三万人増えたら七百五十億になります。収容者が増えるというのは、こうこうさように全部の生活を見ることになりますから負担が大きくなります。従来はこれを刑務作業によって補てんするという考え方を取っておりましたので、受刑者については刑務作業で二百億円ぐらいでとんとんだというような考え方を取っていたんですが、未決の人が長期で入っているとかいうことを考えられますと、これは作業では補てんできませんので大きな負担が残ります。

 これを、今回の法案が通りますと、恐らくは重罰化が進むということは当然あると思います。法制審議会の中では裁判官は裁量の幅があるので従来の科刑を維持するんだとおっしゃいますが、立法者がこういう法律を作ったということは重くしなさいというサインを出したのであって、軽くしなさいというサインを出したわけではないですから裁判官がこれで軽くしては困るわけで、やはり重くすると思います。

 量刑相場が重くなれば収容期間も長くなり、財政負担も大きくなることになります。そうすると、当然、現在一一七%と言っている刑事施設の収容状況がより厳しい状況になって、そこでの負担は大きくなるのが一つ。そしてさらに、十年、二十年たったときに、次世代になって、長い刑で社会に戻れない人たちが増えることによって次世代に大きな負担を残すことにつながる。その意味で、今回の法案については大きな問題があるというふうに私は考えます。
 以上でございます。


○江田五月君 三人の参考人の皆さん、今日は本当にありがとうございます。

 真っ向から激突風の御意見でございまして、何を聞いてみようかなと思っているんですが、神参考人と石塚参考人にまず伺ってみたいんですが、強姦罪などの性犯罪、これについての特に被害者あるいはその周辺の皆さんあるいはこうしたことにかかわっている皆さんのとにかく一日も早く法定刑を強化してくれ、あるいは、もっと言えば、厳罰化してくれという思いは結構切実なものがあるのではないか。その他のこととの兼ね合いということもあるでしょうけれども、そして、私も性犯罪について、この女性を被害者とする強姦罪という規定の仕方に対してもっと工夫があるのではないかという気もしますが、しかしそういう議論をいつまでやっていてもらちが明かぬと。我々国会の責任でもあるんですけれどもね。これはやはり一つ納得し得るんではないかという気がするんですが、その点について、まず神さん、神参考人。

○参考人(神洋明君) お答えいたします。
 確かに性犯罪の被害者という者には非常に精神的なショックといいますか、PTSDのような被害を被るということがありますので、やはり許し難い行為であると私も思います。厳罰化するということについても、私は、現在の法定刑の中で下限を上げなければならないということが理解できないのであります。上限でやることができるのでありますので、そういう意味では下限を上げる必要はない。やはり、実際問題として、昨年ぐらいから問題になっております例のスーパーフリー事件なんか見ていても、それなりの処断がされているということがあるわけです。更にここで引き上げなければならないというふうには私にはとても思えないのであります。

○参考人(石塚伸一君) 私は今回の改正の中で、いわゆる集団強姦罪の部分と、それと強姦罪、強制わいせつ罪の引上げについてはあり得る選択だというふうに思います。ただ、それがどの程度の量刑が適当なのか、法定刑が適当なのかについてはまだ検討の余地はあると思いますが、あり得るというふうに思います。

 ただ、先ほど申し上げましたのは、現実の場面で、例えば下限が二年であろうが三年であろうが、一番今現場で困っていることは、被害者の方が告訴をするということには非常に大きな障害があって、とりわけ御家族の方が、告訴なんかしないでもう忘れたらどうかというふうにおっしゃるような方も、やっぱりその地域のことを考えていらっしゃる。ということは、親告罪にしなければ秘密を守ったままで証言も保障しながら対応ができるのに、そこに一つの女性に大きな負担が掛かっているという現実がありますので、そこを解決した方が法定刑だけに頼っていくよりは望ましいのではないかというふうに考えております。

○江田五月君 はい、ありがとうございます。

 確かに法定刑だけに頼るというわけにはいかない。私ども立法に携わる者も、この間、証人尋問のやり方をいろいろ工夫をするとか、様々な被害者の人に余計な負担を掛けずに刑事司法が進行できるようなそういう手だてを講じてきておりますが、それにしても、以前は私も若干の経験ありますけれども、とにかく傍聴禁止の措置を取るとしても、それにしても余りにも生々しい証言を被害者に法廷で求めていくというようなことでは、それは被害者の方々に二次、三次の被害を与えるということになっていたようなことがあると思うんですね。

 それはよく分かることでありますが、そこで次に今度は木村参考人に伺いたいんですが、さはさりながら、今の強姦罪などの法定刑の引上げ以外の部分について神参考人、石塚参考人のお話というのは結構説得力はあったような気もするんですけれども、まず、神参考人のそのお話の中心部分、一般的に総論で有期の懲役刑を上げるということで個別の罪の法定刑の引上げについて不都合が起きてきている部分があるのではないか。例えば、今たしか言われましたね、御璽偽造罪のように。そういう細かな検討なしにやるのはいかにも乱暴で拙速ではないかという、この御批判はどういうふうに答えられますか。

○参考人(木村光江君) お答えいたします。

 確かにそのような御批判があるというのはよく分かりますし、法制審議会でもそのような御議論が出ていたかというふうに思います。ただ、刑法典の考え方として、やはり有期の上限を設けている罪というのはそれなりにやはり意味がある。刑法典として重い、重く処罰する必要があるというふうに考えているものだというふうに思われます。ですので、それは確かに一律というふうにおっしゃられるかもしれませんけれども、やはり一つ上げて、じゃどれをやめるのか、どれを上げるのかというのを一つ一つ検討するということがそれほど意味があるというふうには私には思えません。

 ですので、刑法典全体として今回やはり重罰化するということであれば、それにそろえて上げるということは非常に合理性があるというふうに私は考えております。

○江田五月君 例えば、無期刑と有期の懲役が十五年というのとの差が余りにもあり過ぎる。そこで、この時代の変化、平均寿命の変化などもあって、そこでこの無期に有期の上限を多少でも近づけていこうというんで二十年にするというそういうことですが、しかし、今の御璽偽造罪には無期刑の選択刑がないんですよね。そうすると、法定刑、有期の懲役刑の十五年という上限は、仮に有期の上限を二十年に上げても、じゃこれだけは十五年でとどめておけば良かったではないかというそういう指摘なんですが、これはいかがですか。

○参考人(木村光江君) お答えいたします。
 確かに、御璽の問題については恐らく戦後一件もないんではないかと思うんですけれども、その点特別に考慮する必要があったじゃないかという御意見は、確かにその側面もあるのかなというふうには思います。ただ、その一件だけを取り上げて、では、じゃ、これ一件についてどうするかというのを議論するということになりますと、余りにもやはり議論が先延ばしになってしまうというおそれがあると思います。

 繰り返しになって恐縮ですけれども、現在何か手を打たなきゃいけないと言われているときにはやはりスピードも非常に重要になりますので、個々の議論というのを余りにも拘泥して全体が崩れてしまうというようなのは妥当ではないというふうには思われます。

○江田五月君 有期刑の上限という一つの評価をして御璽の法定刑を決めたと。その評価といいますか思想といいますか、法定刑を作る、その思想に変化を及ぼそうとするとこれは十五年で止めなきゃいけないけれども、その思想はそのまま維持しながら全体の有期懲役の上限を上げるということですから、そのまま上がったというような理解なのかなと思いますけれども、まあ、ああ言えばこう言うで、いろいろあるという。

 もう一つ、石塚参考人の御意見の中で、厳罰化ではないと、今必要なのは寛刑化なんだという指摘だったと思うんですけれども、これについて、木村参考人、どういうふうにお考えになりますか。

○委員長(渡辺孝男君) 石塚参考人。
○江田五月君 いや、木村参考人。
○委員長(渡辺孝男君) 木村参考人。ごめんなさい。

○江田五月君 もう一度言いましょうか。
 石塚参考人の主張は、厳罰化が今必要なことではなくて寛刑化なんだということだったと思うんですが、それについて木村参考人はどう反論されますか。

○参考人(木村光江君) お答えいたします。
 石塚先生のおっしゃった過剰ということでは、収容人数が増えてしまうという問題が非常に大きいという御指摘だったと思います。確かにその面はあると思うんですけれども、収容人数が増えてしまう過剰収容の問題と法定刑の問題を直接結び付けるというのはやはりちょっと危険かなというふうに思います。法定刑は法定刑として、やはり国としてこれだけの重さの犯罪だという言わば意思表示なわけですから、それはそれとしてきちんと行うと。それにより、まあ、ちょっと先になるかもしれませんけれども、過剰収容が更に問題化するというおそれはあります。

 ですから、それまでの間にやはり十分な手を打つべきだと。それはそれで、やはり、先ほど何百億というようなお話ありましたけれども、お金が掛かるから、じゃ刑務所はやめてしまうという議論ではやはりおかしいはずで、お金が掛かってもやはりやるべきことはやるということなんだろうと思います。

○江田五月君 その点を石塚参考人に伺いたいんですが、この本で言われる重罰主義政策と寛刑主義政策と、この二つの関係なんですけれども、今回やろうとしているのは法定刑の引上げですよね。これは勢い、やはり法定刑が引き上げられて、求刑は前と同じだとか、宣告も前と同じだとかいうことには多分それはならない。やはり、そこは国会としてのメッセージですから、裁判官にそのメッセージを受け止めてもらうとすれば、検察官もですが、求刑も上がっていく、宣告刑も上がっていくということにはなると思うんですが、しかし、法定刑の引上げイコール寛刑主義政策というものは一切もう排除だということではないという気はするんですがね。

 私も、ここでおっしゃる、いわゆる刑務所にあるいは行刑施設に収容することでなくて、いろんな方法で、違ったルートを通って社会へ戻っていく道筋を考えると。そのために家裁調査官やら法務教官は、これは収容機関かと思いますが、鑑別所は法務教官ですかね、あるいは保護観察官、保護司、その他もろもろ一杯あると思うんですけれども、そういうものを最大限生かしていきながら、収容という方法じゃないいろんな道筋が必要だと思うんですが、だから、この法定刑を上げるということは駄目だということにすぐつながるのかどうか、そこはどうです。

○参考人(石塚伸一君) 従来の法定刑の引上げ論というのは、法定刑の上限に実際の量刑が張り付いていて、もう少し上げないと現実に困っているというような立法事実があって個別的に法定刑の引上げをするという形態はあったと思うんです。

 したがって、それは、社会的にもその個別犯罪についての当罰性といいますか可罰性が非常に高いというふうに、社会的には大きいというふうに考えられていたと思うんですが、今回のように一律に引き上げるのは、むしろ社会的な意識に基づいて法定刑を引き上げるんじゃなくて、法定刑を引き上げることによって社会的意識を引き上げていくという、そういう機能を果たすと思うんですね。そのことが、最近よくここで使われているそのメッセージとして果たして現在の社会において妥当なのかどうかということが一つと、もう一つは、先ほど神参考人からもありましたけれども、刑法典の総則の中でそれをするということがめり張りのない法定刑の設定をすることになるので、木村参考人もおっしゃいましたように、やや迂遠で時間は掛かるとは思いますけれども、どれは必要でどれが必要でないのかということをやはり検討する必要があるであろうということが一つあります。

○江田五月君 時間の方が気になっておりますが、法制審議会の木村参考人は委員であられると。神参考人、石塚参考人はいかがですか。

○参考人(神洋明君) 違います。
○参考人(石塚伸一君) 違います。

○江田五月君 じゃ、木村参考人は委員の立場ですからちょっとお話ししにくいかと思いますが、それでもあえて聞きますが。あとの二人には。

 法制審が非公開ですね。法制審の審議記録も顕名主義じゃない。人の名前のところは黒丸だか白丸だかで、出ていないんですね。私は、やはりもう今そういう公開の時代になっていて、とりわけ、最近の例でいうと、司法制度改革審議会が、これがもうリアルタイム公開でやったことがかなりその司法制度改革を前へ進めるのに大きな意味があったと。そして、その後の検討、推進本部でいえば、検討会もかなり公開度の高いやり方やったわけですよね。

 これは、特にこういう刑法というようなものを議論するときに、国民と密接に触れ合う中で、国民とのキャッチボールが十分行われる中でやられることは不可欠であったんではないかと思いますが、順番にお三人の方に伺います。

○参考人(木村光江君) 確かに、御懸念いただいたとおり、ちょっと答えにくいという意味では答えにくいんですけれども、法制審議会の中でも、公開にすべきかと、公開といいますか、少なくとも顕名にすべきかどうかというのは、もちろん御議論があっての上でだったんですが、確かに、将来的には今先生おっしゃったような方向で考えるべきというのは十分考慮の余地はあると思うんですけれども、現時点では、少なくともどのような御意見が出たかということに関しては十分分かるような状態になっているということで、委員の間では了解が取れたというような経緯でございます。私もそれには賛成いたしました。

○参考人(神洋明君) 私は、やはり今、木村参考人もお話ししましたけれども、非公開をやはり公開にして顕名主義であるべきだと思っております。顕名主義にすることによって、公開された議事録を見た場合に、どなたが発言をして、その発言に対してどういう方がどういう反論をしたのかがよく分かる形なんです。残念ながら、私が拝見した限りでは黒丸しか付いておりませんので、全くだれが発言したかは、はっきり申し上げて、法務当局と日弁連の発言したことは分かりますが、ほかのことが全く分からないという、これはやっぱり大きな問題だろうと思います。

 さらに、顕名主義にすることは、自らの立場を明確に発言、自らの意見を発言するということになりますので、責任を持った発言ができるというふうに思います。

○参考人(石塚伸一君) 同じ法務省の所管でも、たしか行刑改革会議の方は顕名でやられて、同時に別の部屋で見られるようになっていたということがあると思います。それで、いろいろな市民の方が集まられる場に委員の方が出てこられて直接御意見を伺ったりするようなことがあったので、私はその顕名の方が望ましいというふうに考えます。

○江田五月君 ありがとうございました。


○江田五月君 この夏に参議院の方に三選されまして、また引き続きこの法務委員会に所属をしております。しかし、選挙以来、今回初めての質問ということになりました。なかなかほかの仕事が結構忙しくて、全部同僚委員の皆さんに任せておりましたが、今日は是非南野大臣と政治家としての議論をしてみたいと思っております。

 南野さんは本当に好人物だと思って尊敬をしております。法務大臣として適格であるかどうかというのは、これはなかなか議論があると思いますし、立ち上がりは大分苦労されたと思うんですが、それは私も同じでして、今から十一年前ですが、科学技術庁長官を細川内閣のときに任命されまして、まあ原子力にしてもゲノムにしても宇宙にしても何にしても、それまでそれほど勉強していたわけじゃもちろんありません。高校は理科系だったんですけれども、科目の選択はね、大変苦労しまして。ですから、大臣の苦労はよく分かりますので、それを何かちくちくいじめる的なことは一切やるつもりありませんので、御安心ください。

 私──何だかびっくりしました。

 南野大臣、これまで、男女共生社会、男女共同参画社会への実現の努力とか、あるいは弱い立場、少数者の立場も十分理解してこられた。女性の人権のこと、あるいはDV防止法。そして、私は、一緒にお仕事をしたのは、例の性同一性障害の人の戸籍の性別の変更でしたよね。南野さんが、これは行こうと、こういうことだから、これは大丈夫だというので私も民主党の方を、微力ですが、まとめて、そして法改正までこぎ着けて、やっとそういう戸籍の変更の人が最近出てきた。一緒に仕事をした記憶がございますが。

 そういう南野さん、法務大臣は、さきの委員会での所信をお聞きした限りでは、治安問題を最優先というような印象なんですが、本当は、治安問題ももちろん大切ですからやらなきゃいけませんが、例えば今の弱者のこと、人権のこと、女性のこと、そういう点で法務行政の中に新しい路線を築いていく、それが私は南野法務大臣の大変重要な役目ではないかと、そんな期待で見ておるんですが、御自身はどう覚悟しておられますか。

○国務大臣(南野知惠子君) 先生からいじめられないということの確約をいただきましたので、これは未必の故意ではないだろうなというふうにも思っておるわけでございますが、今先生御指摘の部分でございます。

 本当に治安というものは、出入国管理、それらの中身も踏まえまして、これは人権問題であろうかな、人権問題が二十二文字しかないという仰せもございましたが、やはりそれはその中に包含されている中身で私は御承知願いたいものだなと、そのように思っております。ですから、人権問題、一番大切な課題でもございます。

○江田五月君 人権問題の視点から治安の問題も考えていくという、そういうお答えだと伺っておきます。

 今日は、刑法等の一部を改正する法律案、なかなか議論が、どこをどういうふうに議論をすれば答えがぱっと出てくるかが難しいんですよね。

 さっきも、三人の参考人のお話を伺っても激突をしているんですね。ある人は、もう当然これは法定刑を上げるのはやらなきゃならぬと。ある人は、法定刑などを上げるようなことをやったら日本はもうアメリカの轍を踏んでむちゃくちゃになっちゃうよと言う。ある人は、最近の犯罪の増加傾向は、これはもう本当に危機的な水準だと。ある人は、いやいやそんなことはない、それはこれこれあれこれの理由で全然治安は悪くなっていないんだと。

 そこを何かこうデータでもって、これはこういうデータがあるからこういうことだとなかなか判断しにくい。とりわけこの法定刑というのが、何で十五年なの、何で二十年なの、法定刑。宣告刑はある程度まだ分かるんですよ。法定刑は本当に難しいんですが、大臣はその法定刑というものは何だと、別に刑法の難しい議論じゃなくて、法定刑というものは何だとお考えになりますか。

○国務大臣(南野知惠子君) やっぱり、何か問題が起こった場合、その問題に対する罰則というものが必要であろう。その必要な罰則について、どういう問題であればどれだけとか、そういうふうなことを決めていくわけですが、その決めていくプロセスも含めながら、そのもの自身であろうかなというふうに思っております。

○江田五月君 これはもうお役人の皆さんからよくレクチャーを受けておられると思うんですが、刑法では、法定刑というものが、人を殺したる者は死刑又は無期若しくは三年以上の懲役、これは有期です、無期じゃないものは。それを今三年を五年に上げようとしている。つまり、こういう幅がある。そういうものがあって、そして併合罪だとどうする、何とかだったらどうするとかいうようなことをやって、そうすると具体的な事件で、この幅で刑期を決めますよという処断刑というのが決まる。最後にその中から裁判官がこれはこれですよと言って宣告刑というのが決まっていくので、法定刑というのは、私はこれは国がといいますか、国の下には社会というのがある、国民というのがある、そういう人たちが、ある一定の類型の犯罪についてこれはこういう重さですよということを宣言しているといいますか、メッセージを発しているというか、そういう犯罪の重さについてのある種の枠組みですね、こういうものだと思うんですね。

 そういうものが、確かに時代の変化で変わるということもあるだろうけれども、そんなにくるくる変わるもんでもなかろうと。今回この明治四十年にできた刑法を百年ぶりに見直そうというんですが、なぜ一体、法定刑というもの、社会がこの罪はこんな重さですよという、そういうその格付、格付と言うと言葉は変、まあ何かもっといい言葉があれば教えてほしいですが、それをなぜ今変えなきゃいけないんでしょうか。

○国務大臣(南野知惠子君) 今お話しの有期刑の上限ということにつきましては、明治四十年に現行刑法が制定されたときから変更が加えられていないというのが現状であろうかなと思います。その後の約百年の間に平均寿命が延びたということだけではなく、それに加えて、もちろんこの前は人生五十年と言われたのが、今人生八十年ぐらいになっているわけですから、刑量に、刑に付いた場合のあと残りの人生とのかかわりの中で、刑の期間ということもいろいろとこれありと思いますが、それに加えまして、最近における犯罪情勢又は国民感情の変化、それを踏まえて適切な刑を科すことができるようにするために今回見直していきたいというふうに思いました。これは世間の声でもあろうかなということをキャッチすることも必要であろうかなと思っております。

○江田五月君 今、恐らく三つ言われた。一つは人生が長くなった、二つは犯罪のタイプが変わってきた、三つが国民の意識が変わったと、その三つのことを多分言われたんだと理解したんですが、それでよろしいですか。

○国務大臣(南野知惠子君) はい、そのとおりでございます。

○江田五月君 人生の長さが変わったと、これは確かにそうですね。今、例えば、四十五年ですかね、明治四十年の平均寿命というのが。そうすると、三十で犯罪を犯して、有期懲役の最高限で十五年、すると四十五、これはもう平均寿命でいえば亡くなる年ですから無期懲役と同じになっちゃう。二十歳で犯罪を犯して三十五、あと十年、まあ有期懲役そんなものかなと。無期の場合は四十五。ところが、今ではもう人生がずっと長いから、十五年ではとてもそれは無期との間の差があり過ぎると。

 しかし一方で、時代がこう非常に速く動くようになってきて、人々の自由度も、新幹線はあるわ飛行機はあるわ、いろんなところへどんどん行ける、そういう人生のスピードの速さと比べると、同じ一年が昔と比べて随分、実質的には、実質的には意味の濃い一年になってしまっているから、だからこれは、人生が長くなったからといって、昔の一年と今の一年と、今の方がずっと長いぞという意見があるんですが、これどう思われますか。

○国務大臣(南野知惠子君) それ人々のお考え、感じ方だろうというふうに思いますので、いろいろな意見があってしかるべきであろうと思いますが、例えば自分が罪を犯してある刑期を終えたとします。その後改悛をしながら生活していこうと思うときに、短い人生の残りがある人ともっと長い人生があるという今日のような場合には、その刑とのかかわりの中でそれが平均寿命、人生とのかかわりにつながってくるものだというふうに思っております。

○江田五月君 何か刑罰を余りそんなことで計算してみるのもどうも変な話ではありますが、ありますが、まあ入っている時間が、いや同じ一年なら一年でも昔と比べて随分人生におけるその期間の剥奪感というのは長いぞということになれば、逆に言えば残っている期間も随分長いわけですから、計算上は同じことになるのかなと。そうすると、やっぱり平均寿命が延びているということは重要視しなきゃならぬのかなということですよね。何か私が答えを言っているみたいですけれども。

 無期刑と有期刑の間で、人生がこんなに延びてしまったことによって、十五年というんじゃ差があり過ぎる、したがって無期に近づけるために有期を延ばさなきゃという説があります。一見そのようにも聞こえるし、それが当たっている場面もあります。しかし、無期と有期と両方を法定刑にある刑、つまり例えば、今の殺人でいえば死刑又は無期若しくは三年以上、これは十五年までと、無期と十五年との間に差があり過ぎる。

 しかし、無期の法定刑のない犯罪があるんですね。これはちょっと困ってしまう。御璽偽造罪というもの、御璽というのは、御名御璽、どん、天皇陛下と、こういうのがあって、これは無期ないんです。二年以上の有期懲役に処するというんでしたかね、たしか。そうすると、これはもう無期との関係とかいうこと関係なしに十五年が二十年に上がってしまうことになるんですが、これはちょっと何か細かな話なんで、大臣、もしお答えできれば答えていただきたいですが、どなたか。やってみましょうか、ひとつ大臣。

○副大臣(滝実君) 議事録の問題がございますから、私から便宜答弁をさせていただきたいと思うんですけれども、基本的には、この難しい議論があるだろうと思いますけれども、言わば御璽の偽造等の罪ということは何を意味するかといえば、それは一つの大きな国家的な犯罪だというとらえ方をこの条文でしてきたと思います。今、昔と今とは全然感覚が違うかもしれませんけれども、一つの国家に対する犯罪、そういうようなとらえ方をずっとしてきた、そういう中でのこの御璽等偽造罪があるわけでございますから、単なる公印とは違いますよと、公印罪とは、公印偽造とは違いますという意味で象徴的なものとして置かれているわけでございますから、それなりの言わば重大犯罪だというとらえ方で、言わば無期刑がないあれでございますけれども、上限もそれに合わさせていただいたというのが今回の改正だというふうに理解をいたしております。

○江田五月君 私だったらこう答えます。公印偽造と御璽偽造と差がありますよね。公印の方はそのままで、御璽だけ上げるわけですよ。そうすると、これは御璽を重くするのかという話になるんですが、そうじゃなくて、御璽偽造罪は有期懲役の最高限という評価をしているんですよね。有期懲役の最高限というそういう法定刑の決め方、その思想、これは変えないと。有期懲役全体が上がるから上がるというだけのことで、御璽偽造罪の法定刑を何か特に意識して変えるという話ではないというように私なら答えるんですが、どうですか。だれか。はい。

○副大臣(滝実君) 基本的にはそういう考え方をこの際取っているというふうに私も理解をいたしております。

○江田五月君 その有期懲役の上限を一般的にぼおんと上げるというのはもちろん分からないわけではないし、私どももこの法案は、いろいろ本当に聞いてみると問題たくさんあるんですけれども、後からしまったなと思わぬでもないけれども、まあ賛成なんですが、しかしやっぱりほかの個別の刑の法定刑にどういうふうに跳ね返っていくかを考えると、もう少し細かく見ていただきたかったなという感じがしないわけではありません。

 有期懲役については、これで一般的にこの上限を上げると、そして処断刑の方も三十年まで上げるとか、死刑や無期を減軽する場合のこともちょっとありますけれども、無期とか死刑とかについては今回は議論をしなかったわけですよね。

 私は、死刑についてもやはり議論すべきものではなかったのかなと思うんですが、南野大臣は助産師を経験をされて、その前には戦争の悲惨な状況を見て、命というのが何より大切ということで生命の誕生に立ち会うという崇高な仕事を選んでこられたと。生命というのは、生命としてやはり崇高なんではないか。そして、だれも皆この生命を失うという運命から逃れることはできないんですね。人間みんな、どんな人でも生命はいずれ失う。それはやっぱり人知を超えたところにゆだねるものであって、刑罰という形で、理性が一番働かなきゃならぬ刑罰権の行使のときに生命を奪うということをやるのは心がちくちくするんですがね。南野大臣、どうですか。

○国務大臣(南野知惠子君) 先生おっしゃるとおり、死刑という問題は私の心にも重たいものであります。本当にそれについては逆に、どういうふうに申したらいいのか、自分の全身全霊で当たらなければならないと。自分の課題と、それから死刑を準備、準備といったらおかしいですけれども、今あるわけですから、それについていろいろとそこまで持っていくというプロセスにおいてはみんなが苦労してきたことであろうかなと、そのようにも思います。

 そういう意味で、死刑制度をどのようにするのかということにつきましては、我が国の刑事司法制度の根幹にかかわる重要なものであると、国民世論に十分配慮しながら、社会における正義の実現など様々な観点から、慎重の上にも慎重、更にまた慎重に検討すべき問題であるということはもう実感いたしております。

 そして、国民世論の多数が極めて悪質、凶悪な犯罪について死刑もやむを得ないと考えておられる場合、またそれが多数おられるような場合に対する殺人、多数の者に対する殺人とか、誘拐殺人等の凶悪犯罪がいまだ後を絶っていないということと関連、連動させますならば、その罪責が著しく重大な凶悪犯罪を犯した人に対しては死刑を科することもやむを得ないのではないかというのが今の風ではないかなと。死刑を廃止することは今のこの時点では適切ではないのではないかなと、多くの声がそのようにありますということも添えさせていただきたいと思います。

○江田五月君 死刑の問題というのは本当に悩ましい話でして、一か八かというようなわけにいかない、いろんな角度の議論があるし、私どもも議論をしてきましたし、今のお話の、こういう凶悪犯罪がまだ後を絶たないから死刑を残しておくのがいいのか。逆に、死刑はなくするということによって社会の、どういいますか、その安定度というのを増すということになるのか。これ是非、平安時代に日本では何年、三百年だったかな、死刑がなかった時代があった。保元・平治の乱で世の中が乱れてきて、また死刑が復活したとかいうようなこともあるんですね。いろんな角度の議論があります。

 あるいはまた、日本で裁判の執行というのは、民事事件の裁判の執行は大体裁判所がやるんです。それで、刑事事件の執行は検察官が普通やるんですが、死刑についてだけ特に法務大臣、特に法務大臣の執行指揮が要るんですよね。これは官僚ではできないと。やっぱり、政治家が世の中の流れ、その正義は那辺にあるか、そんなこと、すべてのことを考えながら政治家的な判断をしてくださいというので、官僚の皆さんが下から持ってきたから、はいという話とは全然違うわけですから、ひとつそこは是非本当にじっくりとお考えいただきたいと思っております。しかし、もちろん命を奪われた人たちのことを考えるのは当然です。

 もう一つ、最近若年層の犯罪というもの、これもなかなか大変です、心が痛む。小学生が同級生の子供にインターネットでちょっと何か書かれたからといって殺してしまったと。どこまで本当に殺人ということを意識していたんだろうか、いろいろ考えなきゃならぬところがあるんですが、その十四歳未満の者が行った外形的には犯罪行為に当たるような行為ですね、これ一体どうするのかと。

 今では、これは刑事責任年齢に達していないから、責任能力がないからこれは犯罪じゃないからというので、捜査機関が捜査できない。捜査できないけれども、だけど捜査できないからといって、もちろん身柄の確保などなどはそれはいろんな手続でやるとして、例えば捜索もできない、検証もできない、それで本当に事案が明らかになるんだろうかといったことがある。

 あるいは、十四歳未満の少年は児童自立支援施設にしか収容できなくて、そしてその児童自立支援施設で身柄、つまり人間、その子供の自由を一定の拘束の下に置いて矯正教育をしっかりやるという施設は国立の児童自立支援施設しかないと思うんですが、これ、日本じゅうで女子のものが一つ、男子のものが一つ、二つしかない。これはやはり、一定の場合には少年院の教育というものもそういう十四歳未満の者に与えられるようにした方がいいんじゃないかというようなことも考えている。

 これは、人権という点でいえば、江田五月、おまえ人権派のくせに何言っているなんて言われるかもしれません。しかし、虚心坦懐に今の事態を見たときに、やっぱりそこは何か考えなきゃならぬと思うんですが、これは法制審議会にたしか諮問されているんでしたよね。どういう状況になっているかをお答えください。

○国務大臣(南野知惠子君) 十四歳未満の少年に対する処遇につきましては、法制審議会に対して、例外的に少年院送致を可能とすることなどを内容とする諮問を行ったところでございます。

 私としましては、法制審議会における調査、審議の状況を見守っていきたいと思っておりますが、先生のお話、心にしみて受け取らせていただいております。

○江田五月君 当然ですが、重くすればいいという話じゃないんですよ。もっといろんな、どういうか、少年保護の方法をもっともっとたくさん持つようにしておかないといけないんじゃないかと。私は、ちなみに、刑事責任年齢を下げるということは慎重にしなきゃいけないと、これはそう思うんですよね。

 次に、南野大臣は、大臣になられる前ですよね、この今回の法改正の端緒になったものの一つとして、平成十五年十二月十日の与党の政策責任者会議女性と刑法プロジェクトチーム、これの申入れ書が出されましたが、そのときの座長でしたよね。どういう議論、もうこれだれか聞いたかという気もしますが、どういう議論があって、どういう観点からこの申入れ書というものをおまとめになったのか、その御報告をしてください。

○国務大臣(南野知惠子君) このプロセスにつきまして御報告します前に、与党プロジェクトの中に浜四津先生もおられまして、大きな議論を交わしながらこのプロセスができ上がったということもまず御報告しておきたいんですが。

 御指摘のプロジェクトチームにつきましては、与党の国会議員の有志の人々と協議を踏まえました。昨年十月、与党政策責任者会議の中の一つの組織として設けられたものでありますけれども、それ以前から、議員としての活動を通じまして、強姦被害の悲壮な実態を国民の皆様から伺っておりました。それも、ただ一対一の強姦、またさらに重複の強姦又は対象が多い集団強姦、いろいろな問題点についてもしておりましたし、私がまた病院に勤めておるときからの状況なども一つの資料には、心の資料にはなっております。

 そこで、強姦関係罪に限っての議員立法ということも検討してまいりました。これは与党プロジェクトチームでございますが、最終的には、強姦罪の問題も含めて、より広い観点からバランスの取れた法改正を法務省の方で検討していただけるということでありましたので、それであるならばその方が望ましいと、これは相対的に法をバランスを加えながら見ていただけるということもありまして、昨年十二月に当時の野沢法務大臣にその旨の申入れを行ったものでございます。
 以上でございます。

○江田五月君 その女性と刑法プロジェクトチームでは、例えば会議は何回ぐらいやられたんですか、あるいはどういう人の意見をお聞きになったんですか。アバウトでいいですよ。

○国務大臣(南野知惠子君) 会議を何回したかということは今ちょっと定かではございませんが、時間が合う限りお会いして、いついつねというような形ででも会合を重ねたことはございます。
 メンバーとしましては、自民党、公明党、保守新党の方々とともに話合いをいたしております。

○江田五月君 さっきちょっと聞いたときには、被害者の人たちの赤裸々な話を耳にするにつけというようなことを言われたような気がするんですが、そういういろんな関係者からのヒアリングなどをやられたんですか。

○国務大臣(南野知惠子君) 集団強姦の被害者ということではありませんけれども、強姦という問題については、自分の今までの仕事関係上いろいろな知見がございました。それと、このたびのというか、法案を作ろうというきっかけになった物事につきましては、いろいろな情報を集めながらさせていただいたということでございます。

○江田五月君 今のお話だと、これまでの南野さん御自身の人生経験の中でのことと、それから今回のいろんな人の情報という、そのいろんな説明を関係者からヒアリングという形で聞くとかいうことはされていないんですか。

○国務大臣(南野知惠子君) 私個人としてはしておりませんが、その我々のプロジェクトメンバーには複数おられますので、そういう方々がそれを適切にしていただいている方もおられたと思います。

○江田五月君 いや、だからどうということではないんですけれども、なかなか話しづらいことだということですよね。ですから、聞いていないって言ったって、じゃどうやって聞くのかというのは大変困難なことで、落合恵子さんなんかの話や何か、彼女なんかはもう一生懸命そういうことをあえて話しておられるわけですから、何とかしなきゃいけないというのはそのとおり。

 ただ、今日の参考人の意見の中にあったんですが、確かに女性の性的自由に対する大変な侵害、しかし同時に、性的自由に対する侵害ということになれば、最近は特に男性の方にも被害はありますよという。これはやはりあるんだろうと、あるんだと思いますね。世界的には、そこはもう女性男性と、性ではなくて、性の違いではなくて、すべての人に対する性的な自由の侵害というものを一つの犯罪類型として罰するようにすべきだという、あるいはするという、そういう動きがずっと広がっていて、日本もそうすべきではないかという意見があるんですが、そういうことは検討されましたか、このプロジェクトで。

○国務大臣(南野知惠子君) 男性に対する強姦と、女性側からの強姦、それも想像はできますが、本当にそれがあるのかというのは私、ちょっと分かりません。また、それが同性愛者の間の問題であるのか何なのか、それも私には定かではありませんが、生物学的な観点から見ると、強姦というのはこちらの意思で相手に対するという考えが成り立つのか成り立たないのか、それも私には分かりません。それが刑法でどうなっているのかということは存じておりません。

○江田五月君 あると思います。性的快楽というものを自ら望まないのに、いろいろな形でそういうものをあえて経験させられるということは一つの大きな屈辱になるというようなことが、これは男性の場合もあると思いますよ。是非、性同一障害について理解をぱっといただく南野さんですから、そこはやはり分かっていただきたいと思う。

 ただ、そんな議論をしているうちにずるずるずるずる日がたつとか、あるいはそういう議論をしていて、強姦罪に対する法定刑上げようというのが結局下がるとか、あるいは据え置かれるとか、そういうことになるといけないという意味で、今回あえてここへ踏み込まれたということは、それは評価をします。しかし、そういう議論がこれからあるということ、それはやはり分かっておいていただきたいと思います。

 さて、それから今回、今の殺人について、これは法定刑を下限を五年に上げる。以前は三年。三年なら執行猶予が付く、五年ならそのままでは執行猶予が付かない。

 殺人の形態というのは本当に様々で、これは類型的に見てすぐに刑務所へぶち込むという事件じゃないぞというようなものまで殺人の中に入っているから三年というところにしていたのを五年ということにして、殺人というのはもう一定の処置を取らないと、法的に、執行猶予が付かないということにするのは、これはいけないんじゃないかという、そういう意見があるんですが、どう思われます。

○国務大臣(南野知惠子君) 殺人罪の法定刑を引き上げる改正ということにつきましては、凶悪犯罪の典型とも言うべき殺人罪の刑が、酌量軽減をしなくとも酌量減軽ですね、酌量減軽をしなくても執行猶予を付することができる懲役三年とされているのは、現在の国民の正義感に照らせば寛大過ぎると思われることから、これを引き上げようかということにしたものでございます。

 しかし、現実に発生している殺人事件を見てみますと、執行猶予に付すのが相当ではないかと思われるものもあると思います。このような事案につきましては、酌量減軽の判断を得た上で執行猶予にした方が国民からも分かりやすい司法判断の在り方ではないかというふうに思います。そういう意味では、酌量減軽によって執行猶予に付すことが可能な範囲で法定刑の下限を引き上げるものとしたものでありまして、今回の改正はそのような事案についてまで執行猶予に付することを相当ではないというものではないということでございます。

○江田五月君 殺人というのは人を殺したる者と、まあ簡単に書いてあるんですが、人、これを殺す、命を奪う、そういう故意をもって、そういう違法性があって行う行為ですから、ああ死んじゃったという場合じゃないんですよね。未必の故意だとか冒頭おっしゃいましたが、そういう場合も含めてでありますが、そういう人を殺すという行為ですから、これはやはり人を殺すという行為は、どういう類型のものであれやはり執行猶予というわけにはいかないと、類型的なものは。

 ただ、特にいろんな事情がある場合にはその情状を酌量して、ここは国が刑罰権をあえて、刑務所に収容するという形の刑罰権の行使は遠慮しておこうということにする、それが人の命というものについての社会の評価なんだということで引き上げるということで、まあ考えてみると、これまでの死刑の法定刑、三年以上の有期懲役で、三年で執行猶予を付けた場合、酌量減軽こそしていないけれども、実際には酌量減軽すべきような事案がそういう扱いをされていたんだということで適正化だというふうにおっしゃりたいんだろうと思いますし、それを適正化ではないとまで言うほどのこともないかなと。何か本当に、こっちで答えを言っているのでどうも具合が悪いんですけれども。

 もう一つ、それにしても殺人、死刑又は無期もしくは五年以上の有期懲役と、長い、多いんですよ。それから強盗致傷も、これも今までの七年を六年に下げていますから、そして上限は有期の場合に二十年までですから、これも長いんですよ、そのほかにも随分、法定刑というのが随分幅がある。

 さて、その幅の問題をちょっと伺いたいんですが、これだけ幅があって、その中からいろいろ類型的に、こういう類型はこの程度、こういう類型はこの程度と。ずっと法律家をやっていますと、まあ大体いろんな経験を積んで、こういう類型は、相場がこの程度だから、その中でちょっと重い、ちょっと軽いというので、相場観というのが身に付いてくる。さっきも参考人の方がおっしゃっていました。それはそれで、相場観というのも何か言葉が悪いんで、もうちょっといい言葉がないかなという気はしますが、ある程度類型化というものができて、そして一定のその幅の中に、そんなにむちゃくちゃなもう自由裁量でやるというんじゃなくて、まあ大体こんなところというのが決まってくるんです。

 ですから、殺人と、人を殺したる者という、そういう行為類型の中でサブ類型をいろいろ作って、一定のものがあるから、まあそれはそれでよろしいと。罪刑法定主義という考え方からいっても、罪刑法定主義に違反をすると、刑罰というのはあらかじめ法律で決めておかなきゃならぬということに違反するわけではないと。罪刑法定主義というのは法律で決めておけばいいという話じゃないんですよ。やっぱり、冒頭申し上げました、この犯罪については社会はこういうふうに評価しますという一定の格付ですから、これは法律で決めればいいという話じゃないんで、やっぱりそこに一定のバランスも必要だし、要るんです。ですから、何かぽんと罪を書いて、かなり大ざっぱに書いて、それでぶわっと長い法定刑を書いて、これでも法律で決めているからいいなんということは言えない。

 さて、今の殺人にしても強盗致傷にしても随分法定刑の範囲が広いんですが、そこで、まあプロの法律家がずっと刑事裁判をやるという場合には、それはそれで何とかなる。なってきた。だけど、これから国民の皆さんに刑事裁判に入ってもらいますよね。裁判員という制度がスタートをします。この裁判員の皆さんに、あなた、相場観なんといったって、そんな相場あるわけない。あったらおかしい、かえって。

 そうすると、その裁判員の皆さんに、まあ類型的には、こういう犯罪類型ならこの程度だというようなことが分かるような、そして裁判員の皆さんだけじゃなくて国民的にもやっぱりそういうことがある程度分かるような作業が要るのではないかという、今日、参考人の方もちょっとそんなことをおっしゃいました。私もそういう気がするんですが、英米法では殺人というのが謀殺というのと故殺というのがある。マーダーとマンスローターというのは違うんですね。そのように、同じ殺人でも多少類型化して、これについてはこのくらい、これについてはこのくらいというようなものを、これは法務省の方として何か考えるようなことはお考えではありませんか。

○政府参考人(大林宏君) 今御指摘のとおり、殺人についてそのような類型でされているという先進国、比較的多いと承知しております。

 私どもとしては、今回、法制審議会において附帯決議がなされまして、例えば強盗罪について、軽い類型もあるでしょう、重い類型もあるでしょう、類型化をする必要があるんじゃないかとか、また窃盗罪について、これもまた軽微なものとそうでないものがあります。ですから、そういう類型化といいますか、刑罰の体系の中でどうやっていくかということを見直しをしなさいという附帯決議が付いております。

 ですから、今委員御指摘のとおり、今後そういうものも含めて検討していきたいと、このように考えております。

○江田五月君 是非、是非検討をしてください。法務大臣、そう難しいことじゃないでしょう。

 最高裁は来ておられますかね。

 裁判員制度を導入するということになると、最高裁の方としてもそうした何か類型化を試みるような必要が出てくるんではないかと。もちろん、法制審議会なんかでやって、何か刑法のそうした意味での改正みたいなことになれば、それはそれで立法的な解決ですが、そうでなくて、裁判所の中でそういうことをお考えになる必要はありませんか。

○最高裁判所長官代理者(大野市太郎君) まあ、我が国の法定刑は非常に幅が広いと。その中で、裁判員という方々が入ってこられて、今までですと、委員御指摘のとおり、裁判官がある程度の幅の中に考えておったわけですけれども、そこのところをどうやってこれから適正な量刑判断を確保していくかということについては、委員御指摘のとおり一つの問題があろうかというふうに思っております。

 一つの在り方として、先ほど来出ておりますような法定刑の定め方の問題も今後の検討課題だということで法務省の方からお答えありました。

 裁判所の方からいたしますと、今現在、量刑につきましては検察官の方でまず、ひとまず求刑があります。それから、弁護人の方からそれに対応をする形での量刑についての主張なり事情についての説明があろうかと思います。そういったことを裁判官、裁判員でそれを参考にしながら量刑について議論していくわけですけれども、さりとて、なかなか手掛かりがないということになりますれば、恐らく何らかの形でその量刑的な資料を提示すると。その中には恐らく委員御指摘のようなある程度類型化した、例えば強盗であっても強盗致傷であっても、住居に侵入して刃物で使った強盗もありますし路上での強盗もありますし、いろんな形があるわけでして、そういったものをある程度、現在、その事件でかかわっているものと類似したものを拾い、ピックアップして示していくと。それも一つの参考としながら量刑判断をしていくということになっていくのではないだろうかというふうに思われます。

○江田五月君 私が思い出すのは、これ刑事事件じゃ、刑事じゃないんですが民事の方で、面白いんですよ、これ、法務大臣、交通事故の損害賠償で過失相殺というのがあるんですよね。これはもう一杯図を書いて、交差点の場合で、こっちからとこっちからだとどうとかね、追越しのときこうだとどうとかね、過失相殺全部こう割合をずっと類型化しているんですね。その類型どおりにやっていいかどうかというのはあるんだけれども、それでもやっぱり一つの目安にはなって、大体どこの裁判所でもそういうような過失割合で判断してもらえるということによって一定のその予見可能性も出てくる、安定性も出てくるんですよね。ですから、いろんな方法はあると思っております。

 今、求刑という話が出て、これは法務省の方に伺いたいんですが、やはりこういう法定刑の見直しということになりますと、国会でこういう法律を作ったと、まああれは国会でやっていることだからわしは知らぬわと言って検察官は今までどおりというわけにもいかぬだろうと思うんですよね。やっぱり求刑に一定程度の反映というものが、どの程度かは別としてあるんじゃないかと思いますが、これはどういうふうにこれから先この法定刑が上がりますと求刑の方をされますか。これは局長。

○政府参考人(大林宏君) 御案内のとおり、求刑の問題につきましては、各検察官がそれぞれ捜査、公判を担当しまして、そこで決定されるもの、これが原則でございます。

 確かに、今回の法改正を受けて、それは国民、もちろん国会もそうですし、国民の民意ということでありますから、一定の犯罪については今の量刑でいいのかという批判の問題があります。ですから、そういうものについては量刑として厳しくなる部分もあろうかと思います。

 ただ、他方、今度、強盗致傷罪について、今まで七年で執行猶予を付けられないために実務上かなり苦労をしていた部分がございます。これをそのまま強盗致傷罪で警察から受理し、強盗致傷罪で起訴して、その上でそういう執行猶予を前提とした公判活動もできるようになります。

 ですから、厳しくなる面ももちろんあろうかと思います。それと同時に、今回の改正によって正常化するといいますか、正面からその罪名に向き合って量刑を考えていくという、そういう部分もあろうかと思います。そういう点を私どもとして期待したいと考えております。

○江田五月君 私がちょっと聞きたかったのは、こういう法改正を受けて、例えば検察官会同などをやって、そこでその趣旨の説明をしたり、強盗致傷について六年ということになったのでそういう適切な処理とか、そういうようなこともする機会をも考えておられるかどうかということです。

○政府参考人(大林宏君) 近く凶悪犯罪に関する検察官会同を開くことにしております。引き続き、まあ長官会同といいますか検事正クラスの会同についても、今回の改正は、私ども等にとっても刑法というのは基本法典でございますので非常に重要視しておりますし、大きな関心を抱いています。ですから、これがどのような量刑の今度反映されたものになっていくかということは私どもの関心事でもあります。ですから、会同あるいは研修等についても今回の趣旨を徹底させてその動向を見ていきたいと、このように考えております。

○江田五月君 求刑に変化があれば、当然これは判決にも変化が出てくるだろうと思います。私自身も裁判官として刑事裁判、単独で経験したことがあるんですが、そのときに、例の覚せい剤取締法の扱いががらっと変わって、やはりそういう国会でのそういう、まあメッセージ性というのが最近はやっていますけれども、そういう意思表示を受けて、これは判決の方も相当変えていかなきゃならぬというような判断をしたこともあります。

 そうやって、しかし、刑が上がっていくと、そうでなくても刑務所はもう満杯なのに、これどうするんだということもございます。あるいは逆に、刑務所にただぶち込むだけで本当にいいのかと。法定刑を上げますが、しかし厳罰主義政策だけでいいわけじゃないよと。長く刑務所へ入れておくと、もう刑務所に慣れてしまって、あるいは行ったり出たり行ったり出たりすると、もうそれに慣れてしまってなかなか社会生活できなくなるというようなこともあるんですね。逆に、本当に短かったら、悪いことだけ覚えて困るというのもあったりで、まあややこしい話なんですけれども。

 要は、刑務所にぶち込むばかりが能じゃないと。ですから、それはいろんな犯罪者を更生させる手法というものが、保護観察ということもあるでしょう、家庭裁判所の調査官なんかの仕事もあるでしょう、いろんな方法がありますが、そこは法務大臣、是非これからその検察官会同などをおやりになっていかれるときに、この強い国のメッセージは出しますが、しかしそれは強いメッセージではあるけれども、もうどんどんぶち込めという話じゃなくて、いろんな手法を開発するということも併せて持っておるんだと思いますけれども、いかがですか、大臣。

○国務大臣(南野知惠子君) 委員のおっしゃるとおりだと思います。いろいろな方法を考えながら、更生をしていっていただくというところにも基本を置いて考えていきたいと思います。

○江田五月君 今回、私、一つ非常に残念なのは、この法制審議会が依然として非公開、議事録もいわゆる名前を出さない。黒丸か白丸かな、黒丸ですか。やっぱり司法制度改革審議会、これはリアルタイム公開でやったんですよ。もうみんなの見ている前でやったんです。それが司法制度を変えようという国民の気持ちを喚起することにつながった。そして、推進本部も、まあ今日でいよいよ幕、終わりですけれども、これも検討会をかなり公開度の高いやり方でやってきて、国民との議論、キャッチボールをして、そして司法制度改革という、昨日でしたか、おとといでしたか、NHKの夜中の人も言っていましたけれども、かなりのものをやっぱりやってるということができた。

 犯罪をこういうふうに国としては評価をするんですよと、その評価が変わるんですよというような話を国民の知らないところでやっちゃ、それはいけませんよ。せっかくの機会だから、国民とのキャッチボールでやることで国民の理解も得ながら、なるほど女性に対する性犯罪というのは、これはやっぱり重いんだというようなことを作っていかなきゃ。私は法制審議会というのはこれから先はもう公開にすべきものだと思いますが、大臣、いかがですか。

○国務大臣(南野知惠子君) 法制審議会のこの会令第九条、「審議会の議事及び部会に関し必要な事項は、審議会が定める。」と規定しているようでございまして、法制審議会の議事については、法制審議会自体の御判断に基づき、発言者名及びプライバシーを侵害するおそれのある事項を記載しない議事録を作成し、公開しているところであるわけであります。

 法制審議会における審議内容の重要性にかんがみ、今後ともその適正な運用に、運営に努めていくことが重要であるということでございますので、私もそのように考えてまいります。

○江田五月君 それね、それは形式的にはそういう答えになるんですけれども、だれを法制審議会のメンバーにするかなんというのは、だって皆さんで決めておられるわけでしょうが。私は公開でちゃんと発言できるという人を選んでくださいよ。そんな、私はみんなに聞かれるところでは物をよう言わぬのですというような人ばっかり集めてこの国民の刑罰のあれを決めたって、それはいけませんよ、それじゃ。どう思います。

 もう一遍ちょっと、今の法制審議会で決めることだというのは分かっている。分かっているんだけど、やっぱり大臣として、そこはこういうふうにしてほしいとかいう思いが出てこなきゃいけないと思いますが、いかがですか。

○副大臣(滝実君) 今までの過去の法制審議会でいろんな議論があった中で、やっぱりどうもこの刑法部会ですね、ここで特徴的にいろんな反応が特に強く出てくるというのは過去の例でございましたんで、そういう意味で、今回もかなり顕名にするというのは慎重な姿勢を取られたと思うんです。

 ただ、今委員もお述べになりましたけれども、全般的な今回の司法制度改革の中ではかなりオープンな議論もしてまいりました。したがって、そういうような今回一連の大改革を経験した中でこの問題もこれから今後当然、具体的には当法制審でお決めになることですけれども、当国会における意見、あるいは今までのこの一連の大改革をめぐるいろんなオープンな議論、そういうものを踏まえた上で改めて御議論をしていただくということが一番適正じゃないであろうかというのが大臣の趣旨でございますので、そういう意味でお取りいただければ有り難いと思うんです。

○江田五月君 やっぱり、民主主義というのは有権者、国民に対する信頼なんですよね。国民に知られたら大変だから知られないところでこちょこちょっとやろうということをやったって、ろくなことはないんです。やっぱり、それは国民とのキャッチボール、国民の皆さんの見ている中で議論して、国民も議論に直接間接に参加をしてもらいながら議論をすることで本当の国民的なコンセンサスができていくんだと思うんです。

 行刑改革会議もかなり公開度の高い形でやりましたよね。それで、刑務所の中はやっぱり私は今変わっていくのだろうと期待、まあそれでもまだ変な事件が、今朝も、午前中も議論されたようなことがあるけれども、やっぱり変わってくるんだと思いますよ。やっぱり密室はいけません。

 そこで、今日は何か衆議院の政倫審は密室でやったみたいですが、やっぱりまずいですよ。私はこの事件について、一つ最後にちょっと伺っておきたいんですが、橋本元総理の一億円小切手については、この日歯の関係の人たちは起訴されておりますけれども、政治家については、政治家周辺の、平成研の滝川というこの会計の責任者と、そして村岡兼造さんとが起訴されているんですが、これは刑事局長、滝川氏の起訴は、私聞いているのは、当初は単独の犯罪ということで、しかし途中で訴因変更で共犯関係になったと聞いているんですが、そうなんですか。

○政府参考人(大林宏君) お答えします。

 東京地方検察庁においては、本年九月十八日、御指摘の滝川被告人を政治資金規正法違反の単独犯として東京地方裁判所に公判請求しました。その後、同月二十六日、村岡被告人を同事件の共犯として東京地方裁判所に公判請求するとともに、十月一日、滝川被告人の公訴事実を村岡被告人との共犯として訴因変更請求し、この訴因変更請求は滝川被告人の第一回公判である十一月二十四日、裁判所により許可されたものと承知しております。

○江田五月君 訴因変更をして、わざわざこれは共犯によって犯された、共犯関係で犯された犯罪であるということで、それは検察官の主張として公判手続が進んだと。しかし、十一月の二十四日でしたかね、第一回公判ですべての手続が全部済んで結審して、言渡しは十二月の三日、間もなくですよね。大変、それは早いのは悪くはないけれども、随分手際いいですね。

 ところが、私、新聞報道だと何か簡略型冒陳と書いてあったので、てっきり簡易公判手続でやったのかと思ったらそうじゃなくて、簡略型冒陳というのは何だか全然分かんないんです。分かんないで、皆さんもどうも昨日も聞いたらよく分からぬという話ですが、そういう形でやられて、ちょっと聞いてみると、今のその共犯関係について、共犯の相手になっている村岡さんとか野中さんとかの供述調書は証拠請求をされていないというふうに聞いたんですが、それについて今ここで何とか答えろとは言いません。

 そういうこととか、あるいは捜査の検事を公判の検事に人事異動をさしてやっているとか、そして村岡さんの方は、私ども聞いたんです、民主党で。そうすると、もう本当に細かなところまでお話しになって、私はこれこれこうだから全くかかわっていない、冤罪だと。しかも、それをもう本当に、真実味の本当にこもった話しっぷりでお話しになっているわけで、それを共犯のところをそんなにさらりと過ごして、もうそして滝川氏の事件はそれで全部ふたを閉じてしまって、あと村岡と、こういうのは私は、これはひょっとしたらとんでもない政治的な大陰謀事件のおそれもあるなというような感じがしまして、これは我々はちゃんとこれから監視をしていきますので、そのことだけ最後に申し上げて、私の質問を終わります。


2004年11月30日

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