2004/03/18

戻るホーム主張目次会議録目次


159 参院・法務委員会

 ・ 裁判所職員定員法の一部を改正する法律案(閣法第13号)
 ・ 裁判所法の一部を改正する法律案(閣法第14号)

10時から、法務委員会。裁判所職員定員法改正案と裁判所法改正案の質疑で、自民党委員に続いて私が40分間、質問。定員法改正案は、最高裁判所規則で定めていた沖縄県の定員を、本法に移すものですが、行政に関する同様の措置からずい分遅れました。裁判所法改正案は、裁判所職員総合研修所を設置し、速記官補の規定を削除するものですが、速記官の皆さんから強い異論が寄せられており、職務についての職員の自主的な努力を評価すべきことを強調しました。


○江田五月君 裁判所関係二法案の質疑を行います。今日は、実は質問の入念な打合せができないまま来ておりますので、ちょっともたもたするかもしれませんが、お許しいただきたいと思うんですが。

 最初に、通告をしていないんですが、中山最高裁判所長官代理者に伺いたいんですが、衆議院の方でこの二法案についての質疑はもちろん行われております。衆議院と参議院、別の院ではありますが、国民との関係でいえば一つの国会ですから、なるべくいろんな重複はないようにとした方がいいだろうと。それでも念を押さなきゃならぬところは押さなきゃならぬと。別の院としての機能、参議院もあるわけですけれども、こんなところで余り衆議院でやったことをそのまま参議院でまたなぞるようなことはやめようと思って、私も衆議院の方の速記録を読んでまいりました。

 まだ未定稿ですから、いろいろまだ訂正部分があるかと思うんですけれども、この未定稿を読んでいて、これはどういう意味なのかなとちょっと思うんですが、中山さん、速記官の執務環境の整備について職員団体からも非常に強い要求が出ているところでありますと、その次ですが、今日も後ろに私どもの職員団体である全司法の委員長がしかとにらみに来ておりますけれども、そういうような職員団体の意見も十分聞きながらと、こうなっておるんですが、私どもの職員団体、全司法の委員長がしかとにらみに来ておる、これはどういう意味ですか。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) その後、非常に余計なことを言ってしまったなというふうに反省をしているところでございますが、答弁の過程で、左の方に私どもの全司法の委員長の姿が目に入ったものですから、ついついそういうふうにお話をしてしまったわけでございますけれども、御理解いただきたいのは、言わば全司法、全司法としては職員の執務環境の整備に向けて全力を尽くしてきている、その表れがこういったところの傍聴にも表れてきているのではないだろうか、また、そういったものを私どもとしてもきちんと受け止めていかなければならない、こういうような趣旨で申し上げたつもりではございます。

○江田五月君 私は、中山さんにもちろん個人的に何の恨みもありませんし、いや、それどころか人格識見ともに非常に優れた司法の一員であって、私も司法畑にいた人間として、すばらしい後輩が育ってきておると、本当にうれしく、尊敬もしておるんですが、しかし、やっぱりその中山さんにしてこういう言葉が出てくるというところに司法制度改革をしなきゃいかぬという理由があるように思うんですね。

 職員団体の皆さんが、自分たちのこれからの仕事にかかわる、非常に大きく影響する、そういう法案の審議を傍聴に来るのは当たり前の話で、それを何かにらみに来ているというような表現で言われるというのは一体どういう関係があるのか。にらみ返したという意味で言われたのか、あるいはそういう軽口もたたけるような仲のいい関係であるのか、いずれにしてもそれは問題ですよ。

 やはり、裁判というのは、裁判官がもちろん責任を負いながら全部の法廷の過程を主宰をしておる。しかし、裁判官だけでできるものではありませんね。それは書記官もいる、あるいは速記官もいる、多くの裁判所の職員が皆お互いにそれぞれの役割を果たしながら、国民から負託された司法という重大な職務を遂行しているわけでありまして、そこはやはり、まあ何とか言い逃れはできるかもしれませんが、この職員団体の委員長が来て、にらみにというような、そういう感覚でいてもらっては困ると思うんですが、いかがですか。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 今申し上げましたとおり、にらむというのは、お互いににらみ返すあるいはにらむと、こういったようなことではございませんで、言わば全司法としても非常な重大な位置付けということでここに来られていて、そして最高裁がどういった答弁をし、するかというようなところをきちんと見届けるぞと、こういうようなことで使った言葉であります。また、決してそうやってお互いの関係がなあなあであるというようなつもりで話したつもりもございません。そこの点は御理解いただきたいと思います。

○江田五月君 反省をしていただきたいと思いますが、いかがですか。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 余計な疑念を差し挟まれるという結果に対しては、不徳の致すところであったと思っております。今後、気を付けたいと思います。

○江田五月君 緊張感を持って国会審議に臨んでいただきたいと、一言苦言を呈しておきます。

 さて、裁判所職員定員法の一部改正の方にまず入ります。

 先ほど吉田委員の方からも質問があり、答えもいただいているので、それと重複しないようにいたしますが、今回、昭和四十六年の沖縄の本土復帰の後に、この特別措置に関する法律中の特例規定に基づいて最高裁判所規則で定められていた裁判官の員数、これを今回定員法の中に組み入れるということですね。四十六年の本土復帰の前と後で、沖縄県における裁判官と裁判所職員の制度というものはどう変わったのか、簡単で結構ですが御報告ください。

 私も、昭和四十一年から四十三年まで司法研修所におりました。その当時はたしか琉球政府の委託の修習生がいて、非常に仲良く、今も付き合っていますが、その修習生の皆さんは本土のいわゆる司法試験を通ってきた我々とちょっと違っていたのではないか。その辺りがどうなって、それがその後どう変わったかを簡単にお答えください。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) お答え申し上げます。

 復帰前の沖縄では、琉球政府の下に裁判所が設置され、裁判官等について独自の任用や定員配置が行われておりました。復帰後は、本土のほかの裁判所と同じ任用制度になるとともに、定員配置についても、復帰直後はともかく、近年は本土と全く同様に事件動向や事務処理状況に応じた体制整備を図っているところでございます。

 それが概要でございますが、今御質問のいただいたところを私どもの方も必ずしも詳しくは知らないところでございますけれども、復帰前の沖縄には琉球政府裁判所の裁判官が存在いたしました。裁判官の任命資格につきましては、昭和二十五年から実施されました米国軍政府本部特別布告により、裁判官については琉球法曹会試験局によって正当に証明された者に限ると定められるのみであり、必ずしも弁護士資格、いわゆる法曹資格を有していなくても裁判官に任命されることが可能であったというようであります。

 昭和四十七年の沖縄復帰後の裁判官の任命資格に関しましては、沖縄についても本土同様に裁判所法が適用されることから、本土と同様の資格が必要になったわけであります。このため、復帰前の琉球政府裁判所の裁判官が引き続き裁判官となるためには法曹資格が必要ということになりますので、昭和四十五年に成立しました沖縄の弁護士資格等に対する本邦の弁護士資格等の付与に関する特別措置法により資格を取得された方が多かったというふうに推測しているところでございます。

 司法研修所時代のお話をされましたけれども、確かに、それらによりますと、沖縄の法令の規定による司法試験に合格し、沖縄の裁判官経験三年未満の者で、本邦において司法修習生の修習と同一の修習課程を終えた方が、司法試験管理委員会が行う選考に合格して本邦の裁判所法六十七条一項の規定による司法修習の修習を修了したものとみなされる、沖縄復帰時に判事補に任命されたということでございますから、恐らくそういった例かなと思います。

 また、私、沖縄に赴任しておりましたので、そこで知っている経験といたしましては、本土の方の正規の司法試験に合格されて、その上で沖縄の方で弁護士をされるというようなこともございましたし、あるいは司法研修所を出てその直後に琉球高裁の方の、言わばこちらの最高裁判所の調査官という形にすぐに、本土の、日本の判例等、実務について一番詳しいということでなられた方という方についても承知しているところでございます。
 その程度でございますが。

○江田五月君 以来三十年でしょうか、もっとか、経過をして、その復帰前の裁判官あるいは職員の任用の形がもうほぼ、どう言いますかなくなってきて、今やもう完全に一元化しているのだと思いますが、今さっき、ちょっと、平成十三年に駄目元で一元化を申し出てみたと。駄目元という言葉がいいかどうかは別として、しかしそれは駄目だということで今回と。今回、こういう法案をお出しになるについては、更に一元化の状況など組み入れることによって不都合が起きないかどうかを十分検証された、その結果、何もない、不都合がないということで今回の修正ということになったということですが、まあ聞かなくてもいいのかもしれませんが、平成十三年に駄目元で出されたときにはそういう検証はしていなかったんですか、それでは。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 平成十三年にもうそれが動く、もう国会に上程されるという段階でそういうことをやったわけではございませんで、そういった当たり行為というものはそういった動きが出始めたときにしたものである。したがって、その後もしこれが受け入れられるということであれば、その過程でまた私どもの方は併せてそういった検討を、検証を行ってきた、こういうふうに、こういうスケジュールでやったというふうに御理解いただければというふうに思います。

○江田五月君 定員法の方はその程度にして、裁判所法の改正について伺っておきます。

 まず、幾つか法文、条文上のことを伺いますが、この十四条の三ですね、これは裁判所書記官等々、「裁判官以外の裁判所の職員の研究及び修養に関する事務」、こういうことで総合研修所を作られるということになっておるわけですが、この職員の中にこれは当然速記官というものは入る、これはそう考えてよろしいんですよね。

○政府参考人(寺田逸郎君) 今お尋ねは十四条の二の法案の方だと思いますが、その他の裁判官以外の裁判所職員の中には裁判所速記官はもちろん含まれます。

○江田五月君 失礼しました。十四条の二です。当然含まれると。

 そして、この新旧を比べてみますと、旧といいますか現行の十四条の二は「裁判所書記官及び裁判所速記官の研究及び修養並びにその養成に関する事務」、それが今のような「裁判官以外の職員の裁判所の職員の研究及び修養」ということで、「その養成」というのがなくなっているわけですが、これは養成は、もちろん養成はするんですよね。

○政府参考人(寺田逸郎君) この「研究及び修養」でございますが、文言の意味といたしまして、養成そのものを包含するということよりは、むしろ研究及び修養によりまして養成もされるということは当然予想されますので、そういった意味で、法文の意味としてはこの「研究及び修養」には養成も含まれると言って差し支えないと思います。

○江田五月君 何だか禅問答みたいな感じもちょっとありますが、現行で「研究及び修養並びにその養成に関する」と書いてあることと、今度の改正で「研究及び修養に関する」と書いてあることは、これは同じ意味だと、同じ内容のことだと考えていいのですか。それとも、何か内容が変わるんですか。

○政府参考人(寺田逸郎君) これは、結論としては内容は変わりません。御承知のように、現行法は司法研修所で一般の事務官に相当する方々の研究等を行っておりまして、それとは別に、個別の形で書記官研修所で書記官と速記官のものをやり、それから家庭裁判所の調査官については家庭裁判所調査官研修所でやるというふうに、そういう個別の方式を取っていたわけでございます。そのために養成という、つまりあるものでないものからあるものにするというものを特出しで規定していたわけでございますが、今度の総合研修所ではこのすべての裁判官以外の職員についての研究、修養するということでございますので、あえて養成ということを言わなくてもその一部には養成というものが含まれるという形で行うことは可能ですのでそういう規定の仕方をしたわけでございます。

○江田五月君 職員には速記官も含まれる、そして今の研究及び修養ということの結果、養成ということは当然結果として行われるということで、この十四条の二の改正によって、今、いつからでしたか、裁判所では裁判所の速記官の養成というものは中止をされているんでしたね、たしか。その中止をしていることをそのまま法律上、後付けするとかあるいは裏付けるとか、あるいは逆に速記官の養成ということもこの中にあるからもう一遍速記官の養成を再開するとか、そういうこの法律の規定が直接速記官の養成ということに、中止をするとかあるいは再開するとかということにつながるという、そういう論理的な必然性というのはあるんですか、ないんですか。

○政府参考人(寺田逸郎君) 今回の改正は、あくまで速記官補という官職を廃止すると。これは、裁判所の方で速記官補という官職を採って、そういう方の中から速記官を養成するということをかつてなさっておられましたが、それは委員の今の御説明どおり平成九年からそれを行わないという形で、現在は速記官補という官職は全く使われておりません。その使われていない官職を廃止するという形式的なものでございまして、これで速記がどうなるかあるいは速記官がどうなるかということには直接影響を及ぼさないものだと思っております。

○江田五月君 今の御説明は六十条の三を削るということに関することだと思うんですが、今の十四条の二の規定の改正、これも速記官の養成について論理的に法律上何かの結論に結び付くというものではないということだと思うんですが、いかがですか。

○政府参考人(寺田逸郎君) 法律の規定上はおっしゃるとおりでございます。

○江田五月君 それでは次に、六十条の三のことを伺いますが、この裁判所法の一部を改正する法律案というものでは、わずか十文字、丸を入れて、「第六十条の三を削る。」と。それだけのことで、中身は速記官補というものをなくするということですが、これは結構裁判所に働く者にとっては気になる改正なんですね。ところが、この提案理由の説明にはそのことにはただの一字も触れられていない、などの、「など所要の法整備」と。「など」、それだけしかないんですが、これは何か勘ぐってみると、速記官補をなくするということを滑り込ませて、人目に付かないうちに改正をしてしまおうとしたというようにも勘ぐれないわけじゃないんですが、そういうような不純な動機はあるんですか、ないんですか。

○政府参考人(寺田逸郎君) これは、先ほども御説明申し上げましたとおり、速記官補というもう既に使わない官職を削るという形式的な改正で、先ほど申し上げましたように、速記あるいは速記官を今後どうするかということについての政策的な問題とは別の問題でございますので私どもは「など」という扱いをしたわけでございまして、今、江田委員のおっしゃったような趣旨は全くございません。

○江田五月君 動機不純ではないと伺っておきましょう。

 この削除で速記官補という官職はなくなると。しかし、もちろん速記官がなくなるわけではない。しかも、速記官の研究、修養、その結果、養成ということもこれはあると。そして、伺いますと、家庭裁判所調査官、これは家裁調査官補として採用して、二年の研修を行って家庭裁判所調査官になり、実務に就くと。一方、速記官の方は、事務官として採用して、二年の研修で速記官補になり、実務に就いて、さらに半年の実務体験を経て試験を受け、合格して、もっとも不合格になった人はいないということのようですが、速記官になると。したがって、速記官補という官職がなくなっても、今これをなくするという修正なんですが、なくなっても、家庭裁判所調査官のような養成の仕方、すなわち速記官をある期間養成をして、そして直ちに速記官として実務に就けるというやり方は可能なわけで、速記官補をなくするというこの削除の規定から直接に、当然に文理上、法律上、速記官の養成というものはなくなると、そういう論理的必然性はないと思いますが、いかがですか。

○政府参考人(寺田逸郎君) 法律の規定上はおっしゃるとおりでございます。

○江田五月君 さてそこで、やはり速記官の養成停止と、速記官の新規養成を中止をした最高裁、平成九年、これはやはり若干の議論はしてみたいんですけれども。

 私は、職員、裁判所職員をどういう制度にするか、あるいはその養成とか配置とか、こういうものは基本的に司法行政に属するものだと思っています。司法の独立というのは憲法上の大原則で極めて重要で、まず第一義的にはそういう職員の制度をどうして、それをどう運用するかというのは裁判所が決めることだと思っております。しかし、法律で枠組みを決めてそれを実行するという場合には、これは当然その部分については立法マターになること、これも言うまでもありません。その部分は国会が権限も責任も持っておると。

 裁判所職員の在り方について、個別具体的なことについてはこれはもう国会が口を差し挟むようなことがあってはならないと思いますが、制度に関することになりますと、例えば速記官という者を養成するのかしないのかとか、速記官というのはどういう位置付けにするのかとか、そういうことについてはこれは微妙な関係に多分なるのだろうと。第一義的には裁判所が決める。しかし、国会というのがいろんな、国権の中で国民に直接責任を負っていると、国民から直接選ばれた議員によって成り立っていると、これもまた間違いないことであって、裁判所の方はそういう意味で国民と直接の関係があるものではないので、そういうことに着目して、憲法は国会を国権の最高機関であるというように書いてあるわけですね。

 そこで、そういう司法行政に属する様々な制度問題というのは、国会としても国権の最高機関として関心を持ち、いろいろ物も言います。言いますが、同時に、司法の独立を害するようなことにまでなってはいけないというので、事柄によって両方が節度を持ちながらお互いに対話の関係を作って、そして両者の立場を尊重しながらいい対話の関係でいい制度にしていくということかなと思っておるんですが、これはどうお考えになりますかね。最高裁判所の方ではどうお考えでしょうか。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 非常に難しい問題かと思いますけれども、今、議員、委員おっしゃったとおり、司法権の独立というものが認められており、これを実質化するものとして、司法行政権というものも憲法上最高裁判所が持つというふうに明記されております。例えば、それを人事面で明らかにするものとして、裁判所職員については最高裁判所が人事院権能を果たすということで、いわゆる行政官庁と違い、人事院傘下とされていないところもその表れでございます。

 そういう中で、国会の方からはどういうような、どういう関係で裁判所に対して物言いをし、裁判所がそれをどう受け止めていくかと、こういうお尋ねかと思いますけれども、基本的には、裁判所は独善に陥ってはなりません。司法行政でいかに司法権が独立である、自律権を持っているからといって独善に陥ってはいけない。そういう意味では、裁判所が取ってきた施策につき、国会の方から国民の視点に基づきこういう考えもあり得るではないかというような視点を指摘あるいは御提起をいただくということは、これは非常に有り難いことであります。裁判所も、そういったときに、裁判所の自律権というところにあぐらをかくわけではなく、謙虚にそういった視点も踏まえた上で、最終的には自分たちの責任で判断をさせていただくと、こういう意味での言わばいい緊張関係というものが司法と国会の間にあるべきものではないかな、こういうふうに思っております。

 ただ、これは司法行政ということで簡単に申し上げましたけれども、司法行政の中には個々の裁判事務に直接関係してくるというようなものもございますので、その辺の程度というものは、やはり委員御指摘のとおり、節度を持ってやっていかなければ、お互いにやって考えていかなければならない問題かなというふうに思いますが、これまでのところ、国会の方からは、あるいは私どもの方も、その辺のところは適切に対応させてきていただいているし、対応いただいてきているんではないかと、こういうふうに考えているところでございます。

○江田五月君 そこで、平成九年に最高裁の裁判官会議で速記官の養成中止を決定しておられる。これは最高裁の司法行政上の政策決定であると思います。立法府としてもそれを尊重すべきものだと思います。

 しかし、どうもその政策決定に当たって、主権者である国民の意見が十分に反映されたのかどうか。どうもいろんな議論がなおあって、一つに、一に帰することになっていないような感じも受ける。衆議院の方で速記官の関係について小林千代美さんが細かな質問をいろいろしておられます。これはこれで私はなかなか聞きごたえのある質問であり、また聞きごたえのある答弁もされておると思うんですけれども、もう直ちに中山さんの答弁について、執務の時間のことであるとか、あるいはいろんな速記の方法であるとか、あるいは速記以外の音声認識技術の可能性であるとか、いろんなことについて現場におられる皆さんから疑問や反論が私どものところにも寄せられておるんで、これは司法行政のことですから一々細かく言いませんけれども、そうでない一般の行政のことであったら、私ども、ここでもっともっと細かくいろいろつつかなきゃならぬ問題が山ほどある。

 そういうことについて、最高裁判所として、司法行政をつかさどっている立場の者として、そういう意見を十分そしゃくをしながら、よりいいものにしていく努力というのをされているのかどうかということを、そのぐらいは多分聞かせていただいてもいいと思うんで、お尋ねします。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 平成九年の二月に速記官の養成停止を裁判官会議で決定いたしました。しかし、その間、卒然としてそういった決定を行ったわけではございませんで、たしか平成五年の夏ころから、それこそ速記官の職種も含め、検討してきた結果であります。

 当時、裁判所においては、バブル崩壊による民事事件、民事事件の増加が非常に顕著になってきており、逐語録の需要というものは非常に多くなってくるだろう、今後右肩上がりに上がっていくだろう、そういう中で、現在の速記官の体制でそれに応じていけるかどうか、これが問題の発端でございました。

 しかし、その検討を単に裁判所当局側がやっていくということになりますと、それは一つの職種に大きな影響を与えるということでありますので、当時、職員団体の委員長経験者とかそういった方、この方たちは速記官でございますが、速記官の方に最高裁の中に入っていただき、現在の速記をめぐる客観的な状況とそれから将来に向けての展望、いったん速記官を養成して雇うということになりますと定年まで速記官として雇わなければならない、今から四十年間雇わなければいけない、そういったところも踏まえて更で検討していただきたいと、こういうことをやりました。

 その結果、今の録音技術の発展というところをかんがみれば、昭和三十年代に、三十年に速記官制度を作ったときとは全く格段の進歩があるということで、録音反訳ということが裁判に使えるかどうかということをきちんと検証してみましょう、こういった提言をもらい、全国で二千時間、二千について録音反訳を行い、これを反訳して、これをすべてのデータを弁護士会に提供し、また職員団体にもすべてのデータを提供し、問題があるようであれば指摘してもらいたいというような検証を経て、これは使えるということになり、今後の逐語需要の増加に対してはこちらを主として考えていかなければならない。さらに、今後のOA技術等の発展等を見ますれば、それはやはり速記官というものが今後ずっとそのままできるかどうかというのは非常に不安定な状況にあるというような提言があり、それを受けて職員団体とも十分交渉をしながら、平成九年二月の裁判官会議で養成停止を決めたということでございます。

 当時は、国会でもたしか質問があったんではなかったかなというふうに思っておりますので、決して国民的な視点というものをないがしろにしている、あるいは内部の一部の人たちの声、そういったものをないがしろにしているということはないというところは御理解いただきたいと思います。

○江田五月君 そのような経過ももちろんあると思いますが、それでもなおいろいろな声があるわけですね。もちろん、それはいろんな人がいていろんな声があるのは当たり前のことでありますが、問題は、この速記官の皆さんが自主的に「はやとくん」あるいはステンチュラというような、この職務の遂行方法の改革、改善というのを一生懸命やってきておること、これはやはり事実だと思うんですね。そういうその職員の皆さんの職務を遂行するに当たっての努力を一体どういうふうに受け止めるかというのはなかなか難しいことでありますが、少なくとも一部の速記官には、裁判所のその責任者の方の対応が、おまえたちは余計なことをするなと、むしろ迷惑がられたというように受け止めているような、そういうことも出てきているように思うんですね。

 これは、やっぱり余り人事行政上賢明な、賢いやり方だとは思えない。部下の皆さんが真摯な努力をしていることに水を掛けるというのは、職員の士気が上がらないことにつながってしまう。そういう状態は良くない。いろんな自助努力というものを最高裁として、どちらかというとどうも無視をしてきたと、そういうふうに受け止められていることについて、これは何か感想ありますかね。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 平成九年の二月に停止をするに際しまして、既に衆議院の方でお答え申し上げておりますけれども、今後、残る速記官の人たちにはきちんと裁判所内でやりがいを持って働けるような環境作りに努めたい、最大限の努力をすると、こういうふうに約束したところでございますから、仮に、そういうような白眼視されているとか、あるいは余計なことをしているというふうに思われているのではないかというふうに思っている人が一部にでもいるとすると、それは残念なことであります。

 ただ、「はやとくん」あるいはステンチュラの問題というのは、その労は多といたしますし、やっぱり敬服するところもございますけれども、他方で速記官には立会い時間の問題もあり、これを増やすということについて必ずしも速記官内部で全員が一致してということになっているわけでもございません。

 そういった例えば「はやとくん」のような効率機器というものについて最高裁が理解を示すということは、取りも直さず、そちら側をやっている方にとってはいい話ではありますけれども、他方でそれが事件増に、時間増につながるのではないか、そうするとまた頸肩腕症候群等の病気が出てくるのではないかと、こういうふうに負担を感じる層もいることも確かでございますし、また速記官に対する処遇ということを考えましたときに、効率的に立会い時間を非常に増やしている人たちに対して同じでよいのかどうか、ほかの人たちと同じでよいのかどうかというような問題も起きてくることになり、その辺、速記官の中に二層化を招くということが本当に裁判所の組織としていいことなのかどうなのか、そういったところも考えなければならない。そういうことで慎重に対応させていただいているというわけでございます。

○江田五月君 私は、今の「はやとくん」あるいはステンチュラ、こういうものに取り組んでおられる速記官の一部の皆さんの努力というのはやはりこれは貴重なことだと、そういう努力というものが何とか生きる方法はないかということも考えなきゃならないが、しかし同時に、裁判の過程を記録に残すというやり方はいろんなものがある。

 訴訟というのは生き物で一つ一つがいろんな個性を持っていますから、そういう方法で逐語訳を残すことも一つですが、私なんかは、場合によってはもう書記官の、あれは何というの、要領調書ですか、要点だけをぱっと書いて残しておく、これ辺りの方がむしろいいというような事件の場合もあるだろうと思いますし、あるいは今そのほかに録音反訳もあるだろうし、あるいは音声認識技術、これも言うほど可能性が高いかどうか、諸外国でどうなっているかなどという検証もしっかりしなきゃいけませんが、そういうこともあるし、あるいはこれから、今はIT技術も非常に進んできているんで、音声とか映像とかでいろんな訴訟の経過を残しておくというようなこともあるだろうし、それより何より、裁判というのは直接主義で口頭主義で自由心証主義ですから、後でいろんな残っている記録をいろいろ精査をしてというよりも、もうその法廷の中で直接にやり取りをし、心証を取り、とりわけこれから裁判員制度が導入されるとそういうことが非常に重要になってくると思うので、そういうような訴訟のプロセスを後に残す方法というのはもっと総合的に、いろんな可能性を真剣に、裁判所の中だけでなくて何か特別のチームでも作って研究をしていかれるようなことを考えたらどうかと思いますが、いかがですか。

○最高裁判所長官代理者(中山隆夫君) 今後、裁判員制が特に視野に入ってきておりますから、そういうところでは正に委員おっしゃるような記録の在り方の検討というのも抜本的に考え直さなければならない、私どもも全く同感であります。

 私は、昔、ある座談会に出まして、調書のあるべきもの、本当に理想的なものは何かということを問われたときに、全部が全部逐語調書ではないと。例えば、証人尋問が始まりますときに、あなたはどういうような経歴の方ですかというようなところからすごく、導入部分というのがすごく長い、そういうところは要旨調書あるいは要領調書で十分なんであります。しかし、肝心の争点の部分、間接事実が何であるかと、そういった機微にわたるようなところはできる限りその調書、逐語的なものが残るのがベストである、本当はそういったものが一番裁判官あるいは関係当事者にとっても有り難いものである。

 しかし、残念ながら、これまでは書記官による要領調書、他方、速記官による逐語調書、録音反訳による逐語調書、こういうふうに大きく二つに分けられ、それらの混在型というのはなかなかできないというようなことでありました。録音反訳のときに、実はそういったことを考えられないかということも思考してみたんですが、なかなかそれもうまくいかなかったのが実態であります。

 そういう中で、例えば日本の刑事裁判をもう一回こうやって見てみますると、精密司法と言われ、それはそれとして正しかったものもありますけれども、やはり行き過ぎたところがあるんではないか。そして、過度の精密司法ということになってきたその根幹、最大の原因は書証依存にある、供述調書依存にあるというところだったと思います。

 戦後、アメリカの当事者主義が入ってきて、そこで、恐らくドイツの大陸法、アメリカの、ドイツの参審、これは大陸法でありますが、それからアメリカの陪審も片っ方にあり、日本はその中間形態でいくだろう、相当口頭弁論主義というものが実質化するんではないか、こういうふうに各学者、先生方は大いに期待をされたというところがございます。ところが、実際にはどういうふうに今なっているかというと、むしろドイツは、一見職権主義で供述調書を大事にしているようでありますが、かなりの部分は実は証人尋問でやっている。これだけ書証に依存しているというのは、むしろドイツ、アメリカが向こうの極にあり、日本がこちらの極にあると、こういうような状況であります。

 裁判員制が入りましたときに、裁判員に対して、これだけの書証を法廷に積み上げてそれを全部読んでくれというようなことは、これはとても無理であります。もうそれだけでもう出てきたくありませんと、こういうようなことになります。そうなりますと、法廷で、そこで心証を取り、その心証がビビッドなうちに反対尋問を行う、そしてその上で、その証言が終わったときに中間評議をして、それを皆の中に、問題点はどこだった、今のところはこういうような心証だなということを押さえておかなければならない。そうなってきますと、その逐語調書の在り方あるいは記録の在り方というのは大きく様変わりするだろう。今後、記録というものは、上級審においてその重要性というものはそれは変わりませんけれども、少なくとも一審においてはその重要度というのは相対的にかなり下がってくるんではないだろうかと。

 また、仮に、これも今後また検討していただかなければなりませんが、個人的な思い付きでありますけれども、音声認識技術というところを踏まえての話でありますが、例えば裁判員の方がどうしても抜けざるを得なくなって更新手続というようなものを今からやるということを考えたときに、調書を全部読んでもらうというようなことになりますとまた元に戻ってしまうことになります。そういったときには、むしろ江田委員から御指摘いただいたように、映像も含めてそういったものを残しておく、それによって何とかその直接主義、口頭主義というところを担保すると、こういった制度設計というものも十分考えられるんではなかろうかというふうに思っているところでありますし、そういったことも踏まえてこの問題というのは考えていかなければならないと、こういうふうに考えているところでございます。

○委員長(山本保君) 江田委員、時間が来ております。簡潔にお願いします。

○江田五月君 もう時間が来ておりますので、最後に法務大臣、今、司法制度改革真っ最中ですが、司法制度改革の中には大きなこともあるけれども、こういう小さな、しかし非常に重要なこともあるので、ここは法務大臣の緊張感というのが一番大事だと思いますが、覚悟のほどを聞かしてください。

○国務大臣(野沢太三君) 江田先生には、これまで司法の専門家といたしまして様々な貴重な御提言をちょうだいいたしまして、私もこれについては大変敬意を表している一人でございます。今回の司法制度改革におきましても、是非ともその御識見を生かして御提言をちょうだいいたしますことを私ども期待をいたしております。よろしくお願いしたいと思います。

 司法制度は、いわゆる近代国家の基本であります法の支配、これは人の支配とかあるいは習慣の支配ということではなく、法によりその罪を決め量刑を決め、そして社会の健全化を図るという、これを現実化するものとして極めて重要なものと認識をしておるものでございます。特に、国民の権利の実現を図り、また基本的な人権を守り、安全な国民生活を維持するためにも、もうこれなくしては国が成り立たないと、かように心得ているわけでございますが、特に二十一世紀に入りまして、我が国の社会も、いわゆる社会の複雑化、多様化、国際化ということに加えまして、規制緩和等の改革により自由な社会活動あるいは経済活動をやりながら事前規制から事後チェックに移行していく社会様体にしていかなきゃいかぬと、かように考えまして、これによって、今度の司法制度の改革というのは極めて大切な役割を持っていると考えておるわけでございます。

 司法制度を所管する官庁の責任者といたしまして、国民の皆様にとってより身近で分かりやすい司法制度の構築に向けて全力を尽くす所存でありますので、どうぞよろしくお願いします。

○江田五月君 終わります。


2004/03/18

戻るホーム主張目次会議録目次