2001/05/31

戻るホーム主張目次会議録目次


151 参院・厚生労働委員会

10時から、厚生労働委員会でハンセン病問題の集中審議。10時35分から11時55分までたっぷり80分、らい予防法とハンセン病行政の評価、判決の受け止め方、反省と謝罪、今後の対策などにつき、岡山訴訟で原告が求めている謝罪文も読み上げ、主として坂口厚労相に全力投球で質問しました。坂口さんは明日夕刻、原告の皆さんと会うそうです。予防法が憲法違反だという認識を示されなかったのが残念です。


○江田五月君 私は、今から二十四年前、一九七七年に本院、参議院議員に当選をさせていただきました。そのときから一貫してこのハンセン病問題に取り組んでまいりました。きょうは、大変重要な節目に同僚の皆さんの温かい御理解をいただいて、この厚生労働委員会で質問をさせていただく、心からまず委員長初め皆さんにお礼を申し上げます。

 実は、最初に参議院に当選してきたときには全国区という制度がございまして、全国区で当選をしたんですが、私の郷里は岡山県でございました。その後、衆議院の方に移り、また現在、岡山県選出で参議院議員になって、岡山県に存在します二つの国立療養所、長島愛生園、そして邑久光明園、ここの皆さんとは本当に親しくおつき合いをさせていただいております。

 私は、本当に頭が下がる思いなんですが、大変な、もうそれこそ筆舌に尽くしがたい人生の辛酸をなめてこられた方々ばかりで、お話をしていても、それは昔を思い出したらはらわたが煮えくり返るなんてことでは済まない。しかし、本当に皆さん穏やかに思慮深く、バランスのとれた抑制された表現でいろんなことをお話しになる。立派な皆さんだなと思っておりました。

 この問題、私の政治活動の原点でもあり、またライフワークでもある。そうしたこともあって、国家賠償訴訟が起こされてかなりたって、いよいよ熊本で一部結審になり判決が出るということになってからなんですが、大変遅かったと思いますが、ことしの四月五日に、自民党から共産党まですべての政党の皆さん、無所属の皆さんにも入っていただいて、超党派の国会議員百一名でハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会、こういうものをつくりました。現在では原告の皆さんも今どんどん数がふえているようですが、こちらの議員懇談会も結構数がふえてきておって、百九十名を超えているかと思いますが、その会長を務めさせていただいております。

 既に御承知のとおり、五月十一日、熊本地裁の画期的な判決が出た。政府の行政責任、さらに国会の立法不作為責任が厳しく指弾をされた。長年この問題に携わってまいりました私などは、どうも最も実は重い立法不作為責任を問われたのではないかと思います。私自身、らい予防法はおかしいということは、もう随分早くからわかっておりました。何とかこれを廃止することができればと思っていたけれども、その運動にまでなかなか踏み出すことができなかった。これは本当に、患者、元患者の皆さんに心からおわびをいたします。

 それだけに、小泉総理の控訴をしないという今回の決断、大変にありがたく、高く評価をし、感謝もしており、感謝どころか、ある意味では感激、感動したと言ってもよろしい。また、坂口厚生労働大臣、本当に心をお痛めになったと思います。本当に御努力をされたと思います。小泉総理にあの決断をさせるにつき、坂口大臣の御努力というのは、私は本当に心から敬意を表します。本当にありがとうございました。

 あとは、もう一刻も早く患者、元患者の皆さんへの政府と国会の謝罪、人権と名誉の回復、差別と偏見の除去、あるいは十分な賠償、生活の保障、福祉の増進、既に亡くなられた方々のお墓の問題なども含めた最終解決をしなきゃならぬ。

 残念ながら、どうも必要不可欠な国会決議が自民党執行部の皆さんの頑強な抵抗で実現の見通しが立たない。本当に残念ですが、私たち野党としては、せめて私どもがこうだと思う国会決議の案文を共同アピールとして患者、元患者の皆さん、また国民の皆さんにお示ししなきゃならぬと思ったりしております。

 前置きが長くなりましたが、これから厳しいことも申し上げますが、私の気持ちは過去を直視しながら一刻も早く全面的な最終的な解決を実現するという一点でございますので、どうぞお許しをいただきたいと思います。

 さて、判決、五月十一日の午前十時の言い渡しですが、坂口大臣、この判決の第一報というのはどこでお聞きになりましたか、どういう形で。

○国務大臣(坂口力君) たしか、委員会をどこかでやっていたというふうに思っておりますが、その途中でこの判決の、詳しいことは別にいたしまして、大体こういう判決が出たというニュースを聞いた次第でございます。

○江田五月君 私は、実はちょうどその日、十時から本会議が参議院でありまして、携帯電話をぷるぷると震える音の出ないモードにしていたら、十時ちょっと過ぎに震えまして、見ると、本当に短くですが原告勝訴という字が入っておりまして、本当に胸が震える、一番先に震えたのは携帯電話ですけれども、本当にそういう思いがいたしました。これは本当に、ここで司法が一歩踏み出した、中身までよくわかっていませんが一歩踏み出した、あとは立法も行政もしっかり踏み出して解決をしなきゃならぬ、大変な転機といいますかチャンスが来たということを感じました。

 この瞬間、これは控訴をしてもらっちゃいけないと、こう思いましたが、坂口大臣はそのときにどういう感想をお持ちでしたか。

○国務大臣(坂口力君) まだそのときには全体の内容もわかっておりませんでしたから、一度これは内容をよく拝見させていただいて、そして考えなければならないなというふうに実は思っておりました。

 と申しますのは、ことしの一月でございましたか、元厚生省の局長さんでした大谷さん、今、藤楓協会の理事長さんでございますが、大谷さんがこの一月にお見えをいただきまして、そのときに、こういうことを申し上げていいかどうかわかりませんが、大谷さんは必ず国は負けるだろうということを予言されました。それで、坂口さん、この本を読んでほしいと言って、大谷さんが書かれました詳しい本を二冊ちょうだいいたしました。以後、私はいろいろの本を読ませていただく中で、このハンセン病に対するさまざまな出来事、日本の中におきます歴史あるいは世界におきます歴史、そうしたことを勉強しながらと申しますか、蓄えながら迎えていたわけでございます。

 したがいまして、漠然とした形ではございますけれども、やはりこの裁判が決着をするこの時期に、何とかして日本の中におけるハンセン病の問題をトータルで決着できないだろうかという思いをそのときまでに持っておりましたから、勝つ、負けるということは別にして、何とかそこの辺のところで全体として解決をする道を探れぬだろうかという思いでいたことは間違いございません。

○江田五月君 その後、判決の細かなことまでわかってくると。確かに行政担当者の皆さんから見ると、ああも言いたい、ここも反論したい、いろいろあるだろうと思いますが、トータルに考えて、やはりハンセン病行政というのが大変な苛烈な、過酷な運命を患者の皆さん、元患者の皆さんに与えたと。しかし、それは感染力も弱い、発症力も弱いものであった。国際的にもああいう過酷なことをするなんということは到底認められるものではなかった。そういうことがずっと続いていて、しかも社会に本当に、先ほど大臣おっしゃいましたが、抜きがたい差別、偏見を植えつけてしまっていて、これをこのままにしちゃいけないということだったと思います。

 そうした全体的な評価、判断の上で、患者の皆さんの平均年齢もあります、ここで解決をしなきゃいけないという、方法は考えるとしても、そういう思いを大臣がお持ちになったというのは本当に敬服をします。

 その後、大臣、控訴するかしないか熟慮期間中に患者の皆さんにお会いになりましたね。いろんな話を聞かれたと思いますが、今、判決確定。それで、これからさあどうすると。私は、やはり一番重要なことは当事者の皆さんの声を聞くこと、これがやっぱり一番重要で、当事者の皆さんの声抜きにいろいろ考えたらやっぱり間違うと。もちろん、政策判断、当事者の言うとおりというわけにいかないでしょう。しかし、やっぱり声を聞くというのは大切なことです。

 そこで、これからどうするということを考えるに当たり、坂口大臣にぜひ患者の皆さんにお会いをいただきたい。いろんなことを聞いてほしい。むしろ、大変恐縮な言い方になりますが、教えてください、聞かせてくださいというような思いを持って聞いていただきたいと思うんですが、あすですか、何か予定になっているんですか。ちょっとそのあたりのところを聞かせてください。

○国務大臣(坂口力君) 判決が出ました翌週の月曜日でございましたか、原告団の代表の皆さん方にはお会いをさせていただきまして、そしてそこでいろいろお伺いする機会はございました。しかし、そこでは短時間の間にお話を聞いただけでございますし、多くのお話を聞いたわけではございません。しかし、短時間ではございましたけれども、この今まで大変な御苦労をされた数々のお話を伺うことができまして、本当にこの皆さん方に何とかおこたえをしなければならないという強い思いを持ったことは事実でございます。

 そして、そのときにおわびを申し上げましたが、控訴をしないということを決めてからおわびは聞きたいと、こういうそのときにお話がございました。そのときにはまだ決定していないときでございましたから、そのままになっております。

 したがいまして、一応この裁判に対する決着がついたわけでございますから、早く一度お会いをさせていただいて、原告団の皆さんとのお話、それから、その後、原告団だけではなくて全体の療養所にお入りになっている皆さん方の代表、そうした皆さん方ともお会いをさせていただく予定をいたしておりますが、現在まだ日程は決まっておりません。ただ、原告団の皆さん方とはあすの夜、夕方でございますか、お会いをさせていただくようにいたしているところでございます。

○江田五月君 どのようなお気持ちで何のためにお会いをするかというのは、今お話しになった内容ですよね。判決確定後、確定前におわびもしたが、この確定後という機会に。

 これは、おわびをされるというお気持ちでよろしいですか。

○国務大臣(坂口力君) 心からのおわびを申し上げたいと思っております。

○江田五月君 今、原告団の皆さんとと言われて、その後、他の多くの療養所におられる皆さんのことに言及をされました。そして同時に、大臣、除外するという意味じゃないんでしょうが、療養所に今おられるのでない患者、元患者の皆さん、元患者と言った方がいいでしょうか、皆さんがおられますので、この皆さん、つまり、らい、ハンセン病罹患の経験を持って、いろんな形で差別、偏見に苦しんだ皆さん方をもうすべて視野に入れてこれから取り組むと、そういうお気持ちでこれはよろしいですよね。

○国務大臣(坂口力君) そのつもりでおりますが、全体の代表の皆さんというのはどの方をもってその代表になるのかということが私も十分にわかりません。したがいまして、社会に出て御活躍になっている皆さん方も多いというふうに思いますが、全療協でございますか、その皆さん方に代表してお会いをするということで全体の皆さん方にお会いをするということにかえることにならないだろうかと今思っている次第でございます。

○江田五月君 そういうお気持ちでということで、私は気持ちが通ずると思っております。

 さて、控訴をしないということの意味なんですが、小泉総理は五月二十五日の内閣総理大臣談話、これは聞くところによりますと総理大臣の談話ではなくて内閣総理大臣談話、つまり閣議決定をされた談話だというように聞いておりますが、その中で「患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率直にお詫びを申し上げるとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼の念を捧げるものです。」と、こう述べられて、反省とおわびをされました。

 坂口大臣は、公式の文書の形で謝罪をされるという、そういうお考えはございませんか。

○国務大臣(坂口力君) あすのところは口頭でおわびを申し上げたいというふうに思っておりますが、文書で必要であると患者、元患者の皆さん方が、原告団の皆さん方がそういうふうにおっしゃるのであれば、後で文書にしたためさせていただきたいというふうに思います。

○江田五月君 坂口大臣は、判決を受けた後の記者会見などでもいろいろお話になっておられて、それはもちろんその言葉がそのまま字に変わっているだけですが、おっしゃられているものは既に、文書としておっしゃられた言葉はずっと伝わっておりますが、やはり何か患者の皆さんがどうお考えになるか、私も別にそこまで相談しているわけじゃありませんが、必要ならお出しになることもお考えをいただきたいと思うんです。

 というのは、熊本の今度の判決の請求はこれは金銭賠償の請求だけなんですが、実はその他の訴訟、岡山とか東京とかでは謝罪広告を求めておられるんですね。

 謝罪文というものがありまして、ちょっと長いんですが、私もこれぜひひとつ国会の会議録にこういうものがあるということの記録にとどめておきたいという思いもあって読んでみたいんですが、これを配ってください。
   〔資料配付〕

○江田五月君 求めている謝罪文、裁判で正式に求めている文書です。ちょっと言葉はきついかもしれません。

    「謝罪」
  ハンセン病患者を終身隔離する国の誤った医療政策により心身に癒しがたい傷を受けられた患者・元患者の方々とそのご家族の皆様、そして療養所に収容され望郷の想いむなしくその納骨堂に眠る数多(あまた)の霊に心より謝罪いたします。

一 ハンセン病が「恐ろしい伝染病だ」というのは明らかな誤解です。

  かつて「癩」(らい)と呼ばれたハンセン病は、らい菌による感染症ですが、感染しても限られた人しか発症せず、しかも自然治癒さえ期待できたのです。このことは、最初のハンセン病の隔離収容法「癩予防ニ関スル件」の制定(一九〇七年、明治四十年)のときから専門家の間ではよく知られていました。さらに戦後ほどなく特効薬・プロミンが登場すると完全に治る病気となりました。医学的にハンセン病は強制終身隔離を必要とするような危険な病気ではなかったのです。
今の亀谷先生の御質問のお答えでは、プロミンではまだ完全に治るというところまでいかなくても、その後、多剤併用ということになって完全に治るということになったということかもしれませんが。

二 国のハンセン病政策は、患者の心身を癒すべき医療政策とは言えないものでした。

  一九三一年(昭和六年)「癩予防法」を制定し、すべての患者を療養所に強制隔離することを決めました。療養所は治療と静養の場であるべきにもかかわらず、患者には重症者の看護・介護を行う「付き添い」などのさまざまな労働を強制し、そのことが多くの患者の症状を悪化させ、死期を早め、あるいは手足の切断、失明など重い障害を残す大きな原因となりました。また「子どもがほしい」と願う患者の声に耳をかさず、違法な断種や堕胎などを強制しました。
  そして国は、こうした非人道的な処遇に反発する患者を監禁処分など力で封じ込める方針を選び、監禁施設では多くの死者まで出す結果となりました。

三 さらに強制隔離を推進するため、いろいろな手段でハンセン病に対する恐怖感を煽(あお)りました。

  療養所に収容される患者宅をことさら目立つように行った消毒、「お召し列車」と呼ばれた特別仕立ての患者輸送列車などで、ハンセン病に対する国民の差別感情を増幅し、収容を容易にするために利用しました。
  そして戦前の挙国一致体制に合わせ「民族浄化」「国辱一掃」などのスローガンのもとに「無癩県運動」を展開し、患者の排除に一層の力を注ぎました。

四 国のハンセン病政策は、憲法に違反しかつ国際的な政策の主流から外れたものでした。

  このような国のハンセン病政策は人道に反し、憲法に違反することは明らかです。戦後、そのようなハンセン病政策の転換を求め患者運動が高まりを見せましたが、一九五三年(昭和二十八年)に戦前の終身隔離政策を引き継いだ「らい予防法」を制定しました。その直後からWHOなどから法廃止を勧告されていたにもかかわらず一九九六年(平成八年)の「らい予防法」廃止まで政策の基本方針を変えませんでした。

五 国の誤ったハンセン病政策により、ハンセン病に対する差別・偏見は社会の隅々まで浸透しました。

  療養所で暮らすことは、ほとんどの場合、肉親との絆が断たれることを意味しました。累が及ぶのをおそれて大半の患者が肉親との縁を切り、本名を捨てました。今も在園者の多くは肉親の絆を失い、帰るべき故郷を持たず、死んで後も納骨堂に眠るしかない状況に置かれています。さらに病気が治っても社会復帰は容易でなく、ほとんどの人が療養所の生活を余儀なくされています。
  差別・偏見の壁はそれだけでなく、「らい予防法」が廃止された今も患者・元患者の家族、親族は結婚、就職、葬祭などあらゆる生活の局面で深刻な被害に苦しんでいます。
  これらのことは国の政策が招いた結果であり、すべてのハンセン病患者・元患者、そしてその家族の皆様に重ねてお詫びいたします。

六 国は深い反省と責任に基づいて償いをします。

  国は過去の施策に対する反省と責任に基づいて、ハンセン病患者・元患者の皆様がその選択により社会で、あるいは療養所で安心して暮らせるよう療養、就労、社会生活のすべての場面において、万全の償いをすることを誓約します。併せてあらゆる社会的差別を根絶するための労を惜しまず、患者・元患者の皆様が人間としての尊厳を回復するよう国として最大限の力を尽くすことを約束します。
     内閣総理大臣 
     衆議院議長 
     参議院議長

と、こういうことを原告の皆さんはお求めになっています。

 この訴訟では国は請求棄却を求めておられるわけですが、しかしこういう謝罪文の入っていない熊本の判決では認容額は請求額のざっと十分の一です。本当にわずかなものです。訴訟費用負担はその八分の七を原告に負担せよと裁判所は命じている。そういう判決で、決して患者の皆さんだけ勝たせた判決ではないんです。八分の七は原告に訴訟費用を持たせている、そういう判決なんです。

 この謝罪文を一読されての坂口厚生大臣の思いを、このことについてお話しいただきたいと思います。

○国務大臣(坂口力君) これを今初めて拝見をし、そして江田先生がお読みになるのを聞かせていただきながら、一つの大きな歴史の流れとして、ここに書かれてありますことはこのとおりであったのだろうというふうに私も思う次第でございます。

○江田五月君 ありがとうございます。
 もちろんこの言葉の部分部分では、ここはちょっと証言違うなというようなところはあるかと思いますが、ひとつこういうような趣旨のこと、差別、偏見、なくならないです。あれだけ、私は本当にあの判決は、私も法曹関係者でいろんな判決をこれまで見てまいりました。自分でも判決を書いたこともありますが、あの判決ぐらい日本の司法の歴史の中で国民に訴える力を持った判決はこれまで見たことがない。この差別、偏見、本当になくならない差別、偏見をなくすために司法があの大変アピール度の高い判決を出したわけで、それでもまだまだ簡単になくなっていかない。これは、衆議院でも大臣はお答えになっているようですが、継続は力なりという言葉も使われておりますが、繰り返し繰り返しあの差別、偏見を解消する努力をしなきゃいけないと思うんです。これは本当に大切なことです。

 そこで、この岡山の原告団の皆さん、岡山地裁に提訴されている原告の皆さんは、今のこの謝罪文を新聞とかテレビ、ラジオとかで三カ月に一回ずつ合計四回掲載あるいは放送してくださいということを求めております。新聞の場合は紙面を買わなきゃいけません。しかし、テレビの場合は、政府のたしか政府広報というのがありますね。ああいうところでもひとつ、総理においでいただければ一番いいかもしれませんが、大臣、お出ましになって国民の皆さんに直接お訴えをされたらどうでしょうか。

○国務大臣(坂口力君) これから、どのような啓蒙活動があるのか、そして患者、元患者の皆さん方に対して反省とおわびをし、そして、今まで偏見、差別というものが行われてきた、それは全くの誤解に基づくものであるということをどう知っていただくかということについて、どういう方法がいいのかやはりよく検討しながら、先ほど紹介をしていただきましたように繰り返し繰り返しこれはやはり行っていかなければいけないというふうに思っております。

○江田五月君 本当にぜひいろんなことをお考えいただきたい。そのうち忘れるだろうではいけませんよね。やはり差別、偏見というのはいろんな形で繰り返し私たちの人間社会で起きてきます。次は何で起きるかわかりませんが、繰り返し起きてくる。やはりこういうハンセン病についての差別、偏見の歴史があったという、これをしっかり、先ほども話がありましたが、検証し、そしてその差別、偏見をなくする努力を精いっぱい尽くすことが次の差別、偏見を生まない道、一番力のある道ではないかと思うので、これはぜひ御努力をお願いいたします。

 ところで、今、私申しましたように、あの熊本地裁判決というのは本当にすごいアピールの力があった。それは、あれだけの社会に対する訴えを新聞広告、テレビのコマーシャルでやろうとしたら幾ら金がかかるかわかりません。大変なことを司法の皆さんがやってくれているわけです。そこで、これはやはり立法も行政もそういう思いでこの際行動しなきゃいけないと私は思いました。したがって、行政が、政府がこの判決に控訴をしないという、これはそういうある種の積極的な差別解消と全面解決に向けての意欲を持った行動だと、だからやってほしいというふうに思っておりました。

 五月二十三日、小泉総理は控訴しない決断をされた。五月二十五日、内閣総理大臣談話、「敢えて控訴を行わない旨の決定をいたしました。」と書いてある。一方、同じ日の政府声明では「控訴断念」という言葉が使われている。新聞なども「控訴断念」という活字が躍っておる。この点について小泉総理は、本当は控訴をしたかったんだけれども残念ながら諸般の事情から控訴をあきらめる、控訴をするという念をいろんな事情で断するんだという、そういう意味の控訴断念という言葉をあえて小泉総理は使わずに、この際、積極的に控訴をしないという意欲にあふれた行動をとってこの問題の早期かつ全面的な解決を目指したんだと、こういう論があります。田原総一朗さんもテレビやあるいは週刊誌でそんなことをおっしゃっていますが。

 言葉の解釈は別として、坂口大臣、あなたは小泉総理の真意、やりたいんだけれども諸般の事情からやれずに本当に残念というそういう真意なのか、そうじゃなくて積極的意欲を持って控訴しないという行動によって解決をしよう、そういう意思だと、どちらだと思われますか。あるいは、坂口大臣自身はどちらのお気持ちですか。

○国務大臣(坂口力君) 総理のお気持ちをきっちりと聞いたわけではございません。しかし、最初から小泉総理が、この問題についてはやはり自分にフリーハンドを残した形にしてほしい、どちらかの意見にがんじがらめにした形で私のところに書類を持ってこないようにしてほしい、そういうお話が最初からございましたから、私は、今、委員が御指摘になりました控訴をしないという思いが最初から総理のお気持ちの中にあったのではないかと推察をいたしております。これは推察でございますけれども、推察をいたしております。
 私も同様の思いで来たわけでございます。

○江田五月君 積極的に控訴をしないという意欲ある行動をとって、そのことによって解決に向かって進むという、そういうお気持ちだと。総理の方は推測ですが、坂口大臣の方はそういうお気持ちだと。よろしいですか、それは。

○国務大臣(坂口力君) 私の気持ちといたしましては、私は総理とは少し立場を異にいたしまして、やはり厚生労働省という省をお預かりしている立場でございますから。過去のさまざまな問題もございました。その責任感もございます。そして、政治家になります前に私は一人の医療に従事をしていた人間という立場もございます。しかも、公衆衛生というその職にありました一人の人間でもございました。この今までの過去を振り返ってみましたときに、公衆衛生の立場にあります人たちが過ちを犯してきている、隔離政策というものに対して積極的な役割を果たしているということを見るにつけまして、やはり責任の重大さというものを人一倍に痛感してきたということでございます。

○江田五月君 厚生行政の最高責任者ですから、思いはそれは大変深いものがあると思います、過去についても。

 しかし、過去にいろんなことがあったればこそ未来に向けて意欲的な取り組みをすると。過去に引き起こしたさまざまな社会に残った傷跡、傷口、これをちゃんといやして、そういうもののない、差別、偏見のない二十一世紀をつくる、そちらの方がと言うと変ですが、それがやはり行政の最高責任者としての責任、過去にいろんなことがあった、それに責任を感ずる、それならば余計に未来をどうするということについては責任がある立場だと、こうお感じになられませんか。

○国務大臣(坂口力君) それはもう御指摘のとおりでございます。

○江田五月君 そこで、政府声明についてちょっと聞いておきますが、法務省、これは一昨日、法務委員会で同様の質問をしたので簡単にします。

 再確認ですが、政府声明の位置づけなんですけれども、政府声明には「この際、本判決には、」「法律上の問題点があることを当事者である政府の立場として明らかにするものです。」と、こういうことをお書きですよね。この「当事者」というのは、これは訴訟というのは対立する当事者が攻撃、防御を尽くしてそこで裁判所に判断してもらうわけで、そういう被告という当事者の一方にいる者としてこういうことを言いたいよという、そういう趣旨ですよね。

○政府参考人(都築弘君) 御質問のとおりでございます。

○江田五月君 したがって、これはもちろん判決の確定とかあるいは確定判決の効力とかに何らの法的影響を与えるものではない、これはもう当然ですよね。

○政府参考人(都築弘君) 裁判所に対する拘束力は全くございません。ただ、この政府声明というのは閣議において全閣僚の合意により決定されたもので、政府として大変重い意思の表明であると承知しております。

 法務省としては、国を当事者とする訴訟の統一的かつ適正な訴訟追行というのが任務となっておりますので、今後、同種の法律上の問題点が生じました場合には解釈指針になるものと承知しております。

○江田五月君 これはおととい議論したのでもう簡単にしますが、国を当事者とする訴訟で同種の論点、つまり立法不作為とかあるいは継続的不法行為の除斥期間、こういうものが争点になった場合に、政府声明に書いてあるようなそういう主張する立場を国としては留保しておく、そういう意味だと伺ったんですが、それでよろしいですか。

○政府参考人(都築弘君) そのとおりでございます。

○江田五月君 私は、これはもう私の意見ですが、それなら法務大臣の談話ぐらいで済ませて、国が訴訟当事者のときに国を代表して訴訟行為をやるのは法務大臣ですから、法務大臣の談話ぐらいで済ませればいいのに、何で一体政府声明なんて大げさなことをしたのかな、いかにも未練がましいな、往生際が悪いなと、そういう気がしますが、それはよろしい。

 その二つの論点のうちの一つ、いや、その前に、今回の判決は国のハンセン病施策、行政も立法も含めハンセン病施策を不法行為とし、それによる損害賠償について国の法的責任を認めた。そして、国が控訴しないというこれによって判決確定し、国はその控訴しないという決断をすることによってその法的責任を認めたことになる。法務省、これは間違いありませんね。

○政府参考人(都築弘君) 今の御質問でございますけれども、釈迦に説法で恐縮でございますが、確定判決の効力と申しますのは、当事者間において、本件の場合ですと一定の金銭の支払い請求権があり義務がある、こういうものだと承知しております。

 ところで、今回の場合には、先ほど御指摘のような政府声明及び内閣総理大臣の談話があるわけでございます。その点、これが不可分一体となって理解すべきものと承知しております。

 先ほども御質問にございましたように、我々といたしましては眼光紙背に徹すべく、この両声明文と談話とを鋭意検討中でございますし、また国会におかれましては補償立法の議論もされておられるようでございますので、あわせてその辺を見据えた上で慎重に対応してまいりたい、かように考えております。

○江田五月君 眼光紙背にどう徹するのか、なかなかわかりにくいところありますが、金銭債務の場合に、単に金銭の支払い義務というだけではこれは権利関係としては特定できないので、やはりどういう原因に基づく金銭債権なのか。貸し金なのか、あるいはいろいろありますよね、不当利得なのかと。そして、これはハンセン病行政、ハンセン病施策ということに基づく不法行為の金銭債務だ、そういう法的責任が確定されていると。これはよろしいんでしょう。そこは何か問題がありますか。

○政府参考人(都築弘君) おっしゃるように、訴訟物の特定という関係から申し上げますと不法行為に基づく損害賠償請求権である、こう理解してよろしいかと思います。

○江田五月君 不法行為というのはもちろんこのハンセン病関係のことですよね、ほかのことであるわけないんで。それはよろしいでしょう。

○政府参考人(都築弘君) おっしゃるように、今回、原告の方で御主張になっておられますハンセン病問題に関するものでございます。

○江田五月君 もうそこは法的責任論をあれこれ言う段階は通り過ぎなきゃいけない、これはそう思いますので、それ以上言いません。

 あと、この立法不作為責任の関係の議論、除斥期間の関係の議論、いろいろありますが、国を代表する訴訟でこれからそういうことはまだ主張するよというぐらいなことだから、どうぞということで終わりにしましょう、そこは。

 ただ、これは私言っておきたいのは、最高裁判例、判決は「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて立法を行うというごとき、」、「ごとき」の前は例示です。そして、例示を出して「ごとき」として、「容易に想定し難いような例外的な場合」と、こう書いてあるんです。その例示のところをくくって、それに限られますというように政府声明で言っておいて、そしてそこから本件の立法不作為責任はその限られるところから外れているから最高裁判例違反だ、こう言うんですが、しかしその一般則の方に入りますよということを、熊本地裁判決はもう本当に私から見てもしつこいぐらいにそこを一生懸命書いているわけです。政府声明はまさに当事者として勝手な言い分を書いているなということだと。
 この間、おととい議論しましたからやめましょう。

○政府参考人(都築弘君) 御質問でございますので、ここで議論を申し上げることは考えておりませんが、やはり最高裁の判例の理解と申しますか、それは例示にすぎないというお言葉でございますけれども、その部分に非常に含蓄のある説示ではないかと考えております。これは前にもお話し申し上げましたけれども、やはりそこに、その説示によって司法と立法とのバランスが図られているのではないかと、かように考えております。

○江田五月君 これは議論するとまだまだ私もいっぱい言いたいことがあります。例えば私なんかは、らい予防法をずっと放置したことに故意があったんではないかと自分で自分を責めております。しかし、多くの皆さんは過失もなかったと言われるかもしれません。故意があった者は損害賠償責任を負って過失の者は負わないなんて、どうもそれも変だなという感じもしたり、こういう会議体が不法行為を行った場合の関係というのはそう簡単な議論じゃないだろうと思いますが、除斥期間の問題も含め、これはちょっと置いておきます。

 さて、厚生労働大臣、私はぜひこれは一つお願いしたいんですが、総理がああいう決断をされた、厚生労働大臣も法務大臣も一つの決断をされた、そこには思いがあった、そしてもうこれはやっぱり世の中こういうハンセン病についての差別、偏見はなくさなきゃいけないという、そういう強い意欲があった。しかし、そのトップの皆さんの意欲がいかに行政各部にずっとしみ渡っているかということになると、私はまずそこのところが本当に大切だという気がするんですよ。

 どうも行政の最先端にいていろいろ苦労しておられる皆さん方は、どうしてもこういうときにある一定の防御本能が働くのか、あるいは以前からやってきたことの継続みたいなことの気持ちが働くのか、いろいろ聞いてみても本当に、何だこりゃと、田中外務大臣でないけれども、そういうような言葉を吐きたくなるようなことが出てくる。

 ひとつぜひ、まず厚生労働省の中に大臣のその思いを徹底させてほしい、政府部内全体に徹底させてほしい。できれば地方、まあ地方はきょうは厚生労働大臣に聞いてもいけませんが、地方にも国の機関もありますし、地方も自治体がありますし、本当にもう社会全体に差別、偏見をなくそう、解消しようというときに、行政各部にその思いがきっちり伝わっていなければ、そしてもし厚生労働省の職員が家へ帰って奥さんに、いや、実はねとかなんとかいうようなことを言うだけでもう本当に九仞の功を一簣に欠いてしまうわけですから、そういうことのないように徹底をする、これをお約束いただきたいと思います。

○国務大臣(坂口力君) 徹底されておると思っておりますが、さらに徹底したいと思います。

○江田五月君 やっぱり態度で示すことは大変大切で、幾ら愛していても愛しているという言葉を言わなきゃ愛の告白にはならぬわけでして、ぜひひとつお願いをいたします。

 熊本判決でもう少し。
 この判決で、らい予防法は憲法違反の法律だったと、まあ判決で言っているのは昭和三十年、三十五年以降、遅くても。遅くとも三十五年以降、憲法違反の状態になったことは明白であると、こういう言い方をしております。三十五年がいいのか、四十年がいいのか、その後がいいのか、いろいろ議論はあるかと思いますが、今からさかのぼって考えて、らい予防法というのは憲法違反の法律であったと。

 これは、その判断をする立場に厚生労働大臣はないといえばそうかもしれませんが、どうお答えになりますか。ぜひやはり同じ認識だということを答えていただきたいんですが、いかがですか。

○国務大臣(坂口力君) ここは非常に難しいところだというふうに私は思います。
 今御指摘になりましたように、二十八年に新法ができました。その当時、既にプロミンは存在をして、そして考え方によれば、これは一〇〇%治癒はしなかったかもしれないけれども、しかし隔離をするほどの状況にはなかったというふうに言えば言えないこともありません。

 しかし、今までの継続の中で、その当時の物の考え方というのは社会全体がそういう考え方にはなっていなかった、それは政治の世界も行政の世界も含めてでございますけれども、全体にそういう考え方に私はなっていなかったというふうに今思っております。それは医学界も含めてでございますが、そういう考え方になっていなかった。

 昭和二十六年でございますか、参議院のこの厚生委員会で三つの園の園長さんがお越しになりまして発言をしておみえになりますが、らいの専門家と言われる方が、隔離政策をこれはやらなければならない、そして、ステルザチヨンという言葉が使われておりますが、断種をしなければならない、逃亡する人には逃亡罪をつくらなければならないというようなことを発言しておみえになるという、そういう時代背景。そういう時代背景でありましたことを考えますと、その当時立法されました皆さん方も、いろいろのことを思い悩みながら、いろいろのことを考慮に入れて判断をされたのではないかというふうに私は思います。

 ただ、それからだんだんと医学も発達をしてまいりまして、先ほどお話がございましたように、プロミンだけではなくて抗生物質も出現をしてくるといったような事態に立ち至ったときにそれを転換できなかったということは、それはやはり責任を問われる問題ではないかというふうに私は思っております。

○江田五月君 このらい予防法制定のときの状況をお話しになりましたが、しかしそれも、そのときに光田健輔さん初め三つの園の園長さん方が言っていたことが本当に客観的に正しかったかどうか、これは今検証してみると大きな疑問符がつくわけですよね。まして、その後大きく医療は進展をし、WHOが昭和五十六年にはもう多剤併用法で治癒するというところまで認知をする、それでも九六年までらい予防法が残っていた。

 だから、どこかの段階で、これは目的と手段との関係でいえばもうむちゃくちゃにバランスが外れてしまった法律になっていて、憲法違反だと裁判所に言われたのはこれは私は当然じゃないかと。まあ、それは憲法違反かどうかというのは最終的に裁判所が確定をする、それも最高裁が最終審。しかし、我々やっぱり立法に携わる者も行政に携わる者も皆、憲法についてのその程度の感覚は持っておかないといけないと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(坂口力君) 常にそういうことを念頭に置いて我々はやらなければならないということは御承知のとおりでございます。

 先ほど私が申し上げましたのは、そういう専門家ですら偏見の気持ちを持っていたのではないかということを申し上げたわけでありまして、そうした時代背景の中でできたのではないかということを主張したわけでございます。

○江田五月君 歴史学者としてお話しになるならそういうお話もいいけれども、やっぱり厚生行政の最高責任者なので、そのお話はそのお話としながら、やっぱりらい予防法があの時期まで残ってしまった、憲法違反の状態がつくられてしまった。これはもうおわかりだと思うんです、深追いしませんので、そこはぜひわかっていただきたい。

 だって、それは医療のこともあるけれども、入所の手続のこととか、やれ消毒だ、物件の消毒、廃棄だ、質問、検査はまあいいとしても、親権の関係、物件の移動制限、秩序の維持、外出の制限。令状も何も全然なしにこれだけのことをやる法律をつくっておるというのは、人権という観点から見たらこれはもう到底憲法のいろんな人権手続規定にかなうはずがない、明らかだろうと思います。

 さて、判決の中で、これまでの過去のハンセン病行政、そのもとにある考え方、非常に厳しく指弾をされております。三園長発言についても「患者の完全収容の徹底とそのための強制権限の付与、懲戒検束権の維持・強化、無断外出に対する罰則規定の創設等を求めるものであり、その内容もさることながら、ハンセン病患者を「古畳の塵」に例えるなど、表現の端々にも患者の人権への配慮のなさが如実に現れており、当時の療養所運営の在り方をもうかがわせるものである。」、判決はこう言っているんです。それを、いや、当時の超一流の皆さんがおっしゃったことだからとはなかなか言えないだろうという気がいたします。

 さて、もう時間も大分たちまして、今後の全面解決に向けての考え方ですが、今、与党において議員立法の作業が行われていると聞いておりまして、私どもも法案の準備をいたしますが、与野党で協議をする、元患者の皆さんの御意見も十分に聞かせていただく、そして共同提案かあるいは与党案の修正かそれはわかりませんが、いずれにしてもしっかりしたものを速やかにつくっていかなきゃいけない。

 私は、これは立法についてどうかという話じゃないですが、そうすると、トータルな今後の施策について、この際大切なことは、十分原告団とか元患者の皆さんの意見を伺って、皆さんの納得できる法案にし、そして今継続している訴訟を終わりにする、みんなが納得して今継続している訴訟を終わりにして、そして最終解決の糸口をしっかりつくると。訴訟は終わりになったからといっても、例えば名誉回復、偏見、差別の除去、解消、これはまだまだいろんなことをやっていかなきゃならぬから、そういう枠組みをつくるというところでひとつ今回区切りをつけることしかないんだろうと思います。

 例えば、二万三千余の遺骨がそれぞれの園の慰霊塔の奥に、本当に小さな、もうこのコップよりちょっと大きいぐらいの小さな骨つぼに入って、だあっと並んでいるわけです。この皆さんは、亡くなって煙になって、煙だけがふるさとに帰れて、骨は帰れてないんですね。これをどうするかというようなことは、それは法律をぽんとつくったらそれでおしまいという話じゃないんで、そうしたいろんな仕事をしていかなきゃなりませんが、そのような枠組みをみんなの納得でつくって訴訟の終結につながる、そういう枠組みでなきゃならぬと思いますが、厚生労働大臣、どうお考えになりますか。

○国務大臣(坂口力君) 現在国会の方でいろいろ御議論をいただいておりますことは、いわゆる補償問題だというふうに認識をいたしております。その他の今お話しになりましたような名誉回復の問題でございますとか、お亡くなりになりました皆さん方のお骨の問題でございますとか、あるいはまた福祉の問題でございますとか、その他さまざまな問題があるんだろうというふうに思いますが、そこは厚生省が窓口になりまして、それこそ患者の代表の皆さん方とお話し合いを一つ一つ詰めながらそれは進めさせていただくべき問題だろうというふうに思っております。したがいまして、そこはこちらの側でやらせていただくというふうに決意をしているところでございます。

○江田五月君 というのは、今検討されている法案でやるということじゃなくて、厚生労働省として責任を持ってそうしたいろんなことをするということだと思うんですが、それはそうなんだろうと思います。

 ただ、その法案は、厚生労働省はこれからここのところを担当する、またいろんな皆さんが全部こういうことを担当しながら、最終的に社会にまだいろいろある差別、偏見というものがきれいに解消される、そんな枠組みを今大きな合意でつくる努力をしなきゃいけないんじゃないか。そして、その結果、わかった、こういうことがこれから行われていくんだから訴訟は終わりにしましょうねという、そういう納得を得る努力を今やらなきゃいけないんじゃないかということを言っているんですが。

○国務大臣(坂口力君) 国会の方も法律をつくっていただきますときに、患者の皆さん方と恐らくお会いをいただいてお話をされるものというふうに思います。そして、今御指摘になりましたように、他にも訴訟があるわけでございますから、他の裁判を終わらせるということは、私もこれはできればもう終わる方向になれば大変いいことだというふうに思っているわけでございます。

 しかし、これはそれぞれの原告の皆さんのお考えにもよりますし、いたしますから、これは強制のできるものではありません。また、もし今の裁判が済んだといたしましても、また別の裁判が起こる可能性もそれはないとは言えません。しかし、できることならば、今までのことを反省し、おわびをしながら、その中でこれからのことを真摯にお話し合いをしていくということを我々はやっていきたい。

 それで、今御指摘のように、もう一つ大きい、そうした国会の役割、厚生労働省の役割、それらも含めて役割分担やその辺のところをどうするのかというお話でございますが、そこはまたひとつ国会ともお話し合いをさせていただきながらここは進む以外にないんだろうというふうに思っております。

○江田五月君 それはわかりません、訴訟を起こすことは国民の基本的人権の一つですからいろんなことがあると思います。しかし、この問題の解決に当たる者が皆、ここはひとつもう訴訟をさらに続けなきゃというような思いが残らないように努力するんだ、全力を尽くすんだと、そういう思いを持って、汗をかきかき頑張るんだという、そういう熱意が大切なんだ。いや、いろいろやっても、それは訴訟ですから起こるかもしれませんという、結果はそうであっても、そういう熱意というのが今大切なんだと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(坂口力君) その熱意は確かにもう御指摘のとおりでございますから、そこは我々も一生懸命にやるつもりでおりますけれども、しかし我々が一生懸命そういうふうに思いましても、我々だけの意見でこれは成るものではないということを申し上げているわけでございます。

○江田五月君 しかしというところがなければ大変いいんですけれども、まあいいでしょう。

 患者の皆さん方から全面解決要求書というのが出されております。これはもう届いておることと思いますが、第一の「責任の明確化と謝罪」、これについては既にお話ししました。「名誉回復措置と損害賠償」、これもお話しをしました。「恒久対策」、いろいろございますが、「生活保障」で「従来通りの給付を維持すること。」、これもよろしいですよね。「退所者及び社会復帰を希望する者に対しては、新たな年金の支給、住居の確保・日常生活の介護など、社会生活を送る上で必要且つ十分な支援を行うこと。」、こういうことをお求めです。それから「療養所での生活を希望する者に対しては、療養者の減少などがあろうとも、統廃合を行わず、終生在園を保障すること。」、それから「ハンセン病元患者の医療や福祉が円滑に受けられるよう制度の整備、確立を図ること。」、いろんなサポートシステムということでしょうが、このあたりはいかがですか。

○政府参考人(篠崎英夫君) 退所者及び社会復帰を希望する方々に対しまして新たな年金の支給等の要望書が出ておりますが、そのことについて申し上げますと、五月二十五日の内閣総理大臣談話におきまして「福祉増進のために可能な限りの措置を講ずる。」こととされました。それを踏まえまして、患者、元患者のお話を十分伺いながら、そこに載っておりますが、退所者給与金の創設など必要な措置を講じてまいりたいと考えております。

 病院のことにつきましては、病院部長の方からお答えいたします。

○政府参考人(河村博江君) 療養所での生活を希望する者に対して、療養所の統廃合を行わずに終生在園を保障すべきではないかという御要望に関してでございますが、国立ハンセン病療養所につきましては、他の一般の国立病院・療養所が現在再編成計画に基づきまして急ピッチで再編成が行われておりますけれども、そうした再編成対象施設には含まれておりませんで、現在統廃合を行うことは考えておらないわけでございます。

 ハンセン病療養所の将来のあり方につきましては、平成十二年二月から、各療養所の入所者の代表、全国ハンセン病療養所入所者協議会の代表、あるいは各療養所の所長さん、それから厚生労働省の四者から成るハンセン病関係者連絡懇話会において現在意見交換を行っているところでございます。その中で、今後とも国立療養所での療養生活を希望する方については終生これを保障するというのは基本であろうと思っておりまして、その際、できる限り現在の生活条件を維持することが望ましいという考え方に立ちまして、その方向で努力をしたいというふうに思っております。

○江田五月君 さらに、「医療、看護・介護、福祉、環境の拡充」ということで、療養所の医療、施設、看護・介護体制の整備充実。それから、通院・在宅治療のための医療体制の早期整備。いわゆる三対策、視力障害、身体障害、高齢者、これの充実。それから心理面のケア対策、こういうことが書いてあります。

 お願いをしたいんですが、特に三対策ももう前から何度も何度もお願いをしていまして、この充実は大切です。

 最近、元患者の皆さんが言われているのは、七十四歳を超えるようになって、もう緊急の事態が起きても何もできずに、重篤になり、あるいはお亡くなりになり発見されるというようなことも間々ある。こういうところだから、ひとつ夜間もちゃんと三交代で、介護あるいはいざというときには看護を緊急に受けられるような、そういう体制をつくってくれないかという要望がございます。今、やりますと言っていただければ大変ありがたいですが、あるいは受けとめてということかもしれませんが、いかがですか。

○国務大臣(坂口力君) これは、私も全生園にお邪魔をしましたときにそのお話を伺ってきております。それで、検討をしてもらうように今言っているところでございまして、皆さん方のお気持ちもよくわかりますし、いたしますので、対応したいというふうに思っております。

 ただ、皆さん方も高齢化しておみえになりますし、そしてお入りになっているところがもうぽつぽつとかなりあいているところがあって、こちらにお一人、あちらにお一人というようなことになったりしているようなケースもあるようでございまして、その辺のところもどういうふうにこれからしていただくかというお話し合いも少しさせていただきながら、しかし皆さん方の御要望にもこたえられるようにしていきたいというふうに思っております。

○江田五月君 ハンセン病の皆さん方は、もう菌も排出していないし治癒と、しかしまた再発するかもしれないという可能性が完全にゼロというわけではないというような状態があったときに、以前はなかなか一般の病院は受け入れてくれなかったんですよね。すべて通常の健常者と同じように、それは年もとれば、がんもありますし、高血圧もあるでしょうし、いろんな病気が全部ある。全部あるのに療養所の中の医療施設だけで全部対応はなかなかできないと。そして、それもあってCTも備えてくださいとか、いろんなことをやってきた。しかし、それがいいのか、それとも外の病院でもっと自由に受けられるようにした方がいいのかということで大変苦労いたしました。最近は外の病院でも大分受けられるようになったと思いますが、そこは今どういう認識でおられますか。

○政府参考人(篠崎英夫君) 先生御指摘のとおりでございましたが、今はハンセン病の治療薬は保険診療になっております。それから、その他の高齢化に伴ういろいろな疾病は、これは一般の医療機関でもできるわけでございます。

 今回の要望書の中にも通院・在宅治療のための医療体制を早期に整備してほしいという要望がございますので、私どもといたしましては、先ほど来大臣が申し上げておりますその協議の場などで具体的にどういうふうにしたらいいかを患者及び元患者の方々と十分相談しながら、きちっとした体制整備に向けて努力をしていきたいと思っております。

○江田五月君 やっぱり一般の医療機関でも何も差別、偏見なく平気で診てもらえるという、それはもちろん普通の風邪だ何だというときに療養所の中でちゃんと手当てができるのは当たり前の話ですけれども、何かその辺の努力をひとつよく皆さんの御要望も聞きながら考えていただきたい。少なくとも以前のようにもうハンセン病元患者の皆さんが医療機関の中へ来ることも拒むというようなことが残っちゃいけませんよね。

 次に「差別・偏見の解消」ですが、皆さんの要望書の中には差別禁止法を制定するなどということ、それから差別、偏見に苦しむ家族、親族に対する支援事業、あるいは無念の死を遂げ、しかも遺骨の引き取り先のない犠牲者の名誉回復、被害回復の措置、そしてハンセン病教育というか差別、偏見解消のためのハンセン病の歴史、社会の残した傷、こういうものについての啓発活動、これを強化してくれと、そういうことがございます。

 一つは、今の遺骨の関係ですが、私はやっぱり差別、偏見除去というのは、労を尽くすこと、これが大切で、労を惜しんではいけないんだろうと。いろんな努力をして、一つ一つの遺骨に敬意を払いながら、どうやったら本当に入るべきところにきっちり入れるかという努力を一生懸命みんながすることが大切だと思いますが、これは大臣、そういうお気持ちでやっていただけますか。

○国務大臣(坂口力君) そのつもりでやらせていただきます。

○江田五月君 それから教育。これは文部省来ておると思いますが、どういう答えになりますか。

○政府参考人(矢野重典君) 学校教育におきましては、あらゆる差別や偏見をなくすように努力をし、またそうした社会の実現に努めるよう指導することは大変大事なことでございます。

 そのため、ハンセン病を初めとする感染症についての正しい理解を促しますとともに、現代社会の諸問題について広い視野から主体的に考え判断する能力あるいは態度を養うことが大切と考えているところでございます。

 そういう意味で、各学校におきまして、児童生徒の発達段階とまた学習指導要領を踏まえた適切な指導が行われ、そして子供たちが差別や偏見のない社会の実現に努めることができますように今後とも指導の充実を図ってまいりたい、かように考えているところでございます。

○江田五月君 感染症によって生ずる差別、偏見、先ほども言いましたように、世の中、繰り返し繰り返しいろんな差別、偏見が出てくる。それをなくしていく努力は繰り返し繰り返しやらなきゃいけない。そういうことを考えますと、このハンセン病の歴史というのは、こんなことを言うと大変あるいは心を傷つけることになるかもしれませんけれども、すばらしい教材なんですね、ある意味では。歴史というのはそういうことをずっと繰り返しながら私どもも前へ進んでいくわけですから、ぜひこれは、衆議院の方では文部科学省、厚労省からの御要望などあればというような答えもあるようなので、厚生労働省としても取り組んでいただきたいと思います。

 それから次に「真相究明と再発の防止」。
 情報公開。これは、国の有するすべての情報を開示すること。それから真相究明委員会の設置。二度と同じ過ちを犯さないために原告団とか学者などを含む外部機関を設置すること。ハンセン病資料館の充実。それから感染症予防医療法の改正。これは、感染症差別の解消とか感染症患者の人権保障についてはまだ十分じゃないので改正することと、こんなような要望があります。

 特に情報開示ですが、いろんな情報があるので、ぜひ散逸しないように、厚労大臣、全国の療養所に、資料はどんな資料であっても勝手に破棄したりしちゃいけないよと徹底していただきたい、そして開示をしていただきたいと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(坂口力君) 今までもできるだけ大事な資料は資料館に集めたりする努力をしているようでございますが、これからも、今御指摘にありましたように、大事な資料につきましては散逸しないように、そしてまた必要なものは開示をしていくということにしたいと思います。

○江田五月君 そして最後に、協議の場ということですが、これはもうお答えになっておられるので、ぜひ協議の場をちゃんと持っていただきたい。さらに、真相解明といいますか、過去どんなことがあったか、その検証、これももう既に先ほどお話にあったようですが、ぜひ取り組んでいただきたいと思います。

 最後に、冒頭申し上げましたとおりハンセン病問題は私の政治活動の原点なんですが、先日、インターネットで私自身の国会の会議録を検索しますと、一九八〇年の十月二十八日、この参議院の、当時は社会労働委員会と言っておった社労の会議録が出てきました。

 質問の相手が当時の園田直厚生大臣と公衆衛生局長の大谷藤郎さんでした。大谷さんは、皆さん御存じのとおり、現在国際医療福祉大学学長、一九九六年のらい予防法廃止に大変貢献をされた、今回の熊本地裁の裁判の中でも政府の責任を認める重要な証言をされた。

 この会議録を読みますと、当時の私は、らい予防法の隔離政策は強制的なものだ、絶滅政策と言える、ハンセン氏病とは、氏をずっとつけて私言っておりましたが、当時、感染しない病気であること、国民の態度、社会の態度が大きく変わるべきであること、長島に橋をかけるべきであること、こういうことをきちんと議論できていたと思うんですが、ただ一つ、やっぱり予防法廃止については私も触れていないんです。

 触れられなかったというような気がする。そっとしておいてくださいというようなこともあった。それは厚生省からであったか患者の皆さんからであったか、いわば私から見ると、私も言い出せなかった。だけれども、その一つのハンセン病行政全体の中で患者の皆さんが人質にとられていた。つまり、らい予防法を廃止したらこの皆さんの生活はどうなるんですか、そこが解決せずに廃止できないじゃないですかという話で、しかしそれがそういう体制としてずっと残っていくことによって、これでもかこれでもかと差別、偏見が強く強く植えつけられていったんですね。

 今回の判決で指弾された立法不作為責任、これを痛感いたしました。一刻も早く最終解決にみんなが全力を、一刻も早い全面的な最終解決の実現にみんなが全力を尽くそうじゃないか、そのことを最後に訴えまして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。


2001/05/31

戻るホーム主張目次会議録目次