2001/02/21

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第151回国会 参議院憲法調査会

  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
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○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 先般、憲法事情に関する実情調査のため、本院よりアメリカ合衆国に議員団が派遣されました。
 この際、本調査会において、派遣議員から報告を聴取することといたします。
 なお、御発言は着席のままでお願いいたします。江田五月君。

○江田五月君 本院の特定事項調査第一班の調査の概要を口頭で御報告を申し上げます。
 調査目的は、アメリカ合衆国の憲法事情につき実情調査をし、さらに同国の政治経済事情等の視察をすることでございますが、憲法調査会の委員も多数参加いたしましたので、本調査会の審議に資するため、会長の御許可を得て、ここで御報告させていただきます。

 本班は、アメリカ憲法のあり方につき、具体的な調査項目として、議会制度、特に立法過程及び二院制、大統領選出制度、連邦制度、特に連邦政府と州との関係、違憲判決及び陪審制等の司法制度、被疑者、被告人の権利、プライバシー権等の新しい人権、環境権、安全保障、修正条項等を掲げています。そして、議会や政府だけでなく、それらの活動の源泉となっている人々の活動にも目を向け、議会スタッフ、市民団体、地方公共団体等も対象として調査いたしてまいりました。

 また、同国の政治経済事情については、在米国大使館及び在サンフランシスコ総領事館より聴取しました。

 訪問地はワシントンとサンフランシスコです。ワシントンでは、連邦議会、最高裁判所、NPO及びシンクタンクを訪れました。サンフランシスコでは、カリフォルニア州議会、サンフランシスコ市役所、オークランド市役所及びシンクタンクを訪問しました。

 以下、調査内容につき、その概略を訪問日程に従い御報告します。

 まず、一月八日の午前にヒューマン・ライツ・ウォッチの支部を訪ねました。この団体は、八〇年代初頭に設立され、ニューヨークを本部とする今や米国では最大の人権擁護団体です。当日はニューヨーク本部とインターネットでつないだテレビによる二元会議となりました。

 取り上げられたテーマは、国際刑事法廷、国際人権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約など、私見でございますが、いわば地球憲法に当たるものについてでございました。

 興味深かったものを一、二挙げますと、憎悪犯罪、ヘイトクライム、憎悪犯罪の話が出ました。すなわち、マイノリティーに対し、例えば人種偏見で罪を犯した場合、州によって扱いが違っていいのかということです。連邦法でこれを犯罪と規定すれば連邦裁判所の管轄となり、憎悪犯罪の処罰を通じて各州に人種差別禁止を守らせることができます。しかし、連邦がそこまで州に介入してよいのかという問題が出てきます。今後の議論が注目されます。また、人道を理由とする軍事介入については、最後の手段であって、その前にやるべきことがいっぱいあり、それを尽くさない軍事介入には賛成できませんとの御意見でした。

 八日の午後は、まず、インデペンデント・セクターを訪ねました。民間非営利組織、NPOは全米で百五十万に達しており、成人の五六%がボランティア活動の経験を有しています。その活動は国民所得の六%に及ぶそうです。インデペンデント・セクターは、それらの団体を総結集するものとして設立されました。

 お話の要点は次のとおりです。
 米国のNPOは国家より前に存在していました。すなわち米国では、学校、病院、消防などすべてボランティアが始めたものです。ただし、ボランティアたちはインディアンには余り寛容ではなかったようですが。これだけ多いと活動の重複や悪用もあって批判も出ていますが、監督機関は特にありません。強いて言えば、日本の国税庁に当たる内国歳入庁が唯一それに当たるものでしょうと、こういう話でした。

 次に、ネイチャー・コンサーバンシーを訪ねました。この団体は五十年の歴史を有し、種の保全を目的としています。環境信託基金により世界の希少種生息地の保護に当たり、企業家精神を重視してベンチャーにも投資しているそうです。

 お話の要点は次のとおりです。
 憲法の制定当時、環境は問題となっていなかったので、権利として明記されてはいませんが、連邦政府が環境に関して活動する法的根拠は認められており、環境面から何が公益かを判断するのは議会です。種の多様性については、例えば人類を含む生物全体を一つの飛行機と思ってください。それを組み立てているねじが、飛行中に一つまた一つと落ちていったらどうでしょう。いつかは空中分解です。生物種が一つ一つ失われていって、どこまで飛び続けられるでしょうか、こういう話でした。

 翌九日は、まず、有名なシンクタンクであるブルッキングス研究所を訪ねました。元共和党下院議員で客員研究員のフレンゼル氏とウィーバー研究員が対応してくれました。

 話の要点は次のとおりです。
 官僚が政治任命された上司に対し忠誠心を有しているかどうかというと、全米国人が大統領に対して忠誠心を有するのと同様に、官僚も上司に対し忠誠心を有しています。しかし、公務員制度で身分が保障されているので、大統領が去った後のことも考えて行動します。

 次に、二院制についてですが、建国時の理念は、上院は有識者により、下院は国民の代表者により構成するということでしたが、修正で両院とも選挙による選出となったため、今では当初の理念は当てはまらなくなりました。州議会も同様で、一院制にした州もありますが、壊れていないものは続けて使えばよい、直せばもっと悪くなるという考え方で、他州にまで広がってはいません。

 政党の党議拘束については、委員長選出など党派色の強い案件を除き、党議拘束は緩く、法案ごとに同調する議員をまとめていますということです。

 次に、連邦緊急事態管理庁、いわゆるFEMAのウィット長官を訪問しました。

 話の要点は次のとおりです。
 災害予防にきょう一ドル使えば、あす二ドルの被害を受けなくて済む、これをモットーとしてプロジェクト・インパクト、これに力を入れています。地域の住民と企業が協力して災害対策プログラムを作成することにより、地域の安定と協力を築くという手法です。
 災害は州法に基づき州レベルで対応するのが基本ですが、州が対応できないような災害が発生した場合、州からの要請または独自判断で、連邦政府、赤十字、ボランティアなどをテレビ会議などで意見調整し、必要な資金や技術を提供します。地域レベルでの対応がまずければ、その地域選出の政治家が落選することになりますということです。

 午後は、まず、最高裁判所にオコナー判事を訪ねました。あらかじめ提出しておいた質問状に沿い、一時間近くお話をされました。

 お話の要点は次のとおりです。
 基本的人権は、自然権ではなく憲法が保障した人権と考えられています。憲法の修正は難しく、法律の方が時代の変化に対応できます。社会権や教育権、さらに環境、プライバシー、被害者などの新しい人権は立法で対応します。アファーマティブアクションは救済措置として認める判例が出ましたが、近年の最高裁は、期間を定めるなどで限定的に認める傾向となっています。メディアのプライバシー侵害は名誉毀損で対応しますが、第四の権力と言われるほど強力なのですから、責任あるプレスになるべきです。犯罪被害者の保護のため憲法を修正してはという意見もありますが、修正は困難です。司法取引で検察と取引しても、陪審が罪を重くすることがあります。最高裁が最終的に憲法判断すれば、立法府も行政府もこれを尊重するので、憲法裁判所は設置の必要がありませんといったお話です。

 次に、議会調査局の憲法専門家、トーマス氏を訪ねました。

 要点は次のとおりです。
 憲法の修正に限界はありません。修正の批准方法には、四分の三の州の議会による批准と、憲法議会の開催によるものがありますが、後者の実例はありません。前者の批准に期限はなく、二百年ぶりに成立した修正もあります。提案から二百年ぶりで批准されたという意味です。新しい権利として、中絶、安楽死などが論議されています。プライバシー侵害は、報道の自由が修正第一条で保障されていますから、住居侵入など別の罪を犯さない限り、報道には広く認められています。環境権は法律により保護されており、州レベルで不法行為として訴えられますが、その立証は難しく、連邦政府の保護が必要です。憲法に書き込むことは一長一短があります。文言があいまいだと、柔軟性がある一方、政治的争いを生むおそれもあります。信教の自由のような少数者の権利は憲法で守るべきですが、既に性差別のように法律で厳格に守られているものもあります。

 十日は、午前中、連邦議会上院を視察いたしました。その後、昼食をとりながら、ホーナー下院共和党議会立法ディレクターと立法活動について意見交換を行いました。

 話の要点は次のとおりです。
 今回の大統領選で、選挙過程を見直す動きが出ていますが、憲法論議とはならず、州レベルでの見直しになるでしょう。政権交代期なので、共和党はウィリアムズバーグで三グループに分かれて合宿を行い、今後の立法活動日程を協議する予定です。ブッシュ新大統領の参加は未定ですが、参加すれば、議会には議会の立場があるということを学ぶことになるでしょう。大統領の思いどおりにはいかないのです。政策課題としては、減税、教育改革、国防、年金、医療保険、エネルギーなどがあります。党活動への献金に関し、選挙資金改革も課題となるでしょうといったことです。

 次に、民主党上院議員ロックフェラー四世との会談が急遽実現しました。話が弾み、三十分の予定が一時間になりました。

 話の要点は次のとおりです。
 今回の大統領選で、危機の際、憲法が十分機能することがよくわかり、憲法への確信は強まりました。選挙人団、エレクトラル・コレッジですが、選挙人団をめぐり議論はありますが、それが私たちの憲法であり、変える必要はありません。選挙結果は不満ですが、過去のことより未来のことを考えます。民主、共和両党は違う哲学を持っており、その関係には緊張感があります。しかし、小さい問題では違いはなく、予算についても両党の指導者が緊密な協議をしています。アメリカ人はだれでも立法者の意識を有しており、議員にさまざまな形で働きかけるので、議員個人は党の方針よりも選挙区事情を優先します。私が製鉄問題で日本に厳しいのもそのためですといったお話です。

 その後、ジョージタウン大学に憲法学者であるタシュネット教授を訪ねました。

 お話の要点は次のとおりです。
 憲法修正は、政治的立場の違いを超える大きなコンセンサスがなければできません。修正を付加方式にしたのは、マディソンがたまたま手続の煩雑度を考えてこちらを採用したという偶然によるものです。現在、憲法上争点となっているのは連邦制です。連邦制擁護論者は、州は個人の自由を守るためにあることと、州は新しい試みの実験場として最適であり、教育がそのよい例であることの二点を挙げます。最高裁は、州の権限を強める方向の判例を出しています。また、新しい権利について憲法に明記されていなくても人々がこれを守っている理由は、最高裁の判断こそが権利の根源であり、人々がこれを神聖なものであると考えているからです。アメリカ人は概して保守的であり、例えば社会福祉については、代表である議会の立法がなければ否定的になります。日本国憲法について言えば、押しつけられた印象があるのに、定着し成功していると思います。政教分離等に関心があります。第九条については、ドイツ基本法第一条と同じく、当時の歴史的経験を反映したものだと思います。

 十一日は、サンフランシスコに移動しました。州議会を訪問し、日系議員ナカノ氏を含む州上下両院議員と政府災害担当者から、電力危機を題材に州と連邦の関係について、また教育問題について話を聞きました。

 要点を挙げると、連邦が補助金を出す場合は包括的ガイドラインを決めるだけで、具体的実行は州が決めるとのことでした。また、ハイテク産業の技術者も外国から招致しているのが実態で、子供たちの基礎学力を高めたいと述べていました。

 十二日は、まずサンフランシスコ市役所を訪れ、リー行政長官及び元州下院議員であるホーシャー市顧問に対し、税収の仕組み、連邦及び州の補助金の実態、電力危機について質疑しました。電力危機は、電力卸値の規制緩和や環境問題からくる新規発電所建設の停滞などから生じたそうです。

 次に、カリフォルニア公共政策研究所で地方自治体の予算制度について説明を受けました。

 連邦等の補助金と自主財源の組み合わせで財源を確保しており、州や市だけでなく、例えば教育の学区等、機能別の組織ごとに予算決定を行っており、相互に緊張感があるとのことでした。

 午後は、元カリフォルニア知事のブラウン・オークランド市長を訪ねました。
 市長は鎌倉に住んだこともあるので、日本国憲法について聞いたところ、日本に合うように改正したいのなら米国を調査する必要はないでしょう。核兵器に代表される現代兵器は破壊的です。日本は、核放棄、軍拡放棄を維持し、遠慮せずに核兵器の放棄を国際的に働きかけてはどうですかとの答えでした。

 地方自治については、米国では、例えば大気、水、学校、バスなどの機能ごとに区、ディストリクトと呼ばれる幾つもの政府の層、レイヤーが重なり合って存在し、これらがそれぞれ議会を持ち、自律的に活動しています。問題の所在を一番よく知っているのは区ですから、ここにもっと大きな権限を与えるべきですが、なかなか素早い決定は困難で、日本が採用するなら注意した方がよいでしょうとの御意見でした。

 詳細は、別途作成中の報告書をごらんください。
 以上、御報告します。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 派遣議員団長としての御報告をいただきました。
 引き続き、他の派遣議員の方々からも御発言をいただきたいと存じます。清水達雄君。

○清水達雄君 アメリカを訪問し、多くの人から話を聞きまして、アメリカの国民の憲法観もかなりわかったという気がいたします。

 アメリカの憲法では、人権、特に社会権に関する規定が希薄で、また大統領選挙に関しても議論があってもおかしくないというふうに思われるのに、改憲あるいは憲法の修正の議論はほとんどなく、建国以来歴史的に定着してきた憲法に国民は安定した信頼感を持っているように思いました。

 例えば、大統領選の選挙人制度、州ごとに勝った陣営が州全体の選挙人を独占し、全州で選挙人を多く獲得した者が当選する。しかし、これはアメリカ全国の総得票数が多い方が勝つことにならない。今回の選挙でも、ゴア候補の方が全体の得票数は多かったというわけでございますけれども。そういう場合がありますけれども、これについては結局、州の代表者である選挙人が一堂に会して連邦の大統領を選ぶという建国以来の大義であり、ロックフェラー氏が、選挙人団は私たちの憲法であり、変える必要はありませんとおっしゃったことに集約されていると思います。

 また、二院制については、上院議員は州議会の選出だったのが一九一三年の第十七修正で投票制になったわけですが、いずれにしても州の代表であり、下院は国民の代表という感覚であると思います。さらに、州議会もネブラスカ州を除いては二院制であります。二院制で来たものが特に困った点がなければ変える必要なしという考え方のようであるように思いました。ただ、ブルッキングス研究所の客員研究員は、法案審議を慎重に進めるため創設されたという発言もありました。

 そして、新しい時代の基本的人権、社会権、教育権、環境権、プライバシーの問題などについては、憲法の修正は難しく、法律の方が時代の変化に対応できますというオコナー最高裁判事の発言に集約されていると思います。さらに、ジョージタウン大学のタシュネット教授が言うように、新しい権利について憲法に明記されていなくても人々がこれを守っている理由は、最高裁の判断こそが権利の根源であり、人々がこれを神聖なものと考えているからですという、さっきも団長の報告にもありましたけれども、そういう国民意識があるということだと思います。

 一方、日本では憲法論議が盛んでありますが、これは、現行憲法の制定過程の問題と憲法第九条の戦争の放棄の規定が世界に例を見ないものであり、自衛権とそのための軍事力の保持、集団的自衛権の行使、PKO等をめぐって具体的な規定がなく、また確立した解釈が出し得ないという欠陥があり、自国や世界の安全保障に対する国のあり方と国民のあり方についてコンセンサスが形成されていないという大問題があると思います。

 私は、あえて言えば、日本の憲法は、九条を中心とした安全保障問題に対する国民のコンセンサスを形成させ、それに基づく改憲をすればいいのではないかと、これが最も重要な課題であるというふうに思います。他の人権等の問題は、アメリカの例を見るように、憲法によるのではなくて個別立法による解決、あるいは最高裁の判断等への依存等の考え方もあるわけですけれども、この点については国情の違いもありますから慎重に検討すべき課題ではないかというふうに思います。
 以上でございます。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、岩城光英君。

○岩城光英君 自由民主党の岩城光英です。
 若干重複する部分もあるかもわかりませんが、報告をいたします。

 初めに、ジョージタウン大学の憲法学者、タシュネット教授からこういう話があったことを御紹介したいと存じます。

 各国の憲法はそれぞれの国の独自の土壌の中でつくられてきた、よって、他の国の憲法の枠組みを直接そのまま取り入れるのは有効ではない、外国の憲法を調査研究する際には一般的な概念としてどうなっているのかを学ぶべきだということでありましたが、まさにそのとおりだと思っております。

 さて、憲法と法律とのかかわりについて若干述べさせていただきます。
 最高裁判所のオコナー判事からこういう話がございました。社会権、教育権は憲法には規定されていないが、これらは時代の進展、要請により柔軟に対応すべきものであり、そのため法律によって規定した方がよいのではないか、憲法に規定されると時代の変化に対応して変えていくことが難しくなるというものでありました。

 また、この点につきまして、連邦議会調査局のトーマス法律顧問はこういう話をしておりました。アメリカの憲法の文言はあいまいな部分もあるが、それゆえに変化に応じた柔軟な対応をとることも可能である。私、関心がありましたので、憲法においてあいまいな部分あるいは明確な規定、こういったものを将来的にはどういうふうなあり方がいいとお考えですかという質問でしたけれども、このような答えでした。法律は規定しやすいですけれども、逆に言うと改正、変更もしやすい、ですから根本的なものは憲法で固定化して明確にし、そのほかの部分は法律で規定できるようにした方がスピーディーに時代の変化に対応できる、これからの時代はそういったミックス型がよいのではないかと。そして、例えば信教の自由のような少数者の権利を保護するような規定は憲法上明文化すべきであり、一方、男女平等のような大多数者の権利は法律で規定してもいいのではないか、このような指摘がありました。いずれにしても、これは安定と変化の問題であるという話でした。

 次に、連邦制それから地方自治について若干報告をいたします。
 アメリカは大西洋沿いにイギリス人が入植したのが始まりでありまして、自分たちの小さな集落を単位にした共同生活を営むためのルール、自治の仕組みをつくっていったわけでありますが、それがアメリカの地方自治の発祥でもあります。

 このように、アメリカでは地方自治に関して揺るぎない歴史と伝統を築き上げてきた、そういった歴史的経緯から、住民の自治意識は極めて高いものがあります。連邦政府の権限は憲法に列挙された一定事項にのみ及び、州政府は連邦憲法及び州憲法で禁じられていない限り包括的な権限を持っております。

 先ほど御紹介しましたタシュネット教授によりますと、憲法問題の中で連邦制も争点になっているとのことでした。そして、連邦制を擁護する立場として二つの根拠があるとの指摘でした。

 一つは、州政府は個人の自由を守るために存在しているというものです。二つ目は、国レベルの問題をそれぞれの州が独自に判断して対応することでさまざまな試みがなされ、その中で最もよい方法を全国に適用することができる。その例として教育問題を挙げました。教育の質の向上を図ること、これは国民共通の願いでありますけれども、その手法についてはさまざまな意見に分かれます。そこで、教育の権限を州あるいは地方自治体に与えることによってさまざまなアプローチが可能になるというものでございます。

 なお、最高裁の判断は、州が独自の政策を形成する余地を高めるため、連邦政府の権限を規制する方向にあるようです。

 また、カリフォルニア州のマイク・マシャッド上院議員からはこういう話がありました。州と連邦政府はパートナーシップの関係にあります。連邦政府から各種のプログラム、事業計画でしょうか、こういったプログラムについて州に予算が配分されますが、そのプログラムの大まかな内容や予算の使用方法については連邦政府がガイドラインを示しますが、どうそれを具体的に実施するかは州に任されている。つまり、連邦政府が理想を打ち出し、州が自分独自の判断で一番いいと思った方法でそれを実施する、こういうものです。

 ところで、アメリカでは、それぞれの地方自治体は、それから地方政府といいましょうか、そういった形態は州の法律によって規定されています。どの州においても地方政府は州の創造物とされているようです。そして、地方自治体の機能、そのあり方は州によって異なることはもちろん、同じ州の同じレベルの地方自治体の間でも多少の違いがあるようです。多様な地方自治体が存在するというのがアメリカの地方自治制度の最大の特徴でもあります。

 こういったことを参考にしながら、これから日本の地方自治のあり方、こういったものについてもこの調査会で議論していきたいと思っております。

 今まではどの町に行っても全く同じような施策がとられて、独自色の少ない、おもしろみのない町づくりが行われてきました。これから、財源の問題は先送りになっておりますけれども、地方分権が進む中で、どの地方自治体も自主的、自立的な、あるいは個性的な主体性を持った町づくり、地域づくりができるようなシステムに変えていかなければいけません。国と地方の役割分担、こういったものを改めて見直しながら、道州制といった議論もありますけれども、本当の意味での地方自治、こういった議論をこの調査会でしていきたい、こう思っております。
 以上です。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、大森礼子君。

○大森礼子君 公明党の大森礼子です。
 私の印象を述べさせていただきます。
 まず、日本国憲法とそれからアメリカ憲法とでは、改正あるいは修正が非常に難しい硬性憲法であるというような共通点があります。そこで、こういう憲法のもとで新しい人権というものをどう位置づけるかということに私は興味を持ちました。

 岩城委員の報告と重なるところがあるんですけれども、例えばオコナー最高裁判事は、新しい権利については法律によって確保するもので一々憲法を修正する状況ではないというお答えでしたし、それから連邦議会調査局のナントさんそれからトーマスさんの話では、これらについても連邦法を制定する、これで解決を図る方が現実的だろうと、こういうお答えでした。

 それで私は、連邦議会調査局のところで、要するに法律によって対応するという、これは非常に実務的なんですけれども、それでは解決しない問題があるように思ったので、次のように質問したわけです。つまり、法律によって対応するということは、憲法改正が困難であるからやむを得ず法律で対応せざるを得ないということなのか、それともいわゆる新しい人権というものがいまだ憲法上の人権として規定するに至っていないからそれでよしとするのか、どちらでしょうかと質問したのですが、なかなか明確な答えはありませんでした。

 もしかしたら憲法上の人権というものと法律上の人権というのをアメリカでは余り意識されていないのかもしれませんけれども、特に日本では憲法上の人権として規定すべきかどうかということは非常に大きな問題となっております。それはなぜかというと、やはり憲法で規定すると、その人権というのは時の法律によって変えることができないという、こういう効果を持つわけでありまして、やはり憲法上の人権と法律で認める人権とは明確に区別されるんだろうと思います。

 ここのところでいろんな方から伺って思ったことですが、アメリカの場合には最高裁の憲法判断についての信頼というものが非常に高いと。例えばジョージタウン大学のタシュネット教授の方も、最高裁の判決による解釈が実質的な修正の役割を果たしており、必要な状況に対応しているということなので、この判例によって、最高裁の判断によって憲法上の解釈が示されるということで解決しているのだなと、このように思いました。日本の最高裁とアメリカの最高裁のあり方、これについても検討してみる必要があるのかなと、このように私は思いました。

 次に、私が興味ありましたのは、立法府としての議員活動がどのようになされているかということでした。

 ロックフェラー上院議員のお部屋にお邪魔したわけなんですけれども、部屋が向こうはめちゃくちゃ広いという、これはもう予想しておりましたけれども、本当に執務環境は非常にすばらしかった。それからロックフェラーさんが、議員事務所のスタッフは四十名、さまざまな政策分野の専門家がおりますよと。ヘルスケア専門、環境政策、国際関係、アジアの関係等々、これは報告書に書いてあるとおりです。それで、いろんなところで自分のスタッフというものをヘッドハンティングといいますか、見つけてはそこで交渉して自分の事務所に来てもらうという、こういう形でスタッフを整えているということがわかりました。

 それで、いろいろ数字を調べてみまして、議員歳費という点では日本の国会議員の方が、これは上院ですけれども、上院議員よりもよいと。日本の場合は年間大体二千四百万、アメリカの場合は大体千五百万ぐらいでしょうか、になります。ところが、議員歳費以外の支給額という点で、日本ですとこれは文書交通費と議員秘書手当がこれになると思うんですが、これが大体四千四百万ぐらいです。これに対応するアメリカの上院の場合の費用がどうなっているかということを見ますと、これは職務手当というものとそれから秘書手当という、これが対応しますので足してみますと、この支給額というのは、州の大きさとかそれからワシントンDCまでの距離とかによってそれぞれ違うそうですけれども、大体一ドル百二十円で日本円に換算しますと二億三千万円から三億六千万円とかという、全然違う。

 ただ数字だけを、金額だけを比較するというのはいけないと思いますが、なぜ四十名ものスタッフが雇えるのかと考えたときに、上院の方では職務手当と秘書手当それぞれに流用、交互に流用できるので、その範囲内でいろんなことをやるんだという、こういうことがわかりました。ただ金額、たくさん要るというのではなくて、これについてはイギリス、ドイツ、ほかの国とも比較してみる必要があると思います。

 いずれにしましても、これから議員立法とかそういうことが大事になってくるに従って、それだけの、立法するだけの十分な体制がとれているかどうかということもやはり真剣に検討すべきではないかと私は思います。

 それから一つ、連邦議会調査局も訪問しましたけれども、議会図書館に属するということで、報告書にもありましたとおり、両院、委員会議員及びスタッフの活動を援助するということで、年間十万件の調査例がある、約七百五十名のスタッフがいるということでありました。それぞれの方が非常に専門化されているということであります。日本のように、これは調査室制度がありますけれども、各委員会に対応するという、これは果たして能率的なのかどうかと。人員とかそういう専門化の状況とか比べて、これもやはり検討する必要があるのではないか、このように考えました。
 以上です。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、大脇雅子君。

○大脇雅子君 私は、アメリカの憲法修正について、先ほど団長の御報告にありましたように、憲法修正というのは上下院の三分の二と州の四分の三の賛成を要するという意味で、最も修正が困難な憲法、いわゆる硬性憲法であるということでありまして、もし修正をするとすれば、アメリカにおける憲法修正は政治的な違いを超えたコンセンサスが必要である。

 また、アメリカはコモンローの国で、ある種、書かれていない原則というものが社会にはありますが、アメリカの最高裁判所のオコナー女史は、次のように述べられました。時代の要請で法律は変えていかなければならない、こちらは法律で対応してきた、被害者の権利とかプライバシーの権利、環境権等は、一々憲法修正によらず個別法で十分対応してきた。

 そして、ジョージタウン大学のタシュネット氏は、アメリカの最高裁判所の判例というのは憲法の修正と同じ効果を持って、アメリカ国民は最高裁判所の判例を自分たちの権利の根源だと思っているというようなお話でした。

 ロックフェラー議員が、今回のブッシュ対ゴアの選挙に関して、裁判所は憲法の強さを国民に示した。彼は民主党ですから結果には不満であるけれども、危機のときに劇的に憲法が試されたというような言葉を言っておられました。

 これを見まして、私は、憲法条文それ自体を平面的な形で議論するのではなくて、我々がその憲法体系としての立法というものをどのようにしてきたのかという検証も必要ではないか、そして多種多様な判例の意味、それから国民の規範意識というものもむしろ視野に入れた議論が必要だというふうに考えました。

 国の機構につきましては、連邦制の強さというものが非常に、日本の県というような地方自治の問題とかなり違っているということでありまして、政治はローカルという言葉を幾つか聞きまして、その意味では連邦制というのはアメリカの特殊な法体系、あるいは憲法にも影響を及ぼしているのではないかということです。

 議会に関しましては、立法府が、上下の両院が拮抗して立法や政策に取り組み、党派を超えて議会の専門性というものを確立するためにたゆみなき努力をしているということを知りました。予算局、調査局、会計検査局などがございまして、スタッフの増員と充実、そして議員のスタッフの八〇%が立法のサポートをしているというような実態も知りました。

 政治のイニシアチブというのは、政治任用といいまして、大統領がかわりますと多く交代するわけですから、そうした専門性を持つアドバイザーの採用とともに、まさに政策というのはそこでイニシアチブがとられて、官僚制度にのみ込まれないことが行われているということでございました。

 最後に私は、日本国憲法についてオークランド市長のジェリー・ブラウン氏が言われた言葉を御紹介したいと思います。

 日本が平和にコミットしているということは非常にいいことである。しかし、軍事的予算は世界の二位だということで、憲法を重視しない、回りを行くということが実行されてはいるが、これから二十一世紀、憲法九条は戦略的に非常な重要性を持つだろう。創造的な政策を世界の平和をつくり出すために実施し、他国といい関係をつくっていく必要がある。核兵器の時代に、核の時代に一つの国の法律、憲法として考え抜いた役割を持つことが大切だという示唆は、大きな私は感動を覚えました。
 以上でございます。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、岩本荘太君。

○岩本荘太君 無所属の会の岩本荘太でございます。
 今回、私は我が会派の水野誠一委員の差しかえということで参加させていただきまして、そういう意味で今まで憲法調査会、参加したのがございません。今回初めてでございますので、ある意味で的外れがあるかもしれませんが、その辺は御容赦を願いたいと思います。

 それで、今まで団長以下大体詳細に御報告いただいておりますので、その辺はもう私が申し上げるまでもないと思いますので、私自身の参加した感想といいますか、その点について申し述べさせていただきたいと思っております。

 ひとつ、これはちょっと言いづらいんですが、私は積極的に参加させていただいたんですけれども、参加させていただいて実際現地に行った場合に、どういうスタンスでこの調査をといいますか、視察をするのかということに自分自身思い悩んだわけでございます。先ほど、団長の御報告でもいろいろ憲法、アメリカの憲法等を勉強するというようなことでございましたが、それはそれでいいんですけれども、アメリカの憲法を学んでそれをまねすると言っちゃおかしいですけれども、ただ学びに行くということなのか、あるいは日本の憲法についてアメリカの方々のいろんな御質問を受けることなのか、その辺が非常にわかりづらい。

 先ほどもございましたが、憲法、日本のものであれば日本人がつくればいいんじゃないかということでございますので、そういう意味で少々私自身が迷ったところがございますが、結論、自分自身の結論としては、やはり今の世界の情勢、これを皆さんの御支援をいただいて視察させていただいて、そういう中からこれからの日本の像を探し出すのがということかなということで参加させていただきました。

 そういう意味で感じたことなんですが、これはひとつ、先ほど来から重複していることでございますけれども、いわゆるアメリカの憲法は非常に変えづらいと。しかし、憲法に、本来憲法でやるべきような判断、そういうものが最高裁等の判断でしっかりと決められていくということは、ある意味ではこれは国民の総意というものが非常に尊重されているんじゃないか、その時々の多くの方々の御意見が尊重された上での物事の決定の仕方というのではないのかなというような感じがいたしまして、そういう方法も一つあるんではないのかなという印象を受けたわけでございます。その場合には、したがって憲法というのは非常に根源的なものだけを取り扱うものであるのかなというような印象を受けました。

 それともう一つは、これとも似ているんですけれども、いわゆる憲法の条文ありきでなくて、まずこれからの日本、特に二十一世紀に向けての日本がどうあるべきかというビジョンといいますか、国民総意のこういうビジョンというものがあって、それを、そのうちの根源的なものを明文化、成文化するというようなものが本来の姿ではないのかなというような点を感じたわけでございます。そのためには、今申し上げましたことにつきましては、いわゆる情報公開等を積極的に図って国民的な議論をさらに盛り上げる必要があるんじゃないのかなというような気がいたしました。

 それともう一つ、これは我田引水的なところがございますが、やはり息の長い検討というものも必要かと思いますので、そういう意味では、衆参両方に憲法調査会というのがございますが、参議院の使命といいますか、一定期間の任期が定まっているわけでございますので、参議院の審議というのが非常に大きな意味を持つんじゃないのかな、その辺を心して私どもも議論しなきゃいけないんじゃないかな、こんなふうな印象を受けた次第でございます。
 大変雑駁でございますけれども、以上で報告を終わらせていただきます。

○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 それでは、ただいまの外国派遣議員の報告を踏まえた御意見並びに今常会からのテーマとなります国民主権と国の機構に関する御意見など、憲法をめぐる諸問題や今後の調査会の進め方について、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。
 まず、各会派を一巡して御発言をいただきたいと存じます。
 それでは、御意見のある方、順次発言願いたいと思います。野沢太三君。

○野沢太三君 自由民主党の野沢太三でございます。
 江田団長初め訪米調査団の皆様には、正月早々から米国のワシントン、サンフランシスコを訪問されまして、多数の要人と面会され、政府、議会、研究所などを訪れて意見を交わしてこられました。ただいまその報告をお聞きし、感銘を新たにしたところでありますが、まことに御苦労さまであり、改めて御礼を申し上げます。

 米国の憲法は、皆様御承知のとおり、一七八七年に制定以来二百年以上経過した世界最古の成文憲法でありますが、今日まで二十七項目の修正を経まして、今なおアメリカ社会を支える国家原理として機能していることは注目に値するところと思います。

 アメリカの憲法成立過程は、イギリスなどからの植民地支配を脱して独立をかち取り、連邦制を基本としながら大統領に権限を集中し国の統一を実現している点は民主主義政治の一つのモデルとして評価されてまいりました。また、州を単位として二人ずつ選出する上院と、人口に比例して選出する下院との役割分担もわかりやすく明確であります。

 現在の日本国憲法が、戦後、GHQの指導のもとにアメリカ憲法の影響を受けて制定されたことは周知の事実でありますが、一九四六年以来五十五年の年月を経た今日、多くの問題点を抱え、衆参両院で見直しの議論が始まっておるところでございます。今後の憲法論議の中で、アメリカ憲法と関連法規につきましては、一つの先例、実例として、国情の違いはありますけれども、絶えず参考にすべき存在であると考えられます。

 それでは、調査団の報告に基づきまして幾つかの意見を申し上げたいと思います。
 今回皆さんが訪問されましたブルッキングス研究所におけるフレンゼル研究員とウィーバー研究員と交わされました討議の中で、上院と下院のあり方、二院制の是非について示唆に富む御意見が出ております。これから私どもの進めてまいります参議院制度の改革についても積極的な方向を示しているように思われます。特に、立法府が政策形成機関として大統領府、行政府と渡り合うため、独立した調査機関、独自のスタッフ、外部の専門機関への調査委託の制度が大変充実整備されていることは注目に値することと思います。また、議員個人や委員会付のスタッフも恵まれており、議員立法中心の議会運営が保障されていることは、民意を代表して立法作業に従事し、政策目的を実現する国会という機能の実行のために極めて有効と考えられるわけでございます。

 また、インデペンデント・セクターの訪問で米国のNPOの活動ぶりが示されていますが、成熟した民主主義社会における市民活動と行政サービスあるいは政治のあり方について、これからの日本社会にとって注目に値する動向と考えられます。

 連邦議会調査局への訪問でナント専門員とトーマス顧問に会見をされておられますが、ここでは憲法の修正条項とその手続について調査されていらっしゃいます。

 大変この修正にかかわる問題については有益な示唆がたくさんあろうかと思いますが、当初の合衆国憲法制定時には入っていなかった人権条項というものが少しおくれて加えられまして、さらには大統領の任期、副大統領の継承権等が追加されて今日まで至っておるわけでございます。そして、憲法の改正には、先ほど大脇先生からも御報告がありましたように、両院の三分の二の発議が必要であり、四分の三の州の批准が必要であります。修正条項二十七については、何と二百年ぶりに発効するというようなそういう事態も起こったように伺っておるわけでございますが、比較憲法を研究してこられたマーク・タシュネット教授の言うように、一九四七年に採択されました日本国憲法は、イメージ的には上から押しつけられたような印象があるわけですが、比較的これは成功している憲法であるという指摘をされております。

 そして、米国憲法が今日世界で最も修正が困難な憲法の一つであるにもかかわりませず、これまで二十七項目の修正を実行され、さらに最高裁の判例を通じて実質的な修正の役割を果たしまして必要な状況に対応してきたことは評価されるところと考えます。特に、人権に対する認識が近年発達しまして、憲法で明記されていない権利がどうすれば尊重されるかという点で最高裁の判断は神聖な意味を持つとの指摘は重要であります。

 いずれにしましても、二世紀以上も前に制定された合衆国憲法が時代おくれとか現代に適応できないなどの批判を受けながらも、今日、米国の国家規範の大黒柱として、日常の政治、経済、社会の生活の隅々まで影響を及ぼし、確固たる地位を築いていることは貴重な歴史的実績と思います。

 我々は、さらなる調査と議論を重ねまして、二十一世紀の日本の望ましいあり方を決める憲法をみずからの考えで生み出し、みずからの手でつくり上げていく努力を重ねる必要がございます。この場合、米国憲法の修正過程は大切な参考例となり得るものと思います。

 訪米調査団の皆様に重ねて感謝申し上げ、討論を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) 直嶋正行君。

○直嶋正行君 民主党の直嶋でございます。
 訪米調査団の皆様、大変御苦労さまでございました。
 今の御報告をお伺いし、また先ほど会長の方からございましたように、この国会における憲法調査会のテーマに関連しまして、きょう私は二つのことを御提言をさせていただきたいというふうに思います。

 一つは、首相公選制についてであります。
 もちろんアメリカは大統領制でありますが、我が国においても首相公選論というのが大変幅広く語られるようになりました。そういう意味では、一つの世論としてこの首相公選論というのがいろいろ形成されつつあるんではないかというふうに思います。しかし、首相公選の是非等は議論されますが、その具体的な内容等については余り議論の中でも明らかになっておりません。

 以下ちょっと議論を進める上で、この議論を進める場合にはどうしても天皇制が一つ問題になります。したがいまして、以下私の意見を若干申し上げますが、私はその場合に、現在の象徴天皇制を前提にして意見を申し上げるということで御理解をいただきたいと思います。

 首相公選制についてメリットはたくさんあるというふうに思います。
 一つは、やはり現状さまざまに言われます国民の皆さんの政治への意識が高まるということは申し上げられると思います。また同時に、直接国のリーダーを選ぶということは、国民主権の発動ということで考えますと、もう一つ新たな道を開くということになると思いますし、もちろんリーダーとしての首相のリーダーシップは強化されるというふうに思います。

 しかし、一方でいろいろ問題もあるんではないかというふうに思います。例えば、近年、首相公選制を取り入れたイスラエル、私もおととし訪問する機会があったんですが、イスラエルの場合は、首相公選制を取り入れたことによって国民の皆さんが二票を持つことになった。そして、大きな問題は首相公選で、国会議員の選挙は身近な問題でと、こういう意識の結果、国会がたしか百六十の定数だったと思いますが、小党が乱立しまして、十五、六の政党が乱立すると。逆に政治が不安定になったという指摘もなされております。

 したがいまして、私は、首相公選制を議論する場合に議院内閣制との兼ね合いをどうするかということが大きな問題になると思います。また一方で、大統領制についても、アメリカの場合はうまくいっていると言われておりますが、その他、例えばお隣の韓国でも議院内閣制にしてはというような議論があるやに聞いております。

 したがいまして、ムード的に首相公選論をただ議論するんではなくて、こういった今申し上げましたような例えば議院内閣制と大統領制のメリット、デメリット、そういったものも含めてこの憲法調査会で本格的に議論をすることは、国民の皆さんから見ても大変国会の憲法調査会の議論としてはふさわしい議論ではないかというふうに思います。したがいまして、こうした議論ができるような方向をぜひ幹事の皆さんにつくっていただきたい、こういうふうにお願いを申し上げたいと思います。

 二つ目は、今の議論とかかわるんですが、古くて新しい問題でありますが、参議院のあり方の問題であります。私は、やはり二院制そのものと参議院のあり方について、この参議院の憲法調査会で議論をすべきだというふうに思います。

 この点については、これまでの議論の中でも何人かの委員の皆さんからも問題提起がございますし、私どもがお招きした参考人の中からも議論がございました。参議院の問題点として、よく政党化ということと、それから第二院としての役割ということはよく言われます。ですから、選挙制度の問題も絡むかもしれません。しかし、憲法調査会でありますから、例えば衆議院優位の規定がなされています五十九条、六十条、六十一条、六十七条、それぞれございますが、私、これを見ますと相互の、何をもとにそれぞれが規定されたのかよく理解ができない部分もございます。

 したがいまして、こういった憲法の具体的な規定も含めて、第二院としての参議院の役割をきちっと議論する大変いい場ではないかというふうに思います。恐らく衆議院の憲法調査会ではここらあたりの議論はなかなかなされにくいんではないか。むしろ、参議院であるゆえに、あるいは参議院の憲法調査会であるからこそ、みずからこの参議院の役割を取り上げ、改めて議論をしてみる。

 これまで、参議院についてもいろいろ提言がなされていますが、やはり憲法の規定が前提にどうしてもなってまいりまして、根本的な議論が余りされてこなかったように思います。先般の有識者の報告書はややそこに踏み出しておりますが、私どもみずから根本的に参議院について議論することは大変大事なことだというふうに思いまして、私個人の見解としては、この部分に関しては、例えば本年の参議院選挙後で結構でございますから、この調査会に何か分科会のようなものをつくって集中的に議論をする、こういったことをトライしてもよろしいんではないかというふうに思っておりますので、御提言申し上げたいと思います。

 以上二点、よろしくまた御議論賜りますようお願い申し上げます。
 ありがとうございました。

○会長(上杉光弘君) 次に、山下栄一君。

○山下栄一君 公明党の山下でございます。
 ことしの一月の委員派遣の、参議院の憲法調査会のメンバーを中心とする調査ですけれども、大変精力的に懸命の調査活動されたんだなということを団長初め参加の方々の御意見ちょうだいしながら感じたんですけれども。

 私、今それをお聞きしながら、私はアメリカ余り行ったことありませんし、こういう憲法の観点からそんなに考えたことございませんでしたので、今御報告を聞いた範囲でございますけれども、基本的に日本の政治風土とアメリカの政治自治風土といいますか、基盤のところで違うんだなと。特に、憲法を変えるとか変えないとかということから始まったと思いますけれども、そのもっと以前のところで国民の意識が違うなというふうなことを何となく今感じまして、要するにアメリカの場合は伝統、憲法も成文憲法、一番古い話もございましたけれども、同じ硬性憲法でも背景が違う。

 日本の国民の場合は立法、行政、とりわけ立法、行政ですけれども、三権そのものに対する信頼が余りないんじゃないのかなという、何となく司法が最後のとりでかなというふうなことを思っていたと。ところが、その司法そのものもちょっと危ういぞと。立法府の議員はもとから信頼は余りない、行政は税金むだ遣いしとるんちゃうかというふうな、そんな司法も何となく身近でないから、信頼とか信頼しないという以前の問題があったと思いますけれども。聞いてみたら、三権そのものが揺らいでおるというふうな、だから何となくアメリカの場合は最後のとりでがあるというふうなことを何となく感じていると。それが先ほどのお話では最高裁であり、もう一つやっぱり地方自治という、自分たちでつくり上げてきたんだというそういう意識があると。合意をつくりながら自分たちでつくり上げてきたんだと、コミュニティーも、場合によったら州もというふうな。

 そういうことで、日本の国民は何となく憲法というものしかないな、最後のとりではと。それをそう簡単に変えられたんじゃたまらぬなというふうなものがやっぱり何となくあるんじゃないのかなと、そういうことを聞きながら感じました。

 さまざまなものが音をたてて権威が崩れておるわけですけれども、身近で言えば、昔はお巡りさんとか学校の先生が信頼があったけれども、お巡りさんとか学校の先生、それが今悪いことをしておるというふうなこと。家族も、お父さん、お母さん、親が子供を殺すというふうな、考えられない、親子のきずなは一体何なのか、そこが崩れたら人間は何なんだというふうなところまで今いきかけておると。

 信頼ということが感じられない人がどんどんふえているというふうな状況の中で、コミュニティーといいますか、一番身近な人のきずなをつくっていくというふうなことから始めないと、実感のこもる身近なところから始めないと、家庭もそうですけれども地域もこういう信頼感を養成していかないと、憲法というふうな議論までなかなかいかぬのじゃないかなというふうなことを感じた次第でございます。

 それともう一つは、先ほどの言葉の中で、だれでしたか最高裁の判事さんでしたか、基本的人権というのは自然権ではないというふうなことをおっしゃったと。これはちょっと意外な感じがしまして、人権というものに対する考え方もいろいろ基本から議論する必要があるのかなというふうなことを感じたんですけれども、憲法という成文によって与えられたものではない、基本的人権はというふうなことを私は理解していましたので、アメリカの判事の方が、自然権じゃないんだ、憲法によって与えられたのが基本的人権なんだということは根源的な問いかけだったので、ちょっとショックを受けたわけですけれども。
 私は、人権という人間の権利というふうなものも、ほかの人がいらっしゃって初めて人権というものが成立する、他者への配慮がないような人権というふうなことは成立しないんじゃないかなというふうに思うんですけれども、ところが何となく人権というのは自分の権利というふうな方向がどんどん強くなっているというふうなことを、それが今非常に大きく問われているわけですけれども、他者を配慮しない人がふえておるというふうなことで。人権というのは、本来自分の、他者を配慮しない自分の権利というふうな考え方はそれは権利と言えるのかというふうなこともしっかりとやはり確認をする必要があるのではないかというようなことも感じた次第でございます。いろいろさまざまな御報告を聞きながら、一番基本のところからスタートしないと日本の国というのは始まらぬようなところまで来ているなということを感じた次第でございます。
 以上でございます。

○会長(上杉光弘君) 橋本敦君。

○橋本敦君 日本共産党の橋本敦でございます。
 アメリカ調査団の皆さん、大変御苦労さまでございました。
 調査団の報告と本調査会の今後の調査に関連をして発言させていただきます。
 今回のアメリカ調査団の報告や日程を見ますと、アメリカ憲法と我が憲法との比較、特に人権保障問題が重要な課題になったのではないかと思います。

 まず、基本的人権の問題では、アメリカ憲法は修正条項で表現の自由などを明記していますが、日本国憲法のように憲法そのものによって基本的人権を具体的に明記しておりません。また、労働基本権や教育権などの社会権なども盛り込まれていません。このことは、調査団の報告のオコナー最高裁判事との懇談でも判事から述べられている状況であります。この点で、国民の基本的人権、社会権、生存権の保障を憲法で明記している日本国憲法は、アメリカと比べて大変すぐれた内容を持っていることがまず明らかではないかと思います。

 次に、調査団の報告では、アメリカ憲法と環境権、プライバシー権など、いわゆる新しい権利の問題が焦点の一つになったようであります。

 この点についてのアメリカの基本的見解は、報告書にもありますが、オコナー判事の、法律により確保するもので憲法を一々修正する状況にはないという発言にも代表されます。これは、同判事ばかりではなくて、米議会調査局や憲法学者との懇談でも出されたとのことでありますが、例えばジョージタウン大学のタシュネット憲法学教授も、新しい権利の問題について、人権問題などは憲法でないその他の立法措置で対処していくことができるし、これが大事であると語ったと小泉議員から報告を聞いております。

 これは、改正の手続と要件の厳しいいわゆる硬性憲法であるアメリカ憲法の特徴とも言えますが、同じ硬性憲法である日本国憲法においても参考にすべきことではないかと思います。すなわち、このことは新しい権利を理由に憲法を改正する必要性は必ずしもないということを示していると言えると思うのであります。

 次に、今後の調査会の運営と課題について発言をいたします。
 本調査会では、次回から国民主権と国の機構についてテーマ別の調査に入ることになりました。

 国民主権の問題は、当然憲法制定当時にも重要な問題になりました。当時の松本案では明治憲法と同様に国体護持が主張され、政府の改正案でも天皇制について国民至高の総意と規定するなど、いわゆる国民主権は明確ではなく、むしろ天皇主権を擁護するものでありました。

 こうした中で、日本共産党は、主権在民を明記した案を提出いたしました。明確に主権在民を主張した草案を提起したのは、当時の政党の中では日本共産党だけであったように思います。そして、審議の結果、国民の強い支持の前に、前文では「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と明記されるに至りました。

 振り返ってみますと、二十世紀は、これを大局的に見れば、民族の独立と諸国における主権在民の確立が歴史の大きな流れとなった世紀でありました。本調査会は、国民主権を調査テーマとするに当たって、こうした歴史の本流を踏まえて、天皇主権から国民主権となった歴史の発展方向に沿った現憲法の特徴と基本理念、世界の憲法との比較などについて、広範かつ総合的な調査を行うことが必要であると考えます。

 次に、日本国憲法のすぐれた内容である国民主権が現実政治の中でどのように実現されているのかどうか、これを明らかにすることも重要な調査課題であります。

 といいますのは、現在日本には日米安保体制のもとで全国各地に百三十カ所以上の米軍基地が存在しております。この基地はいわゆる治外法権のもとに置かれています。同時に、日米地位協定によって、米軍は、裁判権を初め、専用空域、航空法の適用除外などによる超低空飛行訓練など、ほしいままに行い、さまざまな特権を与えられております。

 米兵による無法な事件も繰り返されております。
 例えば、沖縄では、新年早々に、米海兵隊員による女子高生への強制わいせつ事件と、米兵、軍属による傷害・器物破壊事件が続発をいたしました。これに抗議をして、沖縄県議会では初めて海兵隊の削減決議を全会一致で可決しております。さらに、今月、沖縄北谷町で海兵隊員の連続放火事件が発生し、容疑者の身柄引き渡しをめぐって、町議会や県議会が地位協定改定を盛り込んだ決議をこれまた全会一致で採択しています。

 さらに、米空母艦載機によるNLPの問題では、先月、これに苦しむ全国五つの市長が集まって、住民に対する多大な人権侵害である訓練の中止を訴え、連携していくことが確認されております。

 こうした事例は、日本が安保体制下で、国民の人権のみならず日本の国民主権が制限されているのではないかという、こういう実態を如実に示しています。これを国民主権との原則でどう見るのか、本調査会でも重要な調査テーマとすべきであると思います。

 さらに、国政において国民主権がどのように具現され、国民主権に基づく国民の権利が国政運営上どのように実行されているのかを検証することも重要な課題であります。具体的には、国政選挙における一票の重み、格差是正の問題、国会の民主的運営と国民のための審議権の充実と保障をどうするか、こういったことも含めて調査すべきであると考えます。

 以上のように、世界でもすぐれた我が憲法の国民主権が現実政治の中に正しく生かされておらず、乖離、ゆがみが存在していることに注目する必要があります。憲法を守る立場からこのゆがみを正すことこそが必要であると考えます。本調査会では、このような乖離の実態を検討し、どう是正するかを検討することが重要であると考える次第であります。

 そのためには、憲法学者の皆さんからの貴重な参考意見を聞くことも必要ですが、それとともに、この調査会が主体的に広範かつ総合的な調査という観点に立って、各党各委員間の討論はもちろん、現実政治の実態について、政府に対する質疑、調査も行う、こういうことも必要であると考えております。

 以上の観点から今後の調査を進めていきたいと思います。
 以上であります。

○会長(上杉光弘君) 福島瑞穂君。

○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。
 アメリカの視察をされた方々の報告は、本当にありがとうございました。大変示唆に富むもので、大変ありがとうございました。

 私は、きょう、二つのことを申し上げたいというふうに思っております。
 まず初めに申し上げたいことは憲法九条の意義です。憲法九条とアメリカの原子力潜水艦の事故の問題について、まず述べたいと思います。

 宇和島のえひめ丸がアメリカの原子力潜水艦によって沈められた事件は、すべての日本の人たちにとっても大変ショッキングなものだったと思います。私は、これは軍隊の人命の軽視のケースというふうに考えています。

 デモンストレーション用に民間人がハンドルを握り、デモンストレーションとして急浮上したと報道がなされました。これは本当にそのとおりだとすれば、軍拡にあえぐアメリカの軍隊がやはり非常に先走りをして人命を軽視したというふうに言わざるを得ません。

 アメリカの原子力潜水艦は、皆さんも御存じのとおり、最先端の科学技術を集めた非常に性能のいいものです。音波により何か物体があることを把握しているわけですから、恐らく望遠鏡によっても確認をしたものと思われます。

 これは私の想像ですが、びっくりさせて、日本、まあ漁船をびっくりさせるだけが目的で急浮上した結果、もしかしたらハンドル操作を誤りぶつかってしまったということもあるかもしれません。

 今は冷戦構造が崩壊し、軍縮に世界は向かっております。ヨーロッパの多くの国はもう軍縮に向かっています。アメリカはその軍縮に抵抗するために、例えば軍隊がこういう民間人を入れてデモンストレーションをすることで理解を得ようということは広く知られていることです。日本においても、例えば厚木基地の上で基地開放の日にデモンストレーションを行います。これについては住民からの非常に反発があり、去年は神奈川県下の小学校、中学校の運動会がデモンストレーションのフライトのためにめちゃめちゃになってしまうということが起きました。

 つまり、私がここで申し上げたいのは、軍隊は決して命を守らない、命を軽視している、そういうことです。それを踏まえて、私たちは憲法九条の意義をここで再度確認することができるのではないでしょうか。

 軍隊は人の命を守らない、人命を軽視しているということについては、例えば日本では、第二次世界大戦を迎える直前に沖縄において、沖縄の人たちがむしろ守られるのではなくてスパイではないかという非常に疑いをかけられ、作戦のために多くの人が亡くなってしまったという事実からも明らかです。また、満州において、軍隊は先に引き揚げてしまったけれども逆に民間人が置き去りにされて、現在もなお存在する残留孤児の問題などは、むしろ軍隊が人を、女、子供、人々を守ってこなかったということのあらわれだと私は思います。

 また、例えば自衛隊においても、例えばこういうものがあります。一九五七年一月の陸上自衛隊幹部学校資料によると、自衛隊が地方に対して行う業務の一つとして、「作戦上許す限り住民を保護する」としていることもこの事情の一端をあらわしているのではないでしょうか。つまり、「作戦上許す限り住民を保護する」、重要なことは国を守ること、あるいは作戦を遂行することであり、まず住民を保護する、あるいは人命を保護するということではないという面があるのではないでしょうか。

 アメリカの原子力潜水艦はすぐ漁船の人たちの救助を行わなかったというふうに言われております。やはり作戦、軍隊の作戦が重要なわけですから、人命救助がおくれたのではないかというふうにも思っております。もちろん、現場の一人一人、個人個人はヒューマニストであり、人の命に対して鋭敏な感覚を持っていらっしゃる人はもちろん多いとは思います。しかし、軍隊のメカニズムとして住民の命を守る、人命を守るという形になっていない、そのことを私は言いたいと思います。

 だからこそ、きょうのアメリカの視察の旅行の結果でも若干言及がありました。私は憲法九条こそ、平和憲法こそ二十一世紀の世界をリードする一つの哲学であるというふうに考えております。二十世紀は間違いなく戦争の世紀でした。核は二十世紀の負の遺産です。二十一世紀を戦争の世紀から平和の世紀に切りかえるために、憲法九条は世界をリードする大きな哲学であるというふうに考えております。二十一世紀をどうやって共生社会にできるのか、支配被支配の社会ではなく、国と国との関係、人と人との関係も支配被支配の関係ではなく、どうやって協調形態社会に切りかえていくことができるのか、それは私たち日本が世界の中でリードしてまさにやっていけることだと思っております。

 非常に手前みそですが、社民党は北東アジア安全保障機構をつくろうとして今努力をしております。韓国、そしてモンゴルに行き、お正月には中国へ行き、さまざまな各国のアジアのトップの人たちとの話し合いを党として続けております。北東アジアにおいて安全保障機構をつくる、北東アジアにおいて非核の宣言をしていくということを、本当に日本政府に対してもそのことが必要であるということを強く働きかけていきたいというふうに考えております。

 三月には、日本におきましてアジア太平洋社会主義インターの会議が行われます。社会主義といいましても、今はヨーロッパの多くの国がそうであるように社会民主主義インターになっております。去年、アジア太平洋社会主義インターは、アジアにおいて非核の宣言、非核を実現するという決議を行いました。私はそれがまさに憲法九条を生かすこと、憲法九条にまさに合致して、ヨーロッパの多くの国々も、世界じゅうの国々もまさにそのことを求め、支持していると考えております。

 ですから、この憲法調査会では本当に格調高く、どう実現していくのかをここで議論していきたいと思います。

 二つ目は基本的人権のことです。
 これは、ここの調査会は憲法改正調査会ではなく憲法調査会です。基本的人権をどうやって実現をしていくのか。きょうも欧州評議会の方々が日本を訪れております。国際人権規約B規約の勧告、子どもの権利に関する条約の勧告、女性差別撤廃条約の勧告など、日本はたくさん実現をすべきことがあります。また、違憲判決も若干ながら出ており、また最高裁ももう少し踏み込んでさまざまな違憲立法をしてもらいたいというふうにも考えております。

 そういう意味では、この調査会の中で、これからは国民主権についての議論なんですが、国民主権の点で何が具体的に問題なのか。学者のみではなく、具体的に例えば裁判を起こしている当事者やその問題を扱っている人たちもぜひ呼んでいただきたい、話も聞きたいというふうにも思っております。

 また、あるいは基本的人権のテーマの中で、日本で何が非常に重要な課題なのか、憲法を生かすということをどう実現していくのかということを丁寧にこの調査会でやっていただきたいというふうに考えております。
 以上です。

○会長(上杉光弘君) 岩本荘太君。

○岩本荘太君 先ほどの補足でもございますが、今、第二ラウンドで民主党の直嶋委員からお話しございました二番目の点、参議院のあり方についての御提言がございましたが、私もこれ賛成でございまして、実は今回行きましたのは、私個人としても、個人の一番の関心事はそれがアメリカではどうなのかということでございました。

 調査といいますか、私、行った結果、必ずしも明確な事情はわからなかったんですが、それは一つはアメリカと日本、国と県、あるいは連邦と州という立場の違いがあるんだろうと思いますし、また上院、下院のでき上がった過程というような問題もあると思うんですが、そういう意味で必ずしも日本とぴったり話がかみ合うということがなかったんではないかなというような反省をしておるわけでございますけれども。

 ただ一つ、直接二院制とは関係ないかもしれませんが、アメリカの場合非常に党議拘束がない、党議拘束が薄いということですか、というようなお話を伺いまして、それでいて党が存在しているということは、党は何のために存在しているのかということを質問いたしました折に、先ほどの報告書の中に書かれておりますけれども、いわゆる哲学は持っているけれども、その根本で集まっているだけで、それ以外の、小さな問題と言ってはおかしいですけれども、それ以外のことについてはそれぞれが各個人の判断でやるというようなお話がございまして、そういうことが一つ、そういうことが土壌になって上院というものの存在がかなりアメリカの場合は強く出ているのかなというような感じがいたしました。

 そんなことで、要するに上院と我々の参議院というものはこれ、それぞれ比較、とを比べて考えるべきかどうかということがございますが、それがちょっと違うんじゃないかという部分もございますけれども、要するにこの参議院のあり方、これは非常に大事なことであると私どもも認識しておりまして、ぜひとも先ほどの御提言の実現というものをお願いしたいなと、こう思っておる次第でございます。
 以上でございます。

○会長(上杉光弘君) 平野貞夫君。

○平野貞夫君 自由党の平野でございます。
 まず第一に、昨年一年間、衆参両院で活動しました憲法調査会の印象から申し上げたいと思いますが、率直に言いまして、活動の意義というのはあったと思いますが、議論の内容は、護憲派、改憲派、論憲派という三つに分かれて、それぞれ外部から学者、参考人を呼んできて意見を聞いて、意見の言いっ放しということで、どっちかというと議論がかみ合わないといいますか、非常に言葉悪く言いますと、両院の憲法調査会は憲法のあり方、憲法認識といいますか、そういうものについてどうも多民族国家のような印象を受ける場面がしばしば私はございました。何とか、同一民族でございますので、憲法を共有するというような認識で、ことしはかみ合わせのいい議論をひとつ進めていただきたいという、こういうお願いをまずしておきたいと思います。

 そこで、そういった反省をもとに、実は自由党では昨年十二月十三日に「新しい憲法を創る基本方針」というものを十二項目にわたって概要をまとめて発表いたしました。これは適切な時期を見て両院の憲法調査会に提出して御批判いただかねばならない資料でございますが、現時点で提出するということはちょっと自由党だけが突出し過ぎるというので実は様子を見ておるわけでございます。現在の混迷したこの日本のあり方を見まするに、やはり憲法のあり方といいますか、憲法運営の根っこのことについて、国会にいる人たちができるだけやっぱり共通の認識を持つということが大事だと、そういう思いでつくったわけでございます。

 幹事会に御相談した上、適切な時期にまた皆様のお目にとめたいと、入れて御高覧いただきたいと思っておりますが、実は新聞で発表したものですから各方面からいろんな反響がございました。右からも左からも批判されたり褒められたり評価されたり、話題になっておるんですが、実はこれを通じて、特に九条問題について、自由党は「九条の理念を継承する。」という表現を出しました。

 これは立党のときから持っている考え方でございますが、特にこれについて大変いろんな方が自由党は方針を変えたんじゃないかという言い方をされたわけでございますが、昨年暮れに社民党の土井党首と自由党の小沢党首が、このことだけじゃございませんが、憲法についての意見交換をしました。

 私も同席してみたんですが、率直に言いまして、土井党首は、前文と九条は変えるべきでない、言葉をこのままで置くべきだと、こういう意見でございました。小沢党首は、理念は両方とも継承すべきだ、しかし一字一句変えちゃいかぬということは、これは自分たちはそうは思わないと。特に、憲法制定時期に南原東大総長が九条の不備について指摘した分については、早い機会にああいう方向で整備すべきじゃないかという意見を言っていたんですが、要するに、意見はまだいろいろ差はありますが、自由党と社民党といえば憲法では水と油というように国民から見られておるわけでございますが、実は真摯に国や国民や世界のことを考えたら同じ次元でしかも同じ方向で議論できるということが私は勉強になりました。

 ですから、ことしは参議院のこの調査会では国民主権と国の機構とか基本的人権とか平和主義と安全保障という項目別に調査、議論がされるということでございます。どうかひとつ誤解を解いて、かみしもを解いて、このままの日本でいいかということをやっぱり与野党真摯に考えれば一つの方向は出てくると思いますので、これらの項目についてひとつ議論される際には、まとめとしてどの部分で意見が違うのか、どの部分で意見が一致するのか、そしてその議論の方向は同じ方向を向いているかどうか、こういうような一種の議論の距離感といいますか、そういったものを国民に理解してもらうような調査活動をお願いいたしまして、私の意見を終わります。

○会長(上杉光弘君) 佐藤道夫君。

○佐藤道夫君 最後になりました。私から申し上げたいと思います。
 会長の御交代という時期でもありますので一つのタイミングだと、こう思いまして、これからのこの会の運営について率直な意見を申し述べたいと思います。

 実は、一年か二年この会が開かれてからたちまして、大いに会議が盛り上がって国民の関心もこの委員会に集まっていると考えるのはこれは実は大うそでありまして、国民の関心はどうもいま一つというどころか、ほとんど関心を寄せてくださっていないのではないかとしか思えない。

 私は、周辺にいる者たちにこのことを知っているかと、今どういうことが問題になっているのかと、憲法改正の要否についてそれぞれ一人一人がどう考えているかと、そういう問いかけもしてみたわけでありますけれども、大多数の者は率直に言って関心は持っておりませんと。

 なぜかと、こう聞きますと、本当に改正を、あるいはそれを真剣に議論をする気があるんでしょうかと、その点にいささか疑義を感じておりますと。今までも改正が問題になって内閣や国会にこういうものが置かれたことがあるんですけれども、最初は花火が華々しく打ち上がるんですけれども、そのうちにしりすぼみになって、いつとはなしにうやむやになってしまったと。今度も同じでしょうと。改正改正と言いながら本当にやる気はないんでしょうと、また真剣に議論をする気もないんでしょうと、だから国民としてもいま一つ関心は寄せられないんですよと。私、それは本当だろうと思うんですよ。

 そこで、私の提案なんですけれども、こういうことをいつまでも議論をしていても仕方がないので、やっぱり期間を置いて、その間に何か結論を出すということが絶対必要なんだろうと思いますよ。一年でも三年でも、いやもう少し長く慎重に議論しようというなら五年でもいいと思うんですけれども、まず期間を定めて、衆議院のあの会とも連携をとりまして、そして五年以内、三年以内に結論を出そうと、そうしようということで国民にもアピールをする。そうか、そんなせっぱ詰まった話か、それじゃ我々も議論しようと、国民もそう考えてくれるのではないかと、こういう気もいたすわけであります。

 それから、国民が関心を持つような事項について、やはりこれを中心として議論をしてほしいという呼びかけもする必要があろうかと思います。

 今いろんな話が出ておりますけれども、前文、これはもう、いや立派なものだと、あれを改める必要はないという意見もありますし、しかし五十年前の話だと、終戦直後の国際情勢、国内情勢、すっかり変わっていると、いつまであんなものに拘泥しているんだという考えもありましょう。もう少しその辺について、前文をこのままでいいのかどうなのか。

 それから、これもしょっちゅう議論に出てくるんですけれども、九条ですね。条文と現実が全く食い違っている。いや、専守防衛だからこれは許されるんだとか、いろんな考えがあるようです、戦力なき軍隊はいいんだろうとか。しかし、条文を読んでみたら自衛隊が明らかに憲法違反であることはもう議論の余地はないわけですから。しかし、自衛隊は必要だとおっしゃる人はやっぱり九条の改正を考える、九条をどうしても守っていきたいという人は自衛隊を縮小し、いずれは廃止するという方向で、最終的な結論はこれ国民が出すわけでありますから国民にそれぞれが訴えていくと、国民も関心を持って議論するようになりましょう。

 それから、ついででありますけれども、二十条の政教分離。「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と。しかし、率直に申し上げまして、宗教団体が政治に進出して連立にも加わって権力を行使しているんじゃないかと。そういうことが必要なんですよというならばやっぱり二十条を改める必要があるわけであって、改めなさいと、改める必要がないというならばやっぱり宗教団体の政治への進出ということは憲法上御法度だと、こう言っていいわけであります。

 もう一つ取り上げさせてもらいますけれども、八十九条の私学助成の問題。だれが読んでもあれは私立学校に対して公金を支出してはならないと。ところが、何と何と年間五千億もの公金が支出されておってだれも怪しみもしない。一体これは何なんだろうかと。そういう金がないと私立学校はやっていけないんですよというならば憲法を改正すればよろしいわけですから。建前と本音、日本人というのは見事に使い分け、非常に上手な民族ですけれども、もはや二十一世紀、いつまでもこんなことでいいんだろうかと。

 それから、ついでながら、これは参議院に置かれた調査会でありますから、参議院のあり方、先ほども議論が出ておりましたけれども、参議院をどういうふうに改正すべきか、やはり議論をしてみまして、そしてそれを打ち上げて国民の意見を求めると。

 最終的には五年なら五年、三年以内に結論を出すと。改正しないならしないでもいいわけですからね。そういう考えでこれからこの運営を、むだな時間を過ごさないようにやっていきたいと、やっていったらどうだろうかと、こう思いまして、私、いささかの考えを述べさせていただいたと。
 以上であります。

○会長(上杉光弘君) 各会派一巡して御発言をいただきました。
 当然、本会を運営するに当たりまして、幹事会等で十分御意見等を踏まえた上で、各党の考え方も踏まえ運営をしてまいりたいと考えておりますが、なお時間がございますので、引き続き御意見のある方から御発言をいただきたいと存じます。武見敬三君。

○武見敬三君 会長、御発言をお許しいただいて、ありがとうございました。
 また、今の佐藤委員の御提案、審議に関しては一定の期間を設けて何らかの結論をやはり出すということを考えるべきではないかという御議論に対しては、私も全く同感であります。

 また、本日、訪米団に関する御報告をお聞きしまして、私つくづく感じましたことは、アメリカでこうした憲法や法体系の調査をすることを通じて、アメリカという国の多くの指導者あるいはエリートたちというのが共通の憲法をも含めた民主主義という価値観を基本理念とした国家観というものをはっきりと持っているということをやはり私はお感じになったのではないかと思います。残念ながら、戦後、我が国におけるこの国家観というものは、極めてあいまいなままに今日に至るまで推移してきたということを否定することはやはりできないであろうかと思います。

 また、私自身は、二十一世紀の日本の国、社会を考えたときに、やはり成熟した民主主義国家としてその将来を考えたいと考える者の一人であります。しかし、この場合、特に個人と社会との関係というものをどのように位置づけるかということは極めて重要な課題となるわけでありまして、そこでは、やはり民主主義ということを基本理念とするのであれば、常に個人にとっての自由が尊重され、またその自由が尊重される個人は、社会及び国家に対して一定の帰属意識を持ち、そしてそれによって社会に対する責任というものを自覚し、それによってまた社会に対し常に何らかの役に立つ行動をとろうというそういう意思が働いていなければいけないと考えるものであります。それによって初めてこの民主主義というものが実質成熟した社会を形成する基本理念になれるのであって、この自由と責任という問題をしっかりと議論することなくして我が国の将来像を語ることはできないだろうと思います。

 その場合、では、いかなる社会との関係、国家との関係というものを個人が感じ得るのかという点を議論する必要性がそこから当然出てきます。責任感というものを社会に持つ限りは、その社会に対する帰属意識なくしてその責任感を持つことはできません。そうすると、我が国におけるその社会に対する責任感を招来せしむる帰属意識というものは一体何を基本として出てくるのかということを改めて議論しなければなりません。

 その場合に、価値としての民主主義というものと、もう一つ、やはり我が国の歴史と文化というものの中からはぐくまれてきた天皇の存在というものを否定することはできないわけであります。

 したがって、我が国の二十一世紀の成熟する民主主義社会を考えるときに、自由と責任の問題、そしてそれとのかかわりで民主主義社会における天皇のあり方について、私どもはやはり基本的にしっかりとした議論を改めてしなければならないということを痛切に感ずるものであります。それこそが、改めて我が国が二十一世紀においておおよそ国民の大勢が許容し得る国家観というものを再構築していく上で必須のプロセスだと考えるからであります。

 こうした議論は、むしろタブー視しないでしっかりと議論することが必要であって、現に我が国では明治二十一年、帝国憲法が発布され帝国議会がその活動を開始する時期以前の段階においては、かなり自由にその国家観にかかわる議論というものがなされておりました。この戦前においてももう、民主主義と天皇のあり方について議論した知識人の一人であります福沢諭吉は帝室論と尊王論という二つの論文をこの時期に発表しているわけでありまして、私どもも同じく、二十一世紀、より長期的に我が国のあり方というものを議論する限りにおいては、また再び明治のこの初期における多くの指導者、知識人たちが考えたプロセスと同様のことを、私どもは改めて今日の世界、社会、国家のあり方を考えながら議論しなければならないだろうというふうに思っているわけであります。
 ちょうど、これで終わります。

○会長(上杉光弘君) どうぞ、体を大事にしてください。
 次に、江田五月君。

○江田五月君 先ほどは団長としての報告をさせていただきました。多くの方々から我々の努力をねぎらっていただきまして、本当にありがとうございました。

 私も一参加者でもございますので、一参加者としての感じたことなども多少付加させていただきたいと思います。

 さて、そこで、法律あるいは憲法、いずれにしてもそれが機能している社会の現実と切り離して法律なり憲法なりが独自に存在するということはないんで、比較法学あるいは比較憲法というときに、やっぱりその法律なり憲法なりが動いている社会の中でどうそういうものが役割を果たしているかということをあわせ考えながらでなければとても比較もうまくいかないし、そこから何かを学ぶということもうまくいかない。

 ということを考えながら、同時に、既に御議論ございましたが、私は、やはり二十一世紀というのは主権国家の重要性というのは次第に小さくなって、市民社会の時代になっていくんではないか。そういうことを考えますと、アメリカの市民社会に我々学ぶべき点がかなり多いのではないか。そんなことを考えながら、この憲法調査のスタートに、人権とかあるいは市民活動あるいは環境保護、そうしたことがアメリカの中でどう動いているかということをぜひ調査をしたいと思いました。

 そこで、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、その他の諸団体を訪ねました。これは、私は憲法の調査の方法としていささか異例かと思いますが、意味のあることであったと思っております。それが一点です。

 それから、これは大脇先生からちょっと御指摘あったところですが、アメリカという国は、法律全体の体系からするとコモンローの国なんですね。コモンローの国の成文憲法というのは一体どういうことになるのかなという、これはまだまだちょっと一週間ほどの旅行ではわからないところでありますが、オコナー判事が、人権は憲法で書かれているというだけであって、もともとアプリオリーの人権というようなものがあるわけではないといったような解説をされました。しかし一方で、裁判所の判断というのはもう何より重要だと、神聖で根源なのだと、権利の根源なんだと、そういう話もされている。そのあたりの、やはりコモンローの国の体系の中で憲法があるなということは見落としてはいけない点ではないかと思っております。

 それから、これはちょっとおもしろいことですが、ロックフェラー上院議員、彼に、これは憲法がアメリカの危機、大統領を選ぶ危機の状況を、憲法に規定した各機構がそれぞれ全力で働いて乗り切った、憲法というのは実に、やはり我が国で生きていると、こういう確信をお話になって、そのこと自体は大変感銘深かったんですが、議院内閣制と大統領制とどっちがよろしいですかと聞きますと、自分はぜひ大統領をひとつ議会に呼んで徹底的に問い詰めるというあれをやってみたいという、議院内閣制いいなと言いながら、一方で、イスラエルのように与党の一角が崩れたら政権が倒れちゃうというあれも困るなというそんな話もしておられまして、この制度の長所、短所、いろいろ考えておられるなということを感じました。

 それから、九条の関係でタシュネットさん、ジョージタウン大学に伺ったときに、日本国憲法九条はドイツ基本法の一条と同様に歴史的経験を踏まえているものだというお話で、この意味するところなんですが、これは私はタシュネットさんがスペシフィックという言葉を使われたと聞いたんですが、通訳に聞くと、いや言ったかなということで、ちょっともう今さらはっきりしないんですけれども、特定のある歴史的経験の中で出てきている条項であると、そういう限定を持った条文であるという意味で言われた。

 さて、そこで、その特定の歴史的経験というのは、やはりその特定の歴史的経験自体の持つ普遍性というものがどこにあるのか、そのあたりの議論をしっかりしてみれば、九条の意味するところの持っているその普遍性と特殊性というものが議論できるのではないかと思いました。

 あと二点ほどですが、オークランド市のジェリー・ブラウン市長、この人は野武士のごとき風情で、寄らば切るぞというような感じでなかなか大変な議論だったんですが、まず、おまえたちは日本の憲法何が問題なんだと、問題をはっきりしなきゃ調査をしても意味がないじゃないかと、こう来られまして、一瞬たじろいだんですが、まさにそこが日本の憲法議論の問題だと、何が問題かを実は我々は十分議論できていないなという感じで、私はやはりアメリカのロックフェラーさんのようにアメリカの憲法に確信を持つと、みんなが信頼を持つという、それが今の日本にないと。これをどうやってもう一度つくり上げるかの議論をしっかり立場を超えてしなければいけないのではないかと思っております。

 最後に、FEMAのウィット長官ですが、クリントン大統領によって任命をされた、政治任命でございますから間もなく首が飛ぶという直前で心なしか寂しそうではありましたが、この人に緊急事態の際の個人の権利の制約というのをどういうふうにしているかということで水を向けたんですが、話はそっちに行かずに、どうしても、いや緊急事態を乗り越えるには市民のネットワークが一番だという、そういう話に行って、連邦よりも州、州よりさらに地域、そこでの人々のつながり、これが一番大切なんだという話で、これはやはり緊急事態をこれから議論するに当たっては重要なポイントだなということを感じました。
 以上、一参加者として幾つか感じたことを申し上げました。

○会長(上杉光弘君) 大変時間的には制約の中でそれぞれ御意見をいただきましたが、他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度とさせていただきたいと思います。
 これにて散会をいたします。
   午後二時四十八分散会


2001/02/21

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