2000/05/25

戻るホーム主張目次会議録目次


参院・法務委員会

「民法改正案」の質疑。民主、共産、社民の三党共同提案で、(1)夫婦別姓選択制、(2)別姓夫婦の子の氏、(3)待婚期間、(4)非嫡出子の相続分などが主な内容です。私も提案者で、答弁に立ちました。

私への質問は、@自民党より、別姓は家族の絆を弱めないか、A公明党より、憲法24条の「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」の理解いかん。

答弁要旨。@夫婦同姓により必ず家族は強い絆で結ばれるとは限らず、むしろ別姓を選択することも認めれば、より強い愛と信頼の絆で結ばれた、多様な新しい家族のかたちが生まれ、21世紀の家庭や社会の新しい姿を描き、少子化への新しいアプローチを探ることもできるようになります。A憲法24条は、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの努力で生まれ、「神の国」の旧憲法と最も違う点のひとつで、13条、14条と併せて、戦後の民法大改正の根拠となったものです。憲法も時代とともに進歩発展するもので、これらの規定をさらに充実させるため、今回の改正を提案しました。


○北岡秀二君 私ども自由民主党におきましては、御承知のとおり、このたびの民法改正につきまして、私の推測ではありますが、多分反対意見の方が多い現状だろうと思うわけであります。そういうふうに推測するわけでございまして、党内事情から申し上げますと、いまだにその結論が出ていないというような状況であります。

 そういう状況の中で、本来でありますればこの議論に参画できる立場にはない状況なんですが、委員会の今までの運営の関係上、私はあくまで個人的な立場で、そしてまた、なおかつ反対の立場から本日の質問をさせていただきたいと思うわけでございます。

 最近の社会風潮ということを考えてみますときに、個人の人権あるいは権利をより確立しよう、より自由に開放しようという側面があるわけでございます。現代の社会を築いていく大きな価値観になっておる。確かに、その風潮の中で住みよい社会が実現をされ、そしてまた、なおかつ開放的な社会が実現をされておるということも私は十分に認めますし、そしてまた、なおかつその重要性も理解をしておるつもりではあります。

 しかし、その反面、人間は社会を形成する動物でございますから、そういう社会を形成する以上、当然のことながら社会性の部分、伝統を守るとかあるいは文化を守る、さらには規則とか義務とか責任とかあるいはお互いの協調性や、時と場合によりますれば必要悪としてのむだや、あるいは無理なことや、あるいはいろんな面での妥協等々も必要であろうかと思うわけでございます。この部分をないがしろにするわけにはいかない部分もあるだろう。要は、私が前段に申し上げた部分と後段に申し上げました部分とのバランス、その時代時代に合ったバランスをいかに図っていくかということが大事なことではなかろうかなというふうに感じておるわけでございます。

 しかしながら、最近の世相で、特に子供を中心とした事件、事故、あるいはいろんな部分での世の中のすさみ、荒れている部分というのを考えてみましたときに、これも私の主観かもわかりませんが、権利や自由を主張するがゆえに自分のことしか考えない人間がどんどんふえているんじゃなかろうか、そういうような気がしてならないわけであります。社会性を無視した個人の都合によってどんどん社会が病んでいるような気がしてならないのは私一人ではないと思うわけでございます。

 私は、このたびの夫婦別姓にしても、姓を変えることの不利益から、人権あるいは権利や自由ということで考えての発想もあろうかと思うわけでありますが、大人の都合で、子供を育てる場という一つの大きな機能もあります家庭、家族のきずなを、私はこれは弱めることにつながるだろうということを推測するわけでございますが、果たして弱めていいものであるかどうかということを大いに疑問に感じるわけでございます。

 さらに、夫婦別姓の議論の中で外国の情勢がどうのこうのという話がございます。外国では夫婦別姓は主流であるというようなお話もあるわけでございます。

 確かに、私もそれなりに分析をしてみますと、一九六〇年代から七〇年代にかけまして、女性の権利の拡張の流れで伝統的な家族は時代おくれとされ、個人の多様な選択が是とされた。そういう流れの中で、確かに多様な家族、同性カップルであったり、あるいは俗に言うシングルマザーであったり、混合家族、多様な家族が生まれたという現実もあります。
 しかし、最近のアメリカのあるジャーナリストの表現によりますと、その結果は、家族の最後の形態であろうとも思われた核家族の崩壊であった。さらに、どのような生き方をするかについて各個人の選択の範囲が拡大したことは人々をより幸福にしたとは言えないというような発言をされるジャーナリストもあるようでございますし、御記憶に新しいだろうと思うんですが、一九九六年にはアメリカのクリントン大統領が一月二十三日の一般教書演説の中で、我々の第一の挑戦は子供たちを大切にし、アメリカの家族を強化することである。家族はアメリカ人の生活の基盤である。より強い家庭を持てば、より強いアメリカを持つことになると、家族のきずなの強化を訴えておるわけでございます。

 私なりに分析をさせていただくと、欧米社会の中にも家族の復権に乗り出しておる時代が到来しておるんじゃなかろうかということも推測をするわけでございます。

 また、現行法を考えてみましても、男女同権に反するという一つの思いもある。そういうような状況の中で現行の民法も、特に夫婦別姓という領域だけにスポットを当ててみましても、男性の氏を称しなければならないとはなっておらず、「夫又は妻の氏を称する。」ということですから、これはファミリーネームを重視した上で立派な男女同権を実現しておる状況にある。

 私は、そういう状況の中で夫婦別姓の趣旨を叫ばれておられる中の大きな原因というのは、社会のシステム上の問題であって、法律上の問題ではないというふうに認識をしておるわけでございます。

 今もろもろ申し上げましたが、そういうような状況の中で、特に一点、二点、発議者の皆様方にお伺いしたいのは、今申し上げました、近年家族のきずなが弱まり、家庭崩壊の現象が起こる中、社会的にはそれに関連していろんな問題提起がなされておる。そういうような状況の中で選択的夫婦別氏制度の導入は、さらに家庭崩壊に拍車をかけると私は思うわけでございますが、そのあたりについてどういうふうにお考えになられておるのか。

 そしてまた、もう一点続けて質問させていただきたいわけでございますが、改姓によって不利益をこうむるのなら、通称の使用を社会的に認知すればよいと私は思うわけでございますが、なぜ法改正をしなければならないのか。

 この二点について御答弁をいただきたいと思います。

○江田五月君 冒頭、自民党の中の議論についての御紹介がございましたが、私どもが今回提出しているものは、法制審議会で取りまとめられましたものとちょっと違いますが、大きな流れとしては同じものでございまして、法制審議会のあそこまでの議論でちゃんと案がまとまっているわけでございますから、政府や与党におかれましても、もちろんいろんな検討をしておられると思いますが、早急にひとつこの法制審議会の案や、あるいは我々の案や、そういうものを土台にした法改正に取り組んでいただきたいと思っておるところでございます。

 さて、おっしゃいますとおり、現代社会に家庭崩壊の現象というのが多く見受けられる。最近特に連続する少年事件の背景にもこのようなことがあるのではないか、これは私どもも心を痛めております。しかし、家庭崩壊というのは既に起こってしまっているわけで、これは選択的夫婦別姓制を導入したから起きたというものではないこと、これはもう論理的にも明らかでございます。

 また、クリントン大統領の取り組みについて御説明がございました。私も存じておりますが、アメリカでも、そこで少年、子供たちを健全に育て、家庭を大切にするために夫婦同姓制を導入しようなどという動きは寡聞にして聞いていないところでございます。

 さてそこで、こういう夫婦別姓選択制を導入すると家庭崩壊をさらに進めるかという御懸念でございますが、私どもはそうは考えておりません。

 委員御承知のとおり、我が国社会に標準世帯というものがありますね、夫婦と子供二人、これが標準世帯であると。そして、いろんな政策検討などをするわけですが、これはこれでいいんだろうか。道具として用いる分には構わないんですが、家庭とか家族とかというものはもっともっと多様化しているし、もっと多様化していくのではないか。三世代の大家族もある、ひとり暮らしの方も先ほどおっしゃったようにおられる、あるいは夫婦でも親子でもない友達同士が例えば年をとってから共同生活をしていく、これもある種のファミリーと言えるような、そういう結合も今後出てくるかもしれません。

 私は、標準というよりも非常に多様な家庭の形態を前提に二十一世紀の社会のあるべき姿を考えていった方がむしろいい、そういう非常に多様な生き方をすべて認め、その上で新しい形の地域社会やコミュニティーというものを創造していく、それが二十一世紀の課題になるのではないかと思っておりまして、選択的夫婦別姓制というものはこのような多様な家族の形態に適切な法的枠組みを提供する、これですべてというわけじゃありませんが、その一つに使えるものであり、むしろ婚姻を増加させる、あるいは少子化問題への新しいアプローチを開いていく、多様な家庭形態の中での一つの中心的な形態として二十一世紀の地域社会の有効な担い手となっていくことを私どもは期待しているわけでございます。

○委員以外の議員(小宮山洋子君) 通称の使用を社会的に認知すればよいのではないかという御意見ですけれども、その通称を混乱なく旧姓を使えるようにするためには戸籍に書き込むことがぜひ必要で、そうでないと戸籍名と旧姓の関係をどうするのか、旧姓に戸籍名と全く同じ効力を持たせない限り戸籍名との照合が必要になります。それで、一人が二つの姓を持つことになり、かえって混乱すると考えられます。

 そして、戸籍に書かないとしますと、戸籍に書かないから通称なんですが、通称の場合は戸籍名を変えることになります。そうなりますと、通称が使えるということで社会生活上の不利益をなくすという一面だけは解消されるかもしれませんが、選択的夫婦別姓が必要な理由はたくさんあります。

 氏名は人格権ですから、長年使ってきたものを使い続けたい、あるいはアイデンティティーの尊重、姓を変えると自分が自分でなくなったように感じる、あるいは先ほど男女どちらでもいいと言われましたけれども、九七%女性が改姓をしている。戸籍名として姓を変える以上、こうした問題の解消にはつながりません。

 さらに、旧姓を通称として使用する場合、その範囲をどうするのか。
 現在の通称としての旧姓では、住民票、パスポート、免許証、納税などには使えません。また、印鑑証明にも使えないので、一定の額以上の買い物はできません。また、会社の代表取締役になることや抵当権の設定などはできません。そうしたすべての面で使えないと社会生活上の不利益をなくすことにもならないと考えます。それで、使える場合、使えない場合を設けるとかえって混乱をすることになります。

 もし戸籍名と同じように使える通称であれば、別姓にするのと一体どういう違いがあるのでしょうか。
 こうした理由から、通称の使用では問題は解決しないと考えております。

○北岡秀二君 もう時間でございますので私の改めての意見だけ申し上げますが、先ほどの答弁の中でさらに多様性のある家庭を目指すというような話もございましたが、私は、現代社会の家族像、家庭像ということを考えてみますときに、十分にもう多様性のある家庭、家族というのは築かれているんじゃなかろうか。かえって、私が前段に申し上げましたとおり、家庭のきずながもう既に、いろんな要因がございますが、薄まっておることによって社会的に大きな問題が提起をされておる部分の方が大きい問題と私は受けとめております。

 こういうような状況の中で、先ほどおっしゃられましたとおり、夫婦別姓が家族のきずなを決定的に弱めるとは申し上げませんが、さらに弱める材料を社会的につくり出して、そしてまた家庭崩壊に拍車をかけるというのに私は非常に大きな危惧を抱くわけでございます。

 さらに、先ほどもう一方の答弁でおっしゃっておられましたが、確かに通称を使うことによる個人的な混乱はあろうかとは思うわけでございますが、それ以上に家族としての姓が違うことによる混乱の方が私は大きいように感じるわけでございます。

 そういうような状況で、これからいろんな議論があろうかとは思いますが、私どもは、願いはより健全な社会、そしてまたより健全な家庭をつくっていくということに思いがある立場からの発言でございますので、今後またいろいろ議論の場では発言をさせていただきたいと思います。
 以上で終わります。


○魚住裕一郎君 公明党・改革クラブの魚住裕一郎でございます。きょうは、提案者の先生方、御苦労さまでございます。

 選択的夫婦別姓制度を柱とする今回の民法の一部を改正する法律案が審議されているわけでございますが、私どもにおきましても、この選択的夫婦別姓制度自体、大賛成でございます。

 今回の提案については、一部その提出時に釈然としないものが残るわけでございますが、各先生方の御努力には敬意を表するところでございます。ただ、余り議論をしていなかった部分もございますので、何点か御質問をさせていただきたいと思います。

 まず、婚姻の適齢でありますとか再婚禁止期間とか氏あるいは相続分の問題、家族に関連することは、憲法二十四条二項に、法律はこういうふうにしなさいよという形で定められておりますが、「個人の尊厳と両性の本質的平等」というような表現になっております。

 発議者を代表してで結構ですが、特にこの「両性の本質的平等」というものをどのようにお考えになっているのか。何かわかるようでわからないというか、本質的というふうに書くから余計にわからないんだろうというふうに思いますが、ちょっとその辺、御教示をいただければというふうに思います。

○江田五月君 私どもの努力に御理解を賜りまして、大変ありがとうございます。

 戦後、新しい憲法ができまして、今お述べになりました二十四条の二項、「個人の尊厳と両性の本質的平等」ということが書いてあります。これに基づいてさまざまな法改正が行われるわけですが、特に民法に第一条ノ二というのを加えまして、「本法ハ個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等トヲ旨トシテ之ヲ解釈スヘシ」と。これは解釈の指針ですが、それだけでなくて、この規定に基づいて、特に民法の親族、相続のところが大幅に変えられたという経過がございます。

 現在の民法の規定、これは憲法の二十四条と、それに基づいて変更を加えられました民法でございますから、憲法に抵触をしているということではないであろうと思われます。

 しかし、憲法の条項も、もうこれは合憲か違憲か、どちらかに決まってしまうというものでなくて、時代とともにいろいろ法付加されていく、さらに前へ進んでいく、そういうことがいっぱいございます。私ども、今回の民法改正は、憲法と、そして民法一条ノ二に言うような「個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等」、これをさらに進めるものとして、ある意味で憲法にも根拠を持つ、そういう改正だと思っています。

 個人の尊厳、両性の本質的平等とは何であるかと。例えば個人の尊厳は、十三条の方に「個人として尊重される。」と。尊重と尊厳がどう違うかなどという議論はなかなかややこしくて、私もそこまで論を展開する能力を持っておりませんが、おおむね同じような意味だと教科書にも書いてありますし、個人として尊厳があるのか、人間として尊厳があるのかなどという議論に入らずに、おおむね同じだと理解をしております。

 両性の本質的平等は、これは今度は憲法十四条の方にございまして、「すべて国民は、法の下に平等であつて、」という、法のもとの平等とこれもまあ同義であろうと。

 本質的というのは何であるのかというのを憲法の本をいろいろめくってみたんですが、どうもその辺はさらりと書いてあって、実質的平等と形式的平等とか、機会の平等と結果の平等とか、そういういろんな説明はございますが、本質的とそうでなければ外形的というか、本質的とそうでなければ瑣末的というか、そういうことで本質的ということを書いているわけではなくて、むしろ英語でエッセンシャルという言葉もありますが、重要な、もともとの、本来のという、平等というのは一番大事なことですよという、そういう意味であろうと思っております。

 先日、参議院の憲法調査会に参考人としておいでいただいたベアテ・シロタ・ゴードンさんのGHQ草案を起草するときの活躍を聞いておりましたが、日本国憲法と以前の神の国思想の大日本帝国憲法の一番大きな違いがこの二十四条というところにあるんであろうと思います。

 これは、憲法の教科書だと、生理的条件の違いがあるから女子と男子と違った取り扱いは当然だというようなことも書いてあって、合理的な差別とか区別とか、いろんな議論ございますが、先ほど申しましたとおり、社会がダイナミックに変化しておりまして、従来合理的区別とされてきたものも差別だとして是正されたと。これも数多くあります。

 女子差別撤廃条約を批准するに当たって、国籍法の改正とか均等法とか家庭科の共修とか、こういうことも行われました。均等法はさらに改正もされました。また昨年、男女共同参画社会基本法も制定されまして、男女共同参画社会の実現は二十一世紀の我が国社会を決定する最重要課題だと、こういうことも前文に入っております。

 こういうダイナミックに進展していく民主主義、その中で個人の尊厳、両性の本質的平等もさらにもっと前へ進めていく、その一歩として今回の法案を出しておる、こう理解をしております。


2000/05/25

戻るホーム主張目次会議録目次